1話 転生者 (アルクス5歳の夏)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
また、最初は世界観説明もあり非常にゆっくりとしか進められませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。
ラービュラント大森林と呼ばれる大樹海の中に魔族達の〈隠れ里〉は存在している。
墳墓のような形で敷地を取られた里だ。
その西門を抜け出た先にある草原は訓練場や子供達の遊び場として拓かれ、周囲を囲む木々の青々とした葉は山間特有の涼風に靡くままとなっている。
現在、その草原のど真ん中には昼前ということもあってアルクスとその魔術の師ヴィオレッタしかいない。
紫紺の長髪に同じく紫紺の瞳、グラマラスな美人師匠ことヴィオレッタはアルクスの発した言葉に思わず唖然としていた。
―――――この幼弟子は今何と言った?
「前世?と今言うたか?」
「はい、ししょー」
返答こそいまだ舌っ足らずなものの、弟子の受け答えは頭を打つ以前よりハッキリしており、綺麗な母譲りの紅い瞳には知性の光も垣間見えた。
今朝手を引いて出かけた時に較べても妙な落ち着きさえ感じる。
「冗談……などではじゃなさそうじゃな?本当に?確かなのじゃな?」
「ぅ?うん、はい」
ヴィオレッタの執拗な確認にもアルは真面目くさった顔でこくこくと縦に振った。
5歳の幼子がその手の冗談を言うはずもない。そもそも転生という概念すら知らなかったはず。少なくともその手の話を聞かせてやったと云う記憶は一切ない。
そこでようやくヴィオレッタの頭脳も本来の回転速度で回り出した。
アルに前世の記憶が蘇った。とすれば――――……。
「訓練は中止じゃ、アル。今すぐ汝の母御のところへ行くぞ」
「はい。うん?んん?」
なんで?と続けたそうにアルがキョトンとした顔を浮かべる。
ヴィオレッタは安心させるように幼い弟子のくりくりふわふわとした青白い銀髪を一撫でした。
「ししょー?」
「いくつか確かめねばならぬことがあるのじゃ……なに、心配はいらぬよ」
後半の呟きは幼い弟子に言ったものか、はたまた彼女自身に言い聞かせたものか。
着ているドレスローブと同じ紫紺の瞳は圧し潰されそうな不安に揺れていた。
* * *
西門をくぐって里内へ戻って来るヴィオレッタとアルへ、里の守衛見習いで二本角を生やした鬼人族の穏やかそうな青年イスルギ・紅椿が声を掛けた。
「あれ?ヴィオレッタ様、お早いお帰りで。やぁアル坊もおかえり。おや?さてはなにか悪戯でも見つかったかい?元気ないみたいだけど」
元気がない、と云うより銀髪のふくふくとした頬の幼子は何やら戸惑っているように見える。
「まぁそんなとこじゃ。ところでトリシャはおるかの?」
ヴィオレッタの方は珍しく歯切れの悪い返答を寄越した。
「?トリシャさんなら今日は非番のはずなので家だと思いますよ」
「そうか。すまぬの」
「つばきにい、じゃあね」
紅椿に礼を言いつつ、ヴィオレッタは拳をにぎにぎさせて手を振るアルを連れて、足早に彼の母トリシャの家へ向かう。
アルはこの時点でどうもただ事ではないらしいと察してはいたが、何がどうただ事ではないのか見当もつかないので師に連れられるがまま自宅へとテクテクついて行くのだった。
* * *
アルクス・シルト・ルミナスとその母トリシャ・ルミナスの居宅は里の南端にある。
質素ながらも丁寧に造られている外観はどっしりとした印象があり、建築当初のまっさらだった外壁煉瓦も少々時間が経った現在では温かな風合いを見せている。
また家そのものは1階建ての平屋だが南端に位置することもあって幼いアルの遊び場である庭も広く、またトリシャが花を植えているお陰でその質素さを打ち消すことにも貢献していた。
ヴィオレッタは幼い弟子に足幅を合わせつつ、それでも急かすように里を走る通りを抜け、ようやく目的の家の玄関扉を叩いた。
「トリシャよ、おるか?儂じゃ、ヴィオレッタじゃ」
「ヴィー?どうしたの?」
するとすぐに中から返事が返ってきて、
「今日は非番だし、ちょうど今あの子にお昼を持っていこうと思ってたところよ」
息子とよく似た綺麗な銀髪を肩まで伸ばし、勝気な紅い瞳をした若々しい女性、アルの母トリシャが戸を開いた。
「あらアルもいるじゃない。二人ともどうしたの?」
「すまんの、緊急事態じゃ」
「緊急……?あ、とりあえず入って。ヴィー、昼食は?アル、ちゃんと手は洗うのよ」
端的に返すヴィオレッタにトリシャが困惑しつつも家に招き入れる。
「頂こうかの。長くなりそうじゃ」
ヴィオレッタが樫で作られた大きな食卓の見える居間の方へ、アルは素直に「はぁい」と返事して擬似水晶石の嵌められた水道で手を洗ってから子供用の椅子に「んしょ」と座った。
「それで緊急事態ってどうしたのよ?アルのこと?」
用件を催促するトリシャにヴィオレッタは言葉を選びつつ慎重に口を開く。
「うむ、そうじゃ。良い報せと悪い……かもしれぬ報せがある」
「悪いかもしれない?ってどういうことよ?」
「悪いと断定するにはまだ早いと云う意味じゃ。確認がとれておらぬからの」
「そう……うーん、じゃあとりあえず良い方から聞かせてもらえる?」
