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プラヤ・マレアまで三十キロ

作者: 末長敬司
掲載日:2026/08/14

挿絵(By みてみん)


■第一章 ラ・パリダ■


 メキシコ内陸部、砂漠に囲まれた地方都市プラヤ・マレア。

 町の入口には、()びた鉄板の看板が立っていた。


 PLAYA MAREAプラヤ・マレア


 白かったはずの文字は砂に削られ、その下には赤い塗料で、もう一つの町の名が書き加えられていた。


 MAREA DE SANGREマレア・デ・サングレ――血の満ち潮。


 道端では、男が()びたピックアップトラックの後輪を外していた。

 男は看板を見上げ、地面へ(つば)を吐いた。

砂埃(すなぼこり)しかねぇのに、プラヤだとよ」

 車体の下から、もう一人の男が顔を出した。

「泥水も干上がった町で、何がマレアだ」

 遠くからエンジン音が響き、二人は道路から退いた。

 アルパイン・ホワイトの一九七〇年型ダッジ・チャレンジャーR/Tが、砂煙(すなけむり)を引いて町へ入ってきた。

 白い車体は(ほこり)にくすみ、右のフェンダーには古いへこみが残っている。

 運転しているのは日本から流れ着いた元高校教師・黒岩楽(くろいわがく)だった。

 黒岩(くろいわ)は片手でハンドルを握り、薄い砂色のウエスタンハットを押さえた。

 柔らかいつばには何度も(つぶ)された跡があり、右側だけが少し垂れていた。

 チャレンジャーは弾痕(だんこん)の残る建物を通り過ぎ、町の中央にあるカンティナ・ラ・パリダの脇へ止まった。


 カンティナ・ラ・パリダは、町で唯一、銃を抜かずに酒を飲める場所だった。

 死に向かって一直線に進む連中が、まだ人間として扱われる酒場でもあった。

 黒岩(くろいわ)が店へ入ると、酔った男がこの店の女主人オルガ・カスティルビエホの手首を(つか)んでいた。

「銀髪が珍しいからって、触っていいとは言ってないわ」

 オルガはスペイン語でそう言い、カウンターのビール(びん)を取った。

 (びん)を逆さに持ち、厚い底を男の側頭部(そくとうぶ)へ叩き込む。

 男は(ひざ)から崩れ、床へ横倒しになった。

 店内にいた三人の常連客が席を立った。

 一人が男の両脇を抱え、二人が脚を持つと、店外へ運び出し、道端へ転がした。

 三人は元の席へ戻り、カードを再開した。

 オルガは(びん)を確かめ、カウンターへ戻した。

 皆が慣れ切った、という手付きだった。

「遅かったわね、ペペ」

 オルガが黒岩(くろいわ)に声を掛けた。

「道が混んでいましてね」

「牛が一頭いただけでしょう」

「立派な牛でしたよ」

 黒岩(くろいわ)はスペイン語で答え、帽子を脱いでカウンターの端へ座った。

 オルガは氷を二つ入れた重いグラスへバーボンを注ぎ、ボトルと一緒に黒岩(くろいわ)の前へ置いた。


 少し離れたテーブルでは、エウヘニオ・モンターニョが手紙を書いていた。

 三十五歳前後に見えるが、髪と顎髭(あごひげ)にはすでに白いものが混じっている。

 灰色のクラッシャブルハットは、椅子の背に掛けられていた。

 向かいに座った老女が、両手を組んだ。

「息子に帰ってこいと書いておくれ、マエストロ」

 モンターニョは鉛筆を止めた。

「その表現じゃあ、帰ってこないよ」

「じゃあ、何と書けばいいんだい」

「会いたい、と書きましょう」

 老女はしばらく黙り、やがて(うなず)いた。


 黒岩(くろいわ)の隣には、もう一人の日本人が座っていた。

 熊代(くましろ)だ。

 細身の長い身体を、色の落ちたデニムジャケットと()()れたジーンズで包んでいる。

 肩まで伸びた髪は乾き、無精髭(ぶしょうひげ)(ほお)(おお)っていた。

