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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法27条・審査請求の制限]現場編 「閲覧を断られたなら、今すぐ審査請求です」の罠。聴聞中の手続判断と、最終処分への不服を切り分ける

挿絵(By みてみん)

 争えることと、今すぐ別の争いを始められることは、同じではありません。


 役所に「駄目」と言われた。


 なら不服申立て。


 一見、とても分かりやすい。


 でも行政法という生き物は、ときどき、


「その『駄目』は、何についての『駄目』ですか」


 と、こちらの足元を確認してきます。


 そして、その確認を怠ると。


 戦う場所を間違えます。


「審査請求してください!」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所の応接室で、若い男性が机を叩きました。


 どん。


 湯呑みが跳ねる。


 私の心臓も跳ねる。


「市役所が書類を見せないって言うんですよ。だったら審査請求でしょう!」


「まず座れ」


 相馬先輩が言いました。


「座ってます!」


「じゃあ机を叩くな。茶がこぼれる」


 論点が生活密着型です。


 男性の名前は、篠原健一さん。


 三十四歳。


 駅前で小さな旅館を営む父親を手伝っています。


 問題になっているのは、その旅館でした。


 駅前再整備の予定地に近く、市から防火設備や避難経路について何度か改善指導を受けている。


 その後、市は、


 旅館営業に関する許可について、不利益な扱いを検討する。


 として、本人の話を聞くための手続を始めた。


 今で言うところの。


 いや。


 未来の私が知っている言葉で言えば。


 聴聞。


 ただし。


 ここは昭和六十三年。


 私の知っている行政手続法は、まだ影も形もありません。


 現実は法律より先にトラブルを作る。


 最近、この時代に来てから、それを嫌というほど思い知らされています。


「それで」


 片桐所長が静かに聞きました。


「誰が、何の書類を見せないと言ったんです」


 篠原さんが一枚の紙を取り出しました。


「市の観光衛生課です。うちの旅館について、近所から苦情が出てるって言うんです」


「どんな苦情です?」


「非常口の前に物が置いてあるとか、夜中に酔客が騒いでるとか」


「事実は?」


 篠原さんは少し詰まりました。


「……非常口の前にビールケースを置いたことはあります」


「あるんですね」


「でもすぐどかしました!」


 なるほど。


 完全な濡れ衣ではない。


 でも。


「それで、その苦情を根拠の一つにして、営業について重い処分を検討してるらしいんです」


「らしい?」


「市役所から来た紙には、『施設管理状況その他の事情を総合的に考慮する』としか書いてないんです」


 曖昧。


 役所語の霧が出ました。


「それで、父が市役所で事情を聞かれることになりまして」


「お父さんが当事者?」


「はい。旅館の名義は父です」


「篠原さん自身は?」


「手伝ってます。だから父と一緒に行きたかったんです」


「参加を認めてもらった?」


「そこは認めてもらいました」


 私は少しだけ身を乗り出しました。


 本人以外の利害関係人が手続に参加する。


 未来の行政手続法なら、聴聞の参加人。


 そして。


 問題はたぶん、この先です。


「参加が認められたので、市が持ってる資料を見せてくれって頼んだんです」


「何を?」


「近所から出た苦情の記録と、立入確認の報告書です」


「それを断られた?」


「そうです!」


 再び机に手が上がる。


 相馬先輩が睨みます。


 篠原さんは静かに手を下ろしました。


 学習が早い。


「担当者は何と?」


「『全部は見せられません』って」


「全部?」


「苦情を言った人の名前とか、内部のメモが混じってるからって」


「一部なら?」


「それも今は判断できないって言うんです」


 なるほど。


 これは腹が立つ。


 自分の店について。


 何を材料に。


 どんな不利益な判断をされようとしているのか。


