Ⅸ 国葬
弔事の鐘が鳴った。
本来であれば朝の点鐘が始まる刻限に、六つの鐘である。人々はハッと顔を上げ、急いで家に戻ると腕に黒い布を巻き付けた。女王が無言で帰郷したことを知らぬ者は居ない。誰も彼もが仕事を放り出した。
その日、ダーナターラの街は、再び哀しみに包まれた。
喪章を付けた人々は、丘へと続く道の両脇に並ぶ。誰一人として声を上げる者はいないほど、静まり返っていた。
やがて、女王公邸を出発したダヌ族の巫祝官人が、手にした板木を打ち鳴らした。
――カン、カン。
乾いた音が響く。その音を合図に、葬列はゆっくりと歩み始めた。先頭を行く巫祝官人たちの後ろには、黒喪の衣をまとったオルガとイケニ王家の者たちが続く。
——カン、カン。
その後ろを、四大部族の三家――ダヌ、タラ、コナハトの族長が肩を並べて歩く。さらに各氏族の長たちが列をなし、その後ろにイケニ族の海兵とコナハト族の海兵がオレネイアの柩を担いで続いた。そのあとにタラ族の詩吟官や吟遊詩人らが続く。
――カン、カン。
列は粛々と〈常若の国への道〉を進んだ。
常若の国は、西に去りしダーナの神々の最後の地であり、〈喜びの原〉への入口とされる。首都ダーナターラの後背の王たちの聖丘にあり、古より王も民も、最後にはこの丘で神々へ別れを告げてきた。
——カーン。
一際高い音を鳴らした巫祝官人は、列から離れて行く。守護の門をくぐればタラのさだ。
環状立石へ辿り着くと、担ぎ手たちは歩みを止め、柩を中央へと据える。環状立石の周りには黄道十二星座がぐるりと囲むように描かれ、その外側には円形闘技場のように貴賓席があり、さらに外側に観客席が建てられていた。
部族会議でも使われる円形会議場は〈常若の国への入口〉と命名されたが、いつしか略されて〈常若の国〉と呼ばれ、部族会議のことをも指すようになっていた。
そんな中で、吹き抜ける風だけが、草を揺らしている。
ダヌ族の長老——神祇長が祭壇の前へ進み出る。樫の杖を手に取り、床に嵌められた板木を一度だけ打ち鳴らした。
――カーン。
音が消えるまで、誰も動かない。神祇長は厳かに両手を合わせ、神々への祈りを唱え始めた。歳に見合わぬ大音声である。
「ダーナの神々よ。
海を越え、この島へ辿り着きし御祖らよ。
今日、旅立つ魂を迎え給え。
生ける者に安らぎを。
逝きし者に永遠の眠りを——」
葬送の言葉を唱え、老神祇長は口を噤む。周りに集う神祇官たちが唱和して繰り返す。そして、神祇長が柩へ向き直り、民へと高らかに告げた。
「今、此処に、我らが女王——オレネイア・エイレ・エリュシオンの葬儀を執り行う」
そして静かに振り返り、高々と杖を掲げた。
「歌え、詩吟長よ」
詩吟官たちの中から、一人だけ衣裳の違う者が進み出た。まだ、壮い詩吟長である。彼は竪琴を爪弾き、朗々と歌い始めた。
「ダーナの神々よ
西に去りし者たちよ
今此処に吾が女王が永遠の眠りに就く
願わくば 神の恩寵を給いて
麗しき者の魂を迎え給え」
詩吟長の神へ捧ぐ葬送歌が始まった。
「ターラに集いし者よ
神を追いし者たちよ
今此処に汝が女王が永久の国へと発つ
哀しみにて後ろ髪を引いてはならぬ
麗しき者の魂を送り出さん」
詩吟官たちが詩吟長とともに唱和し始める。幾人かの詩吟官は唄いながら弓琴を奏でた。
「海より来たりて渡りし者よ
英雄クンの末裔よ
今此処に汝が女王は輪廻の環へと帰り逝く
勇ましき鬨を挙げて励ましを贈れ
麗しき者の魂が魔より遠ざく」
更に祭壇の脇に控えた吟遊詩人たちも竪琴や弓琴、角笛、山羊皮太鼓などを鳴らし始める。
「遥けき国より駆けし者よ
女王を支えし者たちよ
汝らの愛せしイケニの紅が逝く
その神に抱かれし国への旅立ちを言祝ぎ
今ここに失われし哀しみを歌わん」
イケニの楽師たちが金管縦笛や肘風笛、枠太鼓を鳴らし始める。
「森の王たる榛の
下に集いし者たちの長
全てのケルトの盟主たる
アルウェルニの王 ビトゥリークス
伴侶たるはイケニの女王 ブリガンタ」
