消えた大統領令嬢はどこ⁉ 官邸運転手・青木、F1ドライバーと化して陸から空へ!
あたしたちは、ドローンセンターから引き揚げて、一旦情報を整理するために西荻の我が家に向かうことにした。
さすがにぶっ通しで酷使している肉体は、いくらAIサピエンスといえども疲労が蓄積しているようだ。
ほんとはオーバーホールしたいところだが、今はそれどころではないのでとりあえず人間スタイルで車の中で目を閉じた。
その前に隣の湛山をちらりと見ると、ヤツも疲れているようで大いびきをかいている。
純度100パーセントの人間だと、疲れの度合いも違うだろう。ちょっとだけ気の毒に思いつつ、あたしは頭の中で情報を整理した。
その時、後ろの座席から何やらガサガサという音が聞こえてきた。見ると、佐吉が窓に鼻をこすりつけて、例のクンクンクンクンをやっている。
「何?」
「青木さん、窓を開けてくれ」
湛山は、緊張した面持ちで身を乗り出して運転手に言う。さっきまで寝ていたとは思えないキレのある動きだ。
「なにごと?」
「しっ」
しっ、だと? 人間如きがあたしに? お前、いい加減にしろよと言いそうになったが、佐吉の頭が完全に外にせり出している方が気になった。空に向かってクンクンと何やら匂いを嗅ぐ。
すると、身体が硬直し、鼻先が一定方向に定まった。
「そっちだな。分かった。青木さん、右だ。右に曲がってくれ」
リニア高速に乗ると青木さんはF1ドライバーと化した。
あっという間に人間社会の名残りの標識、「芝公園」を過ぎて、そのままぐんぐん加速していく。
トンネルに入っても佐吉はマズルを窓から出したままで、茶色い毛がビュンビュン風に乗って飛ばされているが、まるで彫刻のように固定されたままだ。
こいつ、もしかして天才的な猟犬なのか? 或いはただのバカなのか。
レディは、これは佐吉の役目でしょうと言わんばかりに全身を伸ばしてゆったりとくつろいでいる。
あっという間に旧関越自動車道を走っていた。西荻が、永田町が、どんどん遠くなってきた。ホントに大丈夫なのだろうか?
湛山に聞いてみた。
「佐吉は本当に何かの匂いを追ってるんですか?」
「ああ。安心しろ、犬は嘘をつかない」
「誤魔化すことはあるけどね」とレディが間髪入れずコメントした。
「レディ、それどういう意味? 佐吉がお嬢様や犯人の匂いをキャッチしたわけじゃないってこと?」
「そんなこと言ってないわ。ただの一般論だから気にしないで」
おしゃべりな犬は、余計な一般論が多い。
間もなく「藤岡ジャンクション」と書かれた標識が見えた。
重要文化財としてそのままの形で残されている人間たちの道路標識を、一つ、また一つ確認しながら、F1マシンと化した車は進んでいく。
が、その時。佐吉がいきなり息を止めて、頭を思い切り上に向けた。
「お?」
「この辺で何らかの飛行物体に乗り換えたのか?」
佐吉は尻尾をブンブンと振る。そうか、言葉を話せなくともこうやってコミュニケーションを図るのか。単純だが分かりやすい。
「青木さん、停めてくれ!」
「はい?」
「空だ、空」
やはり野生人間は語彙が少ないようだ。ここはあたしが補足してやらねばならない。
「どうやら犯人はこの辺りで空に昇って行ったらしいです。この車で追うわけにもいかないし、困りましたね…」
「とんでもございません」
青木はこちらを振り向き、にやりと笑顔を見せた。
「我々も空に参りましょう。ボディベルトをしっかりお締めください」
「え? この車、空を飛べるのですか?」
「もちろんでございます。さあ、飛びますよ!」
ぐんぐんぐんぐん、空高く昇っていく。
周りには白い雲と青い空。そして窓ガラスに映るのは――あたしの青ざめた顔。そういえば高所恐怖症だった。吐きそう。しかし、セダンは容赦なく加速する。
う。おなかが波打っている。
あたしの中の四分の一の人間が恨めしい。100パーセントAIサピエンスであればこんなことはなかっただろうに。
間抜け面は、ヤツらしくない精悍な顔つきで、まっすぐ先を見ている。
隣のレディは相変わらず「まだあ?」と言い、退屈そうだ。
湛山は雲を注意深く観察しているようだ。恐らく空を飛ぶなんて初めての経験なのだろう。
「皆さん、大丈夫ですかあ?」
青木の声が聞こえた。
「は、はい」
「承知しました! それではギアを上げていきますね」
あの中年AIサピエンス、生き生きとしたあの声の張りは何だ? 飛び立ってからまるで水を得た魚だ。
まあ、しょうがない。ここはぐっと堪えて乗り切るしかない。
「どうかしたのか? まさか――」
湛山があたしの顔を覗き込む。
近いよ、近い! 離れて!
