[行政手続法26条・聴聞を経てされる不利益処分の決定]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ法律が分かりやすくなります。
電話が減る。
来客が途切れる。
相馬先輩の悪態も、ほんの少し減る。
ほんの少しです。
「こはる」
「はい」
「俺の山ごぼう知らないか」
「知りません」
「口動いてるぞ」
「人間なので」
「怪しいな」
私はもぐもぐしながらノートを開きました。
机の隅には、榊原さんが持ってきてくれた漬物。
その横には、市役所から届いた連絡メモ。
榊原商店については、使用許可の取消しをいったん撤回。
三か月の改善確認期間を置く。
施設管理上の条件を明確にして、その履行状況を見たうえで今後を判断する。
完全無欠の大勝利、という話ではありません。
榊原さんに問題がなかったわけでもない。
共同通路に荷物を出していた。
衛生管理上の注意も受けていた。
表示にも不備があった。
そこは、きちんと直さなければならない。
でも。
だからといって。
本人の言い分を聞いたあと、その内容をろくに見ないまま、最初から決めていた取消しをそのまま出していいのか。
今日の問題は、そこでした。
私はノートの一番上に書きます。
――聴聞を経てされる不利益処分の決定。
その下に、少し小さく。
――行政手続法二十六条。
「また未来の法律か」
相馬先輩が覗き込みました。
「見ないでください」
「見える字で書くな」
「無茶言いますね」
「で、その二十六条って何だ」
私はペンを止めました。
現在は昭和六十三年。
行政手続法はまだない。
だから相馬先輩に、
「行政手続法二十六条です」
と言っても、
「未来から来たのかお前」
となるだけです。
正解なんですけど。
そこは説明できません。
「ええと」
私はごまかすように言いました。
「将来、こういう問題が法律でかなり整理される気がしまして」
「気がする、で条文番号まで分かるのか」
「勘です」
「便利な勘だな」
便利というか転生特典です。
ただし、法律の条文しか思い出せない特典。
もっとこう、株価とか競馬の結果とか覚えていれば人生変わったんですけど。
なぜ私は行政法だけ妙に覚えているのでしょう。
前世の努力が地味すぎます。
「所長」
私は奥の机へ声をかけました。
「今日の榊原さんの件、整理してもいいですか」
「勝手にしろ」
「許可出ました」
「聞くな」
相変わらず短い。
でも止めないなら、続けます。
私はノートに一本、横線を引きました。
今日の流れを、まず人で整理します。
榊原さん。
不利益処分を受ける側。
市役所。
使用許可を取り消す側。
聴聞を進めた総務課長補佐。
本人の話を聞き、記録し、意見をまとめた人。
そして最終的に取消しを決める商工部長。
ここ。
役割が分かれています。
「相馬先輩」
「何だ」
「今日、一番大事だったのって誰でした?」
「榊原さん」
「人情問題じゃなくて」
「じゃあ部長」
「ですよね」
私は頷きました。
聴聞で何が話されたか。
主宰する人がどう考えたか。
それを最終的に処分を決める人が受け取って、判断に入れる。
そこが今日の核心です。
行政手続法二十六条は、未来ではこういう形になります。
不利益処分を決定するとき。
行政庁は。
聴聞調書の内容と。
主宰者の報告書に記載された意見を。
十分に参酌しなければならない。
「参酌」
私はその二文字を丸で囲みました。
「何だその字」
相馬先輩が言います。
「参酌です」
「普通に言え」
「参考にして、考慮する感じです」
「最初からそう言え」
「試験がそう言わせてくれないんですよ」
参酌。
法律用語は時々、日常生活への浸透を最初から諦めているような言葉を使います。
考慮。
検討。
参考。
そのへんでいいじゃないですか。
でも、試験では「参酌」です。
受験生は逆らえません。
「じゃあ」
私はノートに書きます。
参酌する。
イコール。
主宰者の意見に従う。
ではない。
「そこは今日も言ったな」
