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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法30条・弁明の機会の付与の通知]現場編 「明後日までに反論してください」の罠。期限だけを告げる役所と、処分内容・根拠・事実を先に示させる“反論の入口”

挿絵(By みてみん)

 反論しろと言われても、何に反論すればいいのか分からなければ、人はだいたい困ります。


 もっと困るのは、


「とにかく明後日までです」


 と言われたときです。


 何が問題なのか。


 何をされるのか。


 どの法律なのか。


 いつまでなのか。


 どこへ出すのか。


 そのへんを全部ぼかしたまま、


「ご意見があるならどうぞ」


 と言われても。


 それは意見を聞いているというより、意見を言わせないための迷路じゃないでしょうか。


 昭和六十三年。


 地方都市の片桐行政書士事務所で、私は一枚の封筒を眺めながら、そんなことを考えていました。


「朝比奈」


「はい」


「封筒を睨んでも字は増えんぞ」


 相馬先輩が机の向こうから言いました。


「増えてほしいんですけど」


「何で」


「書いてないことが多すぎるからです」


「そんな便利な封筒があったら役所も苦労しねえよ」


 いや。


 今まさに、その役所の苦労を住民へ丸投げしている気がするんですけど。


 封筒の差出人は、市役所都市整備課。


 宛名は、


 森下建設有限会社 代表取締役 森下源治。


 その森下さん本人が、今、応接机の向こうで背中を丸めています。


 五十代後半。


 日に焼けた顔。


 指は太く、爪の際に黒い油汚れが残っている。


 駅前再整備事業で、市から下請け仕事をいくつか受けている小さな建設会社の社長さんでした。


「昨日、これが来たんです」


 森下さんが封筒から紙を出しました。


「で、会社に電話したら、『反論があるなら明後日までに出してください』って」


「明後日?」


 私は思わず聞き返しました。


「ええ」


「届いたのは昨日?」


「昨日の夕方です」


 私は紙へ目を落とします。


 件名。


 ――事情説明書の提出について。


 本文。


 貴社の工事施工に関し、契約上看過できない事実が認められるため、処分を検討しております。


 意見がある場合は、明後日午後五時までに事情説明書を提出してください。


 以上。


「……以上?」


「以上なんです」


 森下さんが困ったように笑いました。


「以上なんですよ」


 大事なことなので、二人で繰り返しました。


 相馬先輩が紙を取ります。


「処分って何だ」


「分かりません」


「契約上看過できない事実って?」


「分かりません」


「何条違反だって?」


「書いてません」


「どこへ出す」


「電話したら都市整備課って」


「紙には?」


「ないです」


 相馬先輩が紙を机へ戻しました。


「雑だな」


「ですよね」


「お前が喜びそうな雑さだ」


「喜んでません」


 ただし脳内の行政法センサーは完全に起きました。


 何でしょう。


 最近この町、私の試験対策に協力しすぎじゃないですか。


 昨日まで眠かったはずの単語が、住民の困り顔とセットになるたび勝手に立ち上がってきます。


 今回のそれは。


 未来の行政手続法第三十条。


 弁明の機会の付与の通知。


 予定される不利益処分の内容。


 根拠となる法令の条項。


 原因となる事実。


 弁明書の提出先。


 提出期限。


 そして。


 期限までには、相当な期間を置いて通知する。


 ――けれど。


 私は頭の中で、その条文へ蓋をしました。


 まだない。


 昭和六十三年には、まだその法律はない。


 でも。


 ないから困っていないかと言えば、目の前で森下さんが困っています。


「所長」


 私は奥にいる片桐所長を見ました。


「うん」


「これ、反論しろって言われても、何に反論すればいいか分かりません」


「そうだな」


「処分を検討しています、だけじゃ」


「足りない」


 短い。


 でも今日は、それだけで十分でした。


「ですよね」


 私は紙を指で叩きます。


