6話 雪華舞い、鉄火撥ね散る逃亡戦! 迫る高位魔獣の顎!
今回は前回の続き、主人公たちの死闘を描いたお話になります。
サブタイトルに特殊読みはありませんが、
「雪華舞い、鉄火撥ね散る逃亡戦! 迫る高位魔獣の顎!」
と、リズムに合わせて読んで頂ければ、と思います。
苦虫を噛み潰したような顔で、アルクスは木々の間を縫うように駆ける。
(……これじゃジリ貧だ)
隠れ里の敷地から外れた大森林西部にて、行方不明になっていた人虎族の双子エリオットとアニカをどうにか見つけ出し、保護したまでは上出来。
あとはこのまま里まで帰るだけ。
そのはずが……そうは問屋が卸さなかった。
ザアアアアアアアアッ!
雪を蹴散らす滑走音。
音源は後方から迫る巨大な鰐型魔獣だ。
四本足を躰にピッタリと沿わせ、蛇のように身をくねらせてぐんぐんと距離を縮めてくる。
あの強烈なしなりが推進力へと変換されているらしい。
巨体のくせに異様なまでの敏捷さだ。
「アル! どうすんのっ!?」
【戦化粧】を施したままの凛華が叫ぶ。
背中の重剣が重いらしく、アルクスよりも息が荒い。
「今考えてる!」
どうもこうもない。逃げるだけだ。
しかし、凛華が問うたのはそんなことではない。
地上を疾走する自分達2人、とエリオットを担いで樹を蹴って跳んでいるマルクガルム。アニカを連れて【精霊感応】頼りに枝を伝って走るシルフィエーラ。
あと僅かもしない内に全員があの魔獣に追いつかれてしまう。
そうならないようにする手はないのか、と訊ねているのだ。
「く……」
アルクスはちらりと視線を後ろへ向けた。
全高だけでも自身の首元ほどまである、鰐と蜥蜴を混合したような巨大な魔獣。
猶予は、幾許もない。
数瞬の後、アルクスは逡巡を噛み砕いて声を張り上げた。
「――マルク、エーラ! 進路を左に!!」
声をかけられた2人が「おう!」「左だね!?」と応え、すぐさま左隣の木々へと移り跳んでいくのを確認しつつ、
「凛華! 俺が合図、したらっ、奴の進路上の、地面っ! 凍らせてくれ、一直線に!」
隣を走る凛華にも指示を出す。
冷たい空気が肺に凍み、声も飛び飛びだ。
「地面、を……!?」
凛華も似たようなものだが、やはりこちらの方が息遣いに余裕がない。
「簡単にっ、砕けないくらいには!」
「ええっ! わかったわ!!」
「準備を!」
4人は兎も角、エリオットとアニカはもう既に疲弊し切っている。
このまま里まで走り続けるなど到底不可能だ。
(何とかするしかない……!)
アルクスは決意と共に、だんッと大地に足を突き刺して急速反転。
慣性のままに、ずっざぁぁあ……っと雪泥を削り散らしつつ鰐型魔獣を見据えた。
「すぅ~~……!」
直後、息を吸いながら両掌に魔力を集中。
欲しいのは衝撃力だ。あの魔獣の敵意が一点に集中するほどの。
「はぁぁぁぁ……っ!」
右掌に炎を、左掌に雷を。
そのまま胸の前で両掌を合わせていく。
属性魔力同士による反発が起こり、手がぶるぶると震える。
しかし、アルクスはそれらを無理に捻じ伏せて炎と雷を混合・圧縮させていく。
ちちちッと雷棘が爆ぜ、炎が顔を舐める。
(――できた!)
更に、ぐぐぐっと力任せに圧し潰し、形状を杭型へ。
眼の前には目標。
転瞬、紅い瞳が物騒な輝きを放った。
「う お お お お お ッ ッ ! !」
迫りくる鰐型魔獣に向けてアルクスが咆哮。躊躇なく、渾身の力で杭を投擲する。
びゅっ……ごおッ!
と、低空を飛翔した炎雷杭が鰐型魔獣の下顎に刺さった――瞬間。
どッ、がああああんッ!
雷鳴にも似た轟音と閃光が辺りを支配するや、暴風が荒れ狂い、周囲の木々を軒並み揺らす。
アルクスの投げた炎と雷の混合属性魔力は着弾と同時、鰐型魔獣の巨体をひっくり返して吹き飛ばしていた。
直撃した魔獣の鱗から、しゅうぅぅ……と白っぽい煙が上がっている。
「……すっご」
然れど、それが誰の呟きかも分からないほど、アルクスは全神経を魔獣へと傾けていた。
なぜなら、生体魔力感知の反応がまったく弱まっていなかったからだ。
凛華に目で準備を促しつつ、マルクガルム達の居る方角と反対方面に立つ。
それとほぼ同時だ。ごろんッと鰐型魔獣が腹這いの体勢に戻った。
ところどころ焦げているが、やはり殆ど損傷は見受けられない。
だが、怒りだけは買えたようだ。
魔獣のぎょろりとした眼球がアルクスに向き、下顎が薄く開かれる。
ギイッ……! ガアアアアアアアアア――ッ!!
唐突に、不快な金切り声が辺りに轟いた。憤怒の混じる魔獣の怒声だ。
「うぅっ!?」
「ぐぉっ!? うるっせえ!!」
腹を叩き、鼓膜を激しく掻き鳴らした魔獣の咆哮に、聴覚の鋭いシルフィエーラと【人狼化】しているマルクガルムが咄嗟に耳を塞いだ。
「――」
アルクスは耐えるように奥歯をぎっと強く噛み締め、凛華は極限まで気配を薄めて両手に魔力を込め続ける。
視線を交わしていたのは数秒か、はたまたもっと短い時間か。
凛華が緊張で乾いた唇を舐めた。
それとほぼ同時、鰐型魔獣がその身を蠕動させる。
(来る……!)
「今だ!!」
初動を見て取るやアルクスが叫び、
「そっこぉっ!」
飛びかかってきた魔獣をギリギリで横っ飛びに避けた彼の背後から、凛華が勢い良く冰を放つ。
放たれた先は魔獣の足元――枯れ葉と雪混じりの地面だ。
直後、凍てついた一直線の通路が鰐型魔獣の飛び込み先に形成され、慣性の法則に従って巨体が滑り出す。
その背へ向けてアルクスは風属性魔力を一点集中で連射した。
摩擦係数が〇に近い地面を無理矢理加速させられた魔獣が悶えながら滑っていき、視界から消える。
引っ掛かりそうな木々の少ない、見通しの良い場所を敢えて選んだのだ。そうそう簡単には止まらない。
「……ふぅぅ、はあ~心臓止まるかと思った」
「でもこれで急場は凌げたわ。行きましょ」
アルクスと凛華は踵を返し、それとなく遠くへ行くよう指示していたマルクガルムとシルフィエーラ達の方へと駆け出す。
「とりあえずってとこだな」
「見てて怖かったよ」
「そうね。でもそんなに長くは保たないと思うわ」
「うん。今の内に距離を稼ごう」
そのまま合流し、4人と幼い双子は安堵と緊張を綯い交ぜた表情で帰路へと急ぐのだった。
時間にしておよそ10分後。
狩猟限界線まで戻ってきた6人はハァハァと肩で息をついていた。
どうにか、簡易狩猟場の端まで戻って来れた。
しかし直後、その安堵も束の間であったことを知る。
ザア――……ッ!
