第13話「魔導論理の化身殿は人間を数字に変換する癖をお持ちのようですわ」
深夜の王都。宮廷の静寂すら遠ざけ、鋭利な黒のシルエットを星空に突き刺すのは、魔法使いどもが住まう知識の牙城・魔法塔である。
私が今、その石造りの回廊を泥棒猫のようにつま先立ちで歩んでいるのは、神の導きか何かではない。ひとえに私付きの優秀すぎる情報網——侍女ハンナと倉庫係のルカが、「深夜三時は魔導防壁が切り替わる死角の刻。書架室の裏廊下は封鎖札が一瞬緩むらしい」という完璧なガサ入れルートを叩き出してくれたからに他ならない。
(とはいえ、この静けさ……怖すぎでしょ。なんだって魔法塔のやつらってこう、空間の照明を暗く設定したがるの! 本を読む気がありますの!? あと少しでも靴音立てたら地の底から魔物が這い出てきそうなこの威圧感、なんとかしてくれない!!)
口の中をカラカラにさせながら、白絹のワンピースの裾を必死に両手で持ち上げる。天に向かって優雅に祈るばかりの純白の聖女が、魔法塔の最奥へ忍び込む不審者にジョブチェンジしているのだ。誰にも見せられる絵図ではない。
目指すのは表向きの宮廷魔導図書室ではなく、そこをさらに奥へ進んだ先にある一室だった。
ルカによれば「何人かの魔法塔の連中が、そこから異様に疲れた顔で出てくるのを見たことがある」という怪しい隔離区画だ。私は壁の窪みに張り付くように進み、途中で突っ伏して大きないびきをかいている若い助手の女の子(机の横に『エリン』という名札が転がっていた)の隣を、神懸かったステルス技術で突破した。
(よし。この金属張りの厳重すぎる両開きの扉。こ・こ・で・す・わ・ね?)
錠前に魔石が埋め込まれている。だが、私はあらかじめノアから仕入れていた情報を元に、古い魔術法則の解咒パターンのような感じで魔石の周囲を三箇所ほど軽く叩いた。
かちり、と拍子抜けするほどあっけなくかんぬきが滑る音がした。天才と凡人の違いは、案外こういうアナログな情報の持ち腐れから来るのかもしれない。
息を詰めて扉を細く開き、薄闇の中へと滑り込む。
空気が違った。埃っぽい書籍の匂いが充満していた手前とは違い、ひんやりと冷えた鋭い空気の匂いだ。
そこは、「秘密の研究室」と呼ぶにふさわしい光景だった。
部屋中の壁を埋め尽くすほどの棚。そこには狂ったような量の魔道数式が殴り書きされた羊皮紙が分厚く積まれており、天井からは奇妙に光を鈍く放つ幾何学的な観測用の水晶体が何個もぶら下がっている。
中央の豪奢な長机には、乱雑に重なった計算書類と、まだ赤インクが渇き切っていないペンが転がっていた。この領域の主たる天才、宮廷魔法使いユリウス・エーヴェルトの根城に他ならない。
(な、なんか……整理されてるんだか乱雑なんだか分からない異様な執念を感じますわね)
静かに近寄り、卓上の紙束へ視線を落とす。神罰に当たるのを恐れるよりも早く、手でその分厚い紙束を引っ張り出した。
薄暗い明かりの中でそこに記された文字を追いかけた私は、呼吸を一瞬忘れかけた。
……そこにあったのは、無機質でどこまでも無慈悲な『人間』の記録だったのだ。
【第二六次・魔石盤数値出力。出力結果二四〇。想定される第一境界線を三日連続で下回っている】
【生体反応及び体幹魔力の枯渇を確認。祈りの詠唱においても魔力回路の連動なし。これは不適格である】
【誤差補正を実行しても依然として偽である事象が覆らない。従って、先の対象は無自覚のまま国庫のリソースを消費する詐称的個体(あるいは器の欠落)であると結論づけざるを得ない。廃棄、および――】
「――ふっ」
あまりの怒りに、私の中から鼻で笑うような変な声が漏れた。
両手でその分厚い資料を挟むように持ち、何度もページを往復する。日付も名前すら記されていない、ただ『個体』と記された一人の少女——すなわち私のことだ。私がこの半年間で行うことになる、あるいは以前の生で通過した「自分が弱っていく日々」を、見下ろす位置からひたすらに数理的に観測し、減点し続けていた『無慈悲の通知表』だった。
(なにが不適格よ。なにが詐称的個体よ。あの冷血仮面は、目の前で体力が奪われて立っていられなくなっていく私を見ながら、本気で”あー数値が出ないな、やっぱり器が壊れた欠陥品か”って観察だけをしてたってワケね?)
