7話 ユリウス・シルトという英雄
半魔族の主人公が里で受け入れられている理由、彼が半魔族である理由が判明する重要回です。
じわりと降り注ぐ夏の熱線も盛りを過ぎ、爽やかな風がさわさわと草むらを揺らす昼下がり。
母手製の昼食で薄い腹を膨らませ、しっかり小休止も挟んだアルクスは気力充分。
「よぉ~しっ」
午前の続きを前に、やる気を漲らせていた。
炎龍人の母も居るということで、ヴィオレッタの適性が低い属性――光と炎の実演をしてもらえるらしい。のだが――
「えっ!? それじゃ、アルはもう特質変化できちゃったの?」
当の母、トリシャは素っ頓狂な声を上げていた。
息子が『魔力とは何ぞや?』を学び始めてまだ2日。
これが”属性変化”ならまだ分かる。
そちらであれば、生まれつき魔力の多い魔族は遊びながら覚えてしまう。それより魔法を発現することの方が早いとはいえ、それが通例。
だが、”特質変化”は違う。
特に、属性魔力の特質変化はもどき状態の現象を弄るという工程が増える分、感覚が掴みにくい。
教わっても、直ぐには出来ない。それが常識。
トリシャもかつてはそうであった。
(幾ら何でも)
それゆえ、息子によく似た紅い瞳に胡乱さを湛えてみせたのだが、
「そうじゃよ? 確かにあたふたしておったし、『習得した』とは言えぬが、炎を握っておった」
と、親友は言ってのける。
「うっそお?」
やはり信じられず、あからさまに『師の欲目ってやつじゃない?』と言いたげな表情をしてみせれば――
ぴきっ。
その顔が腹立たしかったらしい、ヴィオレッタは青筋を立てた。
「……くどい母御じゃの?」と、眉尻までもひくっとやり、
「アルよ。息子を信じてやらんこの単眼石に見せてやれ。あの炎杭で良いぞ」
嫌味を添えて指示を出す。
「あい」と、弟子の声。
「ちょ、違うわよアル? 別に疑ってるんじゃなくて――」
トリシャが慌てて弁明するも、
「疑っとるから、そんな物言いなのじゃ」
つーんと突き放した。
「……」
遠慮の欠片もないやり取りも見慣れているのか、アルクスは幼いながら半眼を向け、
(ま、いっか)
手元に目を落とすや、午前中を思い返しながら魔力を捏ねる。すると――
ボ……ッ!
なんとなくコツを掴めたらしく、数秒もせぬ内に”炎の短杭”が右手に納まっていた。
時折、紅炎が波打っている。
「ぉ」
できた。と、アルクスが見上げる前に、大人2名はさっと視線を向けるなり、対照的な表情を浮かべた。
ヴィオレッタが見事な得意面を決め、口元を優雅に綻ばせているのに対し、トリシャは眼を真ん丸に瞠って、口をぽかーんと開けている。
「ちょ、うっそでしょ!? なんでできるのアル!」
ハッとしてトリシャが目線の高さを合わせながら訊ねるも、
「ん~、わかんない。ぜんせのお話からそーぞーしてるから?」
彼女とよく似た顔立ちの息子は然して考える間もなく、あっけらかんと答えた。
「想像できても魔力の扱いは別でしょ? 詳しいやり方までそのお話に載ってるの?」
「ううん。なかった」
気がする。と、アルクスは青白い銀髪をふりふり。
「天才なんじゃない?」
転瞬、トリシャの紅瞳がきらきら~っと輝き、ぱっちんと両手が打ち合わされる。
『這えば立て、立てば歩め』の親心――に留まらず、『歩めば走れ、走れば飛べ』くらいな親馬鹿っぷりだ。
過剰な愛で満たされた母の眼、『アルなら出来る!』と信じ切っているその顔に、
「ぐっ、ぐーぜんだよ! きっとかあさんの子だから炎が向いてたんだよ!」
アルクスはぶわっと冷や汗を流して、早口に捲し立てる。
このままだと、どんどん期待が重くなっていきそうな予感――否、そんな未来が見えた。
そこへ、見兼ねたヴィオレッタが「これトリシャよ、落ち着け」と苦笑をひとつ。
「優秀な息子に期待を抱くのも分かるが、汝の重みで身動きが取れぬようになったらどうする? 子供は自由に羽ばたくのが一番じゃ。
それに、まだ他の属性を試しておらぬじゃろう? アル、やってみぃ。水への適性が低かったのなら氷は壊滅的じゃろう。残り五属性をやってみようかの」
助け舟を出した。
「ほっ……はーい」
あからさまにアルクスは胸を撫で下ろし、「む、確かにそうね」と納得する母を横目に、右手に眼を落とす。
『十で神童、十五で才子、二十すぎれば只の人』という言葉もあるくらいだ。
アルクスとしては只人で充分。
(けど、さっきの感じでやったら)
上手くいきそうな気がしなくもない。
が、それらの思考をぽいと捨てて「はじめは……なんだっけ? あ、風だ」と、手元に集中。
すると、魔力の放出に合わせて、俄に微風がひゅるり。
「かぜ、カゼ、風……」
ぶつぶつと呟く声に従い、徐々にそれが細く収束していく。
「――の、むち?」
数秒後、首を傾げるアルクスの手には、不可視の何かがしっかりと握られ、それが細く垂れて下草を押しのけていた。
師の演舞の影響を受けてか、鞭や縄のような形状の風だ。
「できてるわね」
「できておるな」
――なんで直ぐ握ろうとするの(じゃ)?
