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病弱な姉は、何でも許されると勘違いしている。だから、あえて婚約者を譲ってやった。が、姉は知らない。私の婚約者は「病弱な幼馴染」を最優先することを

作者: ぽんた
掲載日:2026/04/23

「ラン。健康だけが取り柄のあなたに、わたしの苦しみなんてわかるわけないじゃないっ!」


 またはじまった。


 姉は、今度はいったいわたしからなにを奪おうというのだろうか?


「お姉様。わたしは、たしかに健康だけが取り柄よ。そして、お姉様の苦しみはわからない。だけど、いつものようにお姉様が望む通りにするつもりよ」


 もううんざり。だけど、この家では姉こそがすべて。だから姉の希望をかなえ、意に沿わねばならない。


 姉は、幼い頃から病弱でそのほとんどを寝台の上ですごしてきた。その姉は、体が弱いからこそ思いのままに振る舞えると思っていて、実際そのとおりになっている。


 まずは、両親と兄。三人をわたしから奪った。三人の愛は、姉にしか注がれていない。それから、使用人たちと親族。それらもすべて姉に同情的で、結果姉をムダに大切にしている。


 妹であるわたしは、幼い頃から姉に奪われることに慣れている。慣れすぎていて、それが当たり前のように思っている。


 姉も家族も。そして、わたし自身も。


「それで? つぎはなんなのかしら?」


 できるだけ平常心で、加えて献身的に尋ねた。ポーカーフェイスを保つのも、もう慣れっこだ。


「アレックス様よ」


 姉は、寝台の上で血色のいい顔を赤らめた。


 彼女に振りまわされ、疲弊しきっているわたしの顔色よりよほどマシな顔色だ。


「アレックス様?」


 その名に、「いよいよ来たか」と思った。


 アレックスとは、アレックス・フェアバーンズのことだ。フェアバーンズ公爵家の嗣子。つまり、次期公爵である。


 わたしの生まれながらの婚約者でもある。


「そもそも、わたしが彼の婚約者になるはずだったのよ。わたしがこの通り病弱だから、ムダに元気なあなたが婚約者になっただけじゃない」

「あー、お姉様。たしかにその通りですが、彼はやめておいた方が……」

「嘘つきっ! たったいまわたしの希望をかなえると言ったばかりでしょう?」

「その通りです。しかし、彼だけは……」

「嘘つき嘘つき嘘つきっ!」


 姉は、ヒステリックにわたしを嘘つき呼ばわりした。


「何事なの?」

「何事だっ!」

「どうしたんだっ!」


 いつものように両親と兄が寝室に踊りこんできた。


 姉は、叫べば家族が助けに来てくれることを知っているのだ。


 案の定、姉は泣きながらわたしが世紀の極悪人であると訴えた。


「譲りなさい。フェアバーンズ公爵家にしてみれば、わが家の娘であればどちらでもいいのだから」

「ですが、お母様」

「おまえは妹で、元気だけが取り柄だ。そして、わが家で唯一不吉な容貌だ。そんなおまえは、そこいらの下級貴族の子息で充分だ。病弱なアビゲイルでも、今後もしかすると子をなすことができるかもしれない。それならば、アビゲイルにチャンスを与えるべきだ」

「ですが、お父様」

「おいおいおい、ラン。おまえ、分相応という言葉を知っているのか? わたしは知っているぞ。わが家にふさわしくない黒髪に黒い瞳だからと、おまえの婚約者はおまえのことを避けているとな。このままだと婚約破棄されてしまう。それならば、アビゲイルに譲るべきだ」

「ですが、お兄様」


 一応、抵抗は試みた。


 が、姉と両親と兄はすでに決めている。


「わかりました。一応、警告の意味で抵抗してみただけです」


 うつむき、力なく了承した。


 知れず笑顔になっていた。うつむいたのは、それを見られないためだ。


 またしても姉に奪われてしまった。


 だけど、わたしはそれを待っていた。逆に遅かったくらいだ。


 泣くふりをしようかと思ったけれど、それはさすがにやりすぎだからやめておいた。




 わたしの行きつけのカフェは、王立公園の中にある王立図書館内にある。ここだとぜったいに顔見知りに、具体的には噂とあらさがしが大好きな貴族令嬢や子息たちと会うことはないからだ。


 これでもわたしは、作家である。もちろん、ペンネームを使っている。ジャンルも戦争物やミステリーや冒険物と、およそレディらしからぬものだ。その下調べや執筆を図書館でやることがあり、そのついでにカフェで癒しのひとときをすごすのだ。


