[行政手続法28条・役員解任の場合の聴聞等の特例]現場編 「俺にも別に言い分を聞け」の罠。法人への解任命令と役員本人への処分、二つの不利益を“一回の手続”でつなぐ理由
会社に「その役員を辞めさせなさい」と命じるのは、会社だけの問題ではありません。
だって、辞めさせられる本人がいる。
当たり前です。
なのに行政法は、ときどきその当たり前を、妙にややこしい形にします。
法人。
役員。
行政庁。
名あて人。
聴聞。
通知。
そして、
「俺のことなのに、俺には何も言ってこなかった!」
……うん。
気持ちは分かる。
ものすごく分かるんですけど。
法律というものは、ときどき「気持ちは分かる」と「手続上どう扱うか」を冷酷なほど別々の箱へ入れます。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
その日の私は、輪ゴムでまとめられた古い法人関係の書類と格闘していました。
「相馬先輩」
「何だ」
「昭和の書類って、どうして全部ちょっと茶色いんですか」
「年季だ」
「ファイルも茶色いです」
「年季だ」
「机も茶色いです」
「木だ」
そこは素材でした。
私は法人台帳の写しをめくりながら、小さくため息をつきます。
昨夜――というか、私の感覚では数週間前まで、私は令和の行政書士受験生でした。
行政手続法。
申請に対する処分。
不利益処分。
聴聞。
弁明の機会の付与。
そして、受験生を突然細い路地へ連れ込む二十条台後半の条文たち。
その中に、妙に地味な条文があります。
役員等の解任等を命ずる不利益処分をしようとする場合の聴聞等の特例。
行政手続法第二十八条。
受験勉強中の私は思いました。
長い。
タイトルだけでもう読む気を削ってくる。
しかも内容を読めば、
法人に役員を解任しろと命じる。
そのあと法人が従わなかったら、今度は役員本人を直接解任することがある。
そのとき聴聞はどうする。
……登場人物、多くない?
法人A。
役員B。
行政庁。
文字だけで読むと、AとBが増えた時点で眠気が勝つんです。
でも。
その日の午後、事務所の扉が乱暴に開きました。
「片桐先生はいるか!」
すごい勢いです。
行政法のAとBが、どうやら自分の足で歩いてきました。
入ってきたのは、五十代くらいの男性でした。
背広は上等なのに、ネクタイが曲がっている。
顔は赤い。
手には封筒。
「先生じゃない。所長だ」
相馬先輩が言いました。
「今そこ訂正するか?」
「毎回間違える奴がいるからな」
そこへ奥から片桐所長が出てきました。
「どうしました」
男性は封筒を机へ叩きつけました。
「市からです。うちの組合に来たんですよ!」
「何が」
「私を理事から外せと!」
部屋の空気が変わりました。
男性は野村俊雄さん。
駅前再整備区域にある商業協同組合の理事でした。
組合は駅前の共同店舗を管理し、市の観光振興事業とも関わっている。
ここ数か月、補助事業の経理をめぐって市と揉めていたらしい。
不正が確定したわけではない。
ただ、使途不明の支出があり、帳簿の提出を求められても十分な説明ができなかった。
そして今回。
所管法令に基づく監督権限を背景に、市側から組合へ、
――野村理事を解任するよう命ずる手続に入る。
という通知が来た。
「で、これです」
野村さんは書面を指差します。
「聴聞をやるって書いてある」
「組合宛てですね」
私が確認すると、野村さんは机を叩きました。
「そこだよ!」
びくっ。
昭和の相談者、机に感情を伝えがちです。
「処分を受けるのは俺だろう!」
「正確には」
相馬先輩が書面を取ります。
「今、市がやろうとしてるのは、組合に対して“野村さんを解任しろ”と命じる処分だ」
「結果は同じじゃないか!」
「同じに見えるが、名あて人が違う」
その言葉に、私の手が止まりました。
名あて人。
あ。
来た。
眠かったやつが。