 濃茶(こげちゃ)のウエスタンハットを目深に被り、片側のつばが不規則に折れている。

 熊代(くましろ)の前には、氷だけが入ったグラスがあった。

 ボトルを持ち上げる。

 震える手からバーボンがこぼれ、カウンターへ筋を作った。

 黒岩(くろいわ)は自分のグラスを置き、ボトルを受け取ると、熊代(くましろ)の氷へ一杯注いだ。

 熊代(くましろ)はそれを飲み干した。

 しばらくすると、カウンターを(つか)んでいた指の震えが止まった。

「遅かったな、ペペ」

 熊代(くましろ)は日本語で言った。

「さっきも聞いたよ」

 黒岩(くろいわ)も日本語で返した。

「俺はまだ聞いてねぇ」

「牛がいたんだ。立派な牛だった」

 熊代(くましろ)は鼻で笑い、空のグラスを黒岩(くろいわ)の方へ滑らせた。

 モンターニョは老女へ折り畳んだ手紙を渡し、戸口まで見送った。

 それから黒岩(くろいわ)のそばへ来ると、上着の内側から四つ折りの紙を(のぞ)かせた。

「今夜、少し話があるんだ、ペペ」

 黒岩(くろいわ)は紙へ目を落とした。

「急ぐ話か、マエストロ」

 モンターニョはオルガを見た。

「その前に、彼女の話を聞いた方がいい」

 紙を上着へ戻し、灰色の帽子を被った。

「私の話は、その後でいい。裏の離れを借りるよ」


 夜が深くなる頃には、ほかの客は皆帰っていた。

 モンターニョは裏の離れへ移り、熊代(くましろ)はカウンターへ(ひたい)をつけたまま動かなくなっていた。

 オルガは入口の札を裏返し、扉に鍵を掛けた。

 棚の奥から小さなタンブラーを取り出す。

 氷を二つ落とし、黒岩(くろいわ)のボトルからバーボンを少しだけ注いだ。

 オルガはカウンターの外へ回り、黒岩(くろいわ)の隣へ座った。

 一通の封筒を二人の間へ置く。

 外国の消印(けしいん)が押されていた。

 封筒の裏側には、黒岩(くろいわ)にも読める文字で短い一文が書かれている。

 ――会いたい。

「子供から?」

 オルガは(うなず)いた。

「向こうへ渡ってから、一度も会っていないわ」

 黒岩(くろいわ)は封筒を戻した。

「返事は書いた?」

「まだ」

 オルガはグラスを一口傾け、黒岩(くろいわ)の肩へ頭を預けた。

 美しい銀髪が、くたびれたジャケットの肩に垂れた。

 黒岩(くろいわ)はグラスを持つ手だけを少し外へずらした。

「鉱山へ連れていかれた子が、また一人戻らなかったわ」

 黒岩(くろいわ)は、眠っている熊代(くましろ)を見た。

 オルガは黒岩(くろいわ)にもたれたまま、氷の溶ける音を聞いていた。

「もう、この町の母親でいるのは疲れた」

 天井のシーリングファンが、乾いた音を立てて回っていた。

「一度くらい、あの子の母親になりたい」

 オルガは顔を上げ、黒岩(くろいわ)を見た。

「この町を出たいの、ガク」


■第二章 小さな天使たち■


 午前零時を回っていた。

 黒岩(くろいわ)が二階から降りると、熊代(くましろ)はカウンターへ(ひたい)をつけたまま眠っていた。

 オルガも銀髪を後ろで束ね直しながら降りてきた。

 黒岩(くろいわ)の重いグラスと、自分の小さなタンブラーを流しへ置く。

 裏口を三度叩く音がした。

 オルガが鍵を外すと、灰色の帽子を手にしたモンターニョが立っていた。

「もう、いいかな」

「ええ」

 モンターニョは四つ折りの紙と革表紙の帳簿(ちょうぼ)を、黒岩(くろいわ)のテーブルへ置いた。

 オルガは帳簿(ちょうぼ)を見た。

「例の話、動きがあったの?」

「やっとな」

 モンターニョは椅子を引いて座った。

閉山証明書へいざんしょうめいしょ納品書(のうひんしょ)、警察への支払い、消えた子供の数。足りなかったのは、金が動く日時だけだった」

「これは凄い」

 黒岩(くろいわ)が思わず口を開いた。

「三年かけて集めた」