「だって、“悪いことしたから何かします”しか書いてないです」


 相馬先輩が眉を上げました。


「子どもの説教みたいに言うな」


「でもそうでしょう」


「まあな」


 森下さんが身を乗り出しました。


「先生。うちは何をやったって言われてるんでしょう」


 片桐所長は、少し考えてから聞きました。


「最近、市の工事で何か揉めましたか」


「……一件だけ」


「何です」


「駅前の仮設歩道です」


 森下さんの顔が曇りました。


「市の指示で夜間工事をやったんですが、工期に間に合わなくなりそうだったんです。それで一日だけ、予定にない業者を応援に入れました」


「下請け?」


「孫請けに近いです」


「市への届出は?」


「あとから出しました」


 相馬先輩が顔をしかめます。


「あとから?」


「現場止めるわけにいかなくて」


 なるほど。


 嫌な匂いがしてきました。


 再整備工事。


 下請け関係。


 契約条件。


 届出。


 そして市側は「処分を検討」。


「他には?」


 所長が聞きます。


「資材の置き場所で注意されたことがあります」


「それだけ?」


「たぶん」


「たぶんじゃ困る」


「すみません」


 森下さんの肩が落ちます。


 責めたいわけじゃありません。


 でも。


 この「たぶん」が、今の問題の核心でした。


 役所は何を問題にしているのか。


 森下さん自身にも分からない。


 下請け届出なのか。


 資材置場なのか。


 別の何かなのか。


 なのに。


 明後日までに反論してください。


 ひどい話です。


「森下さん」


 私は言いました。


「市役所に電話したとき、何についての処分か聞きました?」


「聞きました」


「何て?」


「『書類を見て説明してください』って」


「その書類が何か分からないのに?」


「はい」


 私は天井を見ました。


 役所の説明が禅問答になっています。


「処分の種類は?」


「それも聞きました」


「何て?」


「『まだ決定前なので言えません』って」


 今度は相馬先輩が露骨に顔をしかめました。


「それはおかしいだろ」


「ですよね」


「処分前だから言えないって、じゃあ何に弁明するんだ」


 そこです。


 私は心の中で机を叩きました。


 未来の行政手続法第三十条は。


 まさにそこを埋める。


 何をされる予定なのか。


 何の法令に基づくのか。


 何が原因事実なのか。


 どこへ、いつまでに出すのか。


 それを先に知らせる。


 しかも、反論を準備できる時間をちゃんと取って。


 でなければ。


 弁明の機会があります。


 という看板だけ立っていても、中身は空です。


「所長」


「何だ」


「市役所、行きますよね」


「行く」


 即答。


 最近、この流れも慣れてきました。


 相馬先輩が立ち上がります。


「森下さんも来てもらう」


「はい」


「朝比奈」


「はい」


「その顔やめろ」


「どんな顔ですか」


「問題文見つけた受験生の顔」


「人聞き悪い!」


 本当に困ってるんですよ。


 たぶん。


     ◇


 市役所都市整備課。


 最近もう、受付の職員に顔を覚えられ始めています。


 行政書士事務所の見習いとしていいことなのか、悪いことなのか判断に困ります。


「また片桐さんですか」


 受付の人が言いました。


「また役所案件です」


 相馬先輩が返す。


「それはこちらの台詞です」


 妙な関係ができつつあります。


 奥から出てきたのは、もちろん倉田係長でした。


 この人、本当にどこにでもいます。


「今日は何です」


「森下建設さんの件です」


 所長が書面を差し出します。


 倉田係長の顔が少し固まりました。


「ああ……」


「ご存じで」


「私の課ですから」


「じゃあ話が早い」


 相馬先輩が机に紙を置きました。


「これ、何を説明すりゃいいんです?」


 倉田係長が紙を見る。


「工事施工上の問題についてです」


「それは書いてある」


「では何が」


「だから、その“問題”って何です」


 倉田係長が黙りました。


「下請け届出の遅れですか。資材置場ですか。施工不良ですか。契約違反ですか」