突然、目の前で立ち上がりました。
「野村さん」
私は書面を覗き込みます。
「市から野村さん個人宛てには、何も来ていないんですか」
「ない!」
「この聴聞の日程は?」
「来週だ」
「組合は出る予定ですか」
「理事長は出ると言ってる。でも俺は納得してない。俺を辞めさせる話なのに、俺に通知を出さないなんておかしいだろ!」
気持ちは分かります。
むしろ普通なら、そう思います。
自分の首が飛ぶ話なのに、
「法人に通知したからいいですよね」
と言われたら、
いや、よくないだろ。
となる。
でも。
私の頭の中で、未来の条文がぴかっと光りました。
行政手続法第二十八条。
いや。
待って。
ここ昭和六十三年。
まだありません。
行政手続法は未来です。
私だけが知っている。
「……こはる」
所長がこちらを見ました。
「何かあるか」
「あります。たぶん」
「たぶんか」
相馬先輩が眉を上げました。
「この件、法人に対する処分と、野村さん本人への影響を分けて考えた方がいいです」
所長は黙っています。
続けろ、という顔です。
「市が今しようとしているのは、野村さんを直接辞めさせる処分じゃありません」
「だから何だ」
野村さんが苛立ちます。
「組合に対して、“この役員を解任しなさい”と命じようとしている。だから、その処分の名あて人は組合です」
「でも辞めさせられるのは俺だ」
「はい。だから、そこが普通の処分と違うんです」
私は自分でも不思議なくらい、頭が回っていました。
テキストだったら三行で眠ったのに。
人の仕事がかかると行政法は突然カラーになります。
「所長」
「うん」
「この聴聞、野村さん自身も利害関係人として関与できる形にできませんか」
所長は書面を読みました。
「できるだろうな」
野村さんが少し身を乗り出します。
「じゃあやっぱり、市は俺にも別に通知すべきなんじゃないか」
そこで所長が首を振りました。
「それは別問題です」
「なぜだ」
「手続の中心は、法人に対する解任命令だからです」
野村さんは納得していない。
まあ、そうでしょう。
私だって令和で初めて読んだとき、
本人にも通知すればいいじゃん。
と思いました。
でもこの仕組みには理由があります。
ただ。
今ここで「未来の行政手続法二十八条ではですね」と言ったら、転生者ではなく危ない人です。
「一度、市へ行きましょう」
所長が言いました。
「今の通知だけでは、野村さんがどう関われるのか分からない」
そう。
そこです。
法人への通知で足りるとしても、
本人を蚊帳の外にしていい、
という話ではない。
その二つをごちゃ混ぜにすると、制度は一気に冷たくなる。
◇
市役所の産業振興課には、倉田係長がいました。
最近、私たちが来ると微妙な顔をするようになりました。
「……また片桐事務所ですか」
「またとは何ですか」
「最近よく会うなと思いまして」
「ご縁ですね」
「行政上あまり嬉しくないご縁です」
失礼ですね。
でも気持ちは分かります。
相馬先輩が例の通知を窓口へ置きました。
「これ」
倉田係長の顔が少し硬くなります。
「野村理事の件ですね」
「本人にも来てもらった」
「……そうですか」
「まず確認です」
私は言いました。
「市が予定している処分の相手方は、野村さん個人ですか。それとも組合ですか」
「組合です」
即答でした。
「命令内容は?」
「役員である野村氏を解任すること」
「じゃあ、市が直接野村さんを解任する処分ではない」
「現段階では、そうです」
現段階では。
その一言が引っかかりました。
「現段階では?」
倉田係長は一瞬黙りました。
「組合が命令に従わない場合、法令上、次の措置を取る余地があります」
「役員本人を直接解任する?」
倉田係長が私を見ました。
「……よく知っていますね」
未来で勉強しました。
とは言えません。
「勘です」
「勘でそこまで当てます?」
最近、倉田係長の私への警戒心が育っています。