指先がかすかに震えるのを感じる。それは処刑に対する恐怖ではなく、完全な呆れだ。
神殿側は、少なくとも「国を守るために痛みに耐える聖女」という神聖な皮を被せようとしたし、騎士団長たちは人間らしい重い空気を纏っていた。
しかしこの宮廷魔法使い(ユリウス)だけは違う。彼の基盤は、どこまでいってもこれだ。『記録と判定がすべて』。認証された神の仕組みと自らが管理する魔石盤の出力だけを宇宙の真理と信じ切り、人間の声なんて誤差だとすら思っていない。
(ははっ、なるほどね。……だからお前はあの日、私の前で自分が壊れるほど顔を歪めて泣きそうになったわけか)
前回の世界、あの断罪の広場で見た彼の惨憺たる後悔の顔が脳裏にフラッシュバックする。
あれは決して、単純な情にほだされた涙ではないのだ。「私を騙し打ちで消した罪悪感」などではない。
彼は本気で、この記録にある無感情な文字列が絶対の真理だと狂信していたのだ。
「機械が出した数値だからお前は本物じゃない、だから切り捨てる。そうすれば完璧に丸く収まるし世界は正しく回る」
――そんなお伽話を、机の上で神の代行者きどりで計算していたのだ。けれど、最後に断罪される本物の肉体が広場でどれほど血生臭く虚無の中で沈んでいくか、という『現実の絶望』を真正面から浴びてしまった。
完璧だった計算式のその先に、取り返しのつかないほどの人の血の重さがあることにその瞬間に気付かされて……だから己自身の狂信に吐き気を催すほどの後悔を負ったのだ。
「ええ。ご自分の計算の終着点が、綺麗な帳簿だけでは済まないのだとあの日までご存知なかったお粗末さには……腹を抱えて笑って差し上げますわよ、論理の化身殿」
私は、震えそうな紙の束をことりと卓上へ戻した。
可哀想だとも思う。悪人になりきれない真面目な観測者が、システムの恐ろしさに無自覚なまま片棒を担いで自滅したに等しい。……だが、それを慰めてやる気なんか一ミリだって起こるわけがなかった。
(アンタの未熟な机上の空論のせいで、こっちは首の骨へし折られて実体丸ごと消されたんですからね。絶対ぇ後悔させてやる!! あんたが一番信じてるこの完璧な数字たちがどれだけの腐った土台に乗ってるのか、白日の下に引き摺り出して踏みつけてやるわ!)
奥歯をぎりりと鳴らし、私は気合いを入れ直すように自らの両頬をぴしゃりと叩いた。乾いた小さな音が薄暗い隠し研究室に落ちる。
ユリウス本人のスタンスは見えた。
だが、問題はまだ終わらない。私が知りたいのは彼のメンタル分析ではないのだ。
これほど優秀()で疑り深い研究オタクが、いったい『誰のどんな土台』の上で魔石盤という罠を無邪気に信じ込まされていたのかだ。
机を離れ、さらに部屋の奥深く――部屋の一角を占拠している魔術道具の安置スペースへ足を向ける。
分厚い黒の天鵞絨の布で隠された、ひときわ重厚な石の台座があった。迷わず布の端を握り、勢いよく引きずり下ろす。
ホコリが舞い、そこに現れたのは予備とみられる黒光りする美しい判定用の儀式魔石――魔石盤だった。私の未来を決定づけた死刑宣告装置だ。
「さあ、見せてごらんなさい。あなた様にはどんなカラクリが――」
近づき、まじまじとその構造へ視線を滑らせた途端。私の眼の動きが、ある一点にピタリと固定された。
――装置そのものではない。それを木箱ごと封じるためかのように貼られた、分厚い紙の帯だ。
「待って。何よこれ」
宮廷魔法使いが自らの管理する品を封印するなら、複雑に編み込まれた六角星や複雑な精霊語の文字列であるはずだ。
だが、木箱の中央から厳重にバツ印を描くように貼られた二本の封印札には、真っ赤な顔料によって有機的で生々しい蔦のような文字が這っている。見間違うはずがない。
(魔法塔の魔力が通ってない。この術式……神の光を示す【教義の印】……。それもただの祈りじゃない。神殿の中で、絶対の権力を持った一部の祭司層だけが写本や認証式に刻む……最高ランクの呪縛式じゃない!)