 ここのスイーツがまた美味しいのだ。ついつい食べすぎてしまう。


 姉に婚約者を奪われたその日も、昼から図書館で下調べをしてそのあとにカフェに寄った。


「やあ、作家先生」


 テーブルをはさんだ向かいの席に、左頬にうっすらと傷のあるヤンチャ系の美貌の青年が腰かけた。


「こんにちは、ごくつぶしさん」

「おいおい、それはやめてくれよ」

「だったら、あなたもわたしのことを『作家先生』なんて呼ぶのはやめて」


 あらためて彼を見た。


 彼ほど白いシャツの似合う人はいない。しかも、ぜったいに汚さないのだ。


 白いシャツやスカートやズボンや靴を着用すると、ぜったいにアクシデントが起こって汚してしまうのだ。わたしはこの現象を「白の呪い」と呼んでいる。


「元気がなさそうだね、ラン?」


 彼は、テーブルの上の積み重なった皿を見て聞いてきた。


「この三枚のお皿には、それぞれ二個ずつケーキがのっていたの。落ち込みすぎて、やけ食いしちゃったというところかしら?」

「ふう……ん。どうせまた姉さんになにかを奪われたんだろう? たとえば、子どもの頃からの婚約者とか?」

「ちょっと、待って。もしかして、あなたなの? あなたが姉をけしかけたの?」

「けしかけてはいないさ。元婚約者として彼女を見舞った際、『近々わが家では、跡継ぎのお披露目パーティーがあるんだ』と言っただけさ」

「なんてこと……。っていうか、いよいよなのね?」


 テーブルの向こうのヤンチャ系のイケメンを見つめた。


 彼の名は、クリストファー・フェアバーンズ。わたしの婚約者アレックス・フェアバーンズの弟だ。


 事情があり、彼は表向きはフェアバーンズ公爵家のごくつぶしを装っている。


「ああ」


 彼が頷いたタイミングで、仲のいい店員のミリーが彼のお茶とスイーツを運んできた。


「ミリー、ありがとう。今日もきれいだね」

「いやですわ、クリス様。おだててもサービスできるのはケーキがひとつだけです」


 いつものことだ。とはいえ、ミリーはほんとうに美しい。


 ここの男性客のほとんどが、彼女を狙っている。が、彼女には婚約者がいる。このカフェの店主だ。ふたりは、もう間もなく結婚する。ラブラブすぎて、こっちが恥ずかしいくらいだ。もちろん、式に呼ばれている。


「残念。もうひとつおまけしてくれたら、ランにあげたかったんだが」

「先生は、すでに本日の分はお召し上がりになりました。もうひとつ食べようものならかなりヤバいです。だから、そんな必要はありません」

「ちょっ……。ミリー、ひどすぎよ」


 おもわず笑ってしまった。ミリーも笑っている。


「なるほどね。姉の意図がわかったわ。クリス。あなたみたいな最高の男性との婚約をさっさと破棄し、よりにもよってわたしの婚約者を奪うだなんて……」


 ミリーが去ると、クリスに言った。


「面白すぎるわ。というか、愚かきわまりないわね」


 笑いがこみ上げてきた。


「姉だけでなく、両親や兄もノリノリなの。もちろん、渋ったのよ。抵抗したわけ。だけどまぁ、たしかに強くはないし粘りもしなかったけど。それでも一応、やめておいた方がいいようなそぶりはみせたつもり」

「わたしの兄は、あいかわらずかい?」

「ええ。あいかわらずよ。ことあるごとに『病弱な幼馴染』を振りかざしているわ。うんざりするのも飽きていたところなの」

「まったく。きみのような素敵なレディを大切にしないとはね」

「クリス。わたしにまでおべっかを使わなくてもいいのよ。わたしは、一族の中で唯一突然変異の容貌をしているもの。アレックスもそんなわたしに近づきたくないのよ。その結果が、『病弱な幼馴染』に全力を注いでいるということね」

「わたしとしては、きみの黒い髪に黒い瞳は魅惑的でゾクゾクくるけどね。これは、おべっかやましてや嘘じゃない」


 彼の蒼い瞳は、彼自身の言葉が嘘でもおべっかでもないことを示している。


「素直にありがとうと言っておくわね」

「それで? どうするつもり?」

「姉は、がんばってわたしから奪った婚約者に会いに行くつもりよ。わたしが付き添い。仲のいいところを見せつけたいのでしょう」

「なるほど。それは見ものだ」


 クリスは、意地の悪い笑声をあげた。


 彼は、もともと姉の婚約者だった。当時、跡継ぎを望めないかもしれないということで次男のクリスの婚約者になったのだ。が、クリスは姉に興味がなかった。というか、姉をチヤホヤしなかった。最低限の親しみしか見せなかった。


