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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式会社の機関    

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670/701

[会社法・株主からの責任追及]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 社長が会社を傷つけたとき。


 誰が、その社長を止めるのでしょうか。


 取締役会でしょうか。


 監査役でしょうか。


 それとも、株主総会でしょうか。


 もちろん、どれも大切です。


 でも。


 取締役が全員、社長の身内だったら?


 監査役が、社長の言いなりだったら?


 会社自身が、社長の責任を追及しようとしなかったら?


 そんなとき。


 法律は、株主に三つの武器を与えています。


 ――訴える。


 ――止める。


 ――調べる。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机の上に、三枚の紙を並べていました。


 一枚目。


 株主代表訴訟。


 二枚目。


 違法行為の差止請求。


 三枚目。


 検査役による調査。


「……ややこしい」


 思わず呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「またか」


「またです!」


「今度は何だ」


「株主が会社を守る方法、多すぎませんか?」


「三つだろ」


「三つもあるんです!」


「多いのか少ないのか、どっちだよ」


 私は机を叩きました。


「しかも昭和と現代で、数字まで違うんですよ!」


 そうです。


 現代の会社法で覚えた知識。


 それを昭和六十三年の商法に当てはめようとすると。


 あちこちで、地雷を踏みます。


 株主代表訴訟。


 現代では会社法八百四十七条。


 昭和六十三年では商法二百六十七条。


 会社が訴えを起こさない場合の待機期間も違います。


 検査役を求める株主の持株割合も違います。


 おまけに。


 現代には、昭和六十三年に存在しない会社の機関まであるのです。


「先輩!」


「何だ」


「今日は三つの武器を、完全に整理します!」


「勝手にやれ」


「先輩も参加です!」


「何でだよ!」


 奥から、片桐所長の声がしました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……またですか」


 よし。


 今日も、強制勉強会の開催です。


「まず、昨日の事件を振り返ります!」


 私はノートを開きました。


 東海精密工業株式会社。


 従業員三十五人。


 発行済株式千株。


 そのうち百株を保有していたのが、藤沢澄江さん。


 持株割合は十パーセント。


 亡くなった創業者の奥さんです。


 そして。


 問題を起こしたのが、黒田剛三社長。


「黒田社長は、自分の別会社に、経営指導料という名目で三千万円を支払わせていました」


「そうだな」


「でも、実際に何を指導したのか、説明できなかった」


「ああ」


「さらに、黒田社長自身が、その取引を承認したという取締役会議事録までありました」


 私は、当時の資料の写しを見つめました。


 ――出席取締役全員一致。


 あの一行。


 いかにも適法な手続を踏んだように見える言葉です。


 でも。


 自分自身が利害関係を持つ取引について、黒田社長は当然に議決へ参加できるわけではありません。


「そこで問題になったのが、利益相反取引と取締役の責任ですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


