俳句 楽園のリアリズム(パート2-その3)
今回は「俳句 楽園のリアリズム(パート2ーその3)をおとどけします。
人類史上最高の幸福を実現してしまったバシュラールの最晩年の思想のピークだけを超極端に単純化することに成功したのが『夢想=幸福のメカニズム』というアイデア。
旅や俳句が、ぼくたちをしぜんと夢想なんかさせてしまって、旅情やポエジーという人生最高の幸福=快楽を味わわせてくれるだけではなくて、夢想の幸福それ自体が、結果として、毎日の日常の生活のなかでも『幸福のメカニズム』と呼ぶしかないような仕方でぼくたちを限りなく幸福にしてしまうことになるはずなのだった。
幼少時代の復活!
だから、やっぱり、ぼくたちの試みの成否は、ただこの一点にかかっているのだ。そう、通常の人生では充分その役目を果たしてくれていないぼくたちの幼少時代を、旅と俳句で(あるいは、旅抜きの俳句だけでも)無理やりめざめさせて、しっかりとその役目を果たしてもらうことが。
「人間を世界に結びつける原型、人間と
世界との詩的調和をあたえる原型」
そういえば、ただの視覚的な再現的なイメージはイマージュの散文である、といった意味のことをバシュラールはどこかで言っていたと思う。散文と詩。イメージとイマージュ。精神と魂。(もちろん言うまでもなく、イメージとイマージュを、ぼくたちのように使い分けたりなんかしていないけれど)これは、目を閉じて、机の上のコーヒーカップをいくらイメージしてみても、ポエジーは生まれないということだろう。机の上のコーヒーカップはあくまでも現実の情景であって、その夢みられたイマージュではないからだ。
「湖の水に映った木のイマージュは現実
の情景の夢みられたイマージュそっくり
であった」
「心の鏡」がイマージュをくっきりと映し出せばとびきりのポエジーを味わえるものだけれど、目を閉じて「精神の鏡」に現実の情景のイメージをいくら鮮明に映し出してみたって、面白くもおかしくもなんともない。
「もしひとが現に見ているものをひとが
夢想したことがなかったなら、ひとは決
して世界をよく見たことがなかったのだ」
ただし、バシュラールのような「夢想の達人」ともなると、机の上のコーヒーカップだけでも、十分に夢想を堪能することができたのかもしれないけれど。だって、バシュラールときたら、日常の生活のなかで目にするなんでもない事物や情景でさえ、その夢みられたイマージュを簡単に再発見して、身のまわりの見なれた世界のなかでも、きっと、夢想を楽しむことができたのではないかと思われるから。つまり、取り戻された世界との詩的調和のそのなかで。それだから、きっと、旅に出る必要なんてなかったのだろう。
「わたしたちの幸福には全世界が貢献す
るようになる。あらゆるものが夢想によ
り、夢想のなかで美しくなるのである」
ぼくたち普通の人間の心に浮かぶ世界の視覚像は、通常はイメージどまりであり、たぶん幼い子供と天使と詩人と旅人とバシュラールのような「夢想の達人」が目にする世界だけが、イマージュとなるのだろう。それというのも、ぼくたち大人が通常目にするのは、幼少時代のイマージュとしての美しい世界が、知覚のためにコーティング加工をほどこされたみたいにして、すっぽりと覆い隠されてしまっているような世界だから。ぼくたちが毎日眺めている味もそっけもない世界だけが唯一の世界というわけではないのだ。
「宇宙的夢想は前―知覚的として示され
るべき状態をわたしたちに体験させる。
夢想家とかれの世界との交流は孤独な夢
想の場合まったく密着しており、交流は
<距離>をもたない。知覚された世界、知
覚作用によって分断された世界を示すあの
距離をもたないのである」
「現在の感覚は感覚の対象の奴隷であろ
う」
「宇宙的夢想の正常な軸は、それに沿っ
て感覚的世界が美の宇宙に変容される、
そういう軸である」
「語は学問形成の過程で、実にしばしば
定義され、また再定義されてきており、
わたしたちの辞書のなかでもきわめて精
密に整理されてきたので、まさに思考の
道具となってしまったのである。語は内
在的夢の力を失ってしまった」
「意味作用に対する隷属から解放された
言語」
「いっさいの意味への気遣いに煩わされ
ることなく、わたしはイマージュを生きる」