 姉はそれが気に入らなかったのだ。それ以上に、公爵家の次男ということが気に入らなかった。


 姉がクリスとの婚約を破棄すると言いだしたのは、ずいぶんと前の話だ。


「あなたの言う通りね。見ものだわ」


 クリスと顔を見合わせたまま、わたしも意地の悪い笑声をあげた。



 婚約者の交代は、アレックスには書面で伝えている。しかしながら、挨拶もかねて直接告げるために日時と場所を決めてそこへ行くも、わたしの婚約者だったアレックスが現れることはなかった。そこにはいつも弟であるクリスがやって来て、神妙かつ気の毒そうな表情で告げるのだ。


「兄は、『病弱な幼馴染』に付き添っている」とか「兄は、『病弱な幼馴染』と午後のひとときをすごしている」とか「兄は、『病弱な幼馴染』にいっしょにいてほしいとねだられた」、などなど。


 二回目までは、姉もひきつった笑みで応じた。が、三回目についにキレた。


「どういうことよ? アレックスは、婚約者より『病弱な幼馴染』の大切なわけ? 婚約者より『病弱な幼馴染』を優先するわけ?」


 ド派手で肌の露出の多いドレスをまとう姉の癇癪は、おさまるどころかヒートアップしまくっている。


「では、その旨を兄に聞いてみよう」


 クリスは笑いを噛み殺しつつ提案し、その場はお開きとなった。


 翌日、彼はわが家を訪れて告げた。


「『病弱な幼馴染』は、寝台から離れるどころか起き上がることさえできない。きみはドレスをまとい、屋敷の外に出ることができる。やはり『病弱な幼馴染』を大切にし、ついていてやりたい」


 アレックスは、そう言ったという。


「ちょっと、どういうこと?」


 姉の怒りの向かう先は、もちろんわたし。


「どういうこともこういうことも、アレックス様はずっとこの調子なのです。お姉様。わたしも被害者です。わたしに噛みつくのはお門違いというものですよ」

「とにかく、首に縄をかけてでも連れてきなさい。わたしを見れば、わたしをかまわなきゃと思うはずだから。あっ、そうだわ。それよりも、今度のフェアバーンズ公爵家のあたらしい当主様のお披露目パーティーに乗り込みましょう。アレックス様が主役ですもの。さすがに『病弱な幼馴染』を優先することはないでしょう。それにしても、彼の『病弱な幼馴染』っていったいだれなのかしらね?」


 姉は、「フンッ」と鼻を鳴らしたのであった。


 かくしてパーティー当日を迎えることになった。


 姉はいつでも着用出来るようにと何十着と買い揃えてもらっているドレスの中から、最新流行かつ派手でセクシーなドレスを選んだ。


 フェアバーンズ公爵家は、二軒隣だ。公爵家もその隣の侯爵家もムダに敷地が広い。とはいえ、徒歩で行ける。馬車の準備をしている間に訪れることができる。が、姉は馬車で行くと言い張った。もちろん、両親と兄に異存はない。四人は馬車に乗り、わたしは徒歩で行った。


