プラヤ・マレアまで三十キロ
■第一章 ラ・パリダ■
メキシコ内陸部、砂漠に囲まれた地方都市プラヤ・マレア。
町の入口には、錆びた鉄板の看板が立っていた。
PLAYA MAREA
白かったはずの文字は砂に削られ、その下には赤い塗料で、もう一つの町の名が書き加えられていた。
MAREA DE SANGRE――血の満ち潮。
道端では、男が錆びたピックアップトラックの後輪を外していた。
男は看板を見上げ、地面へ唾を吐いた。
「砂埃しかねぇのに、プラヤだとよ」
車体の下から、もう一人の男が顔を出した。
「泥水も干上がった町で、何がマレアだ」
遠くからエンジン音が響き、二人は道路から退いた。
アルパイン・ホワイトの一九七〇年型ダッジ・チャレンジャーR/Tが、砂煙を引いて町へ入ってきた。
白い車体は埃にくすみ、右のフェンダーには古いへこみが残っている。
運転しているのは日本から流れ着いた元高校教師・黒岩楽だった。
黒岩は片手でハンドルを握り、薄い砂色のウエスタンハットを押さえた。
柔らかいつばには何度も潰された跡があり、右側だけが少し垂れていた。
チャレンジャーは弾痕の残る建物を通り過ぎ、町の中央にあるカンティナ・ラ・パリダの脇へ止まった。
カンティナ・ラ・パリダは、町で唯一、銃を抜かずに酒を飲める場所だった。
死に向かって一直線に進む連中が、まだ人間として扱われる酒場でもあった。
黒岩が店へ入ると、酔った男がこの店の女主人オルガ・カスティルビエホの手首を掴んでいた。
「銀髪が珍しいからって、触っていいとは言ってないわ」
オルガはスペイン語でそう言い、カウンターのビール瓶を取った。
瓶を逆さに持ち、厚い底を男の側頭部へ叩き込む。
男は膝から崩れ、床へ横倒しになった。
店内にいた三人の常連客が席を立った。
一人が男の両脇を抱え、二人が脚を持つと、店外へ運び出し、道端へ転がした。
三人は元の席へ戻り、カードを再開した。
オルガは瓶を確かめ、カウンターへ戻した。
皆が慣れ切った、という手付きだった。
「遅かったわね、ペペ」
オルガが黒岩に声を掛けた。
「道が混んでいましてね」
「牛が一頭いただけでしょう」
「立派な牛でしたよ」
黒岩はスペイン語で答え、帽子を脱いでカウンターの端へ座った。
オルガは氷を二つ入れた重いグラスへバーボンを注ぎ、ボトルと一緒に黒岩の前へ置いた。
少し離れたテーブルでは、エウヘニオ・モンターニョが手紙を書いていた。
三十五歳前後に見えるが、髪と顎髭にはすでに白いものが混じっている。
灰色のクラッシャブルハットは、椅子の背に掛けられていた。
向かいに座った老女が、両手を組んだ。
「息子に帰ってこいと書いておくれ、マエストロ」
モンターニョは鉛筆を止めた。
「その表現じゃあ、帰ってこないよ」
「じゃあ、何と書けばいいんだい」
「会いたい、と書きましょう」
老女はしばらく黙り、やがて頷いた。
黒岩の隣には、もう一人の日本人が座っていた。
熊代だ。
細身の長い身体を、色の落ちたデニムジャケットと擦り切れたジーンズで包んでいる。
肩まで伸びた髪は乾き、無精髭が頬を覆っていた。
濃茶のウエスタンハットを目深に被り、片側のつばが不規則に折れている。
熊代の前には、氷だけが入ったグラスがあった。
ボトルを持ち上げる。
震える手からバーボンがこぼれ、カウンターへ筋を作った。
黒岩は自分のグラスを置き、ボトルを受け取ると、熊代の氷へ一杯注いだ。
熊代はそれを飲み干した。
しばらくすると、カウンターを掴んでいた指の震えが止まった。
「遅かったな、ペペ」
熊代は日本語で言った。
「さっきも聞いたよ」
黒岩も日本語で返した。
「俺はまだ聞いてねぇ」
「牛がいたんだ。立派な牛だった」
熊代は鼻で笑い、空のグラスを黒岩の方へ滑らせた。
モンターニョは老女へ折り畳んだ手紙を渡し、戸口まで見送った。