こうしたバシュラールの言葉があるように、ぼくたちを幼少時代の<楽園の幸福>から隔てているのは、ぼくたち大人を支配する知覚作用と、詩のポエジーに関して言えば、言葉の意味作用であることは、まず間違いない。幼少時代の<イマージュの楽園>とそこでの幸福を覆っている、知覚作用と言葉の意味作用を突き破るただひとつの方法が、おそらく「幼少時代の核」の復活ということなのだ。
夢想とは、突き破ることによって生まれた裂け目から、人生の黄金時代、この世の楽園を、ひととき垣間見ること、と、そんなふうにも言えるかもしれない。旅先に生まれたそうした<世界の裂け目>から幼少時代の色彩で彩られた風景をうっとりと眺めたり、俳句という<一行の隙間>から楽園の色彩で彩られた世界をこっそりのぞきこんだりして……。
そうした意味でも、ぼくたちにごくしぜんと幼少時代の世界を垣間見せてくれる(いまのところ)人生におけるたったふたつの「場」として、旅と俳句というもののもつ人生的な価値は際だってくると思う。
一行の隙間から垣間見る、旅先の風景、すなわち、この世の楽園とは……
雪上につながれし馬も車窓過ぐ
このように、まだ詩の読者とはいえないいまの段階でも、幼少時代の色彩で彩られたほんとうの意味でのイマージュを、だれもが比較的簡単にみつけだせる、旅先の風景と俳句作品。
何度も言っているように、これはぼくたちにとってとても重要な事実なのだけれど、幼少時代の色彩で彩られたイマージュをみつけたと感じたとしたら、それは、とりもなおさず、ぼくたちの内部で、隠されていた「幼少時代の核」がすでにあらわになってしまったことの証拠なのだった。
「詩人は宇宙的な夢想によって、原初の
言葉として、原初の事物として、世界を
語っているのだ」(訳文のパロールとイ
マージュに勝手に漢字をあてて引用)
5・7・5の俳句形式にとり込まれただけで、意味作用と知覚作用に対する隷属から解放されて、俳句作品の言葉と事物は〈内在的夢の力〉を回復することになるようだ。
「俳句作品のなかで俳句形式は、宇宙的
な夢想によって、原初の言葉として、原
初の事物として、世界を詠っているのだ……
卓上の林檎がひかる雪の気配
「語は内在的夢の力を失ってしまった。
名詞に結びついているこの夢像を回復す
るには、いまなお夢見ている名詞、〈夜
の子供たち〉である名詞についての探求
をさらにつき進めねばなるまい」
俳句の素晴らしさは、ただのイメージを5・7・5の定型にとり込んだだけで、それを、イマージュに昇格させてしまうところにある。
「詩人がひとたび対象を選ぶや(おなじことだと思うけれど俳句に関してはこんなふうに言えるだろう。すなわち、俳句形式にひとたび対象がとり込まれるや)、対象そのものが存在を変化する。対象は詩的なものに昇格するのである」
俳句の言葉の表すなんでもないイメージを幼少時代の色彩で彩られたイマージュにクラスチェンジしてしまう。すべてのイメージを黄金の宇宙的イマージュに変えてしまう、俳句形式の不思議な錬金術!
《俳句形式が浮き彫りにしてくれるイマージュは、幼少時代の宇宙的な夢想を再現させる、幼少時代の「世界」とまったくおなじ美的素材で作られているので、5・7・5と言葉をたどるだけで、俳句形式が、幼少時代の宇宙的幸福をそっくり追体験させてくれる》
つぎの青柳志解樹の俳句作品は、他人の体験以上に隔たった遠い日の宇宙的幸福を、ぼくたちに追体験させてくれるだろうか。5・7・5と区切るようにして、ゆっくり言葉をたどってみよう。
一行の隙間から垣間見る幼少時代の世界。すなわち、そう、かつて目にしたことのあるはずの、はるか時間の彼方、あの<イマージュの楽園>そのままの世界とは……
秋風の白樺梢をふれあへる
女生徒に秋の欅が陽を散らし
夕ぐれの山見てをれば小鳥くる
「俳句形式にひとたび対象がとり込まれ
るや、対象そのものが存在を変化する。
対象は詩的なものに昇格するのである……
ひえびえと坐す公園の石の椅子
霧の灯をかぞへ一つの灯へ帰る
《俳句形式が浮き彫りにしてくれるイマージュは、幼少時代の宇宙的な夢想を再現させる、幼少時代の「世界」とまったくおなじ美的素材で作られているので、5・7・5と言葉をたどるだけで、俳句形式が、遠い日の〈イマージュの楽園〉における宇宙的幸福をそっくり追体験させてくれる……