「複数の点を確認しています」


「複数?」


 森下さんの顔色が変わりました。


「複数って、何があるんです」


「それは内部確認中です」


「確認中なのに、明後日までに説明書?」


 私が言いました。


 倉田係長が私を見る。


「君はまたそこを突くのか」


「そこしか突くところがありません」


「相変わらず細かい」


「反論する側からすると、かなり大きいです」


 私は書面を指差しました。


「予定される処分も分からない」


「まだ最終決定ではありません」


「原因となる事実も分からない」


「調査中です」


「根拠も分からない」


「契約と関係規程に基づいて――」


「何条です?」


 止まりました。


 倉田係長の口が。


 ぴたりと。


 相馬先輩が静かに続けます。


「で、提出期限だけ明後日」


「……早めに事情を聞く必要がありましたので」


「早めに?」


 私は思わず聞き返しました。


「早めに聞きたいなら、何について聞きたいか早めに書いてくださいよ」


 倉田係長が眉間を押さえました。


「朝比奈君」


「はい」


「君、最近容赦なくなってないか」


「制度に鍛えられています」


「誰のせいだ」


「主に市役所です」


 相馬先輩が横を向きました。


 たぶん笑っています。


 でも、森下さんは笑っていません。


「係長さん」


 森下さんが言いました。


「俺、何をしたってことになってるんですか」


 倉田係長は黙ったままです。


「悪いところがあったなら直します」


「森下さん」


「でも」


 森下さんは紙を握りました。


「何をやったかも言わないで、明後日までに言い訳しろって言われても、俺、何書けばいいんです」


 その言葉に。


 空気が変わりました。


 これは試験問題じゃない。


 現実です。


 会社が市の仕事を失うかもしれない。


 工事から外されるかもしれない。


 信用に傷がつくかもしれない。


 従業員の仕事にも響く。


 なのに。


 原因が分からない。


 処分も分からない。


 根拠も分からない。


 期限だけが分かる。


 それは、怖い。


 片桐所長が静かに言いました。


「倉田係長」


「はい」


「順番が逆です」


「……順番?」


「説明を求めるなら、何について説明を求めるのかを先に示す」


 所長は一つずつ指を折りました。


「どんな措置を予定しているのか」


 二本目。


「何に基づくのか」


 三本目。


「どの事実を問題にしているのか」


 四本目。


「どこへ、いつまでに出すのか」


 そして最後に。


「考える時間を与える」


 倉田係長が息を吐きました。


「ですが、こちらも工事が進んでいます。急いでいるんです」


「急ぐ事情があるなら、なおさら明確にしてください」


 所長の声は変わりません。


「曖昧なまま急がせれば、後で余計に揉めます」


 強い。


 静かな人の正論は、音量がいらない。


「森下さんに書面を出させて」


 所長は続けます。


「あとから『その件ではありません』となれば、何のための説明です」


 倉田係長が黙る。


「それでは、聞いたことにならない」


 私は少しぞくりとしました。


 未来の行政手続法第三十条。


 まだない。


 でも。


 この人たちは、条文がなくても、その必要性を実務の言葉で掴んでいる。


 通知する内容。


 相当な期間。


 制度は後から名前を付ける。


 困りごとのほうが先にある。


「倉田係長」


 私は言いました。


「仮に森下さんが今夜、一生懸命下請け届出の説明を書いたとして」


「はい」


「実は市が問題にしてるのが資材置場だったら?」


「……無駄になりますね」


「ですよね」


「逆も同じか」


「はい」


「施工内容まで問題なら?」


「それも書いてもらわないと」


 倉田係長が額に手を当てました。


「確かに、通知が粗かったな……」


 相馬先輩がすかさず言います。


「粗いどころじゃない」


「相馬さん」


「はい」


「今、反省してるところです」


「なら続けてください」


「性格悪いですね」


「仕事です」


 私はちょっと思いました。


 相馬先輩、行政法より性格で勝ってません?