それから黒岩のそばへ来ると、上着の内側から四つ折りの紙を覗かせた。
「今夜、少し話があるんだ、ペペ」
黒岩は紙へ目を落とした。
「急ぐ話か、マエストロ」
モンターニョはオルガを見た。
「その前に、彼女の話を聞いた方がいい」
紙を上着へ戻し、灰色の帽子を被った。
「私の話は、その後でいい。裏の離れを借りるよ」
夜が深くなる頃には、ほかの客は皆帰っていた。
モンターニョは裏の離れへ移り、熊代はカウンターへ額をつけたまま動かなくなっていた。
オルガは入口の札を裏返し、扉に鍵を掛けた。
棚の奥から小さなタンブラーを取り出す。
氷を二つ落とし、黒岩のボトルからバーボンを少しだけ注いだ。
オルガはカウンターの外へ回り、黒岩の隣へ座った。
一通の封筒を二人の間へ置く。
外国の消印が押されていた。
封筒の裏側には、黒岩にも読める文字で短い一文が書かれている。
――会いたい。
「子供から?」
オルガは頷いた。
「向こうへ渡ってから、一度も会っていないわ」
黒岩は封筒を戻した。
「返事は書いた?」
「まだ」
オルガはグラスを一口傾け、黒岩の肩へ頭を預けた。
美しい銀髪が、くたびれたジャケットの肩に垂れた。
黒岩はグラスを持つ手だけを少し外へずらした。
「鉱山へ連れていかれた子が、また一人戻らなかったわ」
黒岩は、眠っている熊代を見た。
オルガは黒岩にもたれたまま、氷の溶ける音を聞いていた。
「もう、この町の母親でいるのは疲れた」
天井のシーリングファンが、乾いた音を立てて回っていた。
「一度くらい、あの子の母親になりたい」
オルガは顔を上げ、黒岩を見た。
「この町を出たいの、ガク」
■第二章 小さな天使たち■
午前零時を回っていた。
黒岩が二階から降りると、熊代はカウンターへ額をつけたまま眠っていた。
オルガも銀髪を後ろで束ね直しながら降りてきた。
黒岩の重いグラスと、自分の小さなタンブラーを流しへ置く。
裏口を三度叩く音がした。
オルガが鍵を外すと、灰色の帽子を手にしたモンターニョが立っていた。
「もう、いいかな」
「ええ」
モンターニョは四つ折りの紙と革表紙の帳簿を、黒岩のテーブルへ置いた。
オルガは帳簿を見た。
「例の話、動きがあったの?」
「やっとな」
モンターニョは椅子を引いて座った。
「閉山証明書、納品書、警察への支払い、消えた子供の数。足りなかったのは、金が動く日時だけだった」
「これは凄い」
黒岩が思わず口を開いた。
「三年かけて集めた」
モンターニョは黒岩を見上げて訊いた。
「ロス・デスベラードスを知っているな」
「眠らない者たち、ですね」
黒岩が座った。
「勤勉そうな名前だ」
「薬で眠れないだけだ。殺した人間の数も多すぎる」
モンターニョは帳簿を開いた。
「連中はこの町の店、道路、警察、それから鉱山を押さえている。頭にいるのが、ラパと呼ばれる人物だ」
「ラパ?」
「しつこく張りついて離れない厄介者、という意味もある。だが、本名かどうかも分からない」
モンターニョは帳簿へ目を落とした。
「男か女か、若いのか年寄りなのか。顔を見たという人間もいない」
「随分と用心深いですね」
「そもそも、一人の人間を指す名前なのかも分からん」
十年前の日付が入った閉山証明書には、役場の公印が押されていた。
その下には、閉山後の燃料と爆薬の納品書が続いていた。
「書類の上では、鉱山は閉じている」
「書類の下では?」
「銀と蛍石を掘っている」
別の紙には、警察署の印章と治安協力費という名目の金額が並んでいた。
「警察は知っているのですか?」
「知らなければ、受領書は出せないさ」
帳簿の次の頁には、人の名前ではなく数字だけが並んでいた。
十七号、二十一号、二十八号。
年齢の欄には、九、十一、十三と記されている。
「子供の名前がありませんね」
