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因数が足りない〜数学の天才教師が異世界転生確率98.7%の黄金交差点を導き出した結果、なぜか十回連続で病院送りになる件について〜

作者: 末長敬司
掲載日:2026/07/16

異世界転生確率は98.7%、ただし入院率も100%

挿絵(By みてみん)


■第一章 六限目■


 六限目のチャイムが鳴った。

 県立潮浜(しおはま)高校の二年三組では、条件付き確率の授業が終わろうとしていた。


 数学教師の真壁透(まかべとおる)は黒板に残った式を見た。

 秋の光が窓から斜めに入り、教室の床に細く伸びていた。


「先生」


 後ろの席から声が上がった。

 相沢陸(あいざわりく)だった。

 肩までの髪を揺らし、制服のリボンを少し曲げたまま手を挙げている。


「何だね、相沢くん」

「異世界転生って、条件付き確率で出せますか」


 教室の数人が笑った。

 真壁はチョークを置いた。


「出せる。母集団(ぼしゅうだん)が定義できればの話だがな」

「じゃあ、トラックに()かれたら何パーですか」

「確実なことは一つだ。まず、()かれる」


 陸は「ですよねー」と言って、机に肘をついた。

 真壁は黒板の端に小さく〈P(A|B)〉と書いた。


「確率は、起きてから考えるものじゃない。起きる前に考えるものだ」

「名言みたい」

「名言ではない。期末に出る」


 チャイムの余韻が消え、生徒たちがノートを閉じ始めた。

 真壁は出席簿を手に取った。


「課題は教科書百四十二ページ、問三から問七。月曜提出」

「先生、それ本当に期末に出るやつですか」


 陸が鞄を肩に掛けながら聞いた。


「出る」

「じゃあ、転生してる場合じゃないですね」

「課題を出してから行けばいい」


 陸は笑って、廊下を走らず歩いていった。


 放課後の職員室には、コピー機の音と部活動の声が混じっていた。

 真壁は机に戻り、出席簿を棚に入れた。


 二年三組担任の黒岩楽(くろいわがく)が出欠簿を閉じ、隣のシマから椅子を寄せてきた。

 黒岩は少し声を落とした。

「真壁先生、聞きました?」

「何をですか」

「国道の事故です。大型トラック。夕方の横断歩道」

 物理教師の元木雅人(もときまさと)が、実験器具の発注書から顔を上げた。

「またですか」

「いや、今回はちょっと変なんですよ」

 黒岩は職員室の入口を見た。

 誰も聞いていないことを確かめるような仕草だった。

()ねられた人が、見つからないらしいです」

 真壁はペンを止めた。

「見つからない?」

「鞄と靴、壊れたスマホは残っていたらしいです。血痕も。でも本人がいない」

 英語教師の金森沙耶(かなもりさや)が、湯呑みを持ったまま言った。

「異世界転生……ですかね」

 元木は小さく笑った。

「物理的には、異世界より先に救急車ですけどね」

「夢がないですね、元木先生は」

運動量保存則うんどうりょうほぞんそくにも夢はありませんよ」

 黒岩が肩をすくめた。

「でも、現場にいた人も見失ったって話なんです。救急車を呼んで、戻ったらいなかったって」

 金森は湯呑みを持ち直した。

「何だかロマンありませんか」

「ロマンで実況見分はできません」

 元木は発注書に判を押した。

 真壁はペンを置いた。

「何か最近、多いですよね」

 口にしてから、自分でも曖昧な言い方だと思った。

 黒岩は「ですよね」とだけ言い、自分の席へ戻った。


 真壁のスマートフォンが机の上で震えた。

 投稿サイトの通知ではなかった。

 画面には、校務連絡の通知だけが表示されていた。


 真壁は職員室で残りのプリントを揃え、夕方の校門を出た。


 帰りの電車は混んでいた。

 真壁は吊革につかまり、片手でスマートフォンを開いた。


 WEB小説の投稿管理画面。


 作者名は〈未収束点(みしゅうそくてん)〉。


 昨夜更新した短編SFのPVは二つ増えていた。

 一つは自分で確認したものだった。

 ブックマークはゼロ。

 感想もない。


 真壁は画面を閉じかけて、ランキングを開いた。


 追放。

 チート。

 悪役令嬢。

 婚約破棄。

 辺境。

 スローライフ。

 ざまぁ。

