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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法20条・聴聞の審理方式]現場編 「説明は済んでます。質問は受けません」の罠。聞くだけの席と、争点を開く手続

挿絵(By みてみん)

 話を聞く席が用意されていても、こちらが喋れるとは限りません。


 もっと困るのは、


 こちらが喋れても、相手に聞き返せない場合です。


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所の朝は、相変わらず電話と紙と相馬先輩の機嫌の悪さで始まります。


「朝比奈」


「はい」


「市役所からだ」


「嫌な予感しかしません」


「安心しろ。当たってる」


「安心の意味を辞書で引いてください」


 相馬先輩が受話器を顎で示しました。


 私は受け取ります。


「はい、片桐行政書士事務所、朝比奈です」


『商工観光課の倉田です』


 最近、この声を聞いただけで背筋が伸びるようになりました。


 行政法の条件反射としては、かなり嫌です。


「倉田係長。今日は何ですか」


『何だとは何だ』


「倉田係長から始まる電話はろくなことになってません」


『そっちが面倒にしてるんだろうが』


 否定できないところが悲しい。


『保健衛生課の件だ。宮下旅館とは別件』


「また旅館ですか?」


『今度は飲食店だ』


 私は少し姿勢を正しました。


 電話の向こうで紙をめくる音がします。


『駅前再整備区域にある「喫茶アカネ」。営業許可の停止を検討してる』


「何があったんです?」


『食品衛生上の問題。詳しい話はこっちじゃない。本人がそっちへ相談に行くかもしれん』


「なぜ先に教えてくれるんです」


 少し沈黙。


『……前に言っただろ』


「何を?」


『いきなり窓口で揉めるより、話が通じる奴が間にいた方がましだ』


 私は受話器を見ました。


 倉田係長。


 成長しています。


「係長、今のちょっと嬉しいですね」


『気持ち悪いこと言うな』


 切られました。


 照れ屋です。


「何だって?」


 相馬先輩が聞きます。


「飲食店の営業停止を検討中だそうです」


「で?」


「相談者が来るかもって」


「来るかも、じゃない」


 片桐所長が奥から言いました。


「来てる」


「え?」


 振り向くと、事務所の入口に女性が立っていました。


 三十代後半くらい。


 白いブラウスに紺色のスカート。


 手には紙袋。


 顔色が悪い。


「喫茶アカネの、木村茜です」


 電話より本人の方が早かった。


 昭和の地方都市、通信網より自転車が強いです。


 応接に通すと、木村さんは一枚の通知書を机へ置きました。


 行政手続法。


 もちろん、まだありません。


 聴聞。


 その名前も、今の時代に未来と同じ一般法上の形ではありません。


 でも。


 行政が店を止める。


 その前に本人から事情を聞く。


 そして本人が、何を問題にされているのか知らされなければ話にならない。


 そういう問題そのものは、今この瞬間にも存在します。


 通知書には、


 衛生管理上の重大な不備について事情を聴取する。


 改善状況等を確認した上で、営業許可に関する措置を検討する。


 とありました。


「重大な不備って、何です?」


 私が聞くと、木村さんは首を振りました。


「分からないんです」


「分からない?」


「先週、保健所の人が来ました。冷蔵庫とか調理場とか、いろいろ見て」


「はい」


「そのときは、食材の保存の仕方と、まな板の管理を直してくださいって」


「それは直した?」


「翌日には」


「書面は?」


「最初の注意書きはあります」


 木村さんが別の紙を出しました。


 改善指導。


 冷蔵設備の温度管理。


 生ものと加熱済み食品の区分。


 調理器具の消毒。


 そこまでは具体的です。


「で、今度は?」


「昨日電話があって、“改善が十分でないので営業停止も検討します”って」


「どこが十分じゃないかは?」


「聞きました」


「何て?」


 木村さんは唇を噛みました。


「『当日説明します』って」


 ああ。


 出ました。


 行政法が一番嫌いな、


 当日になれば分かります方式。


「その事情聴取、誰が来るんです?」


「保健衛生課の人が何人か。あと、私は話をするようにって」


「証拠とか持ってきていいと言われました?」


「特に」


「質問していいとは?」


「……何も」


 相馬先輩が腕を組みました。


「何時だ」


「今日の二時です」


「今日?」


「はい」


「今何時だ」


 壁の時計。


 十一時十五分。


「昭和の役所、直前イベントが好きすぎません?」


「役所が好きなんじゃない。お前がそういう案件ばっかり拾うんだ」


「私は磁石ですか」


