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花火が終わるまで-Bis das Feuerwerk endet-

作者: 末長敬司
掲載日:2026/07/31

挿絵(By みてみん)


 ドイツ連邦共和国北部の街ハンブルク。

 元日の午前三時五十二分。気温は零度近く、北海(ほっかい)から来る湿った冷気が石造りの街に溜まっていた。

 音を消したテレビでは、(うち)アルスター湖の上に花火が開いている。

 真田恒一(さなだこういち)はソファに浅く腰を掛け、読みかけの地方紙を膝に置いていた。

 テーブルには、氷の溶けたトニックウォーターが半分残っている。

 シュルンプの石畳(いしだたみ)で爆竹が(はじ)け、その音が裏庭を囲む煉瓦壁(れんがかべ)に跳ね返った。

 地方紙の下には、十年前の映画祭会場を印した市街地図があった。

 前日の午後、真田(さなだ)はそこまで歩いた。

 ただ建物を見ただけで、誰にも連絡しなかった。


 呼鈴が鳴った。


 真田(さなだ)はテレビを消し、旅行鞄の底からワルサーP99を抜いた。

 薬室(やくしつ)に一発、弾倉(だんそう)に十五発、予備弾倉(よびだんそう)は二本。

 真田(さなだ)が所属する民間軍事会社セイブル・インターナショナル・リスクでは、休暇先を申告した契約要員に、現地協力者を通じて護身用(ごしんよう)装備を貸していた。

