第15話 真ん中で割る丸パン
十一月四日、大祭の正午。今朝も二人で掃き清めた広場を、子どもたちが走り回っていた。
水門を抜けてきた交易船の船乗り、露店の商人、晴れ着の町の子どもたちが敷石を踏み鳴らし、焼いた腸詰めと麦酒の香りが、秋晴れの空に立ちのぼっている。
私は噴水の前に設けられた壇上で、第二聖女の礼装をまとい、神殿長とともに施しの儀礼を執り行っていた。麦の実りに感謝し、祝福の言葉とともに、信徒たちへ小さな塩パンを配る務めだ。
最後の一籠が空になり、広場から歓声と拍手が沸き起こったときだった。
人垣が、ざっと左右に割れた。
歩いてきたのは、背の高い番兵だった。鉄の胸当ての右肩に鮮やかな青い組紐を揺らし、腰の鍵束をじゃらりと鳴らしている。川門の当番を終えたばかりの、デンだった。
その両腕には、広場の老舗のパン屋で焼き上がったばかりの、抱えるほど大きな丸パンが収まっていた。黄金色の皮に十字の切れ目が深く入り、割れ目から白い湯気がもうもうと噴き上がっている。
神殿長が眼鏡の縁を押し上げ、来賓席の門番長が髭を震わせて腰を浮かせた。
「おい、デン。もう交代の時間か。いったい何を抱えとるんだ」
デンの足は止まらなかった。
壇の階段を大股で二段上がり、神官たちの視線も町の人々のざわめきもすべて素通りして、私の目の前でぴたりと立ち止まる。
「神殿長。信徒への施しは、終わりましたね」
よく通る低い声で、デンは言った。
「これは僕が自分の日当で買った、僕らの昼飯です」
広場が静まり返った。
デンは湯気の立つ丸パンを、私の胸元へぐいと突き出した。
「ほら、ユッカ。約束のやつです」
様は、どこにもついていなかった。
神官たちが息を呑み、信徒たちが目を丸くしている。その真ん中で、私の胸の底から、熱いものがいっぺんに込み上げてきた。
もう、幕の陰で分け合わなくていいのだ。
「待たせるじゃないの」
私は白衣の袖をまくり、パンの左側に両手をかけた。
デンが右側を掴む。
焼きたての皮は、掌が火傷しそうなほど熱かった。岩塩の粒と、焦げた小麦の香ばしい匂いが、二人の鼻先を包む。
「言っておくけれど、大きいほうは私が取るわよ」
「半分です。きっちり真ん中で割ります」
「へえ、腕比べね」
「負けませんよ」
二人同時に、腕の力だけで外へ引いた。
バリリ、と皮の弾ける豪快な音が、広場に響き渡った。
湯気が顔にかかる。私のほうが、ほんの少し大きかった。デンはたぶん、引く寸前に片手をゆるめた。塩パンの夜と同じだ。
「そこ、いちばんよく焼けたとこですよ」
「知ってるわよ」
角の香ばしい皮を親指の先ほど折りとって、彼の口に放り込んでやった。来賓席の門番長が、ちょうど麦酒を飲もうとして、あらぬほうを向いた。
デンは湯気の立つ半分を抱えたまま、私の目をまっすぐに見た。
「ユッカ」
「何よ」
「僕の隣を、選んでください」
言ったくせに、口の中ではまだ皮を噛んでいる。いったい何度練習してきた台詞なのかと思うと、笑うより先に、私は頷いていた。
熱いパンを胸に抱きしめて、壇の上から一歩、彼のほうへ踏み出す。
「当たり前でしょう。誰がほかの男に、こんな不格好なパンを割らせるものですか」
しんとしていた広場で、最初に声を上げたのは、人垣の前のほうにいた船宿の主人だった。
「よく言った、川門の兄ちゃん!」
それを合図に、指笛と歓声が、あちこちから弾けた。露店の親父が鍋を叩き、子どもたちがわけも分からずに跳びはねている。
神殿長が、わざとらしく咳払いをした。
「第二聖女の誓いに、独り身の定めはない。昼飯くらい、好きに食べなさい」
それから、小さく付け加える。
「ただし、供物には手を出さんように」
広場がどっと沸いた。耳まで赤くなったデンの隣で、私も笑い転げた。
大祭の夜の祈りは、当番を替わってもらって、私が引き受けた。子の刻には広場の店もすっかり閉まり、屋根を撫でる川風の音が戻ってきた。
祈祷台から立ち上がり、銀鈴を一度だけ鳴らす。
ちりん、と澄んだ音が天井に吸い込まれた。
鈴がやんでも、川門の敷石には三十呼吸ぶんの灯りが残る。今夜は目を閉じるまでもなかった。あの青い石の縁を、靴の裏が覚えている。
六日に一度、二人の休みが重なる。その昼は、欠け石の先の茶房で会うことに決めた。三日に一度の私の祈祷明けで、デンが持ち場を上がれる夜は、西の木戸で。
三十を数え終えるのと同時に、木戸から音が届いた。
ト、ト・トン。
私は迷わず歩み寄って、閂を外した。
川風と一緒に、デンが入ってくる。
今夜は胸当てを外した身軽な格好で、上着の右肩に青い組紐だけを誇らしげに留めていた。手には清潔な小皿。
載っているのは、大祭の朝に神殿長が封を切った、あの赤紐の壺の蜜漬けだった。祭りの夕餉の自分の分から、干し無花果を二粒、取っておいたのだという。
「夜回りですか、デン番兵」
腕を組んで尋ねると、デンは悪びれもせず、いたずらっぽく眉を上げた。
「聖女の夜食、つまみに来ました」
「お供えに不純物が混ざっていないか、点検する気かしら」
「ええ。二人で確かめないと、毒見になりませんから」
デンが皿を差し出す。私は迷わず、太ったほうの一粒に指を伸ばした。
同じ一粒を、デンの指もつまんでいた。
「二粒あるのに」
「あんたが取るほうが、うまそうに見えるんですよ」
ぷつり、と無花果が真ん中で割れた。
垂れた蜜を受けようとして、今度は二人の掌がぶつかった。顔を見合わせて、声を殺して笑う。
「次の祈祷番の夜も、つまみに来ますから」
「お供えの皿、二人分にしておくわ」
もしまた誰かに問いただされたら、今度は声を揃えて答えればいい。
つまんだのは、私たちです、と。
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