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7/7

第7話

冷え込んだ朝の資材集積所には、切り出された木材の青い匂いが立ちこめていた。


私は作業台の上に、昨夜描き上げた羊皮紙を広げた。墨の線で細かく記したのは、釘を一本も使わずに巨大な回転軸を繋ぎ合わせる『釘なし継手』の展開図だ。角材同士の凹凸を複雑に噛み合わせ、楔を打ち込むことで、水流のねじれをそのまま締めつける力へと変換する構造になっている。


「……おいおい、嬢ちゃん。まさか本気でこんな細工を、あの何千貫もある水車の心棒に仕込もうってのかい?」


髭面に深い刻み皺を寄せた男が、眉をひそめて図面を覗き込んだ。製粉職人のカスパーさんだ。粉埃のついた無骨な腕を組み、私を品定めするように見つめている。


「貴族の絵空事なら付き合いきれねえよ。水車の軸木にかかる水圧を舐めちゃいけねえ。鉄の鎹を何十本も打ち込まなきゃ、水門を開けた瞬間にへし折れておしまいだ」


「いいえ、カスパーさん。鉄の釘や鎹を使うからこそ、木が腐るのです」


私は図面の中心部を指先で示した。


「金属と木材では、水を含んだときの膨張率が全く違います。隙間に溜まった湿気が鉄を錆びさせ、その錆が周囲の木繊維を脆く崩してしまう。ですが、水流の向きに合わせて木目を交差させ、この形状で噛み合わせれば、木自身が水を吸って膨らみ、接合部はより強固に締まります。水圧の逃げ道も、この角度なら完全に確保できます」


淀みなく説明を重ねる私の指先を、カスパーさんは凝視した。疑わしげだったその瞳が、徐々に瞠目へと変わっていく。


「……嘘だろ。木目の歪みから水圧の逃げ、それに膨張の計算まで……。あっしら木挽きや粉挽きが、何十年も現場で頭を抱えてきた理屈を、紙の上で完璧に解いてやがる……」


「これだけの材を扱えるのは、長年木と対話してきた職人の方々だけです。どうか、お力を貸していただけませんか」


私が頭を下げると、背後から重々しい足音が近づいてきた。


振り返ると、工兵たちを率いたハロルド様が立っていた。屈強な兵士たちが台車に乗せて運んできたのは、黒光りするほどに目の詰まった、巨大な丸太だった。


「砦の備蓄材から、最も硬質な樹齢百年のオーク堅木を出させた。乾燥、粘り、共にこれ以上のものはない」


ハロルド様は静かに告げると、集まっていた工兵と職人たちを一望し、低く通る声で命じた。


「これより全工兵は、ミレーユ殿の指揮下に入れ。彼女の指示を、俺の軍令と心得よ」


「はっ!」


グンターさんの野太い返事を皮切りに、男たちの気迫が跳ね上がった。カスパーさんも袖を捲り上げ、研ぎ澄まされた鋸を手に取った。


「へっ……令嬢にここまで言われちゃ、職人が引くわけにゃいかねえな。おい野郎ども、墨付け通りに一分も狂わせず削り出すぞ!」


集積所に、力強い木挽きの音が響き渡り始めた。


◆ーーーー◆


一方、太陽が高く昇り始めた王都の水道局中央魔導制御室には、異様な熱気と苛立ちが充満していた。


大理石の床に泥まみれの長靴で踏み込んだ老棟梁ウルリヒは、青ざめた顔で書類を突き出した。


「セドリック様! 先刻の無理な加圧によって、沈砂池の汚泥が配管深部まで押し込まれ、完全に閉塞しております! 定期的な手作業の泥掻きを行わねば水車への給水路が詰まり、魔導ポンプが空回りを起こします! 今すぐ現場の職人を集め、泥掻きの手配を――」


「黙りなさい、ウルリヒ!」


金糸の礼装をまとったセドリックは、汚れた老人の姿に露骨な嫌悪感を示し、香水を浸した絹のハンカチで鼻を覆った。


「泥にまみれて溝掃除など下民のすること。前時代的な手作業を持ち出して、我が魔導推進派の威信に泥を塗る気か。詰まりなど、魔導の力で一気に押し流せば済む話だ!」


「無茶です! 泥が圧縮されて石のように固まっているのです! これ以上の加圧は、配管そのものを――」


「無能の言い訳は聞き飽きた! 術者たちよ、新型魔導ポンプの出力を極限まで引き上げろ! 泥など、文明の力で粉砕してしまえ!」


セドリックの傲慢な怒声が響き、制御室の魔導技師たちが震える手で術式を展開した。中央に鎮座する巨大な青銅ポンプが、甲高い唸りを上げて激しく振動し始める。


次の瞬間。


ゴウンッ――ドシン!