いい傾向かどうかは分かりません。
野村さんが腕を組みました。
「ほら見ろ。結局俺の首の話じゃないか。なら俺にも別に聴聞をやれ」
「野村さん」
片桐所長が静かに止めました。
「今はまず、一回目の聴聞であなたが意見を言えるのか確認しましょう」
所長は倉田係長へ向き直ります。
「本人の関与はどう扱う予定です」
「組合側の関係者として出席してもらうことは考えています」
「考えている、では困ります」
相馬先輩が言いました。
「この通知だけ見れば、本人は自分が何を言えるのか分からない」
「しかし通知の相手は組合です」
「通知の相手と、意見を聞くべき人間が常に同じとは限らんだろ」
おお。
相馬先輩、今日ちょっと法理派。
珍しい。
言ったら怒られるので黙っておきます。
私は続けました。
「野村さんを解任するよう命じるんですよね」
「はい」
「だったら、組合が反論できれば全部終わり、では困ります。組合と野村さんの利害が完全に同じとは限らないから」
倉田係長が黙ります。
たとえば。
組合としては、
市との関係を悪化させたくない。
補助事業を続けたい。
なら、
野村さん一人を切って収まるなら仕方ない。
そう判断することだってある。
でも野村さん本人からすれば、
不正なんかしていない。
資料を出せなかったのには理由がある。
そう反論したいかもしれない。
法人と役員。
同じ側に見えても、
首がかかった瞬間、同じ方向を向くとは限らない。
「本人が何も言えないまま進むのはまずい」
片桐所長が言いました。
「別個の通知が必要かどうかとは切り分けて、少なくとも実質的に意見を述べる機会は確保してください」
倉田係長は少し考え、
「分かりました」
と答えました。
「聴聞の場で、野村氏本人にも資料提出と意見陳述の機会を設けます」
野村さんが鼻を鳴らしました。
「最初からそう言えばいいんだ」
それは本当にそう。
行政のトラブルの三割くらい、
最初からそこまで説明しとけば揉めなかったんじゃないですか選手権、
だと思います。
でも話はまだ終わりません。
私は聞きました。
「もう一つ」
倉田係長が嫌そうな顔をしました。
「まだあるんですか」
「組合が解任命令に従わなかった場合です」
野村さんもこちらを見る。
「その場合、市は野村さん本人を直接解任する可能性がある」
「制度上は」
「そのとき、もう一度最初から本人について聴聞をやるんですか」
倉田係長が口を閉じました。
お。
ここ。
今日の核心です。
「普通に考えたら」
野村さんが言いました。
「やるだろ。今度こそ俺個人への処分なんだから」
そう。
普通に考えればそう感じる。
一回目は法人への処分。
二回目は役員本人への処分。
名あて人が違うなら、
聴聞も二回。
それが筋に見えます。
でも。
もし一回目の聴聞で、
役員本人がきちんと関与し、
自分が解任されるべきかについて意見を述べ、
証拠も出せたなら。
二回目の処分は何のために行われるのか。
法人が最初の命令に従わなかったからです。
同じ解任理由について、
また最初から全部やる必要があるのか。
未来の私は、その答えを知っています。
行政手続法第二十八条第二項。
法人に役員解任を命ずる処分について聴聞が行われ、
法人がそれに従わなかったことを理由に、
法令に基づいてその役員本人を解任する不利益処分を行う場合。
行政庁は、
その役員について改めて聴聞をする必要はない。
つまり。
一回目で手続保障をきちんと与える。
だから二回目では繰り返さない。
制度としては、そうつながっている。
でも昭和六十三年の今。
その全国共通の一般法は、まだない。
私は未来の条文を飲み込み、別の言葉に置き換えました。
「所長」
「何だ」
「これって、一回目の聴聞をちゃんとやる意味が、ものすごく重くないですか」
所長が私を見る。
「どういう意味だ」