 知りたい。


 当然の感覚です。


「だから」


 篠原さんは言いました。


「知り合いに、役所の決定なら不服申立てできるって聞いたんです」


「知り合い?」


「昔、市役所にいた人です」


 ああ。


 それは強そうに聞こえるやつです。


 元役所。


 元銀行。


 元警察。


 町の相談では、肩書きの「元」がつくと急に発言力が三割くらい増します。


 正しいかどうかは別ですが。


「書類を見せないという決定がある。なら、それ自体に審査請求を出せばいいでしょう?」


 篠原さんは言いました。


「それが通るまで、父の手続も止めてもらえばいい」


 私は。


 そこで。


 少し引っかかりました。


 審査請求。


 書類閲覧。


 聴聞。


 手続の途中。


 頭の奥で。


 眠っていた数字が一つ、起き上がります。


 二十七条。


 行政手続法二十七条。


 審査請求の制限。


 ――この節の規定に基づく処分又はその不作為については、審査請求をすることができない。


「あ」


 声が出ました。


 相馬先輩がこちらを見る。


「何だ」


「いえ」


「何かある顔だな」


「未来がちょっと見えました」


「病院行くか?」


「正常です」


「なら普通に喋れ」


 難しい注文です。


 未来の法律を知っている転生者に。


 私は篠原さんの話を、もう一度頭の中で分けました。


 一つ。


 市が最終的に旅館へ何らかの不利益処分をすること。


 二つ。


 その前段階の手続の中で、資料を見せるかどうか判断すること。


 この二つ。


 似ています。


 どちらも役所が「駄目」と言う。


 でも。


 同じ「駄目」ではない。


「所長」


「何だ」


「これ、最終処分への不服と、手続途中の判断への不満を分けたほうがいいですよね」


 片桐所長が私を見ました。


 一秒。


 二秒。


「そうだ」


 よし。


 方向は合っている。


 相馬先輩が腕を組みました。


「説明しろ」


「私が?」


「言い出しっぺだろ」


 この事務所、言い出しっぺ責任主義だけは一貫しています。


 私は篠原さんの前の紙を指さしました。


「篠原さん。今、市役所はお父さんの旅館営業について、もう最終的な処分を出したんですか?」


「まだです」


「営業停止とか、許可取消しとか」


「そこまでは」


「じゃあ今起きているのは、その結論を出す前の手続ですよね」


「そうです」


「その手続の中で、資料をどこまで見せるかについて市役所と揉めている」


「はい」


「そこを、まず分けませんか」


 篠原さんが眉を寄せました。


「何が違うんです?」


「一番大きいのは」


 私は言いました。


「その書類を見せないという判断が、お父さんの営業を止める最終的な処分なのか。それとも、最終判断へ向かう途中の手続上の判断なのか、です」


 篠原さんは黙りました。


 相馬先輩が横から補います。


「お前さんの店を閉めろ、って話と」


 紙を指で叩く。


「この紙は今は見せない、って話は別だ」


「でも両方、市役所の判断でしょう?」


「そうだ」


「だったら両方争えるんじゃ」


「争えるかどうかと」


 片桐所長が口を開きました。


「別々に不服申立ての対象にできるかは、同じ問題じゃない」


 篠原さんの表情が止まりました。


 私も。


 心の中でちょっと拍手しました。


 短い。


 でも今日のテーマが全部入っている。


「じゃあ」


 篠原さんが言います。


「資料を見せてもらえなくても、何もできないんですか」


「それも違います」


 私はすぐに答えました。


「そこ、大事です」


 不服申立てができない。


 イコール。


 黙って耐えろ。


 ではない。


 行政法は、ここを雑に覚えるとすぐ事故ります。


「まず、なぜ見せないのかを確認する」


「はい」


「全部駄目なのか。一部だけなのか。個人名を隠せば見せられるのか。処分の判断材料になっている部分まで見せないのか」


「……」


「それに、手続の中で異議があることをちゃんと残す」


「残す?」


「はい。こちらは資料を確認できないままでは十分な反論ができない、と伝える」


