[行政手続法19条・聴聞の主宰者]法理編 こはるノート
夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ法律が似合います。
電話が減る。
来客が途切れる。
窓の外では、商店街の看板にぽつぽつ灯りがつき始める。
そして机の上には、宮下さんが置いていった梅干し。
「……一個減ってます」
「食った」
相馬先輩が言いました。
「またですか」
「差し入れは鮮度が命だ」
「梅干しに鮮度理論を持ち込まないでください」
私は皿を自分の方へ引き寄せ、ノートを開きました。
今日の見出しは、もう決まっています。
――聴聞の主宰者。
ただし。
昭和六十三年のこの事務所で、私はその名前を口には出せません。
未来では、行政手続法十九条。
聴聞は、行政庁が指名する職員その他政令で定める者が主宰する。
そして、一定の立場にある人は主宰できない。
でも、その法律ができるのは、まだ先です。
だから今の私は、
未来の条文を頭の中で見ながら、
目の前では、この時代の行政法の考え方として整理するしかありません。
「先輩」
「何だ」
「昨日まで、“主宰者”って言葉、正直ちょっと大げさだと思ってました」
「何が」
「話を聞く人ですよね」
「雑だな」
「でも今日、ちょっと分かりました」
宮下旅館の件。
営業許可の取消しまで検討されていた。
調査をしてきたのは水野さん。
改善指示をしたのも水野さん。
そして最初は、宮下さんの事情を聞く場まで、水野さん自身が中心になって進める予定だった。
私はそこに引っかかった。
でも。
法的には、
「不利益処分を担当してきた職員だから、主宰してはいけない」
という単純な話ではありません。
ここを間違えると危ない。
「じゃあ説明してみろ」
相馬先輩が言いました。
「何をです?」
「お前が昨日ひっかかってたところ」
「担当者が主宰者になれるか、ですか」
「そう」
私はペンを持ち直します。
「なれます」
「言い切ったな」
「そこは言い切っていいところです」
未来の行政手続法十九条では、聴聞を主宰するのは、行政庁が指名する職員などです。
そして。
不利益処分を担当した職員であること自体は、主宰者になれない理由には挙げられていない。
つまり、
処分担当者だった。
だから主宰者になれない。
ではない。
「じゃあ昨日、お前が水野に噛みついてたのは何だったんだ」
「噛みついてません」
「かなり行ってたぞ」
「確認です。行政法的確認」
「役所から見れば噛みつきだ」
ひどい。
でもまあ、否定しにくい。
「昨日の問題は、“水野さんが担当者だった”こと自体じゃないんです」
「ほう」
「宮下さんが、自分の言い分をきちんと出せる場になっているか。誰がどの立場で話を整理するのか。そこがごちゃっとしてた」
片桐所長が帳簿から目を上げました。
「そこを分けろ」
「はい」
私はノートに線を引きました。
まず一つ。
主宰者は、行政庁が指名する。
当事者が選ぶわけではない。
処分を受ける側が、
「あの人は嫌だから、この人にしてください」
と自由に決める制度ではありません。
行政庁が、聴聞を進行させる人を指名する。
「ここ、試験で出ますよね」
「未来の話をするな」
相馬先輩が梅干しを睨みながら言います。
「頭の中の話です」
「口に出てる」
危ない。
私は咳払いしました。
「とにかく、行政庁が指名する職員が主宰する」
「うん」
「でも、誰でもいいわけじゃない」
ここからが十九条の本体です。
聴聞の主宰者になれない者。
これを、ただ丸暗記するとかなり眠い。
なので私は昨日の宮下さんの件に当てはめて考えます。
最初に分けるべきなのは、
誰が“処分を受ける側”なのか。
誰が“その側に深く関わっている人”なのか。
ということ。
「まず、当事者」
私は書きます。
「聴聞の通知を受けた人。不利益処分の名あて人」
「宮下旅館なら?」
「宮下さん」
「その本人が主宰者になれるか?」
「なれません」
「そりゃそうだ」
本当にそうです。
自分の営業許可を取り消すかもしれない聴聞で、
「では始めます。主宰者は私です」