「名前を残せば、消えた時に数が合わなくなる」
黒岩は数字を指で追った。
「ロス・アンヘリートス」
モンターニョが言った。
「小さな天使たち、という意味だ。親の借金を子供へ移し、食事代と寝床代を利息に加える。掘れば掘るほど、借金が増える」
「生きているんですよね、その子たちは」
「今のところはな」
帳簿には、町の商店から集めた用心棒代も記されていた。
肉屋、雑貨店、修理工場、薬局。
「ラ・パリダの名前がありませんね」
「ここだけは用心棒代を払ってないからな」
「よく残って来られましたね」
モンターニョは店内を見渡した。
「連中が手を出さないからじゃない。町の人間が、ここだけは渡さないと決めているからだ」
「そう、守られているわけじゃないわ」
オルガは洗ったタンブラーを布で拭くと棚へ戻し、扉を閉めた。
「皆が、まだここを必要としているだけ」
「ここは連中の店じゃない」
モンターニョは帳簿を閉じた。
「まだ、この町の店だ」
モンターニョが四つ折りの紙を開いた。
夜明け前、旧検量所へ現金が運ばれると書かれていた。
銀と蛍石の売却代金、用心棒代、通行料、住民へ押しつけた借金の返済金。
子供たちへ支払われなかった賃金も含まれている。
総額は百万ドルだった。
「その金があれば、子供たちを坑道から出せる。何家族かは町の外へ逃がせる」
モンターニョはオルガを見た。
「君も、この町を出られる」
黒岩は四つ折りの紙へ手を伸ばさなかった。
「情報の出どころはどこです?」
「それは……分からん」
「という事は、罠くさいですね」
「ああ、私もそう思う」
「申し訳ありませんが、この話には乗れません。出来すぎてる」
モンターニョは眼鏡を外し、レンズをシャツの裾で拭いた。
「分かった。だが私は行く」
黒岩はモンターニョを見た。
「一人でも?」
「そうだ」
モンターニョは眼鏡を掛け直し、帳簿の上へ手を置いた。
「三年待った。次の機会まで、あの子たちが全員生きている保証はない」
「罠だと分かっていても?」
「これは盗みじゃない。返して貰うんだ」
「死んだら、返して貰う事も出来ません」
「それでも、何もしないよりはましだ」
その時、カウンターで熊代が顔を上げた。
「俺が行くよ、マエストロ」
熊代はスペイン語で言い、黒岩へ顔を向けた。
「ペペは残れ」
今度は日本語だった。
「ダメだ」
「何で」
「お前さんは酒が切れたら使い物に為らない」
黒岩も日本語で返した。
熊代は笑いかけ、乾いた咳を二度した。
「酒なら持っていくさ」
「そういう問題じゃない」
オルガは何も言わなかった。
外国から届いた封筒を、シャツの胸元へしまう。
黒岩はその手を見た。
それから会話をスペイン語へ戻し、帳簿を開いて数字だけが並ぶ頁へ戻した。
「マエストロ、昨日、鉱山から戻らなかった子は?」
「二十八号だ」
モンターニョが答えた。
黒岩の指が、年齢十三と書かれた行で止まった。
「その子の名前は?」
「ここにはない」
黒岩はしばらく、その空白を見ていた。
「昔、生徒に助けてくれと言われた事がありました」
「助けられたのか」
モンターニョが訊いた。
「それが、間に合いませんでしてね」
黒岩は四つ折りの紙を取った。
「だから子供の話をされたら、断りにくいんですよ、元教師としてはね」
紙を開き、旧検量所の文字を確かめた。
「この話、乗りましょう」
オルガが黒岩を見た。
「罠かもしれないのよ」
「罠でしょうね」
黒岩は紙を元の四つ折りに戻した。
「今度は、間に合わせたいんです」
モンターニョが頷いた。
「分かった。すぐに支度を始めよう」
熊代はカウンターから濃茶の帽子を取った。
「一時間くれるか」
「充分だ」
黒岩はその紙を上着の内側へしまった。
「では一時間後、裏の離れで」
■第三章 未来■
約束の一時間後、ラ・パリダ裏の離れには、銃と弾薬が並んでいた。