 フェアバーンズ公爵家には、あたらしい当主の披露パーティーともあって大勢の招待客が訪れていた。それこそ、王族に名を連ねる人もいる。


 先に到着したわたしは、広間の端に立って姉が両親と広間に入って来るのを眺めていた。


「あら? あれってブラックバーン伯爵家のご令嬢?」

「伯爵家のご令嬢は、黒髪に黒い瞳だ」

「その人は妹の方。たしか、姉は病弱で屋敷にひきこもっていると聞いたわ」

「ふーん。美しいが、棘のある美しさだな」

「まさしく美しいバラには棘がある、だな」


 周囲の招待客たちは、初めて見るであろう姉を容赦なく批評している。


「噂では、ブラックバーン伯爵家の妹がフェアバーンズ公爵家の長男と婚約していたらしいけど、姉が奪ったとか」

「その噂、聞いたわよ。姉は病弱なのをいいことに、ワガママ三昧のやりたい放題らしいわ」

「イヤだな、そういうの」

「婚約者を奪うだなんて……。しかも妹の婚約者よ。恥知らずもいいところね」


 酷評だ。


 彼らの話すその噂は、クリスが流したに違いない。


「だけど、フェアバーンズ公爵家の長男ってたしか幼馴染の……」

「おいっ、やめないか!」


 パートナーが言いかけたところに、ライオネル男爵家子息が鋭く注意した。


 わたしが壁の花になっていることに気がついたのだ。


 男爵家子息とそのパートナー。それから、姉のことを散々言っていた人たちが、気まずそうにわたしに会釈してきた。


 気を遣わせてしまった。だから、愛想よく満面の笑みで会釈を返しておいた。


「みなさん」


 そのタイミングでフェアバーンズ公爵家子息たちがやって来た。つまり、アレックスとクリスである。


「よくお越しくださいました」


 クリスは、友好的かつやわらかい笑みでもって招待客たちに愛想を振りまいている。そのうしろで、アレックスはどこか落ち着かないようだ。しきりに時間を気にしている。


「ご招待いただきありがとうございます。それから、おめでとうございます」

「おめでとうございます」


 ついさきほどまで姉をこき下ろしていた人たちは、途端に兄弟二人をチヤホヤし始めた。


 その中心にいるクリスと目が合った。


 彼は、そうとわからぬよう目玉をグルリとまわした。


「あーっ、いたわ」


 病弱なレディとはかけ離れた金切り声とともに、招待客たちをかきわけ姉が突進してきた。そのうしろから、両親と兄もついてきている。


「アレックス様、ご招待ありがとうございます。それから、この度はおめでとうございます。婚約者として鼻が高いですわ。もちろんわたしはアレックス様にふさわしいレディとして、今後もふるまうつもりです」


 姉は、周囲の人をぶっ飛ばす勢いでアレックスに近づいた。それから、あからさまに媚を売った。


「きみは? たしかランの姉だったよね?」


 アレックスは、その姉の勢いにさすがに意識がこの場に戻ってきたらしい。彼は、驚いたように尋ねた。


「きみがわたしの婚約者っていったい……」

「ちょっとどういうことよ? あなた、ちゃんと伝えたの?」


 姉がすごい剣幕で尋ねた相手は、もちろんわたしだ。


「伝わっているはずです。なにせ会えませんので、伝言をお願いしました」

「そういえば、聞いたような気がするな。興味がないからすっかり忘れていたよ。っていうか、抜け落ちていた」

「興味がないですって? わたしは、あなたの婚約者ですよ? 妻になるのですよ? それなのに、興味がないって……」

「彼女、おまえの婚約者じゃないのか?」


 アレックスは姉のクレームをスルーし、弟であるクリスに尋ねた。


「兄上、わたしはとっくの昔に彼女に婚約破棄されました。で、彼女は兄上の婚約者になったわけです」

「面倒だな」


 アレックスは、ひと言で感想を述べた。


「ランは、うるさいことを言わなかった。それどころか、わたしに関心や興味を抱こうともしなかった。その彼女との関係が心地よかったんだ。だが、アビゲイルだっけ? きみは違う。きみのさきほどの言葉で、めちゃくちゃ面倒なレディだということがわかった。きみみたいなレディは苦手だ。というか、好きではない。わたしは『病弱な幼馴染』を優先したいし、彼女とずっといっしょにいたい。婚約者ごときに邪魔をされたくないんだ」

「な、な、なんですって? アレックス様、わたしだって病弱なのです。ずっと寝台の上ですごし、不幸で不遇な人生を送っています。やっとほんとうの婚約者との『真実の愛』を見つけ、未来が見えてきたのです。それなのに、ひどすぎるじゃありませんか」

「きみが病弱? それだけ舌がまわるのならたいしたことのない病だろう? わたしの『病弱な幼馴染』は、きみのようにパーティーに出席出来ない。ペラペラとくだらないことをさえずりもしない。わたしの婚約者でありたいのなら、ランのようにわたしの人生に踏み込まないでほしい。それがイヤなら婚約破棄だ」

「それはイヤです。せっかく公爵夫人になれるチャンスなのですから」


 突如始まった諍いを、クリスとわたしだけでなく周囲の人たちも面白がって見ている。まぁ、両親と兄は困惑かつ当惑しているけれど。


「公爵夫人? きみは、公爵夫人になりたいのか? ああ、なるほど。結局は、わたしではなくその肩書きが欲しいだけなのだね。だとすれば、残念だったね。きみは、弟と婚約破棄をすべきではなかった」

「どういうことですか?」

「簡単なことさ。フェアバーンズ公爵は、弟のクリスが継いだというわけさ」

「なんですって? クリス。あなた、だましたわね? わたしに婚約破棄をされたからといって、意地悪をしたんでしょう?」


 姉は、金切り声をあげた。


 あまりの元気のよさに、病弱はたいそう驚いているだろう。


「だました? 人聞きの悪いことを言うんだね。わたしは、兄が公爵家を継ぐとはひと言も言っていない。アビゲイル、ひとえにきみの早合点だ。というか、勘違いだ」

「クリス、あなたの言い方が悪かったのよ。責任をとりなさい。再婚約をなさい」


 姉は、無茶苦茶すぎる。


「お断りさ。わたしには、すでに婚約者がいるのだから。というか、すぐにでも結婚をするつもりだ」


 クリスは、そう宣言するとわたしの前に立ってわたしに手を差しだした。


「ラン。わたしの愛する婚約者さん、踊ってくれるよね?」


(なんですって? クリス、だましたわね? というか、ちゃんと言わなかったわね?)


