俳句 楽園のリアリズム(パート2-その2)
今回は旅先で作られたと思われる森澄雄の俳句を10句まとめて味わうことになります。
映画のなかで味わった旅情だってかまわない、遠い日の旅の記憶がよみがえって、かって旅先で味わったことがあるような、そんな気のするなつかしい旅情がありありと呼びさまされますように。そうして、旅先で思わず夢想なんかして旅情にひたったときみたいに、森澄雄の句が呼びさましてくれた旅情が、俳句で旅情のように快いポエジーをいつでも味わえるようになる、そのきっかけになってくれますように。
面倒くさい言葉なんかをとおさなくたって、だれもが比較的簡単に旅先で体験してしまう詩よりも純度の高い詩情。それこそが旅情というものにほかならない。それを、言葉わとおして味わってしまうことの意味とは。
「わたしたちが昂揚状態で抱く詩的なあらゆるバリエーションはとりもなおさず、わたしたちのなかにある幼少時代の核が休みなく活動している証拠なのである」(ガストン・バシュラール)
旅先で「幼少時代の核」をあらわにすることのできたものだけが、旅人の名にふさわしい。
旅に出て「旅の孤独」に身を置くだけでいい。旅先ではだれもが「幼少時代の核」があらわになった状態で、イマージュとしての風景に触れることになるのですから。
いま、本文に引用させてもらったバシュラールの文中の読むものの自尊心という言葉を使って試しにグーグルのAIモードで検索してみました。つまり、山崎久和の「俳句楽園のリアリズム」における読むものの自尊心、と。これにも、やっぱり、AIが即座に、私の作品に即して丁寧に回答してくれたので、AIってなんにでも瞬時に答えてくれるのだなと、いつものことながらあらためて感心してしまいました。
俳句 楽園のリアリズム(パート2ーその2)
2025/03/31 19:41
(改)