↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈基礎知識 配点56点/300点〉 基礎知識

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
700/701

[住民基本台帳法・住民票コードと利用制限]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 たった十一桁の数字で、人間の人生が分かるのでしょうか。


 答えは、いいえ。


 名前も。


 住所も。


 家族も。


 仕事も。


 過去の失敗も。


 それだけで、その人の価値が決まるわけではありません。


 でも。


 もし、十一桁の番号を使って、あらゆる情報を結びつけられるとしたら。


 その番号を、銀行も、不動産会社も、雇用主も、名簿屋も自由に使えるとしたら。


 人は、自分の知らないところで、一生追いかけられるかもしれません。


 だから。


 未来の法律は、その番号を簡単には使わせないのです。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・住民基本台帳法編。


 と書いてあります。


「……十一桁って、怖いですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「いきなり何だ」


「番号です」


「何の番号だ」


「住民票コードです!」


「また未来の話か」


「はい!」


「元気よく言うな」


 私はノートを広げました。


 昨日までの事件。


 佐伯佳代子さん。


 三十六歳。


 九歳の娘、美咲ちゃんと暮らす母親。


 家を借りようとしたところ、不動産会社から謎の「住民登録管理番号」を要求された。


 さらに。


 名簿業者の黒田商事が、住民の住所や家族構成、過去の家賃支払状況などを集めていた。


 独自の管理番号をつけて。


 パソコンで検索できるようにして。


 複数の会社へ情報を提供する。


 そして。


 佐伯家には、たった一文字。


 ――D。


 要注意人物。


 そんな評価がつけられていた。


「……あれ、ひどかったですよね」


 私が言うと、相馬先輩が頷きました。


「ああ」


「美咲ちゃん、九歳ですよ」


「そうだな」


「何も悪いことをしていないのに、ブラックリストに載せられて……」


 私は鉛筆を握りしめました。


 でも。


 今回の事件には、もう一つ重要なことがありました。


 黒田商事が使っていた番号。


 それは、住民票コードではありません。


 民間会社が勝手につけた独自管理番号。


 そもそも。


 昭和六十三年には、住民票コードが存在しないのです。


「先輩」


「何だ」


「今日は、その違いを整理したいんです」


「ほう」


「昭和の名簿屋が使った番号と、未来の住民票コード。何が同じで、何が違うのか」


 相馬先輩は新聞を畳みました。


「いいだろう」


「それから!」


「まだあるのか」


「住民票コードの告知要求制限!」


「……何だ、それ」


「データベース化の禁止!」


「おう」


「知事の勧告と命令!」


「おう」


「そして刑罰!」


 相馬先輩は、少しだけ顔をしかめました。


「お前、昨日も罰則を間違えて所長に怒られただろ」


「……はい」


 そうでした。


 私は昨日、内容証明の原案に、


 ――住民票コードの利用制限に違反したので、直ちに一年以下の刑罰が科される。


 と書いてしまったのです。


 しかも。


 昭和には存在しない条文まで引用して。


 所長の赤鉛筆が、容赦なく走りました。


「今日は間違えません!」


「本当か?」


「たぶん!」


「そこは言い切れよ」


 すると。


 奥から片桐所長が声をかけました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……所長まで」


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。


「まず、住民票コードとは何か!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――住民票コード。


 住民基本台帳に記録される、十一桁の数字。


「ここが最初のポイントです」


 私は言いました。


「十一桁です!」


「十一桁な」


「はい!」


「それだけか?」


「違います!」


 私は次の行を書きました。


 ――個人を識別するために使用される番号。


 住民票コードは、住民基本台帳制度における本人確認情報の処理などに利用されます。


 もともと。


 住民基本台帳は、市町村が住民の住所や氏名などを記録する制度です。


 そこに、全国的な本人確認を効率的に行う仕組みが整えられていきました。


「それが住基ネットです!」


「住基ネット?」


「住民基本台帳ネットワークシステムです」


「長え名前だな」


「そうですね」


 住基ネットの運用が始まったのは、平成十四年。


 二〇〇二年です。


 昭和六十三年から数えると、十四年後。


「つまり、今から十四年後に、住民票コードが登場するんです」


 私が言うと、相馬先輩が眉を上げました。


「十四年か」


「はい」


「ずいぶん先だな」


「でも、私からすると昔の話なんです」


「お前の時間感覚は、相変わらず訳が分からんな」


 私は笑いました。


 でも。


 ここで重要なのは、住民票コードが便利だから導入された、ということだけではありません。


 番号を使えば、同じ人物の情報を正確に扱いやすくなる。


 ところが。


 その番号が民間で広く使われれば、別々に管理されていた情報を容易に結びつけられるようになる。


「先輩、昨日の黒田商事を思い出してください」


「ああ」


「住所と名前だけなら、同姓同名の人がいたり、引っ越したりすると、照合が難しいですよね」


「そうだな」


「だから黒田商事は、独自の管理番号を使っていました」


「そうだったな」


「もし全国共通の番号を、どの会社も自由に使えたらどうなります?」


 相馬先輩は少し考えました。


「別の会社が持っている情報と、同じ人間かどうかを照合しやすくなるな」


「そうなんです!」


 私は鉛筆を走らせました。


 不動産会社。


 銀行。


 保険会社。


 勤務先。


 名簿業者。


 それぞれが同じ番号を使えば。


 別々だった情報を、一人の人物の記録として結びつけやすくなる。


 これが、情報の名寄せです。


「なるほどな」


 相馬先輩が言いました。


「番号が便利なのは、役所だけじゃねえってことか」


「はい」


「悪用する奴にとっても便利になる」


「そこです!」


 私は大きく丸をつけました。


 住民票コードは、十一桁の数字そのものが危険なのではありません。


 その数字を使って、個人情報を広範囲に結びつけられること。


 それが大きな問題なのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「その十一桁の番号と、前に言ってた個人番号ってのは同じなのか?」