 相馬先輩が頷きました。


「あと、何を見せてくれと頼んだのか。いつ頼んで、誰がどう答えたのか。紙にしとけ」


「口だけじゃ駄目ですか」


「後で『言った』『聞いてない』になる」


 昭和。


 録音もデジタル履歴も簡単ではない。


 だからこそ紙。


 この時代、紙が強い。


 役所も紙。


 こちらも紙。


 行政法、だいたい紙同士の殴り合いです。


「相馬」


 片桐所長が立ち上がりました。


「市役所へ行く」


「はい」


「こはるも」


「はい」


「篠原さんも来てください」


「今から?」


「今だからです」


 所長は時計を見ました。


「手続の日まで、あと二日しかない」


 そう。


 争う場所を考えている間にも。


 手続は進みます。


 市役所の観光衛生課。


 最近、この庁舎に来る頻度が高すぎます。


 受付のお姉さんに顔を覚えられそうです。


 いや。


 もう覚えられています。


「あ、片桐さんのところ」


 ほら。


 名刺より先に所属が出ました。


 私の個人としての存在感。


 弱い。


 観光衛生課の奥から出てきたのは、また倉田係長でした。


「……今日は何だ」


 開口一番それです。


「こんにちは」


「君が来ると仕事が増える」


「まだ何も言ってません」


「経験則だ」


 統計的に否定しづらい。


 篠原さんが前へ出ました。


「係長。うちの書類の件です」


「ああ」


 倉田係長の顔が少し硬くなります。


「説明したでしょう。近隣住民の情報も含まれているので、全部は見せられません」


 私は聞きました。


「全部は、ですか」


「そうだ」


「ということは、一部なら検討できる?」


「……今、整理している」


「では閲覧を拒否したわけではない?」


「現時点では見せていない」


 はい。


 言葉がずれている。


 こういうとき。


 言葉を一段ずつ剥がすと、中身が見えます。


 篠原さんの認識。


 閲覧不許可。


 市役所の認識。


 現在整理中。


 これ。


 同じではありません。


「篠原さん」


 私は小声で言いました。


「まだ『不許可処分が出た』と決めないほうがいいです」


「でも見せてくれてない」


「見せていない、と、見せないと決定した、は分けましょう」


 行政法、本当にこういう細かい言葉が命です。


 倉田係長がこめかみを押さえました。


「君はまた面倒なところを」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「知ってます」


 相馬先輩が机へ身を乗り出しました。


「係長。簡単にしよう」


「何です」


「市が処分の判断材料に使う資料のうち、本人側に見せられる部分を分けてくれ」


「個人情報が」


「名前や住所まで出せとは言ってない」


「内部の検討メモも」


「それも全部寄越せとは言ってない」


「じゃあ何を」


「少なくとも」


 相馬先輩の声が低くなる。


「何を問題事実として扱ってるのか分からないまま反論しろ、は無茶だろ」


 倉田係長が黙りました。


 そこ。


 今日の一番現実的な痛点です。


 篠原さんたちは。


 近隣から苦情がある。


 設備上問題がある。


 管理状況が悪い。


 そう言われている。


 でも具体的に。


 いつ。


 何が。


 どの程度。


 問題視されているのか。


 見えない。


 それなのに。


「意見を述べてください」


 と言われても困る。


 ボクシングで目隠しされて、


「反撃は自由です」


 と言われているようなものです。


 自由とは。


「係長」


 片桐所長が言いました。


「資料をすべて出せと言っているわけではありません」


「分かっています」


「しかし、市が不利益な判断の基礎にしようとしている事実について、本人が反論する機会を実質的に失うほど伏せるのはまずい」


「……」


「開示できない部分と、できる部分を分けてください」


 倉田係長はしばらく考えました。


「苦情者の氏名、住所は出せません」


「それは今争いません」


「内部の評価メモも、そのままは無理です」


