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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 組織再編

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680/701

[商法・合併]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 会社が消えても、借金まで消えるわけではありません。


 名前が変わっても。


 看板が変わっても。


 社長が変わっても。


 誰かに対して負っていた責任が、都合よく消えてしまうわけではないのです。


 でも。


 合併という制度には、一つ不思議なところがあります。


 会社は消滅するのに、権利や義務は残る。


 しかも、消滅した会社について、普通の解散のような清算手続きは行わない。


 ……どういうことでしょう。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、ノートを開いていました。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・商法編。


 と書いてあります。


「……会社って、消えても消えないんですね」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「いきなり何だ」


「会社の話です」


「そりゃ分かる」


「消滅するのに、借金は消滅しないんですよ」


「ああ」


「何だか、幽霊みたいじゃないですか?」


「会社を幽霊にするな」


「でも、会社の名前はなくなるのに、借金は残るんですよ!」


「だから、引き継ぐ会社があるんだろ」


 ……。


 あ。


 そうでした。


 私は鉛筆を握り直しました。


「そうです! そこです!」


「何がだ」


「今日のテーマ!」


 私はノートの一番上に、大きく書きました。


 ――合併。


 ――吸収合併・新設合併。


「昨日の黒田社長の事件、忘れられません」


「そりゃそうだろ」


 相馬先輩が笑いました。


「会社を消して借金も消そうとしたんだからな」


 東海機械株式会社。


 社長の黒田剛三。


 下請けの山岸鉄工所に対する未払代金、三百八十万円。


 それを支払わないまま、中央産業株式会社との吸収合併によって会社を消そうとした。


 黒田社長は言いました。


 ――東海機械はなくなる。だから払わん。


 でも。


 合併契約書を確認すると、そこにはきちんと書かれていたのです。


 ――資産、負債その他一切の権利義務を承継する。


 さらに。


 債権者保護手続きにも問題がありました。


 私たちは山岸さん本人の意思に基づいて内容証明郵便を作成し、未払代金の存在と合併手続き上の問題点を通知しました。


 その結果。


 黒田社長は合併前に三百八十万円を支払ったのです。


「よし!」


 私は鉛筆を握りました。


「今日は合併の仕組みを、完全に整理します!」


「お前、毎回それ言ってるな」


「毎回、完全に理解する分野が増えてるんです!」


「そうかよ」


 相馬先輩は呆れた顔をしました。


 そこへ。


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「こはる」


「はい!」


「今回は、合併の種類だけ覚えても足りんぞ」


「え?」


「手続きと、効力が生じる時点も区別しろ」


「……はい」


「それから、合併に反対する者をどう守るかだ」


 私は背筋を伸ばしました。


 なるほど。


 単に二つの会社が一つになる。


 それだけの話ではないのです。


 よし。


 今日も強制勉強会、開催です。


 ◇


「まず、合併とは何かです!」


 私はノートに書きました。


 ――合併とは、二つ以上の会社が、法律上の手続きによって一つの会社になること。


「重要なのは、単に仲良く商売することとは違う点です」


 相馬先輩が頷きました。


「業務提携とは違うな」


「はい!」


 たとえば。


 二つの町工場が協力して部品を作る。


 これは、業務提携です。


 それぞれの会社は、そのまま存在します。


 一方。


 二つの会社が合併すると。


 少なくとも一方の会社は、法人として消滅します。


 そして、その会社の権利義務が、別の会社に引き継がれます。


「ここが大事です!」


 私は赤鉛筆で線を引きました。


 ――権利義務の包括承継。


「包括承継?」


 相馬先輩が聞きました。


「はい。今回の最重要語句です!」


「説明してみろ」


「会社の権利や義務を、原則としてひとまとめに引き継ぐことです」


「うん」


「つまり、財産だけではありません」


 私は一つずつ書きました。


 土地。


 建物。


 機械。


 売掛金。


 預金。


 そして。


 借入金。


 買掛金。


 未払代金。


 その他の契約上の義務。


「会社にとって都合のいいものも、悪いものも、引き継ぐんです」


「そういうことだ」


「だから黒田社長は、間違えたんですね」


 東海機械の資産だけを中央産業に移して。


 山岸さんへの三百八十万円だけ置いていく。


