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明日を越える-Our Own Tomorrow-

作者: 末長敬司
掲載日:2026/08/21

挿絵(By みてみん)


 JANUSジェイナス

 正式名称「Joint Anticipatory Neural Utility System」

 古代ローマの門と始まりを(つかさど)二面神(にめんしん)、その名を与えられた国家社会予測電子頭脳こっかしゃかいよそくでんしずのう


 西暦2068年、国家統合計画都市こっかとうごうけいかくとし・常盤〈トキワ〉の夕刻は、人工湖(じんこうこ)の水面から色を失い始めていた。

 白い高層棟(こうそうとう)は高さも間隔(かんかく)(そろ)い、遊歩道には同じ樹高(じゅこう)街路樹(がいろじゅ)が並ぶ。

 無人軌道車(むじんきどうしゃ)は一定の速度で滑り、歩く人間まで模型の部品めいて見えた。

 都市開発の完成予想模型を実物大にしたような街だった。

 トキワは安全で、清潔で、よく働いていた。

 そう、人間よりも勤勉に。


 国家生存基盤公社こっかせいぞうんきばんこうしゃ中央基幹制御ちゅうおうきかんせいぎょセンターは、人工湖西岸(じんこうこせいがん)の白い高層棟(こうそうとう)にあった。

 上層の第三系統監視室だいさんけいとうかんししつでは、主任技術者・久世直哉(くぜなおや)窓際(まどぎわ)の主任席に、監視技術員(かんしぎじゅついん)佐伯(さえき)一席(ひとせき)離れた席にいた。

 久世(くぜ)は机に埋め込まれた制御表示盤(せいぎょひょうじばん)から、三つの系統名が消えるのを見た。

「主任……主任の保全レベルが変更されています」

「こっちでも見えてる」

 入口の認証灯(にんしょうとう)が青に変わり、自動ドアが音もなく開いた。

 濃紺のスーツ姿の女が公用端末を手にして入って来た。

社会継続庁予測保全局しゃかいけいぞくちょうよそくほぜんきょく主任保全官(しゅにんほぜんかん)水城透子(みずきとうこ)です」

 透子(とうこ)佐伯(さえき)へ身分証を示した。

久世直哉(くぜなおや)主任に予測保全通告(よそくほぜんつうこく)があります。対象者以外は退室してください」

「主任に問題はありません。3日前の系統異常だって、主任が最初に――」

「いいんだ佐伯(さえき)

 久世(くぜ)が遮った。

「大丈夫。外してくれ」

 佐伯(さえき)久世(くぜ)を見た。

「……何かあったら呼んでください」

「ああ」

 ドアが閉じ、二人だけになった。


「久しぶりだな、水城(みずき)

