[戸籍法・出生、認知、死亡、未成年後見]法理編 こはるノート
人は、生まれた瞬間から生きています。
けれど。
その人がいつ生まれたのか。
誰の子供なのか。
誰が亡くなったのか。
誰が未成年者を守る立場にあるのか。
それを法律上の記録として残すには、手続が必要です。
しかも。
その手続には、期限があります。
出生は十四日。
死亡は七日。
未成年後見開始は十日。
たった一日でも、期限を間違えれば問題になりかねません。
そして。
もっと怖いのは。
「家族だから、誰でも届け出られる」
「どこの役所でも、同じように手続できる」
「親がいないなら、祖父が自動的に後見人になる」
そんな思い込みです。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、一冊のノートを開いていました。
表紙には、大きくこう書いてあります。
――こはるノート・戸籍法編。
「……先輩」
「何だ」
「戸籍法って、数字の暗記地獄じゃないですか?」
相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「今さら気づいたのか」
「だって!」
私はノートを指差しました。
「十四日! 七日! 十日! それから認知の十日! さらに胎児認知の十四日!」
「全部同じに見えるか?」
「見えます!」
「じゃあ落ちるな」
「縁起でもないこと言わないでください!」
相馬先輩は鼻で笑いました。
「だったら、あの赤ん坊を思い出せ」
私は手を止めました。
結衣ちゃん。
生後十二日で、出生届がまだ提出されていなかった女の子。
父親は出生前に死亡。
母親も、出産後に死亡。
祖父は、
「婚外子だから、戸籍に載せるな」
と反対していました。
でも。
戸籍法には、父母が届出できない場合の仕組みがあった。
病院の院長が、法律に従って出生届を提出した。
さらに。
亡くなった父親は、結衣ちゃんが生まれる前に胎児認知の届出をしていた。
そして。
十一歳の兄、翔太君。
親権を行う人がいなくなり、未成年後見人の選任が必要になった。
最終的には叔父の修一さんが家庭裁判所で選任され、後見開始の届出を行った。
出生。
認知。
死亡。
未成年後見。
あの事件には、戸籍法の大切な仕組みが詰まっていたのです。
「よし!」
私は鉛筆を握りました。
「今日は、全部整理します!」
「昨日もそう言ってなかったか」
「昨日は事件です! 今日は試験対策です!」
「面倒くせえな」
そのとき。
奥から片桐所長が声をかけました。
「相馬」
「はい」
「付き合ってやれ」
「……所長まで」
やった。
今日も強制勉強会、開催です。
まず、私はノートの一番上に書きました。
――戸籍事務を管掌するのは、誰か。
「先輩!」
「何だ」
「戸籍を管理しているのは、誰でしょう!」
「市町村長だ」
「正解です!」
「俺に問題を出すな」
私は笑いました。
戸籍法第二条。
戸籍に関する事務は、法律に別段の定めがある場合を除き、市町村長が管掌する。
つまり。
戸籍事務の中心は、市区町村の役所です。
「じゃあ、法務大臣は関係ないんですか?」
私は聞きました。
片桐所長が答えました。
「関係ある」
「はい!」
「戸籍法第三条だ」
法務大臣は、市町村長が戸籍事務を処理するに当たって従うべき基準を定めることができます。
「なるほど」
私は書きました。
市町村長。
戸籍事務を管掌。
法務大臣。
戸籍事務の処理基準を定めることができる。
「つまり、役割が違うんですね」
「そうだ」
相馬先輩が言いました。
「市役所の窓口に出生届を出すのと、法務大臣が処理基準を定めるのは別の話だ」
「はい!」
私は大きく丸をつけました。
戸籍事務。
誰が実際に取り扱うのか。
その基本を押さえなければ、届出先の話にも進めません。
「では次!」
私はページをめくりました。
――戸籍届出は、どこでするのか。
「本籍地!」
私は言いました。
「それだけか?」
相馬先輩が聞きました。
「届出人の所在地!」
「そうだ」
戸籍法第二十五条第一項。
届出は、原則として。
本人の本籍地。
または、届出人の所在地。
このいずれかで行います。
「でも先輩」
「何だ」
「結衣ちゃんの事件では、出生地でも届出できましたよね」
「ああ」
「それが特例です!」
私はノートに書きました。
――原則と特例を混同しない。
これです。
戸籍法は、基本的な届出先を決めています。
でも。
すべての届出を、その原則だけで処理するわけではありません。
出生には出生の特例。
胎児認知には胎児認知の特別な届出地。
「先輩、これを知らなかったら、私、鹿児島まで飛んでいくところでした」
「本気で行こうとしてたな」
「だって、本籍地が鹿児島だったんです!」
「出生届は、子の出生地でも出せるだろ」
「はい……」
昭和六十三年。
戸籍は紙で管理されています。
本籍地から離れた場所で戸籍謄本を取得するには、本籍地の役所に請求する必要がありました。
遠方なら、郵送や連絡に時間がかかります。
現代の感覚で、
「近くの役所で全国の戸籍を検索すればいい」
なんて考えてはいけません。
「未来の便利な制度を当てにするなよ」
相馬先輩が言いました。
「……はい」
私は苦笑しました。
令和八年には、戸籍の電算化が進み、令和六年三月から戸籍証明書等の広域交付制度も始まっています。
一定の条件を満たせば、本籍地以外の市区町村でも戸籍証明書を請求できます。
ただし、請求できる人や対象となる証明書には制限があります。
マイナンバーカードさえあれば、誰でも全国すべての戸籍を自由に取得できるわけではありません。