 来ました。


 超重要論点です。


「違います!」


 私はノートを二つに分けました。


 左側。


 住民票コード。


 十一桁。


 右側。


 個人番号。


 十二桁。


「個人番号というのは、いわゆるマイナンバーです」


「また妙な名前が出てきたな」


「未来では有名なんです!」


 私は続けました。


「マイナンバーは、住民票コードを変換して生成される十二桁の番号です」


「じゃあ、一桁増やしただけか?」


「違います!」


 ここは大切です。


 マイナンバーは、住民票コードと同じ数字に一桁を足しただけの番号ではありません。


 住民票コードを基に、一定の方法で変換して生成される、別の番号です。


「つまり、十一桁と十二桁で、制度も役割も違うんです」


「なるほどな」


「それに、住民票コードの利用制限と、マイナンバーの利用制限は、根拠となる法律も違います」


 私は書きました。


 住民票コード。


 住民基本台帳法。


 個人番号。


 番号法。


「番号法?」


「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律です」


「……長え!」


「正式名称です!」


 相馬先輩は頭を抱えました。


「未来の法律家は、短い名前をつける気がねえのか」


「だからマイナンバー法って呼ぶこともあるんです!」


「最初からそう言え!」


 私は笑いました。


 でも。


 これは行政書士試験で混同したくないところです。


 十一桁と十二桁。


 似ています。


 でも、同じ番号ではありません。


 住民票コードについての問題なのか。


 個人番号についての問題なのか。


 そこを最初に確認しなければならないのです。


「では、次です」


 私はノートに書きました。


 ――住民票コードを指定するのは誰か。


「市町村長!」


 私は勢いよく答えました。


 すると。


「違う」


 片桐所長の声が飛びました。


「えっ!」


 私は固まりました。


「あ、いえ!」


 慌ててノートを見直します。


「市町村長は住民基本台帳を作成する人でした!」


「そうだ」


「住民票コードを指定するのは、地方公共団体情報システム機構です!」


 私は言い直しました。


「ほう」


 相馬先輩が首をかしげました。


「何だ、その長い名前は」


「通称、J-LISです!」


「また未来か」


「はい!」


 地方公共団体情報システム機構。


 住民票コードを指定し、市町村長に通知する主体です。


 そして、市町村長が住民票にコードを記載します。


「ここ、間違えやすいんです」


 私は言いました。


「住民基本台帳を作成するのは市町村長」


「うん」


「住民票コードを指定するのは機構」


「うん」


「知事や総務大臣が直接、好きな番号をつけるわけではありません」


 相馬先輩が頷きました。


「仕事を分けてるんだな」


「そうです!」


 もっとも。


 今の昭和六十三年には、地方公共団体情報システム機構は存在しません。


 同機構が設立されるのは平成二十六年。


 二〇一四年です。


「だから、昭和に向かって『J-LISに問い合わせてください』なんて言ったら大変です」


「誰も知らねえよ」


「ですよね!」


「お前が一番気をつけろ」


「はい……」


 私は大きく書きました。


 ――昭和にJ-LISは存在しない。


 ……。


 何だか。


 転生者専用の試験対策みたいになってきました。


「次は、住民票コードの変更です!」


 私はページをめくりました。


「先輩、質問です」


「何だ」


「住民票コードは、引っ越したら変わるでしょうか?」


「住所が変わるんだから、変わるんじゃねえのか」


「ブブー!」


「何だ、その音は」


「不正解です!」


 私は胸を張りました。


「住民票コードは、転居や転出入をしても、原則として変わりません!」


「ほう」


「結婚して名前が変わっても、基本的には同じです」


「じゃあ、一生変えられねえのか」


「いい質問です!」


 私はノートに書きました。


 ――住民票コードの変更請求。


 住民基本台帳に記録されている人は、市町村長に対して、住民票コードの変更を請求できます。


「理由は必要なのか?」


 先輩が聞きました。


「変更理由を問わず、請求できます!」


「番号が気に入らねえ、でもいいのか」


「理由を問わないという意味では、そうです。ただし、好きな番号を指定できるわけではありません」


「何だ、つまらんな」


「番号の人気投票じゃありませんから!」


 私は続けました。


 住民票コードを変更してもらう場合。


 希望する十一桁を指定することはできない。


 変更後、以前の番号に戻すこともできない。


「そして、番号が変われば、その変更を前提に必要な事務処理が行われるんです」


「なるほどな」


 相馬先輩は少し考えました。


「でも、こはる」


「はい?」


「番号が変わったら、それまでの記録は全部消えるのか?」


 私は首を横に振りました。


「いいえ」


 ここは大切です。


 住民票コードの変更は、過去の個人情報をすべて消去する制度ではありません。


 また、民間業者が独自に集めた情報まで、自動的に消えるわけでもありません。


