第二十五話 あきらと直感
「あきら」
えるまは、あきらへ向き直った。
「もう一回、感じてみてほしい」
「が、頑張ります」
あきらは両手を胸の前で握りしめると、目を閉じた。しばらく、風の音だけが辺りを満たす。
「……あっちです」
あきらが指したのは、今しがた登ってきた方向とは、また少し逸れた斜面だった。えるまはその方角へ目を凝らす。木々に紛れて、それらしい気配は見えない。だが、あきらの声には、先ほどまでのような迷いがなかった。
「確信、ある?」
「はい……なんか、こっちの方が、強いです。気持ち悪さの度合いが違うっていうか」
えるまはしばらく考えた。音叉で一つ一つ確かめていけば、確実だろう。だが、それでは時間がかかりすぎる。日が傾き始めている今、悠長なことはしていられない。
(賭けてみる価値は、ある)
「行こう」
えるまは短く言うと、あきらの示した方角へ足を向けた。久米は一瞬、口を開きかけたが、何も言わずについてくる。
◇
斜面を登り切ると、小さな沢のほとりに出た。
苔むした岩が転がり、水音だけが静かに響いている。
えるまの足が、また止まった。今度は、先ほどとは明らかに違う感触があった。肌を刺すような重み。単なる違和感ではない、はっきりとした脈動。
「……これは」
沢の奥、大きな岩の隙間から漏れ出す細い水の流れ。その水面が、不自然に波打っていた。風もないのに、輪が幾重にも広がっていく。
「あきら」
「はい、これです。さっきのとぜんぜん違います。もんもんぐんぐんって、ちゃんと」
あきらの声に、確信が滲んでいた。えるまは音叉を取り出すと、水面に向かって歩を進める。
近づくにつれ、脈動が強くなる。もんもんぐんぐん、という表現が、えるま自身の感覚とも重なっていく。長い年月、誰にも触れられず、ただ淀み続けていた律の澱。今度こそ、本物だ。
えるまは音叉を軽く鳴らした。
――キィン。
澄んだ音が沢に響き渡ると、水面の波紋が一瞬、大きく乱れた。まるで嫌がるように、脈動が跳ね上がる。さきほどの偽物とは、比べものにならない反応だった。
(聴く)
相手の律は複雑ではない。ただ古く、頑固に凝り固まっているだけだ。えるまは目を閉じ、その単調なリズムを読み取っていく。
(合わせる)
音叉をもう一度鳴らす。狂った脈動に、わざと同調させるように。
水面の波紋が、音叉の律にわずかに引き寄せられていく。
(ずらして壊す)
えるまは息を止めると、周波数を鋭くずらした。
――キィィン。
澄んだ不協和音が沢に満ちる。水面の波紋が激しく乱れ、やがて、糸が切れるようにふっと静まった。
静寂が戻る。水音だけが、何事もなかったかのように岩の間を流れていく。
「終わった、と思う」
えるまは音叉をしまうと、岩の隙間に手を伸ばした。手袋越しに触れたそこには、黒ずんだ小さな石が埋まっていた。三つ目に触れたときと同じ、モノクロの異物感。
小箱を取り出し、蓋を開ける。文字の刻まれた箱の中へ、石をそっと収める。
「……残り3つ」
小さく呟くと、蓋を閉じた。肩の力が抜けていく。
「や、やった……当たったんですね、私の勘」
あきらが駆け寄ってくる。その声は誇らしげでありながら、どこか自分でも半信半疑なような響きを残していた。
「うん。助かった」
えるまは短く、しかしはっきりと言った。世辞ではない。音叉だけで一つ一つ確かめていたら、日没までに見つけられたかどうかも怪しかった。
久米は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「あきらの感じた場所が、そのまま本物だった、ってことよね」
「うん」
「偶然、じゃなさそう」
久米の声には、これまでとは違う重みがあった。えるまは頷く。
「たぶん、要石そのものの歪みに、反応してる。周りに仕込まれた偽物には、あまり強く反応しなかった」
それが何を意味するのか、正確なところはまだわからない。だが、少なくとも「怪奇ネットワークの伝手で情報を持ち込む部外者」という括りだけでは、もう説明がつかなくなりつつあった。
「怪我はない、二人とも?」
「ないです!」
「うん」
えるまは小箱をリュックにしまうと、軽く伸びをした。空腹を覚え、リュックからサンドイッチの残りを取り出す。
「食べる?」
「あ、いただきます!」
あきらが嬉しそうに手を伸ばした。三人は沢のほとりに腰を下ろし、しばしの休息を取る。
えるまは、リュックの中の小箱に軽く触れた。
(師匠に、繋がる何かが、あるかもしれない)
石そのものよりも、その奥に眠るかもしれない手がかりのことを、えるまは考えていた。
下山の途中、この石をもう一度、じっくり検めてみよう。
三人は荷物をまとめると、来た道を戻り始めた。木々の間から差し込む光が、少しずつ傾き始めていた。