ザア、ザザアア……ッ!
ザザザザアアアアッ!
またもや地面を滑って削る、あの独特な音が彼らの耳朶を打ったからだ。
「「っ!?」」
「もう戻ってきたっての!?」
「しつこ過ぎだろ」
「でもどうやって……!?」
「くっ」
恐れていた事態だ。
追ってくる気はしていたが、こうも早いとは。
しかも、どうやったのかこちらの位置を把握しているかのように、どんどん音が近づいてくる。
(こうなったら……!)
一番取りたくない手だったが、アルクスは少ない手札を切ることにした。
幸いなことにもう狩猟場内だ。
ここまで時間が掛かっていれば大人達だって捜索に来ているはず。
覚悟を決めて顔を上げると、幼馴染達も似たような表情を浮かべていた。
どうやら考えていることは一緒らしい。
(なら野暮は言いっこなしだ)
ひとつ頷いたアルクスはすっと跪いて人虎の双子に目を合わせる。
「エリオット、アニカ。ここから真っ直ぐ、この方向に走れ。振り返っても、曲がったりしてもダメだ。この方向、わかるな?」
「え、でも、アルクスにいちゃんたちは……?」
エリオットが不安げにこちらを見た。
「俺達は時間稼ぎだ。いいか? 走れ、走って大人たちのところへ行って、助けを呼んできてくれ。派手に暴れておくから。ただ、あくまで時間稼ぎだ。今の俺達じゃ、アイツはたぶん倒せない」
紅い瞳に強い輝きを湛えて静かに諭す。
「でも……!」
それでもアニカは納得できないのか、声を上げた。
しかし、アルクスはきっぱりと告げる。
「時間がない。もうすぐヤツに追いつかれる。それはわかるな? 頑張って走って、師匠……大人を呼んできてくれ。それが二人の任務だ」
任務。ズルいとは思うが、敢えてその単語を使った。
双子とて両親から聞いたことがあるであろう、何かを優先するための言葉。
「にんむ……」
「……う」
揺れる二対の瞳が揺れ動いた末、決意の色に染まり、やがてエリオットとアニカはこくんっと強く頷いた。
「よおし、じゃあ走れ。走って俺達を助けだしてくれ」
ニッカリ笑うアルクスに双子はもう1度大真面目に頷くや、一目散にパッと走り出した。
駆けていくエリオットとアニカが見えなくなったところで、
「いよっしゃ! んじゃあ俺らも仕事の時間といこうぜ!」
マルクガルムが威勢の良い声を上げた。
ばしばしと己の頬を叩く彼の発破に、アルクス達も不敵な笑みを浮かべる。
――やってやろうじゃないか!
長年つるんできた4人の気持ちが重なる。
「どっち方面で暴れる?」
当然、双子の逃げた方には行かせられない。
「俺が注意を引く。エーラ、【精霊感応】使って壁作れる? 凛華とマルクでその壁を厚くしてくれ。突っ込んできたヤツにその壁でひと当てして、あとは限界線に沿いながら誘導する」
「できるよ! まっかせて!」
「あたしは冰で厚くするのね。マルクは?」
「俺は水をかけっから固めてってくれ」
「わかったわ。アイツの鼻先、折ってやりましょ」
朱色の隈取に青い瞳を爛々と輝かせた凛華が自信たっぷりに笑う。
ザザザザアアアアアア――……!
あの音だ。
「来た。みんな」
音と気配を敏感に察知したシルフィエーラとアルクスが魔獣の進行方向を先読みして体を向けた。
マルクガルムも狼爪を、じゃき……ッと伸ばして両手に魔力を集中。凛華も重剣の柄に右手を掛けたまま、左手に冷気を集める。
アルクスも鯉口を切るだけ切って、右手にバチバチと青白い雷を用意した。
ザ、ザアアァ、ァァ、ァ――……。
不意に、地面を削るあの音が途絶えた。
4人が不審に思いつつ、じっと耳と目を凝らしていると――
ご、ぼおッッ!!
凄まじい衝撃、腹を叩く振動と共に地中から鰐型魔獣が勢い良く飛び出すや、襲い掛かってきた。
「いっ!?」「ちっ!」「くっ!」「うっ!?」
瞠目しながらも4人は散開。
「エーラ!!」
逸早く我に返ったアルクスが森人の名を叫ぶ。
「まっかせて! びっくりしちゃったじゃんもう!」
虹彩を鮮緑に輝かせたシルフィエーラが【精霊感応】を発動させた。
「そのままぶつかっちゃえ!」
木々の間を通り抜ける軌道にいた魔獣の眼前に、枝と根で組み上げられた網が、ぎゅばっと出現。
間髪入れずにマルクガルムが、どばあっと水流を噴射し、ひゅおおおおッと凛華が冷気を送り込んでガチガチに固める。
そこへ、魔獣が突進。
見えていても止まれなかったのか、がごぉんッ! と顎先をぶつけてひっくり返る。
「で、やあっ!」
その口腔へ、アルクスの溜めに溜めた雷撃が放り込まれた。
ィィッ……!?
口内に突き刺さった青白い雷鎚に、魔獣は音未満の啼き声をあげて、巨大な体躯をのたうち回らせる。
「ざまァみろ!」
マルクガルムが吼えた。
ギッイイイイイイイイ――ッ!!
その声に反応するように魔獣が厭な響きをさせて啼く。
「さっきからうるさいぞ。悔しいんなら捕まえてみろ」
アルクスがその鼻先へ、どどどどッと炎弾を勢いよく撃ち込んだ。
効かぬことは百も承知。それでも撃つのは止めない。
挑発こそが目的だからだ。
鯉口を切った打刀の柄を左手で押さえたまま、
どん、どん、どんッ!
と、重めに切り替えて撃つ。
転瞬、魔獣の眼がギロッと血走った。
そのまま、ぐるんっと体勢を変えて蜥蜴のような鱗を震わせるなり、再度突撃してきた。
(狙い、通り……!)