黒岩はコルトM1911A1、通称ガバメントの弾倉へ四五口径弾を押し込んでいた。
向かいでは、熊代がスター・モデルBの弾倉へ九ミリ・パラベラム弾を詰めている。
椅子の脇には、すでに装填を終えたウィンチェスターM94ライフルが立て掛けてあった。
モンターニョは古いS&W・M10のシリンダーを開き、三八スペシャル弾を一発ずつ収めていた。
金属の擦れる音だけが続いた。
黒岩は三種類の弾薬箱を見た。
「見事に全部違うな」
熊代が顔を上げた。
「四五、九ミリ、三八スペシャルとは」
黒岩はガバメントの弾倉を持ち上げた。
「これじゃ誰かが弾切れしても、貸し借り出来ないな」
熊代は九ミリ弾を親指で弾倉へ押し込んだ。
「まぁ、人の弾なんぞ当てにするなって事だ」
モンターニョはシリンダーを回して確認した。
「仲が悪い三人には、ちょうどいいさ」
黒岩は苦笑した。
「マエストロまで、そんな事を言うんですね」
モンターニョは口元を緩めた。
「たまには言うさ。私だって聖人君子じゃないぞ」
その言葉に珍しく熊代が笑った。
黒岩は熊代のスター・モデルBへ目をやった。
「それにしても、何でスター・モデルBなんだ」
「悪いか」
「悪くはないけど、紛らわしい」
「何と」
「俺のガバメントと」
熊代は二丁を見比べた。
「形が似てるだけだろ」
「だから紛らわしいんだ」
黒岩は熊代の弾倉を覗き込んだ。
「まさか空砲じゃないだろうな」
かつてアメリカ映画では、空砲でも作動しやすいスター・モデルBが、コルト・ガバメントの代役として重宝された。
「撃って確かめるか?」
熊代がスター・モデルBを持ち上げる。
「こっち向けるな」
黒岩は手で銃口を払った。
モンターニョが声を立てずに笑った。
熊代はスター・モデルBを置くと、上着の内側から銀色のスキットルを出した。
バーボンのボトルを取り、細い口へ慎重に注いでいく。
手が震え、酒が少しこぼれた。
「こっちも装填しとかないとな」
モンターニョがM10のシリンダーを閉じた。
「確かに、その予備弾倉は重要だな」
黒岩はとうとう吹き出した。
「二人して何を言ってるんです」
熊代はスキットルの蓋を閉めようとしたが、指先が合わなかった。
黒岩がボトルを取り、氷の入ったグラスへ一杯注いだ。
「先にこっちだ」
「分かってるよ」
熊代はグラスを飲み干した。
少しすると、蓋を回す指の震えが止まった。
黒岩は何も言わず、ガバメントの弾倉をもう一本取り上げた。
「マエストロは、その銃でいいんですか」
黒岩が訊いた。
モンターニョはM10を見た。
「六発もあれば多すぎるくらいさ」
「予備は?」
「持つよ。六回も人を撃つつもりはないが、六発で終わるとも思っていない」
熊代がスキットルを上着へしまった。
「教師の答えだな」
「元教師が二人もいるから、話がややこしくなる」
モンターニョは黒岩を見た。
「君はもう辞めたんだったな」
「ええ。今は落第生です」
黒岩は改めて四つ折りの紙を広げた。
短い文章をもう一度読む。
「夜明け前、旧検量所で百万ドルが引き渡される」
指で一行をなぞった。
「主語がありませんね」
モンターニョが眼鏡を直した。
「主語?」
「誰が持ってきて、誰に渡すのか書いてない」
熊代が紙を覗いた。
「現場へ行けば分かるだろ」
「そうならいいがな」
黒岩は紙を畳んで言った。
「受け取る側まで、俺たちでしょうか」
二人は黙った。
プラヤ・マレアの外れに、廃コンクリート工場があった。
名称はエル・ポルベニール――未来。
操業を止めてから何年も経つが、夜になると水銀灯だけは昼間のように構内を照らしていた。
大型スピーカーからナルココリードが流れ、眠らない男たちが廃サイロと建屋の間を歩いている。
二階の管理室では、机の上に札束が積まれていた。
部屋の奥は黒い布で仕切られている。