 それを合併で実現しようとした。


 でも。


 合併は、そんな都合のいい制度ではありません。


「ただし」


 私は書き足しました。


「法律上の性質によって承継が制限される権利や、許認可など個別の法律による確認が必要なものもあります」


 片桐所長が頷きました。


「そうだ。何でも例外なく引き継げると決めつけるな」


「はい!」


 行政上の許認可などは、個別法の定めが問題になることがあります。


 ですから、合併したという事実だけで、あらゆる許可が無条件に移るとは限りません。


 ですが。


 通常の売買代金債務については、話が違います。


「山岸さんへの三百八十万円は、まさに承継されるべき債務だったんですね」


「そうだ」


 所長が言いました。


「合併で会社を消しても、債権者の権利まで勝手に消せるわけではない」


 私は頷きました。


 なるほど。


 合併の第一の核心。


 会社が消えることと、債務が消えることは違う。


 ここは絶対に忘れません。


 ◇


「次は、吸収合併です!」


 私はノートに二つの会社を書きました。


 A社。


 B社。


「A社がB社を吸収する場合を考えます」


 相馬先輩が言いました。


「どっちが残る?」


「A社です!」


「B社は?」


「消滅します!」


「B社の権利義務は?」


「A社が引き継ぎます!」


 よし。


 簡単です。


 私は矢印を書きました。


 ――A社+B社 → A社。


「これが吸収合併です」


 ここで、用語も覚えます。


 残るA社は、吸収合併存続会社。


 消えるB社は、吸収合併消滅会社。


「名前が長いですね……」


「意味はそのままだろ」


「確かに」


 私は昨日の事件を思い出しました。


 中央産業株式会社。


 東海機械株式会社。


 黒田社長が予定していたのは、東海機械を中央産業に吸収させる合併でした。


「つまり、中央産業が存続会社」


「そうだ」


「東海機械が消滅会社」


「ああ」


「東海機械の三百八十万円の借金は、中央産業に承継される」


「正解だ」


 私は大きく丸をつけました。


 ですが。


 ここでもう一つ疑問が出てきました。


「先輩」


「何だ」


「消える会社の株主は、どうなるんですか?」


「ほう」


 相馬先輩がこちらを見ました。


「そこも重要だな」


 そうです。


 会社には株主がいます。


 B社が消滅した場合。


 B社の株式は、消滅する会社に対する株式です。


 そのまま何事もなかったように、B社の株主であり続けることはできません。


 そこで。


 合併契約に従い、対価が交付されます。


「現代の会社法なら、吸収合併の対価として、存続会社の株式のほか、金銭や社債、新株予約権などを用いることもできます」


 私は勢いよく言いました。


「……新株予約権?」


 相馬先輩の眉が動きました。


 あ。


 しまった。


「お前、また妙な言葉を使ったな」


「はい……」


「今、何年だ」


「昭和六十三年です」


「そうだ」


 私は慌ててノートを押さえました。


 現代では、合併対価の柔軟化が進んでいます。


 ですが。


 昭和六十三年に、現代の会社法と同じ制度があるわけではありません。


 新株予約権という現在の制度も、当時はまだ存在しません。


 旧商法の株式会社の合併では、合併契約に基づく存続会社の株式の割当てや、合併交付金などが問題になります。


「つまり、令和の制度をそのまま昭和に持ち込んでは駄目なんですね」


「当たり前だ」


 相馬先輩が言いました。


「今ある制度で、今の会社を扱え」


「はい!」


 でも。


 これで違いが分かりました。


 昭和の商法。


 現代の会社法。


 合併の基本構造は共通しています。


 けれど。


 株主に交付できる対価など、制度の細かい部分は変化している。


 だからこそ、法律の勉強では、時代を区別しなければならないのです。


 ◇


「次は、新設合併です!」


 私は新しいページを開きました。


 今度は、A社とB社を並べます。


 その下に、C社と書きました。


 そして、矢印。


 ――A社+B社 → C社。


「これが新設合併です!」


 相馬先輩が頷きました。


「A社とB社は?」


「両方とも消滅します!」


「C社は?」


「新しく設立されます!」


「権利義務は?」


「C社が引き継ぎます!」


「よし」


 私は鉛筆を置きました。


 吸収合併と新設合併。


 違いは、残る会社があるかどうかです。


 吸収合併では、既存の会社が存続する。


 新設合併では、既存の合併当事会社が消滅し、新しい会社が設立される。


「たとえば」


 私は言いました。


「東海機械と中央産業が新設合併して、東海中央工業株式会社を作ったらどうなりますか?」


「東海機械も中央産業も消えるな」


「はい」


「新会社の東海中央工業が、両社の権利義務を引き継ぐ」


「そうです!」


 ということは。


 山岸さんへの三百八十万円も、新会社が引き継ぎます。


「結局、どちらでも借金は消えませんね」


「そういうことだ」


 相馬先輩が笑いました。


「名前を変えようが、新しい会社を作ろうが、合併なら責任はついてくる」


「なるほど!」


 私はノートに書きました。


