7話 追跡と異変
時系列としては前話の途中から次話の始まりまで、となっております。
ヴィオレッタが率いる捜索隊の面々は、無事に保護された人虎族の双子エリオットとアニカの証言を元に、最大戦速で限界線へと急いでいた。
皆が皆、その表情を険しくさせ、焦りを滲ませている。
なにせヴィオレッタの代名詞たる『転移術』を使おうにも、この閑散とした森の中では座標計算が複雑に過ぎ、かといって爆風を伴う『飛空術式』では魔力効率がとことん悪いからだ。
また、もし捜索対象が大怪我を負ってしまっていた場合、彼女のもう一つの代名詞たる独自の『治癒術』を行使する可能性もある。
そちらも魔力消費が著しく大きいうえ、彼女にしか扱えない。
ゆえに魔術による大胆な捜索ができず、感覚と足に頼る他なかった。
「あれは……」
狩猟限界線まで辿り着いた面々は、様変わりしている地形を目にした途端、顔色を更に悪くして駆け寄った。
木々の幹に張られていたはずの赤帯は荒々しく引き千切られており、代わりに木の根やツタが網状に張り廻らされてある。
おまけに、その一部は冰でガチガチに固められていた。
どう見ても障壁だ。
「こいつぁ……里長殿」
凛華の父、イスルギ・八重蔵が障壁をしげしげと眺める。
ヴィオレッタは表面の冰に濃紫の視線を走らせ、続いて周辺を見渡した。
即席の分厚い冰には何か巨大な質量物がぶつかったらしく、大きな亀裂が入っており、その直ぐ傍には何かがのたうち廻った痕跡が残っている。
「うちの娘が魔法を使ったようです」
シルフィエーラの父、ラファル・ローリエが冰漬けの奥を覗き込んで冷静に述べた。
「そのようじゃ。エーラが木々の間に網を張り、そこに水と冰で障壁を形成。痕跡周りが焦げておることから、おそらく双子の方に行かぬよう〈刃鱗土竜〉の鼻先に障壁を置いて注意を引いたのじゃ」
「アルクスの発想ですな。障壁の近くに濃い雷鎚の臭いが散っています。〈刃鱗土竜〉の突進をギリギリで躱し、壁にぶつかって動きの止まったところへ雷を叩き込んだのでしょう。高位魔獣が怒るほどの属性魔力はあの子にしかまだ放てないはず。あれは硬いですからな」
マルクガルムの父、マモン・イェーガーも周囲に漂う独特の臭いを嗅ぎ取って見立てを報告した。
「そうね、こっちには〈刃鱗土竜〉の身体が削ってった木がいくつも。あっちに連れてったみたい……。私達がもっと早く出立してれば」
「今は後悔より、あやつらと合流することを考えるのじゃ、トリシャ」
「ええ……分かってるわ」
トリシャへ言い聞かせてはいるものの、ヴィオレッタの心中とて彼女とまったく同じ思いで満たされていた。
――判断を誤った。
彼らに何かあれば全て自分の責任だ。
「……限界線に沿って南下したようじゃな。儂らも行くぞ」
ほっそりした首筋を強張らせて口元を引き結んだヴィオレッタが捜索隊を率いて痕跡を追う。
――これ以上、時間の浪費はできぬ。
ごっそりと抉られた木の幹、折れて散らばった枝、匂い、属性魔力の余波といった戦闘の痕跡を探し、着実に4人の軌跡をなぞっていく。
それは丁度、アルクスが墓地から慰霊碑を引き抜いている頃のことであった。
先ほどから激しい逃走劇の痕跡を辿っている。
今のところ、誰も欠けることなく逃げ果せているらしい。
激しさを増し始めた高位魔獣へ果敢にも知恵を搾って戦っていることが見て取れた。
だが、捜索隊の面々の顔に浮かぶ焦燥と不安はより一層増していく。
噛み折られ、そこら中に倒れている幾つもの木々。
焦げて硝子状だったり、〈刃鱗土竜〉の突進を利用したように凍りついていたりする大地。
至る所へと視線を走らせ急ぐなか、スッパリと切り倒された木々が一層多い場所でヴィオレッタは、びたりと立ち止まった。
「里長殿……!」
マモンも遅れて気づく。