 P99はレーパーバーンの空気銃店で受け取ったものだった。

 玄関の脇に立ち、インターホンを押す。

「三番倉庫は閉鎖中だ」

 仕事の相手なら、決められた返答をする。

「コウイチ。ハンナよ」

 十年ぶりの声だった。それでも真田(さなだ)は錠に触れない。

「十年前、俺の便は十時半だった」

「十時四十五分よ。朝食には来られたから」

 真田(さなだ)は扉を細く開けた。


 ハンナ・フォークトは濡れた長い髪を頬に貼りつかせ、革の書類鞄を胸に抱えていた。

 眼鏡の左側にはひびが入り、コートの袖に黒ずんだ血がついている。

 白い息が真田(さなだ)の肩を越えて室内へ流れた。

 二十歳だった顔から丸みは消えていたが、答えを待つときに(あご)をわずかに上げる癖は変わっていない。


 十年前、自衛隊を辞めた真田(さなだ)は海外で民間軍事会社を探し、なければ傭兵(ようへい)になるつもりだった。

 かつて映画監督を(こころざ)したことのある彼に、監督になった旧友がハンブルクの映画祭への同行を頼んだ。

 現地での手伝いをする一週間だけの旅だった。

 ハンナは日本語を学ぶ大学生で、日本側ゲストの通訳兼司会を務めていた。

 上映後の会場を一緒に片づけ、夜ごと街を歩いた。

 戦争映画の銃声は、まだスクリーンの中だけにあった。

 二人の関係は、始まる前から終わる日だけが決まっていた。


 真田(さなだ)は彼女の背後を確認し、室内へ入れた。

 貸家(かしや)は十九世紀末の集合住宅の裏庭に建つ小さな別棟だった。

 玄関から勝手口まで短い廊下が通り、左に居間と台所、右に寝室と浴室がある。

 窓はすべて裏庭に面していた。

「あと四時間、時間を稼いで」

 ハンナは鞄を下ろさなかった。

 真田(さなだ)は彼女を居間の壁際の椅子へ座らせ、玄関と勝手口の両方が見える位置に立った。

「最初から話してくれ」


 ハンナは独立系調査報道機関エルベ・リサーチの記者になっていた。

 彼女は同僚のヨナス・ケラーと港へ入った夜から話し始めた。

 二人が追っていたのは、ハンブルク港を経由する違法輸送だった。

 救援物資として申告されたコンテナには、武器部品と監視装置が積まれていた。

 二人はその実態を示す内部文書――通称ノルトカーイ文書の原本(げんぽん)を入手した。

 午前八時、大学地区のマルテンス法律事務所で、エヴァ・マルテンス弁護士と複数の報道機関へ同時に引き渡す。

 一社を圧力で潰しても、記事を止められなくするためだった。


「なぜ原本(げんぽん)を運ぶ。画像を送れば済む話だろう」

改竄(かいざん)した偽物だと言われるだけよ。原本(げんぽん)なら連続番号も訂正印も、筆圧も残る」

「ヨナスは」

「迎えに来た。でも途中で連絡が切れた。車にはいたけど、ドアは開けなかった」


 門の向こうで自動車のドアが閉まる音がした。

 真田(さなだ)は居間の照明を消し、台所の灯りだけを残した。

 ハンナを煉瓦壁(れんがかべ)の陰へ移す。

 玄関が叩かれ、ドイツ語で警察を名乗る声がするが、窓外(そうがい)には青色灯(あおいろとう)の光も無線音もない。

 男の無線から低い声が漏れた。

『クランツ、正面からだ。コヴァチは庭へ』

 呼ばれた二人はいずれも元軍人だろう。

 年越しの騒音に紛れ、正面と裏庭から(はさ)む手順に迷いはない。

 錠が壊され、ティモ・クランツが拳銃を構えて廊下へ踏み込んだ。

 身を低くし、照準もぶれていない。

 外でロケット花火が連続して破裂した。

 真田(さなだ)はクランツの銃口を木枠(きわく)へ押しつけ、P99で胸元へ三発撃ち込んだ。

 クランツは引き金を引けないまま崩れた。


 ハンナは叫ばなかった。

 眼鏡を外し、(そで)でレンズを拭いた。

「十年前の質問、覚えてる?」

 映画祭で戦争を扱った作品が上映された夜、彼女は真田(さなだ)が元自衛官だと知った。

 軍人なら人を殺したことがあるのか、と尋ねた。

「覚えている。殺さないのが自衛隊だと答えた。あのときは本当だったさ」

 ハンナは床の男を見た。

 真田(さなだ)はクランツから通信機だけを外した。残り十三発。

「連中が命懸けで取り戻しに来たものを見せろ」


 ハンナは居間の床に鞄を置いた。

 船荷証券(ふなにしょうけん)と港湾会社の貨物台帳(かもつだいちょう)を取り出し、同じコンテナ番号が記された箇所を並べる。

 片方では救援物資として北アフリカへ、もう片方では軍用部品として制裁対象(せいさいたいしょう)地域へ送られていた。

 最後に、黒い表紙の手帳を真田(さなだ)へ渡した。

「税関職員への賄賂(わいろ)と、情報を漏らした人間を捜す回収班への支払い」

 真田(さなだ)は手帳をめくる指を止めた。

 セイブル・インターナショナル・リスク。

 資料回収班への支払先として、自分が所属する会社の名が記されていた。

 真田(さなだ)はもう一度、支払日と受取人の欄を確かめた。

「セイブルは輸送警備だけじゃない。内部の人間を特定して、流出した資料を回収していた」

 ハンナは手帳を受け取り、コートの内側へ入れた。

 船荷証券(ふなにしょうけん)と台帳だけを鞄へ戻す。

「ヨナスと現地連絡員を追った。レーパーバーンの武器デポも、この貸家(かしや)も、その男の記録から知った。ハーゲンはセイブルが表に出せない回収を()け負ってる」