「ん、ではまず良い方じゃ。アルが魔力を感知できるようになった。これで魔術の訓練に移行できる」
「えっ、もう?私だって感知できるようになるまでもうちょっとかかったわよ?」
魔術を扱うのに魔力は必須。しかし魔力は視認しづらいものだ。特に幼子のものは揺らぎすら見えない。
ゆえにヴィオレッタが行わせていたのは初歩の初歩。アルに魔力そのものを認識させる訓練だった。
「毎日ひたすら練習し続けておったからのう。努力の成果じゃ」
「偉いじゃないアル!頑張り屋さんだもんね!」
「ん、がんばった」
師と母の息の合ったやり取りを首を振り振り眺めていたアルは、母の輝くような笑みと称賛ににへらっとはにかむ。
しかし少し眠いのか、眼をくしくしこすりながら「ふぁぁ~」と軽く欠伸をした。
濁流のように流れ込んできた転生前の記憶を追体験したり、その後いつもより早足の師に連れられて里を歩いたり、と5歳児が疲れるには充分だ。
いつもは昼食と昼寝も挟んで帰ってくるのだから当然と云えば当然。
「それで悪いかもしれない方は?アルが何か悪さでもしたんじゃないでしょうね?」
母の言葉を耳にした途端、アルは慌てて頭をぷるぷる振って眠気を飛ばした。
悪いことをした時の母のゲンコツは痛いのだ。頭頂部を狙い澄ました一撃に涙を零した回数は数え切れない。
トリシャはトリシャで活発な息子を信用しきれなかったようで、アルを捕まえて膝に座らせた。これで逃げられない。
「では、悪いかもしれない方を言おう。アルは転生者だそうじゃ」
「えっ?……え!?転生者!?」
慌てて覗き込んだトリシャが見たのは、己と同じ紅い瞳で不思議そうに自分を見つめ返す我が子の眠たげな顔。
母に抱えられているためかアルは先ほどより強い眠気を感じ、意識の半ばほどは眠りの世界に旅立っていた。
(ムズかしそうな話なら寝てよかな?)
そんな風に考えていたがそうは問屋が卸さない。
「アルよ、汝が転生者じゃというのは確かなんじゃな?」
これで何度目だっけ?と云うほど、師匠からの同じ問い掛け。
「はい、ししょー」
眠たげな声ながら間を置かず返された我が子の返答にトリシャは不安を掻き立てられた。
「転生前の種族は?人間じゃったか?それとも他の種族じゃったか?」
「にんげんでした」
―――――最悪だ。
トリシャとヴィオレッタはほぼ同時に同じ感想を抱く。
俗に言う転生者が自身の転生を「はいそうですか」と簡単に受け入れることなど、まず以てない。
彼らには生前の家族や友人――――大切なものがあるのだから当然だ。
その結果何が起こるのか?
否、起こったのか?
ずばり事実を受け入れられない者達による、変えようのない現実への反抗だ。
親を親だと思えず生前の家族に会いたがって泣き喚く者や暴れる者、発狂する者さえいた。中には己の境遇を利用して好き放題する輩すらいた始末。
その中でも最悪と言われるのが人間から魔族への転生だ。
主な要因はこの大陸で最も古い国の影響と魔族全体が連ねてきた歴史のせいである。
尤もアルの亡き父のように一部では魔族への偏見を持たないどころか友であると言って憚らない人間の国もないことはない。
しかし、「野蛮だ」と魔族を嫌う”元人間”の魔族と根っからの魔族との骨肉の争い、転生を受け入れられず「自分は人間だ」と言い張る魔族とそれを知らないで襲われたと勘違いする人間との諍い―――――いずれも人間から魔族への転生が原因で起こった悲劇は星の数ほどある。
中には”元人間”であることを隠して生きてきた魔族が、蛇蝎の如く魔族を憎む一部の人間の国へ間諜行為を行っていたりすることもあった。
結局その後「”元人間”だろうと今は魔族じゃないか」と人間側から裏切られて殺されるまでがセットだ。
斯様に”元人間”の魔族転生者はろくでもない悲劇ばかりを残している。
つい数十年前も人間から魔族へ転生した子供が「自分は人間で、お前たちの子供なんかじゃない!」と大騒ぎする事件があった。
取り押さえることは容易だったが子供の両親は深く心を痛め、憔悴し切って痛々しいほどやつれてしまっていた。
長いヴィオレッタの生の中で実際に見聞きしただけでこれほどあるのだ。
アルが二の舞にならない保証などないと絶望していた。
トリシャも似たような事件を知っている。
しかしまさか血を分けた我が子にそんなことが起こるとは。
他人事だと思っていた当時の自分を叱りつけたい衝動に駆られる。
それでも愛する男との間に生まれた可愛い一人息子だ。
仮令里を追い出されたとしても共に生きよう。
幸い里の外でやっていけるくらいには自分は強い。
きっと少しずつでも歩み寄れるはずだ。
「あ……っ!」
そこまで考えたトリシャは天啓にも似た閃きを得た。
―――――そうだ、まだ帝国や王国の人間の可能性が残っている。
聖国の人間であれば里に入った時点で発狂していただろう。
加えて元聖国人であるならば、一見すれば人間に見えるとは云え自分――――龍人族の膝の上でこんな風に大人しく座っているはずがない。
そう思ったトリシャは震えそうになる声を辛うじて抑えつけながら我が子に訊ねた。
「ねぇ……アル?あなたはどこの国の人間だったの?」
彼女の最愛の息子アルは、大人2人と対照的な呑気さで微睡むようにのほほんと答えた。
「ふぁい?日本だよ」
評価や応援等頂くと非常にうれしいです!