嗅覚において人狼族に並ぶ種族はそういない。それほど優秀だ。
しかし彼らの嗅覚を差し置いて唯一つ、一点だけヴィオレッタの方が鋭敏さに優る匂いがある。それは――
「血じゃ」
彼女は迷うことなくその根源へ向かい、降り積もる雪を鬱陶しげに風で吹き飛ばすと、目当てのものがそこにあった。
雪に染み込んでいる赤い点――飛び散った血だ。
「〈刃鱗土竜〉のものではない」
と、ヴィオレッタは断言した。
魔獣と人とではその匂いがまったく違う。獣臭さがない。
途端、後ろに居た捜索隊がざわついた。
なにせ、彼女は吸血族。
血液という一点において、他種族より鼻が利き、誰のものかまで精確に分析できる。
エリオットとアニカを見つけたときも泥と少量の血が入り混じった匂いを感じ取ったがゆえに狩猟場の一角を重点的に捜し歩いていたのだ。
「っ!! 誰のです!?」
「アルのものじゃ」
勢い込むラファルに、吸血族の大魔導は応えた。
あの4人は日々、見習い戦士並に稽古を熟している。
その中でもアルクスは魔法が使えない特性上、細かな怪我をしやすく、彼の血の匂いは嗅ぎ慣れていた。
「っ! ……でもっ、この量なら大怪我じゃない――わよね?」
「うむ、どこかの皮を裂かれたくらいじゃろうな。先ほどから痕跡を見て思っておったが、どうやら〈刃鱗土竜〉の敵意はアルへのものが最も強いようじゃ。大方、炎や雷を投げまくって怒らせたのじゃろうが」
その見立ては正しい。
下顎に炎雷、口腔に雷鎚を直撃させているので当然と言えば当然である。
「……うぅむ」
捜索隊に参加していた人虎の族長、ベルクト・ノワクは思わず唸ってしまった。
件の4人に舌を巻いていたのだ。
特に、アルクスに対しては驚嘆すらしていた。
魔法も使えぬ半魔族の少年が最も高位魔獣の敵意を引きつけ、おまけにあの障壁や逃走経路すら考えたのだ、との推測を誰も疑っていない。
異論の一つすら上がらなかった。
そも、見立てを話したのはトリシャではなくマモンだ。
そして何より、彼らの実行力と胆力だ。
結果として幼い同胞を逃がすことに成功し、彼ら自身も生き延びている。
とてもではないが、今の息子と従弟の娘ではそのような真似できない。
「高位魔獣に魔法を引き出させるなんざ、平時なら褒め千切ってたってのによ……」
八重蔵が呟く。
〈刃鱗土竜〉は頑丈な鱗と巨体に見合わぬ俊敏性、そして自身の体躯そのものを質量武器として獲物を狩る。
また、移動に魔法を使うことはあっても刃尾まで出してくることもそうない。
高位魔獣であるからこそ、魔力量を考えた動き方をするのだ。
要はあの4人が明確に敵だと認識されるほど戦えているということ。
親として師として、嬉しくないわけがない。
だが、その褒められるべき彼らは此処に居ない。
「そうだな。それでヴィオレッタ様、彼らは?」
「こう露骨に魔法を使われれば高位魔獣じゃと気付いたのじゃろう。また逃走に移っておる。雪が降っておるから少々難しいが血の匂いを辿れそうじゃ」
ヴィオレッタはマモンへそう言うなり、更に南へ滑るように動き出した。
捜索隊も急いでその後を追う。
その数分後。森の南西部。
ヴィオレッタ率いる捜索隊は〈刃鱗土竜〉が転がり廻って暴れ狂い、その後に突き破ったらしい穴をくぐって開けた場所に出た。
探している少年少女らはとことん高位魔獣を怒らせることに成功したようで、怒りのまま木々を折り抜けているような穴だ。
駆け込むように広めな空間へ飛び出た捜索隊の面々は、警戒もそこそこに、
「これは……!」
その場に残されていたものに目を奪われてしまう。
彼らの視界に飛び込んできたのは巨大な落とし穴。そして、これまた巨大で分厚い生物的な片刃。
〈刃鱗土竜〉の刃尾だ。
斬り落とされたらしきそれは、〈刃鱗土竜〉が纏っている上鱗――魔法で移動させる上層の鱗を殆ど使って形成されているように見える。