相馬先輩が腕を組みました。
「はい」
「主宰者が『取消しは重すぎる』って言ったから、市は絶対に取消しをやめなきゃならない。そういう話じゃない」
「そうです」
これ。
たぶん試験でかなり大事です。
今日の聴聞で、総務課長補佐は、
改善も確認できている。
十二年の営業実績もある。
取消しまで必要かどうかは慎重に考えるべきだ。
という趣旨の意見を付けていました。
それでも行政庁が、
いや。
改善はしているが、過去の違反が重大で、施設管理上どうしても取消しが必要だ。
そう判断する余地はあります。
最終的な処分を決めるのは、主宰者ではない。
行政庁です。
「じゃあ、主宰者の意見って弱くないか」
相馬先輩が言いました。
「どうせ最後は役所が自由に決めるんだろ」
「そこなんですよ」
私はペンを立てました。
「自由に決める、とは違うんです」
「何が違う」
「意見どおりにしなくてもいい。でも、無視してはいけない」
「ほう」
「今日でいえば、課長補佐さんが『取消しまで必要か慎重に』と書いた。その意見を読んだうえで、それでも取消しだと判断するなら、その判断はあり得る」
「うん」
「でも、最初から部長が『退去させる』と決めていて、報告書を読まずに取消通知だけ出したなら」
「聴聞した意味がない」
「そうです」
所長がこちらを見ずに言いました。
「結論が同じでも、手順が同じとは限らん」
私はその言葉を書き留めました。
これ、重要です。
結論が同じ。
だから手続に意味がない。
ではありません。
榊原さんの言い分を全部聞いた。
改善状況も確認した。
主宰者の意見も読んだ。
それでも取消しが必要だと判断した。
ならば。
少なくとも、
「聞く手続をした意味」
はあります。
逆に。
聞いても結論は最初から変えない。
報告書も読まない。
そのうえで、
「聴聞はやりました」
だけ残す。
これは手続を殻だけ残して中身を抜いています。
「所長」
「何だ」
「聴聞って、本人のためだけの手続なんですか」
所長が少し顔を上げました。
「違う」
「ですよね」
「行政庁が判断を誤らないためでもある」
私は頷きます。
ここ。
たぶん今日いちばん腑に落ちたところです。
聴聞というと。
処分されそうな人に言いたいことを言わせる手続。
そう見えます。
もちろん、それも大事。
でも。
聴聞の記録や報告書を処分判断に使うという仕組みは。
行政庁自身が、
事実を見落としていないか。
事情を誤解していないか。
処分が重すぎないか。
そういうことを確認するためでもある。
今日の榊原さんの件で、市役所が聴聞記録を読み直したら。
改善が済んでいる。
十二年営業している。
問題点を是正する意思もある。
主宰者も取消しまでは慎重に考えるべきだと見ている。
そういう材料が、きちんと出てきた。
その結果。
取消し。
ではなく。
三か月の改善確認。
という結論に変わりました。
「つまり」
私はノートに書きます。
聴聞。
本人を守る。
プラス。
行政庁の判断の精度を上げる。
「珍しくまともなまとめだな」
「珍しくは余計です」
相馬先輩が漬物をつまみます。
「じゃあ次」
「はい」
「調書と報告書って何が違う」
来た。
試験問題の顔をしてきました。
「ええと」
私は記憶をたぐります。
行政手続法二十四条。
未来では。
主宰者は、聴聞の審理の経過を記載した調書を作成する。
それから。
不利益処分の原因となる事実に対する当事者などの主張に理由があるかどうかについて、意見を記載した報告書を作成する。
そしてそれらを行政庁へ提出する。
「簡単にいうと」
私は言いました。
「調書は、何が話されたか」
「うん」
「報告書は、それを踏まえて主宰者がどう見たか」
「なるほど」
私はノートに書きます。
聴聞調書。
審理の内容。
当事者が何を述べたか。
どんな証拠が出たか。
どういう経過だったか。
そして報告書。
主宰者の意見。
不利益処分の原因とされている事実について、当事者などの主張に理由があるかどうか。
「今日で言えば」