「昨日の黒田商事みたいな名簿が、住民票コードを変えただけで消えるわけじゃないんですね」


「そういうことだ」


「はい」


 変更制度があること。


 個人情報の利用や提供が制限されること。


 この二つは、別の仕組みです。


 私はノートに線を引きました。


 ――コード変更と情報削除は、同じではない。


 よし。


 ここも忘れません。


「さて」


 相馬先輩が新聞を机に置きました。


「一番大事な話に入ろうぜ」


「はい!」


「昨日、お前がずっと怒っていたところだ」


「住民票コードの告知要求制限ですね!」


「そうだ」


 私はノートに、大きく書きました。


 ――住民基本台帳法第三十条の三十七。


 ――第三十条の三十八。


「ここが今回の核心です!」


 住民票コードについては、誰でも自由に聞けるわけではありません。


 しかも。


 単に不正利用を禁止するだけではありません。


 コードを教えるよう要求する行為そのものを制限しています。


「なぜだと思います?」


 私が尋ねると、相馬先輩が答えました。


「聞いて集めちまえば、後で好き勝手に使えるからだろ」


「そのとおりです!」


 私は勢いよく頷きました。


 情報を使って悪いことをした後に取り締まる。


 それだけでは、足りない。


 そもそも、不要な住民票コードを集めさせない。


 そこに、この法律の重要な意味があります。


「まず、第三十条の三十七です」


 私は書きました。


 ――行政機関等による告知要求制限。


「市町村長、都道府県知事、機構、総務省。それぞれに制限があるんです」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「役所まで制限されるのか」


「そうなんです!」


 まず、市町村長。


 市町村長は、住民基本台帳法に基づく事務のために必要な場合を除き、その市町村の住民以外の人に係る住民票コードを告知するよう求めてはいけません。


「ちょっと待て」


 相馬先輩が言いました。


「じゃあ、その市町村の住民本人には?」


 私はにやりとしました。


「そこが引っかけです!」


 この条文の第一項は、告知要求の対象を、その市町村の住民以外の人に係るコードとして定めています。


 したがって。


 この規定だけを見れば、市町村長が自分の市町村の住民本人にコードの告知を求めることまで、一律に禁止しているわけではありません。


「ただし!」


 私は指を立てました。


「何でも無制限に聞いていいという意味ではありません。別の法令や適正な事務処理のルールは、当然問題になります」


「なるほどな」


 次。


 都道府県知事。


 機構。


 総務省。


「こちらは、それぞれ法定の事務に必要な場合などを除いて、本人のコードについても、他人のコードについても、告知を求めてはいけません」


「ほう」


「つまり、市町村長と、知事などでは、条文の書き方が違うんです!」


 私は大きく丸をつけました。


 市町村長。


 原則として、当該市町村の住民以外の者に係るコードの告知要求を制限。


 知事・機構・総務省。


 法定の必要がある場合などを除き、本人に係るコードの告知要求も制限。


「同じ行政機関だから全部同じ、じゃないんですね」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


 私は頷きました。


 ここを覚えておくだけで、試験のひっかけ問題にかなり強くなれそうです。


「次!」


 私はページをめくりました。


 ――第三十条の三十八。


 住民票コードの利用制限等。


「ここからは、民間業者などの規制です!」


 私は昨日の不動産会社の申込書を取り出しました。


 住民登録管理番号。


 あの謎の欄です。


「まず、第一項!」


 行政側の一定の主体を除き、何人も、自己と同一世帯に属する者以外の第三者に対して、住民票コードを告知するよう求めてはいけません。


「例えば」


 私は相馬先輩を見ました。


「先輩!」


「何だ」


「住民票コードを教えてください!」


「知らねえよ」


「……」


「……」


「これです!」


「何がだ!」


 私は笑いました。


「現代で、私が先輩に住民票コードを教えるよう求めたら、第三十条の三十八第一項の禁止が問題になるんです」


「ほう」


「同じ世帯の人については、この第一項の第三者という定義から外れます」


「なるほど」


「ただし、家族なら他人の番号を好き勝手に利用していいという意味ではありません」


 私は続けました。


 ここで重要なのは。


 法律が問題にしているのは、要求する側の行為だということです。


「教えた人が悪い、という話だけじゃないんです」


「そうだな」


「そもそも、教えろと要求してはいけない」


 私は大きく線を引きました。


 ――告知したかどうかではなく、告知を要求したかどうかを見る。


 これが、一つ目の重要ポイントです。


「では、第二項です!」


 私は声を張りました。


 ――契約に関する告知要求の禁止。


「昨日の事件と、特に関係が深いところですね」


 相馬先輩が頷きました。


「あの不動産屋か」


「はい」


 事業者などは、その業務として行う取引に関し、契約の申込みをしようとする人、申込みをする人、契約を締結した人に対して、住民票コードを告知するよう求めてはいけません。