「ただし、こはる」


「はい」


「自分の別会社と取引したから、必ず損害賠償になるわけじゃねえぞ」


「分かってます!」


 ここは大切です。


 会社と取締役の間に利益相反の問題があること。


 その取引について必要な承認があること。


 取締役が任務を怠ったこと。


 会社に損害が生じたこと。


 これらは、区別して考えなければなりません。


「適法な承認手続を経ても、会社に損害を与える任務懈怠があれば責任が問題になりますし、逆に疑惑があるだけで三千万円全額の賠償が確定するわけでもありません」


「そういうことだ」


 片桐所長が言いました。


「だから、事実と証拠を整理した」


「はい!」


 黒田社長は、会社のお金を自分の財布のように扱っていた。


 でも。


 株式会社は、社長とは別の法人です。


 会社の財産は、会社のもの。


 取締役は、それを適切に管理する立場です。


 その取締役が会社に損害を与えた場合。


 本来なら、会社が責任を追及する。


 ところが。


「黒田社長の身内ばかりが役員だったんですよね」


「ああ」


「だから会社が、社長の責任を追及しようとしなかった」


 私は大きく頷きました。


「そこで、株主の出番です!」


 まずは。


 一つ目の武器。


 株主代表訴訟です。


「株主代表訴訟って、名前が少し紛らわしいですよね」


 私が言うと、相馬先輩が眉をひそめました。


「何がだ?」


「株主が自分の損害賠償を求める訴訟だと思いません?」


「まあ、そう思う奴もいるだろうな」


「でも、違うんです!」


 私はノートに書きました。


 ――株主代表訴訟。


 株主が、会社のために、取締役などの責任を追及する訴え。


「つまり」


 私は説明しました。


「会社に損害が出たとき、本来は会社が取締役に賠償を求めるんです」


「うん」


「でも、会社が動かない場合があります」


「黒田みたいな社長がいるとな」


「そうです!」


 たとえば。


 社長が会社から三千万円を不当に流出させた。


 本来なら、会社は社長に対して損害賠償を求める必要があります。


 でも。


 社長本人が会社を支配している。


 他の取締役も社長の言いなり。


 誰も責任を追及しない。


 そのまま放置すれば。


 会社の財産が減ります。


 会社の価値が下がります。


 結果として、株主の利益も害されます。


「だから株主が、会社に代わって責任を追及するんですね」


「そうだ」


 ここで重要なのが。


 誰にお金が支払われるのか。


「先輩、問題です!」


「俺に問題を出すな」


「株主代表訴訟で、取締役に三千万円の損害賠償が認められた場合、その三千万円は誰のものになりますか?」


「会社だろ」


「正解です!」


「当たり前だ!」


 そうです。


 ここは、絶対に間違えてはいけません。


 株主が原告になる。


 でも。


 賠償金は、原則として会社に支払われる。


 訴えを起こした株主が、三千万円を個人的にもらえるわけではありません。


「澄江さんは十パーセントの株主でした」


「うん」


「だから三千万円の十パーセント、三百万円を受け取れる!」


「違う」


「ですよね!」


「分かってて言うな!」


 私は笑いました。


 でも、試験では重要です。


 株主代表訴訟は。


 株主個人が自分の取り分を回収する制度ではありません。


 会社の損害を回復させるための制度なのです。


「次は、訴訟までの流れです!」


 私はノートに三つの段階を書きました。


 第一段階。


 株主が会社に対し、取締役の責任追及の訴えを提起するよう請求する。


 第二段階。


 会社が法定期間内に訴えを起こさない。


 第三段階。


 株主自身が、会社のために訴えを提起する。


「つまり、いきなり訴えるのが原則ではないんです」


「そうだ」


「まず会社に機会を与える」


 これには理由があります。


 損害を受けたのは、会社です。


 本来の権利者である会社自身が訴えを起こせるなら、それが筋だからです。


 株主代表訴訟は、会社が動かない場合の補完的な制度。


 私はそこに赤線を引きました。


「それで、昭和六十三年の商法では……」


 六法を開きます。


 商法二百六十七条。


 六か月前から引き続き株式を有する株主。


 会社に対して、書面で責任追及の訴えの提起を請求する。


 会社が、請求から三十日以内に訴えを提起しなければ、株主が会社のために訴えを起こせる。


「三十日!」


 私は叫びました。


「うるせえな」


「だって先輩!」


「何だよ」


「現代の会社法では、六十日なんですよ!」


 そうです。


 会社法八百四十七条。


 現代の原則は、会社への請求から六十日。


 昭和六十三年は、三十日。


「倍も違うんです!」


「そりゃ、法律が変われば数字も変わるだろ」


「受験生には大事件です!」


「大げさだな」


 私はノートに書きました。


 昭和六十三年。


 会社への請求後、原則三十日。


 現代。


 会社への請求後、原則六十日。


「でも、先輩」


「何だ」


「昭和でも現代でも、待っていたら会社に回復できない損害が生じるおそれがある場合には、例外があるんですよね」


「そうだ」


 緊急の場合です。


 たとえば。


 取締役が会社の財産を処分して逃亡しようとしている。


 通常の待機期間が過ぎるまで待っていたら、会社の損害を取り戻せなくなる。


 そういう場合には、一定の要件のもとで、待機期間を経ずに訴えを提起できる仕組みがあります。


「法律って、急ぐべきときは急げるようにしてあるんですね」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