私は榊原さんの事件を思い出します。
調書。
榊原さんが、
注意を受けたあと段ボールを撤去した。
表示を直した。
保健所にも確認を受けた。
十二年間営業してきた。
そう話した内容が記録される。
そして報告書。
主宰者が、
改善状況も確認できている。
取消しまで必要かは慎重に判断すべきだ。
そういう意見を付ける。
「それを行政庁が両方見る」
「そうです」
「片方だけじゃ駄目か」
「条文上は両方ですね」
私は丸を付けました。
二十六条は。
調書の内容。
及び。
報告書に記載された主宰者の意見。
これらを十分に参酌する。
片方だけ。
ではありません。
「でもさ」
相馬先輩が言います。
「報告書読めば大体分かるんじゃないのか」
「そこが危ないんじゃないですか」
「何が」
「主宰者の意見と、本人が実際に何を話したかは別だから」
たとえば。
主宰者が、
取消し相当。
と意見を書いたとしても。
調書には、
本人が改善済みの資料を出していた。
新しい管理体制を説明していた。
第三者の証言もあった。
そういう事情が詳しく残っているかもしれない。
だから行政庁は。
主宰者の結論だけ読んで終わりではない。
聴聞で何が出たのか。
その中身自体も判断材料にする必要があります。
「なるほどな」
「だから二つなんだと思います」
所長が短く言いました。
「人の評価だけでなく、元の話も見ろということだ」
はい。
今日の市役所が危なかったのは、まさにそこです。
上司が、
「榊原商店は退去させる」
と先に考えていた。
そこへ聴聞を開いた。
主宰者は軽い対応でもよいと意見を付けた。
でも。
決裁する人が、その記録も意見もろくに見ない。
それでは。
せっかく聴聞をしても。
最初の思い込みを修正する機会がありません。
私はノートに大きく書きました。
聴聞は、結論を自動的に変える制度ではない。
判断材料を増やし、考え直す機会を作る制度。
「こはる」
「はい」
「じゃあ、二十六条で行政庁は、主宰者の意見に拘束されるか」
「されません」
「一発」
「そこはもう覚えました」
「じゃあ、無視してもいいか」
「駄目です」
「なんで」
「十分に参酌しなければならないから」
「じゃあ意見と違う処分はできるか」
「できます」
「じゃあ何のための意見だ」
「判断材料にするため!」
「よし」
私は相馬先輩を見ました。
「何ですか、その急な口頭試問」
「使える新人に育ててる」
「育て方が雑」
「伸びる奴は雑でも伸びる」
「家庭菜園じゃないんですよ」
でも。
この掛け合いだけで、かなり整理できました。
主宰者の意見。
行政庁を拘束しない。
でも。
十分に参酌する義務がある。
つまり。
従う義務ではない。
考慮する義務。
ここを混同してはいけません。
「次」
所長が言いました。
「『十分に』だ」
私はペンを止めました。
「そこ、意味ありますよね」
「ある」
ただ見るだけでは足りない。
机の上に置いておくだけでも足りない。
決裁書類の後ろに綴じてあるだけでも足りない。
きちんと判断材料として検討する。
それが必要。
「今日の部長みたいに」
私は言いました。
「書類には付いていた。でも、実質的には読んでなかった」
「そういう形骸化を防ぐ趣旨だろうな」
所長が答えます。
「参酌しました、ってハンコだけ押せば?」
相馬先輩が聞きました。
「先輩、悪い役人の才能ありますね」
「例だよ」
「それだと中身を見てないなら駄目でしょうね」
「どう証明する」
「……」
難しい。
ここから急に実務です。
頭の中を読めるわけではありません。
行政庁が、
本当に考慮したか。
どの程度考慮したか。
外から完全に見るのは難しい。
でも。
今日の榊原さんの件のように。
主宰者の意見と処分結果が大きく違う。
しかも。
理由にも、聴聞で出た事情がほとんど触れられていない。
さらに。
担当者が、
「前から退去方針だった」
と認めている。
そういう事情が重なると。
本当に参酌したのか。
という疑問は強くなります。
「だから書面が大事なんですね」