「対象となる契約は?」


 相馬先輩が聞きました。


「売買、貸借、雇用、その他の契約です!」


 私は書きました。


 不動産の売買。


 賃貸借契約。


 雇用契約。


 その他の事業上の契約。


「つまり」


 私は言いました。


「不動産屋が『契約したければ住民票コードを教えろ』と言うのは駄目です」


「なるほどな」


「会社が採用手続で『住民票コードを提出しろ』と要求するのも問題になります」


「そうか」


「銀行の契約でも、同じ考え方です」


 私は、昨日の佐伯家の事件を思い出しました。


 あの不動産会社。


 住民登録管理番号を提出しなければ、入居審査ができないと言っていました。


 でも。


 あれは、住民票コードではありませんでした。


「先輩」


「何だ」


「だから、昨日の会社に未来の第三十条の三十八をそのまま当てはめることはできなかったんですね」


「そうだ」


「仮に現代の事件でも、独自管理番号を要求しただけで、住民票コードの告知要求禁止に当然に違反するわけじゃない」


「そのとおり」


 私は頷きました。


 独自の顧客番号と、法律で定められた住民票コード。


 似ていても、別物。


 情報収集の問題と、住民票コード固有の規制。


 そこを混同してはいけません。


「ただし、先輩」


「何だ」


「独自番号でも、集め方や使い方によっては、プライバシーや個人情報保護の問題になりますよね」


「ああ」


「それと、住民票コードの禁止規定は、また別に考える」


 相馬先輩が頷きました。


「よし」


 私は、ようやく頭が整理されてきました。


 法律って、似たような事件でも、使う条文が違うことがあるんですね。


「そして、第三項です!」


 私は勢いよくノートをめくりました。


 ――住民票コードを含むデータベースの構築禁止。


「これが、昨日の黒田商事の仕組みと一番似ている部分です!」


 相馬先輩が頷きました。


「あの黒い名簿だな」


「はい!」


 住民票コードを記録した、検索可能なデータベース。


 それを、他人に情報提供する予定で、業として構築する。


 こうした行為が禁止されています。


「ここで大事なのは、三つの要素です」


 私は指を立てました。


「一つ。住民票コードを含むこと」


「うん」


「二つ。電子計算機で検索できるよう、体系的に構成されていること」


「うん」


「三つ。業として作成し、その情報を他へ提供する予定があること」


 相馬先輩が少し考えました。


「じゃあ、パソコンで顧客名簿を作ったら、何でも違反か?」


「違います!」


 私は答えました。


 この第三項が禁止するのは、条文で定められた条件を満たすデータベースです。


 ただの顧客名簿。


 ただの住所録。


 それらが全部、住民基本台帳法第三十条の三十八第三項違反になるわけではありません。


「住民票コードが記録されているかどうかが重要なんですね」


「そういうことか」


「はい!」


 私は続けました。


「それに、他人に情報を提供する予定があることも要件です」


「なるほど」


「ただ社内で情報を管理している場合と、第三者に情報を売ったり提供したりするために構築する場合では、条文上の扱いが違うんです」


 私は、黒田商事の営業案内を思い出しました。


 独自管理番号。


 住所。


 家族構成。


 家賃の支払状況。


 パソコン検索。


 加盟業者への情報提供。


 構造は、非常によく似ています。


 でも。


 あの会社の番号は住民票コードではありませんでした。


「つまり、先輩」


「何だ」


「昨日の事件は、未来の規制がなぜ必要になったのかを考えるための事件だったんですね」


 相馬先輩が頷きました。


「そういう見方はできるな」


 私は鉛筆を止めました。


 なるほど。


 法理を理解するとは。


 単に、事件に条文番号を貼りつけることではありません。


 その条文が、どんな危険を防ごうとしているのか。


 それを理解することなのです。


「さて」


 片桐所長が、奥から声をかけました。


「こはる」


「はい!」


「禁止されている行為をしたら、すぐ刑務所か」


 来ました。


 昨日、私が間違えたところです。


「いいえ!」


 私は勢いよく答えました。


「少なくとも、第三十条の三十八第二項・第三項の禁止行為をしただけで、第四十三条第一号の刑罰が直ちに適用されるわけではありません!」


 所長が頷きました。


「続けろ」


「まず、都道府県知事による勧告です!」


 私はノートに書きました。


 ――第三十条の三十八第四項。


 知事による勧告。


 例えば。


 不動産会社が、賃貸借契約の申込者に住民票コードの告知を要求している。


 しかも、今後も同じ行為を繰り返すおそれがある。


 そんな場合。


 都道府県知事は、行為の中止などを勧告することができます。


「つまり」


 私は言いました。


「違反行為があって、さらに反復するおそれがあることが重要です」


「一回やっただけで、何でも自動的に勧告されるわけじゃねえんだな」


「はい」


 さらに。


 勧告に従わなかった場合。


 次の段階へ進みます。


 ――第三十条の三十八第五項。


 知事による命令。


「ただし、ここにも手順があります」


 私は言いました。


「都道府県の審議会の意見を聴いて、期限を定めて勧告に従うよう命ずるんです」


「ほう」


 相馬先輩が頷きました。


「勧告と命令も違うんだな」


「そうです!」


 勧告。


 違反行為をやめるよう促す措置。


 命令。


 法に基づき、従うべきことを命じる措置。


 そして。


「命令にも従わなかった場合!」


 私は大きく書きました。


 ――第四十三条第一号。


 一年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金。


「ここです!」


 相馬先輩が頷きました。


「昨日、お前が間違えた罰則だな」


「はい……」


 私は苦笑しました。


 この仕組みを考えるとき。


 禁止行為。


 反復のおそれ。


 知事の勧告。


 勧告に従わない。


 審議会の意見。


 期限を定めた命令。


 命令違反。


 この順番が重要です。


「だから」


 私は言いました。


「住民票コードを一度要求したから、直ちに一年以下の拘禁刑、という覚え方は間違いなんです」


「そうだな」


「第四十三条第一号で処罰されるのは、第三十条の三十八第五項の命令に違反した者です」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は少し嬉しくなりました。