また落とし穴周辺の土は変質しており、内部からは雪を貫通して臭気が立ち籠めていた。
「何だよこりゃあ……!? 穴ぼこは魔術みてぇだが」
「『落穽の術』じゃな。これも十中八九アルの仕業じゃ。〈刃鱗土竜〉を罠に嵌めたか。それにしてもこの規模は……なるほど、幾重にも同じ術式を重ねたと見える。幾らあやつでもごっそり魔力を持っていかれたはずじゃぞ」
「そんな時間どうやって……あっ、先刻の大暴れしてた痕跡って、あそこで時間稼ぎをしたから……?」
「おそらくは。この時季に咲かない花々が咲いていた。うちのエーラが目潰しでもくれてやったんだろう」
大人達はそこまで見当をつけると、誰ともなく溜め息とも呻きともつかぬ声を上げていた。
マズい状況だから、と何とか策を講じたらしいが、〈刃鱗土竜〉はその悉くに引っ掛かっているように思える。
おまけに、先程の位置からそこまで距離も離れていない。
とすれば高位魔獣だと気付いて極々短い間に策を編み出したということだ。
高位魔獣は元来そこまで馬鹿ではない。
目潰しで時間稼ぎと〈刃鱗土竜〉の激昂を誘い、突っ込んできたところを落とし穴へ叩き込んだ。理に適っている。
――しかし、この臭いは?
「ラファルよ、穴の中からする臭いは何が原因じゃ? 穴に落ちた時点で〈刃鱗土竜〉に目立った損傷はないはずなのじゃが」
ヴィオレッタの投げかけた質問に、覗き込んだだけでは判らなかったらしいラファルは「しばしお待ちを」と、穴へ飛び込んだ。
「これは……ああ、なるほど」
次いで、鼻を押さえつつも納得顔でひょいと跳び出てくる。
「何だったのだ? 臭いがキツすぎて俺は寄れん」
マモンが訊ねれば、
「燻製なんかを作るときに使う枝の燃えさしがあった。他にも、燃やすと煙の上がりやすい草木の臭いも。おそらく穴に落とした〈刃鱗土竜〉を抑え込むために、こういったものを大量に投下して、アルが燃やしたんだろう。湿ったものを無理に燃やすとこういう臭いと滓が残るんだ」
雪泥に埋もれていらしき黒焦げの枝を振って見せた。
「なるほど、炎と雷の大盤振る舞いだったようだな。どちらの匂いもする」
得心のいった顔でマモンも鼻をすんと鳴らす。
ヴィオレッタとトリシャ、八重蔵の眉間に刻まれた縦皺が一層深くなった。
4人とも、まだ12歳だ。
本来ならば高位魔獣と接敵した時点で、脇目も振らず撤退するのが常道。
それが立ち向かう他なかったという状況を推察して、胸中に苦いものが広がっていく。
「高位魔獣相手に攻勢に転じるとは……。相当の連携がなくば上手くはゆかぬぞ」
「中はここよりもずっと冷え込んでおりました。どうやらガンガンに熱した後、一気に冷却したようです。おそらくマルクと凛華では、と。アルクスは氷が苦手のはずですから」
が、続くラファルの報告に揃って目を瞠った。
――大火力で熱した後、急速に冷やした? だとすると、この刃尾は……。
「おいおい。んじゃアイツら、逃げながら『どうせ追いつかれちまうから鱗割ろう』なんて、とんでもねえこと思いついたのかよ? ――だが、確かに上手いことやってやがる」
その場の全員の心中を代弁した八重蔵は「魂消た」と末尾を呟く。
その発想に至ったとして、どこの少年少女……それも10代も前半の子供が実行できるというのか。
しかし、実際にやり抜いた証拠が落ちている。
子供の上半身を優に超える長大な刃尾。
無造作に転がっている刃は雪の白さを鈍く反射している。
捜索隊の皆がつい沈黙して野生の片刃へと視線を注ぐ。
「これ、すっぱり斬り落とされてるわ。凛華ちゃんが?」
その断面を覗いてトリシャが問えば、
「見してくれ」
八重蔵がひと言、さっと膝を折り、数拍と経たぬ内に片眉を跳ね上げた。