私は呟きました。
「何を聞いたか」
「うん」
「何を報告したか」
「うん」
「何を材料に決めたか」
「そこまでは常に書いてあるとは限らん」
所長が言いました。
「でも、記録がなければ後から確かめようがない」
なるほど。
手続法が紙を増やす理由。
少しずつ分かってきました。
面倒だからではない。
あとで、
ちゃんと聞いたのか。
ちゃんと伝えたのか。
ちゃんと考えたのか。
検証できるようにするためです。
「所長」
「何だ」
「今日の事件、もし主宰者が取消し相当って意見だったら、話は違いました?」
「結論が変わるとは限らん」
「でも行政庁としては取消ししやすい」
「材料の一つにはなる」
そうです。
主宰者の意見が、
取消し相当。
なら。
行政庁が取消しをする判断を支える材料になります。
逆に。
主宰者が、
取消しは重すぎる。
改善命令程度でよい。
と意見を付けても。
行政庁は別の事情を踏まえて取消しを選ぶことができる。
ただし。
そのときも。
なぜ違う判断をしたのか。
少なくとも内部では、きちんと考えていなければならない。
「これ」
私はノートに書きます。
主宰者。
決定者ではない。
行政庁。
最終決定者。
「誰が意見を言うかと、誰が決めるかを分ける」
相馬先輩が言いました。
「そうです」
行政法って。
結局そこへ戻ってきます。
誰が。
何をするのか。
誰に。
どんな効果が及ぶのか。
今回。
主宰者は。
聴聞を進める。
記録を作る。
意見をまとめる。
でも。
不利益処分を最終決定するのは行政庁。
「じゃあ」
相馬先輩がまた聞きます。
「主宰者が『処分なし』って言ったら、それで終わりじゃない」
「終わりじゃないです」
「逆に『取消し』って言ったら取消し確定でもない」
「そうです」
「よし」
「だから何なんですか、その先生みたいな顔」
「お前より先輩だから」
「法律知識まで先輩とは限らないですよ」
「喧嘩売ってる?」
「事実関係を整理してます」
「便利な言い方覚えたな」
私は笑って、次の見出しを書きました。
――試験で引っかかるところ。
まず。
主宰者の意見に行政庁は従わなければならない。
これは誤り。
正しくは。
十分に参酌しなければならない。
次。
行政庁は聴聞調書だけ参酌すればよい。
これも誤り。
調書。
そして。
報告書に記載された主宰者の意見。
両方。
次。
主宰者が不利益処分の内容を決定する。
誤り。
最終的に不利益処分を決めるのは行政庁。
「あと何だ」
相馬先輩が言います。
「参酌ってことは、参考程度だから無視してもよい」
「それも違います」
私は即答しました。
「十分に参酌しなければならない、だから義務です」
「おお」
「参考にするかどうか自由、ではない」
「そうだな」
ここ。
言葉だけ見ると危ないです。
参考にする。
と言うと。
参考にしてもしなくてもいい。
くらいに聞こえる。
でも法律上は。
参酌しなければならない。
です。
必須。
ただし。
その意見に従う義務まではない。
この微妙なところを狙ってくる。
「行政法、本当に性格悪いですね」
「法律に言うな」
「だって」
「作った人に言え」
「未来の人です」
「また変なこと言ってるぞ」
危ない危ない。
私は漬物を一切れ食べて誤魔化しました。
塩気がちょうどいい。
行政法よりずっと素直です。
「もう一つ」
所長が言いました。
「二十六条だけで覚えるな」
「はい」
「その前があるんだろ」
さすがです。
未来の法律なのに。
内容は当時の行政法の考え方からでも見えてくるらしい。
私はページを少し戻すイメージで考えます。
不利益処分をする。
一定の場合は聴聞が必要になる。
聴聞期日が開かれる。
当事者が意見を述べる。
証拠を出す。
主宰者が審理する。
終了したら。
調書を作る。
報告書を作る。
行政庁へ提出する。
そのあと。
二十六条。
行政庁が。
調書と報告書の主宰者意見を十分に参酌して。
不利益処分を決める。
「一本の流れですね」
「そういうことだ」