「もし最初の手続で、野村さん本人まで含めて解任理由をきちんと争えるなら……そのあと組合が命令に従わなかった場合、同じ解任理由について、もう一度ゼロから意見を聞く必要性は小さくなる」
相馬先輩が目を細めました。
「逆に言えば?」
「最初の聴聞で本人を実質的に締め出しておいて、あとで“もう話は聞きました”は駄目だと思います」
片桐所長が小さく頷きました。
「そうだな」
倉田係長も黙っています。
やがて、
「少なくとも今回、市としては二段階を別々の事件として扱うつもりではありません」
と言いました。
「まず組合に解任を命じる。その判断の前に、解任理由について関係者から意見を聞く。組合が従わなかった場合に次の措置へ進むとしても、同じ事実関係を最初からやり直すという考えではない」
野村さんが不満そうに眉を寄せました。
「じゃあ、俺は一回しか言えないのか」
「一回しか、ではありません」
私は言いました。
「最初の一回で、ちゃんと言わないといけないんです」
野村さんがこちらを向く。
「組合宛ての手続だから、自分には関係ないと思って黙ってたら危ない」
そこまで言ったところで、私自身、ぞくっとしました。
これだ。
行政手続法二十八条が、ただの細かい条文じゃない理由。
法人に通知したら、対象役員にも通知したものとして扱う。
そして最初の聴聞を経たなら、
法人の不履行を理由とする後続の本人解任については、重ねて聴聞を要求しない。
だからこそ。
最初の聴聞が、
「法人の話だから」
で済むはずがない。
辞めさせられる本人にとっても、
そこが主戦場なのです。
「野村さん」
相馬先輩が言いました。
「怒る場所を間違えるな」
「何?」
「通知が自分宛てじゃないことに怒るより、来週の場で何を出すか考えろ」
相馬先輩らしい。
乱暴だけど正しい。
「帳簿を出せない理由があるんだろ」
「……経理担当が入院して、伝票の一部が別倉庫に移されたんだ」
「なら探せ」
「簡単に言うな」
「首がかかってんだ。簡単な仕事なわけあるか」
野村さんが黙りました。
所長が倉田係長へ言います。
「聴聞の対象事実を、できる限り具体的にしてください」
「はい」
「何について弁明すべきなのか分からなければ、機会を与えたことにはならない」
「分かりました」
私はその会話を聞きながら、未来のことを思いました。
平成五年。
行政手続法が制定される。
平成六年十月一日。
施行される。
その二十八条で、
今日みたいな妙な構造が、きちんと文章になる。
法人へ役員解任を命じる処分。
通知を受ける法人。
しかし実際に職を失う対象役員。
その役員も、聴聞通知を受けた者として扱う。
さらに法人が命令に従わず、
行政庁が法令に基づいて役員本人を解任することになっても、
もう一度同じ聴聞を繰り返す必要はない。
未来の条文は、
突然空から降ってくるわけじゃない。
今日ここで揉めているような問題が、
先に現場にある。
誰に通知するのか。
誰の言い分を聞くのか。
同じことを二回聞くのか。
形式だけ見れば法人の処分。
実質を見れば人の首。
そのずれをどう整理するか。
法律は、その後から名前をつけに来る。
そんな感じがしました。
◇
数日後。
野村さんは、段ボール箱二つ分の資料を抱えて事務所へ来ました。
「ありました」
「何がです?」
「伝票。倉庫の奥に全部」
「全部?」
「全部」
相馬先輩が中身を確認して、鼻を鳴らしました。
「最初から探せ」
「探してた!」
「探し方が甘い」
「うるさい!」
仲良くなってますね。
たぶん。
資料を見ると、問題とされた支出のうち、かなりの部分は駅前共同店舗の修繕費でした。
ただ、業者への発注手続や理事会承認には曖昧な点が残っている。
完全潔白。
という話ではありません。
でも、
使途不明金を私物化した。
という最悪の疑いとは、かなり様子が違いました。
聴聞当日。
私たちは組合側の補助として市役所へ同行しました。