「そんなの当たるかっ! みんな行こう! エーラは木の上から目を狙ってくれ! 俺達は何でもいいから隙を見つけて放り込む!」
「おう、任せな!」
「うんっ! 絶対射貫いてやるから!」
「ええ、叩っ斬ってやるわ!」
4人はパッと散って走り出す。限界線沿いに南西部方面へ。
長い夜は、まだ始まったばかりだ。
☆ ★ ☆
彼ら4人が囮をやり始めた、およそ40分後の簡易狩猟場内。
エリオットとアニカの双子は懸命に走っていた。
何度も転び、そのたびに互いを起こし合って擦り傷だらけの泥塗れだ。
膝も服も、掌も爪の間も、血と泥で汚れ切っている。
痛いし、苦しい。
しかし、走らないわけにはいかなかった。
自分達のせいでこんなことになっている。
幼くとも、そのくらいは理解できる。
だからこそ止まるわけにはいかなかった。
どのくらい走っただろうか?
エリオットとアニカは顔を見合わせて来た道を振り返った。
途中で少しだけ整備された獣道に出てからは随分と走りやすくなった。
それでも、あとどのくらいで里に辿り着けるのか見当もつかない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。おにいちゃんたち、ほんとにあいつ、どっか連れてったんだ……」
血を分けた片割れにアニカも頷く。
先刻の、聞くだけでぞわぞわと肌が粟立つ滑る音がまったくしなくなっていた。
辺りはし……んと、静まり返っている。
「ふっ、ふっ、ふぅ、ふぅ」
息も絶え絶えに、喉からしてくる血の味を無理矢理飲み下す。
「……ふっ、ふっ、ふぅっ。急がなきゃ」
すると不意に、ガササッと草むらが揺れた。
「「っ!?」」
ビクッとした2人は両手でパッと口を押さえてしゃがみ込む。
すると時間も置かずに人影が現れた。
「エリオット! アニカ! どこにいるんだ!?」
父の声だ。
2人は視線を交わし、姿をしっかりと視認できるまで待つ。
「ここらへんで匂いが――」
果たして、ガサガサと草を掻き分けて出てきたのは、確かに父だった。
後ろに何人も人が居る。
「こちらの方から子供の匂いがしたと聞いたが確かか?」
「確かです、里長様。エリオットとアニカの匂いです」
――さがしに来てくれた大人たちだ!
頷き合った双子は問答している彼らの前にバッと飛び出した。
身構えた大人達はそれが件の双子だと気付くと、すぐに歓声を上げる。
「お前達! 良かった、本当に! ああ女神よ、感謝する!」
父が泣きそうな顔で駆け寄ってきたが、2人は飛び込みたい気持ちを抑えて”里長様”と呼ばれた女性に駆け寄った。
「エリオット? アニカ?」
動揺する父に待って、と目で訴えてヴィオレッタを見上げる。
「さとおささまですか?」
「そうじゃ、そなたらが無事で何よりじゃが何があった? 儂の弟子とその仲間三人がそなたらを――」
「エーラおねえちゃんたちを助けて!」
そこまで聞けば充分とばかりにアニカが叫んだ。
「な、どういうことじゃ!?」
「アルクスにいちゃんたちがぼくらに『助けを呼べ』って言ってにがしてくれた! 自分たちは時間かせぎするから大人をつれてきてって! 自分たちじゃ勝てないからって!」
事情を訊ねられる前にエリオットも捲し立てる。
「おねえちゃんたちをたすけてください!」
「おねがいします!」
ヴィオレッタ達は事態の深刻さに血の気が引いた。
何と言っても、幼児上がりの泥だらけな双子が膝も頭も地面にこすりつけて頼み込んでいる。
こんな幼い子供がここまでしているということ自体が、あの4人の窮地具合を何よりも雄弁に物語っていた。
加えてエリオットはアルクスが「自分たちでは勝てない」と言ったという。
その話が本当なら非常にマズい。
その時、トリシャがアニカの上半身――息子の首巻きを目敏く見つけた。
「アニカちゃんだったわね? その首巻きどうしたの?」
「わたしが魔法のせいで服が破れたって言ったらアルクスおにいちゃんが『着てな』ってくれたの。凛華おねえちゃんもこれ貸してくれた」
「マルクにいちゃんはぼくにこれ貸してくれた……【じんろうか】したら破れちゃうからって」
状況証拠が双子の証言を真実だと裏付ける。
つまりあの4人はこの寒空の下、勝てないかもしれない魔獣相手に戦っているということだ。
「畜生が! おいどこだ!? あいつらはどこらへんにいる!?」
「落ちつけ、八重蔵。子供に迫るな。話したくとも話せなくなる」
胸倉を掴まん勢いの剣鬼をマモンが嗜める。
ラファルもその様子を見て少し冷静になった。
「そうじゃな。エリオットにアニカよ、父の胸に飛び込む前に儂らにきちんと言うたこと、偉いぞ」
ヴィオレッタが褒めながら2人を立ち上がらせる。
しかし当の双子はちっとも嬉しそうにしない。
「アルクスにいちゃんが……それがぼくらの”にんむ”だって」
その言葉で、ヴィオレッタと彼ら4人の親は当時の状況を察して奥歯を噛み締めた。
それほどに切羽詰まった状況だったのだ。
このまま逃げ続けるのは不可能だと判断し、双子だけでも逃がそうと決めたのだろう。
しかし、おそらくこの双子は4人を置いて逃げることを渋った。
だから無理矢理にでも逃がすべく、そんな単語を使ったのだ。
あの4人は変なところで胆が据わっている。そのくらいはやってのけても不思議はない。
「……そうかい」
八重蔵は努めて冷静に振る舞おうと拳を握り、装備を確かめた。
己の心の在り様も確認する。
――大丈夫だ。走れるし、斬れる。
だから、絶対に助けられる。
「二つ質問がある。まずアル達とどこで分かれたか、そして『あいつ』とはどんな魔獣なのか、じゃ」
ヴィオレッタは静かに問うた。
重要な質問だ。アルクス達が4人で組んでも勝てない魔獣。
だとすればまず間違いなく簡易狩猟場に出るような類の魔獣ではないだろう。
「えと、わかれたのはここからまっすぐあっちに行ったとこの赤い帯があるとこで――」
「『あいつ』はトカゲみたいな見た目でヘビみたいにうごくデッカいやつ。でも鼻はもっとながくて、あごになってる。ざざあああーってすごいはやい」
双子は身振り手振りを使って懸命に説明した。
巨体で蜥蜴に似ているが鼻先は長く、蛇のような動き方。
ザザアアアという音で滑る。
幸いなことに2人の説明は的を射ていた。
が、双子から特徴を拾った大人達は顔を青褪めさせた。
その魔獣に覚えがあったからだ。
「まさか……〈刃鱗土竜〉か!?」
「……」
「……特徴なら合ってる」
ラファルが拳を固く握り締める。
今すぐにでも駆けだしたかった。
「噓でしょ……!?」
トリシャも最悪だと呟く。
双子はおろおろと泣き出しそうになった。――そこまで危ない魔獣だったのか、と。
大人たちがどうしてこれほど動揺しているのか。
「あやつらが相手にしておるのは……おそらく高位魔獣じゃ」
ヴィオレッタはその答えをハッキリと口にした。
☆ ★ ☆
捜索隊がエリオットとアニカを見つける20分ほど前。
「んなっ!?」
限界線に沿い、更に南下していたアルクスは瞠目した。
そこそこの魔力を籠めた炎弾が想定の半分も効果を発揮しなかったからだ。
狙ったのは鰐型魔獣の目と目の間――つまり眉間部分。正確には額。
不意討ち気味の一発が直撃したにも関わらず、鰐型魔獣はケロッとしている。
先ほどまでは損傷こそ与えられなかったものの、衝撃自体は通っていたはず。
(何だ……!? 今、何が起きた?)