 ――吸収合併は、既存の会社が引き継ぐ。


 ――新設合併は、新しく作る会社が引き継ぐ。


 すると。


 片桐所長が口を開きました。


「こはる」


「はい」


「新設合併では、株主はどうなる」


 私は少し考えました。


「消滅する会社の株主には、新しく設立される会社の株式が割り当てられます」


「そうだ」


「現代の会社法でも、新設合併の場合、設立会社の株式の交付が必要ですね」


「うん」


 私は頷きました。


 吸収合併と違って、新設合併では、引き継ぐ会社そのものが新しく生まれます。


 その会社の株主構成を、合併に伴って作らなければならない。


 ここも、両者の重要な違いです。


「先輩」


「何だ」


「吸収合併と新設合併って、試験ではどっちも出そうですね」


「知らねえよ」


「絶対出ますよ!」


「だったら両方覚えろ」


「はい!」


 私は二つの図を並べました。


 A+B=A。


 A+B=C。


 なるほど。


 この図なら、一発で思い出せます。


 そして。


 どちらの図にも、同じ言葉を書き足しました。


 ――権利義務の包括承継。


 これが、二つに共通する核心なのです。


 ◇


「さて、次は合併の手続きです」


 私はノートをめくりました。


 ――合併は、社長同士が握手しただけでは成立しない。


「黒田社長は、ここを軽く考えていましたよね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


「弟の会社と一緒になるんだから、俺が決めればいいって顔をしてたな」


「でも、会社は社長個人の持ち物じゃありません」


「そうだ」


 私は鉛筆を握りました。


「まず、合併契約が必要です!」


 合併する会社同士で、合併契約を締結する。


 どの会社が存続するのか。


 どの会社が消滅するのか。


 株主には何を交付するのか。


 合併に関する重要な条件を、契約書で定めます。


「昨日の事件にもありましたね」


 私は言いました。


「中央産業を存続会社、東海機械を消滅会社とする合併契約書です」


「そうだ」


「しかも、その契約書には『負債その他一切の権利義務を承継する』と書いてありました」


「自分で自分の逃げ道を塞いでたな」


「本当に!」


 私は思わず笑いました。


 ただし。


 合併契約書に署名しただけでは、すべて終わりではありません。


「次に、株主への情報提供です」


 私は続けました。


 現代の会社法では、合併契約の内容などを記載した書面等を、本店に備え置く制度があります。


 消滅会社側の会社法七百八十二条。


 存続会社側の七百九十四条。


 新設合併の場合の八百三条。


「……条文番号が三つもあります」


「また文句か」


「いえ、ちゃんと覚えます!」


 もっとも。


 昭和六十三年には、この現代会社法の条文番号はありません。


 旧商法の規定に従って、必要な書類を備え置き、株主や債権者が合併の内容を確認できるようにする。


 その仕組みを、当時の制度として押さえる必要があります。


「何のために書類を見せるんだ?」


 相馬先輩が聞きました。


「株主や債権者が、合併の内容を知らないまま不利益を受けないようにするためです」


「そうだな」


 会社が合併する。


 自分の持っている株式が変わる。


 会社の財産状態が変わる。


 そんな重大なことを、社長だけが知っていていいはずがありません。


 書類の備置きは、単なる事務作業ではない。


 関係者が判断するための情報を与える、大切な手続きなのです。


 ◇


「そして、株主総会です!」


 私は大きく書きました。


 ――原則として、株主総会の特別決議による承認。


「黒田社長は、議事録を見せてきましたよね」


「ああ」


「でも、委任状の数が合わないという問題が出ていました」


「そうだったな」


 私は頷きました。


 株主総会。


 会社の重要事項について、株主が意思を示す場です。


 合併は、会社そのものを大きく変える行為。


 ですから、原則として通常の決議より厳しい特別決議が必要になります。


「現代の会社法なら、原則として議決権を行使できる株主の過半数が出席して、その議決権の三分の二以上の賛成が必要です。定款で一定の変更が認められる部分もありますけど」


 私は言いました。


 相馬先輩が顔をしかめました。


「また未来の話か」


「あっ!」


 しまった。


 昭和六十三年と現代では、決議要件の細かな規定が異なります。


「でも、特別決議による承認が重要だという基本は共通しています!」


「それはそうだ」


 所長が静かに頷きました。


「ただし、合併の種類や会社の関係によって、例外もある」


「はい!」


 現代では、簡易合併や略式合併など、一定の場合に株主総会の承認を省略できる制度があります。


 しかし。


 これは無条件に社長の判断だけで合併してよいという意味ではありません。


 法律の定める要件を満たすことが必要です。


「つまり、原則を覚えて、例外も確認するんですね」


「そうだ」


「社長が『俺が決めた』だけでは駄目!」


「そのとおりだ」


 私は昨日の黒田社長の顔を思い出しました。


 高そうな背広。


 金色の腕時計。


 大きな声。


 そして。


 ――俺の会社だぞ!