刃みたいに飛ばしたって良かったろうに。と、大人2人は素朴な疑問を抱く。
「次は、えーと、土!」
その間に、アルクスは歪な砂利の棒っ切れを掲げた。
土は比較的、簡単だ。泥遊びや砂遊びをせぬ子供の方が少ないのだから。
「そんでー……かみなり」
紅い瞳が記憶を探るように高い晴天を見上げる。
「あっ」
脳裏に稲妻走ったのは、午前に師が放った鮮烈な雷鎚。
そして、前世の記憶を通じて朧にまろび出た――落雷の仕組み。
「んーと……」と、乱暴な風を纏わせた両掌を圧縮するように向かい合わせて、魔力を捏ねる。
ぱっ、ぱっ、ぱぱちっ……と、次第に小さく電離気体が発生。
「おっ」
顔を輝かせたのも束の間、跳ねた蒼白い雷棘に「ぅわわっ!?」と、おっかなびっくりしつつも――
「ぷひゅ~、できた」
ちっ、ち、ちちち……!
冷や汗を拭き拭き、何とか安定。形状はやはり細い短杭だ。
(前世の神話にこんなんなかったっけ? なんのだっけあれ?)
握り締めた青白い稲妻に「おぉ~」と、呟きながらぼんやりと記憶を探る。
「ふぅむ……儂のを見ていたとはいえ、やけに呑み込む速度が早いのう」
「ねぇヴィー、ホントに今日始めたの?」
「うむ、それは間違いない。――おそらくは考え方じゃろうな」
ヴィオレッタは顎をひと擦り。観察による推論を述べた。
「考え方? どういうこと?」
さっぱり分かんないんだけど。と、言うトリシャへ、
「アル自身の中で、きちんと筋道を立てた理論があるのじゃよ」
先刻からそれを使っておる。と、応えた。
見たものを己の記憶や経験から咀嚼して定義し直し、そのうえで再現する。
「要するに、正しいモノの考え方、というものを知っておるのじゃ」
この分じゃと、感覚で扱っておるのは炎くらいじゃろう。と、ヴィオレッタは結んだ。
それを証明するかのように、アルクスは動きを止め――
「かあさん」
「なあに?」
「光、わかんない」
と、薄い眉を八の字にして、母を見上げた。
「あ、そっか。ヴィーは光、向いてないもんね」
それで、トリシャも親友の意見を理解する。
「うむ。水と氷は見せておるから、光属性の実演を頼むぞ」
ヴィオレッタはそう言って頷くと、午前中同様、土塊人形を出現させた。
「まっかせなさい!」
途端、トリシャは鼻息も荒く快諾。息子に良いところを見せようと、一気にやる気も満々。
「アル、ほら。光属性は属性変化するだけで、こうやって燈りにもなるのよ」
滑らかに右手を上向けると、拳大のまばゆい光球を出現させ、息子の前に差し出してやる。
「わっ……おぉ~、あかるい!」
アルクスの前世、現代日本で喩えると――白色LEDの明度を全開にしたくらいだ。
「でしょう」と、微笑んだトリシャがそのまま右手を上げ、転瞬。
「そして飛ばすときは――こんな感じよっ!」
ぴんっと五指で弾くように、掌を的へ向けた。
威勢良く、然れど音も微かに光芒が飛翔。白い墨を引いたような尾を残して人形の胸を貫通する。
「いっ!? はっやっ!!」
紅眼を真ん丸にしたアルクスは次いで、たたたっと的まで走った。
白い煙の上がる着弾箇所を、ぐい~っと背伸びして覗き込んでみると、
「うわ……やけてる」
ぽっかり空いた穴の中は表面まで赤熱化し、硝子状に変わっていた。
しゅうぅぅ~……と、白い煙も上がっている。触れば火傷待ったなしだ。
「これって……れーざー?」
思わず、前世の映画に存在した光線銃を連想する。
(光属性って、キケンなんじゃ……?)