と宮下さん自身が座っていたら、もう何の会議か分かりません。
「次、参加人」
「参加人も主宰できません」
未来の行政手続法では、聴聞の結果に利害関係を持つ第三者が、一定の場合に参加人として聴聞へ参加することがあります。
そういう人も主宰者にはなれない。
「なんで?」
「当事者と同じで、手続の一方側に入ってるから」
「そうだな」
つまり。
主宰する人は、
聴聞の場で言い分を出す側とは分ける。
ここは直感的です。
「じゃあ次」
相馬先輩が私のノートを覗き込みます。
「親族」
「はい」
当事者や参加人の配偶者。
四親等内の親族。
同居の親族。
この人たちも主宰者になれません。
「四親等って急に試験っぽくなりますね」
「さっきから何の試験だ」
「独り言です」
危ない危ない。
私は、宮下さんの場面を想像しました。
もし事情を聞く人が、
宮下さんの夫。
兄弟。
いとこ。
あるいは同居している親族。
そんな人だったら。
本人に有利な方向へ進めるかもしれない。
逆に、家族仲が悪ければ不利に進めるかもしれない。
どちらにせよ、主宰する側としては近すぎます。
「四親等内の親族って、結構広いですよね」
「ああ」
「親、子、兄弟、祖父母、おじおば、いとこ……」
「そこまで数える試験も嫌だな」
「先輩、試験の話してません?」
「してない」
絶対しました。
でも流します。
「それから、“同居の親族”も別に書かれてる」
私はここに丸をつけました。
親等だけでは拾いきれない、生活上の近さ。
同じ家で暮らしている親族なら、四親等を超えていたとしても問題になる。
法律って、ときどき妙に人間関係をよく見ています。
血縁だけじゃなく、
同じ暮らしの中にいるか。
そこも見る。
「次は?」
「代理人と補佐人」
「これは分かりやすいな」
「はい」
当事者や参加人の代理人。
それから、聴聞で本人を補佐する人。
その人たちが主宰者になることもできない。
これも当然です。
昨日の宮下さんの事情聴取で、
もし私たちが正式な代理人として彼女を助ける立場に入りながら、
同時に私が進行役までやったら。
「では宮下さん、有利な資料からどうぞ」
となります。
「お前ならやりそうだな」
「やりませんよ」
「ちょっとやりそうだ」
「信用してください」
「行政法より難しい」
そこまで?
私は次へ進みます。
「ここでちょっと嫌なのが、“以前そうだった人”も駄目」
「どういう意味だ」
「昔、当事者だった人。昔、参加人だった人。昔、その代理人や補佐人だった人」
「今は違っても?」
「駄目」
ここは少し意外です。
今はその立場を離れている。
だから公平です。
とは限らない。
過去に当事者側へ深く入っていたなら、その関係は簡単には消えません。
未来の十九条は、そこまで線を引いています。
「例えば」
私は言いました。
「宮下さんの代理人を先月までしてた人が、今月から役所に戻って主宰者になります、みたいなのは駄目」
「そんな奴いるか?」
「極端な例です」
「極端すぎる」
「試験って極端な顔で普通に聞いてくるんですよ」
「だから何の試験だ」
しつこい。
「あと、後見人とか保佐人とか補助人」
私は書き足します。
当事者や参加人の後見人。
後見監督人。
保佐人。
保佐監督人。
補助人。
補助監督人。
「急に民法が殴り込んできましたね」
「仲良くしろ」
「科目間連携が荒い」
でも理屈は同じです。
本人を法的に支える立場にある人。
その人が、同時に行政側の聴聞を主宰するのはまずい。
ここまで見ると、
主宰できない人の中心はかなり一貫しています。
当事者そのもの。
その近しい親族。
その代理人や補佐人。
その法的保護を担う人。
つまり。
聴聞で一方の側に深く結びついている人。
「で、最後」
私はペンを止めました。
「参加人以外の関係人」
相馬先輩が眉を寄せます。
「ざっくりした名前だな」
「そこが嫌なんですよ」
参加人ではないけれど、聴聞の対象となる案件について関係を持つ者。
そういう関係人も、主宰者にはなれません。
「例えば?」
「昨日の宮下旅館なら……」
私は少し考えました。
たとえば。