一瞬何かが見えたような気がしたが、鰐型の大型魔獣――〈刃鱗土竜〉が即座に口を大きく開けて突っ込んできたので、
「く、そっ!」
慌てて木を数本蹴り飛ばしながら複雑な回避軌道を取ってどうにか躱す。
バキバキイッ!
と、破裂音をさせて木々を嚙み砕き、薙ぎ倒した〈刃鱗土竜〉が一瞬止まった隙に、今度はマルクガルムが仕掛けた。
「うぉおおおおっ!!」
どんッと地面をへこませるほどの脚力で踏み込み、右の狼爪による貫手を繰り出す。
脚の捷い人狼にとって、最大限の貫通力を誇る攻撃。
狙うは柔らかそうな腹。
しかし、太い牙猪の牙すら一方的に砕き、脳まで貫通するの一撃は――
ぎぃぃぃんッ!
と、甲高い音をさせて弾かれてしまった。
「くっそ! なんだ今の!?」
じぃんと返ってきた感触に驚きつつ、〈刃鱗土竜〉が身体を転がしてくる前に空いている左手の爪をその背中に引っ掛けて跳び越える。
次いで、ぐるんッと横に転がった〈刃鱗土竜〉の目を狙ってシルフィエーラが矢継ぎ早に三射するも、下から生えるように閉じた瞼に阻まれてしまった。
「相手の動体視力が良すぎるよ!」
「でぇやああああッ!!」
直後、シルフィエーラの作った死角へ、凛華が重剣を突きこむ。
体重の乗った馬上槍の突撃と同等の威力を誇る一撃……のはずが、やはり損傷はないらしく少し後退しただけだった。
「どうなってんのよ、コイツ!」
アルクスは龍眼もどきに魔力を込めた。
(急に頑丈になった。一体アイツは何をした?)
その問いかけに応えるように〈刃鱗土竜〉が身震いする。
すると、今までちっとも使っていなかった尻尾の表面で、鱗が浮いた。
次いで、するするとそれらが集まっていき、尾の先に巨大な片刃を形成していく。
「な……」
全員が驚愕に眼を剥いた。
――あれは、ヤバい。
そう感じたのとほぼ同時、アルクスは隣に後退してきた凛華の肩を引っ掴みながら警告を飛ばす。
「マルク、伏せろ!!」
ぶう゛ん……ッ!
頭上で、何か大きなものが通り抜けていったような風音がした。
「おわっ!?」
〈刃鱗土竜〉が刃つきの尻尾を振るったのだ。
メキメキメキメキ……ッ!
咄嗟に伏せたアルクスと凛華、
「っと、なんてヤツだよ」
マルクガルムが寸でのところで難を逃れ、樹上に居たシルフィエーラはその木の根元をズパッと切り倒されて「わわっ」と慌てて別の枝に跳び移った。
4人の顔色は悪い。
そもそも圧倒的に不利だったというのに、ここに来てこれだ。
だが、判ったことも一つある。
「――今のは、魔法だ。あのしつこい蜥蜴、高位魔獣か!!」
アルクスは正体を看破して吐き捨てた。
毒を有していたり、魔法が面倒だったりするので駆除対象とはされていても、好き好んで狩りに行かない類の魔獣。
それどころか、生半可な実力で挑めば、その高い知能と魔法で一方的に狩り殺される。
戦士団所属の戦士でも一定以上の猛者や熟練でなければ任せられず、成りたては「出会ったら一目散に逃げろ」と教え込まれる、自然の生み出した強者。
食物連鎖の最上位層に位置する厄介な存在。それが高位魔獣。
「あれが? 最っ悪……!」
凛華も悪感情を隠さない。
片刃を象っていた鱗をするすると動かしている〈刃鱗土竜〉を前に、アルクスは目紛るしく思考する。
(考えろ、どうしたらいい? どうすればヤツを撃退できる?)
半端な攻撃はこちらを危険に曝してしまうだけ。
(さっきの炎弾を防いだのはきっとアレだ。こいつの魔法は、自分の鱗を好きに移動させて、何かを形成できるんだ)
最初の属性魔力弾は鱗を何枚も重ねて衝撃を逃がし、見た目からして他の部位より柔らかそうだった腹を覆うことでマルクガルムの貫手を防いだ。
シルフィエーラの放った矢だって鏃が付いている。
瞼の上に数枚重ねていても不思議じゃないし、凛華の攻撃に関しては最も注意していただろう。一番最初に張り飛ばされたのだから。
高位魔獣ならそのくらいの知能はあると考えて良い。
「アルッ!」
唐突に、切羽詰まった凛華の声。
思考に意識を割かれ過ぎていたアルクスはハッとした。
龍眼もどきに映ったのは、びゅおぉぉ……ッと真っ直ぐに飛び込んでくる巨大な片刃。
いつの間にか、鱗が移動していた。
(形成速度も速い!)
「ち、いぃッ!」
刃付きの尾による刺突へ、アルクスは抜いていた打刀を思いっきり打ち付けて左に逸らした。
何かが頬をヂッと掠めていく。
「くそ、厄介な! ――あ? いっつぅ……!?」
燃えるような痛みを頬に感じたと思ったら血が滴った。
軽く触れてみる。
(斬られてはなかった、はず)
だというのに掠った頬が皮ごと持っていかれていた。
アルクスは慌てて引き戻される尻尾を注視した。
(あれに削られたのか)
鱗に針金のような毛がびっしりと生えている。
それは、繊毛だ。
人狼が毛皮に魔力を通すことで鋼の剣を受け止められる原理と同様に、〈刃鱗土竜〉の繊毛も似たような効果を持つのだろう。
剣山で頬を勢いよく擦られたようなものだ。
「気をつけろ! ヤツに生身で触るな!」
頬から血をだらだら流しながらアルクスは炎弾をバンバン撃ち込み、仲間達へ警告を飛ばす。
鬱陶しかったのか〈刃鱗土竜〉が太い刃尾を振り上げた。
「ぐっ!? 距離を取るぞ!」
アルクスは上から叩きつけるような尾の間合いを紙一重で見切って後方へ跳び退り、また走り出す。
並走していた凜華は彼の頬から流れている血に気付いて目を見開いた。
「アル!? 血! 大丈夫なの!?」
「たぶん! とにかく時間が欲しい! 考えてる時間もない!」
「一旦逃げるぞ!」
「こっちだよ!」
あの魔獣が魔法を使い始めてから明らかに劣勢度合いが増している。
それを察した4人は一も二もなく逃走に移った。
炎や冰、矢を放って注意だけは引きつつ駆け廻る。
その間も刃尾を躱し、突進を避け、炎弾を放ちつつアルクスは思考し続ける。
(こんなヤツ相手に死んでたまるか……!)