と、頬も引き攣らせる。
そんな具合に固まっていると、
「大丈夫じゃよ、アル。そんな破壊力を出すには相当な修練と魔力が必要じゃからの」
ビビっている内心を読まれたらしい、師の声が投げ掛けられた。
途端、アルクスはホッと息をつき、薄い胸を撫で下ろすなり、
「そいじゃ!」と、気を取り直して手元に眼を落とす。
「むむむむっ……こうっ!」
しばし、真剣な顔つきで集中した末、しゅおんっと出現させたのは白っぽい棒。
やはり前世の記憶から着想を得た、光っているまま引っこ抜いた蛍光灯にも、レーザーブレードにも似たものを握っていた。
「できたっ。けど、ちょっと暗い……?」
籠められている魔力は、母の光球の万分の1もないのだろう――明度が低く、光そのものが淡い。
「ううん、凄いわよアル! でも――」
「うむ。初めてでこうもすんなりコツを掴むとは、儂も思うておらなんだぞ。しかしじゃ……」
トリシャ、ヴィオレッタはしっかり称賛してみせたものの、
「「どうして直ぐ握るのよ(じゃ)?」」
と、訊ねずにはいられず、
「ぼくもわかんない」
アルクスも、こてんと首を傾げてそう応えるしかなかった。
* * *
その2時間と少し後――夕方。
結局、アルクスは可愛らしい規模ながら、不向きな水と氷、そして判然としなかった闇以外の属性魔力を扱えるようになった。
これで特質変化のコツまで掴めたのだから、大収穫というより快挙に近い。
「あとは反復あるのみじゃ、闇属性はまた練習じゃな。さて、今日の授業で何か分からんかったところや、何ぞ訊いてみたいことはあるかの?」
講義を結びに掛かった師の問い掛けに、アルクスは「うーん」と悩んだ末、
「魔法、見てみたいです」
と、応えた。
「なるほどのぅ。しかし、儂のは見せてもぶっちゃけ、地味か痛々しいかのどっちかなんじゃよ」
師が無念そうに眉尻を下げてみせるなか、
「じゃあお母さんが見せたげるわ! それでもいい?」
母が口を挟む。
「うん、どんなのか見てみたい」
こくんっ、とアルクスは頷いた。
今日の講義だけでも相当だったせいか、己に発現するか不明でも、好奇心を抑えられなかったのである。
「そっ。じゃあちょっと離れてるのよ?」と、トリシャはそんな息子の銀髪をくしゃり。
「龍人族の魔法は【龍体化】って言ってね。身体が戦闘形態へ変わるの。維持してる間は魔力を消費し続けちゃうけど、す~っごく強くなれるのよ」
と、言いながら3、4歩下がり――それでは足りぬと考え直したのか、更に下がっていく。
「消費しつづける?」
一方、アルクスはぴたっと動きを止め、
「ししょう、もしかして……」
と、隣を見上げると――
「その読みで合うておるぞ。魔導師や魔術師を目指して、儂に教えを請いに来る者がちっとも居らぬのはなにゆえか? と思っておったのじゃろう?
