[行政手続法30条・弁明の機会の付与の通知]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所には、紙が二枚並んでいました。
一枚目。
森下建設さんに最初に届いた通知。
――処分を検討しております。
――意見がある場合は明後日までに事情説明書を提出してください。
ほぼ、それだけ。
二枚目。
市役所へ行った翌日に届いた通知。
予定される措置。
根拠となる規程。
問題とされる三つの事実。
提出先。
提出期限。
きちんと書かれている。
「……同じ役所が出した紙とは思えませんね」
「一晩で賢くなったな」
相馬先輩が言いました。
「倉田係長に聞かれたら怒られますよ」
「本人に言う気はない」
「私にも言わない選択肢があったと思います」
机の上には、森下さんが置いていったたい焼きの残り。
今日は二つ。
そして事務所には三人。
嫌な予感がします。
「朝比奈」
「はい」
「先に言っとく。一人半分ずつじゃないぞ」
「まだ何も言ってません!」
「顔に書いてある」
片桐所長が新聞を読みながら言いました。
「一つは明日に残す」
「またですか」
「食べすぎだ」
「それは不利益処分です」
「健康指導だ」
「行政指導みたいに言わないでください」
私はたい焼きから意識を引き剥がし、ノートを開きました。
昨日書いた題名。
――弁明の機会の通知。
今日は、その下を埋めます。
もちろん。
ここは昭和六十三年。
行政手続法は、まだありません。
でも私の頭の中には、未来の第三十条があります。
そして昨日。
その条文が必要になる理由を、森下さんの困った顔で見ました。
「相馬先輩」
「何だ」
「昨日の最初の通知、何が一番まずかったと思います?」
「一番?」
「はい」
「全部」
「雑!」
「でも間違ってねえだろ」
間違ってはいません。
だから困る。
片桐所長が新聞を畳みました。
「反論する対象が分からなかったことだ」
私はペンを止めました。
「対象」
「ああ」
「つまり、何を争えばいいか分からなかった」
「そうだ」
森下さんは、最初の通知を受け取ったとき。
何をされるのか分からなかった。
何をしたとされているのか分からなかった。
何に違反したとされているのか分からなかった。
提出先すら紙には書かれていなかった。
分かるのは、期限だけ。
明後日午後五時。
「反論の期限だけ示して」
私は呟きました。
「反論の材料は示してなかった」
「それじゃ準備できん」
相馬先輩が言います。
そこで私はノートに、大きく書きました。
未来の行政手続法第三十条。
弁明の機会を与えるとき、行政庁が事前に書面で通知すべき事項。
まず。
予定される不利益処分の内容。
そして。
その根拠となる法令の条項。
「最初から二つセットなんですね」
「何が」
「処分の内容と根拠」
未来の条文では、そこをまとめて示す。
何をされるのか。
そして。
何に基づいてされるのか。
「昨日の森下さんなら?」
相馬先輩が聞きます。
「予定される不利益処分は、市発注工事の指名停止」
「根拠は?」
「市建設工事請負業者指名停止要綱の該当条項」
「そうだな」
私は頷きました。
ここで大事なのは。
単に、
「何か処分します」
では足りないということ。
処分の中身を知らせる。
たとえば。
戒告なのか。
業務停止なのか。
許可取消しなのか。
指名停止なのか。
何を予定しているのか。
「処分の種類が違えば、反論の仕方も変わりますもんね」
「当然だ」
所長が言いました。
たとえば。
単なる注意なのか。
営業を止められるのか。
資格を失うのか。
その重さによって、本人が準備したい資料も違う。
そして。
根拠条文。
これも大事です。
「所長」
「何だ」
「根拠となる法令の条項まで必要なのって、やっぱり本人が法律を確認できるようにするためですか」
「ああ」
「何となく違反、ではなく」
「どのルールに違反したのかを特定する」
私はノートに書きます。
何をされるのか。
何に基づくのか。
この二つをセットで示す。
「昨日の最初の通知って」
私は古い紙を持ち上げました。
「『処分を検討しています』しか書いてないんですよね」
「そうだな」
「未来ならかなり危ない通知ですね」
「未来の話は知らん」
「ですよね」
危ない。
また未来人が出そうになりました。
私は咳払いして次へ進みます。
二つ目。
不利益処分の原因となる事実。
昨日なら。
市が問題にしていた三つ。
無承認の業者を現場へ入れたこと。
資材を指定区域外へ仮置きしたこと。