 モンターニョは黒岩(くろいわ)を見上げて訊いた。

「ロス・デスベラードスを知っているな」

「眠らない者たち、ですね」

 黒岩(くろいわ)が座った。

「勤勉そうな名前だ」

「薬で眠れないだけだ。殺した人間の数も多すぎる」

 モンターニョは帳簿(ちょうぼ)を開いた。

「連中はこの町の店、道路、警察、それから鉱山を押さえている。頭にいるのが、ラパと呼ばれる人物だ」

「ラパ?」

「しつこく張りついて離れない厄介者、という意味もある。だが、本名かどうかも分からない」

 モンターニョは帳簿(ちょうぼ)へ目を落とした。

「男か女か、若いのか年寄りなのか。顔を見たという人間もいない」

「随分と用心深いですね」

「そもそも、一人の人間を指す名前なのかも分からん」

 十年前の日付が入った閉山証明書へいざんしょうめいしょには、役場(やくば)公印(こういん)が押されていた。

 その下には、閉山後の燃料と爆薬の納品書(のうひんしょ)が続いていた。

「書類の上では、鉱山は閉じている」

「書類の下では?」

「銀と蛍石(ほたるいし)を掘っている」

 別の紙には、警察署の印章(いんしょう)治安協力費(ちあんきょうりょくひ)という名目の金額(きんがく)が並んでいた。

「警察は知っているのですか?」

「知らなければ、受領書(じゅりょうしょ)は出せないさ」

 帳簿(ちょうぼ)の次の(ページ)には、人の名前ではなく数字だけが並んでいた。

 十七号、二十一号、二十八号。

 年齢の欄には、九、十一、十三と記されている。

「子供の名前がありませんね」

「名前を残せば、消えた時に数が合わなくなる」

 黒岩(くろいわ)は数字を指で追った。

「ロス・アンヘリートス」

 モンターニョが言った。

「小さな天使たち、という意味だ。親の借金を子供へ移し、食事代と寝床(ねどこ)代を利息に加える。掘れば掘るほど、借金が増える」

「生きているんですよね、その子たちは」

「今のところはな」


 帳簿(ちょうぼ)には、町の商店から集めた用心棒代(ようじんぼうだい)も記されていた。

 肉屋、雑貨店、修理工場、薬局。

「ラ・パリダの名前がありませんね」

「ここだけは用心棒代(ようじんぼうだい)を払ってないからな」

「よく残って来られましたね」

 モンターニョは店内を見渡した。

「連中が手を出さないからじゃない。町の人間が、ここだけは渡さないと決めているからだ」

「そう、守られているわけじゃないわ」

 オルガは洗ったタンブラーを布で拭くと棚へ戻し、扉を閉めた。

「皆が、まだここを必要としているだけ」

「ここは連中の店じゃない」

 モンターニョは帳簿(ちょうぼ)を閉じた。

「まだ、この町の店だ」


 モンターニョが四つ折りの紙を開いた。

 夜明け前、旧検量所(きゅうけんりょうじょ)へ現金が運ばれると書かれていた。

 銀と蛍石(ほたるいし)の売却代金、用心棒代(ようじんぼうだい)、通行料、住民へ押しつけた借金の返済金。

 子供たちへ支払われなかった賃金も含まれている。

 総額(そうがく)は百万ドルだった。

「その金があれば、子供たちを坑道(こうどう)から出せる。何家族かは町の外へ逃がせる」

 モンターニョはオルガを見た。

「君も、この町を出られる」

 黒岩(くろいわ)は四つ折りの紙へ手を伸ばさなかった。

「情報の出どころはどこです?」

「それは……分からん」

「という事は、罠くさいですね」

「ああ、私もそう思う」

「申し訳ありませんが、この話には乗れません。出来すぎてる」

 モンターニョは眼鏡を外し、レンズをシャツの(すそ)で拭いた。

「分かった。だが私は行く」

 黒岩(くろいわ)はモンターニョを見た。

「一人でも?」

「そうだ」

 モンターニョは眼鏡を掛け直し、帳簿(ちょうぼ)の上へ手を置いた。