でも。
昭和六十三年には、その広域交付制度自体が存在しない。
「所長」
「何だ」
「昭和の戸籍実務って、移動と郵便との戦いですね」
「そうだな」
「現代ならデータで確認できることも、紙を取り寄せないといけない」
「それが当たり前だった」
私は頷きました。
制度が便利になることは、大切です。
でも。
届出先の原則を知らなければ、便利な時代でも判断を誤ります。
まずは。
本籍地か、届出人の所在地。
そして、個別の特例。
そこを忘れないようにします。
「では、出生届です!」
私はノートに大きく書きました。
――出生届・十四日以内。
「結衣ちゃんですね」
「ああ」
「生後十二日で、まだ届出が出ていなかった」
「そうだ」
「あと二日しかなかった!」
私は思い出して、少し緊張しました。
戸籍法第四十九条。
出生の届出は、十四日以内にしなければなりません。
ただし。
国外で出生があった場合は、三か月以内です。
「ここ、数字が二つありますね」
「そうだな」
「国内十四日、国外三か月!」
私は二重線を引きました。
「先輩、なぜ国外だけ長いんですか?」
「外国で生まれたら、国内と同じようには手続できねえだろ」
「なるほど」
国外では、在外公館や本籍地への届出など、国内とは異なる事情があります。
だから期間にも違いが設けられている。
「ただし」
片桐所長が言いました。
「国外出生では、国籍留保など別の問題にも注意が必要だ」
「あっ」
私は顔を上げました。
「出生届の三か月という期限だけ覚えていても、それで全部終わりじゃないんですね」
「そうだ」
国外で生まれ、外国の国籍も取得する日本国民については、国籍法上の留保の問題が生じることがあります。
戸籍法の期限と、国籍法上の要件。
これらを混同してはいけません。
「……法律って、一つ覚えると別の法律が出てきますね」
「当たり前だ」
「終わりが見えません!」
「受験生だろ。覚えろ」
「はい!」
私は鉛筆を握り直しました。
「次は、出生届に何を書くかです」
私は結衣ちゃんの出生届を思い出しました。
まず、子供の氏名。
そして。
男女の別。
嫡出子か、嫡出でない子か。
出生の年月日時分。
出生場所。
父母の氏名と本籍。
父母の出生年月日や年齢。
世帯主との続柄。
世帯の主な仕事など。
「結構ありますね……」
「名前だけ書けばいいと思ってたのか?」
相馬先輩が言いました。
「思ってません!」
「本当か?」
「ちょっとだけ思ってました!」
「正直だな」
私は笑いました。
でも。
ここで大事なのは。
出生届に何を書くかは、本人の好みで決められないということです。
たとえば。
結衣ちゃんは、婚姻していない父母の間に生まれました。
そのため、出生届における嫡出子・嫡出でない子の区分が問題になります。
「ここを、大崎源蔵さんは嫌がっていたんですよね」
「ああ」
「戸籍に傷がつくって」
私は少し悲しくなりました。
昭和六十三年。
戸籍の記載や婚外子への社会的偏見が、結婚や家族関係に影響することもありました。
でも。
法律上の区分と、その子の人間としての価値は別です。
「先輩」
「何だ」
「嫡出でない子って、法律上の区分ですよね」
「そうだ」
「その子が劣っている、という意味じゃない」
「当たり前だ」
私は頷きました。
現代では、婚外子の相続分を嫡出子の半分とする旧民法の規定も、違憲判断を受けて改正されています。
戸籍の記載方法も変化してきました。
ですが、昭和六十三年では、まだ古い制度や社会的な考え方が残っています。
「だからこそ」
私は言いました。
「結衣ちゃんの出生を、隠させてはいけなかったんですね」
片桐所長が頷きました。
「そうだ」
「届出書には、法律に従った正確な事実を書く」
「ああ」
「祖父の希望で、父母の関係を勝手に書き換えるわけにはいかない」
「そのとおりだ」
私はノートに書きました。
――戸籍の記載は、家族の見栄ではなく、法律上の事実に従う。
この一行は、少し太く書きました。
「次は名前です!」
私は勢いよく言いました。
「結衣ちゃん!」
「またか」
相馬先輩が笑いました。
「だって、いい名前じゃないですか!」
「それは分かった」
「でも名前にもルールがあるんです!」
戸籍法第五十条。
子の名には、常用平易な文字を用いなければなりません。
常用漢字。
人名用漢字。
平仮名。
片仮名。
法律や法務省令で認められた範囲の文字を使います。
「じゃあ、親が好きな漢字を作ってもいいんですか?」
私は聞きました。
「認められていない文字を、勝手に戸籍の名前として使えるわけじゃねえ」
「ですよね!」
私は書きました。
子の名。
常用平易な文字。
使用できる文字の範囲に注意。
「結衣は問題ありませんでした」
「ああ」
「でも、難しい漢字を使おうとしていたら、確認が必要だったんですね」
「そうだ」
名前は、親が子供に贈る大切なもの。
けれど。
戸籍に記録する以上、使える文字には決まりがある。
「所長」
「何だ」
「名前をつける自由と、戸籍に使える文字の制限は、別なんですね」
「そうだ」
私は頷きました。
そして、結衣ちゃんのお母さんが残した便箋を思い出しました。
――人と人を結ぶ、優しい子になりますように。
法律上使える文字であること。
そして、そこに込められた願い。
どちらも。
大切なことなのです。
「では、届出先!」
私はノートをめくりました。
出生届。
戸籍法第五十一条。
「先輩、出生届はどこに出せますか?」
「お前が言え」
「はい!」
私は指を一本立てました。
