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非常事態宣言

 俺たちは膨大な文書のコピーに追われていた。

 今枝が中心となって基本方針案を策定し、それを百部ほどコピーすると、次々に具体的な案が寄せられる。

 一昨日に石橋が書いた地図と同じものを午前中に何枚も書き写したのは、こうしてコピーに追われだすと遊んでいるようなものだった。午後一番でコピーを言いつけたきり、結局退庁時刻になっても今枝は姿を現さなかった。

 それが昨日のことだ。そして今朝登庁すると、防衛庁の黒木が俺たちの仕事場で待っていた。


「本日、三宅島西方領海内で国籍不明潜水艦を発見し、事情聴取を行っています」

 硬い表情をしていた。俺たちはというと、それを聞いたとたんに誰からともなくため息をもらしたのだった。

「オーストラリアから袖ヶ浦へむかっていたLNGタンカーの真下をついてきたようで、領海内を潜航したまま進入しました。情報通り、深夜をよいことに浮上しました。他国の領海内を航行する際には、浮上の上、国旗を掲げることが国際的ルールです。が、それを怠って航行を始めたので包囲し、停船を命じました」

 それだけで十分だ。俺にとって、潜水艦がどうだとか、どこの船だなどということは興味がない。そんなことよりも、夢でみたことがまたしても現実となったのが怖いのだ。

「ところで、念のためにお訊ねしますが、何か特別な情報源があって、何かの都合でそれを洩らしたということはないでしょうね」

 すぅっと黒木の目が細くなった。明らかに間諜からのリークを疑っているようだ。


「どういう意味ですか。勘太のことを疑ってるのですか?」

 すかさず琴音が食いついた。丸い顔をぷっと膨らませて黒木を睨みつける。

「私の立場からしますと、すべてのことを疑ってかからねばなりません。現にこうして国をゆるがす騒ぎになっていますので。穿った見方をすれば、敵意をもった国の謀略ということも排除できないのですから。しかも、潜水艦と乗員を捨て駒にしたとすれば、並々ならぬ意志を感じます」

 黒木は口調こそ丁寧だが、強い視線を琴音にはしらせ、そして俺を見据えた。


「莫迦なことを言わないでください。下手をすれば外交問題ですよ、ううん、気の短い国だったら戦争になっちゃうじゃないですか。そんなことをする国があるのですか?」

 膨れたうえに赤くなった。琴音がキンキン声になって喰いついている。


「世界は広い。それだけ多くの指導者がいます。中にはそういう方法を辞さない国だってないとはいえませんから。ただ……」

 黒木の目から力が失せた。しかし、何を考えているのか表情は失ったままだ。


「なんですか、はっきり言ってくださいよ」

「あなたがたの様子を見ていると、まったく関係ないか、よくよく訓練を積んだか、両極端しか考えられないのですよ」

 彼の立場からすれば、そう考えるのが妥当かもしれない。でも、俺には彼の不安を否定してみせることができない。俺の発言にはなんの根拠もないからだ。それがわかっているだけに、俺には言葉がない。


「ちょっと、なんてこと言うのですか。私たちは親切で」

「芝居かもしれません」

 あっさり黒木は否定した。


「……こうして木下さんだって信用してくれてる」

「一味かもしれません」

 そう、経緯を知らない者からすれば一味と疑われるかもしれない。


「じゃ、じゃあ、政府が信用したというのは?」

「政府は素人の集まりですから」

 ふっと黒木は不敵な笑みをうかべ、すぐに無表情に戻した。


「ちょっと! それって誰も信用できないってこと?」

「その通り。私たちは誰も信用しません」

 黒木は胸をそびやかすと、冷たい眼で琴音を見つめた。が、おもむろに笑顔を見せて頭を下げてみせた。

「ですが、今回のことは信用します。……失礼ですが、あなたがたの過去を調べさせました。我々にも調査部署がありますので、対象の経歴くらい掴むことはできます。そうしたところ、きな臭い要素がひとつもうかんでこない。すべてあなたがたの関与はない、そういう報告しかありません。よって、あなたがたは信用に足ると」

「えっ?」 

 黒木の言った意味が理解できないのか、琴音一瞬戸惑いをみせ、だも、ここで力を抜いてはとボールペンを握りしめる。


「ですから、我々は信じることにしたのです」

「どうしてそんな酷いことを言うのですか。勘太が嘘をついてるとでもいうのですか? 言った通りになってるじゃないですか。どうして現実を見ようとしないのです」

「いえ、ですから信じると」

 すっかり琴音は逆上してしまったのだが、俺の夢を信じてくれる人がまた増えたのだ。


「いずれ政府が何らかの措置を講ずるでしょう、すると必ず横槍が入ります。特に今回のように、個人の見た夢の通りに物事が進んでいて、大きな災害が発生すると説明しても証明のしようがありません。部外者は必ずそこを衝くはずです。ですから、我々は潜水艦の拿捕事件を公表することで、今回の計画の正当性を援護します」