「三年待った。次の機会まで、あの子たちが全員生きている保証はない」

「罠だと分かっていても?」

「これは盗みじゃない。返して貰うんだ」

「死んだら、返して貰う事も出来ません」

「それでも、何もしないよりはましだ」

 その時、カウンターで熊代(くましろ)が顔を上げた。

「俺が行くよ、マエストロ」

 熊代(くましろ)はスペイン語で言い、黒岩(くろいわ)へ顔を向けた。

「ペペは残れ」

 今度は日本語だった。

「ダメだ」

「何で」

「お前さんは酒が切れたら使い物に為らない」

 黒岩(くろいわ)も日本語で返した。

 熊代(くましろ)は笑いかけ、乾いた咳を二度した。

「酒なら持っていくさ」

「そういう問題じゃない」

 オルガは何も言わなかった。

 外国から届いた封筒を、シャツの胸元へしまう。

 黒岩(くろいわ)はその手を見た。

 それから会話をスペイン語へ戻し、帳簿(ちょうぼ)を開いて数字だけが並ぶ(ページ)へ戻した。

「マエストロ、昨日、鉱山から戻らなかった子は?」

「二十八号だ」

 モンターニョが答えた。

 黒岩(くろいわ)の指が、年齢十三と書かれた行で止まった。

「その子の名前は?」

「ここにはない」

 黒岩(くろいわ)はしばらく、その空白を見ていた。

「昔、生徒に助けてくれと言われた事がありました」

「助けられたのか」

 モンターニョが訊いた。

「それが、間に合いませんでしてね」

 黒岩(くろいわ)は四つ折りの紙を取った。

「だから子供の話をされたら、断りにくいんですよ、元教師としてはね」

 紙を開き、旧検量所(きゅうけんりょうじょ)の文字を確かめた。

「この話、乗りましょう」

 オルガが黒岩(くろいわ)を見た。

「罠かもしれないのよ」

「罠でしょうね」

 黒岩(くろいわ)は紙を元の四つ折りに戻した。

「今度は、間に合わせたいんです」

 モンターニョが(うなず)いた。

「分かった。すぐに支度を始めよう」

 熊代(くましろ)はカウンターから濃茶(こげちゃ)の帽子を取った。

「一時間くれるか」

「充分だ」

 黒岩(くろいわ)はその紙を上着の内側へしまった。

「では一時間後、裏の離れで」


■第三章 未来■


 約束の一時間後、ラ・パリダ裏の離れには、銃と弾薬が並んでいた。

 黒岩(くろいわ)はコルトM1911A1、通称ガバメントの弾倉(だんそう)へ四五口径弾を押し込んでいた。

 向かいでは、熊代(くましろ)がスター・モデルBの弾倉(だんそう)へ九ミリ・パラベラム弾を詰めている。

 椅子の脇には、すでに装填(そうてん)を終えたウィンチェスターM94ライフルが立て掛けてあった。

 モンターニョは古いS&W・M10のシリンダーを開き、三八スペシャル弾を一発ずつ収めていた。

 金属の擦れる音だけが続いた。

 黒岩(くろいわ)は三種類の弾薬箱を見た。

「見事に全部違うな」

 熊代(くましろ)が顔を上げた。

「四五、九ミリ、三八スペシャルとは」

 黒岩(くろいわ)はガバメントの弾倉(だんそう)を持ち上げた。

「これじゃ誰かが弾切れしても、貸し借り出来ないな」

 熊代(くましろ)は九ミリ弾を親指で弾倉(だんそう)へ押し込んだ。

「まぁ、人の弾なんぞ当てにするなって事だ」

 モンターニョはシリンダーを回して確認した。

「仲が悪い三人には、ちょうどいいさ」

 黒岩(くろいわ)は苦笑した。

「マエストロまで、そんな事を言うんですね」

 モンターニョは口元を(ゆる)めた。

「たまには言うさ。私だって聖人君子(せいじんくんし)じゃないぞ」

 その言葉に珍しく熊代(くましろ)が笑った。


 黒岩(くろいわ)熊代(くましろ)のスター・モデルBへ目をやった。

「それにしても、何でスター・モデルBなんだ」

「悪いか」

「悪くはないけど、紛らわしい」