「子の出生地!」
二本目。
「届出人の所在地!」
三本目。
「本籍地!」
相馬先輩が頷きました。
「基本はそれだ」
「結衣ちゃんは、静岡県の病院で生まれました」
「ああ」
「だから、出生地である市の役所に届け出られた」
「そういうことだ」
私は大きく丸をつけました。
ここを知らなかったら。
本籍地が鹿児島だからといって、余計な時間を費やしていたかもしれません。
「じゃあ先輩!」
「何だ」
「汽車の中で生まれたら?」
相馬先輩は笑いました。
「昨日、電話が来たな」
「はい!」
戸籍法第五十一条第二項。
汽車その他の交通機関の中で出生があったときは、母がその交通機関から降りた地で、出生の届出をすることができます。
「つまり!」
私は言いました。
「汽車の中で生まれた赤ちゃんは、お母さんが降りた地でも届け出られる!」
「そうだ」
「これ、すごく覚えやすいですね!」
「なぜだ」
「駅で赤ちゃんを抱いて降りる場面を想像すればいいんです!」
私は目を閉じました。
昭和の汽車。
ガタンゴトン。
突然の出産。
周囲の乗客が大慌て。
次の駅で降りるお母さん。
そして。
その場所が、出生届の届出地になる。
「……なるほど!」
「何がなるほどだ」
「映像で覚えれば忘れません!」
相馬先輩は呆れた顔をしました。
「変な勉強法だな」
でも。
試験では、こういう細かい特例が狙われます。
だから、私は続けました。
「さらに、船の中!」
「まだあるのか」
「あります!」
船舶で出生した場合にも、特別な規定があります。
まず、航海日誌を備えない小型船舶などの場合。
その船が最初に入港した地で、出生届をすることができます。
一方。
航海日誌を備える義務のある船舶では、手続が異なります。
「先輩!」
「何だ」
「船長の出番です!」
「船長?」
私は戸籍法第五十五条を開きました。
航海中に出生があったとき。
船長は、二十四時間以内に、航海日誌に出生に関する事項を記載し、署名しなければなりません。
「二十四時間!」
私は赤線を引きました。
「出生届の十四日より短い!」
「別の義務だからな」
「そうなんです!」
船長の航海日誌への記載。
これが二十四時間以内。
さらに。
船が日本の港に到着したときは、船長が遅滞なく航海日誌の謄本を、その地の市町村長に送付する。
外国の港に到着した場合には、日本の大使、公使または領事を経由する手続がある。
「……複雑!」
私は頭を抱えました。
「先輩、船長さんって大変ですね」
「船の責任者だからな」
「赤ちゃんが生まれたら、航海日誌も書く!」
「そうだ」
「海の上でも戸籍法が追いかけてくる!」
「変な言い方をするな」
私は笑いました。
でも。
これも大切なことです。
どこで生まれても。
交通機関の中でも。
海の上でも。
出生の事実を記録するための道が用意されている。
だから、例外が細かく定められているのです。
「さて」
相馬先輩が新聞を置きました。
「一番大事な問題が残ってるぞ」
「何ですか?」
「誰が出生届を出すか、だ」
私は顔を上げました。
「結衣ちゃんの事件ですね!」
「ああ」
私はノートに大きく書きました。
――出生届の届出義務者。
戸籍法第五十二条。
まず。
嫡出子の出生届は、父または母が行います。
子の出生前に父母が離婚していた場合には、母が届け出ます。
一方。
嫡出でない子の出生届は、母が行います。
「ここ、違うんですね」
「そうだ」
相馬先輩が言いました。
「嫡出子と、嫡出でない子。届出義務者の規定を混同するな」
「はい!」
私は続けました。
「でも、結衣ちゃんのお母さんは亡くなっていました」
「ああ」
「お父さんも、出生前に死亡」
「そうだ」
「だから、届出できなかった」
ここで。
戸籍法には、代わりに届出をする仕組みがあります。
届出義務者が届出できない場合。
まず、同居者。
次に、出産に立ち会った医師、助産師その他の者。
法律で定められた順序があります。
「それから、法定代理人による届出も認められているんですよね」
「そうだ」
私は頷きました。
ここで重要なのは。
「母親が届け出られないから、出生届は出せない」
とはならないこと。
法律は、別の届出義務者や届出方法を定めています。
「でも、結衣ちゃんの場合は病院でした」
「ああ」
「だから五十六条!」
私はページをめくりました。
病院。
刑事施設。
その他の公設所。
そうした施設で出生があり、父母が共に届出をすることができない場合。
公設所の長または管理人が、出生を届け出なければならない。
「これが、結衣ちゃんを救った条文です!」
私は言いました。
相馬先輩が頷きました。
「そうだ」
「お母さんが亡くなっていても」
「ああ」
「お父さんも死亡していても」
「ああ」
「公設所の長や管理人が、法律に従って届出をする!」
「そういうことだ」
私は大きく丸をつけました。
――公設所で父母が共に届出不能なら、長または管理人。
「所長」
「何だ」
「これ、刑務所の中で赤ちゃんが生まれた場合にも関係するんですよね」
「そうだ」
たとえば。
母親が刑事施設内で出産した。
父母が共に届出をすることができない。
そのような場合には、施設の長や管理人が届出義務を負うことがあります。
「なるほど……」
私は鉛筆を止めました。
「戸籍法って、親が届け出られない事情まで考えてるんですね」
「そうだ」
「出生届は、親が役所に行けることだけを前提にしていない」
私は少し胸が熱くなりました。
病気。
死亡。
刑事施設への収容。
いろいろな事情で、親自身が届出できない場合がある。