倉田係長は約束どおり、冒頭で確認しました。
「本件は組合に対し、野村理事の解任を命ずることを検討しているものです。ただし、解任の対象となる野村氏本人にも、本日、意見および資料を提出していただきます」
野村さんが私を見ました。
私は小さく頷きました。
言うなら、今日。
出すなら、今日。
自分宛てじゃない通知だからといって、
自分と無関係な手続ではない。
その後、野村さんは一時間近く説明しました。
経理担当者の入院。
倉庫移転。
修繕工事。
決裁の遅れ。
理事会議事録。
担当業者からの領収書。
市側も厳しく質問しました。
野村さんも何度か声を荒らげました。
相馬先輩が三回くらい足を蹴って黙らせました。
行政手続における物理的制止。
たぶん教科書には載りません。
結果。
その日に、
「解任命令を取りやめます」
とはなりませんでした。
当然です。
市も資料を検討する必要があります。
ただ、一つ大きく変わりました。
当初、市側の内部資料では、
経理資料の不提出。
資金管理上の重大な問題。
説明拒否。
と整理されていたものが、
資料提出の遅延。
内部決裁手続の不備。
監督上の改善を要する事項。
へと、少しずつ輪郭を変えたのです。
首を切る話から、
組織運営をどう直すかという話へ。
少なくとも、一本の道ができました。
◇
翌日の夕方。
片桐行政書士事務所に、野村さんが紙袋を持ってきました。
「昨日は世話になった」
「結果はまだですよ」
「分かってる」
そう言いながら、紙袋を机に置きます。
中には駅前の和菓子屋の最中。
「また甘いもの」
相馬先輩が早速手を伸ばします。
「先輩、相談料より先に差し入れを回収するのやめません?」
「これは回収じゃない。信頼関係だ」
「便利な言葉ですね」
野村さんが苦笑しました。
「朝比奈さん」
「はい」
「最初、俺は腹が立ってたんだ」
「はい」
「自分の首の話なのに、自分宛てに通知が来ない。それだけで、全部インチキだと思ってた」
「普通はそう思います」
「でも違ったな」
野村さんは少し考えてから言いました。
「誰宛てに紙が来たかだけじゃなくて、どの段階で俺が何を言えるかを見るんだな」
私は笑いました。
「たぶん、そっちの方が大事です」
「難しいな、役所ってのは」
「私もそう思います」
「お前が言うな」
相馬先輩が最中を食べながら言いました。
「勉強中なんですから仕方ないでしょう」
「現場で客に教わってるじゃないか」
「それは……否定できません」
片桐所長が野村さんへ言いました。
「まだ処分の可能性が消えたわけではありません」
「ああ」
「ただ、言うべきことは記録に残った」
「それで十分だ」
野村さんはそう答えました。
その声は、最初に事務所へ怒鳴り込んできたときより、ずっと静かでした。
帰り際、野村さんが振り返ります。
「もし組合が俺を辞めさせなかったら、市は今度こそ俺を直接辞めさせるんだろ?」
「可能性はあります」
「そのときまた揉めるか」
私は少し迷いました。
未来を知っている私は、
その問いの向こうに条文を見ています。
でも今はまだ、それを全部説明する場面ではありません。
「だからこそ」
私は言いました。
「昨日の手続が大事なんだと思います」
野村さんは少し不思議そうな顔をしました。
やがて、
「そうか」
とだけ言って帰っていきました。
扉が閉まる。
私は机へ戻り、ノートを開きました。
白いページの一番上に、鉛筆で書きます。
――役員解任の場合の聴聞。
そこで手が止まりました。
「書かないのか」
相馬先輩が言います。
「整理したいんです」
「何を」
「法人に対する処分なのに、どうして役員本人まで手続に入ってくるのか」
「うん」
「それから、法人が命令に従わなかったあと、役員本人への処分に進むとき、手続をどこまで繰り返すべきなのか」
「面倒くさい話だな」
「それが行政法です」
「開き直ったな」