 ……。


「先輩」


「何だ」


「会社は社長の私物じゃないって、試験の選択肢にしたいですね」


「そんな選択肢があるか」


「でも正解ですよ!」


「考え方としてはな」


 私は笑いました。


 そして。


 ノートに書き足しました。


 ――合併は会社の根本を変える行為。原則として株主の特別決議による承認が必要。


 ここも、重要です。


 ◇


「さて」


 片桐所長が口を開きました。


「こはる。昨日の事件で、最も大事だった手続きは何だ」


 私は即答しました。


「債権者保護手続きです!」


「そうだ」


 私はノートをめくりました。


 ――債権者保護。


 山岸さん。


 三百八十万円。


 未払代金。


 合併によって会社が消滅すると聞かされ、支払いを拒否された。


 あの事件の中心です。


「合併では、債権者に異議を述べる機会を与える必要があります」


 私は言いました。


「なぜだ?」


 相馬先輩が聞きました。


「合併によって、債務を負う会社やその財産状態が変わるからです」


「そうだ」


 たとえば。


 A社には十分な財産がある。


 B社には多額の借金がある。


 その二社が合併すれば。


 A社の債権者から見ると、もともと借金の多いB社まで一緒になるわけです。


 つまり。


「合併によって、債権の回収に影響が出る可能性があるんです」


「そのとおり」


 反対に。


 消滅会社の債権者にとっても、合併後の会社の財産状態は重要です。


 ですから、法律は債権者を無視した合併を許していません。


「具体的にはどうする?」


 相馬先輩が聞きました。


「公告と催告です!」


 私は大きく書きました。


 ――公告。


 ――催告。


「まず、官報による公告など、法律で定められた方法で合併について知らせます」


「うん」


「そして、異議を述べることができる期間を設ける」


「どれくらいだ?」


「一か月以上です!」


 私は赤鉛筆で囲みました。


 ――異議申述期間は、一か月を下回ってはいけない。


「それから、知れている債権者には、原則として個別に催告する必要があります」


 相馬先輩が頷きました。


「現代の会社法では、一定の公告方法を併用することで、個別催告を省略できる場合もある。だが、勝手に省略していいわけじゃねえ」


「はい!」


 私は山岸さんの事件を思い返しました。


 東海機械は、山岸さんに三百八十万円を支払っていませんでした。


 しかも。


 請求書も受け取っていた。


 催促も受けていた。


 会社は山岸さんの債権を認識していたのです。


「だから、山岸さんは知れている債権者だったんですね」


「そうだ」


「それなのに、異議申述期間を明示した適切な催告をしていなかった」


「そこが問題だった」


 私は頷きました。


「では、債権者が異議を述べたらどうなるんですか?」


 今度は私から質問しました。


 所長が答えました。


「原則として、弁済や相当な担保の提供など、法律に従った対応が必要になる」


「はい」


「ただし、合併によってその債権者を害するおそれがない場合など、例外もある」


「なるほど……」


 私は書きました。


 弁済。


 担保提供。


 相当な財産の信託。


 その他、法律上認められる対応。


 そして。


 債権者を害するおそれがない場合の例外。


「つまり、異議を出せば必ず合併を止められる、というわけではないんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「債権者保護手続きは、合併を妨害するための制度ではない」