残りの3人とて色々と試してくれているが打つ手が少ない。が、それも致し方ないことだ。
攻性魔術を扱えるわけでもないし、それぞれが魔法を使っているため、考えなしに属性魔力をドカ撃ちしては己の首を絞めることになってしまう。
(考えろ、よく考えるんだ。鱗の移動はつけ入る隙がないくらい捷くて、ヤツ自身の動体視力もかなり良い)
魔力をぶつけても質量が違い過ぎて焼け石に水。なんとか衝撃を通せても気絶させるほどもない。
(何より全身が凶器だ。特に途中で使い始めたあの尻尾はヤバい)
叩きつけるだけでも脅威だというのに、尾の先を覆うように片刃が生える。
当たれば真っ二つ間違いなし。兎にも角にも攻守に使えるあの鱗が便利過ぎる。
やはり魔法とは強力なシロモノだ。
そこまで考えて「……ん!?」と思考を止めた。
(待てよ……鱗を移動させてる? ってことは、あれは生え変わってるわけじゃ……ない!? それなら――!)
アルクスは息を荒げながら口を開いた。
「みんな! ちょっと聞いてくれ! 何とか――くっ! 出来るかもしれない!」
その言葉に3人が横並びに駆けてくる。
彼らとて、この状況を何とかしたいのだ。
ゆえに、アルクスは手短に話した。
この状況の打開策を。
あの高位魔獣をぶっ斃す作戦を。
話を聞いた3人がニヤリと笑う。
「なるほど、一泡吹かせられるってわけね! 上等よ!」
「俺も乗ったぜ!」
「ぃよぅしっ! そうと決まればまずは時間稼ぎっと!」
言うが早いかシルフィエーラが瞳を鮮緑に輝かせ、
「みんなお願いっ!」
と、喚び掛けた。
途端、植物の精霊が彼女の【精霊感応】に呼応して、冬場にも関わらず様々な花々を咲かせる。
〈刃鱗土竜〉はお構いなしにそこへ突進してきた。
すると花々がブワッと花粉を吐き出し、それを確認するなり、とぉんっとシルフィエーラは横っ飛びに躱しざま、三つ矢を射掛ける。
森人だからこそ出来る離れ業だ。
放たれた矢が撒き散らされていた花粉に突っ込み、風の精霊がそれらを巻き込んで引き連れていく。
眼に見えるほど濃い花粉の帯を靡かせる矢に対し、しかし〈刃鱗土竜〉は脅威を感じなかったのか反応しない。
直後、ギョロリとした目元に2本、鼻先に1本、かかかんっと当たった。
何と言っても高位魔獣だ。単なる矢など何ら痛痒もない。
しかし、それで十分だった。
ギイイイイイイイイ――ッ!?
直後、〈刃鱗土竜〉が苦しそうに、弦楽器をハチャメチャに掻き鳴らしたような不協和音を上げて、木々を薙ぎ倒しながらのたうち廻りだす。
大したこともないと開いた眼球に大量の花粉をお見舞いされたのだから、如何な高位魔獣であれども、堪ったものではないだろう。
「よーしっ! 今の内だよ!」
「助かる!」
シルフィエーラの時間稼ぎのおかげで少しだけ猶予が出来た。
4人は急いで丁度いい場所を探して廻り、そして見つけた。
木々が薄く、雪の反射で周りを見渡しやすい、少しだけ開けた場所を。
「急がないと……!」
アルクスは素早く納刀し、右手指を刀印に象らせると準備に奔走した。もうそこまで猶予もない。
だが、初手が重要なのだ。あの魔獣をどうにかするには。
ズザザザッ……! ザザザザアアアア――!
高位魔獣は怒り心頭らしい。先程より音圧が上がっている。
しかし、ギリギリ準備完了だ。1分と時間もなかったが、それでも充分。
アルクスの隣には矢をつがえたシルフィエーラ。その後方に人間態に戻ったマルクガルムと【戦化粧】を施したままの凛華。
ギィィィッ、ガアアアアアア――ッ!
けたたましい咆哮が上がる。
4人を見つけた〈刃鱗土竜〉は体躯をしならせ、真っ直ぐに突っ込んできた。
「そぉ……れッ!」
そこにシルフィエーラが風を伴った矢を射る。今度は4射。
先ほどの花粉攻撃は堪えたのだろう。
〈刃鱗土竜〉はビタンッと尾を大地に叩きつけ、その反動でブオッと大きく跳んで躱すと、そのまま自重を以てこちらを叩き潰そうと落ちてきた。
――好機!
シルフィエーラが先んじて飛び退く。
「そいつを……待ってたんだッ!」
アルクスはギリギリまで引き付け、スレスレで飛び退りながら人差指と中指の刀印を〈刃鱗土竜〉の落下地点へ向けて振り下ろした。
「『落穽の術・多重累』!」
次の瞬間、魔術が正しく発動。
単純な穴掘りの術。しかし、重ねられた術式個数は28。
あの巨体が嵌まり込むほど広く深く掘るには、何度も術式を重ねる必要があったので時間を要したのだ。
無論、魔力だって一気に消費する。元々多いアルクスの魔力でも4分の1以上持っていかれた。
だが、その甲斐あって〈刃鱗土竜〉が成す術もなく即席の落とし穴へ落ちていく。
「今だ!」
「よいっ……しょおっ!!」
そこにシルフィエーラが【精霊感応】で大量にお裾分けしてもらっていた枯れ枝、枯れ葉、煙の出る草花、種子を風で流し込んだ。
すぐさまアルクスが穴へ駆け寄り、紅瞳に強い輝きを灯して両掌から炎と雷を流し込む。
ゴオオオオオッ! バヂヂヂヂッ!
と、炎流と雷鳴の音に混じって湿った枝葉や種子がパパンパンっと爆ぜる。
ギイッ!? ギイイッ! ガアアアアアアアア――ッッ!!
燻され、燃やされ、火と雷を流し込まれた〈刃鱗土竜〉が怒りの声を上げる。
その鱗が僅かにテラテラし始めた。
(次!)
「凛華、マルク! 頼んだ!」
アルクスが両掌からの炎と雷を絶って交代すると、
「任せなさい!」
「やってやんよ!」
すぐ傍で待機していた凛華とマルクガルムは、彼と真逆で穴の内部温度を急激に低下させるべく冷気を噴射した。
ひゅうぅぅぅぅぉぉぉぉお……!
消火器のように噴霧された二筋の冰気が直ちに鎮火し、〈刃鱗土竜〉の表面温度を一気に下げていく。
両者もアルクスと同じく加減など一切していない。
徐々に落とし穴の淵はガチガチの氷で覆われ、凍てつき始めた。
その直後だ。
動けると判断したのだろう。
ドゴオオッ!