 倉田係長は奥の職員を呼びました。


「森下建設の件、調査票と契約書持ってきて」


「はい」


 数分後。


 書類の束が運ばれてきました。


 そこから、ようやく全体が見え始めます。


 問題にされていたのは三点。


 一つ。


 夜間工事の際、事前承認を受けていない業者を現場へ入れたこと。


 二つ。


 資材の一部を指定区域外へ仮置きしていたこと。


 三つ。


 作業終了後の安全柵撤去が予定時刻より遅れたこと。


「三つも?」


 森下さんが言います。


「二つ目は初耳です」


「現場報告にあります」


「三つ目は、警察の通行規制解除が遅れたからですよ」


「そうなんですか」


「現場監督に聞いてください」


 倉田係長の顔がまた曇りました。


 はい。


 もう出ました。


 反論材料。


 原因事実を示しただけで、さっそく市側の認識と食い違っています。


「予定してる処分は?」


 相馬先輩が聞きます。


「今のところ、市発注工事の指名停止を検討しています」


 森下さんが息を呑みました。


「何か月です」


「期間はまだ」


「少なくとも指名停止?」


「はい」


「根拠は?」


 今度は倉田係長が書類をめくりました。


「市建設工事請負業者指名停止要綱です。該当条項を確認します」


「それも書面に」


 所長が言う。


「はい」


「三点の原因事実も」


「はい」


「提出先も」


「都市整備課工事管理係です」


「期限は?」


 倉田係長は時計を見ました。


「明後日は……無理ですね」


「やっとそこへ来ましたか」


 私が言うと、


「君は本当に一言多いな」


 怒られました。


「一週間取ります」


「営業日で?」


「暦日で七日。必要なら資料を見て再検討します」


 所長は少し考えます。


「少なくとも、今よりはいい」


「新しい通知を今日出します」


 森下さんがほっと息を吐きました。


「じゃあ、明後日までじゃないんですね」


「はい」


「何を説明すればいいかも、書いてもらえる?」


「書きます」


「何の決まりで指名停止なのかも?」


「書きます」


「提出する場所も?」


「書きます」


 森下さんはしばらく黙っていました。


 それから。


「それなら、ちゃんと説明できます」


 小さく言いました。


 その一言が、妙に残りました。


 それなら。


 ちゃんと説明できる。


 何か特別な権利をもらったわけじゃない。


 処分が消えたわけでもない。


 市が問題視している三点について、森下建設側に落ち度がある可能性は十分ある。


 でも。


 何を問われているか分かる。


 何をされる可能性があるか分かる。


 どのルールなのか分かる。


 いつまでなのか分かる。


 どこへ出すのか分かる。


 それだけで。


 人は、初めて反論できます。


     ◇


 事務所へ戻る途中。


 森下さんは何度も封筒を見ていました。


「朝比奈さん」


「はい」


「最初の紙、何だったんでしょうね」


「何だったんでしょう」


「いや、反論してくださいっていうから、ちゃんとした通知なんだと思ってたんです」


「役所の紙って、それだけで強そうに見えますから」


「でも中身、ほとんどなかったんですね」


「期限だけはありました」


「そこだけ妙に具体的で」


「一番嫌なところです」


 森下さんが笑いました。


 少しだけ。


 朝より顔が軽い。


「今夜、現場監督と資料を整理します」


「三点、それぞれ分けたほうがいいです」


「はい」


「下請けの件は、なぜ事前承認できなかったのか。誰がいつ判断したのか」


「うん」


「資材置場は、どこへ置いたか。市の指示図面があれば確認」


「あります」


「安全柵は、通行規制解除が遅れた記録があるなら、それも」


「警備会社の記録があります」


 言いながら。


 私は少し不思議な気分になりました。


 朝は。


「何をしたか分からない」


 だった。


 今は。


 三つに分かれている。


 一。


 二。


 三。


 論点が分かれると、人は動ける。


 法律ってやっぱり。


 問題を解決する前に、問題を分解する道具なのかもしれません。


     ◇


 翌日の午後。


 市役所から、新しい書面が届きました。


 森下さんが事務所へ持ってきました。


 今度は前よりずっと長い。


 でも。


 長いことが、こんなに安心に見えるとは思いませんでした。


 そこには。


 予定される措置。


 指名停止。


 根拠となる要綱の条項。


 問題とされる三つの事実。


 事情説明書の提出先。


 提出期限。


 全部書いてあります。


「役所の紙って」


 森下さんが言いました。


「長いほうがいいこともあるんですね」


「今回は」


「今まで長い紙見ると、嫌がらせかと思ってました」


「私もです」


「お前まで同意するな」


 相馬先輩が横から言いました。


「でも、何も書いてない紙よりはいいでしょう」


「まあな」


 片桐所長が新しい通知を確認します。


「これなら準備できる」


 森下さんが頷きました。


「はい」


「処分がなくなるとは限りません」


「分かってます」


「事前承認なしで業者を入れた件は、厳しいかもしれない」


「そこは認めます」


「ただ、原因ごとに説明する」


「はい」


「事実と違うところは争う」


「はい」


「それでいい」


 所長は紙を返しました。


 森下さんが深く頭を下げます。


「ありがとうございました」


「まだこれからです」


「それでも」


 森下さんは少し笑いました。


「昨日は、何に怒られてるかも分からなかったんで」


 その言葉。


 ものすごく分かります。


 子どものころ。


「自分で考えなさい」


 と言われるのが一番困りました。