「何と」

「俺のガバメントと」

 熊代(くましろ)は二丁を見比べた。

「形が似てるだけだろ」

「だから紛らわしいんだ」

 黒岩(くろいわ)熊代(くましろ)弾倉(だんそう)(のぞ)き込んだ。

「まさか空砲じゃないだろうな」

 かつてアメリカ映画では、空砲でも作動しやすいスター・モデルBが、コルト・ガバメントの代役として重宝された。

「撃って確かめるか?」

 熊代(くましろ)がスター・モデルBを持ち上げる。

「こっち向けるな」

 黒岩(くろいわ)は手で銃口(じゅうこう)を払った。

 モンターニョが声を立てずに笑った。


 熊代(くましろ)はスター・モデルBを置くと、上着の内側から銀色のスキットルを出した。

 バーボンのボトルを取り、細い口へ慎重に注いでいく。

 手が震え、酒が少しこぼれた。

「こっちも装填(そうてん)しとかないとな」

 モンターニョがM10のシリンダーを閉じた。

「確かに、その予備弾倉(よびだんそう)は重要だな」

 黒岩(くろいわ)はとうとう吹き出した。

「二人して何を言ってるんです」

 熊代(くましろ)はスキットルの(ふた)を閉めようとしたが、指先が合わなかった。

 黒岩(くろいわ)がボトルを取り、氷の入ったグラスへ一杯注いだ。

「先にこっちだ」

「分かってるよ」

 熊代(くましろ)はグラスを飲み干した。

 少しすると、(ふた)を回す指の震えが止まった。

 黒岩(くろいわ)は何も言わず、ガバメントの弾倉(だんそう)をもう一本取り上げた。


「マエストロは、その銃でいいんですか」

 黒岩(くろいわ)が訊いた。

 モンターニョはM10を見た。

「六発もあれば多すぎるくらいさ」

「予備は?」

「持つよ。六回も人を撃つつもりはないが、六発で終わるとも思っていない」

 熊代(くましろ)がスキットルを上着へしまった。

「教師の答えだな」

「元教師が二人もいるから、話がややこしくなる」

 モンターニョは黒岩(くろいわ)を見た。

「君はもう辞めたんだったな」

「ええ。今は落第生です」


 黒岩(くろいわ)は改めて四つ折りの紙を広げた。

 短い文章をもう一度読む。

「夜明け前、旧検量所(きゅうけんりょうじょ)で百万ドルが引き渡される」

 指で一行をなぞった。

「主語がありませんね」

 モンターニョが眼鏡を直した。

「主語?」

「誰が持ってきて、誰に渡すのか書いてない」

 熊代(くましろ)が紙を(のぞ)いた。

「現場へ行けば分かるだろ」

「そうならいいがな」

 黒岩(くろいわ)は紙を畳んで言った。

「受け取る側まで、俺たちでしょうか」

 二人は黙った。


 プラヤ・マレアの外れに、廃コンクリート工場があった。

 名称はエル・ポルベニール――未来。

 操業を止めてから何年も経つが、夜になると水銀灯(すいぎんとう)だけは昼間のように構内(こうない)を照らしていた。

 大型スピーカーからナルココリードが流れ、眠らない男たちが廃サイロと建屋の間を歩いている。

 二階の管理室では、机の上に札束が積まれていた。

 部屋の奥は黒い布で仕切られている。

 ロス・デスベラードスを率いるラパは、その向こうにいた。

 誰も顔を見たことがない。

 部下が同じ大きさに切った新聞紙を重ね、その上に百ドル札を一枚置く。

 輪ゴムを掛ければ、遠目には札束に見えた。

「全部、本物に見せますか」

 返事はすぐにはなかった。

 布の隙間から伸びた手が、(おり)の中の禿鷹(はげたか)へ細く切った肉を差し出した。

 古いインターホンから、性別も年齢も判別できない声が流れた。

「上だけでいい」

 部下は(うなず)き、次の束を作った。

「日本人も来ますか」

「来る」

「アル中も?」

「来る」

 部下は手を止めた。

「マエストロも?」

 禿鷹(はげたか)が肉を()み込んだ。