「はい」


「ただ」


 倉田係長が息を吐きます。


「立入確認の記録と、苦情の内容を匿名化した一覧なら……確認します」


 篠原さんが顔を上げました。


「見せてもらえるんですか」


「まだ決めてません」


「係長」


「分かってる」


 私が口を挟む前に止められました。


 読まれてきています。


「今日中に判断する。閲覧できる範囲も書面で出す」


 進んだ。


 まだ見られるとは決まっていない。


 でも。


「全部駄目」


 という霧から。


「何をどこまで見せられるか」


 という話に変わった。


 これだけでも大きい。


 ところが。


 篠原さんはまだ納得していませんでした。


「でも」


 言います。


「もし今日、見せないって正式に決められたら、やっぱり審査請求するんですよね?」


 来た。


 核心。


 私は。


 思わず倉田係長を見る。


 もちろん。


 この時代の倉田係長が。


 未来の行政手続法二十七条を知るはずがない。


 それでも片桐所長は、少しだけ考えて言いました。


「まず、何に対する不服なのかを分けます」


「またですか」


「またです」


 所長は淡々と続けます。


「いま問題になっている閲覧の扱いは、本体の処分を決める前の手続の一部です」


「はい」


「そこに不満があるたび、別個に不服申立てをして、本体の手続を止める仕組みにするかどうか」


 篠原さんが黙る。


「制度を作る側なら、どう考えます」


 私は。


 その問いに。


 少しだけ背筋が伸びました。


 そうか。


 未来の二十七条は。


 ただ単に。


「審査請求できません」


 と冷たく切っているわけではない。


 聴聞の途中には。


 いろいろな判断がある。


 参加を認めるか。


 資料を見せるか。


 期日をどうするか。


 主宰者がどう進めるか。


 その一つ一つについて。


 毎回独立した審査請求を許したら。


 本体の聴聞が。


 細切れになる。


「……いつまで経っても終わらない?」


 篠原さんが言いました。


 所長が頷きます。


「そうなることもある」


 私は頭の中で。


 未来の条文が。


 急に血を通わせ始めるのを感じました。


 行政手続法二十七条。


 この節の規定に基づく処分又はその不作為については。


 審査請求をすることができない。


 短い。


 ものすごく短い。


 でも。


 手続の途中にある小さな判断を。


 一つずつ独立した不服申立てにして。


 本体の手続を分断しないための線引き。


 そう見ると。


 少し景色が変わる。


「でも」


 篠原さんが言いました。


「じゃあ役所は途中で好き放題できるってことですか」


「違います」


 私は言いました。


 そこだけは。


 絶対に違う。


「今のうちに異議を出して、記録を残すんです」


「記録?」


「こちらはこの資料が必要だと求めた。でも見せてもらえなかった。そのため十分に反論できなかった。そういう経過を残す」


「それが何になるんです?」


「最終的な処分が出たとき」


 私は一度、言葉を選びました。


「その処分を争う場面で、手続の問題も一緒に問題にできる余地がある」


 片桐所長が頷きました。


「途中の判断をその都度、独立して争えないからといって」


 所長の声は低い。


「その問題が消えるわけじゃない」


 そう。


 これ。


 大事です。


 未来の二十七条は。


 手続上の不満を蒸発させる条文ではない。


 争いを。


 どこで。


 どうまとめて扱うか。


 その話です。


 篠原さんはしばらく黙っていました。


「……じゃあ、今やるべきなのは」


「はい」


「審査請求書を書くことじゃない?」


 相馬先輩が言いました。


「今はな」


「じゃあ何を?」


「閲覧請求を紙で出す」


 一つ。


「必要な理由を書く」


 二つ。


「市がどう答えたか、書面でもらう」


 三つ。


「見せないなら、そのせいで何に反論できないのかを明確にする」


 四つ。


「それを手続の記録に残す」


 五つ。


 篠原さんがぽかんとしています。


「……やること多いですね」


