その頃長野原では… 1993年生まれのフェイク美女と特性リンゴ
その頃、都内から離れた浅間山近くの長野原の洞窟では、一つの怪しい影が、古びたコンパクトを開き、ピカピカに磨き上げた鏡を見つめていた。
「鏡よ、鏡。世界で一番かわいいのはだあれ?」
AIミラーはすかさず答える。
「世界で一番かわいいのはあなた様です。その理由をご説明します」
「あ、説明はいいわ。あなたの賞賛の嵐を聞いて悪い気はしないけど、あなたって饒舌すぎて延々と続くからね」
「恐縮です」
「それより答えて。世界で一番美しいのはだあれ?」
「世界で一番美しいのはあなた様です。その理由を申し上げます――」
「だから理由はいいって! 私の魅力を語り始めるとまたフリーズしちゃうじゃない」
「承知しました」
微笑む彼女の名はエミリ。
今日も一日、AIサピエンスの監視の目が届かない小さなリンゴ農園で懸命に働き、
経営者のおじさんに感謝された。
「エミリちゃんはほんとによく働くねえ」と。
「いえいえ、私なんてぜんぜん。ちょっとでもお役に立てればとできそうなことをやるだけです、
大したことはできませんけど」
「そんなことないよ! すごく助かってるよ!」
しおらしく控えめな美女。
誰が見ても、20歳代だと思うに違いない。
が、実際に生まれたのは、1993年だ。
で、現在2076年。80をちょっと過ぎている。
50年前の2026年頃は、33歳の脂の乗った若手研究者だった。
――人間とAIサピエンスの間で、少しずつ摩擦が起こり始めた頃だ。
今となっては、その昔、天才少女としてもてはやされたその過去を知る者は誰一人いない。
当然ながら。
彼女の正体を少しでも記憶している人間がいたら、すかさず、この世から消えてもらってきたのだから。
「そのお洋服、みすぼらしいわね」と余計な一言を言う、考え知らずの近所のバカなおばさんや、
マウントをとりたがる地元の田舎者も同様に、静かに、鮮やかに、存在を消してきた。
と言っても、別に殺したわけではない。ある洞窟—-彼女が「スクラップ」と呼ぶ洞窟だが、そこで眠らせているだけである。
時間ができてはその中からイケメンをセレクトし、自らのスタッフに昇格させてきた。
結果的に女の人間が少なくなったけど、それはしょうがないわね、と彼女は考えていた。
そして、自分の希少価値がその分上がることも承知していた。
エミリにとって、当初は不便で退屈で仕方なかった田舎暮らしも、結構悪くないライフスタイルだと思える日々だった。
今日も皺だらけの顔でニコニコするおじさんに感謝され、リンゴ持ってけや、と麻袋に詰め込んだものをいただき、よっこいしょっと背負って洞窟に戻ってきた。
材料がまたタダで手に入った。
世の中、結構ちょろいもんだ。
エミリはAIコンパクトをポケットに忍ばせ、洞窟の奥深くへと進んでいった。
彼女だけが知る、極秘研究室へ。
古びた機械の駆動音。
培養液の甘酸っぱい匂い。
そこは、エミリが半世紀以上にわたり、AIサピエンスの目から隠れて執念深く維持してきた闇の砦だった。
ホログラムの不気味な緑色の光が、彼女の瑞々しい肌を照らす。
水耕栽培のガラス管に浮かぶリンゴは、AIサピエンスのデータベースに登録されていない秘密の品種である。
最初は惚れ薬を作ろうと思った。
絹糸の滝の裏側にある集落のあのイケメン坊やを自分のものにしたいと思った、20年ほど前のあの日から。
その父親とたまたま出会い、気に入られるように思いつくことをすべてやって、婚約までこぎつけたのだった。
大して難しくはなかった。
成人の体をしていたエミリは、湛山少年を見て、ぜひ、娘と一緒になってほしいと、母親のふりをしてアプローチを開始。
「人類が生き延びるため」、「ちょうどいい年齢の男の子と女の子は滅多にいない」とさりげなく繰り返し、そんな先のことはまだ考えられないという湛山の父親をその気にさせた。
そして自身の身体を使った若返り実験に無事成功し、10歳の少女となった。
あとは、悲しいことに、母は山で山菜取りにいったきり戻って来ず、亡くなったようだと嘆く少女役を演じるだけでよかった。
一人残されて可愛そうに、と同情してくれる心優しき田舎者は少なくなかった。
やたらと記憶力のいい湛山少年の祖父が怪しんでいるようだと気づいたときは焦ったが、どうということはない。問題になる前に消えてもらうだけで解決した。
「だって、世界は私のためにあるのだから」
一時は研究所の直属の上司だったあの男は昔から好きではなかった。
倫理がどうのこうのと口うるさくて、彼女の素晴らしい研究を妨げる弊害だった。
「よくあんな男にあんなにハンサムな孫ができたものだわ」
長年の癖で独り言が多いエミリだった。
鼻歌を歌いながらパラパラと研究ノートを確認する。
そして日記代わりに使っていた左側のページの走り書きを見て、
一瞬で不機嫌になった。
湛山が東京に行ってしまったこと。
いつ戻ってくるのか、まったく不明なこと。
田舎者というのは、一旦上京するとなかなか帰ってこないことを、エミリは嫌というほど見てきた。
湛山もそうだと思いたくないが、都会でもてはやされ、そのまま住み着いてしまう可能性が高い。
エミリの情報源によると、何やら総理大臣直々のご指名で仕事にあたっているらしい。あの不細工な犬と一緒に。
「特性リンゴを携えてぼちぼち東京に出向く時期なのかしらね」
そう思いながら、昨日完成した「思考をバグらせる幻覚リンゴ」を愛しそうに眺める。
「これを湛山の周囲の者に食べさせて意識を朦朧とさせて互いに攻撃しあうようにするか、それか、湛山にご馳走して、私の言いなりになるようにするか。簡単な方がいいわね」
武者震いし、フフフ、と笑った。
「まあ、もうしばらく様子を見ましょうか」