 昨日の赤鉛筆。


 今なら、その意味がよく分かります。


 条文を間違える。


 適用条件を間違える。


 罰則を間違える。


 そんな書面を送ったら。


 相手を追い詰めるどころか、こちらの信用を失うことにもなりかねません。


「所長」


「何だ」


「法律は、強い言葉を書いた方が勝つわけじゃないんですね」


「そうだ」


「何が禁止されていて、何をしたら罰せられるのか。そこを正確に書かなければいけない」


「うん」


 所長は短く言いました。


「条文は脅し文句じゃない」


 私は、その言葉をノートの端に書きました。


「でも先輩」


 私は、もう一つ気づきました。


「第三十条の三十八って、第一項も告知要求を禁止していますよね」


「ああ」


「それなのに、知事の勧告と命令の規定は、第二項と第三項について書かれています」


 相馬先輩が、こちらを見ました。


「いいところに気づいたな」


「褒めました?」


「まだだ」


「またですか!」


 でも。


 ここは本当に重要です。


 第一項。


 一般的な第三者への住民票コードの告知要求禁止。


 第二項。


 業として行う契約に関する告知要求禁止。


 第三項。


 第三者提供を予定した、住民票コード入りデータベースの業としての構築禁止。


 そして。


 第四項の知事による勧告は、第二項又は第三項の違反について定めています。


「つまり、全部の禁止規定が、まったく同じ手続で罰せられるわけではないんですね」


「そうだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――勧告・命令の対象は、第二項・第三項の違反。


 ――第四十三条第一号は、第五項の命令違反。


「よし!」


 私は拳を握りました。


 これなら、試験で、


 ――住民票コードの告知要求をした者は、直ちに一年以下の拘禁刑に処される。


 なんて選択肢が出ても、間違えません。


「先輩!」


「何だ」


「これは引っかけ問題に使えます!」


「人が罰せられる話を、楽しそうにするな」


「勉強です!」


「試験って怖えな」


 私は笑いました。


 でも。


 実務では笑い事ではありません。


 誰かの行為が違法なのか。


 行政がどんな措置を取れるのか。


 刑罰が科されるのか。


 その三つは、きちんと区別しなければならないのです。


「次は、本人確認情報です!」


 私はページをめくりました。


 ――本人確認情報。


「先輩、住民票コードだけで人を確認するわけではありません」


「そうなのか」


「はい!」


 私はノートに書きました。


 氏名。


 住所。


 生年月日。


 性別。


「この四つが、いわゆる基本四情報です」


「なるほど」


 さらに。


 住民票コード。


 個人番号。


 そして、これらの情報の変更に関する事項など、法律で定められた情報。


 住基ネットでは、そうした本人確認情報が扱われます。


「ただし」


 私は指を立てました。


「本人確認情報って、住民票に書かれた情報全部のことではありません」


「ほう」


「例えば、銀行の借金や家賃の滞納歴が、そのまま住基ネットの本人確認情報として記録されているわけじゃないんです」


「なるほどな」


 昨日の黒田商事は、さまざまなところから情報を集めていました。


 住所。


 家族構成。


 転職先。


 家賃の支払状況。


 でも。


 住民基本台帳に、そうした情報がすべて書いてあるわけではありません。


「先輩」


「何だ」


「ここも大事ですね」


「ああ」


「住民基本台帳の情報と、民間業者が独自に集めた情報は、区別しないといけない」


「そうだ」


 私は頷きました。


 情報の種類を正確に把握する。


 どこで集められた情報なのかを確認する。


 どの法律が適用されるのかを考える。


 それが、個人情報を守る第一歩なのです。


「さて、こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい!」


「その未来の制度では、自分の情報を確かめることはできるのか」


「できます!」


 私は勢いよく答えました。


 ――第三十条の三十二。


 自己の本人確認情報の開示。


 何人も、都道府県知事又は機構に対して、自己に係る本人確認情報の開示を請求できます。


「これは重要です!」


 私は言いました。


「自分について、どんな本人確認情報が記録されているのかを確かめられるんです」


 相馬先輩が頷きました。


「昨日の佳代子さんみたいに、間違った情報で困る人もいるからな」


「はい」


 ただし。


 黒田商事が作った民間のブラックリストを、この住基法の制度でそのまま開示させられるわけではありません。


 第三十条の三十二が対象にしているのは、法で定められた、都道府県知事又は機構が記録している自己の本人確認情報です。


「ここも、制度を混同してはいけませんね」


「そうだな」


 私は続けました。


「開示請求は、書面で行います!」


「口で頼んじゃ駄目なのか」


「この条文の開示請求は、書面です!」


 そして。


 都道府県知事又は機構は、原則として書面で開示します。


 ただし。


 開示請求者の同意があれば、書面以外の方法でも開示できます。


「つまり」


 私は言いました。


「請求は書面。開示は原則書面。ただし本人の同意があれば、書面以外の方法も可能です!」


 相馬先輩が頷きました。


「細かいな」


「試験は細かいんです!」


「嫌な試験だな」


 私は笑いました。


 でも。


 この制度の意味は、とても大きいと思います。


 自分の情報なのに、自分では確認できない。


 そんなことになれば。


 記録の誤りに気づくことすら難しくなります。


 だから、開示の仕組みが必要なのです。


「では、開示の期限です!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――三十日。


「先輩!」


「何だ」


「開示請求をしたら、何日以内に開示するでしょうか?」


