↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
98/266

[行政手続法33条・申請に関連する行政指導]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所には、ときどき昼間より多くの事件が残っています。


 人はいない。


 電話も鳴らない。


 相談者も帰った。


 なのに机の上には、


 受付印のある申請書。


 役所から渡されたメモ。


 そして、


 食べられて一個減った焼き菓子。


「……先輩」


「何だ」


「六個ありましたよね」


「昔の話だ」


「二時間前です」


「時効だ」


「短すぎます」


 相馬先輩は悪びれもせず、新聞を広げています。


 どうやらこの事務所では、菓子に関する権利関係だけ民法より進行が速いらしいです。


 私は残った焼き菓子を自分の机へ避難させて、ノートを開きました。


 今日の見出し。


 ――申請に関連する行政指導。


 書いた瞬間、眠気が三割くらい来ました。


 長い。


 堅い。


 そして、いかにも試験に出そう。


「相馬先輩」


「何だ」


「もっと名前、どうにかならなかったんですかね」


「何の」


「申請に関連する行政指導」


「俺に言うな」


「『申請取下げ圧力禁止ルール』とか」


「雑すぎる」


「でも今日の事件、ほぼそれじゃないですか」


 三田村春江さん。


 六月十四日に、市役所へ申請を提出。


 書類の不足なし。


 受付も済んでいる。


 ところが市役所は、


 駅裏再整備との関係で、


 今は新しい設備投資を控えてほしい、


 できれば申請を取り下げてほしい、


 そう何度も求めた。


 三田村さんははっきり答えました。


 ――取り下げません。この申請について判断してください。


 それでも役所は、


 取下げを検討しましたか。


 再考してください。


 このままだと時間がかかりますよ。


 そんな話を繰り返して、


 本来の審査をほとんど進めていなかった。


「所長」


 私はノートを見ながら言いました。


「昨日の話、最初から整理していいですか」


「やれ」


 短い。


 今日も教育方針が荒野です。


「まず、役所が『申請を取り下げませんか』って言うこと自体は、絶対に駄目じゃない」


「そうだ」


「申請内容を変更してください、って求めるのも、場合によっては行政指導としてあり得る」


「そうだな」


 私はそこを大きく囲みました。


 ここ。


 大事です。


 申請取下げの行政指導。


 イコール違法。


 ではない。


「例えば」


 私は言いました。


「本人が勘違いして申請してる場合もありますよね」


「ああ」


「今の申請内容だと目的を達成できませんよとか、別の方法がありますよとか」


「ある」


「将来こういう不利益が出る可能性がありますよ、と説明することもある」


「それもある」


 三田村さんの件だって、


 市役所の心配が全部でたらめだったわけではありません。


 駅裏一帯は再整備の対象になる可能性がある。


 今、新しく作業場へ投資すれば、


 数年後また移転を求められるかもしれない。


 そのリスクを説明し、


 「今は待った方がいいのでは」


 と助言する。


 そこまでは分かる。


 むしろ情報を持っている行政が、


 何も言わずに申請だけ通し、


 後から、


 「実は再整備します」


 では、それも困ります。


「じゃあ問題はどこから?」


 相馬先輩が聞きます。


「申請者が断った後です」


「正確に言え」


 突然、試験官。


 私は姿勢を直しました。


「申請者が、その行政指導に従う意思がないことを表明した後」


「うん」


「それでも取下げや内容変更を求める行政指導を続けて、そのことで申請者の権利行使を妨げるのが問題」


「そうだ」


 私はペンを止めました。


 未来では。


 この考え方が、


 行政手続法第三十三条として、


 きれいな一文になります。


 申請の取下げ又は内容の変更を求める行政指導。


 申請者が従う意思がない旨を表明した。


 それにもかかわらず、


 行政指導を継続することなどにより、


 その申請者の権利の行使を妨げてはならない。


 でも今は昭和六十三年。


 行政手続法はまだありません。


 だから私は口には出さず、


 頭の中で未来の条文と今日の事件を並べます。


「……すごいな」


「何がだ」


「いえ」


 私は首を振りました。


「法律って、現場で起きてる揉め事を後から文章にするんだなと思って」


 片桐所長が私を見ました。


「法律が先とは限らん」


「ですよね」