「あれは必ず来る」

 机の端に置かれた無線機が、小さく雑音を立てた。


 午前三時前、アルパイン・ホワイトのチャレンジャーがプラヤ・マレアを出た。

 黒岩(くろいわ)が運転し、モンターニョが助手席に座った。

 後部座席では、熊代(くましろ)がウィンチェスターM94を抱えたまま窓の外を見ていた。

 誰もほとんど話さなかった。

 舗装路(ほそうろ)を外れると、砂利が鳴った。

 やがて、閉山した鉱山の影が夜の中に浮かんだ。


 旧検量所(きゅうけんりょうじょ)には、コンクリート造りの事務所と()びたトラックスケールが残っていた。

 少し離れた場所には崩れかけた積込設備(つみこみせつび)があり、その向こうにボタ山が黒く盛り上がっている。

 干上がった排水路(はいすいろ)が敷地を横切り、裏手から一本の整備用道路(せいびようどうろ)が伸びていた。

 黒岩(くろいわ)はチャレンジャーを事務所の裏へ回した。

 車体を建物の陰へ隠し、鼻先だけを町へ戻る方向へ向ける。

「ここなら逃げる時、考えなくて済む」

 モンターニョが車を降りた。

「用心深いな」

 運転席を出る黒岩(くろいわ)熊代(くましろ)が声を掛けた。

「臆病なだけさ」

 熊代(くましろ)はウィンチェスターを肩へ掛けた。

「知ってる」


 熊代(くましろ)は崩れた積込設備(つみこみせつび)へ向かった。

 黒岩(くろいわ)はトラックスケール脇の低いコンクリート壁へ。

 モンターニョは帳簿(ちょうぼ)を抱え、旧事務所の中へ入った。

 三人は離れていった。


 東の空が、わずかに白み始めた。

 黒岩(くろいわ)はガバメントを抜いた。

 遠くでエンジン音がした。

 砂漠の向こうに、二つのヘッドライトが現れた。


■第四章 血の満ち潮■


 砂漠の向こうから現れたヘッドライトは、やがて黒い大型SUVの形になった。

 遅れて、護衛のピックアップが続いた。

 二台はトラックスケールの前で止まった。

 三人の男が降り、大型SUVの後部から黒いケースを運び出す。

 だが、誰もそれを受け取ろうとはしなかった。

 旧事務所の窓から様子を見ていたモンターニョが(つぶや)いた。

「受け取り手がいないな」

 コンクリート壁の陰で、黒岩(くろいわ)がガバメントを握り直した。

「だから名前が無かった」

 モンターニョが眼鏡の奥から周囲を見た。

「最初から、受け取り手は私たちだった訳だ」

 ボタ山の陰で人影が動いた。

 干上がった排水路(はいすいろ)からも男たちが立ち上がる。

 整備用道路(せいびようどうろ)には、新たな車が二台入ってきた。

「やっぱり出来すぎてましたね」

 黒岩(くろいわ)が言った瞬間、銃声が響いた。

 見ると、黒岩(くろいわ)銃口(じゅうこう)を向けた男が後ろへ倒れた。

 積込設備(つみこみせつび)の高所で、熊代(くましろ)がウィンチェスターM94のレバーを送る。

 二発目。

 旧事務所へ走ろうとした男が崩れた。

 三発目は、護衛のピックアップの陰からモンターニョを狙っていた男の肩口(かたぐち)貫通(かんつう)した。

 黒岩(くろいわ)が一瞬だけ高所を見た。

 熊代(くましろ)はもう次の標的へ照準(しょうじゅん)を移している。

 四発目は、黒岩(くろいわ)の背後へ回った男を倒した。

 当たるはずのない弾を当てる男だ。

 黒岩(くろいわ)は壁の陰から出た。

 ガバメントを二発撃つ。

 二人が止まった。

 走る。

 もう一発。

 ケースまでの距離が半分になった。


 同じ頃、ラ・パリダの前に三台の車が止まった。

 オルガは窓の外を見ると、カウンターにいた客たちへ顔を向けた。

「裏から出て」

 椅子が倒れ、男たちが裏口へ向かう。

 二人だけが残った。

 以前、酔客(すいきゃく)を道端へ運び出した常連だった。