それはの――魔法を用い、己が適性の高い属性魔力を操る魔族の方が断然多いからじゃ。生半な術しか知らぬ者からすれば、わざわざ小難しい術式を組むより、そちらの方が手っ取り早いし、どかどか消費すればその分早く魔法が解けてしまうからのぅ」
ヴィオレッタは弟子の素朴な疑問を看破したうえで「納得かの?」と、訊ねた。
「はいっ」
なるほどー。と、アルクスがすっきりした顔で大きく頷いたところで、
「ちょっと、二人とも~? 私の見せ場なんだけどぉ?」
不満そうな声が届く。
「すまぬの。良いぞ」
「かあさん早くー」
「調子良いんだから、まったく。じゃ、いっくわよー」
結局、師弟から10数歩離れていたトリシャは腰に両手を当てたまま、何とも気合いの入っているのやらいないのやら分からぬ掛け声を発し、【龍体化】を発動。
直後、その額の両端から前髪を分けて螺旋状の黒い角が2本、後ろ向きに伸びた。
それと同時、顎から首元、腕や足が紅い龍鱗にしゅうぅぅっと覆われていく。
また、肘先から鋭い黒い棘がぎゅるりと伸び、手足の爪も肥大化し、尖鋭化。
極めつけは背中だ。肩甲骨の辺りに空いていた服の隙間から、ぎゅばっと上下に二対。
紅い鱗で覆われた骨格が出現しなに翼膜も生え、大小合わせて4枚の翼から火の粉のような粒子が仄かに噴出し始めた。
「わはぁ……っ!」
非常に凛々しい姿だ。
「かあさん、カッコいいっ!!」
アルクスは紅い瞳をきらきら、ふくふくとした頬を紅潮させるや、思わず駆け出した。
「こーら、危ないでしょ。だから下がったのに」
とは言いつつ、予想していたらしい。トリシャが息子を引き裂いてしまわぬよう、腰元で優しく抱き留める。
「相変わらず美しいのう。惚れ惚れするような造形じゃ」
「ふふっ、そうでしょ?」
との会話している大人をよそに、
「あれっ? かあさん、眼もちがう」
肘から伸びる棘や、つるりとした龍鱗をしげしげと見ていたアルクスは顔を上げるなり、驚いたような声を上げた。
すると「ああ、それはね」と母の声が降ってきたかと思えば、脇の下から掬い上げられ、
「龍眼って言うのよ。動体視力が上がって魔力も捉えやすくなるの」
と、教えてもらう。
「へぇ~……!」
よく見えるようになった母の瞳は色こそ己と変わらぬが、瞳孔が垂直に細長く伸び、裂状になっていた。
「わぁ」
そのまま、まじまじと眺め、額の角や龍鱗に眼が向く。
(魔法って、こんなに変わるんだ)
心中で呟くと、不意に落ち込むような妙に物悲しい気分になり……口の端が勝手に沈む。
「アル? どうしたの?」
トリシャはそれに直ぐ気付いた。その顔は昨夜も見たばかりだ。
「何か悩みでもあるの?」
と、息子を下ろしてやりながら【龍体化】を解除して、優しく問う。
するとアルクスは数瞬、口籠り――
「ねぇ、かあさん。ししょうも」
意を決したように呼び掛けた。
「なぁに?」
「どうしたのじゃ?」
「ぼく、たぶん魔法……使えないよね?」
「それは……」
トリシャは思わず閉口し、
「む……」
ヴィオレッタも空気を読んで沈黙を選択する。
アルクスが生まれる前から、いつか訊かれるだろうと、ある意味分かっていた質問だった。
そして、今の彼なら予想よりももっと早く、その質問に辿り着くであろうことも。
ところが、次いで紡がれた少年の声に、2人は揃って愕然とすることになった。
「そっちはべつに……使えたらいいなぁっておもうけど。でも、ぼくにはとうさんの――にんげんの血が流れてるから。だから、べつに……使えないなら使えないでもいい。
そうじゃなくて、ぼくがほんとに訊きたかったのは……とうさんはだれに、どうして殺されたかなんだ。『同じにんげんに殺された』って、どういうこと?」
「――!」
「……っ」
トリシャとヴィオレッタが言葉を失う。
――どうしてそれを? 誰に聞いた?