「問題が先にあることも多い」


 昨日もそうでした。


 行政手続法三十三条がない世界でも、


 三田村さんは困っていた。


 役所は、


 正式に申請を拒否していない。


 不許可処分もしていない。


 ただ、


 「取り下げた方が」


 と何度も言っているだけ。


 形式だけなら、


 ものすごく穏やかです。


 でも実際には、


 申請が進まない。


 この違和感を、


 後の法律が言葉にする。


「所長」


「何だ」


「申請者の“権利の行使”って、具体的には何を指すんですか」


「この件なら、申請して判断を求めることだ」


「つまり」


 私は三田村さんの申請書を思い出しました。


「申請を出した以上、要件に従って審査してもらって、最終的に許可するのかしないのか、判断してもらう」


「そう考えればいい」


「結果が欲しい、ってことですね」


「適法な手続による結果だ」


 なるほど。


 ここも大事です。


 三田村さんには、


 「必ず許可をもらえる権利」


 があるわけではありません。


 申請が要件を満たしていなければ、


 許可されないことだってある。


 でも。


 申請を提出したのに、


 役所が、


 「取り下げるまで判断しません」


 では困る。


「許可される権利じゃなくて」


 私は言いました。


「申請について、本来の審査を受ける手続を止められないってことですね」


「そうだ」


 所長が答えました。


 私はノートに書きます。


 ――行政指導を拒否したことと、申請を審査することは分ける。


「昨日、所長が言ってたのと同じですね」


「何が」


「指導は指導。申請は申請」


「ああ」


 短い。


 でも三十三条の骨格が入っています。


 役所が申請者へ、


 「取り下げてほしい」


 と頼む。


 それは行政指導。


 申請者が、


 「嫌です」


 と言う。


 そこで行政指導による説得が終わったなら、


 次は申請そのものを処理する。


 それだけです。


「でも」


 相馬先輩が言いました。


「一回断ったら、役所は二度と何も言っちゃいけないのか?」


 私は止まりました。


 来た。


 こういう聞き方。


 行政書士試験が好きそうです。


「そこまで単純じゃない……ですよね?」


「俺に聞くな」


「質問したの先輩ですよね?」


 所長が口を開きました。


「問題なのは、指導を続けることそれ自体だけではない」


「え?」


「その継続などによって、申請者の権利行使を妨げることだ」


「あ」


 私は書き直しました。


 ここです。


 未来の条文にも、


 「行政指導を継続してはならない」


 とは書かれていない。


 行政指導を継続すること「等により」、


 申請者の権利行使を妨げてはならない。


「つまり」


 私は言いました。


「申請者が拒否した後に、追加で事情を説明することが全部禁止されるわけじゃない」


「そうだ」


「でも、説得を続けることで審査を止めたり、取り下げるまで放置したりするのが駄目」


「その理解でいい」


 なるほど。


 行政法。


 またです。


 断言すると落とし穴が開く。


 「拒否後の行政指導は一切禁止」


 と覚えたら危ない。


 本質は、


 申請者の権利行使を妨害するな。


 そこです。


「試験問題なら」


 私は言いました。


「『申請者が行政指導に従わない意思を示した場合、行政庁は以後一切行政指導をしてはならない』とか出そう」


「出そうだな」


「それは誤り」


「ああ」


「禁止されるのは、行政指導を続けるなどして申請者の権利行使を妨げること」


「そういうことだ」


 私は赤丸をつけました。


 未来の受験生の私。


 ここで一問拾えます。


「じゃあ」


 相馬先輩が続けます。


「『取り下げません』って口に出さない限り、ずっと指導していいのか」


 また嫌な質問。


「教材上の言葉は、“従う意思がない旨を表明した”ですよね」


「教材って何だ」


「心の教材です」


「気持ち悪いな」


 無視します。


 表明。


 つまり、


 申請者が従うつもりはないと外部に示すこと。


 昨日の三田村さんは、完璧でした。


 「取り下げません」


 「この申請について判断してください」


 何度も言っている。


「少なくとも昨日は明確ですよね」


「ああ」


「役所側も分かってた」


「そうだな」


「だから、『まだ考えている途中だと思って説得していました』とは言いにくい」


 所長が頷きました。


 私は少し考えて書き加えます。


 ――拒否の意思がはっきりした後が重要。


 行政指導は、相手の任意の協力を前提とします。