でも。
赤ちゃんが生まれた事実は変わりません。
だから、法律は代わりに動く人を定めている。
「これ、覚えられそうです!」
「今度こそ忘れるなよ」
「はい!」
私は結衣ちゃんの写真を見ました。
あのとき。
祖父は出生届を止めようとしていました。
けれど。
法律上の届出義務は、祖父の好みで消えるものではありません。
そして。
親がいなくなっても。
出生を届け出る道は、残されていたのです。
「次は、認知です!」
私はページをめくりました。
――認知。
婚姻していない父母の間の子について、法律上の父子関係を成立させるための制度。
「結衣ちゃんのお父さんですね」
「ああ」
「亡くなる前に、胎児認知の届出をしていた」
私は、その話を思い出しました。
高瀬直人さん。
結衣ちゃんの父親。
結婚する前に事故で亡くなった男性。
でも。
亡くなる前に、鹿児島まで行っていた。
結衣ちゃんのお母さん、美咲さんの本籍地。
そこで。
胎児認知の届出をしていたのです。
「所長」
「何だ」
「認知って、父親が『自分の子供です』と言えば成立するんですか?」
「法律上の方式がある」
「そうですよね」
私は戸籍法第六十条を開きました。
認知をしようとする人は、法律で定められた事項を記載して届け出ます。
父が認知する場合には、母の氏名と本籍などが必要になります。
「でも先輩」
「何だ」
「結衣ちゃんは、生まれる前に認知されていました」
「ああ」
「胎児でも認知できるんですよね」
片桐所長が頷きました。
「母の承諾が必要だがな」
「あっ!」
私は民法を開きました。
胎児認知。
父は、胎内にある子も認知できます。
ただし、母の承諾が必要です。
「ここ、戸籍法だけ見ていたら忘れそうですね!」
「そうだ」
所長が言いました。
「戸籍法は届出手続を定める。認知そのものの実体的な要件は、民法も確認しろ」
「はい!」
私はノートに二重線を引きました。
――胎児認知には、母の承諾が必要。
さらに。
戸籍法第六十一条。
胎児を認知する場合には、届書にその旨と母の氏名・本籍を記載する。
そして。
母の本籍地で届け出なければなりません。
「先輩!」
「何だ」
「ここ、出生届とは違うんです!」
「そうだ」
「出生届は出生地でも出せる!」
「ああ」
「でも、胎児認知は母の本籍地!」
「そのとおり」
私は赤線を引きました。
――胎児認知は、母の本籍地。
これです。
今回の事件では。
出生届は静岡県の出生地。
胎児認知は鹿児島県の母の本籍地。
同じ赤ちゃんに関する手続なのに。
届出先が違った。
「所長」
「何だ」
「これ、完全に試験のひっかけ問題ですね」
「そうだな」
「全部、本籍地って覚えていたら間違えます」
「ああ」
「全部、所在地でもいいって覚えていても間違えます!」
私は大きく頷きました。
戸籍法は。
届出ごとに、場所を確認しなければならない。
そこが重要なのです。
「でも先輩」
「何だ」
「直人さんは、結衣ちゃんが生まれる前に亡くなっていますよね」
「ああ」
「それでも、認知の効果はあるんですか?」
片桐所長が答えました。
「適法な胎児認知がなされ、その子が生きて生まれれば、法律上の父子関係が認められる」
「……なるほど」
私は頷きました。
認知には、民法上、出生時にさかのぼる効力が認められます。
胎児認知についても、子が生きて出生した場合の法的な効果を考える必要があります。
だから。
直人さんが結衣ちゃんの出生前に死亡していても。
受理された胎児認知が、適法になされていれば。
その子の法律上の父親としての地位が問題になる。
「おじいさんが紙を隠していても?」
私は聞きました。
「受理済みの届出が消えるわけではない」
所長が答えました。
「そうですよね!」
私は思い出しました。
源蔵さんは、認知届の控えを隠していました。
でも。
役所で受理された届出の事実は、手元の控えを破いたり隠したりしただけで消えるわけではありません。
「認知って、すごいですね」
私は呟きました。
「何がだ」
相馬先輩が聞きました。
「亡くなったお父さんが、自分の子供だと認めた事実が、法律上も残るんです」
「そうだな」
「結衣ちゃんが大きくなったとき、お父さんとの法律上のつながりを確認できる」
私は少し微笑みました。
戸籍法は。
ただ名前を書き込むだけの法律ではない。
民法上の身分関係を、戸籍に正しく反映させるための手続も定めているのです。
「さて、認知にはまだ続きがあるぞ」
相馬先輩が言いました。
「えっ!」
「裁判による認知だ」
「ああ!」
私はノートをめくりました。
認知は、父親が自発的に届け出る場合だけではありません。
裁判によって、認知が認められる場合もあります。
「戸籍法六十三条ですね!」
「そうだ」
認知の裁判が確定したとき。
訴えを提起した者は、裁判が確定した日から十日以内に、裁判の謄本を添付して、認知の届出をしなければなりません。
「十日!」
私は赤線を引きました。
「また十日!」
「そうだ」
「しかも、確定した日から!」
「そこだ」
相馬先輩が頷きました。
裁判による認知。
十日以内。
起算点は、裁判が確定した日。
さらに、届書には裁判が確定した日を記載します。
「先輩、もし訴えた人が届出をしなかったら?」
「相手方にも届出できる仕組みがある」
私は六十三条第二項を確認しました。
訴えを提起した者が届出をしない場合には、その相手方が、裁判の謄本を添付して届け出ることができます。
「なるほど!」
私は頷きました。
裁判で認知が確定した。
でも届出がされない。
それでは戸籍への反映が進みません。