「本人確認をします」

 透子(とうこ)久世(くぜ)の向かいに座り、公用端末を開いた。

久世直哉(くぜなおや)、43歳」

「じゃあ、君は35歳か」

「そういうところ」

「何が」

「あなたの悪いところ」

「これは失礼」

「まったく……国家生存基盤公社こっかせいぞうんきばんこうしゃ中央基幹制御ちゅうおうきかんせいぎょセンター主任技術者、社会登録番号」

「180924609。これで確認は」

「取れました」

 透子(とうこ)が公用端末を表示盤の認証部へかざすと、通知ウィンドウが開いた。


《生命活動終了予定 明日18:40》

《予測確度 99.87%》


 久世(くぜ)は数字を見た。

「ほう、ずいぶん正確に死ぬんだな」

「ジェイナスの計算結果よ」

「さすが、国家社会予測電子頭脳こっかしゃかいよそくでんしずのうなんて大層(たいそう)な名前をしてるだけあって、人が死ぬ時刻まで分かるのか」

「死亡予測値が保全基準を超えたから、予備保全措置(よびほぜんそち)が始まったのよ」

 透子(とうこ)は公用端末を操作し、表示盤に処置一覧を出した。

「まず基幹設備への接触制限。続いて移動制限と職務資格の一時凍結」

「まだ死んでないんだがな」

「だから止めるのよ。予測された死因から遠ざけるために」

「拘束はしないのか?」

保全措置(ほぜんそち)だもの。刑事処分じゃないわ」

「言葉ってのは便利だね」

 透子(とうこ)は表示盤上に予測情報の詳細を開いた。

 事故、疾病(しっぺい)、犯罪被害、自死。

 本来あるはずの死亡原因コードがない。

《生命活動終了》

 あるのは、その1行だけだった。

「ちょっと待って……何これ」

「どうした?」

「死亡原因がないわ」

「そんなことあるのか」

「……こんなの初めてよ」

 今度は職務上の声ではなかった。


「さっき佐伯(さえき)さんが言いかけた3日前の系統異常って?」

基幹制御系統きかんせいぎょけいとうに正規経路でない信号を見つけた」

「発信元は特定できたの?」

「いや。かなり調べたが結局、追い切れなかった」

 久世(くぜ)は内部監査への報告記録を表示した。

「報告した3日後に死亡予測。これが偶然だと思うか?」

「それだけじゃ断定できないわ」

「出来すぎだよ」

「ジェイナスを疑っているの?」

「予測のことじゃない。使い方の話だ」

 透子(とうこ)は眉を寄せた。

予測保全(よそくほぜん)で救われた人が何人いると思ってるの」

「そんなことは分かってる」

「事故や自殺、テロは減ったわ。医療、電力、治安を一定水準で保証できるのは、今や世界でも計画都市群くらいなのよ」

 窓の外も予定値の内側だった。

「未来を予測するのと、未来を決めるのは違う」

「でも、生きていなければ未来を選ぶこと自体できない」

「昔も同じことを言ってたな」

「昔の話をするために来たんじゃない」

 透子(とうこ)久世(くぜ)の記録へ視線を戻した。

「20年前の反体制活動歴も残っているわ」

「俺は社会復帰したつもりでいたんだがな」

「あなたの継続価値が高かったから基幹職(きかんしょく)へ戻されたの」

「まだ使い物になるからか」

 透子(とうこ)は答えず、主任保全官(しゅにんほぜんかん)用の追加認証を行った。


 表示盤にジェイナスが算出した未来分岐(ぶんき)が展開された。

 勤務継続、配置転換、資格停止、旧域(きゅういき)移住、死亡。

「ジェイナスの未来予測は1つじゃないのか」

分岐(ぶんき)そのものは通常案件にもあるわ」

 透子(とうこ)は社会効用値を確認した。

「……でも、これはおかしい」

「どうおかしいんだ?」

「死亡が最適解(さいてきかい)じゃないの」

 勤務継続も配置転換も、致命的な損失はない。

 死亡分岐(ぶんき)だけに、透子(とうこ)の知らない表示が付いていた。

採択済(さいたくずみ)

「……採択済(さいたくずみ)?」

「ジェイナスの採択(さいたく)、という意味か」

「待って」

 透子(とうこ)は表示盤上に演算履歴(りれき)を開いた。

「違うわ」

「何が?」

「ジェイナスが出したのは複数の未来と損失率だけ。採択(さいたく)処理は演算終了後に外部から追加されてる」

「ひょっとして、3日前の異常信号はこいつか」

「経路までは分からない。でも正規の行政系統じゃないわ」

 透子(とうこ)の指が止まった。

「私の権限体系には、こんな承認階層はない」

「中央政府の指示じゃないというのか?」

「少なくとも、私たちに開示されている政府権限じゃないわ」

 透子(とうこ)は表示盤上に採択(さいたく)後の変更履歴(りれき)を開いた。


《18:30 地下第三区画 緊急点検》

《18:40 同区画 不活性ガス放出試験》


 透子(とうこ)の顔色が変わった。

「何これ……こんなのあり得ない」

「どうした?」

「有人点検中に放出試験はできないわ。安全管理系が排他(はいた)するもの」

 久世(くぜ)は予定を拡大した。

「俺だけ排他(はいた)対象から外されてる」

「……順番が逆だわ」

 透子(とうこ)は採択時刻と勤務表の更新時刻を見比べた。

「18:40にあなたが死ぬ未来を先に選んで、その後で予定を合わせてるのよ」

 点検もガス放出も、正規の手続きを踏んでいる。

 だが二つを重ねれば、久世(くぜ)だけがガスの満ちる区画へ残される。

「これは事故を予測したんじゃない」

 透子(とうこ)の声が低くなった。

「事故に偽装した暗殺よ」


 透子(とうこ)は直属管理官を呼び出した。

「ジェイナスに採択(さいたく)処理を行える承認階層をご存じですか?」

『いや、私は知らないな』

 管理官は即答した。

久世直哉(くぜなおや)には死亡原因コードがなく、死亡分岐(ぶんき)最適解(さいてきかい)ではありません」

水城(みずき)主任、我々の任務は予測生成過程の監査ではない』

「誰かが外部から、人間の未来を採択(さいたく)しています」

 一拍の沈黙があった。

『それ以上は君の権限外だ。対象者の保全を継続したまえ』

 通信が切れた。

「残念、電子頭脳じゃなかったな」

 久世(くぜ)が言った。

「……私たちも、すべてジェイナスの決定だと説明されていたの」

 透子(とうこ)は暗くなった公用端末を見つめ、しばらく黙った。

 やがて職務上の声に戻った。


「規定通り、あなたを保全施設へ移送します」

「俺は行かない」

「あそこなら明日の点検に参加しなくて済むわ」

「保全施設で別の死に方をするだけさ」

直哉(なおや)