 一旦言葉を切った黒木は、目尻を下げてくだけた表情になって続けた。

「ここだけの話ですが、今の総理は信用できません。やっかい事から逃げたいだけでしょう。遠くない将来に辞表を出すかもしれませんよ。総理だけじゃなく、閣僚も似たようなものです。大臣を辞任すれば責任を問われることを避けられると考えるでしょう。当然、国民が黙っちゃいないし、国会でも追及されるでしょう。しかし、対応をめぐって意見の食い違いが出て、己の倫理観を貫くために辞任した。そう言い逃れもできます。それでだめなら議員辞職すればいいくらいの考えでしょう。それと較べてあなたがたは……。まだ若いのに立派ですよ。誇れる同士だ」

 黒木はすっかり気を許したかのように、決して口に出せないことを言うと四人の手を固く握った。そして、鮮やかな敬礼をして出て行った。


「あれ、なんだったの?」

 じっと眼を見つめられ、ビシッと敬礼をされた琴音はおずおずと敬礼で返したのだが、結局のところ何がどうなのか答に困っていた。

「どうやら、俺たちのことを信用してくれたみたいだ。琴音、外交交渉ご苦労さん」

 ふざけて敬礼の真似事をしてやると、ようやく琴音の頬が緩んだ。


「まあ、許してやってくれないかな。防衛官僚という立場だから、他人を信用しないように心がけているのだろう。でも、さすがに驚いたようじゃないか。どこの船かは知らんが、潜水艦を拿捕するという奇跡が起きたのだからね。いずれにせよ、彼らの協力がなければ身動きできないだろう。よかった、良かった。しかし、ほんとうに表情の豊かな女性だね。それはともかく、また現実になったということか。できれば、空騒ぎで終わってほしいところだがね」

 言い終えて、木下は首を揉むようにした。



「さて、今日の予定を言うぞ。その前に、五分ほど前に地震があった。場所は根室沖の太平洋。揺れはたいした事ないそうだ。もう、三沢から戦闘機が偵察に飛ぶだろうから、被害状況がわかるだろう」

 始業までまだ二十分もあるというのに、今枝が浮かぬ顔で席につくと、つい今しがたの地震発生を告げた。


「北海道か。昨日は伊予灘で小さな地震があったな。だけど、これだけ離れた場所なら予兆ということではないのだろうな」

 木下が迷惑そうに俺を窺った。だけど俺にわかることではなく、ただ首を傾げることしかできない。

「さてと、本題だが、午前中に閣僚を招集してこれまでの経緯を説明する。それをふまえて、午後の閣議で方針を決定するそうだ。官房長が深刻に受け止めているから、かなり重い決定となるようだ。官房長にしたところが、昨夜の潜水艦騒ぎまでは半信半疑だったのだぞ。それが手の平反してなあ。どうやら、大勝負に出るようだ」

「大勝負?」

「うん。苦労知らずのお坊ちゃまを矢面に立たせてな、ノイローゼに追い込むつもりじゃないかな。陣頭指揮をアピールすれば、次の総理に横滑りできると考えたのかもしれん」

「なるほどな」

 木下が頷くのと同時に雅が非難の声を上げた。


「酷い! 何を考えてるのですか」


「酷い? そうかな、俺は案外良い事だと思うがな」

「どうしてですか?」

「うん。まずさ、いずれ総理がノイローゼになるのは君にも想像できるだろう? そんな人に正常な判断ができるかな? 次に、総理のしたいことって何だろうか。経済にしても雇用にしても口の先でごまかしているだけで具体的な対策をとっていない。やったことといえば、庶民の暮らしを圧迫することばかりだ。たしかに国が号令をかけたって、社会なんてどうにもならないさ。財界が横を向くだけだからな。なのに、手をつけなくても良いことに執着している」

 今枝が臆することなく政権批判をした。やはりこの人も世間一般の考え方をするものだと安心したのだが、同時に違和感を感じた。

 今枝にしても木下にしても、身分は国家公務員だ。それが政権批判をするということは許されるのだろうか。


「憲法ですか?」

 源太がつまらなそうに呟いた。憲法を勝手に解釈し、事実上憲法に反することをしておきながら、なにが憲法改正だというのが源太の持論だ。


「そうだ。憲法を変えるなら変えればいいさ。だが、国民に理解させることが先さ。そんなことに労力を使うのなら、国民が暮らしやすい社会にすることが先だよ。ちがうか?」

 今枝も面白くなさそうに言った。


「それはそうだけど、……いいのですか? 国家公務員が言って良いことではないと思いますよ」

「どうしてだね? 私たちは国を守るために働いているんだよ。政府を守るためではない」

 今更何を言いたいのだと問いかけるような視線を向けた今枝は、そこで小さなため息をついてみせた。


「えっ、どういうことですか?」

「だからね、政府を守ろうなんて考えていないのさ。悪い政府ならビシビシ取り締まるよ。それはともかく、官房長が色気をだしたようだから好都合だ、しっかり働いてもらおう」