 異世界。

 転生。

 トラック。


 長い題名が、画面を埋めていた。


「バカバカしい」


 声には出さなかった。


 アパートに戻ると、真壁は鞄を床に置いた。

 部屋の壁際には古い文庫本棚がある。

 机に向かい、ノートパソコンを開いた。


 投稿管理画面の数字は増えていなかった。


 職員室で聞いた声が、頭に残っていた。


 鞄。

 靴。

 壊れたスマホ。

 血痕。

 本人だけがいない。


 真壁は検索窓に言葉を打った。


〈トラック事故 失踪〉

()かれた 消えた〉

〈異世界転生 実話〉


 画面の白い光が、真壁の眼鏡に映っていた。


■第二章 絶版星雲のかなたに■


 検索結果は三十秒で見飽きた。


 まとめサイト。

 匿名掲示板。

 短い動画。

 事故現場の写真を無断で貼った記事。


「くだらん」


 真壁透(まかべとおる)はそう言ったが、ブラウザを閉じなかった。


 部屋の壁際には古い文庫本棚があった。

 上段に背表紙の焼けた翻訳SF。

 中段に日本SF。

 下段に大学院時代の確率論と哲学本。


 真壁にとってSFは便利な魔法ではない。

 自分を肯定してくれる道具でもない。

 世界の見え方を一度壊すための文学だった。


 だからこそ、彼はWEB小説の投稿サイトに本格SFを書いていた。

 作者名は〈未収束点(みしゅうそくてん)〉。


 量子観測と植民惑星の政治制度を扱った中編。

 世代宇宙船の中で確率的にしか存在しない神をめぐる短編。

 火星の閉鎖都市で記憶の所有権を争う連作。


 どれも読まれなかった。

 PVは低く、ブックマークは増えず、感想欄は空白だった。


 最初のうち、真壁は読者のせいにした。


 長文を読めない。

 設定を待てない。

 伏線を覚えていられない。

 報酬が先に示されなければページをめくらない。


 それは軽蔑というより診断に近かった。

 しかし三作続けて同じ結果になると、診断の対象は少しずつ変わった。


 読者が間違っている。

 投稿サイトが間違っている。

 時代が間違っている。


 そこまでは良かった。

 だが四作目が沈んだ夜、真壁は初めて別の仮説を置いた。


 こちら側の関数が、間違っているのか。


 彼はその仮説をすぐに消した。

 代わりに、いつものサイトを開いた。


〈絶版星雲のかなたに〉


 古いSF読者と時代に取り残された書き手たちが集まる場所だった。

 画面の上部には色褪せた宇宙船の画像が貼られている。

 掲示板の背景は黒に近い紺色で、文字は薄い灰色だった。


 投稿の多くは、見慣れた嘆きだった。


「最近の読者は長文を読まない」

「タイトルで全部説明するな」

「異世界ばかりでSFがない」

「うっせー読め」

「復刊してほしい本ほど復刊しない」


 真壁はそれらを読みながら、半分うなずき半分うんざりした。


 どれも正しい。

 そして、どれも負け惜しみだった。


 同じ場所を覗いている自分も、その一人だった。


 彼は投稿一覧を下へ送った。

 ふと、一つの短い投稿が目に留まった。


 投稿者名はパスティー。


 真壁はその名前を何度か見たことがあった。

 女性投稿者として扱われていたが、プロフィール欄にはほとんど何もない。

 古いSFの話題にも時々現れる。

 ただし、いつも少しだけ他の投稿者と温度が違っていた。


〈異世界転生ものが異常ともいえる速度で大量に書かれている。その全部が、単なる現実逃避なのでしょうか。全部が、作り話なのでしょうか。〉


〈もし、一部が違うとしたら。もし、それらの何割かが体験談の変形だとしたら。〉


 真壁の指が止まった。


 真壁は画面を見たまま動かなかった。


 職員室で聞いた事故の話が戻ってきた。


 鞄。

 靴。

 壊れたスマートフォン。

 血痕。

 本人だけがいない。


 単なる現実逃避。

 作り話。

 体験談の変形。


 もし、その中に実例が混じっているとしたら。


 馬鹿げている。


 そう思った。

 思ったが、ブラウザを閉じなかった。


 真壁は机の引き出しから方眼ノートを取り出した。

 表紙に題名を書いた。


〈異世界転生発生条件に関する基礎研究〉


 まず分類が必要だった。