「……違え。断面から血が流れてねえぞ。灼けてやがる。こいつぁ凛華の仕業じゃねえ。アルだ。俺の教えてる刀術、六道穿光流・火の型だ。間違いねえ」
「え、うそ!?」
途端、トリシャは息子によく似た色合いの紅瞳を見開いた。
「いやマジだ……って、ちょい待て。嘘だろ?」
八重蔵は近くにあった長く伸びる溝も見つけ、慌てて雪を蹴り払う。
「凛華のやつ、ヤロウの尾っぽを受け止めたのか?」
それは大地に突き刺さった重剣が引き摺られ、そのまま抉っていった跡だ。
真っ向から受け止めるつもりで防御姿勢でも執らない限り、これほど深く長い溝は出来ない。
そこで八重蔵はハッとした。場景が浮かんだのだ。
逆上した〈刃鱗土竜〉が穴から這い出して刃尾を振るう。
それを凛華が受け止め、勢いの弱まった刃尾をアルクスが灼き斬る。
状況証拠はその場面を物語るに充分な説得力を持っていた。
「マルクも一緒に尾を押さえ込んだようだ。踏み抜いた地面にあいつの足跡がある。魔法があるとは言え、子供二人で受け止めるとは」
次いで、マモンも呟く。
それで、その場の皆が精確に4人の狙いを理解できた。
つまり、鱗を脆くするだけではなく、脆くなった鱗を集めさせて斬り落としたのだ。
連携も実力も胆力もなければ絶対に不可能。あの年齢でやることではない。
ヴィオレッタでさえ、しばしの間言葉が浮かばなかった。
しかし、痕跡はまだ続いている。
「……とりあえず、まだ終わってないみたいだし急ぐわよ」
トリシャはそこから少し外れた箇所――ぽっかりと何かが通り抜けたらしい空間をじっと見つめていた。
捜索隊の面々もその穴を見て頷き、辿っていく。
中空には枝葉が折れて出来たらしい穴がある。
「誰かが吹き飛ばされたようじゃな」
そして、どうやら〈刃鱗土竜〉もその者を追いかけたらしい。
「みたいね。行きましょう」
穴の下に、かの魔獣も移動したと思われる大穴があった。
その数分後。
「墓地に近いだろうとは思ってたが、こんなに移動してたなんて」
急いで追跡する内に墓地にまで抜けてしまった。
少しひん曲がった柵を見て捜索隊の面々は悟る。――体重の軽い子供ゆえ、あれにぶつかるまで止まらなかったようだ、と。
その柵の下、雪のなかで何かが鈍く光った。
ハッとしたトリシャが飛ぶように走る。
「これ……! アルの刀」
「何だと!?」
血相を変えて駆け寄った八重蔵が見たのは、トリシャの手で雪から引き抜かれた、捻れてひしゃげて刀身だった。
どうやって灼き斬ったのかと思っていたが、炎で無理矢理熱していたらしい。
(源治の打った刀がこうも歪むたぁ……)
熱量も、加えられた衝撃も相当だったはず。
そして、確定した事実がひとつある。
この場所でアルクスは武器を失ってしまった。
拳を握り「畜生……!」と歯噛みした八重蔵を横目に、ヴィオレッタが呆然と俯く親友に語り掛ける。
「トリシャ、おそらく吹き飛ばされたのはアルだけじゃ。他の痕跡がない。じゃが、あやつなら刀が曲がろうと仲間の下へ戻るはずじゃ。儂らも急ぐぞ。アルの痕跡を追うのじゃ」
その言葉に、トリシャはゆるゆると顔を上げる。
そうだ。死体があるわけじゃない。息子が此処で刀を失ったというだけだ。
「……ええ、行くわ」
不安で零れそうな涙を堪えて立ち上がると、アルクスが戻っていったと思わしき痕跡を急いで辿る。
そうして、しんしんと雪が降るなか足早なトリシャを先頭に、薙ぎ倒された木々、破られた草藪などの戦闘跡を辿った彼らの視界に飛び込んできたのは、
「な……」
先程の衝撃を数倍も上回る光景だった。
「あやつら、やりおった……!」
ヴィオレッタの声が面々の耳朶を打つ。
その声音は安堵を大きく超える驚愕によって彩られていた。
だが、それも致し方ない。長い時を生きる彼女でも、これほど呆気にとられたのは久方振りだったのだから。
