明日を越える-Our Own Tomorrow-
JANUS
正式名称「Joint Anticipatory Neural Utility System」
古代ローマの門と始まりを司る二面神、その名を与えられた国家社会予測電子頭脳。
西暦2068年、国家統合計画都市・常盤〈トキワ〉の夕刻は、人工湖の水面から色を失い始めていた。
白い高層棟は高さも間隔も揃い、遊歩道には同じ樹高の街路樹が並ぶ。
無人軌道車は一定の速度で滑り、歩く人間まで模型の部品めいて見えた。
都市開発の完成予想模型を実物大にしたような街だった。
トキワは安全で、清潔で、よく働いていた。
そう、人間よりも勤勉に。
国家生存基盤公社・中央基幹制御センターは、人工湖西岸の白い高層棟にあった。
上層の第三系統監視室では、主任技術者・久世直哉が窓際の主任席に、監視技術員の佐伯が一席離れた席にいた。
久世は机に埋め込まれた制御表示盤から、三つの系統名が消えるのを見た。
「主任……主任の保全レベルが変更されています」
「こっちでも見えてる」
入口の認証灯が青に変わり、自動ドアが音もなく開いた。
濃紺のスーツ姿の女が公用端末を手にして入って来た。
「社会継続庁予測保全局、主任保全官の水城透子です」
透子は佐伯へ身分証を示した。
「久世直哉主任に予測保全通告があります。対象者以外は退室してください」
「主任に問題はありません。3日前の系統異常だって、主任が最初に――」
「いいんだ佐伯」
久世が遮った。
「大丈夫。外してくれ」
佐伯は久世を見た。
「……何かあったら呼んでください」
「ああ」
ドアが閉じ、二人だけになった。
「久しぶりだな、水城」
「本人確認をします」
透子は久世の向かいに座り、公用端末を開いた。
「久世直哉、43歳」
「じゃあ、君は35歳か」
「そういうところ」
「何が」
「あなたの悪いところ」
「これは失礼」
「まったく……国家生存基盤公社、中央基幹制御センター主任技術者、社会登録番号」
「180924609。これで確認は」
「取れました」
透子が公用端末を表示盤の認証部へかざすと、通知ウィンドウが開いた。
《生命活動終了予定 明日18:40》
《予測確度 99.87%》
久世は数字を見た。
「ほう、ずいぶん正確に死ぬんだな」
「ジェイナスの計算結果よ」
「さすが、国家社会予測電子頭脳なんて大層な名前をしてるだけあって、人が死ぬ時刻まで分かるのか」
「死亡予測値が保全基準を超えたから、予備保全措置が始まったのよ」
透子は公用端末を操作し、表示盤に処置一覧を出した。
「まず基幹設備への接触制限。続いて移動制限と職務資格の一時凍結」
「まだ死んでないんだがな」
「だから止めるのよ。予測された死因から遠ざけるために」
「拘束はしないのか?」
「保全措置だもの。刑事処分じゃないわ」
「言葉ってのは便利だね」
透子は表示盤上に予測情報の詳細を開いた。
事故、疾病、犯罪被害、自死。
本来あるはずの死亡原因コードがない。
《生命活動終了》
あるのは、その1行だけだった。
「ちょっと待って……何これ」
「どうした?」
「死亡原因がないわ」
「そんなことあるのか」
「……こんなの初めてよ」
今度は職務上の声ではなかった。
「さっき佐伯さんが言いかけた3日前の系統異常って?」
「基幹制御系統に正規経路でない信号を見つけた」
「発信元は特定できたの?」
「いや。かなり調べたが結局、追い切れなかった」
久世は内部監査への報告記録を表示した。
「報告した3日後に死亡予測。これが偶然だと思うか?」
「それだけじゃ断定できないわ」
「出来すぎだよ」
「ジェイナスを疑っているの?」
「予測のことじゃない。使い方の話だ」
透子は眉を寄せた。
「予測保全で救われた人が何人いると思ってるの」
「そんなことは分かってる」
「事故や自殺、テロは減ったわ。医療、電力、治安を一定水準で保証できるのは、今や世界でも計画都市群くらいなのよ」
窓の外も予定値の内側だった。
「未来を予測するのと、未来を決めるのは違う」
「でも、生きていなければ未来を選ぶこと自体できない」
「昔も同じことを言ってたな」
「昔の話をするために来たんじゃない」
透子は久世の記録へ視線を戻した。
「20年前の反体制活動歴も残っているわ」
「俺は社会復帰したつもりでいたんだがな」
「あなたの継続価値が高かったから基幹職へ戻されたの」
「まだ使い物になるからか」
透子は答えず、主任保全官用の追加認証を行った。
表示盤にジェイナスが算出した未来分岐が展開された。
勤務継続、配置転換、資格停止、旧域移住、死亡。
「ジェイナスの未来予測は1つじゃないのか」
「分岐そのものは通常案件にもあるわ」
透子は社会効用値を確認した。
「……でも、これはおかしい」
「どうおかしいんだ?」
「死亡が最適解じゃないの」
勤務継続も配置転換も、致命的な損失はない。
死亡分岐だけに、透子の知らない表示が付いていた。
《採択済》
「……採択済?」
「ジェイナスの採択、という意味か」