重なった2人の脳裡で、アルクスが昨夜や今朝に見せた表情と意味が繋がっていく。
訊くべきか、訊かざるべきか、1人悩んでいたのだ。
小さく頼りない身体で、幼い精神なりに。
己の感情とこちらの心情を天秤にかけて。
こくり。
と、不安そうなアルクスの喉が鳴る。
然れど、その紅い瞳だけは逸れることなく、こちらに向いていた。
真っ直ぐな瞳は言っている。きちんと聞くまで納得しない、と。
トリシャとヴィオレッタは静かに顔を見合わせ……やがて頷いた。
――もう、隠しておけない。
「アルよ。汝の父、ユリウスについては明日すべて話そう」
「明日……ですか?」
アルクスが僅かに首を傾げる。
どうして今じゃダメなの? と、言いたげな息子の前に「アル」と、トリシャは膝をゆっくり落とした。
紅い瞳は己とよく似ているが、意志の強そうなところは亡き夫のそれに似ている。
トリシャはそんな最愛の息子の胸に軽く手を当て、囁くようにこう言った。
「明日、お墓参りに行きましょう」
アルクスは眼をぱちぱちさせる。
墓参り。言われてみれば、1度も行った記憶はない。かと言って、前世のように仏壇らしきものが家にあるわけでもない。
「……うん」
アルクスは潤んだ母の瞳を前にそれ以上何も言えず、ただ、頷くことしかできなかった。
* * *
翌日、空は抜けるような晴天だった。
雨期を過ぎたラービュラント大森林は、ここ最近でめっきり暑気も抜けてきて夜などは涼しい。
季節が変わろうとしているのだ。晴れているのに低くなってきた空は、その証左でもあるだろう。
アルクスとトリシャ、ヴィオレッタは他の門より幾ばくかひっそりと備え付けられている南門に集まっていた。
なぜかそこには、左頬を腫らしたイスルギ・八重蔵の姿もある。
「やえぞうおじさん? おじさんもお墓まいりするの?」
アルクスの問いに、一本角の鬼人はバツの悪そうな顔でガリガリ頭を掻く。
「おう、俺もユリウスに挨拶しようと思ってな。共同墓地はちっと遠めなとこにあんだよ、里を建設した時どれだけ拡張するかわからなかったもんでな。今日はお前さんの護衛も兼ねてんだぜ?」
そう言うと、左右の腰に刺さった長短二振りの剣を見せた。
余計な装飾はなく、明らかに実用と思わしき武骨な剣だ。
「なるほどのぅ。そうやってペラペラ喋った挙句、あえてまだ伏せておったユリウスの死についても口を滑らせたんじゃな?」
と、言ったヴィオレッタの声と視線が底冷えするほどに冷たい。
八重蔵はビクリと肩をすくませ「あ~、いや、その」としどろもどろになりつつ、やがて観念したようにサッと膝を折った。
そして不思議そうに首を傾げる少年に目線を合わせる。
「アル、すまねえ。ユリウスのこと、もう少しお前さんが大きくなったら話そうってみんなで決めてたんだが、『うちのと違って見た目の齢よか随分賢いなぁ』なんて思っちまってよ、つい喋っちまった。うちの母ちゃんにも、それで今朝からしこたま怒られてな」
アルクスは彼の頬が腫れている理由を察し、首を横に振る。
ほわほわした銀髪が揺れ――
「ううん、結局ぼく訊いちゃってたとおもう。やえぞうおじさんがさいごを看取ったって言ってたよね? そのときのこと……お墓につくまででいいから、教えて」
やにわにその紅い瞳がまっすぐに八重蔵を射抜いた。
虹彩の色こそ違えど、その瞳に浮かんだ強い意志は、ユリウスの子である何よりの証拠。
八重蔵は亡き友を連想して破顔する。
『俺に似てたりするかなぁ。似ててほしい。あ、いや! でもやっぱりトリシャに似た方が女の子にも~』
なんてユリウスは言っていた。
――見た目はトリシャ似でも、中身はしっかりお前の血を引き継いでるみたいだぜ、ユリウス。お前に似て頑固そうだよ。
八重蔵は静かに眠る友へ報告すべきことができたと喜び、頬のはれぼったさなどすっかり忘れて、
「そんじゃ、行くか!」
「うん!」
と、威勢良くアルクスの手を引きながら南門をくぐった。
その後ろをトリシャとヴィオレッタは呆れた目を向けながら続く。
「調子がいいんだから」
「あれでは水葵も苦労しよう」