「争うってそういうもんだ」


 相馬先輩が言いました。


「怒鳴るより紙だ」


 昭和の実務家。


 重い。


 でも正しい。


 その日の夕方。


 市役所から電話がありました。


 倉田係長です。


『篠原旅館の件だ』


「はい」


『立入確認記録は閲覧可にする』


「おお」


『苦情については、氏名住所その他特定につながる部分を伏せて、内容の要旨をまとめたものを見せる』


「ありがとうございます」


『内部の検討メモは出さない』


「そこは理由も書いてもらえます?」


 電話の向こうで沈黙。


『……君、本当に一言多いな』


「一言で書けるなら一言でいいです」


『分かった』


 やりました。


『ただし』


「はい」


『篠原さんには言っておいてくれ。見せたからといって、市が処分をしないと約束したわけじゃない』


「もちろんです」


 そこは別。


 閲覧できる。


 だから最終処分はなし。


 ではない。


 資料を見た上で。


 反論する。


 その反論も含めて。


 行政が最後の判断をする。


 手続と結論。


 ごちゃ混ぜにしない。


「係長」


『何だ』


「今日、ちょっとだけ格好いいです」


『前にも言ったな。二度と言うな』


「じゃあ今回で二度目です」


『そういう意味じゃない』


 電話が切れました。


 倉田係長。


 褒められ耐性が改善しません。


 その二日後。


 篠原さんとお父さんは、市の手続に出席しました。


 匿名化された苦情一覧を見ると。


 分かったことがありました。


 苦情は十件ある。


 そう聞かされていた。


 でも。


 十人から十件ではありませんでした。


 同じ二人から。


 何度も出ていた。


 しかも。


 夜間の騒音については、旅館の宿泊客ではなく、隣の居酒屋の客ではないかという時間帯のものまで混じっていた。


 一方で。


 非常口前の荷物。


 消火器の前の障害物。


 そこは事実。


 篠原さん側も認めた。


 だから。


 全部が嘘。


 でもない。


 全部が正しい。


 でもない。


 一つずつ分ける。


 それだけで。


「苦情が十件も来ている危険な旅館」


 という塊が。


 細かい事実にほどけていった。


 市も。


 いきなり重い処分をするのではなく。


 一か月の改善確認をした上で判断することになりました。


 完全勝利ではありません。


 篠原旅館にも。


 直すべきところはある。


 でも。


 何が問題なのか分からないまま。


 ただ「苦情多数」とだけ言われて処分される話ではなくなった。


 それで十分、大きな一歩です。


 手続が終わった夕方。


 篠原さんが事務所へ来ました。


「これ」


 紙袋を置きます。


「何です?」


「うちの朝食で出してる温泉まんじゅう」


「旅館なのに温泉まんじゅう?」


「駅前旅館でも気分は温泉です」


「強い商魂」


 相馬先輩がすでに袋を開けています。


「先輩」


「何だ」


「まだお礼も言ってません」


「俺は言った」


「いつ」


「心で」


「手続を省略しないでください」


 篠原さんが笑いました。


 最初に来たとき。


 この人は。


 机を叩いて。


「審査請求だ」


 と言っていました。


 今は。


 紙袋からまんじゅうを出しながら。


 少し照れくさそうに言います。


「朝比奈さん」


「はい」


「俺、役所に何か断られたら、全部すぐ不服申立てできるもんだと思ってました」


「私も、昔はそんな感じで覚えてました」


「昔?」


「気持ちの問題です」


 危ない。


「でも」


 篠原さんは言います。


「途中の話と、最後の話は違うんですね」


「はい」


「途中で納得いかないことがあっても」


「はい」


「何もしないんじゃなくて。ちゃんと残しておく」


「そうです」


「それで最後に、必要ならまとめて争う」


「そういう考え方があります」


 篠原さんは頷きました。


「なんか」


「はい」


「喧嘩って、すぐ殴り返すことだけじゃないんですね」


 私は笑いました。


「行政法だと、むしろメモを取るほうが強いことあります」