「聞こえなかった?」

 一人がカウンターの下から古い拳銃を取り出した。

「聞こえたよ」

 もう一人が棚の脇に置かれていた散弾銃(さんだんじゅう)を取る。

「だから残る」

 カウンターの下へ手を入れ、オルガは(てのひら)に収まるS&W・M36を取り出した。

 店の外から声がした。

「ラパの命令だ。行くぞ」

 最初の銃弾が窓を割った。

 三人が同時に身を伏せた。

 散弾銃(さんだんじゅう)が一度鳴り、入口にいた男が外へ倒れた。

 オルガはカウンター越しにM36を二発撃った。


 旧検量所(きゅうけんりょうじょ)では、熊代(くましろ)のウィンチェスターが五発目を吐き出していた。

 レバーを戻そうとした右手が震えた。

 熊代(くましろ)銃床(じゅうしょう)から(ほお)を離した。

 上着から銀色のスキットルを抜き、一口飲む。

装填(そうてん)完了」

 (ふた)を閉め、(ほお)銃床(じゅうしょう)へ戻す。

 六発目。

 排水路(はいすいろ)から黒岩(くろいわ)を狙っていた男が沈んだ。


 旧事務所の扉が撃ち抜かれた。

 モンターニョは机の陰からS&W・M10を抜いた。

 一発。

 扉へ踏み込んだ男が倒れる。

 二発目は外した。

 三発目で、もう一人が壁際(かべぎわ)へ崩れた。

 モンターニョは撃った相手を見ず、黒岩(くろいわ)の位置を探した。

 黒岩(くろいわ)がケースへ手を掛けていた。

 その背後から男が走る。

 七発目。

 熊代(くましろ)の弾が男を横から倒した。

 黒岩(くろいわ)がケースを引き寄せる。

 積込設備(つみこみせつび)の下へ敵が入り込んだ。

 熊代(くましろ)は最後の一発を撃った。

 レバーを送る。

 計算通り空だった。

 ウィンチェスターを足元へ置く。

 次の瞬間には、スター・モデルBが右手にあった。


 ラ・パリダの入口から銃弾が飛び込んだ。

 拳銃を持っていた常連が胸を押さえ、テーブルの脇へ倒れた。

 もう一人が散弾銃(さんだんじゅう)を抱えたまま駆け寄る。

「近付いてはダメ!」

 オルガが叫んだが、男は止まらなかった。

 仲間の腕を(つか)んだ瞬間、背中から撃たれた。

 そのまま二人の身体が重なった。

 オルガがM36を撃つ。

 三発目で一人が柱の陰へ退いた。

 四発目でもう一人が身を伏せる。

 オルガはM36を握り直した。

 残りは一発だった。

 店内に立っているのは、もう彼女一人だった。


 旧検量所(きゅうけんりょうじょ)では黒岩(くろいわ)がガバメントの残り五発を撃ち切り、スライドが後退したまま止まった。

 黒岩(くろいわ)弾倉(だんそう)を交換せず、空になったガバメントを腰の後ろへ差し込む。

 そしてジャケットの内側から、もう一丁のコルトM1911A1を抜いた。

 近づいてきた二人へ続けて撃つ。

 熊代(くましろ)積込設備(つみこみせつび)の階段を降りながら、スター・モデルBで黒岩(くろいわ)の側面を守った。

 整備用道路(せいびようどうろ)から入ったSUVが、チャレンジャーへの道を塞いだ。

 モンターニョが旧事務所から出てきた。

 逃走路を見る。

 黒岩(くろいわ)を見る。

 積込設備(つみこみせつび)を降りてくる熊代(くましろ)を見る。

 モンターニョは護衛のピックアップへ走った。

「マエストロ!」

 黒岩(くろいわ)の声にも振り向かなかった。

 ピックアップのエンジンが唸った。

 急加速した車体が、整備用道路(せいびようどうろ)を塞いでいたSUVへ正面から突っ込む。

 金属が(つぶ)れる音が砂漠へ響いた。

 押し出されたSUVが横を向き、道が開いた。

 割れたフロントガラスの向こうで、モンターニョは動かなかった。

「……先生」

 黒岩(くろいわ)呟いた(つぶやいた)