 片桐所長は通知書を見たまま、木村さんに聞きました。


「木村さん。行政側が何を問題にしているか、今の時点で全部分かりますか」


「分かりません」


「処分の根拠になる決まりは?」


「食品衛生法とかだとは思うんですけど……具体的には」


「どの事実について、違反だと見られているかは?」


「それも」


 所長が通知書を置きました。


「では、話を聞く前に、その三つを確認しましょう」


「三つ?」


「何をするつもりなのか。何に基づくのか。何が原因なのか」


 私は思わず所長を見ました。


 未来の行政手続法二十条一項。


 最初の聴聞期日の冒頭で、


 予定される不利益処分の内容。


 根拠となる法令の条項。


 原因となる事実。


 行政庁の職員に説明させる。


 その三点。


 まだ法律はありません。


 でも。


 これ。


 必要だから後で条文化されるんだ。


 先に現場がある。


 条文は後から来る。


「こはる」


 所長がこちらを見ました。


「何かあるか」


「あります」


 私は通知書を指で押さえました。


「これ、木村さんに“話せ”って言ってるけど、何に答えればいいか分からないままなんですよね」


「そうだな」


「だったら最初に、役所側の言い分をちゃんと出してもらわないと不公平です」


 木村さんが私を見る。


「役所側の言い分?」


「はい。営業停止を考えてるなら、何日止めるつもりなのか。何の規定に触れてると考えてるのか。何をした、あるいはしなかったのが問題なのか」


 相馬先輩が言いました。


「いきなり反省文書けって言われても、何について反省すりゃいいか分からんって話だ」


「そうです」


「論点で喋るな。客に分かる言葉で喋れ」


「先輩が今まとめたじゃないですか」


「俺はいい」


「その免許どこで取れるんです?」


 木村さんが、ほんの少しだけ笑いました。


 その笑いだけで、来たときより空気が軽くなった気がします。


「あと」


 私は続けました。


「木村さんが説明するだけじゃなくて、資料も持っていった方がいいです」


「資料?」


「冷蔵庫の温度記録。清掃記録。改善後の写真。消毒液を買った領収書。何でも」


「あ……あります」


「全部持ってきましょう」


「でも、向こうが見るって言うか」


「そこも確認します」


 私は一瞬、未来の条文を思い出しました。


 意見を述べる。


 証拠書類等を提出する。


 ここは主宰者の許可を前提にしない。


 でも行政庁職員への質問は、主宰者の許可が必要。


 補佐人と一緒に出るのも、主宰者の許可。


 細かい。


 ものすごく細かい。


 昨夜テキストで見たら、たぶん三行で寝ています。


 でも今は違う。


 人の店が止まるかもしれない。


 だったら、


 何を言えるか。


 何を出せるか。


 何を聞き返せるか。


 その差が、急に大きく見えます。


「相馬先輩」


「何だ」


「今日、私も行っていいですか」


「所長」


「行け」


 即決。


「昭和の事務所、判断が早い」


「遅いよりましだ」


 午後二時。


 市役所の会議室には、木村さん。


 私。


 相馬先輩。


 行政側は、保健衛生課の水野さん。


 それから若い職員一人。


 進行役には、前回の宮下旅館の件でも顔を見た課長補佐がいました。


「また君か」


 水野さんが私を見ました。


「私もそう思います」


「保健衛生課に就職する気はないか」


「たぶん双方不幸になります」


 相馬先輩が横で吹き出しました。


 倉田係長まで後ろにいます。


「何で係長まで?」


「再整備区域の店舗だからだ」


「なるほど」


 縦軸が地味につながっています。


 町の問題、全部どこかで駅前再整備に触れてくる。


 行政法って、連作短編に向いてるんですね。


 進行役の課長補佐が口を開きました。


「では、木村茜さんの営業について、事情を確認します」


 木村さんが緊張したように背筋を伸ばします。


 水野さんが資料をめくりました。


「先週の立入検査で複数の問題が――」


「すみません」


 私は思わず声を上げました。


 全員がこちらを見る。


 早かった。


 しまった。


 でももう引けません。


「その前に、確認してもいいですか」


 課長補佐が眉を上げます。


「何でしょう」


「今日、何について話す場なのかを、最初に明確にしていただけませんか」


「通知書に書いてあるでしょう」


 若い職員が言いました。


「営業許可についての措置を検討するための事情聴取です」


「それだと広すぎます」


「広い?」


「木村さんにとっては、自分の店が止まるかもしれない話です」


 私は机の上の通知書を指しました。


「営業停止を検討しているのか。取消しまで含むのか。何の法令のどの部分が問題なのか。そして、どの事実を処分原因として見ているのか。そこが分からないと、何について意見を言えばいいか分かりません」