安全柵の撤去が予定時刻より遅れたこと。
「これ」
私は三本の線を引きました。
「昨日、一番効きましたよね」
「そうだな」
相馬先輩が答えます。
原因事実を具体的に示した瞬間。
森下さんは言えた。
無承認業者の件は事実。
でも緊急事情があった。
資材置場については初耳。
安全柵の撤去遅れには警察の通行規制解除の遅れが関係している。
つまり。
原因事実を特定したからこそ。
認める部分。
争う部分。
説明する部分。
証拠を出す部分。
それを分けられた。
「原因事実を書かないで『反論してください』って」
私は言いました。
「答えのない試験問題みたいですね」
「問題文のない試験問題だろ」
相馬先輩が訂正しました。
「あ、それです」
問題文がない。
なのに答案だけ出せ。
そんな試験があったら、受験生は暴れます。
少なくとも私は暴れます。
「だから」
所長が言いました。
「本人が何を争えばいいか分かる程度には、事実を示す必要がある」
「はい」
私はその言葉に線を引きました。
ここ。
未来の第三十条の核心です。
予定処分の原因となる事実。
それを知らせる。
なぜなら。
本人の弁明は、その事実に対する反論だから。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「『あなたには不適切な行為がありました』では?」
「曖昧すぎます」
「『契約上問題があります』は?」
「昨日の通知と同じです」
「『現場で不備がありました』」
「何の不備ですか、ってなります」
「そういうことだ」
所長が頷きました。
言葉を少し具体化するだけで、制度は変わる。
不適切。
問題。
不備。
そういう評価語だけでは。
本人は、自分が何をしたと認定されているのか分からない。
何月何日。
どの現場で。
どんな行為をした。
そこまで輪郭が出て。
ようやく反論できる。
私は次へ進みます。
三つ目。
弁明書の提出先。
そして。
提出期限。
「提出期限は分かりますけど」
私は言いました。
「提出先まで条文で決めるんですね」
「昨日、森下さんも電話して聞いてただろ」
相馬先輩が言います。
「あ」
そうでした。
最初の通知には、事情説明書をどこへ出すのか書かれていなかった。
森下さんは、自分で電話して確認した。
「確かに」
「本人に役所の組織図を解読させるなって話だ」
「そこまで言ってませんけど、そうですね」
市役所。
県庁。
役所というところは。
外から見ると課名が多すぎます。
都市整備課。
工事管理係。
契約課。
総務課。
建設課。
市民側にとって。
「役所に出してください」
は、
「地球のどこかに置いてください」
くらいの情報量になることがあります。
「提出先を知らせる」
私は書きました。
「迷わせないためですね」
「期限も同じだ」
所長が言いました。
「いつまでに出せば意見として扱われるのか、本人に分からなければならない」
なるほど。
提出先。
提出期限。
この二つは、かなり実務的です。
でも。
未来の第三十条には、もう一つ重要な仕掛けがあります。
「相当な期間」
私は声に出しました。
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
「急に法律用語になったな」
「未来の――」
危ない。
「……仮に一般的なルールを作るなら、です」
「またその仮定か」
「勉強です」
第三十条は。
ただ通知すればよいとは言っていない。
弁明書の提出期限までに。
相当な期間を置いて通知する。
ここ。
ものすごく大事です。
「相当な期間って、何日ですか」
私は聞きました。
「決まってないだろ」
相馬先輩が言います。
「そうなんです」
何日。
一週間。
二週間。
そうやって一律には書いていない。
なぜなら。
案件によって必要な準備時間が違うから。
たとえば。
事実が単純で。
資料も手元にあり。
争点も一つ。
そういう事件と。
森下建設のように。
三つの原因事実があり。
現場監督へ確認し。
警備会社の記録を集め。
図面を確認し。
下請け関係まで調べる事件。
同じ日数でよいとは限りません。
「つまり」
私は書きます。
相当期間とは。
弁明を実質的に準備できるだけの期間。
「単なるカレンダー上の余白じゃないんですね」
「何を準備する必要があるかで考える」
所長が言います。
昨日。
最初の通知は。
到着した翌々日の午後五時まで。
実質。
二日あるかないか。
しかも。
原因事実不明。
予定処分不明。
根拠不明。
そこから自分で推測しながら資料を集めろ。