「氷鬼人なのに紅椿って子供に名前つけたときもシバかれてたわよ」
「ほんに変わらんのぅ」
こうして4人はユリウスの眠っている共同墓地へ歩き出した。
共同墓地までの道は、南門を抜けてすぐの一本道を通るのが最短道程だ。
墓地は墓石に適した石材が取れやすい場所を選び、死者の眠りを妨げぬようにと周りには何も建てなかった。
里の警備や索敵用の監視塔が付近の大森林内にあるのみである。
ゆえに一本『道』といいつつ、最低限の整備しかされておらず、子供には少々険し過ぎる。
既に此処は大森林の中。
魔獣や森そのものが牙をむく可能性がある。
アルクスが目を上げると、大人たちが油断なく周りを観察していた。
自分の足で歩かねばならないことを理解しつつも『思ってたよりしんどいかも』と、今まで墓参りに連れて行かれなかった理由を察する。
「アルや。ユリウスの死について語るうえで、前提として話しておかねばならんことがいくつかある。多少難しい話じゃが良いか?」
そこへ師であるヴィオレッタが気を紛らわす思惑もあるのだろう、話しかけてきた。
「ふぅ、ふぅ……はい」
軽く息が上がりつつ、アルクスはこくこくと首を縦に振った。
「まずは、そうじゃな。五十年ほど前……戦で大きく数を減らしておった魔族達は、今の隠れ里のような場所ではなく、ラービュラント大森林の、もっともっと人間の国寄りに村のようなものを築いて生活しておった。それで平和じゃった。
じゃが、およそ三十年前に聖国が魔族を排斥する方針を打ち出し、周辺国にもそうするよう圧をかけたのじゃ。
帝国と王国のニ大国は揃って無視をした。『何を馬鹿なことを』とな。特に帝国は、建国に魔族が関わっておる。むしろ憤慨したじゃろうな。そして帝国と王国、聖国の三大国に挟まれるようにあった共和国も、『その方針には従えぬ』と拒否した。
そんなことがあって十数年が経ったある日。聖国は宣戦布告もせず共和国に攻め入り、自分達の領土にしようと戦を引き起こしたのじゃ。
実際は戦などではない。共和国の各都市に潜り込ませておいた軍を一斉に起こし、民を人質に各都市の指導者達を脅したのじゃ。
これに怒ったのが帝国と王国でな。共和国の領土を不当に占拠するようであれば、こちらが手を組んでそちらに攻め入る、と宣言したのじゃ。
おかげで共和国領は、聖国のイカレが治める聖国領とはならなかった。が、聖国も甘くはない。
せっかく占領しかけた共和国を手放す気はなかったようでの。また攻めるぞ、と脅しをかけ、直接支配こそ成っておらんものの、各都市に外交官という名目で監査官を起き、属領としたのじゃ。ここまでは良いか?」
「なんとなく」
とりあえず聖国が酷い国だということは理解できた。
アルクスは頷く。
「ここからが本番じゃ。当時の魔族達もそう馬鹿ではなくての。時勢を読んで隠れ住む者が増えておったんじゃ。
儂らもその例に漏れず隠れ住んでおったのじゃが、共和国が聖国の属領とされたと聞き、安住の地を求めてラービュラント大森林のもっと奥――つまりは今の隠れ里に当たる土地を探し求めることにした。
ついでに補足しておこうかの。帝国が興る少し前まで、魔族は種族間で戦ばかりしておっての。戦える者達は殆ど死に絶え、戦えぬ者が生き残って細々と種を繋いでいっておるような状況じゃった。
共和国が聖国属領となった当時も、ようやっと絶滅は免れたくらいにしか増えておらんでのう。そんな頃に聖国はロクでもないことをやりだしたのじゃ」
「ろくでもないこと?」
「魔族狩りよ」
訊き返す息子に、トリシャが苦々しげな表情を隠しもせずに即答した。
「そう、魔族狩りじゃ。連中はこちらの頭数が少ないことをよく理解しておった。聖騎士と呼ばれる”遺物”の力や謎の――聖国が秘しておる技術を使う連中を頭目とした神殿騎士を率い、討伐隊を各地へ送り込んだのじゃ。――ああ、神殿騎士というのは、聖国の教会に所属しておる騎士での。軍の中から選りすぐられた兵士共のことを指す」
親友の言を引き継いでヴィオレッタは語る。