所長が言います。
なるほど。
二十六条だけ覚えると。
いきなり調書と報告書が出てきて、
誰の何。
となります。
でも前から追えば。
聴聞する。
記録が残る。
主宰者が意見をまとめる。
それを行政庁が受け取る。
処分判断へつなげる。
そういう一本道です。
「だから」
私はノートに書きました。
聴聞。
言わせる手続。
ではない。
判断へつなげる手続。
「今日の榊原さんがまさにそれだな」
相馬先輩が言います。
「はい」
榊原さんは。
言いたいこと自体は言えていました。
市役所も。
聴聞の席は用意していた。
主宰者も。
ちゃんと話を聞いた。
そこまでは。
できていた。
問題は。
最後の一歩。
その話が。
決める人に届いて。
本当に判断へ反映されたのか。
そこが抜けていた。
「だから今日の最初の市役所って」
私は言いました。
「聴聞の前半はやったけど、後半を落としてた感じですね」
「前半後半?」
「話を聞くところまではやった。でも、聞いた内容を判断につなげてなかった」
「なるほど」
相馬先輩が頷きます。
「聞きっぱなし」
「そうです」
聞きっぱなし。
すごく分かりやすい。
受験参考書もそれでいいんじゃないでしょうか。
行政手続法二十六条。
聞きっぱなし禁止条文。
……怒られますね。
「こはる」
所長が言いました。
「一つ間違えるな」
「はい」
「本人の主張が通らなかったからといって、参酌していないとは限らない」
私はペンを止めました。
そこです。
大事です。
榊原さんが、
取消しはやめてほしい。
と主張した。
結果。
取消しになった。
だから。
自分の話は無視された。
とは限らない。
きちんと検討した上で。
それでも取消しが必要だと判断された可能性はある。
「結果で決めつけるな、ですね」
「そうだ」
私はノートに強く書きました。
主張が通らない。
イコール。
参酌していない。
ではない。
これも試験で危ない。
そして現場でも危ない。
自分の言い分が採用されなかった。
だから役所は聞いていない。
とすぐには言えません。
大事なのは。
判断の中に入れたか。
十分考慮したか。
そのうえで。
別の結論を出したのか。
「じゃあ今回」
相馬先輩が言いました。
「取消し撤回になったから、ちゃんと参酌したってことか」
「それも逆に、結果だけじゃ分からないです」
「お」
「たまたま上が方針を変えただけかもしれない」
「うん」
「でも倉田係長が、記録と意見書を読み直したって言ってた」
「部長も読んだ」
「はい。だから少なくとも、最初よりは手続の趣旨に沿った判断になった」
「そういうことだな」
私は少し嬉しくなりました。
今日の事件。
最初は。
市役所がひどい。
話を聞いたくせに無視した。
くらいにしか見えていませんでした。
でも整理すると。
もっと精密に見えてくる。
主宰者の意見に従え。
ではない。
榊原さんの主張を認めろ。
でもない。
処分を必ず軽くしろ。
でもない。
聴聞で出た材料を。
最終判断者が。
ちゃんと判断材料として扱え。
それだけ。
それだけなのに。
人ひとりの店が残るかどうかを左右する。
「制度って、やっぱり冷たいですね」
私が言うと、相馬先輩が漬物を噛みながら言いました。
「何が」
「二十六条って、榊原さんの人生なんか一言も書いてないじゃないですか」
「法律だからな」
「十二年店を続けた、とか」
「うん」
「奥さんと二人でやってる、とか」
「うん」
「駅前で商売できなくなったら困る、とか」
「書くわけないだろ」
「ですよね」
条文は。
冷たい。
調書。
報告書。
主宰者。
行政庁。
参酌。
どれも無機質です。
でも。
だからこそ。
「榊原さんはかわいそうだから、助けましょう」
ではなく。
「かわいそうじゃなくても、ちゃんと聞いて考えろ」
と言える。
そこが強い。
感じのいい人だけ守る制度ではない。
好かれている人だけ救う手続でもない。
嫌われていても。
扱いづらくても。
過去に問題を起こしていても。
処分するなら。
言い分を聞いて。