無理があります。
「通知内容が曖昧だと」
私は気づきました。
「期間が長くても困りますね」
「そうだ」
「逆に、内容が明確でも期限が明日じゃ準備できない」
「そうだ」
つまり。
通知事項と相当期間。
両方必要。
地図を渡す。
でも歩く時間がない。
それでは駄目。
時間を与える。
でも地図がない。
それも駄目。
私はノートに書きました。
何を争うか分かること。
争う準備をする時間があること。
この二つがそろって初めて、弁明の機会が現実のものになる。
「おお」
思わず声が出ました。
「何だ」
「第三十条、前の第二十九条とつながってます」
「当たり前じゃないのか」
「受験生には、それが見えないことがあるんです!」
第二十九条。
弁明は原則書面。
証拠書類等を提出できる。
でも。
書面を書けと言われても。
何を書けばいいか分からなければ意味がない。
だから第三十条で。
事前に、何を争うのか通知する。
しかも。
準備時間も確保する。
「二十九条が『どう弁明するか』なら」
私は言いました。
「三十条は『弁明できるように何を先に知らせるか』なんですね」
「それなら覚えやすいな」
相馬先輩が言います。
珍しく褒められました。
雨が降るかもしれません。
「でも」
私はノートを見ます。
「教材だと、口頭による弁明の場合もありますよね」
「昨日勉強したやつか」
「はい」
二十九条。
弁明は原則書面。
ただし。
行政庁が口頭ですることを認めた場合は、口頭でもできる。
では。
口頭弁明の場合。
第三十条の通知はどうなるか。
「弁明書を出さないんだから」
私は考えました。
「提出先と提出期限を通知しても意味ない」
「じゃあ何を通知する」
相馬先輩。
受験問題係になってきました。
「口頭による弁明を行うこと」
「うん」
「出頭すべき日時」
「うん」
「場所」
「そうだ」
私はノートに書きます。
口頭弁明の場合。
その旨。
出頭すべき日時。
出頭すべき場所。
「ここ」
私は丸で囲みました。
「試験で入れ替えられそう」
「どういうふうに」
「口頭なのに『弁明書の提出先と提出期限を通知する』とか」
「ありそうだな」
「逆に、書面なのに『出頭日時と場所』とか」
「引っかかるか?」
「眠いと引っかかります」
「お前基準か」
受験生の眠気を甘く見てはいけません。
似た語句は全部敵です。
私は整理します。
書面による弁明なら。
提出先。
提出期限。
口頭による弁明なら。
口頭で行う旨。
出頭日時。
場所。
ここは対応関係で覚える。
「それから」
所長が言いました。
「通知そのものも書面だ」
「はい」
未来の第三十条は。
これらを、不利益処分の名あて人となるべき者に対して。
書面により通知しなければならない。
「名あて人となるべき者」
私は呟きました。
「また眠そうな日本語が」
「未来の法律ってそんな言い方するのか?」
相馬先輩。
「……仮定です」
「だいぶ具体的な仮定だな」
危ない危ない。
でも意味は大切です。
まだ不利益処分そのものは行われていない。
だから。
現在の「名あて人」ではなく。
これから処分を受ける予定の者。
不利益処分の名あて人となるべき者。
森下建設なら。
指名停止処分を受ける可能性のある森下建設。
「事前手続だから、この言い方なんですね」
「そう考えれば分かりやすい」
私は頷きます。
まだ処分前。
だからこそ。
弁明できる。
未来の行政手続法は。
処分してから説明しなさい、ではない。
その前に。
何をしようとしているか知らせなさい。
何を原因と考えているか知らせなさい。
そして反論する時間を与えなさい。
「所長」
「何だ」
「これって、理由提示とは別ですよね」
「別だ」
来た。
似てるけど違うもの。
試験が大好物の場所です。
「理由提示は、処分するときの話」
「そうだ」
「第三十条の通知は、その前」
「そう」
「しかも目的が違う」
「言ってみろ」
突然の口頭試問。
今日は相馬先輩だけじゃなく所長まで乗ってきました。
「理由提示は、なぜその処分をしたのか本人に分からせる」
「うん」
「それに対して、弁明の機会の通知は、処分前に本人が反論できるよう、予定処分や原因事実などを知らせる」
「そうだ」
私はちょっと嬉しくなりました。
似ている。
どちらも役所が事情を書く。
でも。
時間軸が違う。
役割が違う。
処分前。
弁明の機会の通知。
処分時。
理由提示。
「ここ、混同しそうですね」
「お前は何でも混同しそうだな」
「受験生代表です」
「代表になるな」
私は二つをノートで分けました。
処分前。
