第四章第六話「嫉心」
エルフ族。美しい容姿と人並み外れた魔力適性をもつとされる、今やおとぎ話のような存在だ。
「今の、どうやって……」
「何でお前に教えてやらないといけないんだよ」
眉を顰めたニケは、フードを被り直して斧を背中のベルトに戻した。呼吸ひとつ乱すことなく、イリアに構わずリズの方に視線を向ける。
「何体か逃した。しばらくは出てこねーだろうから、近くの集落に行くぞ」
「あのさ。最初から巣だけを潰してたら、もっと早く終わってたんじゃない?」
ごもっともな意見だ。確かにニケの力は凄まじかったが、逃げ延びた魔獣たちは今後きっと警戒する。そうなれば、再び見つけ出すことはかなり難しくなってしまう。
それに、こんなふうに身を危険に晒していては、身体がいくつあっても足りないというものだ。ニケは慣れているのかもしれないが、自分たちまで巻き込まれるとなると話は変わってくる。
「頭のいい魔獣は、そう簡単に見つかるような巣なんかにまとまってねえよ。いちいち探してたら数ヶ月はかかる。北部はそういう場所だ」
そう吐き捨てて、ニケは歩き始めた。不満はあっても、それを口に出せばさらに時間が押してしまう。この場は、頑固なニケに付き従うしかなかった。
ニケの背中を追っていくと、高い木製の塀に囲まれた小さな集落にたどり着いた。門番らしき人が、すっと避けてイリアたちを通してくれる。
本当に、小さな集落だ。気候的な問題もあって、北部は狩猟が盛んな一方、農業がほとんど発展していない。だからこそ、魔獣が森をうろついている事態は死活問題なのだ。
王都のある中央とは違い、生活に余裕のある人は少ないように見えた。しかしながら、人々が助け合いながら、声を掛け合って生活しているのは新鮮だ。焚き火に使うらしき材木を分け合っている姿を、イリアはじっと見つめた。そんな光景を見て、心が和らいでいく。
宿屋に入って、ニケが店主の前で足を止める。
「勇者様、お待ちしておりました。お部屋にご案内いたしますね」
勇者。そのように形容されるものが、ニケにはあるのだろうか。店主に連れられるがままに歩いていくと、彼は二つの鍵をニケに手渡した。
「一部屋足りねえけど」
「魔法省から送られてきた手紙には、確かに二人分のお部屋をと……」
「ちっ、これだから魔法省は。ケチりやがって」
ニケは、鋭い視線をイリアに向けてついてくるように促す。ためらっていると、腕を無理やり取って引っ張ってきた。
「俺とお前で一部屋だろ」
ニケは鍵を一つリズに放り投げると、イリアをじっと見つめる。なんだ、そんなことか。最初からそう言ってくれれば、身構える必要もなかったものを。ニケであれば、イリアをいなかったことにしかねないこともあって、変に緊張してしまった。
「またあとでね」
リズに手を振り返して、イリアは大人しくニケと二人で部屋に入った。部屋自体はそこまで広くないが、二段ベッドがあるおかげでなんとかなりそうだ。
斧を壁に立てかけ、ローブを脱ぐと、ニケは椅子に腰掛けた。そのまま目を瞑り、小さくため息をつく。話しかけてくるような様子はないが、なぜだか落ち着かない。
「お前さ、リズのこと好きなの?」
「えっ」
突然の質問に、思わずそんな間抜けな声が出てしまった。
「何だよ。別に、深い意味はねえよ。一応言っとくけど、リズにとってお前はある意味特別で、ある意味俺たちと何ら変わらない。あんま、あいつに期待しないほうがいい」
ニケの意図は分からないが、その言葉には今までのような皮肉めいた響きが全くない。
「何で、そう思うの?」
「リズがお前に求めてることは、あいつのためにも、お前のためにもならないことだからだ」
金色の瞳が、こちらの内心を見透かそうとするかのように、じっとイリアを見つめてくる。
「俺たちは、いつ死んでもおかしくねえからな。仲良くするだけ、嫌なことが増える」
その言葉には、生々しい説得力があった。
「ま、俺にはどうでもいいけど」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃねえし」
眉を吊り上げたニケは、イリアから少し視線を逸らした。合わないところはあるが、最初の印象よりはマシになってきている。話が通じないわけではなさそうだ。
「お前は、自分にできることでもしておけ。俺はまだ魔力が回復してねえから、しばらく休む」
「うん」
ニケを置いて、部屋からそっと出る。宿屋から出ると、やはり外はかなり肌寒かった。痩せた土壌に、乾いた冷たい空気。狩猟が盛んとはいえど、いつか限界は来る。そのときに、どう備えるか。任務外ではあるものの、考えずにはいられない。
「あの。北部では、狩猟以外のことはしないんですか?」
外で雪かきをしていた男性に声をかけると、彼は目を丸くして首を傾げた。