「儂らは、魔族狩りが行われ始めたと聞くとすぐに、今の隠れ里がある地を基盤とするための工事や開拓を行い始めた。すでにマモンは儂らと共におってな。人狼の強みを生かして情報収集や、戦える者達を集めてもらう役を任せておった。
トリシャはその直後くらいから儂らに合流しての。元々知り合いじゃったし、似たようなことを一人でやろうとしていたと聞いて、すぐ仲間に引き込んだのじゃ。
そのあとに八重蔵らじゃったか。シルファリスを連れたラファル――シルフィエーラの両親なんかもそのくらいじゃな。
まぁ朝から晩まで里の開拓を行いつつ協力者を集め、そうやって最低限人の住める環境が整ったらすぐに居住者達を募った。
たくさんおったよ……魔族狩りを恐れる者、乳飲み子を抱えておる者、種の絶滅にいまだ瀕しておる者。しかし里の居住環境は、未だ劣悪じゃった。体の丈夫な者達から移動して貰ったり、儂ら自身が連れてきたりしておった。
そんな折じゃ。ユリウスが、隠れ里へ移り住もうと集まっておる魔族の村――今より人間の国近くの森にある村じゃ――そこへやってきて『自分は武芸者をしているユリウス・シルトという。人間だが帝国の者だ。迷ってる内に陽が暮れてしまって困っている。今晩泊めて欲しい』と言うて来たのは。
当初はえらく警戒されたらしくてな、まぁ当然じゃが。隠れ里へこれから移り住もうとしておるところに、人間が訪ねてきたと騒ぎになっての。
儂にもすぐ連絡が来た。儂は慌ててトリシャや八重蔵、ラファル達を引き連れて村へ行ったのじゃ。そこからは……――まぁ割愛しようかの。とりあえずひと悶着はあったが、元々さっぱりした明るい奴じゃったから、悪意がないことはすぐに理解できたのじゃ。
魔族狩りの話を語って聞かせると、あやつは激怒しての。先ほども言うたが帝国建国の折、初代皇帝と魔族は協力関係にあってな。帝国人にとって魔族は種の違いは大きくあれど、友人のようなものと考えられておったらしい。
その後、ユリウスは魔族達の中で唯一の人間として、魔族の移住を手伝いはじめた。
それから数年もせんほどの月日が流れ、里はある程度快適に暮らせるようになり、マモンら人狼も長いこと里を空ける必要がなくなってきておった。
いつの間にやらトリシャとユリウスは好い仲になっておっての。まぁ色々あったのじゃろうが、そこはトリシャに後で聞くが良かろう。獣人族と人間の組み合わせはあっても、魔族と人間の婚姻なぞ初めてじゃ。
それでも儂らは大いに祝福したものじゃよ。『めでたい、ここから魔族と人間との新しい時代が始まれば良い』とな。その一年ちょっと後にトリシャが妊娠した。里への移住者は日に日に増えておったし、儂らも保護と里の拡張を進めておった。そして――」
そこで急に八重蔵が手を上げ、
「ヴィオレッタ様――いや普段の呼び方で構いやせんね。里長殿、そこからの話は俺にさせちゃもらえませんか? あいつを看取ったのは、俺ですから」
話を遮る。
アルクスがふっふっと息を切らしながらそちらを見れば、鬼人は見たことがないほど真剣な顔つきをしていた。
「そうか」と、ヴィオレッタはひと言。
「そうじゃったの。では頼む」
鬼の瞳に並々ならぬ想いを見て了承する。
「ええ。トリシャがお前を妊娠して数か月後のある日のことだ。今でもよく覚えてるよ。もうすぐ夏も盛りだってのに、やたらと肌寒い日だった。
あの日――俺とユリウス、ラファルの他にも、マモンからの報告で移住要請を知ってな。――ああ、今は隠れ里しかねえが、建造中は色んなとこに中継地点を作ってたんだ。一番安全な里に嫁さんたち置いてな。
『近くに魔族狩りが出て初めて移住の相談しに来るくらいなら、最初っから来て手伝やぁいいのによ』
なんて愚痴りながら、俺らはそれぞれの村の規模や移住人数なんかを調べに行ったのさ。一番遠い北側の村に、俺と数人が。次に遠い南側の村に、ラファルとマモンが。
そんでもってユリウスともう一人が、物資の融通や人間の街から買い出しに行くときなんかの中継地になってたチヒト村って名前の割合でかい村に向かったのよ。