「三十日って書いてあるだろ」


「……正解です」


「問題になってねえじゃねえか」


 私は慌ててノートを手で隠しました。


「見ないでください!」


「先に隠せよ」


 ……。


 気を取り直します。


 第三十条の三十三。


 本人確認情報の開示は、開示請求を受理した日から起算して三十日以内に行わなければなりません。


「ここ、受理した日というのが大切です」


「ほう」


「書面を投函した日でも、単に事務所に到着した日でもなく、条文上は受理した日から数えます」


 私は赤線を引きました。


 ――開示請求を受理した日から三十日以内。


「でも先輩」


「何だ」


「事務処理が大変だったり、正当な理由があったりして、三十日以内に開示できない場合もありますよね」


「あるだろうな」


「その場合、黙って遅らせていいわけではありません」


 私は続けました。


 都道府県知事又は機構は、三十日以内に開示できない正当な理由がある場合、その期間内に、開示できない理由と開示の期限を書面で通知しなければなりません。


「つまり」


 私は言いました。


「遅れるなら、理由と期限を知らせる!」


「そういうことか」


「はい!」


 これは、単なる事務処理の話ではありません。


 情報を管理する側が、本人に対して説明する。


 本人が、いつ開示を受けられるのか分かるようにする。


 そうした仕組みも、情報を適正に扱うためには必要なのです。


「そして、最後!」


 私はノートをめくりました。


 ――第三十条の三十五。


 自己の本人確認情報の訂正。


「ここも、昨日の事件を思い出してください」


 相馬先輩が頷きました。


「黒田商事の名簿に、古い情報や根拠の怪しい評価が載ってたな」


「はい」


 もし、自分の本人確認情報の開示を受けたら。


 住所などの記録が間違っていることに気づいた。


 そんな場合。


 どうすればいいのでしょうか。


「訂正を申し出ることができます!」


 私は言いました。


 訂正。


 追加。


 削除。


 これらについて、書面で申出をする制度です。


「相手は誰だ?」


 相馬先輩が尋ねました。


「都道府県知事又は機構です!」


「市町村長じゃねえのか」


「この第三十条の三十五の制度では、そうです!」


 ここも重要です。


 市町村の住民票そのものの記載を訂正する問題と、住基ネット上の自己の本人確認情報について開示後に訂正を申し出る問題は、同じ手続とは限りません。


「そして」


 私は続けました。


「訂正の申出があった場合、都道府県知事又は機構は、遅滞なく調査を行い、その結果を書面で通知します」


「必ず本人の言うとおりに直すのか?」


「いいえ!」


 私は首を横に振りました。


「申出があったからといって、無条件にそのとおり変更するわけではありません」


 まず調査する。


 記録を確認する。


 訂正すべきかどうかを判断する。


 そして、結果を通知する。


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


 私は、昨日の黒い名簿を思い出しました。


 佐伯佳代子。


 佐伯美咲。


 評価D。


 あの情報は、民間業者が作ったものでした。


 住民基本台帳法の開示・訂正制度で、その名簿を直接書き換えられるわけではありません。


 でも。


 正確でない情報を、そのまま人の判断材料にしてはいけない。


 本人が、自分に関する情報の正確さを確かめられることが大切。


 そういう理念は、つながっています。


「所長」


 私は言いました。


「情報って、集めるだけじゃ駄目なんですね」


「うん」


「正しく管理して、必要なら確認できるようにする」


「そうだ」


「間違っていたら、訂正するための仕組みも必要」


 所長は静かに頷きました。


「記録は、人を守るためにも、人を傷つけるためにも使える」


 私は、しばらく黙りました。


 その言葉。


 昨日の事件を思い出すと、よく分かります。


 窓の外は、もう薄暗くなっていました。


 私は、ここまでのノートを見直しました。


 住民票コード。


 十一桁。


 個人番号。


 十二桁。


 住民票コードの指定。


 地方公共団体情報システム機構。


 変更請求。


 市町村長。


 告知要求制限。


 第三十条の三十七。


 第三十条の三十八。


 データベースの規制。


 知事の勧告。


 命令。


 第四十三条の罰則。


 自己情報の開示。


 三十日以内。


 訂正の申出。


「……多い!」


 私は思わず叫びました。


 相馬先輩が顔を上げます。


「何がだ」


「覚えることが多すぎます!」


「最初から分かってただろ」


「でも、こうして並べると、やっぱり多いんです!」


 相馬先輩は笑いました。


「じゃあ、昨日の事件を思い出せ」


「佐伯さんの事件ですね」


「ああ」


 私は、黒田商事の名簿を思い出しました。


 住民登録管理番号。


 家族構成。


 住所。


 転職先。


 ブラックリスト。


 そして。


 九歳の美咲ちゃんまで、要注意人物と評価されていた。


「昨日、何が一番怖かった?」


 相馬先輩が聞きました。


 私は少し考えました。


「……本人の知らないところで、情報が集められていたことです」


「うん」


「しかも、それが他の会社にも共有されていた」


「そうだ」


「さらに、登録を拒否したら家を借りられなくなるように言われた」


「うん」


「情報を持っている側が、相手を支配しようとしていたんです」


 相馬先輩が頷きました。


「そこだ」


 私は、はっとしました。


 そうです。


 住民票コードの告知要求制限。


 データベース規制。


 開示。


 訂正。


 どれも、違う制度です。


 でも。


 共通しているのは。


 人の情報を、勝手な支配の道具にさせないこと。


「なるほど……」


 私は鉛筆を握りました。


「だから、住民票コードを教えろと要求すること自体を禁止する」


「うん」