「……北部では、それしかできねえからな。俺は気にしないけど、そういう質問はやめといた方がいいぜ。北部の人間は、自分たちの生き方に誇りをもってんだ。堅苦しいやつが多いんだよ」
「……そうですか」
──誇り。
オルレ村では、どうだっただろうか。魔法に関する誇りはそれこそ全員が持っていたものの、手間をかける必要があることにそこまでやりがいを感じていたようには思えない。
仮にここで育っていたとしたら、イリアは魔法に執われることもなかったのかもしれない。努力でどうにもならない現実を苦しく思うことも、誰かを妬むことも、なかったのかもしれない。
そんなありえない可能性を想像したところで、どうにもならないことは分かっている。
「何やってるの?」
振り返ると、リズが寒そうに手に息を吹きかけながらこちらを見つめていた。
「北部がどんな場所なのか、ちゃんと見ておこうと思って」
「ふーん」
何を考えているのかは分からないが、いたずらな笑みを浮かべたリズは、イリアの腕を取ってゆっくり歩き始めた。
「じゃあ、一緒に行こ」
しばらく歩き回ったものの、たいした進展はなかった。知れば知るほど、分からないことが増えていく。中央とは異なる価値観。北部ならではの人々の在り方を理解するのは、少し難しい。
「私たちのやり方とは、やっぱり色々違うよね。交通網も発展してなくて不便だし。北部の人は、あんまり気にしてないだろうけど」
交通網。確かに、ここに来るまでに色々と経由する必要はあった。しかしながら、あのとき、なぜ転移魔法を使わなかったのだろう。転移魔法があれば、一瞬で飛べるはずなのに。
「北部の土地はちょっと特殊だからね。魔法学において主に扱われてる転移魔法陣とは、相性が悪いんだよ」
見透かされている。イリアが考えていることは、実は筒抜けなのだろうか。そう思うと、恥ずかしさと怖さが入り混じって、落ち着かない気分になった。
「魔法陣の開発にはなかなか進展がないらしいし、あと十年くらいはかかるかも」
「……十年も」
転移魔法陣の開発は、何よりも慎重に進められる。仮に、魔法陣に不備があって人が亡くなるようなことがあれば、魔法自体への不信感が生まれてしまうからだ。
上層部を魔法使いが支配しているこのイスレン王国で、そんなことがあってはならない。
作れるかもしれないという僅かな希望はあっても、それが失敗した場合のリスクを考慮すると難しい。
「人を運ばない魔法陣だったら、どうなの? 魔法陣を通して、交易したりとかは……」
「できなくはないと思うけど、あとから色々問題は出てきそうかな。そもそも、北部は隔離されてるような状態だから、どこと結ぶのって話になってくるしさ」
北部は、狩猟頼りで人々の生活が回っている。今は大丈夫だとしても、狩りを続ければ動物は減る一方だ。
「難しいことは、一旦置いておこう。ほら、こっち来て」
リズに連れられて、しばらく山道を歩く。足場の悪い道であるため、集中していないと転んでしまいそうだ。
「北部は、イリア君が思ってるほど弱い場所じゃないよ。みんな、真っ直ぐに生きてる」
山頂と言えるほど登ったわけではない。それでも、木々の隙間から見下ろす小さな集落と、その向こうに広がる景色は、あまりに美しかった。
「不安に思うのも分かるけど、まずは仕事を終えてからじゃないと」
「うん」
少し、考えすぎていた。今請け負っている仕事がまだ終わっていないというのに、のうのうと悩んではいられない。
それに、きっと方法が全くないわけではない。受け入れられるかどうかは別にしても、まだどうにだってなれる。
「そういえば、ニケとなんか話せた?」
「……ちょっとだけ」
「よかった。なんだかんだ言って、ニケはイリア君をどうこうしようとしてないと思うんだよね。心配性だけど、ちゃんと優しいから」
リズがそれほど言うなら、きっとニケは悪いやつではないのだろう。それは、イリアだってなんとなく分かっている。
「リズは、何でそんなにあいつのことを信用できるの?」
その言葉を聞くと、リズは視線を逸らして優しい笑みを浮かべた。
「何でだろうね。気は合わないし、いつも突っかかってくるし。でも、お手本みたいな魔法使いだからかな。なんだかんだ言って、尊敬してるんだよ」
「お手本……」
それは、イリアにとってのリズのような存在なのだろうか。自分と比べて圧倒的な実力差を持つ、リズのお手本。
十一魔賢が、しだいに遠ざかっていく。
最初から、近づけてなんていなかったのかもしれない。十一魔賢と自分を比べても仕方がないことは、分かっている。それでも、いつまで経っても自分はちっぽけで、醜い。そう思うと、息苦しい気持ちになる。
優しいリズの笑みが、なぜか胸の奥深くに突き刺さって離れない。
やはり、ニケのことは好きになれなかった。