だから、相手方にも届出の道が用意されている。
「これも、本人以外が動ける仕組みですね」
「そうだ」
私は大きく丸をつけました。
そして。
「次は遺言による認知です!」
戸籍法第六十四条。
遺言によって子を認知する場合。
遺言執行者は、その就職の日から十日以内に、認知に関する遺言の謄本を添付して、届出をしなければなりません。
「ここも十日!」
私は言いました。
「でも、起算点が違う!」
相馬先輩が頷きました。
「言ってみろ」
「裁判による認知は、裁判確定の日から十日!」
「うん」
「遺言による認知は、遺言執行者の就職の日から十日!」
「正解」
私は思わず拳を握りました。
「やった!」
「何がだ」
「数字だけ覚えていたら、絶対間違えるところです!」
私はノートに書きました。
裁判認知。
裁判確定の日から十日。
遺言認知。
遺言執行者の就職の日から十日。
「先輩」
「何だ」
「同じ十日でも、スタート地点が違うんですね」
「ああ」
「だから戸籍法は、数字だけじゃなくて起算点も覚えないといけない!」
相馬先輩は少し笑いました。
「やっと分かったか」
「はい!」
私は頷きました。
法律の期限。
何日以内か。
それだけでは足りません。
いつから数えるのか。
誰が届け出るのか。
何を添付するのか。
そこまで覚えて、初めて使える知識になるのです。
「ところで、こはる」
片桐所長が言いました。
「はい?」
「認知された胎児が、死体で生まれた場合はどうなる」
……。
私は止まりました。
「……え?」
所長は静かに続けました。
「戸籍法六十五条だ」
私は六法を開きました。
そこには。
認知された胎児が死体で生まれた場合について、特別な届出が定められていました。
「……十四日以内」
私は読みました。
「その事実を知った日から十四日以内に、認知の届出地で届け出る……」
私は顔を上げました。
「胎児認知をしていても、生きて生まれるとは限らないんですね」
「そうだ」
所長が頷きました。
「だから、その場合の届出も必要になる」
私は続けて確認しました。
原則として、出生届出義務者が届出をします。
ただし。
父が既に死亡していて、遺言による認知があり、遺言執行者が認知届を出した場合には、遺言執行者が届け出ることになります。
「……ここも、届出する人が変わるんですね」
「そうだ」
私は頷きました。
胎児認知。
母の本籍地。
母の承諾。
出生。
そして、死体で生まれた場合の届出。
一つの制度でも、場合によって手続は細かく分かれる。
「法律って、本当にいろいろな場合を想定しているんですね」
私は呟きました。
相馬先輩が言いました。
「想定しておかなきゃ、困る人が出るからな」
私はその言葉に頷きました。
「次は死亡届です!」
私はノートをめくりました。
――死亡届・七日以内。
「結衣ちゃんのお母さん、美咲さんですね」
「ああ」
「亡くなったあと、親族が死亡届を出していなかった」
私は思い出しました。
出生届ばかり気にしていた私。
でも。
片桐所長が尋ねたのです。
「母親の死亡届は?」
あの一言。
本当に、はっとしました。
「先輩」
「何だ」
「死亡届の期限は、死亡した日から七日以内ですか?」
相馬先輩が顔を上げました。
「違う」
「ですよね!」
「死亡の事実を知った日からだ」
「そうです!」
私は大きく書きました。
――死亡の事実を知った日から七日以内。
ここ。
重要です。
死亡した日。
死亡を知った日。
同じとは限りません。
「たとえば」
私は言いました。
「遠方で暮らしていた親族が、亡くなってから数日後に死亡を知った場合」
「ああ」
「死亡した日から機械的に数えるわけではない」
「そういうことだ」
死亡届については、死亡の事実を知った時点が重要になります。
「だから、死亡の日付だけ覚えていても駄目なんですね」
「そうだ」
私は二重線を引きました。
そして。
「届出義務者も大事です!」
死亡届については、同居の親族、その他の同居者、家主や家屋管理人など、法律が定める届出義務者がいます。
また、同居していない親族など、届出をすることが認められる人もいます。
「修一さんは、亡くなった美咲さんの弟でした」
「ああ」
「同居していない親族でも、死亡届を出せる場合がある」
「そうだ」
私は頷きました。
ここも。
誰でも好き勝手に届け出てよいわけではありません。
でも。
必ず同居していた人しか出せないわけでもない。
義務者と、届出できる人。
この区別が大切です。
「所長」
「何だ」
「死亡届にも、届出先の特例があるんですよね」
「ああ」
死亡届は、基本的な届出先のほか、死亡地などで届け出ることができます。
だから。
出生届と同じように、個別の規定も確認する必要がある。
「戸籍法って、場所の特例が多いですね」
「そうだな」
私は笑いました。
出生。
出生地。
死亡。
死亡地。
ただし、個別の規定を正確に確認する。
それが大事です。
「……覚えること、まだまだありますね」
「ようやく分かったか」
「先輩、それ今日三回目です!」
「三回言わねえと忘れるだろ」
「否定できません!」
私は笑いながら、ノートをめくりました。
「さて」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「最後は、未成年後見だ」
「はい!」
私は姿勢を正しました。
翔太君。
十一歳。
母親を亡くした男の子。
父親も、以前に死亡していました。
そして。
妹の結衣ちゃんを守りたいと、叔父の修一さんと一緒に暮らすことを希望していた。
「所長」