「他人に提供するためのデータベース化も制限する」


「うん」


「本人が自分の情報を確認する道も用意する」


「そうだ」


「間違っていたら、訂正の申出もできる」


 相馬先輩が頷きました。


「そう考えれば、全部つながるだろ」


 私は思わず笑いました。


「つながりました!」


「よかったな」


「はい!」


 住民基本台帳法。


 最初は、住所を登録するだけの法律だと思っていました。


 でも。


 その奥には、人間の情報をどう扱うべきかという、大きな問題があるのです。


「よし」


 片桐所長が、帳簿を閉じました。


「確認問題だ」


「はい!」


 私は姿勢を正しました。


「住民票コードは何桁だ」


「十一桁です!」


「個人番号は」


「十二桁です!」


「同じ番号か」


「違います!」


「住民票コードを指定するのは」


「地方公共団体情報システム機構です!」


「住民基本台帳を作成するのは」


「市町村長です!」


「住民票コードは、引っ越したら変わるか」


「原則として変わりません!」


「本人が変更を請求できるか」


「できます!」


「希望の番号を指定できるか」


「できません!」


 所長が頷きました。


「では、民間の不動産会社が、賃貸借契約の申込者に住民票コードを要求できるか」


「できません! 第三十条の三十八第二項です!」


「第三者提供を予定して、業として住民票コードを含む検索可能なデータベースを構築できるか」


「できません! 同条第三項です!」


「違反したら、直ちに第四十三条第一号の刑罰か」


「違います!」


 私は勢いよく答えました。


「第二項又は第三項の違反について、反復のおそれがある場合には知事が勧告できます。勧告に従わなければ、審議会の意見を聴いて期限を定めた命令ができ、その命令に違反した場合に第四十三条第一号の刑罰が問題になります!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「一息で言いやがった」


「大事ですから!」


 所長が続けました。


「刑罰は」


「一年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金です!」


「自己の本人確認情報の開示請求は」


「都道府県知事又は機構に対して、書面で行います!」


「開示は何日以内だ」


「受理した日から三十日以内です!」


「訂正の申出は口頭でできるか」


「できません! 書面です!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 やった。


 今なら、住民票コードの制度をかなり整理して説明できます。


「じゃあ、最後に俺から一問」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「昭和六十三年に、住民票コードはあるか?」


「ありません!」


「住基ネットは?」


「ありません!」


「地方公共団体情報システム機構は?」


「ありません!」


「じゃあ、昨日の黒田商事を、未来の第三十条の三十八で処罰できるか?」


「できません!」


「何でだ?」


「その法律の規定が、まだ存在しないからです!」


 相馬先輩が頷きました。


「よし」


 私は得意になって続けました。


「しかも、黒田商事が使っていたのは独自管理番号です!」


「そうだ」


「住民票コードではありません!」


「そうだな」


「だから、たとえ現代でも、住民票コード固有の規制と、一般の個人情報の問題は分けて考えます!」


 相馬先輩が笑いました。


「やっと分かってきたじゃねえか」


「褒めましたね!」


「まあな」


「……えっ」


 私は固まりました。


 相馬先輩が、素直に褒めた。


 珍しい。


 これは事件です。


「先輩!」


「何だ」


「今の、もう一回言ってください!」


「断る」


「何でですか!」


「一回で覚えろ」


 ……。


 なるほど。


 法律だけでなく、褒め言葉にも保存義務を設けてほしいところです。


 私は、ノートの最後のページを開きました。


 ここに。


 今日の一行を書きます。


 鉛筆の先を整えて。


 ゆっくり。


 ――住民票コードは十一桁。むやみに聞かせず、売るための名簿にさせず、命令違反には罰則。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「本当ですか!」


「ああ」


「やりました!」


 私は嬉しくなりました。


 でも。


 この一行の意味は、単なる試験対策ではありません。


 昨日の事件。


 佐伯佳代子さん。


 美咲ちゃん。


 あの二人を思い出せば、忘れません。


 家を借りようとしただけなのに。


 過去の住所を調べられ。


 家族構成を知られ。


 昔の家賃の遅れを持ち出され。


 勝手に要注意人物と評価された。


 あの事件では、住民票コードは使われていませんでした。


 けれど。


 人間の情報を、集めて、つなげて、他人へ渡す。


 それがどれほど危険なのか。


 私は、あの母娘から教わりました。


 番号があると便利になる。


 情報を探しやすくなる。


 手続も早くなる。


 でも。


 その便利さを、誰にでも無制限に与えてしまえば。


 人は、自分の知らないところで評価され、選別され、追いかけられるかもしれません。


 だから。


 法律は、番号の使い方に線を引くのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会、もう終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、机を片付けろ」


「え?」


「資料も整理しろ」


「はい」


「黒田商事の書類は、相談記録と一緒に保管しとけ」


「分かりました」


「それから、床も掃け」


「……また掃除ですか?」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「私には、個人情報を守られる権利があります」