と、〈刃鱗土竜〉が飛び出すや、尻尾に鱗を廻して刃尾を形成。
生意気な餌を真っ二つにするため、ぎゅんっと巨躯を右廻転させて巨大な片刃を大きく右に薙ぐ。
――アルの読み通り!
「はあッ!」
凛華は重剣を地面にザクッと差し構えて腰を落とした。
この初動を見逃さないために無理をして【戦化粧】を解かなかったのだ。
直後、凄まじい勢いで迫る刃尾が重剣とぶつかり合う。
「っぐぅ!?」
遠心力の乗った重い一撃。真正面から受ける形だが、逸らすわけにはいかない。
「ぐぐ、ぐう、うぅ……!? っがああああああッ!」
「うおおおっ!」
【人狼化】したマルクガルムも凛華の重剣へ飛びついて柄頭を押さえ、剣身に足を置いて加勢した。
「んぎぎ、重てえ……!」
そして刃尾の勢いが弱まり、止まりそうだと感じた瞬間――
「けどっ! アル、今だッ!!」
間髪入れず、兄弟のように育ってきた親友の名を呼ぶ。
その時には既に、アルクスは紅い龍眼もどきを一層輝かせ、打刀を大上段に構えて駆けていた。
銀光を靡かせ、だあんッと一足飛びに間合いを潰し、
「う お お ぉ ぉ お あ あ っ !!」
裂帛の気合を吼え、刃尾の根元に赤熱化した刃を振り下ろす。
――――六道穿光流・火の型『焔燐裂破』。
常に振る直前を構えとした、最も攻撃的な火の型【焔燐】。
風の型【陣風】が手数なら一撃必殺を理念とする型ゆえに、基本的に振り下ろしか斬り上げか横薙ぎの一太刀しかない。
その少ないながらも連綿と受け継がれてきた派生剣技の一つ。
己が内に秘めた闘志や気力の一切合切、何もかも一太刀に籠めて振り下ろす、二の太刀要らずの唐竹割。
まだまだ未熟ながらも、並々ならぬ気焔を昂らせた一閃。
ぶじゅあ……ッ!
それが生々しい音と共に、鱗の集中していた刃尾を斬って落とした。
「いよっしゃあ!」
「やったわ!」
ギイイイイッッ!!?
痛みに驚いた〈刃鱗土竜〉が金切り声を上げ、鰐の如き巨躯で暴れ廻る。
快哉を上げた凛華とマルクガルムはすかさず跳び退ってその場を離脱。重剣もしっかり握ったままだ。
しかし、短時間で魔力を大量に消耗し、全精力をかけて刃尾を断ち斬ったアルクスだけ一瞬遅れてしまった。
そこに短くなった尻尾が雪片を巻き上げながら、ぶうんッと襲い掛かり、
「ぐ、がはっ!?」
直撃をもらってしまった。
咄嗟に己の身体と尻尾の間に刃を割り込ませたものの、衝撃を全く受け流せず、為す術もなく吹き飛ばされる。
「「「アルっ!?」」」
悲痛な仲間の声が森に木霊した。
アルクスの視点がぐるぐると廻る。枝葉の何本も折れる音や遠くなっていく3人の声。
それらを感覚の端で捉えながらかなりの距離を吹き飛ばされ、
「ぐ、ぶあっ!? がふっ!」
何かにぶつかってずり落ちた。
衝撃と痛みが身体を苛む。
「げほっげほっ! う゛ぐぅ~~~~……っ!?」
肺から絞り出された空気を何度も吸って補給し、しばしの間、脳髄を刺激する痛覚を宥めようと蹲った。
「いっ、でぇぇ……!?」
チカチカする視界と息苦しさ、そしてどうしようもないほどの激痛に、奥歯を強く食い縛る。
「ふーッ……ふーッ……!」
だが、その痛みは死んでいないことの証左だ。
いずれは抜ける。
「ふーっ、ふー……曲がってる」
どうにか身体中を奔る鈍痛を耐え抜いて手元を見れば、刀はひしゃげたように折れていた。
赤熱化するほど短時間で熱した刀身は〈刃鱗土竜〉の尻尾の振り回しに耐えられなかったらしい。
固まりかけていた頬の血も、再びジクジクと灼熱を思わせる痛みを訴えてくる。
「行か、ないと……!」
アルクスは刀を地面に捨てて鞘を引き抜いた。
(ないよりマシだ)
そして首を軽く振ったところで、此処がどこだか気づいた。
「共同墓地……? 柵にぶつかったのか」
よく見ればいつぞや母と師に連れられて歩いた墓地前の道だ。
アルクスはそろりそろりと身体を起き上がらせる。
まだ痛いが死んでいない。
(死んじゃいないんだ。まだ動ける)
紅い瞳に輝きを戻し「ふぅぅぅ……」と息をついたところで、仲間達に思考が向く。
「いっつぅ……あの三人なら下手打ってないだろうけど、どうなった?」
慌てて痛む身体を引き摺り、先ほどの場所まで急ぐ。
その道中に彼らと1頭は居た。
どうやらようやくまともに攻撃が通るようになったのか、高位魔獣相手に3人は奮戦しているようだ。
攻撃も先程より苛烈苛烈に見える。
「こんのおっ、邪魔よ!!」
「どけテメェ!!」
「許さないよ!」
どうやら吹き飛ばされた自分を追いかけようとして邪魔され、頭に来ているらしい。
しかし、相手は知能も高い高位魔獣。そちらはそちらで尻尾を斬り落とされて怒っている。
それに、やはり問題がある。
消耗している仲間3人と〈刃鱗土竜〉の間には、隔絶された質量差が存在するのだ。
攻撃が通るようになっても、このままいけば先に動けなくなるのは彼らの方で間違いない。
きっと3人にもその自覚はあるだろう。
(加勢、しないと)
そう思ったアルクスは両掌に魔力を集めようとして……ハッと閃いた。
効きの悪い炎属性魔力を何度も当てて廻るよりも確実な方法を。
「三人とも! もう少しだけ時間を稼いでてくれ、すぐ戻るから!!」
思いつくや、呼び掛けると仲間達に背を向けて走り出した。
「アル!? 無事だったのね!」
途端、精細さを欠き、乱暴だった凛華の重剣が重みと鋭さが増す。
「よかった! でも許さないのは許さないんっ、だけどね!」
シルフィエーラの狙いが冷静さを取り戻し、より精確なものへ変わった。
「落ちつけお前ら! 時間稼ぎだな!? まっかせろ!!」
マルクガルムが跳び上がって〈刃鱗土竜〉の横っ面を蹴り飛ばす。
アルクスは頼もしいその声を聞きながら墓地へと駆け抜けた。
目指すは慰霊碑だ。
高さ10mを超える緩やかな三角錐型の石碑。
そこまで走り切ったアルクスは全霊で頭を下げた。
「生きてたら謝りに来ます! 力を貸して――いや、借ります!!」
そう言うと慰霊碑に魔力を流し込み、両掌を石碑へ向けたまま、魔術鍵語を浮かび上がらせて術式を描いていく。
「頼む頼む、早く浮いてくれ……!!」
転瞬、アルクスの祈りを聞き届けたかのように魔術が発動した。
見えない腕が慰霊碑を掴む。
アルクスはそのまま持ち上げるように、ぐるっと掌を上向けた。
即座に両腕へ負荷が掛かり、ビキッと血管が浮く。
「ぐぐ、ぎぎっ、もうちょっと! 第一、術式に魔力を……!」
『念動術』だ。第一術式で物体の質量を軽減し、第二術式で圧縮された空気や魔力の塊で対象を掴むー―アルクスが初めて覚えた初歩的な魔術。
何度も使ってきたからこそ、術式も構成もよく知っている。
アルクスは加減されていた質量軽減効果を調整すべく第一術式に魔力を流した。
「浮いた! ――って、待った待った!」
すると思い切り魔力を流し過ぎて完全に重力と相殺してしまったのか、ぷかぷかと浮いた石碑が風の抵抗をもろに受けて煽られる。
「ふんぬっ、ぐぐぬ、ぬううっ!」
流れていく慰霊碑を引き留めるため、質量軽減効果を緩めて引っ張り直す。
「やっぱ第二術式が邪魔だよこの術! 第一術式単体でどうにかなんないかな、もう! 鍵語さえ読めれば!」
びきびきと額や首筋にまで血管を浮かせ、イライラと愚痴を吐き出しながら集中。
「ぐぐ、ぐ、もう、ちょい……!」
ややあってようやく安定した。
腕はブルブルしているし、力み過ぎて血管も浮きっぱなしだ。
アルクスは気付いていないが、いつの間に牙も尖り始めていた。
グッと瞳に輝きが灯る。
(……行ける! 急がないと!)