歌が進むにつれ、老いた海兵は静かに拳を胸へ当てた。漁師たちは帽子を脱ぎ、子どもたちは親の手を握り締める。誰一人として声を漏らさない。ただ詩吟長の歌だけが、風に乗って常若の国へ響き続けた。
「二人の偉大なる王の血を引きし
イケニのオレネイア
汝が手は海を超え人々を潤し
汝が足は海を渡って争いを収め
汝が愛は睦き姉弟を育みし
汝が愛しみは民の心を安んぜし」
歌は女王の系譜を語り、その歩みを讃え、人々と共に歩んだ日々を歌い継いでいく。丘に集った者たちは静かに耳を傾け、誰一人として口を開かなかった。
「おお 麗しのオレネイア
エーリウの申し子よ」
最後に詩吟官たちがバックコーラスとなって、詩吟長が締めの言霊を吐く。
——汝が名を刻みて 神の同輩と成さん。
歌が終わった。
再び、風だけが常若の国を吹き抜けた。
「ダーナの神々よ。
海の向こうの、最果ての島へ去りし者たちよ。
死者の魂が魔に魅入られぬよう導き給え。
残されし者たちに安らぎを。
逝きし者が満たされ、再び世に出づる日を願いて——」
神祇長は最後の祈りを神々へ捧げる。そして再び板木を打ち鳴らした。
――カーン。
「これをもって、女王オレネイア・エイレ・エリュシオンの葬儀を終える」
四人の巫祝官人が蓋を持って、柩を閉める。懐から樫の木釘を取り出し、角に三本づつ挿し込んだ。
——カン。
「逝きし者に安息を、残されし者に安寧を」
樫の木槌を持った神祇官が打つ度に、祝祷の言葉を述べ、封をする。これは四方打ちと呼ばれる魔を祓う儀式だった。
——カン。
「逝きし者に安常を、残されし者に安泰を」
柩の周りに立つ巫祝官人も唱和する。
——カン。
「逝きし者に安穏を、残されし者に安国を」
人々は深く頭を垂れた。誰も立ち去ろうとはしない。神祇官は最後の釘を指先で押さえ、ゆっくりと木槌を掲げた。
日の光に照らされ、振り上げられた樫槌の影が柩へ落ちた瞬間、オルガの肩が震え出す。
小さく握り締めた拳は白くなり、噛み締めた唇に血が滲んだ。
掲げられた樫槌が天を指す。
少女は最早、堪え切れず、泣きながら飛び出した。
そして、柩へ最後の槌が振り下ろされようとした、その時――幼い少女の悲痛な叫びが、静寂を切り裂く。
「お母さまを二度も死なせないで!」
オルガは柩へ駆け寄り、小さな身体で必死に柩へしがみつく。封をさせまいと神祇官の槌の先に立ちはだかった。時が凍りついたように、誰も言葉を発せない。
「どうして、同じ人を何度も葬るのよ!」
オルガの怒りを帯びた叫びが、人々の心を抉る。民にすれば英邁な女王を哀悼するための葬儀であるにしても、六歳の少女にとっては愛する母を喪った哀しみを、重ねて味合わせる苦痛でしかなかった。
ここで人々は初めて気づく。自らの期待をたった六歳の少女へ押し付けていたことに。オレネイアが人々にとっては女王でも、オルガにとっては唯一人の母親であったことを。
「御母様、お母様、お母さまーーーー!」
オルガの泣き声が聖丘を満たす。
どれ程の時間が流れただろうか。一人、また一人と人々は立ち去って行った。各国の使節もオルガの泣きつく姿に心打たれては居たが、席を立ち去る。葬列はゆっくりと解かれ、そして誰もいなくなった。
長い静寂の後に、ダヌ族長ベリオ・トア・ラアーサナとタラ族長ヤルヴァ・マク・ローナが、オルガへ静かに歩み寄った。
「姫君」
優しく呼びかける声に、オルガは涙で濡れた瞳を向ける。ベリオは静かに頷き、穏やかな声で告げた。
「これで終わりではございません」
「そうじゃ、姫様。かか様との旅はこれから始まるのですじゃ」
オルガは驚きに目を瞠り、二人の言葉を訝しがった。それでは、母は三度も死なされるのかと疑いの眼差しを注ぐ。
「警戒されてしもうたのぅ」
「だから言うたじゃろうが、姫様には先に話しておくべきじゃとな。全く、この頑固爺が」
「すまなんだのぅ……」
若い頃は美声と讃えられたであろう片鱗のある老婆とは思えぬ声で毒舌を吐いた。
「私しゃ、タラの族長ヤルヴァ・マク・ローナだよ。こっちの爺はダヌの族長ベリオ・トア・ラアーサナじゃ」
オルガは泣くのも忘れ、ただ二人の顔を見つめていた。