宮下旅館と土地の境界を巡って揉めていて、
取消しになれば自分に利益がある隣接業者。
あるいは、
旅館の営業継続によって直接大きな影響を受ける立場にある人。
そういう人が、聴聞を仕切るのはまずい。
「つまり、利害の渦中にいる人を外す」
「ざっくり言えばそうだ」
所長が言いました。
私は頷きます。
ここまで整理すると、
昨日の自分の引っかかりが少し修正されました。
私は最初、
水野さんが処分担当者であることに、かなり警戒しました。
でも。
未来の行政手続法十九条の考え方では、
処分担当者であることだけで主宰者になれないわけではない。
ここ、大事です。
「所長」
「何だ」
「じゃあ水野さんが、正式な聴聞の主宰者に指名されても、それだけで違法とは言えない?」
「少なくとも、“処分担当者だから”という理由だけではな」
「ですよね」
「ただし」
所長が言葉を切りました。
「個別の制度や事情は別に見る」
そう。
ここも雑に一般化してはいけない。
その処分について、別の法令が特別な手続を定めているかもしれない。
あるいは、その人自身が当事者側との特別な関係を持っているかもしれない。
だから、
担当者=即アウト。
ではない。
担当者=いつでも問題なし。
でもない。
「行政法、本当に二択を嫌いますね」
「現実が二択じゃないからな」
相馬先輩が言いました。
たまにいいことを言う。
私はノートに大きく書きました。
――処分担当者であることと、主宰者になれないことは別問題。
「昨日の水野さんの件に戻ります」
私は言いました。
「水野さんは調査担当者でした。でも、宮下さん側の代理人でもない。親族でもない。関係人でもない」
「ああ」
「だから、“水野さんは主宰できません”と断定したら間違いだった」
「そうだな」
「私、危なかったですね」
「かなりな」
「そんなに?」
「役所で法律名もないのに未来の条文みたいな顔してた」
ぎくり。
この人、妙に鋭い。
「でも結局、別の職員が進行した」
「それは別問題だ」
所長が言いました。
「法的に排除されることと、運用として分けた方がよいことは同じではない」
あ。
ここ、重要です。
私はすぐ書きました。
主宰者になれるかどうか。
それは法律上の資格・除外の問題。
一方で、
この案件では別の人を進行役にした方が、本人も話しやすい。
調査担当者の説明と、当事者の主張整理を分けた方が、記録が明確になる。
それは、手続運営上の工夫。
「法的に禁止されてないなら、何でもそのままでいい、ではないんですね」
「当然だ」
所長が言いました。
未来の行政手続法十九条は、
最低限、
この人たちは主宰できません。
という線を引く。
でも。
その線の内側に入っている人なら、誰を選んでも同じ質の聴聞になるわけじゃない。
制度は最低線を決める。
実務は、その上でより納得できるやり方を選ぶ。
昨日の宮下さんの件は、まさにそこでした。
「じゃあ、試験で嫌な引っかけ」
相馬先輩が言いました。
「また試験って言いましたね」
「お前がうるさいから移った」
感染するんですか。
「一つ目。“不利益処分の担当者は主宰者になれない”」
「誤り」
「理由」
「十九条二項の除外事由に、それ自体は入ってないから」
「二つ目。“聴聞の当事者の配偶者は主宰できる”」
「誤り」
「三つ目。“昔その当事者の代理人だったが、今は辞めているから主宰できる”」
「誤り」
「四つ目。“当事者の五親等の親族だから必ず主宰できない”」
「それは……」
私は止まりました。
四親等内の親族。
ということは、五親等だからという理由だけでは該当しない。
でも、同居の親族なら別。
あるいは別の除外事由に当たるなら駄目。
「“五親等だから必ず駄目”は誤り」
「そうだな」
「ただし同居の親族なら駄目」
「そこまで言えればいい」
やっぱり。
行政法は、
「必ず」
「当然」
「一切」
この三兄弟を見たら疑った方がいい気がします。
私はノートの端に書きます。
強い断定は、一度止まる。
「もう一つ」
所長が言いました。
「主宰者は何をする」
「え?」
「誰がなれるかばかり見てるが、そもそも何のためにいる」
