米国大統領宿舎で始まる捜索
時刻は既に午前零時を回っており、気品あふれるロビーは静まり返っていた。
青木があたしたちを先導し、待ち構えていた品のよさそうな中年男性に近づき、身分証明書を提示して頭を下げた。
「支配人、お世話かけます」
「とんでもございません。皆様こそ深夜までご苦労様でございます」
青木が支配人と呼ぶ男性はこちらを向き、「マヤ様、湛山様でいらっしゃいますね。早速ご案内いたします」と、エレベーターホールに向かった。
日本の伝統美を昇華させた、趣のあるロビーの奥まったところに行くと、シークレットサービスのエージェントらしき、サングラスをかけた大柄の外国人が二人立っている。
支配人が会釈し、身分証明書を見せると、そのうちの一人が頷く。
「こちらへ」
頭を下げて見送る支配人と青木を残し、あたしと湛山、レディと佐吉はエレベーターに乗り込んで四十階のボタンを押した。
レディはこういう場に慣れているので落ち着いているが、間抜け面――じゃなかった、佐吉もなかなか堂々としている。
意外と空気が読めるのかとちょっと見直したが、この程度で感心している場合ではない。
まあ、湛山とセットのようなので、邪魔さえしないでくれれば、別に野犬連れでも構わないが。
扉が開くと、廊下の要所要所に二人ずつ、米国人警備がいる。静寂の中にも物々しさが感じられ、低く落とされたアンビエントな間接照明が照らし出す張り詰めた空気の中、サングラス族と呼びたい大男、大女たちの影と実体の境目が分からないくらい溶け込んでいる。
湛山が華奢に見えるほど――でもないか。
案内役は「Follow me」と静かに言い、廊下の突き当りのドアに軽くノックした。
「They’re here, Madame President.」
「Thank you. Come in.」
促されるまま、あたしと湛山、レディ、そして佐吉の順にプレジデンシャル・スイートに足を踏み入れた。
男性と女性がソファに座っている。シークレットサービスに促され、そちらの方に進むと、女性の方が立ち上がった。マキンリー米国大統領だ。
「Thank you for coming.」
目の下にくっきりと隈ができている。しかし、それでも微かに微笑んでいるのは長年の習性なのだろう。よけいに痛々しい。
「 Oh, let me switch my audio output to Japanese――。はい、日本語アウトプットに切り替えました。これでいいわね。改めて、夜分遅くに来てくださってありがとう。米国大統領、サマンサ・マキンリーです」
握手を求める目は真っ赤だ。
「初めまして、首相官邸写真室所属フォトグラファー、マヤです。こちらは本日、浅間山から東京に来たばかりで、まだ何かと不慣れですが、100%野生人間の湛山です。このボーダーコリーは私のパートナーのレディ、その隣が湛山の相棒、佐吉です」
「皆さん、お会いできて光栄です。こちらは娘の家庭教師のジョンです」
「Hello.」
「早速だけど――」
突然、湛山と握手を交わす大統領が固まった。
「? どうかされましたか?」
「…なんでもないわ。あなた、はるばる浅間山から来たんですって?」
「はい」
「そう。あれは確か活火山だったわね。怖いけど、自然豊かなところらしいだわね。総理が一度連れて行ってくれたことがあるの」
一瞬懐かしそうな表情を見せた大統領は一呼吸おいて続ける。
「英子から事情はきいてくれているわよね?」
「はい」
「よかった。お恥ずかしいけど、私、ここで何があったか… なんて、何度も口にすることすら辛いのです」
「心中、お察しします。全力でお嬢様をお連れします」
「ありがとう。さ、ジェイミーが使っていた部屋を見てくださる? 隣のコネクテイングルームなの」
続き部屋の中心には丸テーブルがあり、その上にはディスプレイを空間に半展開したままのスマート・バングル、ホロ・ポータブルゲーム機にPCと透過型のガラス・タブレット、飲みかけのファーストフードシェークのメルトタイプ紙コップに食べかけの高濃度データチップの大袋。
柔らかなベージュ色のカーペットには靴が3足、即座にふくらはぎをほっそりさせると人気のスマートハイソックス、急速充電機能付きのカラフルなアンクレットが散乱し、隣の寝室のベッドの上には脱ぎ捨てた鮮やかな黄色のジャケットと揃いのパンツ。ごく普通のティーン女性の部屋だ。
「ジェイミーは、長年の家庭教師であるジョンとこの部屋にいたの。私は向こうの部屋で日本のビジネスパートナーたちと懇談していました」
「動かないで! 湛山、佐吉、そのままで。先ず部屋全体をスキャンします」
あたしは脳内システムを使って部屋のいたるところを読み取り始めた。
部屋の画像、空気中の微粒子、ジェイミーが使っていたすべてのものをスキャンした。
皮膚片や毛髪、唾液といった残留データを抽出して取り込み、分析を開始後、日米両国の外部データベースにアクセスし、照合する。犯人がこの部屋に物理的に侵入し、ジェイミーを連れ去ったのであれば、何かしらヒットすることは間違いない。
間違いない… 筈なのだが… 何も出てこない。どういうこと?