ロス・デスベラードスを率いるラパは、その向こうにいた。
誰も顔を見たことがない。
部下が同じ大きさに切った新聞紙を重ね、その上に百ドル札を一枚置く。
輪ゴムを掛ければ、遠目には札束に見えた。
「全部、本物に見せますか」
返事はすぐにはなかった。
布の隙間から伸びた手が、檻の中の禿鷹へ細く切った肉を差し出した。
古いインターホンから、性別も年齢も判別できない声が流れた。
「上だけでいい」
部下は頷き、次の束を作った。
「日本人も来ますか」
「来る」
「アル中も?」
「来る」
部下は手を止めた。
「マエストロも?」
禿鷹が肉を呑み込んだ。
「あれは必ず来る」
机の端に置かれた無線機が、小さく雑音を立てた。
午前三時前、アルパイン・ホワイトのチャレンジャーがプラヤ・マレアを出た。
黒岩が運転し、モンターニョが助手席に座った。
後部座席では、熊代がウィンチェスターM94を抱えたまま窓の外を見ていた。
誰もほとんど話さなかった。
舗装路を外れると、砂利が鳴った。
やがて、閉山した鉱山の影が夜の中に浮かんだ。
旧検量所には、コンクリート造りの事務所と錆びたトラックスケールが残っていた。
少し離れた場所には崩れかけた積込設備があり、その向こうにボタ山が黒く盛り上がっている。
干上がった排水路が敷地を横切り、裏手から一本の整備用道路が伸びていた。
黒岩はチャレンジャーを事務所の裏へ回した。
車体を建物の陰へ隠し、鼻先だけを町へ戻る方向へ向ける。
「ここなら逃げる時、考えなくて済む」
モンターニョが車を降りた。
「用心深いな」
運転席を出る黒岩に熊代が声を掛けた。
「臆病なだけさ」
熊代はウィンチェスターを肩へ掛けた。
「知ってる」
熊代は崩れた積込設備へ向かった。
黒岩はトラックスケール脇の低いコンクリート壁へ。
モンターニョは帳簿を抱え、旧事務所の中へ入った。
三人は離れていった。
東の空が、わずかに白み始めた。
黒岩はガバメントを抜いた。
遠くでエンジン音がした。
砂漠の向こうに、二つのヘッドライトが現れた。
■第四章 血の満ち潮■
砂漠の向こうから現れたヘッドライトは、やがて黒い大型SUVの形になった。
遅れて、護衛のピックアップが続いた。
二台はトラックスケールの前で止まった。
三人の男が降り、大型SUVの後部から黒いケースを運び出す。
だが、誰もそれを受け取ろうとはしなかった。
旧事務所の窓から様子を見ていたモンターニョが呟いた。
「受け取り手がいないな」
コンクリート壁の陰で、黒岩がガバメントを握り直した。
「だから名前が無かった」
モンターニョが眼鏡の奥から周囲を見た。
「最初から、受け取り手は私たちだった訳だ」
ボタ山の陰で人影が動いた。
干上がった排水路からも男たちが立ち上がる。
整備用道路には、新たな車が二台入ってきた。
「やっぱり出来すぎてましたね」
黒岩が言った瞬間、銃声が響いた。
見ると、黒岩へ銃口を向けた男が後ろへ倒れた。
積込設備の高所で、熊代がウィンチェスターM94のレバーを送る。
二発目。
旧事務所へ走ろうとした男が崩れた。
三発目は、護衛のピックアップの陰からモンターニョを狙っていた男の肩口を貫通した。
黒岩が一瞬だけ高所を見た。
熊代はもう次の標的へ照準を移している。
四発目は、黒岩の背後へ回った男を倒した。
当たるはずのない弾を当てる男だ。
黒岩は壁の陰から出た。
ガバメントを二発撃つ。
二人が止まった。
走る。
もう一発。
ケースまでの距離が半分になった。
同じ頃、ラ・パリダの前に三台の車が止まった。
オルガは窓の外を見ると、カウンターにいた客たちへ顔を向けた。
「裏から出て」
椅子が倒れ、男たちが裏口へ向かう。
二人だけが残った。
以前、酔客を道端へ運び出した常連だった。
「聞こえなかった?」
一人がカウンターの下から古い拳銃を取り出した。
