自由を満喫する大統領令嬢、甘い罠に誘われて
その頃、数分前までマヤたちがいた鬼押し出し園近く。
その北側の道路脇をジョギングする男女がいた。
「ちょっと、ジェイミー、速いよ。こんなオリンピックランナーみたいなスピードだと目立つよ」
「ルイったら、こんな朝早くに誰もいないわよ」
そう言ってコロコロ笑いながら、豊かな長いブロンドの髪をなびかせるジェイミー。
これが田舎のいいところだと思った。
ここにはホワイトハウススタッフもシークレットサービスもいない。
完全に自由だ。
風だって、気まぐれに方向を変えては頬にあたっている気がする。
思い切って東京の宿舎から逃げ出してよかったと改めて実感していた。
「俺、今日は魚を捕りに川に行くっておじさんと約束したから、もう 帰んないと時間に間に合わなくなっちまう」
「じゃあ一人で帰って。私はもう少し走ってから戻るから心配しないで」
その時、軽トラックが二人の前で道路脇に止まった。
「おはよう! 後ろから二人の姿が見えてもしやと思ったけど、やっぱりあなたたちだったのね」
「おはよう、エミリ。随分早いんだな」
「エミリ! おはよう」
昨日、やはりこの近辺の野菜スタンドで初めて会ってから、二度目の偶然だった。
「私、朝は早いのよ。年取るとどうしてもねえ」
エミリが微笑みながら言うと、ジェイミーがプッと吹き出した。
「年取るとって、私とほとんど変わらないでしょうが」
「いやいや、10代と20代では雲泥の差があるわ。私から見れば、ティーン独特のあなたのはち切れそうな若さが眩しくて羨ましいわよ」
「よく言うよ。俺たちだってまだ20代じゃないか。ヨチヨチ歩きの頃からの腐れ縁だからな」
そう、自身は23歳で、従弟の湛山が28か29だったとルイは記憶していた。湛山と同い年のエミリはちょっとだけお姉さんだった。
「本当に時間が経つのはあっという間だわね。ねえ、見たところジョギング中のようだけど、よかったらうちに寄って朝ごはん食べて行かない?」
「残念だけど、俺、これから叔父と釣りに行くんだ」
「あら、残念。美味しいコーヒーケーキがもうすぐ焼きあがるのに」
「コーヒーケーキ? うわあ、いいな。私一人でお邪魔してもいい?」
「もちろんよ。いいでしょ、ルイ? それとも愛しいお姫様が心配?」
ルイは、一瞬躊躇した。しかし、AIサピエンスの警察がジェイミーを探して軽井沢に入ったという情報も入ってこないし、しかもこのエリアは寂れていて訪れる者も少ない。もうすぐオトリのドローンを飛ばしてくれたタイラーとフリッツが来るくらいだ。
(子供の頃から遊び仲間のエミリが一緒なら大丈夫だろう)
「どこにも寄らずにまっすぐ帰ってくるって約束できる?」
「もちろん!」
「じゃあエミリ、よろしく頼むよ」
「任せておいて」
ちょっとだけ年上のお姉さんは、胸をドンと叩いて見せた。
「もしコーヒーケーキが余ったらルイの分を持って帰ればいいわ。もし余ったらだけどね」
「それは嬉しいね。期待してるよ!」
ルイは、ジェイミーがエミリの軽トラに乗り込むのを確認すると手を振り、発車してから集落へと急いだ。
*
「窓を開けていい?」
「どうぞどうぞ。空気が美味しくて気持ちいいわよね」
ジェイミーは軽トラックに乗るのは初めてだったが、意外にも滑らかな走りに驚いた。
「もっとガタガタすると思ってた。あ、失礼だったかしら、ごめんなさい」
「全然大丈夫よ、気にしないで。私はあなたのように思ったことをストレートに言ってくれる人が好きよ」
「親にはもう少し考えてから発言しなさいっていつも言われるけどね」
ジェイミーもルイも彼女の母親が米国大統領だとはっきり伝えてはいないが、G7サミットの関係で来日した親に同行したと説明したので、その正体をばらしたも同然だった。
「プライベートではいいのよ」
「そうかな」
「そうよ。あなたより少しばかり長く生きてきた人生の先輩の言うことを信じなさい」と、エミリはいたずらっぽく笑った。
幹線道路を外れてしばらく舗装されていない細い道を進んだ。
木々が生い茂り、辺りが少し薄暗くなったが、レタスにブロッコリー、枝豆に大根、そして真っ赤なトマトなど、様々な野菜が豊かに実る、広大な家庭菜園が見えてきて、軽トラはその脇道に入った。
「この先が我が家よ」
「凄い! このお野菜、ぜんぶエミリさんが作ってるの?」
「ええ、まあ。自給自足ってやつよ」
「素敵!」
「採れたての野菜は美味しいわよ。朝ごはん、楽しみにしててね」
軽トラは、洞窟を土台に建つ簡素な小屋の前で停車した。
「何、これ、ログハウス⁉ いいなあ!」
「ログハウスというほどの代物じゃないけどね」
「ルイの集落なんてみんな洞窟に住んでいるのに」
「これも洞窟よ」
「洞窟ログハウス。これだったら観光名所にもなるんじゃない? 本当に凄いわ。トラックにしてもそうだけど、ルイたちよりずっと進んでるのね」
エミリはホホホと笑った。
(観光名所? 冗談じゃないわ)と思いながら。
「そんなことないわ。私はルイや湛山たちと違って腕力がないから、それでもやっていけるように年月をかけて色々と昔の人たちが使っていたものを集めただけ。言ってみればジャンクばかりよ」
「でも、それでわざわざ軽井沢の方まで行ってAIサピエンスのガソリンスタンドで給油しているんでしょう? AIサピエンスを怖がる人間が殆どなのに、つかまるんじゃないかって不安にならないの?」
「もう長年、これでやってるからね。その辺は頭を使うの。こっちもAIサピエンスであるかのようにふるまうのよ」
「頭いい! ルイもエミリさんの爪の垢を煎じて飲まなきゃ」
「褒めすぎだってば。さあ、入りましょう」
「きれいなお花もたくさん咲いていて、まるでおとぎの国みたい」
鮮やかな青紫色の烏帽子のような形の花に、ベルのようなピンク、紫、白い美しい花々が咲き乱れている。
簡単に触れないよう、少し高い位置の花壇となっているのは、強烈な毒を持つからだ。それは言わずに、エミリはにっこりと微笑んだ。