俺らの方は滞りなく調査を終えた。けど帰ってきたら里の方が慌ただしくてよ……騒がしい理由は見てみりゃすぐにわかった。
ユリウスと一緒に調査に行ってたやつが、ゼェゼェ言いながら、足なんかボロボロで里長殿に縋り付いてな。涙と血と泥だらけで、そいつが言うんだよ。
『魔族狩りに村が襲われてる。村の異変に気付いたユリウスが、気付かれちまう前に里へ連絡を出すよう自分を逃がしてくれたから急いでくれ』
ってよ。里長殿と俺らは慌てて武器ひっつかんで走った。
あんときばっかりは女神に祈って――……呪ったよ。
チヒト村についてすぐ目に飛び込んできたのは、折れた剣構えたまんま動かねえ血まみれのあいつ――ユリウスだった。
砕けた盾の革帯握り締めて、クソッたれの神殿騎士共を喰い殺すように睨んでやがった。足元には立派な鎧着てるやつが一人、首真っ赤に染めて事切れててよ。
神殿騎士どもは完全にビビッてた。後で知ったが、その首斬られてたのが連中の頭目で、聖騎士ってやつだったそうだ。とりあえず、俺たちは大急ぎで連中を粗方仕留めた。
すぐユリウスの方に駆け寄ったが、あいつァもう……何も見えなくなってた。辛うじて息してんのが奇跡だった。俺らだって叫んでようやっと理解できたみてえでな。
俺の腕握りしめて、
『八重蔵、八重蔵。森に逃がしてる人達が居る。見つけてくれ。頼む。それとトリシャにごめんって、生まれてくる子を頼むって、伝えてくれ』
って何度も、何度も必死に、早口でそう言うんだ。俺以外の奴らは生き残ってる連中がまだいるって聞いて、慌てて森ん中探しに走ってった。
『わかったから落ち着け。ちゃんと伝えるから、まず治療が先だ』っつって、俺ァあいつを横たえた。あいつはひたすら『ありがとう』って言い続けてたよ。
そんで、横にしてやってすぐだ。他の騎士共がいないか探り終えた里長殿がこっちに飛んで来てくれたんだ。里長殿の独自の『治癒術』なら大抵の怪我は治せるからな。
……だが、里長殿は何も言わなかった。じっと労わるようにあいつを眺めてんだ。俺ァ頭に来て、
『何してんだ!? 早くこいつを治療してやってくれ!』
って叫んで……――気づいた。さっきまでか細く『ありがとう』っつってた声が聞こえねえ。見れば、ユリウスは見えねえ眼を見開いたまま事切れてた。
つい先刻まで喋ってたんだぜ? そんなことあってたまるかよ。
『術を掛ければ息を吹き返すことだってあるかもしれねぇ。何とかならねえのか』って頼んだよ。
だが里長殿は首を横に振って、どっか上の方を見てた。……分かってたさ、俺にだって。あれが末期の言葉だったってのは。
だが、認めたくなかった。後にも先にも、あんなに納得いかなかったこたァねえ。悔しかったし、悲しかったし、やってられねえって気持ちでいっぱいだった。『なんでこいつが死ななきゃならねえ』ってどうしようもねえ怒りも湧いた。
そうしたら急に紅の奴が藪ん中から出て来てな。身重の水葵の代わりに食糧交換しに来て巻き込まれたらしい。そういう子供たちが他にもいたそうでよ。
びっくりして慌てて探したら、里や中継地から来てた子供達は誰一人死んじゃいなかった。訊けばユリウスが命懸けで助けてくれたんだと。
村の連中にしても、あいつが来る前に殺されちまったやつらを除けば、殆どが助け出されて生き残ってた。村の連中がそう言ってたよ。
『あの人間が飛び込んできて助けてくれた』ってな。
アル……今のが事の顛末だ。自分は半龍人なのに、どうしてみんな当たり前って顔で受け入れてくれるのか、あんなに親切なのか……こないだはそういう意味で訊いたんだろ? これがその答えだよ――お前が、あの英雄の息子だからだ」
アルクスは紅い瞳を見開いて涙を滲ませつつ、八重蔵を真っ直ぐに見つめ返した。
知らなかった真実。異世界の記憶を持っているだけの5歳児にはあまりにも重過ぎた。
しかし、アルクスは瞳を伏せない。
睨み合うように視線を交わす2人を、トリシャとヴィオレッタは瞳を滲ませながら神妙な顔で見ていた。
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