 今枝は不敵な笑みをうかべてタバコを咥えた。そして、両手で拝むようにして、コーヒーを炒れてくれと雅にたのんだ。



 夕方の六時ちょうどに、総理の緊急発表が始まった。

 とても信用できないだろうがと前置きし、俺が目覚めてからのことを一通り説明したのだ。琴音と作った覚書を示しながら、すべてのことを予知していると結んだ。そして最後に、非常事態を宣言したのだった。

 報道機関からの激しい質問に、総理はたじろいでいた。しきりとソデに隠れた官房長を伺いながら、詳細は官房長に説明させると言い残して会見を終えてしまった。逃げるように壇を下りる横顔は、すでに土気色をしていた。



「規制する事柄、また程度は、お配りしている資料をご覧ください。今回は前もって災害発生を予測してのことですので、緊急に必要となる物資を最優先で確保します。その際、日常生活に支障をきたさないよう十分に配慮をしますが、必要最小限でしのいでいただくこともあります。ですので、暫くの間、物資の統制をします」

 総理から引き継いだ官房長官は、終戦以後決してなされなかった物品統制の説明を始めたのだ。

 日用品の供給統制など、終戦後の混乱した時期を除けば皆無であった。終戦当時のことを知る者が僅かになった現在、物資の統制と言われてもピンとこない人ばかりだろう。


「食料品を生産している工場は、政府の指示に従ってフル生産をお願いします。また、建設材料もフル生産してもらいます。他に、衛生用品や紙製品、医薬品も集中的に生産してもらいます」

 記者席から一斉に手があがったが、官房長は静まるように手の平を突き出し、先を続けた。

「稼動、休止の如何にかかわらず、原子力発電所に保管している核燃料をただちに抜き取り、保管場所に輸送します。また、各地に備蓄してある食料は、政府の指示に従って安全な場所へ移動させます。燃料についても同様の措置を執ります。戸籍原簿、年金データ等は、すでに国内五箇所のサーバーに転送作業を開始しておりまして、医療記録も同様の作業にとりかかっています。なお、この措置は、災害発生予想期日を一ヶ月経過するまで継続し、順次解除することとします。以上、かいつまんだことをお報せしました。それでは、詳細をご説明します」


 官房長の説明は延々と続いた。

 発端となる地震がどこで起きるかに始まり、それに伴う津波についての話から始まった。それが東南海地震を誘発し、そこでも津波がおきると指摘した。

 どうして地震がおきると判断できるのかという質問が口々になされたが、それには答えず、被害予測を地図で示した。俺たちが書いた色違いの地図だ。

 そうすると地震による地面の変動を無視したとしても、広範囲が津波に襲われることがわかる。その中に人口の密集した地域が多く含まれ、そして工業地域や石油コンビナートがあり、農地が広がっている。そこに暮らす人々の命を守ることが喫緊の課題であることから強権的な方法を採らざるを得ないと説明した。

 そして最後に、そう決定するにいたった根拠である、俺のことを詳しく話した。


「政府は、一市民の夢に踊らされるのか」

「予想が現実となる可能性を信じるのか。それはオカルトと同じではないか」

 次々に浴びせられる質問は、街の占い師の言うことを信用するのかという非難だ。なかには地震の兆候を質問する者もいたが、それには官房長も回答のしようがなかった。だけど今回ばかりは曖昧な表現を避け、地震の予測をすることは誰にも不可能だと答えた。


 いったん言葉を切った官房長は、咽を湿らせて続けた。

「皆さんにお訊ねしたい。どの銀行に強盗が入るか予見できますか? どこでヘリが墜落するか予見できますか? 高速道路の事故でトンネル火災がおきるとか、どこの交差点で無謀車の事故がおきるとか、正確に予見できますか? ところが、情報提供者は二ヶ月先の出来事を予見しています。しかも、時刻と場所もです。また、昨夜のことですが、国籍不明の潜水艦を拿捕しました。皆さんご承知でしょうが、潜水艦というものは非常に秘匿性の高いものでして、海中に潜むものを発見、捕捉するだけでも困難なのでして、拿捕ともなれば浮上しているものに限られるのです。暗夜に浮上していれば、露出している部分が非常に小さいわけですから目視で発見するのは難しい。レーダーで発見しても、近づく間に海中へ姿をくらませてしまいます。ですから、拿捕を成功させるためには、浮上する位置を正確に知っていて、かつ、先回りして待ちうけなければならないのです。今回は、正確な位置を、時刻を、事前に把握できたから成功したことです。この一例だけでも、十分に信頼性のある情報だと判断しました」

 耳を傾けていた記者がいろめきたった。潜水艦の情報はまだ発表されていなかったのだ。自然とそちらに質問が集中するが、まだ護送途中ということもあり、詳細情報が上がってきていないからだ。だが、記者の興味がそちらに集中したのは事実だった。

 平和を享受しているわが国に、突然発せられた非常事態宣言。その拠り所となったのが、一市民の夢だということ。更に、国籍不明の潜水艦を拿捕したという情報。どれをとっても紙面のトップに相応しいことばかりだ。


 官房長が混乱に混乱を重ねる会見場をあとにしたのは、総理が非常事態を宣言してから二時間もあとのことで、その間、テレビが一部始終を映していた。


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