「何だ」
「未成年後見人って、どういう人ですか?」
「親権を行う者がいない未成年者などを保護するため、法律上の権限と責任を持つ者だ」
「はい」
私はノートに書きました。
未成年後見人。
親権を行う者がいない場合などに、未成年者を法律上保護する立場の人。
「ただし」
相馬先輩が言いました。
「祖父だから自動的に後見人、ってわけじゃねえぞ」
「そうです!」
私は頷きました。
あの事件では。
大崎源蔵さんが、
「自分が祖父だから決める」
と言っていました。
でも。
それは違います。
祖父だから。
家長だから。
財産があるから。
そんな理由だけで、当然に未成年後見人になるわけではありません。
親権を行う人がいないかを確認する。
遺言による後見人の指定があるかを確認する。
必要に応じて家庭裁判所で後見人を選任する。
「翔太君の場合は、家庭裁判所で修一さんが選任されました」
「ああ」
「でも、そこで終わりじゃなかった」
「そうだ」
私は戸籍法第八十一条を開きました。
未成年後見開始の届出。
未成年後見人は、その就職の日から十日以内に届け出なければなりません。
「十日!」
私は赤線を引きました。
「また十日!」
「そうだ」
「しかも、就職の日から!」
相馬先輩が頷きました。
「裁判による認知の十日とは違うな」
「はい!」
私は書きました。
未成年後見開始。
未成年後見人が届出。
就職の日から十日以内。
「ところで先輩」
「何だ」
「就職って、会社に入社することですか?」
相馬先輩が笑いました。
「違う」
「ですよね!」
「未成年後見人として、その地位に就くことだ」
「そうです!」
私はノートに書きました。
就職の日。
後見人としての地位に就いた日。
「会社員になることじゃない!」
「当たり前だろ」
「でも試験で『就職』って出ると、ちょっと紛らわしいです!」
「お前だけだ」
「ひどい!」
私は笑いました。
未成年後見人になる場合。
家庭裁判所の選任など、法律上の原因によって地位が生じます。
その日を正確に確認して、届出期限を数えなければならないのです。
「では、後見開始届には何を書くか」
私はノートに書きました。
未成年後見開始の原因。
その年月日。
未成年後見人が就職した年月日。
「翔太君の場合は、修一さんが選任された事情などを確認しました」
「ああ」
「そして、就職の日から十日以内に届出をした」
「そうだ」
私は大きく頷きました。
ここで、もう一つ大事なことがあります。
未成年後見人の地位が生じることと、戸籍への届出は別の問題です。
「所長」
「何だ」
「戸籍に届出をしたから、初めて家庭裁判所の選任の効力が生まれるわけじゃないんですよね」
「そうだ」
「選任などによって後見人の地位が生じ、その事実を戸籍に届け出る」
所長が頷きました。
「そこを混同するな」
「はい!」
私は二重線を引きました。
――後見人になる原因と、戸籍への届出は区別する。
なるほど。
戸籍法は、法律上生じた身分関係などを正確に記録するための法律。
届出そのものが身分関係を成立させる場合もあれば、既に生じた法律上の事実を届け出る場合もあります。
「ここ、大事ですね」
「そうだ」
私は頷きました。
戸籍法の条文を読むときは。
この届出が、どんな役割を持つのか。
そこまで考えなければいけないのです。
「まだ終わりじゃないぞ」
相馬先輩が言いました。
「ええっ!」
「未成年後見人が死亡したら?」
私は止まりました。
「……死亡?」
「そうだ」
私は戸籍法第八十二条を開きました。
未成年後見人が死亡した。
あるいは、欠格事由に該当することになった。
その結果、未成年後見人が欠けた。
そんな場合にも、戸籍への届出が必要になります。
「なるほど……」
私は頷きました。
後見人は、一度決まったら永遠に同じ人というわけではありません。
死亡することもある。
法律上、後見人の地位を失うこともある。
その場合。
誰が届け出るのか。
いつまでに届け出るのか。
また決まりがあります。
「先輩!」
「何だ」
「後任者が就職した場合は、就職の日から十日以内ですね!」
「そうだ」
後見人が欠けた場合。
後任者は、就職の日から十日以内に、前任者が地位を失った旨を届け出なければなりません。
また。
未成年者本人。
親族。
未成年後見監督人。
こうした人にも届出が認められています。
「なるほど!」
私はノートに書きました。
後見人が欠けた場合。
後任者。
就職の日から十日以内。
そして、届出できる人にも注意。
「でも先輩」
「何だ」
「複数の未成年後見人がいる場合は?」
相馬先輩が笑いました。
「いいところに気づいたな」
「褒めましたね!」
「まだだ」
「またですか!」
私は六法を開き直しました。
複数の未成年後見人がいる場合。
その一部の人が死亡したり、欠格事由によって地位を失ったりしたとき。
他の未成年後見人は、その事実を知った日から十日以内に届け出なければなりません。
「……あ!」
私は声を上げました。
「起算点が違います!」
相馬先輩が頷きました。
「言ってみろ」
「後見人が欠けて、後任者が届け出る場合は、後任者の就職の日から十日!」
「うん」
「複数いる後見人の一部が地位を失った場合は、他の後見人がその事実を知った日から十日!」
「正解」
私は思わず拳を握りました。
「やりました!」
「何がだ」
「またひっかけ問題を見抜きました!」
私は赤線を引きました。
――同じ十日でも、起算点が違う。
これです。
出生届。
死亡届。
認知。
未成年後見。
期限の数字だけ覚えても、半分しか覚えたことになりません。