何をされる予定か。
なぜそうしようとしているか。
何を原因と見ているか。
反論するならどこへいつまでに出すか。
処分後または処分時。
実際にその処分をした理由を示す。
「処分前の通知って」
私は言いました。
「行政庁自身にも効きますよね」
「どういう意味だ」
「原因事実を文字にするから」
昨日。
役所が森下建設に対して問題視していた内容は。
内部では「複数あります」。
そんなぼんやりした状態でした。
でも。
新しい通知を作るために。
一つ。
二つ。
三つ。
と特定した。
すると。
三つ目の安全柵撤去遅れについて。
「警察の通行規制解除が遅れたから」
という反論が出た。
市の側も。
本当に森下さんだけの責任なのか確認する必要が出た。
「通知内容を具体化するって」
私は言います。
「役所自身に、『本当にこの事実で処分するのか』って確認させる効果もあるんですね」
「あるだろうな」
所長が答えました。
手続は、市民のためだけではない。
役所にも。
自分たちが何をしようとしているのか。
一度、紙の上で整理させる。
曖昧な怒り。
なんとなく問題。
現場から聞いた印象。
そういうものを。
処分内容。
根拠。
原因事実。
という冷たい箱へ入れる。
箱に入らないなら。
もしかすると。
まだ処分できるほど整理されていないのかもしれない。
「冷たいですね」
私は呟きました。
「何が」
「条文の項目」
予定処分。
根拠法令。
原因事実。
提出先。
期限。
相当期間。
全部、事務的。
人情の欠片もありません。
でも。
その事務的な欄を一つずつ埋めるだけで。
森下さんの状況は変わった。
最初。
何か悪いことをしたらしい。
何か処分されるらしい。
明後日までに説明しろ。
それだけ。
新しい通知。
指名停止を予定。
この規程が根拠。
この三つの事実を問題視。
この係へ。
この日までに。
違うなら証拠をそろえて説明できる。
「人って」
私は言いました。
「何が起きるか分からないと、一番怖いんですね」
「法律の話か?」
相馬先輩が聞きます。
「生活の話です」
何をされるのか分かれば。
対策できる。
何を争うのか分かれば。
資料を探せる。
期限が分かれば。
予定を立てられる。
場所が分かれば。
提出できる。
たったそれだけ。
でも。
その「それだけ」がないと。
弁明の権利は、紙の上にあっても使えない。
「じゃあ」
相馬先輩が言いました。
「試験用にまとめろ」
「先輩、完全に講師役になってません?」
「早くしろ」
仕方ありません。
私はノートを見ながら口にします。
「行政庁が弁明の機会を与える場合、不利益処分の名あて人となるべき者に対して、書面で事前通知する」
「何を」
「一つ。予定される不利益処分の内容と、その根拠となる法令の条項」
「うん」
「二つ。不利益処分の原因となる事実」
「うん」
「三つ。弁明書の提出先と提出期限」
「口頭なら?」
「口頭による弁明を行う旨、それから出頭すべき日時と場所」
「いつ通知する」
「提出期限、または口頭弁明の日時までに相当な期間を置いて」
「よし」
私は少し驚きました。
「先輩」
「何だ」
「今、先生っぽかったです」
「殴るぞ」
「すぐ実務派に戻った」
所長が小さく笑いました。
「じゃあ、引っかけ」
今度は所長です。
「はい」
「弁明書提出期限の前日に通知した。通知事項は全部書いてある」
「相当期間の問題があります」
「三日前なら?」
「案件による」
「一週間なら?」
「やっぱり案件による」
所長が頷きました。
そう。
相当な期間は。
何日なら絶対大丈夫、ではない。
事案の性質。
資料収集に必要な時間。
争点の複雑さ。
そういう事情から判断する。
「じゃあ次」
相馬先輩。
「通知に予定処分と原因事実は書いた。ただし根拠法令を書かなかった」
「足りません」
「提出期限を書いたが提出先を書かなかった」
「足りません」
「口頭弁明なのに弁明書の提出期限を通知した」
「通知内容がずれてます。口頭なら、口頭で行う旨、日時、場所」
「全部覚えたな」
「たぶん」
「たぶん?」
「試験当日の私を信用しないでください」
「お前自身が信用してないのか」
していません。
受験生というものは。
家では分かる。
模試でも分かる。
本番になると突然、
「弁明って口頭だったっけ?」
とか考え始める生き物です。
私はだからこそ。
昨日の森下さんを思い浮かべます。
書面。
反論。
通知。
期限。
この景色で覚える。
「二十九条と三十条」
私はノートに並べました。
二十九条。
弁明はどうやってする?