なるほど。
十九条を“欠格事由暗記問題”だけで終わらせたら、現場と切れてしまいます。
私は昨日の場面を思い出しました。
庶務担当の課長補佐が進行役になった。
水野さんが調査経過を説明した。
宮下さんが反論した。
資料を出した。
課長補佐は話を整理し、
「その発言はどういう意味ですか」
「この修理はいつですか」
「その点は記録に残しましょう」
と、一つずつ分けていった。
「聴聞の場を整理する人」
私は答えました。
「進行役」
「それだけか」
「……当事者や参加人の意見を聞く。証拠書類を扱う。行政庁側の職員にも説明を求める」
「うん」
「最後には、聴聞の結果を整理して、行政庁に報告する」
ここは次の条文ともつながっていきます。
主宰者は、ただ司会をする人ではない。
聴聞の場を運営し、
当事者側と行政庁側の主張・証拠を整理する。
だからこそ、
誰が主宰するか。
が重要になる。
「なるほど」
私は呟きました。
「“誰でもいい司会係”じゃないから欠格事由が細かいんですね」
「そういうことだ」
片桐所長が頷きました。
法律がわざわざ、
配偶者は駄目。
四親等内の親族は駄目。
代理人は駄目。
昔代理人だった人も駄目。
後見人も駄目。
関係人も駄目。
と並べている。
それは、
主宰者が聴聞の中で、事実と主張を整理する大事な役だからです。
ただ椅子に座って、
「次の方どうぞ」
と言うだけなら、ここまで細かく決める必要はない。
「昨日の宮下さん、聞く人が変わっただけで話し方まで変わりましたよね」
「ああ」
「水野さんの前だと、“もう何言っても駄目”ってなってた」
「そうだな」
「でも、別の進行役が入ったら、修理の領収書も名簿も出せた」
ここが、制度の冷たいところの優しさです。
手続は、
「行政はあなたを信じなさい」
とは言わない。
「担当者は偏見を捨てなさい」
とも言わない。
そんな心の中まで支配することはできません。
代わりに、
誰が主宰できるか。
誰は主宰できないか。
意見はどう出すか。
証拠はどう扱うか。
そういう形を決める。
人間の善意を期待しすぎない。
そこが冷たい。
でも、その冷たさがあるから、
「この人は公平な人だから大丈夫」
という属人的な運用から離れられる。
「条文って、人を信用してないですよね」
私が言うと、相馬先輩が鼻で笑いました。
「信用だけで役所を回したら地獄だろ」
「ですよね」
「俺だってお前を信用だけでは使わん」
「どういう意味ですか」
「書類は確認する」
「それはしてください」
そこはして。
「じゃあ今日の整理」
私はノートを見下ろします。
聴聞は、行政庁が指名する職員などが主宰する。
ただし、誰でも主宰できるわけではない。
当事者や参加人。
その配偶者。
四親等内の親族。
同居の親族。
代理人や補佐人。
以前それらの立場だった者。
後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人。
参加人以外の関係人。
そういう人は主宰できない。
そして最大の引っかけ。
不利益処分を担当した職員であっても、
それだけで主宰できなくなるわけではない。
「ここを宮下さんの事件で覚えるなら」
私は考えます。
宮下さん本人が進行する。
駄目。
宮下さんの夫が進行する。
駄目。
宮下さんの代理人が進行する。
駄目。
以前その代理人だった人が進行する。
駄目。
宮下さんと営業問題について直接利害関係を持つ人が進行する。
駄目。
水野さんが、単に行政側の処分担当者だった。
それだけなら、直ちに駄目とはいえない。
「うん」
私は小さく頷きました。
「現場で見ると、急に分かりやすい」
「教科書が悪いみたいに言うな」
「教科書は悪くないです」
「なら何が悪い」
「夜中に読む私の脳です」
これは本当にそう。
行政手続法十九条。
文字だけで読めば、
当事者。
参加人。
配偶者。
四親等。
代理人。
補佐人。
後見人。
関係人。
と、親族表と肩書一覧みたいに見えます。
でも昨日の宮下さんの顔を思い出すと違う。
ちゃんと話せる場にしてほしい。
自分の言い分を、
「もう知ってる」