アルクスは両手を突き出したまま、時に右腕を引き寄せて慰霊碑の向きを変え、時に腕全体をグルグルと廻して姿勢を執りながら仲間達の下へと急ぐ。
(良かった、大丈夫! 戦闘音はまだ聞こえてる!)
「着いた!」
「来たかアル! っておまっ、なんてもんを!」
マルクガルムは白眼のない灰紫の瞳を真ん丸にして一瞬呆気にとられるも、友の思い付きを理解した。
凛華とシルフィエーラの反応も似たようなものだ。
「っち、どうすりゃいい!?」
〈刃鱗土竜〉の噛みつきをいなし、木々を蹴りつけながらマルクガルムが問う。
「一瞬でいい! 動きを止めてくれ!」
「そういう、ことねっ! 任しときなさい!!」
「ボクも、そういうのは……っ! 大っ得意!!」
凛華とシルフィエーラも不敵な笑みを浮かべて一瞬距離を取った。
刃鱗土竜と3人の間にほんの刹那、沈黙が訪れる。
「とっつげきいっ!!!」
転瞬、シルフィエーラが叫んで矢を4射。
2射は刃鱗土竜の目を狙い――躱されたが問題ない。
本命の2射が木々の間を縫うようにひゅうっと下から伸び上がって、尻尾の切断面に容赦なく突き刺さった。
ガアアアアアアッ! ギイイイイィィ……ッ!?
傷口に容赦なく突き立った矢に〈刃鱗土竜〉が肌の粟立つような悲鳴を上げる。
「やっかましいってんだよ!」
その眼前へと跳び込んだマルクガルムがその長い顎を蹴上げた。
かち上げられる鰐のような頭部。
「はああああああッ!」
その瞬間、凛華が木から跳び出し、一廻転しながら重剣をそこに叩きつけた。
どごぉぉんッ!
と、鈍い重打音が雪泥の上を奔る。
廻転の勢いを乗せた重剣は、薄くなった鱗にヒビを入れながら〈刃鱗土竜〉を大地へと叩きつけた。
「「アルっ!!」」
「今だ、やっちまえ!」
との声を聞く前からアルクスは三角錐の頂点部をぐるりと下に向け、おまけとばかりに右腕で側面を弾くように動かしていた。
「そこッ、だあああ!」
そのまま、ぶんっと両腕を降ろす。
次の瞬間、逆さまで廻転していた慰霊碑が唐突に重力の存在を思い出したかのように〈刃鱗土竜〉の額――つまり脳の真上に、ずずずずうッと落ちていく。
ギィ――!?
見ていた3人は思わず拳を握り締めた。
鱗を割る音や啼き声にならぬ〈刃鱗土竜〉の音を掻き消すように下ろされた石碑がズブズブと刺さっていく。
――これで終わってくれ……!
「コイツ、足で……!?」
しかし、彼らの願い空しく、〈刃鱗土竜〉は死んでいなかった。
アルクス達の胴廻りと変わらぬ太い4本脚でどうにか踏ん張っている。
(仕留めきれなかった!?)
振り下ろしたまま均衡だけ取っていたアルクスは泡を食った。
(どうする!? 余力なんてない……!!)
これを押し込むくらいしか考えつかない。
(でも、どうやって?)
そこで己より体格も身長もある逞しい人狼の友が目に留まる。今にも狼爪で襲いかかろうとしていた。
――それだ!
アルクスの脳で雷棘が弾ける。
「マルク! まだ変化解けないよね!?」
「おっと……! たぶんな!」
マルクガルムは急制動をかけて冷静に応えた。
「闘気は? 一瞬でいいから全身に廻せる!?」
「あ? 闘気!? あー、出来る! 一瞬だけならな! 何考えてんだ!?」
「空からこれに蹴りを叩き込んで押し込む! そこまでは俺が調整する!」
親友の考えを聞いたマルクガルムは数瞬沈黙。
灰紫をした狼の瞳とアルクスの紅く輝く瞳がぶつかり合う。
時間にして数秒。
彼はすぐさま頷いた。
「やるしかねえだろ。やってやるさ!」
「助かる! 出来るだけ高い木から上に跳んでくれ!」
「おう!」
アルクスの指示を聞くや、マルクガルムが木に向かって疾走。
「エーラは【精霊感応】で慰霊碑を固定しててくれ!」
「重そうだけどやってみる!」
続いてシルフィエーラが鮮緑に瞳を輝かせて「縛って!」と魔法を発動する。
途端、木の根やツタがそこら中からシュルシュルと伸びてきて石碑を雁字搦めにした。
「凛華は重剣で俺を空までぶっ飛ばしてくれ」
『念動術』を解除したアルクスが振り向きざま凛華へ頼む。
「空まで? なるほどね、わかったわ。任せなさい」
頷いた両者は急いで距離を取った。
アルクスは上空を見上げ、マルクガルムが木から飛び出すのに合わせて疾駆。
「頼む!」
「行ってぇ……きなさぁい!!」
凛華は重剣を棍棒のように構え、彼が跳ぶのに合わせて豪快に強振。
「ぐぅ゛~~! よし、これで……!」
重剣に乗った直後の凄まじい慣性を噛み殺したアルクスは中空で親友を見上げた。
マルクガルムはマルクガルムで飛んだ瞬間、両手から風を真下にぶっ放していたようだ。
(ちょっと……いや、かなり遠い!)