「聞こえたよ」
もう一人が棚の脇に置かれていた散弾銃を取る。
「だから残る」
カウンターの下へ手を入れ、オルガは掌に収まるS&W・M36を取り出した。
店の外から声がした。
「ラパの命令だ。行くぞ」
最初の銃弾が窓を割った。
三人が同時に身を伏せた。
散弾銃が一度鳴り、入口にいた男が外へ倒れた。
オルガはカウンター越しにM36を二発撃った。
旧検量所では、熊代のウィンチェスターが五発目を吐き出していた。
レバーを戻そうとした右手が震えた。
熊代は銃床から頬を離した。
上着から銀色のスキットルを抜き、一口飲む。
「装填完了」
蓋を閉め、頬を銃床へ戻す。
六発目。
排水路から黒岩を狙っていた男が沈んだ。
旧事務所の扉が撃ち抜かれた。
モンターニョは机の陰からS&W・M10を抜いた。
一発。
扉へ踏み込んだ男が倒れる。
二発目は外した。
三発目で、もう一人が壁際へ崩れた。
モンターニョは撃った相手を見ず、黒岩の位置を探した。
黒岩がケースへ手を掛けていた。
その背後から男が走る。
七発目。
熊代の弾が男を横から倒した。
黒岩がケースを引き寄せる。
積込設備の下へ敵が入り込んだ。
熊代は最後の一発を撃った。
レバーを送る。
計算通り空だった。
ウィンチェスターを足元へ置く。
次の瞬間には、スター・モデルBが右手にあった。
ラ・パリダの入口から銃弾が飛び込んだ。
拳銃を持っていた常連が胸を押さえ、テーブルの脇へ倒れた。
もう一人が散弾銃を抱えたまま駆け寄る。
「近付いてはダメ!」
オルガが叫んだが、男は止まらなかった。
仲間の腕を掴んだ瞬間、背中から撃たれた。
そのまま二人の身体が重なった。
オルガがM36を撃つ。
三発目で一人が柱の陰へ退いた。
四発目でもう一人が身を伏せる。
オルガはM36を握り直した。
残りは一発だった。
店内に立っているのは、もう彼女一人だった。
旧検量所では黒岩がガバメントの残り五発を撃ち切り、スライドが後退したまま止まった。
黒岩は弾倉を交換せず、空になったガバメントを腰の後ろへ差し込む。
そしてジャケットの内側から、もう一丁のコルトM1911A1を抜いた。
近づいてきた二人へ続けて撃つ。
熊代が積込設備の階段を降りながら、スター・モデルBで黒岩の側面を守った。
整備用道路から入ったSUVが、チャレンジャーへの道を塞いだ。
モンターニョが旧事務所から出てきた。
逃走路を見る。
黒岩を見る。
積込設備を降りてくる熊代を見る。
モンターニョは護衛のピックアップへ走った。
「マエストロ!」
黒岩の声にも振り向かなかった。
ピックアップのエンジンが唸った。
急加速した車体が、整備用道路を塞いでいたSUVへ正面から突っ込む。
金属が潰れる音が砂漠へ響いた。
押し出されたSUVが横を向き、道が開いた。
割れたフロントガラスの向こうで、モンターニョは動かなかった。
「……先生」
黒岩が呟いた。
銃声がその声を消した。
積込設備の階段で熊代の身体が跳ねた。
脇腹から血が噴いた。
それでもスター・モデルBを上げ、一発撃つ。
黒岩も腹を撃たれ、膝が落ちかけた。
左手で傷口を押さえ、右手のガバメントを撃った。
「熊代!」
「ケース持て」
熊代は階段を降り切った。
足元が一度ふらついた。
黒岩が肩を貸そうとすると、熊代は払いのけた。
「走れ!」
二人はチャレンジャーへ走った。
黒岩はチャレンジャーのトランクを開け、黒いケースを放り込んだ。
トランクを閉めると、熊代を助手席へ押し込み、自分も運転席へ滑り込む。
キーを捻ると、V8が吠えた。
フロントガラスへ銃弾が当たり、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
黒岩は左手でステアリングを切った。
右手のガバメントを握ったまま、ピストルグリップのシフトを掴む。