 若い職員が口を閉じました。


 水野さんは、少しだけ目を細めました。


 でも怒ってはいません。


 前回の件から、こちらの面倒臭さに慣れてきた顔です。


「分かりました」


 水野さんが言いました。


「予定しているのは、営業許可の取消しではなく、一定期間の営業停止です」


 木村さんの肩が少し動きました。


「期間は?」


 相馬先輩がすぐ聞く。


「現時点では七日間を検討しています」


 初めて出た。


 七日間。


 木村さんが息を呑みます。


「七日……」


「根拠は?」


 相馬先輩。


 強い。


 水野さんが該当する法令と県の関係規定を示します。


 さらに、


 原因と考えている事実。


 冷蔵庫の温度管理不良。


 生食用食材と加熱済み食品の保管区分。


 調理器具の消毒不十分。


 そして、


 改善指導後にも一部の状態が続いていたと判断したこと。


 そこまで説明されて、ようやく木村さんの顔つきが変わりました。


「ちょっと待ってください」


 声が出ました。


 さっきまで、


 何を言われるんだろう。


 という顔だった。


 今は違う。


 そこは違う。


 という顔です。


「冷蔵庫の温度は、その日だけです」


 水野さんが顔を上げる。


「その日だけ?」


「温度計が壊れてたんです。翌日交換しました」


「その記録はありますか」


「あります」


 木村さんが鞄を開けました。


 修理伝票。


 新しい温度計の領収書。


 その後の温度記録表。


 一枚ずつ机に出します。


 若い職員が少し驚いた顔をしました。


「こんな記録、つけていたんですか」


「前に注意されたからです」


 次に、


 調理器具の消毒。


「これも、薬剤を変えました」


 領収書。


 業者からもらった説明書。


 そして、厨房の配置図。


 私は内心で小さく拳を握りました。


 これです。


 話を聞くって、こういうことです。


 ただ頭を下げて、


「すみませんでした」


 と言わせるためじゃない。


 役所が出した事実に対して、


 本人が、


 違う。


 直した。


 こういう事情がある。


 と返す。


 そのためには、


 役所側が先にカードを伏せっぱなしにしちゃいけない。


「生食用食材と加熱済み食品の保管については?」


 水野さんが聞きます。


 木村さんは少し黙りました。


「そこは……まだ狭い冷蔵庫で一緒です」


「つまり改善していない?」


「棚を分けました」


「物理的には同じ冷蔵庫です」


「でも密閉容器にして、上段と下段に――」


 そこで話がぶつかりました。


 私は、口を挟まず聞いていました。


 全部が木村さんに有利になるわけじゃない。


 当たり前です。


 聴聞は無罪製造機じゃない。


 でも。


 何が争いになっているかが見える。


 そこが大きい。


「質問していいですか」


 木村さんが言いました。


 水野さんが答えようとしたところで、課長補佐が手を上げました。


「私を通してください」


 あ。


 未来の行政手続法二十条二項。


 来ました。


 当事者や参加人は、主宰者の許可を得て行政庁の職員に質問できる。


 意見を言うのとは違う。


 資料を出すのとも違う。


 質問は、主宰者の許可がいる。


「内容は?」


 課長補佐が聞きます。


 木村さんは水野さんを見る。


「生食用と加熱済みを、同じ冷蔵庫に入れていること自体が駄目なんですか。それとも、接触や汚染の危険がある保管方法が駄目なんですか」


 水野さんが少し考えました。


「同じ冷蔵庫であることだけで、直ちに全部駄目という話ではありません」


 木村さんの目が動きます。


「じゃあ、密閉して棚を分けたのは?」


「改善としては評価できます。ただし、現状では区分が不十分と見ています」


「何が不十分ですか」


 課長補佐が頷きました。


「続けてください」


 水野さんが配置図を指しました。


