臆病すぎる令嬢、婚約者に水をかけられた瞬間に前世を思い出したので反撃に転じることにしました
――自分の頭上から落ちてくる水滴を見て、思い出した。
私――ライゼル・フォードの前世が、どブラック企業で働く社畜であったこと。上司や先輩に何を言われても、どんなことをされても、へらへらと笑って受け流していたこと。
そんな自分が嫌で仕方なかったくせに、結局はいいように扱われたまま、過労で倒れてそのまま世を去ったということを……。
――あんなに辛くて苦しかったのに、何度も後悔したのに。……なのに私は、今もあの頃と変わらない生き方をしていた。
「くすくす」
「やだぁ、ずぶ濡れ〜。ぷぷっ」
「パーシィったら、ひっどぉい」
「俺のせいじゃないだろ。なあ、ライゼル?」
水浸しの私を見て、婚約者のパーシィとその取り巻きたちがニヤニヤと笑っている。
「お前が鈍臭いせいで、こうなってるんだもんなぁ?」
なぜ、こんな状況なのかを思い返す。
確か、カフェテリアで昼食を買って来いと言われたけれど、気弱で押しの弱いライゼルは上手く買い物ができなかった。
指定された人気の商品は買えなかったものの、とりあえず残っている品を購入してから、急いで彼らの居る空き教室へと向かったのだが……。
希望の品を入手できなかったと伝えると、パーシィ達は、口々に私を罵った。
『無能』『役立たず』『使えない』『出来損ない』『陰険』『根暗』……関係のないことまで言われた挙げ句、頭から水をかけられたのだ。
(――あの頃も、同じようなことを言われたなぁ)
前世のことを思い出して、思わず自嘲してしまう。
(……けど、今回は違う)
私は静かに目を閉じると、細く長く息を吐く。
(もう絶対に、後悔しない!!)
覚悟を決めて視線を上げると、正面の彼らを真っ直ぐに射抜く。態度の変わった私を見て、パーシィたちの肩がビクリと肩が揺れた。
「……は? な、なんだよ、こいつ。急に……」
水に濡れた前髪をかきあげると、胸を張り、凛と背筋を伸ばす。
「……え……ら、ライゼルさんって、こんな顔だったの……?」
「……身長も、こんなに高かったなんて……す、すごい、スタイル……」
そう。私は幼い頃からパーシィに、『ブス』『汚い顔を見せるな』『デカい』『木偶の坊』など、さんざん悪口を言われてきた。そのせいで、前髪で顔を隠し、極端な猫背で過ごすようになっていたのだ。
出会った時から、悪態をつかれ、見下され、思い通りにならないと暴言を吐かれ続けた。
それでも、優しくしてくれることもあったのだが、これ程までにひどい態度をとられるようになったのは、身体の関係を迫られて断ったことが原因だった。
それまでは、どんな無理難題をいわれても、ひどい言葉で罵られても必死で受け入れてきたのだが、それだけは無理だと拒否したら部屋をめちゃくちゃにされて、3時間以上もの間、罵倒され続けた。
これが原因で私は、異常なまでに人に対して怯えるようになってしまったのだが、それも今日までだ。
(――これまでの分、キッチリ綺麗にお返しして差し上げますわ)
「よくもまあ、さんざん私のことを虚仮にしてくれましたわね。そんなにも、その昼食が気に入らないのであれば、ご自分で買いに行かれてはどうかしら? それとも、ご自分ではお買い物もできないのかしら、ボクちゃん?」
「…………はっ? なっ、おまっ…………」
私の反撃に、パーシィが口をパクパクさせて固まっている。
そりゃそうよね。今までは何を言われても、どんなことをされても、ビクビクと怯えているだけだったもの。丸まった背中を更に丸めて耐え忍ぶ。か細い声で、『ごめんなさい』と呟くことしかできなかった臆病な令嬢。
「だいたい、人のことブスだの醜いだの……貴方、私のことを、どうこう言える容姿でして? 一度、鏡をご覧になってみてはいかがかしら? それとも、雰囲気だけの残念なご自分を認めるのが怖くて、ご覧になれないかしら?」
はっとパーシィを見ながら笑うと、話を続けるために口を開く。
「それに、デカいだの木偶の坊だの女らしくないだの、尽く私の身長に対して嫌味を言ってくれましたわね。笑いながら、足をきり落とせ……なんてことも、おっしゃっていたかしら? ――普通にしていたら、貴方と私では背丈が変わりませんものね。プライドの高い貴方には、それが許せなかったのでしょう? 身長なんて、どうにもならないことで人を貶めるなんて最低ですわね」
私の身長は170センチ近くあり、パーシィとは2センチ程度の差であった。確かに平均身長より高い方ではあるが……だからといって、ひどい言葉で蔑むなんてことが許されるはずがない。
「本当に、器の小さな……哀れで、浅い人間ですこと。反吐が出ますわ」
これまで呆然と聞いていたパーシィが、はっと息を呑んだあと、怒りに顔を歪めて歯軋りする。
「あ゛あ゛っ!? 何様だよ、お前!? 誰に口聞いてんだよ、クソが!!」
「そうやって、怒鳴り散らせば私が黙るとでも? 随分と浅はかですこと」
「うるせぇよ!! ブス!! 死ね!! 俺に誠心誠意詫びて死ね!! 許さねぇ……原形が残らねぇくらい、叩きのめしてやるよ!! 命乞いをしようが、絶対に許さねぇからな!!」
顔を真っ赤にしたパーシィが、私目掛けて拳を振り下ろしてくる。
