「はかなくて無力な令嬢を演じてほしい」と公爵様に頼まれましたが、わたくし、素手で熊を追い返す女ですので ~よろめけば柱が折れますが、御家の危機はぜんぶ片づけておきました~
最新エピソード掲載日:2026/07/31
辺境ヴァルトナー男爵領には、崖と猪と熊しかない。十のころから背負い籠で斜面を上下してきた男爵令嬢アガタは、十八歳にして「素手で熊を追い返した娘」と村で呼ばれている。
その彼女に、王都のバーレンシュタイン公爵家から、途方もない依頼が来た。
「三月のあいだ、はかなくて無力な令嬢を演じていただきたい」
先代公爵の遺言にはこうある。――我が子が家門の印を継ぐは、己より弱き者ひとりを己の屋根の下に三月置き、これを損なわずして返し得たるときに限る。
すでに三度、客人は損なわれた。毒、悪評、階段。|験《ためし》は四度をもって終わり、今回が四度目である。成らねば公爵家の印は、叔父の手に落ちる。
だから公爵に必要なのは、弱く見えて、決して損なわれない令嬢だった。
報酬は金貨二百枚。去年の雪で落ちた領地の橋が、それで架かる。領地の一年の実入りは、十五枚である。
――受けた。迷う理由など、ひとつも無い。
弱き者である証は、遺言の付記に三つ。
一の|徴《しるし》。自ら重き物を持ち上げぬこと。
二の徴。自ら刃を帯びぬこと。
三の徴。自ら声を荒げぬこと。
守れる。守れるはずである。
……よろめいて指を添えれば、飾り柱が根元から折れる。そっと目もとを押さえれば、麻のハンカチが裂ける。毒入りの菓子は匂いで分かってしまうので、一口も食べずに、出した方へたいへん丁寧にお勧めする。
「どうぞ、お先に」
ところが社交界は、その全部を「底の知れなさ」と受け取った。陰謀は片端から物理で片づき、伝説だけが勝手に育っていく。三十日で壊したものは五つ。徴のほうは、一つも破っていない。
そして公爵ライナルトだけが、最初から気づいている。気づいたうえで、必死に笑いを噛み殺している。
「……いえ。埃が、目に」
守られるために来た娘が、守る側になってしまう。守る立場の男が、守られる幸福を知ってしまう。
九十日で、家門の印と、辺境の橋と、心の置き場所が決まる。
下記でも連載中
カクヨム、ハーメルン
その彼女に、王都のバーレンシュタイン公爵家から、途方もない依頼が来た。
「三月のあいだ、はかなくて無力な令嬢を演じていただきたい」
先代公爵の遺言にはこうある。――我が子が家門の印を継ぐは、己より弱き者ひとりを己の屋根の下に三月置き、これを損なわずして返し得たるときに限る。
すでに三度、客人は損なわれた。毒、悪評、階段。|験《ためし》は四度をもって終わり、今回が四度目である。成らねば公爵家の印は、叔父の手に落ちる。
だから公爵に必要なのは、弱く見えて、決して損なわれない令嬢だった。
報酬は金貨二百枚。去年の雪で落ちた領地の橋が、それで架かる。領地の一年の実入りは、十五枚である。
――受けた。迷う理由など、ひとつも無い。
弱き者である証は、遺言の付記に三つ。
一の|徴《しるし》。自ら重き物を持ち上げぬこと。
二の徴。自ら刃を帯びぬこと。
三の徴。自ら声を荒げぬこと。
守れる。守れるはずである。
……よろめいて指を添えれば、飾り柱が根元から折れる。そっと目もとを押さえれば、麻のハンカチが裂ける。毒入りの菓子は匂いで分かってしまうので、一口も食べずに、出した方へたいへん丁寧にお勧めする。
「どうぞ、お先に」
ところが社交界は、その全部を「底の知れなさ」と受け取った。陰謀は片端から物理で片づき、伝説だけが勝手に育っていく。三十日で壊したものは五つ。徴のほうは、一つも破っていない。
そして公爵ライナルトだけが、最初から気づいている。気づいたうえで、必死に笑いを噛み殺している。
「……いえ。埃が、目に」
守られるために来た娘が、守る側になってしまう。守る立場の男が、守られる幸福を知ってしまう。
九十日で、家門の印と、辺境の橋と、心の置き場所が決まる。
下記でも連載中
カクヨム、ハーメルン
1. はかなさの作法、三つ
2026/07/28 10:57
2. よろめき方の稽古
2026/07/28 23:19
3. 柱は、三本まで
2026/07/29 08:10
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2026/07/31 08:30
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2026/07/31 12:10