 銃声がその声を消した。

 積込設備(つみこみせつび)の階段で熊代(くましろ)の身体が跳ねた。

 脇腹(わきばら)から血が噴いた。

 それでもスター・モデルBを上げ、一発撃つ。

 黒岩(くろいわ)も腹を撃たれ、(ひざ)が落ちかけた。

 左手で傷口を押さえ、右手のガバメントを撃った。

熊代(くましろ)!」

「ケース持て」

 熊代(くましろ)は階段を降り切った。

 足元が一度ふらついた。

 黒岩(くろいわ)が肩を貸そうとすると、熊代(くましろ)は払いのけた。

「走れ!」

 二人はチャレンジャーへ走った。


 黒岩(くろいわ)はチャレンジャーのトランクを開け、黒いケースを放り込んだ。

 トランクを閉めると、熊代(くましろ)を助手席へ押し込み、自分も運転席へ滑り込む。

 キーを捻ると、V8が吠えた。

 フロントガラスへ銃弾が当たり、蜘蛛(くも)()状の亀裂(きれつ)が走る。

 黒岩(くろいわ)は左手でステアリングを切った。

 右手のガバメントを握ったまま、ピストルグリップのシフトを(つか)む。

 銃身(じゅうしん)がコンソールへ当たった。

 構わずギアを叩き込む。

 後輪が砂を()き、白いチャレンジャーが飛び出した。

 熊代(くましろ)が助手席からスター・モデルBを撃った。

 背後からも銃声が続き、白い車体へ次々と黒い穴が開く。

 グリルの奥で、一瞬だけ白い蒸気が噴いた。


 ラ・パリダでは、オルガがカウンターの陰に座り込んでいた。

 右手にはM36。

 残り一発。

 床には二人の常連が倒れている。

 入口の向こうから、ゆっくりと靴音が近づいてきた。

 オルガは外国から届いた封筒の入った胸元へ、一度だけ左手を当てた。


 チャレンジャーは砂漠へ出た。

 黒岩(くろいわ)は血のついた左手でステアリングを握っていた。

 助手席では、熊代(くましろ)がスター・モデルBを(ひざ)へ置き、荒い呼吸を繰り返している。

 バックミラーの中で、旧検量所(きゅうけんりょうじょ)砂煙(すなけむり)に消えていた。

 黒岩(くろいわ)は視線を計器へ戻す。

 水温計(すいおんけい)の針が、ゆっくり右へ動いていた。


■第五章 三十キロ■


 水温計(すいおんけい)の針が端まで振れた。

 ボンネットの隙間から白い蒸気が噴き、V8が二度咳き込んだ。

 黒岩(くろいわ)路肩(ろかた)へ寄せるより先に、チャレンジャーは力を失った。

 惰性(だせい)で進み、砂の上で止まった。

 黒岩(くろいわ)はキーを戻した。

 静かになった車内で、熊代(くましろ)の荒い呼吸だけが残った。

 ガバメントをジャケットの内側へ戻して運転席を降りると、腹の傷が痛んだ。

 黒岩(くろいわ)はボンネットの蒸気を見た。

 もう一度エンジンを掛ける気には為らなかった。


 車体の後ろへ回り、トランクを開けた。

 黒いケースを引き寄せ、()(がね)を外す。

 百ドル札の束が並んでいた。

 一束を取り出し、輪ゴムを外した。

 一枚目をめくる。

 その下には、同じ大きさに切った新聞紙が重なっていた。

 もう一束を開く。

 同じだった。

「やられたな」

 黒岩(くろいわ)はケースの中を見たまま(つぶや)いた。


 ラ・パリダでは、オルガがカウンターの陰からM36を構えた。

 入口に男の影が現れた。

 最後の一発を撃つ。

 男が入口の外へ倒れた。

 オルガが立ち上がろうとした時、横手の割れた窓から銃声がした。

 身体がカウンターへぶつかり、そのまま床へ崩れた。

 胸元から封筒が落ち、血のついた床を滑った。

 オルガは左手を伸ばした。

 指先の少し先に、封筒の裏側が見えた。

 ――会いたい。

 指は届かなかった。

 頭上では、シーリングファンがゆっくり回り続けていた。


 黒岩(くろいわ)は札束を一つずつ崩した。

 一番上の本物の百ドル札だけを抜き取り、重ねていく。

 残った新聞紙をケースへ戻し、(ふた)を閉めた。

 黒いケースを中に残してトランクを閉じた。

 集めた百ドル札を手に、助手席側へ回る。

 ドアを開け、片膝(かたひざ)をついた。

 熊代(くましろ)は目を開けていた。

熊代(くましろ)、やったぞ。俺たちの勝ちだ」

 黒岩(くろいわ)は百ドル札の束を差し出した。

 熊代(くましろ)の手が伸びた。

 指先はまだ震えていた。

 百ドル札を受け取り、しばらく眺める。

 それから黒岩(くろいわ)を見た。

「勝ったな」

 熊代(くましろ)の口元が、わずかに(ゆる)んだ。

 そのまま視線は動かなくなった。

 黒岩(くろいわ)熊代(くましろ)の顔を見た。

 目は開いたままだった。

 百ドル札を握った手を見る。

 震えは、もう消えていた。

 黒岩(くろいわ)熊代(くましろ)(まぶた)を閉じた。

 立ち上がり、助手席のドアを閉めた。


 砂漠の朝日が、弾痕(だんこん)だらけの白い車体を照らしていた。

 黒岩(くろいわ)は帽子を被り直した。

 腰の後ろから、もう一丁を抜いた。

 こちらはスライドが後退したままだった。

 空の弾倉(だんそう)を落とし、新しい弾倉(だんそう)を叩き込む。

 スライドを前へ送った。

 ガバメントを腰へ戻し、道路へ出た。


 少し先に、()びた標識が立っていた。


 PLAYA MAREA 30 km


 黒岩(くろいわ)は歩き始めた。

 数十歩進んだところで、腹を押さえた。

 (てのひら)に新しい血がついた。

 足を止める。

「大丈夫」

 帽子のつばを直し、また歩き出した。

「プラヤ・マレアまでは、たった三十キロだ」

 朝日の中を、黒岩(くろいわ)の背中が少しずつ小さくなっていった。

 やがて、砂漠の陽炎(かげろう)に紛れて見えなくなった。

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― 新着の感想 ―
丁寧な描写から情景がはっきりと浮かぶだけでなく 硝煙の香りがしてきそうな素晴らしい作品です!
いい! これは読む映画だ!
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