地下深くの配管網から、胃腑を揺るがすような鈍い衝撃音が響き渡った。配管の継ぎ目からシューシューと激しい高圧蒸気が噴き出し、制御盤の針が狂ったように跳ね上がる。


「な、なんだ今の音は……!?」


狼狽するセドリックの横で、ウルリヒは床を見つめ、絶望に顔を歪めて立ちすくんでいた。泥を侮り、自然の理を強引に捻じ曲げようとした代償が、見えない地下の暗渠を確実に破壊していることを、現場を知る老棟梁だけが悟っていた。


◆ーーーー◆


昼下がり、砦の北側外郭に位置する旧水車小屋では、緊迫した作業が佳境を迎えていた。


「引けっ! 滑車を絶対に緩めるな!」


グンターさんの怒号とともに、太いロープが軋みを上げる。腐朽してボロボロになった古い心棒が慎重に吊り出され、地面へと降ろされた。その跡地へ、新しく削り出された巨大なオークの堅木が、工兵たちの手によって滑り込まされていく。


私は足場に駆け上がり、軸頭と水車の骨組みが噛み合う接合部を凝視した。


(あと、わずか二分……噛み合わせが浅い)


水車輪自体の自重で、軸受けにわずかな歪みが生じている。このまま無理に押し込めば、木組みの角が潰れて強度が失われてしまう。


「待ってください! 押し込むのを止めて!」


私は叫び、腰の工具袋から手頃な木槌と樫の楔を抜き取った。濡れて滑る足場の丸太に爪先をかけ、身を乗り出すようにして接合部の隙間へ楔をあてがう。


「ミレーユ、危ない!」


下からハロルド様の鋭い声が飛んだが、今ここで手を止めるわけにはいかなかった。水流の重みを受け止める急所は、この一点にかかっている。


私は渾身の力で木槌を振り下ろした。乾いた打撃音が谷間に響く。


コンッ、コンッ――ゴトン!


吸い込まれるように楔が収まり、巨大な堅木の心棒が、水車輪の中心部と寸分の狂いもなく噛み合わさった。木組み同士が完璧に一体化し、鋼のような剛性が宿った手応えが、木槌を通して掌に伝わってきた。


「入った……!」


思わず安堵の息を漏らした瞬間、濡れた足場の端で私の足が滑った。


視界が傾き、冷たい風が頬をかすめる。


「――しまっ」


だが、地面の硬い感触が訪れることはなかった。


強い衝撃とともに、分厚い革鎧と頑強な腕が、私の体を宙でしっかりと受け止めていた。


「……無茶をするなと、あれほど言ったはずだ」


耳元で落ちてきたのは、低く、微かに震える声だった。見上げると、ハロルド様が険しい表情で私を腕の中に抱きすくめていた。その瞳には、隠しきれない焦燥と、痛ましいほどの気遣いが宿っている。


「あ、あの、ハロルド様……心棒が、無事に……」


「ああ、見事だった。だが、お前が無事でなければ何の意味もない」


そう言って彼は私を地面へと静かに降ろしてくれたが、その大きな手は、しばらくの間私の肩から離れようとしなかった。


夕暮れが迫り、谷間が茜色に染まり始めた。


「水門を開けるぞ! 全員、水車から離れろ!」


崖の上でグンターさんが叫び、堰堤の木製水門を一気に引き上げた。導水樋を滑り落ちてきた大量の清流が、白く泡立ちながら水車小屋の上部へと注ぎ込まれる。


ドドドドドッ!


凄まじい水圧が、真新しいオークの羽根板を叩いた。


一瞬の静寂。そして――ギギッ、と微かな軋み音を立てた後、長年眠り続けていた巨大な水車が、信じられないほど滑らかに前へと傾き始めた。


ゴオオオオオッ……!


地響きのような唸りを上げ、巨大な輪が力強く回転を始める。新しくすげ替えた心棒は、凄まじい水流のねじれを微動だにせず受け止め、清流を推進力へと変えていた。車軸に連動した室内の伝達歯車が、軽快な音を立てて回り出す。


「回った……回ったぞおおおっ!!」


工兵たちの間から、割れんばかりの歓声が爆発した。誰もが抱き合い、泥だらけの顔をくしゃくしゃにして笑っている。挽く術もなく硬い穀粒を噛み砕いていた兵士たちにとって、それは待ち望んだ救いの光だった。


「すげえ……本当に回しやがった……!」


カスパーさんが呆然と立ち尽くし、やがてその場に膝をついて、力強く回る心棒を拝むように見つめた。


私は泥と木屑にまみれた作業着のまま、その光景を胸いっぱいの思いで見つめていた。冷たい風が吹き抜ける中、熱い達成感が胸の奥を満たしていく。


ふと、私の右手が温もりに包まれた。


驚いて横を見ると、ハロルド様が無言で私の手を取っていた。彼は懐から取り出した真っ白な清潔な布で、私の指先にこびりついた木屑と黒い泥を、壊れ物を扱うかのように丁寧に拭い取っていく。


「あ、あの、ハロルド様、汚れてしまいます……」


「構わん。この泥こそが、砦の命を繋いだ証だ」


彼は布越しに私の手を包み込むと、周囲の狂騒を忘れさせるほど熱い眼差しで、私の目をまっすぐに見つめた。


「お前が、この凍てついた砦に新たな命を吹き込んでくれた。ミレーユ……お前の手は、俺の、砦の誇りだ」


胸が強く跳ね上がり、顔に熱が集まる。不器用な彼の言葉が、冷え切った指先の奥までじんわりと染み渡っていくようだった。


水車は力強く回転を続け、砦の未来を告げるように水飛沫を輝かせていた。


だがその時、水車小屋の奥から、ガリガリッという不穏な金属音が響いた。


「……おい、なんだこの音は!?」


カスパーさんが弾かれたように製粉場の中へ駆け込む。


水車の動力と連結された大型の石臼から、激しい摩擦音とともに、ツンと鼻を突く焦げ臭い煙が立ち上り始めていた。


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