無論、捜索隊の方も皆、度肝を抜かれていた。
彼らの視線の先にあるのは、大きな屍骸。
左前肢をずっぱしと断ち斬られ、頭部に逆さまの慰霊碑を生やした〈刃鱗土竜〉の死んでいる姿が、そこにはあった。
完全に息絶えている。
少年少女ら4人が高位魔獣に打ち勝った。これはその証明だ。
「慰霊碑が……! これは『念動術』か……?」
「それ以外ないだろうな」
「自分がどこに飛ばされたのか判ったから使ったのね。お墓参り、ちょくちょく行ってたから」
「高位魔獣が相手だ。どんなに頑張ったって先に動けなくなんのは間違いなく子供の自分らだってんで決めに行ったんだろうが……まったく、どえれえことしやがる」
珍しくマモンが口火を切った会話は、八重蔵の言葉で一度結ばれ、場に静寂が訪れる。
人虎の族長ベルクトは開いた口が塞がらず、驚愕するより他なかった。
本当に息子と同じ12歳の子らがやったことなのか? と。
――これでは……較べられる息子らの方が可哀想ではないか。
「おっ……? 足斬ったのは凛華か。大剣術、土壇場でちゃんと使えたみてえだな。あれ落っことすために動きを止めようとしたってことか……? あ、いや違えなこりゃ。踏み込みが深過ぎる。あー……どういう状況だったんだ?」
八重蔵は斬り落とされている〈刃鱗土竜〉の足下に歩み寄り、ツェシュタール流大剣術、第一の型が使われたことを看破した。
重剣の重みで軸足がズレた独特の跡。それこそが疑いようもない証左だ。
だが動きを止めるために斬ったにしても、この足跡はあまりに深い。
まるで止まっている相手を斬ったみたいな残り方をしている。
ヴィオレッタは剣鬼と似たような疑問を抱き、思考力を全速稼働させて場景を脳内再現しようと試みていた。
〈刃鱗土竜〉は見た目以上に素早いので、慰霊碑を確実に叩き込むべく動きを止めさせた。これは確定だ。
そのうえ、斬り落とされた左前肢は屍骸から少々距離があり、捲れ上がった雪泥が体躯の一方に溜まっている。
つまり、そこまで動かされたのだ。
しかし、慰霊碑の重みだけであの巨体があそこまで引きずられることはないはず。
おまけに、常識的に考えて溝が残らないであろう方角に浅い筋が伸びている。
――斜め下に強い圧力が加わった?
あの重量級を無理矢理動かすほどの衝撃が。
ヴィオレッタは浅い溝をなぞるように歩き、見憶えのある端切れを見付けた。
「トリシャよ。この布、アルの外掛けではなかろうか?」
「えっ、どれ!? ――確かに……あの子のよ。今年作ってあげたやつ」
トリシャが駆け寄り、青褪める。
だが、血は付着していない。衝撃で破れ散ったように見える。
「あやつらは居らず、服もなく、血の匂いも薄い。そして魔獣から少々離れておる。……む、ラファルよ。慰霊碑の底はどうなっておる?」
何かに気付きかけたヴィオレッタは弾かれたように顔を上げ、身軽な森人へ呼びかけた。
「石碑の底ですか――よっと。おお、これは……足跡というか、足跡型の亀裂というか、そのようなものですね。二本分あります。それと、かなりの衝撃が加わったようです。見たよりグラついております」
との報告にほっそりした顎をひと擦り。
「……なるほどの。助かるぞ、それで合点がいった」
次いで紡がれたの発言に、ざわっと視線が集まる。
彼らが頼りにする里長の脳内には、再現された場景がほぼ完璧に組み上がっていた。
捜索隊の面々が聴く姿勢を執ったところで、ヴィオレッタは脳内の分析情報を再生しながら口を開いた。
「言うてみれば杭打ちじゃ。慰霊碑を杭に、マルクとアルを金槌に見立てると分かりやすいのぅ。
まず、アルが他三人に頼んで〈刃鱗土竜〉の動きを止めさせた。おそらく自身は『念動術』で慰霊碑を構えておったはずじゃ。そうして三人が連携して隙を作り、脳天を狙って慰霊碑を叩き込んだ。しかしながら〈刃鱗土竜〉は死なず――きっと暴れたのじゃろう。