何をきっかけに期間が始まるか。
そこまで正確に理解しなければならないのです。
「それから、後見には終了もある」
片桐所長が言いました。
「はい!」
私は戸籍法第八十四条を開きました。
未成年後見の終了。
終了した場合には、未成年後見人が十日以内に届出をしなければなりません。
届書には、終了の原因と年月日を記載します。
「ここも十日!」
私は書きました。
後見終了。
十日以内。
終了原因と年月日を記載。
「先輩、後見って始まるだけじゃないんですね」
「当たり前だ」
「終わるときにも、戸籍に届け出る」
「そうだ」
そして。
未成年後見監督人についても、これらの規定が準用される場面があります。
戸籍法第八十五条。
「……まだある!」
私は額を押さえました。
「先輩、未成年後見人だけでも十分複雑なのに、監督人まで!」
「監督する人間がいる場合だってあるだろ」
「そうですけど!」
私は深呼吸しました。
未成年後見。
開始。
後見人が欠けた場合。
複数人のうち一部が地位を失った場合。
終了。
監督人。
全部、別々に確認する。
「なるほど……」
私は鉛筆を置きました。
「戸籍法って、人生の変化を追いかける法律なんですね」
片桐所長が頷きました。
「そうだ」
生まれた。
父親との法律上の関係が成立した。
親が亡くなった。
後見人が決まった。
後見人が変わった。
後見が終わった。
そのたびに。
法律上の身分関係や事実を、戸籍に正しく反映させる必要がある。
だから。
これほど細かな届出の規定が置かれているのです。
私はノートを閉じようとして、ふと思いました。
「所長」
「何だ」
「戸籍って、昭和と令和で、ずいぶん変わりましたよね」
「ああ」
「でも、根本は同じなんですね」
所長がこちらを見ました。
「どういうことだ」
私は少し考えました。
「昭和六十三年は、紙の戸籍です」
「そうだ」
「本籍地が遠ければ、謄本を取り寄せるのにも苦労する」
「ああ」
「現代は電算化が進んで、広域交付制度もある」
「便利になったんだな」
「はい」
私は頷きました。
令和八年。
戸籍に関する技術や手続は、大きく進歩しています。
電算化。
広域交付。
行政手続のデジタル化。
そして。
戸籍の記載方法や、個人情報を保護する考え方も、時代とともに見直されてきました。
けれど。
「生まれたことを届け出る」
「ああ」
「亡くなったことを届け出る」
「うん」
「法律上の父子関係を明らかにする」
「そうだ」
「未成年者を守る人を記録する」
私は微笑みました。
「その目的は、昔も今も変わらないんですね」
片桐所長が静かに頷きました。
「そうだな」
私は、結衣ちゃんの写真を見ました。
白い毛布。
小さな手。
まだ何も知らない赤ちゃん。
でも。
その子の人生は、既に始まっています。
そして。
戸籍には、結衣ちゃんを法律上の家族関係の中に位置づけるための事実が記録されていく。
「先輩」
「何だ」
「私、ちょっとだけ戸籍法が好きになりました」
「ちょっとだけか」
「だって数字が多いんです!」
「そこは変わらねえよ」
「ですよね!」
私は笑いました。
「さて」
片桐所長が言いました。
「確認問題だ」
「はい!」
私は姿勢を正しました。
「国内で出生した場合、出生届の期限は?」
「十四日以内です!」
「国外では?」
「三か月以内です!」
「出生届は、どこでできる」
「本人の本籍地や届出人の所在地のほか、子の出生地でもできます!」
「汽車の中で生まれた場合は?」
「母親が、その交通機関から降りた地でも届け出られます!」
「航海日誌を備える船で出生した場合、船長は?」
「二十四時間以内に、航海日誌へ記載して署名します!」
所長が頷きました。
「では、嫡出でない子の出生届は、原則誰がする」
「母です!」
「父母が共に届出できず、病院などの公設所で出生した場合は?」
「公設所の長または管理人です!」
「よし」
私は少し得意になりました。
所長が続けます。
「胎児認知の届出地は?」
「母の本籍地です!」
「胎児認知に必要な民法上の承諾は?」
「母の承諾です!」
「裁判による認知の届出期限は?」
「裁判が確定した日から十日以内です!」
「遺言による認知は?」
「遺言執行者が、その就職の日から十日以内です!」
「認知された胎児が死体で生まれた場合は?」
「その事実を知った日から十四日以内に、認知の届出地で届け出ます!」
所長が頷きました。
「よし」
私は拳を握りました。
「やった!」
ところが。
相馬先輩が口を挟みました。
「まだ終わってねえぞ」
「えっ!」
「死亡届は?」
「死亡の事実を知った日から七日以内!」
「未成年後見開始は?」
「後見人の就職の日から十日以内!」
「複数の未成年後見人の一部が死亡した場合は?」
「他の未成年後見人が、その事実を知った日から十日以内!」
「後見終了は?」
「十日以内!」
相馬先輩が頷きました。
「おお」
私は満面の笑みになりました。
「完璧です!」
「じゃあ最後に一問」
「はい!」
「結衣ちゃんの祖父が、出生届を出すなと言った。だから病院は届出をしなくていい。正しいか?」
「間違いです!」
私は即答しました。
「法律上の届出義務は、祖父の反対で消えるものではありません!」
「正解」
私は大きく頷きました。
ここだけは。
絶対に間違えません。
出生届。
認知届。
死亡届。
未成年後見開始届。
それぞれ役割も、届出人も、期限も違います。
でも。
全部、人の人生に関わる大切な手続です。
だからこそ。
勝手な思い込みで、届出を止めたり、届出人を決めたりしてはいけないのです。