「待って」
透子は表示盤上に演算履歴を開いた。
「違うわ」
「何が?」
「ジェイナスが出したのは複数の未来と損失率だけ。採択処理は演算終了後に外部から追加されてる」
「ひょっとして、3日前の異常信号はこいつか」
「経路までは分からない。でも正規の行政系統じゃないわ」
透子の指が止まった。
「私の権限体系には、こんな承認階層はない」
「中央政府の指示じゃないというのか?」
「少なくとも、私たちに開示されている政府権限じゃないわ」
透子は表示盤上に採択後の変更履歴を開いた。
《18:30 地下第三区画 緊急点検》
《18:40 同区画 不活性ガス放出試験》
透子の顔色が変わった。
「何これ……こんなのあり得ない」
「どうした?」
「有人点検中に放出試験はできないわ。安全管理系が排他するもの」
久世は予定を拡大した。
「俺だけ排他対象から外されてる」
「……順番が逆だわ」
透子は採択時刻と勤務表の更新時刻を見比べた。
「18:40にあなたが死ぬ未来を先に選んで、その後で予定を合わせてるのよ」
点検もガス放出も、正規の手続きを踏んでいる。
だが二つを重ねれば、久世だけがガスの満ちる区画へ残される。
「これは事故を予測したんじゃない」
透子の声が低くなった。
「事故に偽装した暗殺よ」
透子は直属管理官を呼び出した。
「ジェイナスに採択処理を行える承認階層をご存じですか?」
『いや、私は知らないな』
管理官は即答した。
「久世直哉には死亡原因コードがなく、死亡分岐も最適解ではありません」
『水城主任、我々の任務は予測生成過程の監査ではない』
「誰かが外部から、人間の未来を採択しています」
一拍の沈黙があった。
『それ以上は君の権限外だ。対象者の保全を継続したまえ』
通信が切れた。
「残念、電子頭脳じゃなかったな」
久世が言った。
「……私たちも、すべてジェイナスの決定だと説明されていたの」
透子は暗くなった公用端末を見つめ、しばらく黙った。
やがて職務上の声に戻った。
「規定通り、あなたを保全施設へ移送します」
「俺は行かない」
「あそこなら明日の点検に参加しなくて済むわ」
「保全施設で別の死に方をするだけさ」
「直哉」
透子が初めて名前で呼んだ。
「この一件のログを外へ持ち出す」
「そんなことをしたら、本当に危険対象になる」
「もう危険対象だよ。現に明日、俺は死ぬ」
「なら、まず生きて!」
透子は椅子を押して立ち、表示盤を回り込んで久世の前まで来た。
「君はまた、俺の代わりに決めるのか。俺の人生を」
透子の足が止まった。
透子は席へ戻り、公用端末を操作した。
《再予測猶予 30:00》
《対象者行動 再予測中》
《移動制限 一時停止》
表示盤の99.87が、ゆっくり下がり始めた。
「私の権限で稼げる時間は30分よ。その先は分からない」
久世は監査ログを保守用記憶媒体へ複製し、椅子の背から上着を取って立った。
「旧域でも送れる?」
透子が訊いた。
「公社網の外へ出れば、世界中に流せる」
二人は第三系統監視室を出た。
久世は閉じたドアを振り返った。
「佐伯には悪いことをしたな」
「あなたを庇ったから?」
「だから巻き込みたくなかった」
透子が同行するかぎり、久世は主任保全官監督下の再評価対象者となり、二人を止める者はいない。
白い吹き抜けを降り、二人は中央基幹制御センターを後にした。
人工湖沿いの遊歩道へ出ると、集合棟には同じ間隔で明かりが灯り、街路樹は夜になっても輪郭を崩さず、無人軌道車が鉄道模型のレールをなぞるように橋を渡った。
歩く市民さえ、模型の人形のように見えた。
「綺麗な街だよな」
「嫌いだったくせに」
「今も嫌いさ。完成予想図の中にいるみたいじゃないか」
二人は駅へ向かわず、湖岸外周の保守ステーションへ入った。
透子が公用端末で第一ゲートを開き、久世はまだ失効していない保守資格で旧域へ延びるサービス軌道を起動した。
小型保守ポッドの先で、トキワの均一な照明が途切れていた。
その向こうには、補修の止まった旧道、不揃いな建物、まばらな街灯が闇へ続いている。
国家はそこを放棄地域とは呼ばず、移行地域と呼んだ。
病院も公共交通も治安も、トキワと同じ水準では保証されない。
「……私も行っていい?」
透子が久世を見た。
「それを決めるのは君だ、透子」
透子は数秒だけ久世を見返し、自分でポッドへ乗り込んだ。
久世も隣の席に滑り込み、ハッチを閉めた。
ポッドが外周軌道へ出ると、トキワの全景がゆっくり遠ざかった。
白い建物、人工湖、均等な緑地、光る無人軌道。
離れて見るほど、それは都市ではなく巨大なミニチュア模型に見えた。
模型の縁の先には、形も明かりも不揃いな旧域が広がっている。
透子の公用端末が震えた。
《水城透子――予測保全対象再評価中》
透子は表示を消すと公用端末を足元に放り出し、久世の腕を取って頭を彼の肩へ預けた。
旧域が自由な場所なのか、ただ見捨てられた場所なのか、二人にはまだ分からない。
それでも二人は、誰にも選ばれていない明日を越える。