 だから相手が、


 考えます。


 少し待ってください。


 という段階なら、


 まだ話し合いの余地がある。


 でも、


 従いません。


 取り下げません。


 内容も変えません。


 そう意思を示したら、


 行政はその答えを無視して、


 同じ指導を道具に申請を止め続けてはいけない。


「行政指導って」


 私は言いました。


「相手の答えが自分の希望と違っても、答えとして扱わないといけないんですね」


「任意ならな」


 所長が答えます。


 これ。


 昨日も聞いた気がします。


 お願いをする。


 断られる。


 なら、


 断られた状態から次へ進む。


 ところが行政が、


 「その答えは気に入らないので、もう一度お願いします」


 「やっぱりお願いします」


 「まだお願いします」


 と続け、


 その間ずっと本来の手続を止める。


 それでは任意の意味がなくなる。


「たとえば」


 私はノートに例を書き始めました。


「申請者に、申請内容をこう変えませんか、って行政指導する」


「うん」


「申請者が、変更しません、この内容で判断してください、と言う」


「うん」


「役所が、『では変更するまで審査に入りません』」


「駄目だな」


「『取り下げてくれたらすぐ返しますが、取り下げないなら机の上に置いときます』」


「駄目」


「『不許可にすると面倒なので、自主的に取り下げるまで待ちます』」


「もっと駄目だ」


 相馬先輩が笑いました。


「分かってきたじゃねえか」


「現場が強烈だったので」


 私は三田村さんの言葉を思い出します。


 三回も四回も言われると、


 自分の方が無理を言ってる気がしてくる。


 あれが怖いところです。


 処分なら、


 不許可。


 却下。


 拒否。


 そういう形が出ます。


 形が出れば、


 少なくとも何が起きたか分かる。


 ところが行政指導で取下げへ追い込めば、


 最後に残る記録は、


 「申請者が自主的に取り下げた」


 です。


「所長」


「何だ」


「これって役所側からすると、楽なんでしょうか」


 相馬先輩が新聞を折り畳みました。


「不許可にするより面倒が少ない場合はあるだろうな」


「やっぱり」


「だが」


 所長が言いました。


「楽だから選んでいい手段とは限らん」


 それです。


 行政が、


 この申請は認めたくない。


 でも不許可処分をするのは面倒。


 理由を書かなければいけない。


 争われるかもしれない。


 だったら本人に取り下げてもらおう。


 そう考えたとします。


 取下げを勧めること自体は、


 場合によっては行政指導としてあり得る。


 でも、


 申請者が拒否しているのに、


 申請を進めずに説得を続けることで、


 実質的に取下げへ追い込む。


 それを許せば、


 正式な判断をしないまま、


 申請だけ消すことができてしまう。


「それって」


 私は呟きました。


「不許可という形を出さずに、同じ結果を作れるってことですよね」


「ああ」


「だから危ないのか」


 制度の冷たさ。


 またここです。


 行政処分という形を取れば、


 役所は自分の判断を表に出す。


 認めるのか。


 認めないのか。


 責任を持って決める。


 でも行政指導で申請者を引かせれば、


 決定そのものを避けられる。


 だからこそ、


 申請者が、


 「引きません」


 と言った後は、


 行政も逃げずに申請と向き合わなければならない。


「行政手続法三十三条って」


 私は心の中だけで条文番号を浮かべました。


 申請者を守る条文。


 そう考えると分かりやすい。


 でも同時に、


 行政に、


 決めるべきときは決めろ。


 と言っている条文でもある気がします。


「次」


 相馬先輩が言いました。


「三十二条との違い」


「来た」


 前回のテーマ。


 行政指導の一般原則。


 三十二条。


 任務または所掌事務の範囲を逸脱しない。


 相手方の任意の協力によってのみ実現される。


 従わなかったことを理由に不利益な取扱いをしてはいけない。


 そして今回は三十三条。


「三十二条は、行政指導全般の一般原則」


「うん」


「三十三条は、その中でも申請に関連して、申請の取下げや内容変更を求める行政指導についての特別なルール」


「そうだな」


「三十二条なら、従わなかったことを理由に不利益に扱うな」


「うん」


「三十三条なら、従わない意思を示した申請者に対して、行政指導を続けるなどして申請の権利行使を妨げるな」


「いい」


 私は並べて書きました。


 三十二条。


 行政指導一般。