「地味ですね」


「ものすごく」


 でも。


 その地味さが。


 人を守ります。


 怒鳴った。


 追い返された。


 腹が立った。


 そこで終われば。


 あとには感情しか残らない。


 でも。


 いつ。


 何を求め。


 誰が。


 何を理由に。


 どう答えたか。


 それが残っていれば。


 次の争いの材料になる。


 制度の冷たさは。


 感情を無視するように見えます。


 でも。


 感情ではなく記録にしておくことで。


 後から、


「そんな話はなかった」


 と消されることを防いでくれる。


 私は机の上のノートを開きました。


 今日の題名。


 ――審査請求の制限。


 まだ。


 この時代には。


 私の知っている行政手続法二十七条はありません。


 でも。


 今日起きた問題を見れば。


 未来で、なぜあんな短い条文が置かれるのか。


 少し分かる気がしました。


 聴聞の途中では。


 参加を認めるか。


 資料を見せるか。


 どう手続を進めるか。


 いろいろな判断がある。


 そのたびに。


 別の審査請求。


 また審査請求。


 さらに審査請求。


 となれば。


 本体の手続は前へ進まない。


 だから未来では。


 聴聞という一つの手続の中で行われる一定の処分や不作為について。


 それ自体を独立した審査請求の対象にはしない。


 そう線を引く。


 でも。


 線のこちら側に置かれた不満が。


 無かったことになるわけじゃない。


 手続の中で主張する。


 記録を残す。


 そして。


 最後に出た本体の処分を争う必要があるなら。


 そのときに手続上の問題も含めて検討する。


 私はノートに一行だけ書きました。


 ――「今すぐ別に争えない」と「文句を言えない」は違う。


「何書いてる」


 相馬先輩が覗き込みました。


「今日の教訓です」


「長い」


「一行ですよ」


「じゃあ俺なら」


「はい」


「途中でいちいち別の喧嘩を始めるな。本丸を見失う」


 私は止まりました。


「……戦国時代みたいですね」


「分かりやすいだろ」


「悔しいけど分かりやすい」


 所長が温泉まんじゅうを一つ取りました。


「ただし」


 私たちが振り返ります。


「途中で受けた傷は、記録しておけ」


 短い。


 そして。


 たぶん。


 今日の全部です。


 私はノートに書き足しました。


 途中の判断を独立して争えないことがある。


 だからといって。


 黙っていろ、ではない。


 何が起きたか。


 何を求めたか。


 どう断られたか。


 それによって何ができなかったか。


 残す。


 最後の判断まで。


 つなげる。


 未来の行政手続法二十七条は。


 短い条文です。


 でも。


 あの短さの後ろには。


 手続を細切れにしないことと。


 不満を消してしまわないこと。


 その二つをどう両立させるかという。


 意外と現実的な問題が隠れていました。


「こはる」


「はい」


 相馬先輩が最後の温泉まんじゅうを持っています。


「これ、俺がもらう」


「異議があります」


「却下」


「審査請求します」


「できません」


「なぜですか!」


「俺が最終審だから」


「どこの制度ですか!」


 所長が新聞をめくりながら言いました。


「半分にしろ」


「またですか!」


「最終処分だ」


 相馬先輩が笑います。


「ほら。審査請求しろよ」


「所長の決定には上級庁がいません!」


「じゃあ諦めろ」


「司法審査を求めます!」


「まんじゅう一個で裁判所に行くな」


 結局。


 まんじゅうは半分になりました。


 争いは小さいうちにまとめたほうが早い。


 ……それを行政手続法二十七条の趣旨だと言ったら。


 たぶん未来の受験予備校に怒られるので。


 ノートには書かないでおきました。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

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