「俺が会社へ渡すとは考えなかったか」

「考えた。追ってくる三人より、あなたのほうが強いと思った。でも、会社より私を選ぶかは分からなかった」


 台所の灯りが消え、冷蔵庫の低い作動音も止まった。

 家全体の電源を落とされた。

 窓の外で花火が(またた)き、その光に庭側の人影が浮かぶ。

 ハンナは声を出さず、真田(さなだ)の袖を引いた。

 それから(おとり)の鞄を台所へ滑らせる。

 勝手口が開き、ミラン・コヴァチが壁を背にして入った。

 鞄へ手を伸ばしながらも、銃口は居間から外さない。

 ハンナが台所の椅子を蹴った。

 コヴァチの視線が一瞬だけ動く。

 真田(さなだ)はコヴァチの胸へ二発、倒れかけた頭部へ一発撃った。

 コヴァチは鞄の横へ沈んだ。

 残り十発。

 その直後、中庭の暗がりから一発が飛んだ。

 真田(さなだ)の左脇が壁へ叩きつけられる。

 撃ち返したときには、射手(しゃしゅ)は消えていた。

 真田(さなだ)残弾(ざんだん)のある弾倉(だんそう)を抜き、十五発入りの予備へ替えた。

 薬室(やくしつ)の一発を合わせて十六発。

 もう一本は上着の内側に残した。


 浴室で、ハンナが傷へタオルを押し当てた。

 指は冷え切っていたが、力は緩めなかった。

「三人目は特別なのね」

「二人を先に入れた時点で分かる」

 クランツの通信機が鳴った。

K1(ケー・ワン)、聞こえているか』

 恒一(こういち)をもじった、セイブルの任務で使うコールサインだった。

 声の主はアルノ・ハーゲン。

 真田(さなだ)が国外任務で一度だけ組んだ男で、当時は欧州担当の現場指揮官だった。

『レーパーバーンの箱は返されていない。会社はお前がまだハンブルクにいると知っている。女と書類を渡せ。二人の死体はこちらで処理する』

「悪いが、俺は休暇中だ」

『それが答えか』

「勤務時間外だという意味だ」

 真田(さなだ)は通信機を切った。


 午前六時を過ぎると、花火の間隔が長くなった。

 ハーゲンは入ってこない。

 真田(さなだ)の出血と、銃声を隠す音が消えるのを待っている。

 ハンナはタオルを結び直した。

「一週間の関係だった?」

「そう思っていた」

「思っていたのは、あなただけよ」

 真田(さなだ)は答えなかった。


 午前七時三十八分。

 窓の外の黒が薄くなり、花火は止んでいた。

 玄関の錠が静かに外れた。

 ハーゲンは二つの死体と血の跡を見てから、真田(さなだ)へ銃口を向けた。

「花火は終わった。今撃てば、誰かが銃声だと気づく」

 台所の鞄を確かめ、帳簿がないと見抜く。

 銃口がハンナへ移った。

「銃を置け、サナダ」

 真田(さなだ)はP99を床へ置いた。

 ハーゲンが近づく。

 ハンナは逃げず、鞄の肩紐(かたひも)を相手の腕へ絡めた。

 そのとき、裏庭で(くすぶ)っていた連発式の爆竹が(はじ)け始めた。

 ハーゲンの目が窓へ動き、ハンナが身を伏せた。

 真田(さなだ)は床のP99を拾うと、迷わずハーゲンに銃口を向けて引き金を引いた。

 胸部で止めず、頭部へ銃口を移して撃ち続ける。

 スライドが後退したまま止まるまで、指を緩めなかった。

 銃声と爆竹が途切れた。

 遠くのサイレンが、こちらへ向きを変えた。


「七時四十二分だ」

 ハンナは黒い手帳を確かめ、原本(げんぽん)を鞄へ戻した。

 真田(さなだ)はハーゲンの上着から車の鍵を抜いた。

 ハンナが車を出した。

 

 元日のハンブルクは、まだ夜と朝の境目にあった。

 シュルンプの交差点では信号だけが色を変え、清掃車が濡れた花火の筒や割れた瓶を路肩へ寄せている。

 閉じたカフェの前には若者が眠り、火薬の煙が冬の湿気に残っていた。

 真田(さなだ)は助手席でミラーと後方を見た。

 バックアップと車の追跡装置を疑い、大学地区に入る手前で車を捨てた。

 最後の通りだけを、二人は並ばずに歩いた。


 午前八時前、マルテンス法律事務所の鉄扉(てっぴ)が開いた。

 灰色の髪を短く切ったエヴァ・マルテンスが、内側から手を伸ばす。

「ハンナ、早く。全員そろってるわ」

 ハンナは書類鞄を渡さず、真田(さなだ)を振り返った。

「四時間で、一週間分は取り戻せたかな」

 彼女は初めて笑った。

「まだまだよ」


 ハンナは真田(さなだ)を抱きしめた。

 傷に触れないよう腕をずらし、顔を上げた。

明けましておめでとうフローエス・ノイエス・ヤール

 そのまま唇を重ねた。

 新年の挨拶にしては、長い接吻(せっぷん)だった。

「記事は読む」

「でもドイツ語よ」

「十年前よりは読めるさ」

 エヴァがハンナを中へ引いた。

 鉄扉(てっぴ)が閉じる前にハンナがもう一度通りを見たとき、真田(さなだ)の姿はなかった。


 通りには、濡れた花火の燃え(がら)だけが残っていた。

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― 新着の感想 ―
スペースから来ました。 年越しの銃撃と再会を、花火の光で鮮やかに描いていて緊張感が伝わって来ました。
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