あたしは今、ほんのちょっとしたきっかけで吐きそうだというのに。
「データ分析中だから邪魔しないで!」
これが精いっぱいの強がり。
「だよな。一瞬、気分でも悪いんじゃないかと思ったよ」
ハハハと笑うその顔が憎たらしい。高所恐怖症だなんて、死んだって言うもんか。
ぐ。
何だ、今の?
身体から胃袋が完全に置いてきぼりにされるこの感覚。強烈なGが全身を襲った。
軍用機じゃあるまいし。視界が一瞬で広がり、眼下の山々が見る見る間に小さくなっていく。
「佐吉、ターゲットの匂いはどうだ!?」
湛山が風圧に負けない大声で三列目の間抜け面に叫んだ。
「オン! オオン!」
佐吉が窓の隙間から鼻を突き出したまま、激しく尻尾を振る。
完璧にシンクロしたタイミングで運転席の青木が空中ナビのホログラムを叩いた。
「マヤ様、湛山様! 前方、高度4000メートルに未確認の熱源です!」
うっぷ。
パシパシッと自分の頬を叩く。よし。
「それです、青木さん」
「追ってくれ!」
こっちはシートに爪を食い込ませて必死に耐えているというのに、何でこの男はいちいち割り込んでくるんだ?
とにかく、乗り物酔いなんてしてる場合じゃない。
組み込まれたシステムを(やっとの思いで)作動させ、エーゲ海クルーズでシャブリ片手にデッキの長椅子で寛いでいる自分のイメージを頭の中で描いた。
ほら、海風が気持ちいい。頬にビシバシ当たっているのは決して雲の切れ間から容赦なく吹き付ける大空の強風などではない。爽やかなエーゲ海の風なのだ… 眩しい太陽、エメラルドのような海… 船酔い…。
おっと、夢のバカンスに酔いしれている場合ではなかった。
慌てて頭の中のシステムをリダイレクトした。
エーゲ海ではなく、青木さんが共有してくれた熱源データを強制的にスキャンし、台場でコピーしたフライト情報と照合した。
ヒット。
間違いない。特殊中の特殊なステルス・ドローン、「オーロラ」だ。極秘開発されていたヤツ。
「乗り物の正体が分かった!」
「え?」
「湛山、聞いて。思った通り、最先端のステルス機よ。でも、どうやって厳重警備課の試作機を持ち出すことができたんだろう? 部外者がアクセスすることは到底不可能なはずなのに」
「部外者じゃないってことなのでは?」
ああ言えばこう言う。今後はもう少し発言を控えるようにしよう。
「またしょうもないこと考えてるんだろ」
人を見透かしたようなこの態度もイケ好かん。ああ、この人間、イラつく。
まるで心の声が聞こえたかのように、湛山はにやりと笑みを浮かべ、ボディベルトを緩めた。
「ちょっと、何するつもり? まさか飛び降りるつもりじゃないでしょうね!?」
「アホか。ベルトで抑え込まれたままじゃ動けねえだろ。ほら、左に寄ってみろ。見えてきたぞ。あれか?」
雲の切れ間に一筋の光が見えた。不自然に歪んでいる。
黙って頷いた。
「お任せください!」
青木の元気な声が聞こえた。
そしてあたしたちの車は、その光に向かって果敢に突っ込んでいった。




