台場ドローンセンターと、マヤのソーシャルディスタンス(湛山視点)
AIサピエンスというものは、恐ろしく無機質だ。
何を考えているのかまったく分からない。
人と違って感情がなく、効率性と結果のみを重視し、何ごとでも計算に基づいて行動する。
だから危険であり、とにかく会わないようにしろ、と幼い頃から聞いていた。
俺もそう信じていた。
信じていたのだが、眼の前にいるAIサピエンスは、優秀なのだろうが、冷静沈着というのとはちょっと…いや、かなり違う。
何を考えているのか、手に取るように分かる。
無論、それが演技だとすれば大したものだが、そういうわけではなさそうだ。
このマヤというAIサピエンスは非常に興味深い。冷静さでいえば、あのレディとかいう犬の方が明らかに上をいっている。まあ、本来の仕事はフォトグラファーだというし、にもかかわらず誘拐事件を調べろと言われて素直に対応しろというのも無理な話だが。
特殊ステルス・ドローンだかドロンだか、空飛ぶ羽虫か知らないが、何であれ、その総括センターとやらに今、立っている。人間が世界の中心だったころには各地にあったと親父が言っていた空港のようなものだろう。
夜が明けて薄明るくなり始めたので周囲が見やすいが、台場という、海に面した地域で大中小・極小と様々な大きさや形のものが離着陸を、これまた様々な速度で繰り返している。
いたって静かで、聞こえてくるのは風の音とカモメの鳴き声くらいだ。AIサピエンスの連中が一人、あるいは複数、乗り込んでいるものもあれば、無人のものもある。
本当に大統領の娘がこれで連れ去られたのだとしたら、一人が操縦席でホバリングさせ、一人が窓から部屋に侵入して何らかの形で彼女を抵抗できないようにでもしたのだろうか。例えば、声を上げられないように気を失わせて運び出した。うん、そういった可能性はなくはない。
あの感情ダダ漏れの官邸カメもそう考えているようだ。さっきからこのエアフィールドのエンジニアたちから話を聞き、それぞれのドローンが実現可能なパフォーマンスについて説明を受けている。
「ちょっと、湛山! …さん!」
これまた随分と息巻いているが、どうしたのだろう。
仕方ない。ここで大声のやりとりになると目立つので、あちらまで行ってやろう。
「何だ?」
「何だ、じゃないでしょ! 少しは手伝ってください! 」
「分かった。何をすればいい?」
「私はすでに、ここにいるエンジニアたち全員にステルス・ドローンのキャパシティについて聞きました。その前に、おたくが間抜け面と海辺のお散歩を楽しんでいる時だったでしょうか、コントロールセンターで各システムに関するデータを確認させてもらって、関係者の名簿、出入り業者やフリーランスのアクセスについて、そしてここ数日のフライト情報すべてをコピーさせてもらった」
「ブラボー」
敬意を表そうと、俺は軽く拍手をした。
「他人事じゃないでしょ! 何気持ちよさそうに突っ立ってるの… です?」
「いやあ、ここは海風が心地よい。俺たちは山育ちだから、海が珍しいんだ。ん?」
「――ちょ、ちょっと、何⁉」
「蚊だ」
彼女の頬に小さな蚊が止まった。パシッとやろうと思ったが、引っ叩くとまた大騒ぎすることは目に見えているので、そっと近づいて軽くはたく程度に留めた。俺と佐吉と同じ森の香りがする。
「何をするのよ! …ですか⁉」
ドン! と、思い切り突き飛ばされた。なかなか力がある。
「ふざけんな! ソーシャル・ディスタンス! 守りやがれです!」
顔が真っ赤になっている。そうか、AIサピエンスでも赤面するのか。赤面するようなことは何もないのだが。
「あんた、何を興奮しているんだ? それに、さっきまでの敬語はどうした? やめたのか?」
彼女は一瞬、ハッとした表情を浮かべた。
「興奮などしていません! 敬語? 私は先程から一貫して丁寧にお話していますです! あなたの協力を求めているだけです!」
こいつ、嘘が下手だ。ほんとにAIサピエンスか? どちらかというと、いや、どちらかと言わなくてもかなり人間寄りじゃないか?
「ここはもう調べるだけ調べたので、車に戻りましょう」
「待て。何か使えそうなデータはあったのか?」
と聞いたものの、彼女はすでに二十メートルほど先に進み、俺の声が聞こえないようだ。或いは聞こえないふりをしているのかも知れないが。
ふむ。
俺の読み通り、かなり感情が表に出るタイプだ。イノシシより遥かに分かりやすい。
しかし情報を共有してくれないと手伝いようがない。すぐに追いかけて詳しく聞くことにしよう。
しかしまあ、わけの分からない世界だが、親父たちが言っていた、「野生人間」として処分されることもなさそうなので、もう少し留まって見届けてもいいだろう。ここはひとつ、誘拐された女性を救い出すために頑張ってみるか。あの公カメを見ているだけでも結構面白いしな。
ん? 何かが足に触れた。
見下ろすと、レディがすました顔で俺を見ている。
「野生人間さん」
「はい」
「ひょっとしてあなたも佐吉と同じくらい鈍感なの?」
「え?」
「ソーシャル・ディスタンスって、意味をお分かり? 昔コロナ騒ぎとかいうのがあって、その時に人間たちが使うようになった言葉だと思うけど、山奥の方だとご存じないかしら?」
こいつ、さりげなくマウントしてやがる。なんという犬だ。犬のくせに。
「要は、人と人の間の物理的な距離を指すの。社会的に誰もが認める安全な距離。相手に心理的ストレスを与えたり興奮させたりしない距離のことよ」
「そのソーシャル・ディスタンスがどうした?」
「あなたのさっきの至近距離ムーブ」
「は? 蚊を払ったことか?」
「あなたはその動物的な胴体視力で蚊を認識できたのかも知れないけど、誰もが人間のように蚊を認識すると思わないで。AIサピエンスが蚊に食われることはないの。だから認識するようになっていないの」
はあ。
「まったく… その影響もぜんぜんわかっていないのね。まだ佐吉の方が物分かりいいかも」
「おい」
「失礼。とにかく、あまりマヤを刺激しないでくれる? ずっと真面目な優等生でやってきた彼女にとってあなたのような生身のIKEMENが至近距離にくると、そのフェロモンが、うーん、ちょっとねえ。
今はジェイミーを探すことに集中しなくちゃいけないわけだし」
IKEMEN? フェロモン? 何だ、それ? そんなの親父やじっちゃんから聞いたことがないぞ?
「何だ、そのイカメシとかフェロモンって?」
レディとやらがうっそおと言う。本当に聞いたことがないんだから仕方ないじゃないか。
教える気がないなら別にいいさ。
集落に帰ったら親父に… いや、流行りの若者言葉かもしれない。
年下の従弟のルイに聞けば知ってるかも知れない。
「それで俺にどうしろと言うんだ?」
「ああ、分からないならいいの。気にしないで」
レディはそう言って、飼い主のもとへ急いだ。
何か知らんが、俺は小さく鼻で笑った。
AIサピエンスは無機質で冷徹、一滴の血も涙もない。容赦なく人間をほぼ全滅させた。
親父やじっちゃんから子供の頃から耳にタコができるくらい言われてきたが、
その「恐ろしいバケモノ機械」というのは、少なくとも目の前の公カメには当てはまらないようだ。
イノシシより分かりやすい、あの相棒が、次はどんなバグを見せてくれるのか。
単調な山暮らしから飛び出した俺の日々は、どうやら思いがけない大嵐になりそうだった。