 姉同様、金切り声をあげた。もちろん、心の中でだ。


 が、ここで拒否することはできない。クリスに恥をかかせることになるからだ。それだけではない。フェアバーンズ公爵家の家門に泥を塗ることになる。


「よろこんで」


 彼の手を取るしかなかった。自分でも笑顔がひきつりまくっているのがわかった。


「ちょっと待ちなさい。この悪たれ女めっ!」


 クリスの手を取ろうとした視界の隅で、真っ白な手が天井に向けて振り上がったのが見えた。


 姉に平手打ちされる。


 そう直感したときには、瞼を閉じていた。


「いいかげんにしろっ!」


 が、いつまで経っても頬に痛みが走らない。恐る恐る瞼を開けると、姉の手首をクリスが握っている。


「もう二度と、ランからなにも奪わせない。ランにはしあわせになる権利がある。その権利は、わたしが行使する。これ以上、彼女を傷つけるな」

「なによ、もうっ! そんな不吉な女を妻にしたら、フェアバーンズ公爵家は潰れるわよ」

「なんとでもいうがいい。ちなみに、兄の『病弱な幼馴染』とは王女殿下だ。王女殿下は、きみとは違ってほんとうに病弱でほとんど寝たきりだ。兄は、その彼女にずっと寄り添っている。兄は、これまでフェアバーンズ公爵家の嗣子としてランと婚約関係を続けていた。しかし、わたしが公爵家を継ぐことになったので自由になった。国王と王妃殿下もこれまでの兄の王女殿下への献身ぶりについに折れてくれて、ふたりの関係を前向きに考えてくれている。アビゲイル。きみは、これまで自分ではなにもせずに奪うことしかしなかった。が、それだけ元気ならこれからは自分でだれかに尽くすことだ。ラン、行こう」


 クリスは、呆然とするわたしの手をとった。そして、同じく呆然としている姉の横をすり抜けた。


 音楽の演奏が始まった。


「さあ、みなさん。踊りましょう」


 クリスのお父様、つまり前フェアバーンズ公爵が呼びかけると、参加者たちはそれぞれのパートナーと踊り始めた。


「ラン、もう後戻りはできないよ。というか、きみの未来はわたしのものだ」

「まったくもうっ! わたしに拒否する選択肢、というか権利はないのね?」

「そうさ。選択肢も権利もない。いいじゃないか。これからは、夜通しわたしの体験談を聞けるよ」


 クリスは、ラトリッジ王国の情報局でも一番の諜報員であり工作員だった。ラトリッジ王国が平和で豊かな国であることは、彼のけっして知られざる活躍のお蔭なのだ。


 わたしの数々の作品は、彼を題材にしている。


「クリス。あなたにしてやられたわね。だけど、そうね。姉を含めた家族とは、これ以上やってはいけないこともたしか。ひとり暮らしよりかは、あなたの妻をやった方がマシかも」

「ラン。きみは、ほんとうに可愛げがないな。わたしのことが好きだとか、愛しているとか素直に言えないものかね?」

「あー、はいはい。そのうち、気が向いたらね」


 踊りながら、小声で言い合ってしまった。


 口では可愛くないことを言っているが、クリスにたいするほんとうの気持ちは……。


「ラン、口づけをしても? ずっとガマンしていたからね」

「後悔しても知らないわよ? わたしもそのうち病弱になるかも、だから」

「だったら、まさしく『病弱な幼馴染』だろう? わたしたちは幼馴染だからね。だから、オッケーだよ」

「まったくもうっ……」


 言いかけたところに、口をふさがれてしまった。


 クリスのそれによって。


 その後、カゼひとつひかない健康体のわたしは、ふたりの息子とひとり娘を産み育てることになる。


 姉とは違い、病弱とはほど遠かったわけだ。


 ちなみに、病弱な姉は病弱を武器に貴族子息に養ってもらおうとアタックし、ことごとく断られていた。


 ほんとうに懲りない姉、というわけだ。



                                (了)




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