肉体同伴型転移にくたいどうはんがたてんい

 肉体ごと別世界へ移動する現象。

 現世側に肉体は残らない。


容姿維持型転生ようしいじがたてんせい

 転生先でも本来の容姿が維持される場合。

 肉体情報、あるいは肉体そのものの移送が必要になる。


容姿非維持型転生ようしひいじがたてんせい

 スライム化、性別逆転、幼児化、別種族化。

 人格情報、あるいは魂だけが移動する。

 この場合、現世側には肉体が残留する可能性がある。


 ほとんど屁理屈だった。

 だが屁理屈にも分類がある。

 分類があれば表にできる。

 表にできれば比較できる。

 比較できれば確率に近づく。


 真壁は市の統計資料を取り出し、検索結果を開き直した。


 トラック事故。

 失踪。

 WEB小説。

 異世界転生。

 死亡契機。

 ランキング。


 ばらばらの言葉が、同じ表に入っていった。


 画面の端には〈絶版星雲のかなたに〉のタブが残っていた。

 真壁はパスティーの投稿をもう一度開いた。


〈異世界転生ものが異常ともいえる速度で大量に書かれている。その全部が、単なる現実逃避なのでしょうか。全部が、作り話なのでしょうか。〉


 投稿時刻は午後六時六分。


 偶然である。


 真壁はそう判断した。

 その上で、ノートの隅に書いた。


〈投稿時刻、十八時六分。要検討。〉


■第三章 黄金交差点■


 真壁透(まかべとおる)は嫌っていた異世界転生ものを読み始めた。


 作品としてではなく、標本としてだった。


 ランキング上位作、書籍化作品、アニメ化作品、レビュー記事、個人ブログの死因一覧、読者コメント。

 タイトルだけで結末まで説明している長文群。


 真壁はそれらを表にした。


 死亡契機因数。

 転生先因数。

 主人公補正因数。

 追放係数。

 ざまぁ発生率。

 チート付与(ふよ)期待値。

 読者報酬先出し指数。

 タイトル冗長(じょうちょう)度。

 エモ係数。


 最初の集計で真壁は小さく眉を動かした。


 交通事故は多く、およそ三割強。

 過労死は一割強。

 刺殺、通り魔、病死、寿命、神または管理者の手違い。

 分類不能も少なくない。


 だが明確なトラックは思ったほど多くなかった。


 全体の一割前後。


 普通ならトラック仮説は弱まる。

 真壁はそう考えなかった。


 トラックは多すぎるのではない。

 少ないからこそ、古典因子として強い。

 安易なテンプレではない。選別された(ゲート)である。


 彼はノートに書き、しばらく眺めた。

 良い言葉だった。


 次に現実側の数値を集めた。


 市内の交通事故発生地点。

 大型車の通行量。

 物流倉庫の位置。

 交差点の見通し。

 曜日。時間帯。降水量。

 夕方の歩行者数。

 過去五年の失踪届。

 投稿サイトの更新数。


 数値は表計算ソフトの中で一つの地図になった。


 真壁の通勤も変わった。

 朝の電車。車窓の外。

 国道。倉庫。信号機。横断歩道。

 雨の日のブレーキ音。買い物客。大型トラックの列。


 それらはもはや日常風景ではなく観測対象だった。


 ある朝、職員室で真壁は方眼ノートを開いたまま席を離れた。

 英語教師の金森沙耶(かなもりさや)がコピー用紙の箱を抱えて通りかかった。

 机の上のノートが風で少しめくれていた。

 金森は足を止め、思わず中を覗き込んだ。


〈異世界転生発生条件に関する基礎研究〉

〈容姿維持型肉体消失係数〉

〈精神転写型肉体残留係数〉

〈読者報酬先出し指数〉

〈黄金交差点〉


 金森は眉を寄せた。


 戻ってきた真壁に彼女はノートを指さした。

「真壁先生、これ……漢文ですか」

 真壁はノートを閉じた。

「現代日本語です」

「じゃあ、なおさら怖いです」

 金森はコピー用紙の箱を抱え直し、一歩だけ下がった。

「……見なかったことにします」

「助かります」

「助かるんですか」

「助かります」

 金森は困った顔で自分の席へ戻っていった。


 職員室はいつも通りだった。

 電話が鳴りプリンターが紙を吐く。

 誰かが部活動の鍵を探し、元木雅人(もときまさと)が実験器具の発注書に印を押している。

 その中で真壁のノートだけが別の重力を持ち始めていた。