コスモスの残りの花を雲が訪ふ
七夕の笹がささやくほどの風
「幼少時代の世界を再びみいだすために
は、俳句の言葉が、真実のイマージュが
あればいい。幼少時代がなければ真実の
宇宙性はない。宇宙的な歌がなければポ
エジーはない。俳句はわたしたちに幼少
時代の宇宙性をめざめさせる」
バシュラールの残してくれた文章には、詩人や詩とあるところを、俳句形式とか俳句とかに置き換えたほうがぼくたち日本人にとってはピッタリするものがじつに多い。これもたくさんあるうちのそのひとつだ。
「幼少時代がなければ真実の宇宙性はな
い。宇宙的な歌がなければポエジーはな
い。俳句はわたしたちに幼少時代の宇宙
性をめざめさせる……
秋風の白樺梢をふれあへる
「幼少時代の世界を再びみいだすために
は、俳句の言葉が、真実のイマージュが
あればいい」
この言葉は、詩のなかでも俳句だけが比較的簡単に、しかも例外なく、遠い日の宇宙的幸福、つまり、ポエジーを、ぼくたちに追体験させてくれるそのことの素晴らしい説明になっているだろう。こう書き換えてしまうとあまりにも俳句にピッタリなので、ぼくたちがほんとうの意味でふつうの詩を味わえるようになるまでは、この文章には何度でもくりかえし利用させてもらう値打ちがありそうだ。
俳句ではなくて元の訳文のままでは、まだ詩の読者とはいえないいまの段階では残念ながら、ふつうの詩はぼくたちの幼少時代の宇宙性をめざめさせてくれたりはしない。
これは旅についても言えることなのだけれど、幼少時代の宇宙性をめざめさせることができたときにだけ、ポエジーというかたちで(旅においては旅情というかたちで)ぼくたちだれもが公平に、幼少時代の宇宙的幸福を追体験することが可能になるのだ。いまの段階でぼくたちの幼少時代の宇宙性をめざめさせてくれるものを、旅と俳句以外に、ほかになにか別のものなんて考えられるだろうか。
なんといっても考えうるもっとも有効な方法でもあるので、これからも旅と俳句で最高の人生を手に入れという言い方はしつづけることになるとは思うけれど、それでも、テレビの旅番組や映画で味わった旅情だってかまわない、今回読んでみた旅の俳句でほとんどの方がなんらかのかたちで旅情を感じることはできただろうし、バシュラールにしても旅が必要だなんてひとことも言ってないわけで、引用させてもらう人類の宝物みたいな彼の言葉と幼少時代の宇宙性をめざめさせてくれるこの本のなかの俳句作品が、約束どおり、いまさら旅になんか出なくたって、あとはなんとかしてくれるだろうという気持にはどなたにもなっていただけたのではないかと思う。
「幼少時代がなければ真実の宇宙性はな
い。宇宙的な歌がなければポエジーはな
い。俳句はわたしたちに幼少時代の宇宙
性をめざめさせる」
この言葉とつぎの言葉をセットにしてみるだけでいい。
「わたしたちの幼少時代の宇宙的な広大
さはわたしたちの内面に残されている。
それは孤独な夢想のなかにまた出現する。
この宇宙的な幼少時代の核はこのときわ
たしたちの内部で見せかけの記憶のよう
な働きをする」
バシュラールの言葉をぼくたちに都合のいいように書き換えてしまったつぎのような文章も、そのうち一句一句の俳句の詩的情景が幼少時代の宇宙性を確実にめざめさせてくれるようになれば、花や果実のイマージュだけに限らないと思うけれど、だれにとってもまぎれもない真実となってくれるだろう。
「花を前に、または果実を前に、俳句は
ある幸福の誕生にぼくたちを立ちあわせ
る。まさにぼくたち俳句の読者は<永遠
なる幼少時代の幸福>をそこに発見する
のである……
コスモスの残りの花を雲が訪ふ
俳句の歴史のなかで、俳句は「第二芸術」と呼んでほかの芸術と区別すべきである、などという見当違いな批判にさらされたことがある。その作品を読んでみても一般の読者には大家と素人の区別もつかず、安易な創作態度でだれにでも簡単に作れてしまって、思想性や批評性や社会性や現実的人生といったものを盛りこめない俳句など、芸術の名に値しないということだったのだろう。それに反論するようなかたちで、これまたまったく見当違いとしかぼくには思えないけれど、俳句に社会性や思想性まで盛りこもうと志した「社会性俳句」といった俳句運動が生まれたりもしたのだった。