そこで今度はエーラに慰霊碑を、凛華に本体を任せ、マルクとアルは空に跳び上がったのじゃ。慰霊碑を土竜に捩じ込めるだけの衝撃を出せるよう高く、高くな。そして、上空でマルクが両足を踏ん張り、アルが背中で爆炎を起こして加速したのじゃ。その間、藻掻いた〈刃鱗土竜〉の前肢を凛華が斬り落とし、エーラが魔法で杭を固定。
そこに、二人が墜ちてきたのじゃ。外掛けの切れっ端はアルがマルクと自身を繋ぐために巻き、墜ちたときの衝撃で破れた……と、これがおおよその真相で合うておろう」
その状況推測は、見てきたかのように精確だった。
「そう……じゃあ無事なのね? ホント、心配ばかりさせるんだから」
「まったくだ。どれだけ焦ったか」
「けど、やりやがった。まだガキんちょだってのに」
「その点は大いに褒めるべきだろうな。いつの間にか大きくなったものだ」
捜索隊の面々はそれぞれ異なった表情こそ浮かべているが、感心しているのは変わらない。
ヴィオレッタの状況推理能力と、それを成し遂げた齢若い4人に。
高位魔獣に対し、諦めてなるものかという覚悟や戦意。
互いに役目を預けられるだけの信頼と絆があってこその快挙だ。
ベルクトは彼らの親が肩の力を抜く様を眺めながら、心中で素直に敬意を表していた。
同胞を救うだけではなく、誰一人欠けることなく難敵を討ち果たしてみせた若い戦士達。
――息子にも斯くあって欲しいものだ。
そう考えて顔を上げると、周りの面々も似たような表情をしていた。
どうやら新世代の起こした突風はかなりの規模だったらしい。
雪の降る冬場だというのに皆が皆、熱気を孕む爽やかな風でも浴びたような顔をしている。
「さて、危機は切り抜けたようじゃがあやつらが疲弊しておるのは間違いなかろう。早く迎えに行ってやらねばのぅ」
指導者の言葉に頷き、一団が動き出した。その瞬間。
ぼッ、ごおおおおおおおおッッ!!
北の方の空で、腹に響く重低音と爆焔が上がった。
空を赫々と照らす炎に、捜索隊の顔が真剣なものへと変わり、
「くそ、まだ何かあったってのか!?」
「兎に角急ぐぞ!」
弛緩しかけた空気を瞬時に掻き消したのも束の間。
ぞくっ……!
「「「「「「「「――っ!?」」」」」」」」
背筋を駆け登った得体の知れぬ感覚に、八重蔵とマモンは思わず早めたばかりの足をビクリと止めた。
「なんだ、この禍々しい闘気は……?」
ベルクトがそう呟くのも無理はない。
あまりに異様だった。
此処まで匂いが漂ってきそうな殺気に、まるで感じられぬ理性。
殺戮の本能で動く魔獣が闘気を覚えたかのような荒々しさ。
およそ人間性を刳り貫かれた強烈な闘気に怖気が奔る。
ベルクトは知らず知らずの内に冷や汗を浮かべていた。
不意にその隣をトリシャが一気に駆け抜け、【龍体化】を発動させるなり飛び上がる。
「急に、何を――」
と、ベルクトが疑問を呈す間に、八重蔵も朱色の隈取を浮かべて駆け出していた。
隣や前を見てみればマモンも【人狼化】し、ラファルは木々に道を空けさせている。
4名が4名とも血相を変えていた。
「一体何が……なぜそこまで」
急いでいるのか? と、ベルクトや他数名の戸惑う声に、
「闘気は闘気でも、あれは龍気じゃ」
ちと判りにくいがの。と、4人と同じく険しい顔のヴィオレッタが告げた。
それを聞いたベルクトらは疑問が氷解すると同時に「……は?」と、愕然とした。
――この禍々しい気配が龍気だと?
ならば、それを発している可能性が高いのは……
「アルよ、待っておれ」
『飛空術式』を発動させたヴィオレッタは未だ赫い残滓の揺蕩う夜闇へと身を躍らせた。
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