「それなら!」
左手で『念動術』の第一術式を切り出し、己の胸に描くと同時に叩きつけて、ぐいっと上にずらす。
不可思議な感覚と共にアルクスへ掛かる重力が大きく軽減された。
(これで少しは軽くなったはず……!)
しかし、まだ遠い。
(どんな跳躍力してんだよ!?)
そんな風に歯噛みしかけていたアルクスの耳へ、通りの良いシルフィエーラの声が届いた。
「アルぅーーっ! いくよーーーっ!」
そちらを見れば長弓型に変化させた弓をこちらに向けている。
(何する気か知らないけど……!!)
「任せる!!」
アルクスは叫んだ。
その声を聞いたシルフィエーラは【精霊感応】を発動し、螺旋状に捻じれていた矢をサッとつがえるや、ぐぅ~っと大きく引き――……刹那、大気と一体化したかの如く沈黙。
カァン!
次の瞬間、甲高い弦音と共に矢が放たれた。
一直線に飛翔した矢はアルクスの足元に近づくと捻じれが戻るように裂け始め、直撃する寸前――ぶわあっと放射状に四散した。
「おおぉっ!? ありがとエーラ!!」
そこに内包されていたのは、風の精が飛翔中にかき集めた突風の塊。
それがアルクスの背を押し、質量軽減効果のおかげもあって彼を上空へと急速に押し上げる。
行き過ぎそうになったところで落下中のマルクガルムが引っ張り、アルクスは背中合わせで彼の背に乗った。
(急げ……!)
「準備は!?」
上空のため吹きつけてくる風が強い。外掛けを脱いで己と友の胴を結びながら叫ぶ。
「できてるぜ!」
マルクガルムも両足で蹴る姿勢を執りつつ叫び返した。
「上っ、等ぉ!!」
未だ濃密な魔力の残滓を垂れ流している高位魔獣を討ち果たすべく、アルクスは両腕から爆焔を噴射。
ぼッ、ぼおおおおおおッッ!
簡易噴射推進機構だ。
マルクガルムとアルクスが白っぽい炎の帯を靡かせて、魔獣へと墜ちていく。
それを見上げていた凛華は〈刃鱗土竜〉が大きく揺れるのを感じて視線を下げた。
慰霊碑が傾いている。
力が入れやすかったのか〈刃鱗土竜〉が左前肢に力を籠めて身を起こそうとしている。
凛華は表情を引き締め、すうっと重剣を正眼に構えた。
あとほんの少しで決着がつくのだ。
(だから……!)
「もう! 動くんじゃ! ないわよッ!!」
――――ツェシュタール流大剣術・第一の型『鉄砕覇斬』。
足を踏ん張り、膂力と遠心力を乗せた大剣で相手の防御ごと斬り裂く剣技。
残っている全てを持ってけとばかりに振り抜く。
転瞬、重剣はあっさりと〈刃鱗土竜〉の左前肢に喰い込み、ずっばあん! と骨ごと斬り落とした。
ぶっ、しゃあぁぁぁ……!
高位魔獣の黒っぽい鮮血が噴き出す。
そして、石碑の傾きが元に戻った。と、同時だ。
重力を味方に、背中合わせのアルクスと、両足で跳び蹴りの姿勢を執ったマルクガルムが墜ちてきた。
「くったばれええええッ!!!!」
僅差だ。
どッ……! ごぉぉぉぉんッッ!!
重々しい衝撃音が炸裂し、周囲の大気だけでなく木々さえ揺らす。
重力を乗せた蹴りが慰霊碑に凄まじい圧力を与えたのだ。
下にいた〈刃鱗土竜〉からすれば、堪ったものではない。
ギィッ!?
苦しそうな、それでいて驚いているような啼き声。
ギッ……!
直後、かかった荷重に耐えられず額部分の鱗が完全に砕ける。
ギ…………!
そして脳天まで、ずぶしゅうっと貫かれた。
上に居たアルクスとマルクガルムは落下の勢いを殺し切れず、ずしゃああああっと揃って土煙を上げながら転がっていく。
凛華とシルフィエーラが慌てて後を追い、倒れたままピクリともしない2人を繋ぐボロボロの外掛けを千切って、
「アル! マルク!」
「起きなさい! 大丈夫なの!?」
頬をぴしゃりぴしゃりと叩きながら名前を呼んだ。
「う……」
先に目を覚ましたのはアルクスだ。
意識がハッキリし、凄まじい衝撃で気絶していたらしいと直前の記憶が蘇った途端、ガバッと身を起こした。
「マルクは!?」
隣で倒れている友の四肢はきっちり繋がっている。
だが【人狼化】は解けてしまっていた。
「マルク、起きろマルク!」
アルクスが慌てて身体を揺する。
「ん……うおっ。いっててて……」
目を覚ましたマルクガルムはそろそろと身体を起こした。
「マルク、闘気は!? 身体は!?」
墜落の衝撃をほぼすべて硬い慰霊碑に叩き込んだのだ。
闘気が使えなければ両足ごともげている可能性すらあった。
人狼の強靭な肉体で耐えられたのだとしても、どこか痛めている可能性だって低くない。
「ちゃんと全身に使ったぜ。一瞬しか魔力が保たなかったから、まァ多少身体も痛えけど、どっか動かねえくらい痛えってこたねえよ」
「そっか……よかった」
そこでようやく2人とも〈刃鱗土竜〉のことを思い出した。
「「アイツは!?」」
「ちゃんと倒してたわよ」
「魔力ももう薄くなってってるでしょ?」
凛華とシルフィエーラにそう言われ、じっと感知を働かせる。
そして、ようやくちゃんと倒せたらしいと理解した。
「ホントだ。だあ゛ぁぁ~……しんどかったぁ」
「長かった……もう寝てえ」
緊張していた肩から力を抜いて2人揃ってぼやく。
今夜は長かった。疲れた。眠りたい。
凛華とシルフィエーラも魔法を解いてぺたんと座り込んだ。
「今から帰るんだよね……? ボクもう歩きたくないよぉ」
「あたしもよ。ここ墓地の近くでしょ? 結構あるわよね……」
張り詰めていた緊張の糸をほぐす。
「叱られてもいいからゆっくり帰ろう」
「だな」
徐々に長い夜が終わったという実感が湧き、疲労感が身体を支配し始めていた。
だが、達成感のおかげで4人の表情も穏やかだ。
あとは帰るだけなのだから。
しかし……まだ終わっていない。
疲れ切っている彼らの与り知らぬ間に、新たな脅威は直ぐ傍にまで迫っていた。
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