背中にじわり、と一筋の冷たい汗が落ちた。
(待って。おかしい。この魔石盤って、魔法使いの専用機じゃないの? どうして魔法塔の秘密の奥深くで管理してる最重要測定機器の封印を……私がいた【神殿】側の術式にがっちり握らせてるワケ!?)
まるで、二つの巨大な歯車が最悪の噛み合い方をしているのを見た気分だった。ユリウス一人だけで独立して使っていたのなら彼の手癖だが、この外側のロックには別の巨大な『手』が噛んでいるのだ。しかも神の言葉という最高純度の建前を使った何者かの手が。
心拍がにわかに速まる。見開いた視線の端が、石の台座の横に半開きで広げられた古い丸め込まれた羊皮紙の筒――設計図のような束を捉えた。
反射的にそれを広げる。魔術士たち特有の丁寧な見取り図だが、建物の配置だけがどこか異様だった。
「これ、は……王都? 地下の見取り図……?」
図面には、巨大な器のような輪郭線があった。地下深く、誰も目にしない奈落の位置。
王都を中心とした無数の施設(恐らく祭壇や神殿の中心部分)から、神経のように真っ直ぐで異様に太い流路の線がただ一つ、そこへ向かって合流しているのだ。
その管に小さく添えられたユリウスらしき冷たい手記文字。
『祈力抽入・流下防衛核(仮称:大結晶)への移譲式――防壁限界点到達後も許容量を超える力の移行が恒常的に生じている』
(力の、移行?)
――私は思わず手元を硬直させた。自分の首もとに残る熱が、一気に全身の血管を通って弾けるような悪寒を生んだ。
(力が別の場所に移行している?
……そうか、私が国を包む結界のために放ったはずの魔力が……私の手の届かない見えない巨大な穴(大結晶)とやらに、まるで蛇口から水を全部流すように片道で問答無用で吸い尽くされてたってこと!?)
繋がった。
祈りがどれほど空回りしても体が引き裂かれるように疲労し、私の中から活力が不均等に削がれていった本当の理由。
この神殿印による絶対的な封印ロックがかけられた魔法器具が叩き出した『リゼという聖女候補が干からびて空っぽになること=即ち偽物である』という無慈悲な真実の判定システム。
すべてが、「私個人の欠陥」なのではなく、そう動くように巨大な見えない糸に繋がれた強奪のからくりだったのだ!
「はっ……はは……ええ、わかりましたわ」
私は古い設計図を卓上に放り投げた。広げられた紙の上で揺れる神殿の刻印が、暗闇の中でぞっとするような目玉のように私を見返している。
「単なる無知で視野狭窄な魔法使い一人のおバカ実験では済まさない。私を一刀両断で生け贄に定めた巨大な審判。……その本当の手綱を握ってる根源の存在が」
(私の中に、魔法陣以上の特大ブーメランでお見舞いするしかない確定リストにぶち込まれましたわ!!)
見透かすようにつぶやきながら、私は誰へ向けるわけでもない極寒の笑みをその閉ざされた地下図面に突き立てていた。魔法塔で終わらせてやるつもりだった足枷は、ここへきて一気に国という盤面全体のドス黒い腐敗へとその視線を繋いだのである。