「はい」


「債権者の利益を守りながら、合併を進めるための制度だ」


 私は、その言葉をノートに書きました。


 なるほど。


 ここが大事です。


 合併をしたい会社にも、事情があります。


 事業を大きくしたい。


 経営を効率化したい。


 技術や人材をまとめたい。


 そうした正当な目的があるでしょう。


 でも。


 だからといって、取引先や債権者を切り捨てていいわけではありません。


 会社の発展と、債権者の保護。


 その両方を考える。


 それが商法の仕組みなのです。


 ◇


「ところで先輩」


「何だ」


「黒田社長は、債権者にきちんと催告しないまま合併を進めようとしていましたよね」


「ああ」


「もし、そのまま合併の登記までしていたら、どうなっていたんでしょう」


 相馬先輩は煙草を灰皿に押しつけました。


「手続きに問題があれば、合併の効力を争う話にもなる」


「合併無効の訴えですね!」


「そうだ」


 私は新しいページを開きました。


 ――合併無効の訴え。


 会社の合併は、多くの人に影響します。


 株主。


 債権者。


 従業員。


 取引先。


 銀行。


 その会社と契約した第三者。


 ですから、合併が成立した後になって、


「やっぱり最初から全部なかったことにします」


 と簡単に扱うことはできません。


「現代の会社法では、合併の効力が生じた日から六か月以内に、合併無効の訴えを提起することによって争うんです」


 私は言いました。


 会社法八百二十八条。


 吸収合併。


 新設合併。


 どちらについても、無効の訴えの制度が置かれています。


「六か月か」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


 私は続けました。


「しかも、誰でも自由に提起できるわけではありません。法律で定められた者に限られます」


 たとえば、合併に関係する一定の株主や債権者などです。


 実際に訴えることができるかは、それぞれの法定要件を確認する必要があります。


「それで、誰を被告にするんだ?」


 相馬先輩が聞きました。


 私はノートに二つの図を書きました。


 吸収合併。


 A社+B社 → A社。


「吸収合併の無効の訴えでは、合併後に存続するA社が被告になります」


「うん」


 次。


 新設合併。


 A社+B社 → C社。


「新設合併の無効の訴えでは、新しく設立されたC社が被告になります!」


「正解だ」


 私は頷きました。


 これは覚えやすいです。


 吸収合併なら、残った会社。


 新設合併なら、新しくできた会社。


 どちらも、合併後に存在している会社です。


「でも先輩」


「何だ」


「無効の判決が出たら、会社はどうなるんですか?」


 相馬先輩は所長を見ました。


 所長が静かに答えました。


「重要なのは、将来効だ」


「将来効……」


「過去にさかのぼって、すべてを消すわけではない」


 私は顔を上げました。


 そうです。


 現代の会社法八百三十九条。


 会社の組織に関する行為を無効とする判決が確定すると、その行為は将来に向かって効力を失うとされています。


「つまり」


 私は言いました。


「合併無効の判決が確定しても、過去の取引が全部最初からなかったことになるわけではないんですね」


「そうだ」


「なぜですか?」


 所長は少し考えました。


「合併した会社を信じて取引した者がいるからだ」


「……あ」


「その者たちまで、過去にさかのぼって不安定な立場に置いてはならん」


 私は黙りました。


 なるほど。


 合併した会社が、その後に商品を買った。


 銀行から融資を受けた。


 従業員を雇った。


 新しい取引先と契約した。


 それらを全部、最初から存在しなかったことにしてしまったら。


 大混乱です。


 だから。


 合併無効の判決には、将来効という考え方がある。


「法律って、過去をなかったことにするより、今後の法律関係を整理することを重視する場面があるんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「会社をめぐる法律関係は、多数の人間に影響する」


 私は書きました。


 ――合併無効判決は、将来に向かって効力を生じる。


「ただし、無効判決後の財産や債務の帰属についても、法律に従って処理する必要がありますね」


「そのとおりだ」


 所長が頷きました。


 私は少し考えました。


 合併無効の訴え。


 たった一つの制度ですが。


 会社という存在が、どれだけ多くの人とつながっているか。


 それをよく表している気がしました。


 ◇


「さて」


 相馬先輩が腕を組みました。


「もう一つ、重要な違いがあるぞ」


「何ですか?」


「合併の効力が、いつ生じるかだ」


「あ!」


 私はノートを開きました。


 ここです。


 現代と昭和六十三年。


 大きな違いがあるところです。


「現代の会社法では、吸収合併は、原則として合併契約で定めた効力発生日に効力が生じます!」


「ほう」


「会社法七百五十条です!」


 私は勢いよく言いました。


 ですが。


 相馬先輩は無言で、昭和六十三年の六法を指差しました。


 ……。


「あっ」


「何だ」


「また未来の条文番号を言ってしまいました」


「何回目だ」


「数えないでください!」


 私は慌ててノートに二つの欄を作りました。


 ――昭和六十三年。


 ――現代。


「昭和六十三年の旧商法では、合併の効力は合併登記によって生じます」


「そうだ」


「吸収合併でも、新設合併でも、登記が重要なんですね」


「そういうことだ」


 一方。


 現代の会社法では、効力発生の仕組みが整理されています。


 吸収合併では、原則として合併契約で定めた効力発生日。


 新設合併では、新しく設立される会社の成立の日。


 つまり、設立登記の日です。


「なるほど……」


 私は鉛筆を止めました。


「ここ、試験で引っかかりそうですね」


「どうしてだ」


「吸収合併と新設合併で、現代では効力発生の時点が違うからです」


「そうだな」


 私は大きく書きました。


 ――現代の吸収合併は、原則として契約で定めた効力発生日。


 ――現代の新設合併は、設立会社の成立の日。


 そして、その下に。


 ――昭和六十三年の旧商法では、合併登記によって効力発生。


「所長!」


「何だ」


「これ、完全に覚えました!」


「そうか」


「もう間違えません!」


 所長は少しだけ笑いました。


「なら、次の事件でも間違えるな」


「……努力します!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「自信ねえな!」


「未来の知識が勝手に出てくるんです!」


「知らねえよ!」


 私は笑いました。


 でも。


 この違いは、本当に重要です。


 法律を学ぶとき。


 制度の考え方は似ていても。


 効力が生じる時点。


 手続き。


 条文番号。


 そうした部分が変わっていることがあります。


 転生者だからこそ。


 その怖さを、私は身をもって感じているのでした。


 ◇


「ところで」


 私は首をかしげました。


「先輩、合併で会社が消滅するなら、普通の解散と同じように清算しないんですか?」


「しねえよ」


「ですよね」


「なぜだ?」


 相馬先輩が聞きました。


 私は少し考えました。


「権利義務が、存続会社や新設会社に引き継がれるからです!」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――合併による消滅会社の解散では、通常の清算手続きを行わない。