「あるな」


「自分の情報を、勝手に利用されない利益もあります」


「そうだな」


「だから、先輩が私の掃除能力を勝手にデータベース化して、毎日掃除係に指定するのは問題です!」


 相馬先輩は、ぽかんとしました。


 そして。


「……お前、何を言ってるんだ」


「個人情報保護です!」


「ただの業務分担だろ!」


「私の能力を評価しているじゃないですか!」


「見習いだから掃除を頼んでるだけだ!」


 私は、さらに言いました。


「しかも、毎日です!」


「当たり前だ!」


「反復継続しています!」


「だから何だ!」


「これは知事の勧告が――」


「出るか!」


 相馬先輩が叫びました。


 私は笑いました。


 でも。


 そのとき。


「こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい!」


「掃除を頼む」


「……所長まで」


「業務の一つだ」


「はい……」


 私は箒を手に取りました。


 どうやら。


 住民票コードの告知要求制限を覚えても、掃除を免れることはできないようです。


 残念。


「先輩!」


「今度は何だ!」


「私の掃除回数を、十一桁の番号で管理しないでくださいね!」


「誰がするか!」


「個人情報です!」


「お前の掃除回数なんか、誰も買わねえよ!」


「ひどい!」


 私は笑いながら、床を掃き始めました。


 窓の外。


 夕暮れの町に、家々の明かりが灯っていきます。


 あのどこかで。


 佐伯佳代子さんと美咲ちゃんは、新しい家への引っ越しの準備をしているのでしょう。


 段ボールに食器を詰めて。


 古い写真を見つけて。


 新しい部屋に、どんな家具を置こうかと相談しながら。


 黒い名簿には。


 そんな生活は、書かれていませんでした。


 書かれていたのは。


 住所。


 年齢。


 管理番号。


 そして。


 D。


 ただ、それだけ。


 でも。


 人間の生活は、そんなものではありません。


 数字だけでは分からないことがある。


 記録だけでは分からない事情がある。


 過去の一度の失敗だけでは、決められない未来がある。


 それを忘れたとき。


 情報は、人を守る道具ではなく、人を傷つける道具になってしまうのです。


 私は箒を止め、ノートの最後の一行をもう一度読みました。


 ――住民票コードは十一桁。むやみに聞かせず、売るための名簿にさせず、命令違反には罰則。


 よし。


 覚えました。


 住民票コード。


 十一桁。


 個人番号。


 十二桁。


 告知要求制限。


 データベース規制。


 勧告。


 命令。


 罰則。


 開示。


 訂正。


 最初は、ただの難しい条文の集まりでした。


 でも。


 今なら、それぞれの意味が分かります。


 番号を作るのは、行政事務を正確で便利にするため。


 番号を自由に要求させないのは、むやみに集められる危険を防ぐため。


 第三者提供を予定したデータベースの構築を禁止するのは、番号を使った広範囲な情報の結合を防ぐため。


 開示や訂正の制度があるのは、本人が自分の情報を確かめ、誤りに対応できるようにするため。


 そして。


 命令違反に罰則があるのは、禁止のルールを実際に守らせるため。


 全部、つながっています。


「相馬先輩!」


「今度は何だ!」


「やっぱり住民基本台帳法って、面白いですね!」


「面白がってる暇があったら掃除しろ!」


「はいっ!」


 私は箒を動かしました。


 法律の勉強は、まだまだ続きそうです。


 ただし。


 これからは、十一桁の数字を見ても、単なる番号だとは思いません。


 その番号が、誰のために使われるのか。


 誰が管理するのか。


 誰が要求できるのか。


 誰に提供されるのか。


 そこを、必ず確かめることにします。


 だって。


 番号は、人を識別することができても。


 人の価値を決めることまでは、できないのです。


 そして。


 住民基本台帳法は、その当たり前のことを守るために、便利さへ制限をかける法律でもあるのでした。

 以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイファンタジー〔ファンタジー〕
魔術師こはるの物語 ―― 火力不足で追放された少女は、古代魔法の法理を読み解き世界を書き換える
その他〔その他〕
さくら司法書士補助者の法務帳 〜 昭和に転生して泥沼の争いを収めたら、実務と試験知識が完全にリンクしました 〜
こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜
宅建見習い栞の人情事件簿 〜転生したら昭和の不動産屋だったので、巻き込まれているうちに宅建過去問が解けるようになりました〜
推理〔文芸〕・歴史〔文芸〕
名探偵 藤原彰子の宮中事件簿 ――『転生皇后 藤原彰子』スピンオフ外伝
転生皇后 藤原彰子 〜 欠けることのない望月の世は私が創る 〜
新訳 太閤記 ~ 転生 豊臣秀吉、未来を識る僕は史実の道を静かに歩む 〜
美しき女帝 北条政子 〜 婚約破棄どころか強制結婚!? 平家のエリートに嫁がされそうになったので、豪雨の山を越えて愛する無職の元へ走ってみた 〜
歴史〔文芸〕 新訳セレクション ── 古典のハードル、下げておきました。
詩〔その他〕・エッセイ〔文芸〕
箴言・格言・名言集 〜頑張るあなたへ、今日を乗り越えるための一言〜
拝啓、愛読者様。― 想いを少しだけ 謹呈 条文小説
歴史〔文芸〕(六道輪廻抄)&関連作品
六道輪廻抄 〜 戦国転生記 〜
コミックス「六道輪廻抄〜戦国転生記〜」
動画生成AIが作成したイメージビデオ
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。