で流さないでほしい。
その願いを制度にすると、
主宰者を誰にするか。
という問題になる。
「所長」
「何だ」
「未来に、こういうのを全国共通で整理する法律ができるとしたら、やっぱり必要だと思います?」
一瞬。
相馬先輩が私を見ました。
「未来?」
「あ、仮定です。仮定」
危ない。
片桐所長は少し考えました。
「必要になるだろうな」
「どうしてです?」
「役所ごとに手続が違いすぎると、住民は自分が何を言えるのか分からん」
静かな言葉でした。
「処分の中身だけではない。処分へ至る道筋が見えないのも困る」
私は、未来の行政手続法を思いました。
たぶん。
こういう現場の積み重ねがあったんでしょう。
処分される前に何を知らされるのか。
どこまで資料を見られるのか。
誰が話を聞くのか。
誰はその役をしてはいけないのか。
いつまでに何を出すのか。
役所ごと、人ごと、担当者ごとにばらばらだった不安を、
あとから法律が整理していく。
「法律って、先に未来を作るんじゃなくて、あとから現場の困りごとに名前をつけることもあるんですね」
「よくある」
所長が言いました。
私はノートの最後のページを開きました。
今日の一行。
何にしよう。
少し考えて、書きます。
――処分担当者だから主宰できない、ではない。見るのは“誰の側に立つ人か”。
相馬先輩が覗き込みました。
「悪くない」
「珍しく褒めましたね」
「でも長い」
「じゃあ先輩なら?」
相馬先輩は少し考えます。
「“聞く人の近さを疑え。ただし担当者だから駄目とは決めつけるな”」
「先輩の方が長いじゃないですか」
「内容はいいだろ」
「悔しいですけど」
私はその下に、もう一行足しました。
――聴聞の主宰者は、行政庁が指名する。近すぎる人には、法律が席を外してもらう。
「ちょっと詩人だな」
「覚えやすさ優先です」
片桐所長が新聞を畳みました。
「最後にもう一つ」
「はい」
「手続の公正さは、人が立派だから生まれるんじゃない」
私はペンを止めました。
「立場を分けるから生まれる」
静かでした。
でも、その一言が今日いちばん残りました。
水野さんは、悪い人ではありませんでした。
むしろ真面目でした。
だからこそ、
自分が一番知っている。
自分が一番分かっている。
自分が聞くのが一番早い。
そう思った。
その気持ちは、たぶん間違っていません。
でも制度は、
人の善意に全部を預けない。
あなたは悪い人だから外れてください。
ではなく。
この立場の人は、主宰しないことにしましょう。
そう線を引く。
それなら誰かを侮辱せずに、公平さを守れる。
制度の冷たさは、
たぶんそのためにある。
机の上で、私は梅干しを一つ摘まみました。
「先輩」
「何だ」
「これ最後の一個ですよね」
「ああ」
「私が食べます」
「待て」
「何です?」
「その梅干しを誰が食うか、俺にも意見を述べる機会を」
「却下します」
「お前が主宰者か」
「行政庁が指名してませんけど、自称です」
「無効だな」
「じゃあ所長、主宰してください」
片桐所長が新聞の向こうから言いました。
「半分にしろ」
私と相馬先輩は同時に黙りました。
「……公平ですね」
「異議なし」
梅干しを半分にするという、たいへん地味な結論に落ち着きました。
でも。
誰か一人が勝手に全部取るよりは、たしかに納得できます。
話を聞く人。
決める人。
利害のある人。
当事者。
それぞれの席を少しずつ離す。
それだけで、同じ話でも見え方が変わる。
未来の私は、その仕組みが行政手続法十九条という形になることを知っています。
昭和六十三年の私は、まだその名前を使えません。
でも今日なら分かります。
法律ができる前から、
その法律が必要になる理由は、もう町の中にあった。
そして一行だけ、ノートに丸をつけました。
――「誰が聞くのか」は、手続の中身そのもの。
昨日までなら眠かった条文です。
でも今夜は、たぶん忘れません。
宮下さんが、二度目の修理の領収書を机に置いたときの顔ごと。
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