窓の外は、もう薄暗くなっていました。
私はノートの最後のページを開きました。
そして。
今日の一行を書きます。
鉛筆の先を整えて。
ゆっくり。
――出生は「十四日」、死亡は「知って七日」、後見は「就職十日」。認知は「方法と届出地」で見分ける。
「……できた!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、悪くねえな」
「褒めましたね!」
「気のせいだ」
「またそれですか!」
私は笑いました。
でも。
この一行は、たぶん忘れません。
結衣ちゃん。
出生届まで、あと二日。
父親は死亡。
母親も死亡。
祖父は反対。
それでも。
戸籍法に定められた届出義務者がいた。
出生地で届け出る道もあった。
だから、期限内に出生の事実を届け出られた。
そして。
亡くなった父親が残した胎児認知。
あの手続によって、結衣ちゃんと父親の法律上のつながりが明らかになった。
十一歳の翔太君についても、未成年後見人が選任され、必要な届出が行われた。
法律は。
家族の気持ちを、すべて解決できるわけではありません。
亡くなったお母さんを、生き返らせることもできない。
祖父の偏見を、一瞬で消すこともできない。
でも。
誰が生まれたのか。
誰が父親なのか。
誰が亡くなったのか。
誰が未成年者を守るのか。
その事実を、法律上明確にすることはできる。
そして。
それが、残された人たちの生活を守るための土台になるのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今日の勉強会、もう終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、机を片付けろ」
「え?」
「書類も整理しろ」
「はい」
「それから郵便局へ行ってこい」
「……何でですか?」
「本籍地へ戸籍関係の資料を請求する手配がある」
私は固まりました。
「……郵便?」
「ああ」
「電子申請じゃなくて?」
「何だ、それ」
……。
しまった。
またです。
昭和六十三年。
まだ紙と郵便の時代。
私は額を押さえました。
「先輩!」
「何だ」
「令和なら、もっと便利なんですよ!」
「令和って何年だよ!」
「……未来です」
「また訳の分からんことを」
相馬先輩は封筒を差し出しました。
「ほら、行ってこい」
私は封筒を受け取りました。
そこで、少し考えました。
「先輩」
「今度は何だ」
「もし郵便が遅れたら、どうなるんですか?」
「何の書類かによる」
「え?」
「届出の期限に関係するなら、余裕を持って動かなきゃならねえ。確認に時間がかかるなら、早めに役所に相談する」
「なるほど……」
「だから実務は、条文を覚えて終わりじゃねえんだよ」
私は頷きました。
そうです。
十四日。
七日。
十日。
教科書では、ただの数字。
でも。
現場では。
その数字の向こうに、焦っている家族がいる。
遠くの本籍地。
届出できない父母。
争っている親族。
そして。
自分では何もできない赤ちゃんがいる。
そこまで考えて。
必要な人につなぎ、書類を整え、期限内の届出を支える。
それが、法律の知識を現場で使うということなのです。
「よし!」
私は立ち上がりました。
「郵便局へ行ってきます!」
「気をつけろよ」
「はい!」
「あと、切手代を間違えるなよ」
「大丈夫です!」
「本当か?」
「たぶん!」
「不安だな」
私は笑いながら、事務所の扉を開けました。
夕暮れの町。
古い商店街。
走り去る自転車。
遠くから、汽車の汽笛が聞こえます。
この時代には、まだインターネットも、スマートフォンも、戸籍の広域交付制度もありません。
でも。
戸籍法の基本は、ここにあります。
生まれた命を記録する。
父と子の法律上の関係を明らかにする。
亡くなった人の死亡を記録する。
未成年者を守る人を明らかにする。
そのために。
誰が。
どこに。
いつまでに。
届出をするのか。
それを決めているのです。
私は封筒を抱え直しました。
そして、結衣ちゃんの写真を思い出しました。
小さな赤ちゃん。
十一歳のお兄ちゃん。
亡くなったお母さんが残した名前。
――結衣。
人と人を結ぶ。
その願いは、これからも続いていくのでしょう。
法律の勉強は、まだまだ終わりません。
でも。
今日、一つだけ分かりました。
戸籍法は。
単に、役所へ紙を出すための法律ではありません。
人の生と死、そして家族のつながりを、法律上の記録として正しく残すための法律なのです。
「こはる!」
後ろから相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「郵便局、閉まるぞ!」
「ええっ!」
私は時計を見ました。
……。
危ない。
勉強に夢中になりすぎました。
「先輩!」
「何だ!」
「戸籍法には期限がありますけど!」
「ああ!」
「郵便局にも受付時間があるんですね!」
「当たり前だろ!」
「実務って厳しい!」
「さっさと走れ!」
「はいっ!」
私は封筒を抱えて走り出しました。
昭和六十三年。
戸籍法の世界では。
法律の期限だけでなく。
役所の窓口や郵便局の時間まで、味方につけなければなりません。
……なるほど。
戸籍法の試験では、十四日、七日、十日を覚えればいい。
でも。
昭和の実務では。
閉まった郵便局の扉を、法律の条文で開けることはできないのでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