「この位置です。生の肉類が上段にある。もし液漏れがあれば、下の加熱済み食品へ落ちる可能性がある」


「あ」


 木村さんが黙りました。


 私も図を見る。


 なるほど。


 これは役所側にも理があります。


「逆にすれば?」


 木村さんが聞く。


「生ものを下、加熱済みを上?」


「さらに容器管理を徹底するなら、評価は変わります」


「じゃあ今日から変えます」


 水野さんは頷きました。


「それは確認します」


 空気が変わりました。


 さっきまで、


 営業停止する側。


 営業停止される側。


 だった。


 今は、


 どこが問題で、


 何を直せばいいのか。


 という話になっている。


 法律って、勝ち負けを決めるだけじゃない。


 争点を細かくするだけで、人を救うことがある。


 少なくとも、


 ぼんやりした恐怖からは。


「もう一つ」


 水野さんが言いました。


「昨年も同様の注意を受けています」


 木村さんが顔を上げます。


「去年?」


「記録があります」


「私は聞いてません」


「前の店長に説明しています」


 木村さんの顔が曇りました。


「前の店長って、父です」


「はい」


「父は去年の秋に入院して、そのまま店を私に任せました」


「その点は承知しています」


「じゃあ去年の注意を、私が知ってたことになるんですか」


 水野さんが答えに詰まりました。


 ここで、課長補佐が口を開きます。


「水野さん。その昨年の注意について、誰に、いつ、どう説明したのか、記録を出してください」


「分かりました」


 おお。


 私はちょっと感動しました。


 主宰する人がいる意味。


 ここです。


 本人に質問するだけじゃない。


 必要なら行政側にも説明を求める。


 話を前へ進めるために、


 両方へ聞く。


 未来の二十条四項が、急に血を通いました。


「木村さん」


 課長補佐が言います。


「他に、今回の処分判断について意見はありますか」


「あります」


「どうぞ」


 木村さんは少し考えてから言いました。


「問題があったことは認めます。でも、直してきました。全部完璧じゃないのも分かってます。でも七日間店を閉めたら、今月の家賃と仕入れ代が払えません」


 静かでした。


「止めるなら仕方ないとは言いません。でも、何を直せばいいか分からないまま止められるのは嫌です」


 誰もすぐには言葉を出しませんでした。


 こういう瞬間。


 法律の話と生活の話が、同じ机に乗る。


 私はこの瞬間が一番怖くて、


 たぶん一番好きです。


 条文だけなら、


 意見陳述。


 証拠書類等の提出。


 質問。


 説明要求。


 四文字とか六文字で終わります。


 でも現実では、


 店を七日閉めたら困る。


 父から引き継いだ。


 直したところもある。


 まだ足りないところもある。


 そういう全部が、


 意見。


 証拠。


 質問。


 という冷たい器に入っていく。


「今日のところは、処分決定をしません」


 課長補佐が言いました。


 木村さんが顔を上げる。


「追加の改善状況を確認します。生食用食材の配置変更。それから、昨年の指導記録について市側で確認する」


「営業停止は?」


「その後です」


 完全勝利ではありません。


 七日間の営業停止案は消えていない。


 問題も残っています。


 でも、


 最初から決まっていたように見えた七日間が、


 確認すべき事実と、


 直せる問題と、


 記録の食い違いに分解された。


 それだけで、話は全然違います。


 会議室を出ようとしたところで、


 廊下の向こうに数人の商店主らしい人たちが立っていました。


「あ、アカネさん」


「どうだった?」


「営業止められるの?」


 木村さんが戸惑います。


 どうやら噂を聞いて集まってきたらしい。


 相馬先輩が眉をしかめました。


「中には入れなかったのか?」