 普通。


 会社が解散すると、その財産や債務を整理する必要があります。


 債権を回収し。


 債務を弁済し。


 残った財産を分配する。


 そうした清算手続きを経て、会社を終わらせるのです。


 でも。


 合併は違います。


「消滅会社の権利義務を、別の会社が丸ごと引き継ぐんですからね」


「そうだ」


「だから通常の清算を行う必要がない」


 私は頷きました。


 吸収合併なら、存続会社が引き継ぐ。


 新設合併なら、新設会社が引き継ぐ。


 つまり。


 消滅会社の財産や債務の行き先が、合併という制度の中で定められている。


「なるほど。だから清算なしなんですね!」


「そういうことだ」


 ここで私は、昨日の黒田社長の発言を思い出しました。


 ――東海機械はなくなる。だから払わん。


 ……。


 今なら、その間違いがはっきり分かります。


 合併によって消滅する会社には、通常の清算手続きを行わない。


 しかし。


 それは、借金を支払わなくてよいという意味ではありません。


 むしろ。


 借金を含む権利義務が、別の会社に承継されるからこそ、通常の清算をしないのです。


「先輩!」


「何だ」


「これ、完全に逆ですね!」


「何が」


「黒田社長は、会社が消えるから借金も消えると思った」


「そうだ」


「でも本当は、借金を引き継ぐ会社があるから、消滅会社は清算しないんです!」


 相馬先輩が笑いました。


「そういうことだ」


 私は大きく丸をつけました。


 ――合併による解散は、清算なし。理由は包括承継。


 よし。


 これで、頭の中がつながりました。


 ◇


 窓の外が、少しずつ暗くなってきました。


 私はここまでのノートを見直しました。


 吸収合併。


 新設合併。


 包括承継。


 株主総会の特別決議。


 債権者保護手続き。


 効力発生の時点。


 清算手続きの不要。


 合併無効の訴え。


「……多いですね」


 私は思わず呟きました。


「何がだ」


「覚えることです」


 相馬先輩が笑いました。


「会社を丸ごと一つにするんだ。簡単なわけねえだろ」


「確かに……」


 私は頷きました。


 会社を作る。


 株式を発行する。


 取締役を選ぶ。


 株主総会を開く。


 会社の財産を管理する。


 そして。


 会社を合併させる。


 どれも、単に社長が好き勝手に決めればよい話ではありません。


 その会社に関係する人たちの権利を守るため、いくつものルールが置かれているのです。


「所長」


 私は聞きました。


「どうして現代では、会社法という独立した法律になったんでしょう?」


 片桐所長が顔を上げました。


「……現代?」


「あっ」


 しまった。


 つい、未来の話を。


「いえ、その……もし会社の法律を整理するとしたら、という話です!」


 相馬先輩が呆れました。


「お前、また変なこと考えてるな」


「想像です! 想像!」


 私は慌てて説明しました。


 昭和六十三年。


 会社のルールは商法第二編や有限会社法などに置かれています。


 株式会社。


 有限会社。


 合名会社。


 合資会社。


 それぞれの制度を、複数の法律や規定を見ながら理解する必要があります。


 でも。


 その後、会社を取り巻く社会は大きく変わっていきます。


 起業の形。


 資金調達。


 会社の統治。


 企業再編。


 そうした制度を見直し、整理する必要が高まる。


 そして平成十七年に会社法が制定され、平成十八年に施行されるのです。


 私のいた時代では、会社法という一つの法律として会社制度が体系的に整理されています。


「会社を作る仕組みも、昔とはずいぶん違うんですよ」


 私は言いました。


 相馬先輩が眉をひそめました。


「たとえば?」


「発起人一人でも株式会社が作れます」


「何だと?」


「取締役も、一定の会社なら一人で足ります」


「は?」


「しかも資本金一円でも、法律上は設立可能です」


「……お前、何言ってんだ?」


 相馬先輩が本気で困惑しました。


 ……ですよね。


 昭和六十三年では。


 株式会社の発起人は七人以上。


 取締役は三人以上。


 監査役も必要。


 今とはずいぶん違います。


「そんな会社が作れる時代が来たら、世の中変わりますよね」


 私が言うと、相馬先輩は煙草をくわえました。


「まあ、会社を作りやすくすること自体は悪くねえだろうな」


「そうですよね!」


「だがな」


「はい」


「会社を作りやすくしたからって、責任まで軽くしていいわけじゃねえ」


 私は黙りました。


 ……あ。


 そうです。


 会社制度が変わっても。


 株式会社を一人で設立できるようになっても。


 資本金の最低額に関する仕組みが変わっても。


 取引先を守る必要はなくなりません。


「だから、合併の包括承継や債権者保護という考え方も、現代に引き継がれているんですね」


「そういうことだろうな」


 私は頷きました。


 会社法は、単に会社を作りやすくするためだけの法律ではありません。