あたしの超高精度なスキャンシステムをしても何もないなどあり得ない。日米両国のあらゆる極秘データベースと照合し、この部屋に残されたデータ一つ一つを突き合わせたというのに、犯人のDNAはおろか指紋一つヒットしないとは信じられない。
バーチャルな幽霊が突然現れ、ジェイミーを連れて空気中に消えたとでもいうのだろうか?
まだ世の中の技術はそこまで進歩していないはずだ。
「マヤ? どうしたの?」
「レディ… 信じられないんだけど、何もヒットしないの」
「そんなバカな」
クン。クンクン。クンクンクン。
「佐吉? 何をしているの?」
「嫌だわ、マヤ。犬の本性を忘れた? まあ、いつも私といるので無理もないけど、本来、犬というのは鼻が良くて、昔は猟犬としてトラッキングに使ったり、麻薬犬として空港で活躍していたじゃない? あなたの本棚にもそういった歴史本が結構あったはずよ」
ああ、匂いを嗅いでいるのか。いかんいかん、開いたチップの袋に鼻先を突っ込んでいる佐吉を見て、この非常時になんと欲張りなんだろうと決めつけてしまっていた。
「ごめんね、佐吉。手伝おうとしていたんだね」
そう言った途端に佐吉は甘い匂いのする袋からマズルを出して笑顔を見せた。こいつ、やっぱり言葉がわかるんじゃん。
「よしよし、いい子ね。これからもっと頑張りましょうね」
レディはまるでドッグトレーナーのように佐吉に言葉をかけているが、当人はまんざらでもなさそうで、鼻の下がデレッと10センチは伸びたようだ。
さすがの才女犬。既に佐吉の扱い方をマスターしたようである。
あたしも見習わねば。
「おい。ちょっと」
「は? 私ですか?」
「あんたに決まってるだろうが。ちょっと」
「ちょっと何?」
「こっちに来いって言ってんだよ。すっとぼける余裕なんてないだろ?」
そうだった。でも、こいつに言われると無性に腹が立つ。
いちいち突っかかってくるので、それならこっちもそれなりに対応してやる、と、つい反応してしまうが、それではダメだ。こんな人間ごときを気にせず、早くジェイミーを見つけなくては。
いきなり無言で手首を掴まれ、リビングに引き戻された。
「ちょっと! 何なの!?」
「いくら呼んでもこねーから。これ見ろ」
「ハイソックスとアンクレットがどうしたの? とっくにスキャンしていますけど?」
「そうじゃなくて、あらゆるものが散乱しているこの形、ちょっと不自然じゃないか?」
そうなの? あたしも疲れて家に帰ると結構あちこちにポイポイやるけどね。
「佐吉! ちょっと来い!」
佐吉がドタドタやってくると、湛山はひとこと、「サーチ!」と太い声で言った。すると、佐吉はデータチップ袋に鼻を突っ込んでいたのと同じように散乱するあれこれに鼻を近づけ、匂いを辿って歩き始めた。
そして窓の前でぴたりと止まった。
「まさか窓から外に出たというんじゃないでしょうね? ここは40階よ。ヘリとかドローンとかだったら音がするから気づかれずに外に出すなんて無理でしょう」
「あんたらの最先端技術とやらで静かに飛ぶものはないのか? 小娘をさっと運び出せるような?」
静かに飛ぶもの。音のしないもの――あたしとしたことが!
アクティブ・クローキング・ドローンがあったじゃないか!
「その顔は何か思いついたようだな」
「まだ試験中と聞いていますが、特殊ステルスドローンがあります。光学迷彩を使って背景に溶け込むようにした、見えないドローンです」
「見えないドローン? 透明人間みたいになるってのか? まさか」
「そのまさかです。空気振動をほぼ相殺させる無音推進システムが開発中・・・と小耳にはさんだことがあります。悪用を恐れて詳細は極秘事項となっているので確実な情報ではありませんが」
「無音推進システム?」
「はい。それなら、犯人は例えばドローンをホバリングさせて、フェイクアームとかマジックハンドか何かでジェイミーを引き出すことができたかも」
「でも、軽い荷物ならともかく、18の娘だぞ。そんな成人並みの人間を引き出すなんてできるのか?」
「私たちの技術を見くびらないでください。一旦プロジェクトが始まるととことん追求するのがAIサピエンスです。ヒューマンエラーの余地はありません」
しかし、湛山は依然としてあたしの理路整然とした仮説に納得しない様子だ。
「佐吉は小娘の匂いだけでなく、違うものも察知したみたいだぞ?」
「ドローンがいた場合、どんなに最先端のものであっても、どうしてもかすかなオゾン臭を残します。気圧の変化や風の流れもあります。それを察知したのかも」
「うーん」
湛山は床から天井まである窓を見て、ガラスをコツコツと叩く。
「にわかには信じがたいがな。まあ、佐吉は普段からクマヤイノシシの匂いもしっかり嗅ぎ分ける優秀な猟犬だ。彼が何かを嗅ぎ取ったなら、何らかの形で空を使った可能性は高い」
だからそういってんじゃないかよ!
あたしの仮説には半信半疑なくせに、間抜け面のことは完璧に信頼してるってわけね。
落ち着け、あたし。
あたしはしょうもない人間と違って怒りや苛立ちなどとは無縁な、誇り高きAIサピエンスだ。決して自分に言い聞かせているわけじゃないからね。
結果、すぐにドローンセンターのローンチパッドに行くことになった。