「当然だろ」


 倉田係長が言います。


「本人の営業上の話だ。公開するようなもんじゃない」


 あ。


 また一個。


 未来の条文が立ち上がります。


 聴聞の審理は原則非公開。


 行政庁が公開を相当と認めるときだけ公開。


 そりゃそうだ。


 営業上の衛生問題。


 過去の指導歴。


 家計のこと。


 そんなものを、


 「公平のため公開します」


 と町内会の見世物にされたら、別の被害が生まれます。


「でも」


 商店主の一人が言いました。


「駅前再整備で店を追い出したいから、役所が狙ってるんじゃないかって皆言ってるよ」


 倉田係長の顔が硬くなりました。


「それは違います」


「だったら中を見せればいいだろ」


「それとこれとは別です」


 相馬先輩が低い声で言いました。


「公開すりゃ公平になるとは限らん」


 商店主が黙ります。


「本人が衛生管理について何を言われてるか、近所中に晒されたいと思うか?」


「それは……」


「手続は見世物じゃない」


 短い。


 でも、刺さりました。


 私は心の中で頷きます。


 非公開。


 閉鎖的。


 隠している。


 そんなふうに見えることもある。


 でも非公開だから守られるものもある。


 行政法。


 ほんと、単純な善悪で切らせてくれません。


 事務所に戻ったのは、夕方でした。


 木村さんは一度店へ戻り、


 七時過ぎにもう一度やってきました。


 手には紙袋。


「今日のお礼です」


「いえ、まだ終わってませんよ」


「分かってます。でも、とりあえず」


 袋を開ける。


 喫茶アカネ特製のたまごサンド。


「おお」


 相馬先輩の反応が早い。


「先輩、まだ触らないでください」


「何でだ」


「証拠保全」


「食い物に使う言葉じゃねえ」


 木村さんが笑いました。


「今日、助かりました」


「まだ止められないと決まったわけじゃないですよ」


「それでも」


 木村さんは椅子に座り、少しだけ肩を落としました。


「昨日までは、何を怒られてるのかも分からなかったから」


「……はい」


「営業停止するかもしれないって言われて、話を聞くって言われて。でも、こっちは何を話せばいいか分からない」


 私は今日の会議室を思い出しました。


 営業停止七日。


 根拠。


 原因となる事実。


 そこが出てきた瞬間。


 木村さんは、


 怖がる人から、


 説明する人になった。


「今日、一番変わったのはそこかもしれません」


「どこ?」


「“怒られる席”じゃなくなったことです」


 木村さんは少し目を丸くしてから、笑いました。


「確かに」


「話す席になった」


「うん」


 所長が新聞を畳みました。


「手続は、そのためにある」


 今日も短い。


 でも重い。


 相馬先輩がたまごサンドへ手を伸ばします。


「じゃあ話がまとまったところで」


「待ってください」


「何だ」


「配分です」


「一人二切れ」


「誰が決めました?」


「俺」


「根拠は?」


「四人で八切れ」


 私は箱を見ました。


 本当に八切れ。


「合理的……!」


「今日のお前は驚き方が安いな」


 所長が一切れ取ります。


「木村さんも食べていけ」


「いいんですか?」


「持ってきた本人だろ」


「では一つ」


 結局、


 木村さん。


 所長。


 相馬先輩。


 私。


 四人でたまごサンドを分けました。


 争いなし。


 質問許可不要。


 証拠提出不要。


 行政庁職員も不在。


 平和です。


 ただ、


 相馬先輩が最後の一切れに手を伸ばしたときだけは、


 私は許可を出しませんでした。


「何でだ」


「主宰者判断です」


「誰が指名した」


「自薦です」


「無効」


「じゃあ所長!」


「半分にしろ」


 またそれですか。


 片桐所長、


 紛争解決の七割を半分で処理してません?