原則、弁明書。
証拠書類等も提出できる。
三十条。
その弁明をちゃんとできるように、行政庁は何を知らせる?
予定処分。
根拠法令。
原因事実。
提出先。
提出期限。
そして相当な準備期間。
「これなら」
私は呟きます。
「つながる」
法律の条文って。
一条ずつ覚えると、ばらばらの暗号に見える。
でも現場で見ると。
二十九条が「反論の方法」。
三十条が「反論の準備」。
そうやって前後がつながっている。
昨日までなら。
第三十条。
通知事項三つ。
暗記。
終わり。
だったかもしれません。
今は違います。
森下さんが最初に言った言葉。
――何を書けばいいんです。
それが第三十条です。
何を書けばいいか分からない。
それを防ぐ。
何を争うのか示す。
何をされるのか示す。
どこへ出せばいいか示す。
いつまでか示す。
そして。
考える時間を与える。
「所長」
「何だ」
「通知って、単なるお知らせじゃないんですね」
「そうだ」
「弁明するための土台」
「そう考えればいい」
私は一行の覚え書きを考えました。
でも今日は、少し迷いました。
昨日の現場編では。
――「反論してください」の前に、「何について」を示せ。
そう書いた。
法理編では。
もう少し全部入れたい。
予定処分。
根拠。
原因事実。
提出先。
期限。
相当期間。
「長くなる」
私が呟くと。
「一行だろ」
相馬先輩が言います。
「分かってます」
考える。
そして。
ノートの一番下に書きました。
――弁明の機会は、期限を渡すだけでは足りない。何を争うかを知らせ、争える時間まで渡して初めて“機会”になる。
相馬先輩が覗き込みます。
「長い」
「意味が大事です」
「試験用は?」
「こっち」
その下へ、もう一行。
――処分・根拠・事実・提出先・期限。口頭なら日時と場所。通知は相当期間を置く。
「それならいい」
所長もちらりと見ました。
「忘れにくいな」
ちょっと嬉しい。
私はノートを閉じました。
窓の外では。
昭和六十三年の駅前に、工事灯が点き始めています。
森下建設さんは今ごろ。
現場監督と一緒に。
三つの事実を一つずつ確認しているはずです。
指名停止がなくなるかどうかは分かりません。
無承認で業者を入れた件について。
森下さん側に落ち度があるのは事実かもしれない。
処分される可能性もある。
でも。
昨日とは違う。
何について判断されるか分かっている。
何を出せばいいか分かっている。
いつまでに準備すればいいか分かっている。
制度は。
必ず人を勝たせるものではない。
でも。
何も分からないまま負けさせないための線は引ける。
私はそこが、少し好きです。
法律は冷たい。
第三十条なんて。
予定処分。
根拠法令。
原因事実。
提出先。
期限。
言葉だけ見れば、役所の書式そのものです。
でも。
その冷たい項目が一つ欠けるたび。
森下さんのような人は。
何を言えばいいか分からなくなる。
逆に。
一つずつそろえるだけで。
人は、自分で戦える。
制度の冷たさは。
人を抱きしめたりしません。
でも。
ちゃんと入口を照らすことはできる。
「朝比奈」
「はい」
「たい焼き」
相馬先輩が残った一つへ手を伸ばしていました。
「待ってください」
「何だ」
「予定される不利益処分を通知します」
「また始まった」
「内容。先輩のたい焼き取得禁止」
「根拠は?」
「事務所内食料公平配分原則」
「そんな法令はない」
「原因事実。昨日も先に二つ取ろうとした」
「証拠は?」
「私が見ました」
「提出先は?」
「私」
「期限は?」
「今すぐ」
相馬先輩がにやりとしました。
「相当期間がねえな」
「うっ」
やられました。
片桐所長が新聞の向こうから言います。
「明日まで待て」
「所長?」
「たい焼きも明日までだ」
「結局誰も食べられない!」
「公平だろ」
ものすごく冷たい制度でした。
でも。
確かに公平です。
私は紙袋を閉じました。
行政法。
また一つ。
眠かった条文に、人の顔が付きました。
これなら。
たぶん今夜は。
第三十条を見ても、すぐには眠くならない。
……少なくとも、たい焼きのことを考えている間は。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