 会社を柔軟に運営できるようにする。


 企業再編を進めやすくする。


 その一方で。


 株主や債権者の利益を守る。


 経営者に適切な責任を負わせる。


 そうした目的もあります。


「なるほど……」


 私は鉛筆を動かしました。


 ――制度が簡略化されても、守るべき権利まで簡略化されるわけではない。


 うん。


 これは大事です。


 ◇


「さて、こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい!」


「確認問題だ」


「来ましたね!」


 私はノートを閉じました。


「望むところです!」


 所長は少し考えました。


「A社がB社を吸収合併した。消滅するのは?」


「B社です!」


「権利義務を承継するのは?」


「A社です!」


「A社とB社が新設合併してC社を設立したら?」


「A社とB社が消滅して、C社が両社の権利義務を承継します!」


「よし」


 順調です。


「次。合併によって消滅会社の借金は当然に消えるか」


「消えません!」


「なぜだ」


「包括承継されるからです!」


「合併するには、社長同士の合意だけで足りるか」


「足りません! 合併契約のほか、原則として株主総会の特別決議など、法律で定められた手続きが必要です!」


「債権者保護手続きでは?」


「公告や、知れている債権者への各別催告などが必要です!」


「異議申述期間は?」


「一か月以上です!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 やった。


 ここまでは完璧です。


 すると。


 相馬先輩が横から口を挟みました。


「じゃあ俺からも一問」


「はい!」


「合併で消滅した会社は、普通の解散と同じように清算するか?」


「しません!」


「理由は?」


「権利義務が包括承継されるからです!」


「正解」


 私は得意になりました。


 ですが。


 先輩は、にやりと笑いました。


「じゃあ、昭和六十三年の合併の効力は、いつ生じる?」


「合併登記によって生じます!」


「おお」


「現代の吸収合併は、原則として合併契約で定めた効力発生日です!」


「誰も現代の話は聞いてねえ!」


「比較すると覚えやすいんです!」


 先輩が苦笑しました。


「じゃあ、最後だ」


「はい!」


「合併が成立したあと、その効力を争いたい場合は?」


「法律に定められた合併無効の訴えによります!」


「ほう」


「現代の会社法では、効力発生日から六か月以内です!」


「それで?」


「無効判決は、将来に向かって効力を生じます!」


 相馬先輩が頷きました。


「よし」


 私は思わず両手を上げました。


「やった!」


 これで、合併の基本は全部つながりました。


 でも。


 所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい?」


「最後に一つ」


「何でしょう」


「黒田社長は、何を間違えた?」


 私は少し考えました。


 合併の種類。


 合併契約。


 債権者保護手続き。


 株主総会。


 どれも問題がありました。


 でも。


 本当の間違いは、もっと根本的なところです。


「……会社を消せば、自分が作った約束まで消せると思ったことです」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「会社には、株主だけじゃなく、取引先や債権者もいます」


「うん」


「だから、会社を合併するときには、その人たちの権利も守らなければならない」


「そのとおりだ」


 私は昨日の山岸さんを思い出しました。


 三百八十万円。


 従業員六人。


 小さな町工場。


 毎日、鉄を削って。


 部品を作って。


 納期を守って。


 その代金を、会社が消えるという理由で踏み倒されそうになった。


 でも。


 商法は、その理屈を許しませんでした。


 合併するなら、権利義務を引き継ぐ。


 債権者を無視してはならない。


 会社の大きな変更には、決められた手続きが必要。


 それは。


 単なる試験知識ではありません。


 真面目に働いた人が、その対価を失わないための仕組みだったのです。


 ◇


 夕暮れの事務所。


 私はノートの最後のページを開きました。


 今日の一行。


 何を書こう。


 吸収合併。


 新設合併。


 包括承継。


 債権者保護。


 無効の訴え。


 どれも重要です。


 でも。


 全部を一行にまとめるとしたら。


 私は鉛筆を握り直しました。


 そして、ゆっくり書きました。


 ――合併は「会社を一つにする」、包括承継は「責任も引き継ぐ」、債権者保護は「置き去りにしない」。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「先輩! どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「長えな」