そのほかにも第二芸術論以前の、その詩的世界が俳句というよりどちらかというとふつうの詩に近いような気のする、一時期の日野草城や無季俳句で有名な篠原鳳作などの「新興俳句」や、俳句のなかでも文学臭の強く感じられる加藤楸邨や中村草田男などの「人間探求派」、それに、第二芸術論以後の、それまでの正岡子規や高浜虚子を始祖とする伝統俳句とは断絶しているとしかぼくなんかには思えない、金子兜太や高柳重信などの「前衛俳句」が生まれたりと、俳句の歴史もそれなりに進歩(?)してきているのだ。
まあそんなわけで、現代俳句の世界はここで読んでいるような単純な俳句ばかりではなくて、じつはもっと文学的だったり前衛的だったり俳句形式の可能性を追求したりと、驚くほど多彩で、その個性がなによりも評価されているような作者も少なくはないのだ。もっとも、そうした多彩な現代俳句の世界も、古本屋をまわってそのバックナンバーを探し集めるのが楽しかった、高柳重信が「俳句研究」の編集長をしていたころの、それも「俳句研究」を中心にした俳壇の話で、いまは事情が変わってしまっているかもしれない。
俳句を読むためのトレーニングをしていたころ、その雑誌がたまに行う、高柳重信ひとりが選者をしていたのではないかと思われる、作者の志の高さというか、作品がそれを実現しているかどうかはともかくとして俳句形式の可能性や俳句史になにかをプラスしようとしているような姿勢がうかがえるかどうかとか、少なくとも俳句形式というものがどれだけよく分かっているかとか俳句作品のなかで言葉がどれほど初々しく生かされているかとかいったようなことが、なによりも評価の基準とされていたような気のする「五十句競作」という企画の応募作の結果発表をみるのが、下村槐太とか永田耕衣とかいった俳人たちの
特集を読むのとおんなじくらい、いい俳句の勉強をしているようで、とても楽しかった。
「言葉に対する恐れを持たぬ俗の俗なる俳人」なんてことをどこかで言っていた高柳重信のことだから、入選作はあったりなかったり、佳作第一席もひとりかふたりしか選ばないのが普通だった。それでも、これからを期待する残念賞みたいな感じで、50句のうち15句だけ発表される佳作第二席は20人くらい、8句だけの佳作第三席は4、50人も選ばれるのだけれど、50句のなかから15句や8句に厳選されて掲載されたものだけに、読んでみて高柳重信がその作品を選んだ理由がなんとなく分かったと感じるだけでもなにかこう俳句形式といっそう親密になれたような気がしてうれしくなってしまったものだった。(それなのに、俳句はおもに「写生」を手法とする伝統俳句がいちばんと思うようになってしまうなんて、自分でも信じられないような気がする)
分厚い「カラー歳時記」や「俳句用語辞典」とか「俳句読み方辞典」とか何冊もの鑑賞書や「俳句研究」の特集記事、それに、短歌といっしょに俳句を味わうためにも役立つだろうと思って「古今集」や「新古今集」などを頑張って読んでいたころ、書きつつ見る行為、という言葉にぶつかったことがある。
書くことによってはじめて見えてくる時空を享受することが俳句を書くということであって、最初から見えている世界を日常的な、安易な意識で写生することなど詩の行為とはいえない。
そんな内容だったと思うけれど、俳句形式のなかでの言葉と言葉、イメージとイメージの関係からひとつの詩的世界を創りあげる、こうした「書きつつ見る行為」をとおして作られたような俳句は、ふつうに読んだのではなんのことか分からない作品が多く、それを味わうためにはある資質のようなものが必要みたいだ。
「新しい言語活動に陶酔するなかで、つ
まり本質的に新しいイマージュに向かっ
て飛び立って、もはや詩的なかたちでし
か語るまいという熱意のなかで、詩人は
読者との共有部分を、説明的言語の共同
体を離れるのである」
どのような詩的イマージュでも自在に楽しむことのできたバシュラールは、さすがにこうした詩を擁護する言葉もたくさん残しているけれど。
「この種のイマージュはすくなくとも表
現の現実としてそのままに把握しなけれ
ばならない。これらのイマージュは詩的
表現から全存在をえているのである。こ
の種のイマージュにとっては、真実であ
るということはむだなことである。それ
は存在する。これらのイマージュはイマ
―ジュの絶対性を保持する」