私は鉛筆を転がしました。
未来では、ここに答えがあります。
行政手続法第二十八条。
法人に対して役員などの解任を命ずる処分について聴聞の通知がされたなら、
解任される役員等も、その通知を受けた者として扱う。
そして。
その聴聞を経たあと、
法人が解任命令に従わなかったことを理由に、
法令に基づいて行政庁がその役員本人を解任するなら、
改めてその役員について聴聞を行う必要はない。
未来の私は、それを暗記していました。
でも今日、
初めて意味が分かった気がします。
一回でいい、
という話ではない。
最初の一回を、
本人にとって本物の手続にする。
そういう話なのです。
形式上の名あて人は法人。
でも、職を失うのは役員。
だから本人を無視しない。
しかし、本人も参加した聴聞で同じ解任理由を一度きちんと争ったなら、
法人が命令に従わなかったというだけで、
同じ争点をもう一度最初からやり直す必要まではない。
手続保障と、
無駄な重複を避けること。
その二つをどう両立させるか。
未来の条文は、今日みたいな揉め事を見ながら作られたんじゃないでしょうか。
「何、にやにやしてんだ」
相馬先輩が言いました。
「してません」
「してる」
「ちょっとだけ、未来が見えただけです」
「また意味不明なこと言ってるな」
そうでしょうね。
私はノートの下を空白にして閉じました。
まだ書きません。
今日は現場で、
誰宛ての処分なのか。
誰の首がかかっているのか。
どの手続で本人が言い分を出せるのか。
そこまで見えた。
制度の整理は、今夜もう一度やればいい。
片桐所長が最中の箱を見ました。
「あと二つか」
「私まだ一個です」
「俺も一個だ」
相馬先輩が言いました。
「嘘です。先輩さっき二個食べました」
「証拠は?」
「見ました」
「証人は?」
「所長」
二人で片桐所長を見る。
所長は新聞をめくったまま言いました。
「聞いていない」
「所長!」
「立証失敗だな」
相馬先輩が三個目へ手を伸ばします。
「待ってください! 本人である私に意見を言う機会を!」
「処分じゃない」
「最中を奪うのは重大な不利益です!」
「知らん」
「聴聞を要求します!」
「却下」
速い。
しかも昭和なので、本当に行政手続法はありません。
私は慌てて最後の一個を確保しました。
手続保障とは、
機会を与えられたときに使わなければ意味がない。
……本日の教訓としては、いささか甘すぎる気もしますが。
窓の外では、駅前再整備の工事灯が夕暮れの中で瞬いていました。
町は少しずつ変わっています。
新しい建物。
新しい事業。
新しい行政の関わり。
そのたびに、
誰に命じるのか。
誰が不利益を受けるのか。
誰の言い分を、いつ聞くのか。
そんな問題が増えていく。
そして数年後。
まだこの町の誰も知らない名前で、
今日のような問題を整理する法律ができる。
行政手続法。
私だけが、その未来を知っています。
でもたぶん。
法律が先にあるんじゃない。
今日みたいな困りごとが先にある。
人の首がかかっているのに、
通知の宛名だけを見ていたら、本当に守るべき人を見失う。
かといって、
同じ話を形だけ変えて何度も繰り返せばいいわけでもない。
誰に手続を保障するのか。
どこで一度、きちんと聞くのか。
その線を引く。
条文は冷たい。
でも冷たいからこそ、
「聞いたことにして進めます」
も、
「念のため何度でも最初からやります」
も、
どちらにも流されずに済むのかもしれません。
私は確保した最中を一口かじりました。
甘い。
そして頭の中には、未来の条文が一つだけ浮かんでいました。
――最初の聴聞を、ただの一回にするな。
本人にとっての一回にしろ。
その意味を、今夜ちゃんとノートに整理してみようと思います。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