 従わないことへの制裁を防ぐ。


 三十三条。


 申請に関連する行政指導。


 取下げ・変更を拒否した後、指導継続などによって申請を止めることを防ぐ。


「三田村さんの事件だと」


 私は言いました。


「もし市役所が、『取下げに応じなかったから、別の補助金では不利にする』だったら、前回の三十二条型」


「そうだな」


「今回は、『取下げに応じないから、申請そのものの審査を進めない』」


「ああ」


「だから三十三条型」


 急に整理できました。


 こういう瞬間が、ちょっと気持ちいい。


 行政法って、


 単語だけだと眠いのに、


 人間を置くと急に区別できます。


 小野寺さん。


 行政指導を拒否したら補助金で不利益を匂わせられた。


 三田村さん。


 取下げ指導を拒否したら申請自体が前へ進まなくなった。


 似ている。


 でも違う。


 だから条文も分かれている。


「先輩」


「何だ」


「行政法って、人で覚えると分かりやすいですね」


「試験会場に本人連れてくのか」


「無理ですね」


「じゃあ覚えろ」


「身も蓋もない」


 私は次の疑問を書きました。


 ――「申請を取り下げてください」と「申請に不備があります」は違う。


「これも大事ですよね」


 所長がこちらを見る。


「説明してみろ」


「例えば本当に申請書に不足があって、必要書類を出してくださいと言われる」


「うん」


「これは、単に取下げ行政指導とは限らない」


「そうだ」


「法律上必要な要件を満たすために補正を求めている場合もある」


「ああ」


「だから何でも『行政指導なので断ります』は危ない」


「その通りだ」


 危ない。


 これは受験だけでなく実務で危ない。


 行政指導は任意です。


 だから役所の言うこと全部無視します。


 そんな理解ではありません。


 法令上必要な資料。


 申請の形式的不備。


 許可要件。


 そういうものは別。


「つまり」


 私は言いました。


「役所から何か言われたら、まず正体を見る」


「正体?」


「それが法令上必要な補正なのか」


「うん」


「それとも、申請内容を変えてほしいという行政指導なのか」


「そうだな」


「ただの助言なのか」


「ああ」


「ここを混ぜると危ない」


 昨日の三田村さんの場合、


 不足書類はない。


 形式的な不備もない。


 役所が求めていたのは、


 法令上必要な補正ではなく、


 市の再整備政策との関係から、


 できれば取り下げてほしい、


 というもの。


 だから、


 三田村さんが、


 その指導には従わない。


 この申請で判断してほしい。


 と言った後は、


 本来の申請処理へ戻るべきだった。


「昨日の一番大事な質問」


 私は思い出しました。


 相馬先輩が倉田係長に聞いた。


 ――不足書類は。


 ありません。


 ――現地確認は。


 まだです。


 ――なぜ。


 取下げの話が続いていたので。


 あの瞬間。


 全部見えました。


 申請が進まなかった理由は、


 審査が難しかったからではない。


 行政指導を続けていたから。


「だから」


 私は言いました。


「三十三条で一番見るべきなのは、行政指導と申請処理がちゃんと別々に動いてるか、なんですね」


「そう覚えておけば現場では強い」


 所長が言いました。


 私は少し笑いました。


「試験でも?」


「それは自分でやれ」


「急に突き放す」


 相馬先輩が笑います。


 私はノートを整理しました。


 申請の取下げや内容変更を求める行政指導。


 それ自体は許され得る。


 行政指導なので、相手方に従う法的義務はない。


 申請者が、


 従わない意思を表明した。


 その後、


 行政指導を継続することなどによって、


 申請者の権利行使を妨げてはならない。


「試験で引っかかる言葉は?」


 相馬先輩が聞きます。


「まず、『取下げや内容変更を求める行政指導は一切禁止される』」


「誤り」


「次、『申請者が一度拒否すれば、その後の行政指導は一切禁止』」


「誤り」


「『行政指導を続けて申請処理を止めても、行政指導は処分じゃないから問題ない』」


「当然駄目」


「『申請者が行政指導に従わない意思を表明したのに、取下げるまで申請を棚上げする』」


「駄目だな」


「『法令上必要な補正要求まで、行政指導だから拒否できる』」


「それも雑だ」


「よし」


 私は頷きました。


「受験生っぽくなってきました」


「最初から受験生なんだろ」


「設定上は」


「設定?」


「いえ」


 危ない。


 世界観の外へ出るところでした。


 私は焼き菓子を一つ取りました。