記録を作って。
それを考えたうえで決める。
条文が冷たいから。
人によって温度を変えにくい。
「所長」
「何だ」
「制度の冷たさって、悪いことばかりじゃないんですね」
所長は少しだけこちらを見ました。
「今さらか」
「最近そこが分かってきました」
「覚えとけ」
「はい」
「情で曲がる制度は、情がない相手には冷たい」
私は黙りました。
それ。
すごく大事な言葉かもしれません。
優しい担当者なら聞いてくれる。
親切な係長なら考えてくれる。
理解のある部長なら処分を見直してくれる。
それでは。
担当者が変われば終わりです。
だから。
誰が担当しても。
聞く。
残す。
考える。
そういう仕組みにする。
それが手続法なのかもしれません。
「未来では」
私は小さく呟きました。
「これが条文になるんだ」
「何か言ったか」
相馬先輩が振り向きます。
「いえ」
私はノートの最後へ進みました。
今日の一行。
何にしよう。
少し考えます。
そして書きました。
――聴聞は、言わせて終わりではない。調書と主宰者の意見を、決める人が十分に考えて初めて処分につながる。
「長い」
相馬先輩が即座に言いました。
「一行です」
「文字数が多い」
「じゃあ先輩なら?」
「聞いたなら、読め」
私は止まりました。
短い。
ものすごく短い。
でも。
悔しいほど本質です。
「……採用します」
「だろ」
私は一行の覚え書きを書き直しました。
――聴聞は聞きっぱなしにしない。聞いたなら、読め。読んだなら、考えて決めろ。
所長がそれを見ます。
「それでいい」
窓の外では、昭和六十三年の町に夕闇が降りていました。
駅前では、再整備の工事灯が点いている。
新しい建物を作る音。
古い店を整理する話。
町は変わろうとしている。
でも。
変える側が強いからこそ。
押し出される側の話を。
聞くだけで終わらせない仕組みが要る。
榊原さんの聴聞は。
最初。
ただの儀式になりかけました。
席を作った。
話を聞いた。
記録した。
だから手続は終わった。
そういう顔をしていました。
でも。
本当はそのあとがある。
調書を読む。
主宰者の意見を読む。
それを十分に参酌する。
そして。
最終的に行政庁自身が決める。
主宰者の意見には拘束されない。
けれど。
無視する自由もない。
この絶妙な距離。
それが行政手続法二十六条。
未来では。
この町で今日起きたような問題を。
たった一条で、静かに整理していくのでしょう。
私はノートを閉じました。
「こはる」
「はい」
「山ごぼう」
相馬先輩が皿を指さします。
一本だけ残っています。
「どうぞ」
「珍しいな」
「先輩の意見を十分に参酌しました」
「ほう」
「その結果」
私は山ごぼうをつまみました。
「やっぱり私が食べます」
「何を参酌したんだ!」
「食べたいという私の利益と、先輩の期待利益を比較衡量しました」
「二十六条どこ行った!」
「最終決定者は私です」
「主宰者呼べ!」
奥から所長の声が飛びました。
「半分に切れ」
沈黙。
「……はい」
行政庁より強い最終決定が出ました。
私は山ごぼうを半分に切ります。
「所長」
「何だ」
「その判断、私たちの意見を十分に参酌しました?」
「してない」
「即答!」
「合理的だからいい」
「今日の教訓が崩れる!」
相馬先輩が笑いました。
結局。
山ごぼうは半分ずつ。
処分ではなく、円満解決です。
そして私は。
行政手続法二十六条を。
たぶんもう忘れない。
聴聞で重要なのは。
話すことだけではない。
話した内容が。
記録になって。
意見になって。
決める人の机まで届いて。
そこでちゃんと考えられること。
聞いたふりではなく。
聞いたことを、決定に生かす。
未来の条文は。
そんな当たり前のことを。
わざわざ法律にしなければ守れない現実があることを。
昭和六十三年の私に、少しだけ早く教えてくれていました。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