 夜。


 木村さんが帰り、


 相馬先輩も外へ書類を届けに出ました。


 私は机の上にノートを開きます。


 ページの一番上。


 まだ何も書きません。


 今日分かったことだけ、頭の中で転がします。


 何について処分されるのか。


 何に基づくのか。


 どんな事実が原因なのか。


 本人は意見を言える。


 資料を出せる。


 行政側へ聞きたいことも出てくる。


 進行役が本人にも行政側にも問い返すことがある。


 そして、


 人前で全部晒せばいいわけでもない。


 未来の私は知っています。


 平成になれば、


 こういう一つ一つが、


 行政手続法二十条の中で、


 かなり細かく整理される。


 意見を述べるのに許可はいらない。


 証拠書類を提出するのにも許可はいらない。


 でも行政庁の職員へ質問するには、主宰者の許可がいる。


 補佐人と一緒に出頭する場合も、主宰者の許可がいる。


 一部の人が来なくても審理はできる。


 そして原則非公開。


 昨夜なら、


 うわ。


 多い。


 としか思わなかったかもしれません。


 でも今日なら。


 一個ずつ理由が見える。


「まだ書かないのか」


 所長が言いました。


「明日まとめます」


「今書け」


「前も聞きました、この流れ」


「忘れる」


「ですよね」


 私はペンを持ちました。


 でも詳しい整理は、まだしません。


 今日はまだ、


 木村さんが資料を机へ並べたときの顔を覚えていたい。


 何を問題にされているか分かった途端、


 あの人は、


 謝るだけの人じゃなくなった。


 質問する人になった。


 説明する人になった。


 反論する人になった。


 それって。


 たぶん手続の一番大きな意味なんじゃないでしょうか。


 私はノートの端に、一行だけ書きました。


 ――話を聞くなら、先に役所も話せ。


 少し考えて、


 その下にもう一行。


 ――そして本人には、話すだけでなく、出す・聞く・確かめる道を残す。


 所長が横目で見ました。


「長い」


「先輩と同じこと言わないでください」


「一行なら一行にしろ」


 私は悩みます。


 そして書き直しました。


 ――聴聞は、反省会じゃない。争点を開く場だ。


「それでいい」


 所長が言いました。


 窓の外では、


 昭和六十三年の駅前に、


 古い喫茶店の看板が灯っています。


 明日。


 木村さんは冷蔵庫の棚を入れ替える。


 市役所は昨年の指導記録を確認する。


 営業停止になるかどうかは、まだ分かりません。


 でも今日、


 少なくとも一つだけ変わりました。


 役所が言う。


 本人が頭を下げる。


 それだけの席ではなくなった。


 何を問題にしているのか。


 根拠は何か。


 事実は何か。


 本当にそうなのか。


 こちらには何があるのか。


 そこを一つずつ机の上へ出す席になった。


 条文は冷たいです。


 意見陳述。


 証拠書類等の提出。


 質問。


 説明要求。


 非公開。


 どれも人情味のない言葉です。


 でも。


 その冷たい仕組みがあるから、


 「説明は済んでます」


 「質問は受けません」


 「とにかくこちらの話を聞いてください」


 という一方通行を止められる。


 聞くための手続は、


 黙らせるための席ではない。


 たぶん今日、


 私が覚えたのはそれでした。


 そして机の端では、


 相馬先輩が戻ってきた瞬間、


 残しておいたたまごサンドを見つけました。


「これ食っていいか」


 私は顔を上げました。


「質問ですか?」


「そうだ」


「許可します」


「何でお前が決めるんだよ」


「今日はそういうテーマなので」


「意味分からん」


 そう言いながら食べるんですから、


 たぶん許可は要らなかったんでしょう。


 そこだけは、明日ちゃんと整理しようと思います。

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