 今度こそ自分の分。


 一口かじる。


 バターの匂い。


 少し固め。


 でもおいしい。


 この菓子を作るための作業場が、


 昨日までは、


 申請書の上で止まっていた。


 許可されるかどうかは、まだ分からない。


 でも、


 少なくとも役所は現地確認に入る。


 申請の中身を見る。


 そして、


 認めるなら認める。


 認めないなら認めない。


 本来の判断をする。


「所長」


「何だ」


「行政手続って、決めるための手続なんですね」


「当然だ」


「いや、分かってたんですけど」


 本当でしょうか。


 受験生だった私は、


 手続という言葉を見ると、


 書類。


 期限。


 提出先。


 理由提示。


 聴聞。


 弁明。


 そんな試験用語ばかり浮かべていました。


 でも。


 手続は、


 行政が決定を避け続けないためにもある。


 申請した人が、


 「判断してください」


 と言っているのに、


 お願い。


 相談。


 調整。


 再考。


 そういう柔らかい言葉を重ねて、


 結論だけ出さない。


 それでは、


 行政の正式な判断を受ける入口そのものが閉じてしまう。


「だから冷たい手続が必要なんですね」


 私は言いました。


「どういう意味だ」


「役所も困ってる」


「うん」


「申請者にもリスクがある」


「うん」


「再整備も大事」


「そうだな」


「全部分かってても、最後はこの申請をどうするか決めなきゃいけない」


「そうだ」


「そこを感情や政策上の都合だけで曖昧にしないために、手続がある」


 所長が少しだけ頷きました。


「その理解なら忘れにくい」


 嬉しい。


 たぶん今日一番の褒め言葉です。


 私はノートの最後の欄に、


 今日の一行の覚え書きを書きました。


 ――「取り下げません」と言われたら、説得ではなく申請を前へ進める。


 相馬先輩が覗き込みました。


「珍しく短いな」


「成長しました」


「昨日より一行短いだけだ」


「成長は相対評価です」


 少し考えて、


 もう一つ書き足しました。


 ――行政指導で、処分を出さないための“出口封鎖”をしない。


「出口封鎖?」


「申請者が申請したのに、取下げるまで前に進ませない状態です」


「まあ、覚え方としては悪くない」


 私はペンを置きました。


 窓の外では、


 昭和六十三年の町が夕暮れに沈んでいます。


 駅裏では、


 再整備の話が進んでいる。


 いつか景色も変わるでしょう。


 三田村さんの店が、


 そのとき残っているかは分かりません。


 作業場の申請が、


 最終的に認められるかも分からない。


 でも。


 少なくとも、


 申請を出した人が、


 役所の望む答えを言うまで、


 手続の入口で立たされ続けるのは違う。


 行政指導は柔らかい。


 処分ではない。


 強制力もない。


 だからこそ、


 柔らかいままでいなければならない。


 拒否された後も、


 申請を人質にして説得を続けるなら、


 もう「お願い」の顔だけでは済まない。


 未来では、


 その当たり前に、


 行政手続法第三十三条という番号がつきます。


 でも今日、


 昭和六十三年の片桐行政書士事務所で私が覚えたのは、


 もっと単純なことでした。


 役所が何を望むかと、


 申請者が判断を求める権利は、


 別の話。


 そして、


 相手が「嫌です」と答えたなら、


 その答えを消して同じ質問を繰り返してはいけない。


「先輩」


「何だ」


「ところで最後の焼き菓子」


「食った」


「また!?」


「取下げを勧めたが、お前が応じなかったから処分した」


「食べることを処分って言わないでください!」


「じゃあ事実行為」


「そこだけ法律用語を正確に使うな!」


 相馬先輩が笑いました。


 奥で片桐所長も、新聞の陰で少しだけ肩を揺らしていました。


 私は空になった皿を見て、ため息をつきます。


 申請者の権利行使は守られても、


 私の焼き菓子取得権は、


 今日も保護されないようです。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
新訳 三河物語 〜 徳川家康と家臣団の戦国サバイバル 〜 with 逆行転生犬シロ
新訳 北条五代記 〜 近所の隠居が書いたメモがガチの戦記だった件〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
動画生成AIが作成したなろう小説イメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。