 何について怒られてるのか教えてください。


 自分で考える前に。


 行政でも同じです。


 反論しろ。


 でも何についてかは言わない。


 それは反論の機会を与えているようで。


 実は入口を隠している。


 森下さんは帰り際、紙袋を置いていきました。


「社員が現場の帰りに買ってきたんです」


「何です?」


「たい焼き」


 おお。


 最近、この事務所、相談が解決するたび炭水化物が増えます。


「ありがとうございます!」


「朝比奈」


 相馬先輩が私より先に袋へ手を伸ばします。


「まだ開けてません!」


「先輩特権だ」


「前も聞きました、その雑な特権!」


 片桐所長が紙袋を取り上げました。


「一人一つ」


「所長!」


「残りは明日」


「根拠は?」


「六個しかない」


「また合理的!」


 森下さんが声を上げて笑いました。


 朝には一度も見せなかった顔です。


「片桐さんのところ、役所より手続が厳しいですね」


「食べ物に関してだけです」


 私は言いました。


「何か言ったか」


 相馬先輩。


「何も」


     ◇


 夕方。


 森下さんが帰ったあと。


 私は新しい通知の写しを机へ置きました。


 古い通知。


 新しい通知。


 二枚を並べます。


 差は一目瞭然でした。


 古いほう。


 処分を検討しています。


 意見があるなら明後日まで。


 ほぼそれだけ。


 新しいほう。


 何をする予定なのか。


 何に基づくのか。


 何が原因なのか。


 どこへ。


 いつまでに。


 そして。


 準備する時間。


 未来の私は知っています。


 数年後。


 行政手続法第三十条が、これをもっとはっきり言葉にする。


 弁明書の提出期限までに相当な期間を置いて。


 予定される不利益処分の内容。


 根拠となる法令の条項。


 原因となる事実。


 提出先。


 提出期限。


 それらを書面で通知する。


 今。


 その条文は存在しない。


 でも。


 必要になる理由は、今日一日だけで十分すぎるほど分かりました。


「朝比奈」


「はい」


「何書いてる」


 相馬先輩が覗き込みます。


「まだ何も」


「また題名だけか」


「今日は題名も迷ってます」


「何で」


「『弁明の機会の通知』って、字面が眠いじゃないですか」


「知らん」


「でも現場だと、全然眠くなかった」


 何に反論するのか。


 何をされるのか。


 何が原因なのか。


 いつまでなのか。


 どこへ出すのか。


 それが分からないまま期限だけ来る。


 考えてみれば、相当怖い。


「所長」


「何だ」


「反論する機会って、期限をくれればいいわけじゃないんですね」


「ああ」


「材料が必要」


「そうだ」


「時間も必要」


「そうだ」


「何を争うか分かることも」


「それが先だ」


 私はペンを持ちました。


 そしてノートの上に、一行だけ書きます。


 ――弁明の機会の通知。


 その下。


 もう一行。


 ――「反論してください」の前に、「何について」を示せ。


 相馬先輩が読みました。


「今日は短いな」


「まだ現場編なので」


「何だその言い方」


「独り言です」


 未来では。


 これが条文になります。


 でも今日の私は、条文より先に。


 森下さんの困った顔で覚えました。


 通知は、役所が責任を逃れるための紙じゃない。


 反論する人が、入口を見つけるための紙です。


 予定される処分。


 根拠。


 原因事実。


 提出先。


 期限。


 そして準備する時間。


 冷たい項目ばかりです。


 人情なんて一文字もありません。


 でも。


 その冷たい項目を全部そろえるだけで。


「何をしたか分からないまま怒られる人」を、一人減らせる。


 制度の冷たさって。


 やっぱり、案外やさしいのかもしれません。


「朝比奈」


「はい」


「たい焼き食わないならもらうぞ」


「食べます!」


「反論は?」


「即時です!」


「根拠は?」


「私のたい焼きだからです!」


 所長が新聞の向こうから言いました。


「原因事実は?」


「先輩が勝手に取ろうとしたこと!」


「予定される処分は?」


「手を叩きます!」


「私的制裁はやめろ」


 相馬先輩が笑いました。


「提出期限は?」


「今!」


「相当期間がねえぞ」


 私はたい焼きを抱えました。


「緊急案件です!」


 所長が、ほんの少しだけ笑いました。


 昭和六十三年の夕暮れ。


 駅前では、また工事の音がしています。


 町は急いで変わろうとしている。


 だから役所も急ぐ。


 でも。


 急いで決めることと。


 相手に考える暇を与えないことは。


 同じではありません。


 今日覚えたのは、たぶんそれです。


 「いつまでに反論してください」


 その言葉を聞いたら。


 まず確かめる。


 何をされるのか。


 何に基づくのか。


 何をしたとされているのか。


 どこへ出すのか。


 そして。


 考える時間は、本当にあるのか。


 反論の期限を知らせるだけでは、反論の機会にはならない。


 入口を照らして。


 地図を渡して。


 歩く時間まで与えて。


 やっと、人は自分の言葉でそこへ辿り着ける。


 私はたい焼きの尻尾をかじりました。


 甘い。


 今日の行政法も、少しだけ甘いです。


 ただし。


「先輩」


「何だ」


「私のあんこ側を見ないでください」


「気のせいだ」


「目が完全に処分予定です」


「根拠は?」


「その顔です!」


 どうやらこちらの不利益処分については、通知以前の問題がありそうでした。

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