けれど「書きつつ見る行為」とは書くかわにだけいえることで、読むときにはどんな俳句だろうと「読みつつ見る行為」をしながら、一句一句、初めての世界を目にすることになる。その作品が安易に「写生」されただけのものか作者が全霊をふるいたたせて「書きつつ見る行為」をしながら生み出したものかどうかなんて、どうでもいいこと。
俳句を読むためのトレーニングの一環としてぼくは、俳句形式と仲良しになるというか、俳句形式に習熟するために、この「読みつつ見る行為」を、もう何十年前のことになるだろうか、ある時期試みつづけたことがある。
俳句からなにかを読みとろうなどと、あまり考えないこと。俳句で自己表現なんかしているような気のする作品の少なくはない加藤楸邨とか(俳句で自己表現なんかされてもぼくは困るのだ)自分の置かれている境遇から俳句でもって人生を詠嘆するといった感じの作品も混在する鈴木真砂女とか(俳句は人生を詠嘆するための詩ではなくて、世界を讃嘆するための詩だろう)そういった、作品の背後に作者の顔がちらついてならないようなタイプの俳句も、あえて作者を無視して、5・7・5とたどって俳句形式が見せてくれるものだけを、受けとっていく。
これが、じつは、なんにも期待なんかしていないだけに、時には思いがけないポエジーとか、一句一句、俳句形式の贈物を受けとっていくようで、けっこう楽しかった。
無心に俳句形式に身をまかせ、俳句形式のなすままに、俳句形式に一句を読ませてもらう、そんな受け身の喜びといつたもの。はじめのうちは、こちらになにかを読みとろうという積極性がまったくなかったから、ほとんどその作品世界の見えてこない俳句も少なくはなかった。けれども、だんだん俳句形式と仲良しになってきたということなのだろうか、俳句形式の見せてくれる世界が、次第に広がってきたような気がしたものだった。
そんなこともあって俳句を読むときに作者を意識しない癖がついてしまったのだけれど、ぼくにしても、その作者を意識しないではいられないような、イマージュを味わうためにだけ利用するにはちょっともったいないような気のする何人かの気になる俳人がいないわけではない。
それは、じつをいうと加藤楸邨もそのひとりなのだけれど、塚本邦雄の「百句燦燦」という俳句の鑑賞書でとりあげられていた阿波野青畝(収集句数、7944句)加藤楸邨(6908句)下村槐太(340句)橋本多佳子(2497句)永田耕衣(547句)神生彩史(100句)西東三鬼(2717句)富沢赤黄男(838句)高柳重信(845句)赤尾兜子(1990句)野沢節子(972句)三橋敏雄(1174句)とか、それ以外では阿部青鞋(300句)とか「俳句研究」の特集でファンになってその全句集を手に入れた橋閒石(2699句)とか、俳句形式というものを完全に知りつくしているというか、一句一句、その選んだ言葉やイメージが俳句形式に完全にフィットしてしまつているような気のする、手だれとか目利きといわれる個性的な俳句の名手たち。
そういったとっておきの、いわば違いがわかる読者のための俳句も、トレーニングなんかしたおかげで、そのうち、ぼくは、詩や短歌といっしょに残された人生でどうにか味わっていくことができそうな気がする。
まあ、そうは言っても、なによりもふつうの詩や短歌をどっさり味わっていきたいし、もう、そのほんの一部を読む時間しかぼくには残されていないとは思うけれど、このなかで全句集かそれに類するものを手に入れられたのが、阿波野青畝、加藤楸邨、橋本多佳子、西東三鬼、赤尾兜子、三橋敏雄、橋閒石の7人だけなのが、ちょっとばかり残念だ。とくに「下村槐太全句集」は、長いことずいぶん探しまわってみたりもしたのだけれど。
死にたれば人きて大根煮きはじむ 下村槐太
前からちょっと言い訳をしておかなくてはと思っていたのですけど、よく出てくる幼少時代の宇宙的幸福、あるいは、夢想を、追体験するっていう言い方は、言葉の誤用ではないかと感じられている方も少なくはないかもしれません。他人の体験を追体験するという言い方がたしかに一般的な用法だと思いますが、他人の体験以上にへだたった、はるか時間のかなた、自分の幼少時代の宇宙的幸福をもう一度体験しなおすことを、追体験と言ってしまっても言葉の誤用ということにはならないと自分では考えています。