いっそ、一発貰おうかとも考えたが、身体が避けていた。パーシィの体勢が崩れたのを見て、私は下半身に力を入れると相手の顔面に狙いを定める。
大きく右足を振り上げると、鋭い蹴りがパーシィの顔に入った。
「……ぉ゛っお゛っ……ぐぅ……」
その場に倒れ込むパーシィを、突然現れた逞しい腕が支える。
「……っと。大丈夫……じゃ、なさそうだな」
ハニーブロンドの髪に、澄んだ空色の目。爽やかで清涼感のある声に、バランスのとれた筋肉質な身体――この方は。
「――ヴァルター・カーライル様……ですよね? 何かご用でしょうか」
私は殺気を滲ませた視線を彼に向ける。
「おっと、誤解しないでほしい。騒ぎを聞きつけて来ただけだ」
騒ぎを聞きつけた、の言葉に廊下側に視線を向けると生徒たちが好奇の目をこちらに向けていた。
「だいだいの事情は、把握しているつもりだ。彼は俺が預かろう。何かあれば言ってくれ。協力は惜しまないつもりだ」
彼の言葉に、私は顎に手をかけて微笑む。
「そうですか。では、彼との婚約破棄の話を進めたいので、ご協力願えますかしら?」
「勿論だとも! そこにいる彼らも証言してくれるはずだ」
ぱっと顔を輝かせるヴァルター様。なんだか、犬のような人だ。
ふと前世で友人の飼っていたゴールデンレトリバーを思い出す。私にもよく懐いてくれて、可愛い子だったな。
「……あ、あの……ライゼルさん、私たち、その……」
「わ、悪気はなかったと言うか……全部パーシィのやったことで、関係ないと言うか……」
「私たちも被害者……みたいな? ねぇ?」
取り巻きたちが、恐る恐る私に声をかけてくるが、その言葉を聞いて思わず低い声がもれてしまう。
「……は? 人が水掛けられてるところを見て笑ってた人たちが被害者? 戯言にも程がありますわね。貴方たちだって、パーシィと一緒に私をバカにしていたでしょうに。陰気だの、気持悪いだの暴言を吐いておいて、今更なに逃げようとしていらっしゃるの?」
「そ、そんなこと……」
「黙りなさい!! 人をいじめるのなら、やり返される覚悟を持ちなさい!!」
私の声に、取り巻きたちの肩がビクリと揺れる。
「ご、ごめんなさい……」
「許してくださいぃ……」
「ふえぇぇぇ」
「泣いても、許されるわけではありせん。ご自分のやったことには責任を持ちなさい」
声を上げて泣き始めた取り巻きたちを無視して、私はヴァルター様に声をかける。
「この場を、お任せしてもよろしくて?」
確か彼は、生徒会の人間だったはずだ。生徒の不始末を任せてもいいだろう。
「構わないよ。――そうだ。先ほどの蹴りは見事だった。惚れ惚れしたよ!」
婚約者を蹴ったことを、咎めるどころか褒められるなんて――さすがに驚く。
「……お褒めに預かり光栄ですわ」
私は彼に小さく微笑むと、空き教室を出て行った。
◇
――それから。
目が覚めたあと、パーシィは手が付けられないほど暴れまくったらしい。
だが、これまでの私への暴言、暴力未遂……いや、水を掛けられたことも暴力であったこと。それから、学園の生徒からの報告で浮気をしていたとの情報をもらい、そのことについて問いただしたところ、私が性行為をさせてくれないからだと叫んで自滅してくれた。
ヴァルター様や他の生徒たちからの証言もあり、こちらに有利な条件で婚約破棄が成立したのだった。
取り巻きたちも、私への暴言や態度の酷さを言及されて、問題が大きくなり、パーシィ含め全員が退学処分となった。更に家の評判も失落したらしい。
◇
――私はというと。
今は穏やかで安定した毎日を過ごしている。
バッサリと髪を切り、背筋もちゃんと伸ばして生活するようになってからは、世界が明るく眩い。
そして、なぜかヴァルター様に気に入られてしまい、事あるごとにお誘いを受けるようになった。
昼食を一緒に食べたり、本の貸し借りをしたり。休日は、一緒に出かけたりもする。
……一つだけ、困ることがあるとするのなら。
「好きだよ、ライゼル嬢」
隙あらば、こうやって告白してくることだ。
「……はぁ。そうですか」
「ああ。今日も大好きだ」
この人、候爵令息で生徒会の人間で……学園でも、かなりの有名人なんだけど? 何が楽しくて、私なんかに告白してるのかしら?
そういえば、一度も聞いたことがなかったと思い、聞いてみる。
「私のどこが、そんなにお気に召したのかしら?」
尋ねた瞬間、秒で言葉が返ってきた。
「強気なところ、自分の軸があるところ、ハッキリとものを言うところ、蹴りが素晴らしかったこと、何よりも、真っ直ぐな目が好きだな! ちゃんと前を見ていて、カッコいい」
屈託のない笑顔を見て、またもやゴールデンレトリバーを思い出す。
思わず頭を撫でたくなってしまったが、自重しておこう。
「……ふ、ふふっ」
「なにか面白かっただろうか?」
「……いえ。貴方が可愛らしくて、つい」
「……可愛いかぁ。まだ恋愛対象としては、見てもらえていないということだな」
その言葉に、私は目を細めて笑う。
「私に貴方は勿体ないですよ」
「――君はいつも、そうやって逃げる。だが、いつか必ず振り向かせてみせるから、覚悟しておいてくれ!」
「楽しみにしておりますわね」
――私が彼の気持ちに応えるまで、まだ少し時間がかかるのであった。
◇おわり◇