 透子(とうこ)が初めて名前で呼んだ。

「この一件のログを外へ持ち出す」

「そんなことをしたら、本当に危険対象になる」

「もう危険対象だよ。現に明日、俺は死ぬ」

「なら、まず生きて!」

 透子(とうこ)は椅子を押して立ち、表示盤を回り込んで久世(くぜ)の前まで来た。

「君はまた、俺の代わりに決めるのか。俺の人生を」

 透子(とうこ)の足が止まった。


 透子(とうこ)は席へ戻り、公用端末を操作した。


《再予測猶予 30:00》

《対象者行動 再予測中》

《移動制限 一時停止》


 表示盤の99.87が、ゆっくり下がり始めた。

「私の権限で稼げる時間は30分よ。その先は分からない」

 久世(くぜ)は監査ログを保守用記憶媒体へ複製し、椅子の背から上着を取って立った。

旧域(きゅういき)でも送れる?」

 透子(とうこ)が訊いた。

「公社(もう)の外へ出れば、世界中に流せる」


 二人は第三系統監視室だいさんけいとうかんししつを出た。

 久世(くぜ)は閉じたドアを振り返った。

佐伯(さえき)には悪いことをしたな」

「あなたを(かば)ったから?」

「だから巻き込みたくなかった」

 透子(とうこ)が同行するかぎり、久世(くぜ)は主任保全官監督下の再評価対象者となり、二人を止める者はいない。

 白い吹き抜けを降り、二人は中央基幹制御ちゅうおうきかんせいぎょセンターを後にした。

 人工湖(じんこうこ)沿いの遊歩道へ出ると、集合棟には同じ間隔(かんかく)で明かりが(とも)り、街路樹(がいろじゅ)は夜になっても輪郭(りんかく)を崩さず、無人軌道車(むじんきどうしゃ)が鉄道模型のレールをなぞるように橋を渡った。

 歩く市民さえ、模型の人形のように見えた。

「綺麗な街だよな」

「嫌いだったくせに」

「今も嫌いさ。完成予想図の中にいるみたいじゃないか」


 二人は駅へ向かわず、湖岸(こがん)外周の保守ステーションへ入った。

 透子(とうこ)が公用端末で第一ゲートを開き、久世(くぜ)はまだ失効していない保守資格で旧域(きゅういき)へ延びるサービス軌道を起動した。

 小型保守ポッドの先で、トキワの均一(きんいつ)な照明が途切れていた。

 その向こうには、補修の止まった旧道、不揃いな建物、まばらな街灯が闇へ続いている。

 国家はそこを放棄地域とは呼ばず、移行地域と呼んだ。

 病院も公共交通も治安も、トキワと同じ水準では保証されない。


「……私も行っていい?」

 透子(とうこ)久世(くぜ)を見た。

「それを決めるのは君だ、透子(とうこ)

 透子(とうこ)は数秒だけ久世(くぜ)を見返し、自分でポッドへ乗り込んだ。

 久世(くぜ)も隣の席に滑り込み、ハッチを閉めた。


 ポッドが外周軌道へ出ると、トキワの全景がゆっくり遠ざかった。

 白い建物、人工湖、均等な緑地、光る無人軌道。

 離れて見るほど、それは都市ではなく巨大なミニチュア模型に見えた。

 模型の縁の先には、形も明かりも不揃いな旧域(きゅういき)が広がっている。

 透子(とうこ)の公用端末が震えた。

水城透子(みずきとうこ)――予測保全対象再評価中》

 透子(とうこ)は表示を消すと公用端末を足元に放り出し、久世(くぜ)の腕を取って頭を彼の肩へ預けた。


 旧域(きゅういき)が自由な場所なのか、ただ見捨てられた場所なのか、二人にはまだ分からない。


 それでも二人は、誰にも選ばれていない明日(あす)()える。

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