「ええっ!」


「一行にしては長え」


「大事なことが多すぎるんです!」


 私は頬を膨らませました。


 ですが。


 先輩は少し笑いました。


「まあ、悪くねえ」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、きっと忘れません。


 山岸さんが持ってきた請求書。


 黒田社長の高慢な笑顔。


 合併契約書の一文。


 債権者保護手続きの不備。


 そして。


 三百八十万円の入金票。


 試験の問題集で見れば、ただの会社法の論点です。


 でも。


 現場では。


 その一つひとつが、人の生活につながっている。


 会社を守る法律。


 株主を守る法律。


 債権者を守る法律。


 それらが組み合わさって、初めて会社の合併は成り立つのです。


 ◇


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会、終わったか?」


「はい!」


「じゃあ、掃除しろ」


「……またですか」


「まただ」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「私、今日、包括承継について考えたんです」


「ほう」


「もし先輩と私が合併したら、先輩の仕事も私が引き継ぐんですか?」


 相馬先輩が固まりました。


「……は?」


「包括承継です!」


「人間は合併しねえよ!」


「でも、先輩の仕事を私が引き継いだら、大変ですよね」


「そうだな」


「じゃあ逆に、私の掃除当番を先輩が引き継ぐのはどうでしょう!」


 先輩が煙草を置きました。


「……お前な」


「吸収合併です!」


「何がだ!」


「相馬先輩が私を吸収して、掃除義務を承継するんです!」


「ふざけんな!」


 私は笑いました。


 でも。


 片桐所長が静かに口を開きました。


「こはる」


「はい!」


「人間同士の仕事の分担は、会社の合併とは違う」


「ですよね……」


「それに」


「はい?」


「掃除当番は、お前だ」


 ……。


 私は固まりました。


 相馬先輩が大笑いしました。


「ほらな!」


「所長!」


「何だ」


「私の掃除義務だけ、どこかに承継させられませんか!」


「できん」


「即答!」


「箒を持て」


「はい……」


 私は渋々立ち上がりました。


 でも。


 箒を手に取りながら、ふと思いました。


 会社の合併では、権利義務を包括して承継します。


 ただし、それは個人の都合で好きな義務だけ消してよいという意味ではありません。


 もし。


 会社の財産だけを引き継いで、都合の悪い借金だけ置いていけるなら。


 山岸さんのような人が、どれだけ泣くことになるでしょう。


 だから。


 合併には、ルールがある。


 合併契約。


 株主総会。


 債権者保護手続き。


 効力発生の時点。


 無効の訴え。


 難しい言葉が並んでいます。


 でも。


 その根底にある考え方は、意外と単純でした。


 ――会社を一つにするなら、責任も引き継ぎなさい。


 それだけのことなのです。


 窓の外。


 夕暮れの町に、工場の明かりが灯っていました。


 あのどこかで。


 山岸さんの工場も、今日の仕事を終えようとしているのでしょう。


 従業員が機械を止め。


 道具を片付け。


 明日の仕事の準備をする。


 そして。


 きちんと給料が支払われる。


 その当たり前の生活を守るために。


 商法は、会社の合併という大きな制度にも、細かなルールを置いているのです。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「箒を持ったまま止まるな!」


「今、合併の本質について考えてたんです!」


「考えるのは掃除が終わってからにしろ!」


「先輩!」


「何だ!」


「会社が消えても借金は消えないんですよね!」


「そうだ!」


「じゃあ、私がこの事務所を辞めても、掃除当番は消えないんですか!」


「辞めたら普通は当番じゃねえだろ!」


「……あ!」


 私は固まりました。


 相馬先輩が呆れた顔をしました。


「お前、合併と退職まで一緒にするなよ」


「すみません……」


「会社の合併と、人間の雇用関係は別問題だ」


「はい……」


 ……なるほど。


 また一つ、勉強になりました。


 どうやら。


 包括承継という言葉を覚えたからといって、世の中のすべての義務が自動的に引き継がれるわけではないようです。


 残念ながら。


 今日の掃除当番については、どう頑張っても相馬先輩へ承継させることはできませんでした。


 私は箒を動かしながら、ノートの最後の一行を思い出しました。


 ――合併は「会社を一つにする」、包括承継は「責任も引き継ぐ」、債権者保護は「置き去りにしない」。


 よし。


 完璧。


 次に合併の問題が出たら。


 私は、きっと思い出すでしょう。


 会社が消えるから払わない。


 そう言い切った黒田社長の顔。


 そして。


 商法の規定を確認した途端、慌てて三百八十万円を支払った、あの結末を。


 会社の看板は、変えられます。


 会社の名前も、変えられます。


 合併によって、会社そのものを消滅させることもできます。


 けれど。


 真面目に働いた人に対する責任まで、勝手に消すことはできない。


 それが。


 昭和六十三年の商法から、現代の会社法へと受け継がれている、大切な原則なのです。

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