 数日後、真壁はついに式を書いた。


〈T=異世界転生期待値〉


 彼は因数に記号を振った。


〈I=交通衝撃係数〉

〈M=失踪未確認率〉

〈N=テンプレ適合率〉

〈L=タイトル冗長度〉

〈R=読者報酬先出し指数〉

〈S=現実満足度〉

〈B=容姿維持型肉体消失係数〉

〈P=精神転写型肉体残留係数〉

〈E=エモ係数〉


 式はこうなった。


〈T={I×M×N×L×R×B×E}÷S+P〉


 (みにく)い式だったが使いものにはなる。


 真壁はEの欄で一度ペンを止めた。


 定義できない。

 測定できない。

 比較できない。


 彼は欄外に書いた。


〈E=測定不能。暫定的に一とする。〉


 それで十分だった。


 地図上に一つの交差点が浮かび上がった。

 国道沿い。

 大型物流倉庫へ向かうトラックが多い。

 夕方の歩行者信号が長い。

 雨の日は見通しが悪い。

 古いパチンコ店の向かいに地域密着スーパー〈もんもんぐんぐん〉がある。


 真壁はノートに書いた。


〈もんもんぐんぐん前交差点〉


 その下に赤線を引いた。


〈転生確率九八・七%〉


 数値は美しかった。

 美しすぎる数値は疑うべきである。

 真壁は知っていたが消さなかった。


 真壁はその交差点を三日観測した。

 一日目は晴れ。

 二日目は曇り。

 三日目は雨だった。


 雨の日の午後六時台、大型トラックの通過数は平常時の一・四倍になった。

 歩行者信号の待ち時間は長く、スーパーの買い物客は傘で視界を狭めていた。

〈もんもんぐんぐん〉の看板は雨に濡れて赤く光っていた。

 真壁はノートを閉じた。

 これ以上、机上の計算で得られるものはない。


 彼は欄外に一行だけ書いた。


〈第一検証、実施〉


 第一検証の結果、右腕にギプスが巻かれた。

 病室の天井は白かった。

 高本晶香(たかもとあきか)医師がカルテを見ていた。

「幸い、命に別状はありませんよ」

 真壁は天井を見た。

「角度が甘かったか」

 高本医師はペンを止めた。

「何の話ですか」

「こちらの話です」


 第二検証では肋骨を痛めた。

 看護師がカーテンを開けて少しだけ目を丸くした。

「また真壁さんですか」

「偶然です」

「偶然も続くと、偶然とは呼ばなくなりますよ」

 真壁は答えなかった。


 第三検証のあと、職員室で元木が言った。

「真壁先生、本当に大丈夫ですか」

「少し運が悪かっただけです」

「運の問題ではない気がしますけどね」

「確率の問題です」

 元木はそれ以上聞かなかった。


 第四検証のあと、診断書は一枚増えた。

 学校に提出した欠勤理由は交通事故。

 真壁のノートでは検証失敗。


 第五検証の欠勤明け、廊下で相沢陸(あいざわりく)が足を止めた。

「先生、もしかしてホントに異世界行くつもりですか」

 真壁は松葉杖を持ち替えた。

「行くなら課題を出してからだ」

 陸は笑わなかった。


 第六検証の退院後、保険会社から電話が来た。


 第七検証のあと、看護師が真壁の荷物を病室へ運んだ。

 鞄の口から黒い方眼ノートが滑り落ちた。

 高本医師はそれを拾った。

 表紙には〈異世界転生発生条件に関する基礎研究〉と書かれていた。

 彼女は何も言わず、ノートを真壁の枕元に置いた。


 第八検証の前に、真壁は別ルートを検討した。

 過労死。近年増加。二十代から三十代の社会人主人公との相性が高い。

 しかし自分は仕事が早かった。

 授業準備も採点も担任補助も予定より早く終わる。

 つまり、再現性に欠ける。

 刺殺および通り魔、これは制御不能。

 病死、さすがに時間がかかりすぎる。

 神の手違い、これも観測不能。

 真壁はすべて棄却した。


 第八検証のあと、真壁はノートに戻った。

 問題はEだった。

 物語において、涙、祈り、後悔、献身、誰かを守る衝動はしばしば(ゲート)の開閉に関与する。

 真壁はそこまで書いた。

 そして線を引いた。


〈ただし、定量化不能。暫定的に一とする。〉


 数字は揺るがなかった。


〈もんもんぐんぐん前交差点〉

〈転生確率九八・七%〉


 第九検証の記録はほとんど残っていない。

 雨が降っていた。