銃身がコンソールへ当たった。
構わずギアを叩き込む。
後輪が砂を掻き、白いチャレンジャーが飛び出した。
熊代が助手席からスター・モデルBを撃った。
背後からも銃声が続き、白い車体へ次々と黒い穴が開く。
グリルの奥で、一瞬だけ白い蒸気が噴いた。
ラ・パリダでは、オルガがカウンターの陰に座り込んでいた。
右手にはM36。
残り一発。
床には二人の常連が倒れている。
入口の向こうから、ゆっくりと靴音が近づいてきた。
オルガは外国から届いた封筒の入った胸元へ、一度だけ左手を当てた。
チャレンジャーは砂漠へ出た。
黒岩は血のついた左手でステアリングを握っていた。
助手席では、熊代がスター・モデルBを膝へ置き、荒い呼吸を繰り返している。
バックミラーの中で、旧検量所は砂煙に消えていた。
黒岩は視線を計器へ戻す。
水温計の針が、ゆっくり右へ動いていた。
■第五章 三十キロ■
水温計の針が端まで振れた。
ボンネットの隙間から白い蒸気が噴き、V8が二度咳き込んだ。
黒岩が路肩へ寄せるより先に、チャレンジャーは力を失った。
惰性で進み、砂の上で止まった。
黒岩はキーを戻した。
静かになった車内で、熊代の荒い呼吸だけが残った。
ガバメントをジャケットの内側へ戻して運転席を降りると、腹の傷が痛んだ。
黒岩はボンネットの蒸気を見た。
もう一度エンジンを掛ける気には為らなかった。
車体の後ろへ回り、トランクを開けた。
黒いケースを引き寄せ、留め金を外す。
百ドル札の束が並んでいた。
一束を取り出し、輪ゴムを外した。
一枚目をめくる。
その下には、同じ大きさに切った新聞紙が重なっていた。
もう一束を開く。
同じだった。
「やられたな」
黒岩はケースの中を見たまま呟いた。
ラ・パリダでは、オルガがカウンターの陰からM36を構えた。
入口に男の影が現れた。
最後の一発を撃つ。
男が入口の外へ倒れた。
オルガが立ち上がろうとした時、横手の割れた窓から銃声がした。
身体がカウンターへぶつかり、そのまま床へ崩れた。
胸元から封筒が落ち、血のついた床を滑った。
オルガは左手を伸ばした。
指先の少し先に、封筒の裏側が見えた。
――会いたい。
指は届かなかった。
頭上では、シーリングファンがゆっくり回り続けていた。
黒岩は札束を一つずつ崩した。
一番上の本物の百ドル札だけを抜き取り、重ねていく。
残った新聞紙をケースへ戻し、蓋を閉めた。
黒いケースを中に残してトランクを閉じた。
集めた百ドル札を手に、助手席側へ回る。
ドアを開け、片膝をついた。
熊代は目を開けていた。
「熊代、やったぞ。俺たちの勝ちだ」
黒岩は百ドル札の束を差し出した。
熊代の手が伸びた。
指先はまだ震えていた。
百ドル札を受け取り、しばらく眺める。
それから黒岩を見た。
「勝ったな」
熊代の口元が、わずかに緩んだ。
そのまま視線は動かなくなった。
黒岩は熊代の顔を見た。
目は開いたままだった。
百ドル札を握った手を見る。
震えは、もう消えていた。
黒岩は熊代の瞼を閉じた。
立ち上がり、助手席のドアを閉めた。
砂漠の朝日が、弾痕だらけの白い車体を照らしていた。
黒岩は帽子を被り直した。
腰の後ろから、もう一丁を抜いた。
こちらはスライドが後退したままだった。
空の弾倉を落とし、新しい弾倉を叩き込む。
スライドを前へ送った。
ガバメントを腰へ戻し、道路へ出た。
少し先に、錆びた標識が立っていた。
PLAYA MAREA 30 km
黒岩は歩き始めた。
数十歩進んだところで、腹を押さえた。
掌に新しい血がついた。
足を止める。
「大丈夫」
帽子のつばを直し、また歩き出した。
「プラヤ・マレアまでは、たった三十キロだ」
朝日の中を、黒岩の背中が少しずつ小さくなっていった。
やがて、砂漠の陽炎に紛れて見えなくなった。