 視界が悪かった。

〈もんもんぐんぐん〉の看板が赤かった。

 それだけだった。

 真壁は退院した夜、ノートの最後に一行だけ書いた。

〈第十検証、実施予定〉


 第十検証の記録はノートには残らなかった。

 その日は雨が降っていた。

 真壁はそれだけを覚えていた。

 次に目を開けた時、視界の上半分に病室の天井があった。

 白い蛍光灯が一本だけ滲んで見えた。

 左側で心電図の音がしていた。

 真壁はゆっくり息を吸った。


 今回も、ここは異世界ではなかった。


■第四章 因数が足りない■


 高本晶香(たかもとあきか)医師は黒い方眼ノートを膝に置いていた。

 病室の窓の外は晴れ、雨は上がっていた。

 真壁の左腕には点滴の管がつながれ、右足は白いシーツの下で固定されていた。

「読んだんですか」

 真壁が言った。

 高本医師はノートの表紙に指を置いた。

「表紙だけです」

「それで十分ですか」

「十分でした」

 真壁は天井を見た。

 白い蛍光灯は、今度は滲んでいなかった。

「何時間、意識を失っていましたか」

「十二時間ほどです」

「短いですね」

 高本医師は答えなかった。


 少し間を置き、高本医師が口を開いた。

「真壁さん」

「はい」

「あなたは、異世界転生できない体質です」

 真壁はゆっくり高本医師を見た。

「医学的に、ですか」

「あなたの言葉を借りれば、物語的にです」

 病室の空調が小さく鳴っていた。

「因数が足りないんです」

 真壁は動かなかった。

 高本医師はノートを開かず、続けた。

「真壁さんは、出口を探していたんじゃありません。出口を測っていたんです」

 真壁の指がシーツの上で少し動いた。

「同じことでは」

「違います」

 高本医師は静かに言った。

「異世界に行きたい人は、たぶん、どこかで現実に負けているんです。誰かに届かなかったり、見られなかったり、何かを取り返せなかったりしている」

 真壁は黙っていた。

「でも真壁さんは、負けたことを証明しようとしていた。救われたいんじゃない。正しいと認めさせたい」

 高本医師はノートを真壁の枕元に置いた。

「だから、(ゲート)は開かなかったのだと思います」

(ゲート)があると?」

「さあ」

 彼女は少しだけ笑った。

「私は医者ですから」


 真壁はノートを見た。


〈E=測定不能。暫定的に一とする。〉


 その一行が、頭の中に残っていた。


 退院した夜、真壁は机に向かった。

 ノートパソコンを開くと、投稿管理画面に読まれなかった作品が並んでいた。

 量子観測。植民惑星。世代宇宙船。火星閉鎖都市。

 どれも、PVは増えていなかった。


 真壁は新規投稿の画面を開いた。

 タイトル欄で一度だけ指が止まり、一呼吸おいて打ち込んだ。


〈因数が足りない〜数学の天才教師が異世界転生確率98.7%の黄金交差点を導き出した結果、なぜか十回連続で病院送りになる件について〜〉


 本文欄には、研究記録ではなく小説を書いた。

 真壁透(まかべとおる)という数学教師が、異世界転生に失敗し続ける話だった。

 書き終えると投稿ボタンを押した。


 ノートパソコンの横で、スマートフォンが震えた。

 投稿サイトからの通知だった。

 画面を見ると、最初の感想が付いていた。


〈当たってるわ(笑)〉


 感想の投稿者名はパスティーだった。


 真壁はその一文をしばらく見て、スマートフォンを伏せた。

 ノートパソコンは開いたままだった。

 椅子から立ち、部屋を出た。


 誰もいない机の上で、PVの数字が一つ増えた。

 数字は瞬く間に二桁を越え、百を越えた。


 伏せられたスマートフォンが、何度も短く震えていた。

 ノートパソコンの画面では、新しい通知が増え続けていた。

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― 新着の感想 ―
異世界転生にマジで向き合うと、シリアスギャグになってしまうってことですね〜w (´ε`) 負けの証明をしようとしたら、転生できないのも面白い! (・∀・)
ちょっと変なんですよ
なろうデビューおめでとうございます!!
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