 ただし。


 急いでいるというだけで、必ず例外が認められるわけではありません。


 法定の危険があることが必要です。


 その判断も、弁護士と慎重に検討すべきところです。


「では、株式の保有期間です!」


 私は書きました。


 ――六か月。


「昭和六十三年の商法二百六十七条では、六か月前から継続して株式を持っていることが必要でした」


「そうだな」


「澄江さんは三年前から持っていました」


「だから問題なかった」


「はい」


 ここで私は、現代の会社法との違いを思い出しました。


「ただ、現代では非公開会社の例外があります」


「非公開会社?」


 相馬先輩が聞き返しました。


 私は慌てました。


 昭和六十三年の先輩には、現代の会社法上の用語をそのまま説明できません。


「あ、つまり、現代の制度でいうところの、すべての株式について譲渡制限がある会社です」


「ほう」


「現代では、そういう非公開会社なら、株主代表訴訟について六か月の継続保有は要求されません」


 現代の会社法では。


 公開会社の場合、原則として六か月以上継続して株式を保有している必要があります。


 ただし、定款でこれより短い期間を定めることができます。


 一方。


 非公開会社では、六か月以上の継続保有は不要です。


「じゃあ昨日株式を取得した人でも?」


 相馬先輩が聞きました。


「現代の非公開会社なら、保有期間だけを理由に排除されることはありません」


「なるほどな」


「ただし、昭和六十三年には、現在の非公開会社の例外をそのまま持ち込んではいけません」


 私は二重線を引きました。


 昭和の商法と現代の会社法。


 似た制度でも、要件が同じとは限らない。


 ここが、転生受験生の怖いところです。


「ところで、こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「会社が自ら訴えを起こしたら、どうなる」


「株主代表訴訟の出番はなくなります」


「そうだ」


 昨日の東海精密工業も、そうでした。


 株主からの請求があり、会社側が調査に乗り出した。


 そして、責任追及を進めることになった。


 ただし。


 ここも区別が必要です。


 単に社内調査を始めた。


 取締役が辞任した。


 弁護士と相談している。


 それだけで、当然に会社が訴えを提起したことにはなりません。


「実際に会社が責任追及の訴えを提起したかどうかが重要なんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「形式だけでなく、何が行われたかを確認する」


「はい!」


 そして、もう一つ。


 私はノートに書きました。


 ――監査役設置会社で、取締役の責任を追及する訴えを会社が提起するとき、原則として監査役が会社を代表する。


 現代の会社法三百八十六条。


 この点も、東海精密工業の事件で重要でした。


「黒田社長が被告になるのに、黒田社長が会社を代表して訴えるなんて、おかしいですもんね」


「そうだな」


「だから、監査役の役割がある」


 会社の仕組みというのは、よくできています。


 ただし。


 監査役本人が、その役割を果たさなければ意味がありません。


「結局、人間がきちんと動く必要があるんですね」


 私が言うと、所長が静かに頷きました。


「次は、二つ目の武器です!」


 私はノートをめくりました。


 ――違法行為の差止請求。


「これは株主代表訴訟とは、目的が違います」


 私は言いました。


「株主代表訴訟は、すでに発生した損害などについて責任を追及する制度」


「うん」


「差止請求は、違法な行為が行われる前や、続けられている途中で、その行為を止める制度です」


「そうだ」


 私は昨日の事件を思い出しました。


 黒田社長。


 すでに三千万円を支払わせていた。


 さらに、翌月も五百万円の支払を予定していた。


「つまり、過去の三千万円と、未来の五百万円は、分けて考える必要があったんです」


 相馬先輩が頷きました。


「損害が出てから取り返すより、出る前に止めた方がいい場合もあるからな」


「そうです!」


 私はノートに書きました。


 ――事後救済と事前予防。


 なるほど。


 これだけで、二つの制度の違いが見えてきます。


「では、差止請求の要件です!」


 私は六法を開きました。


 現代なら会社法三百六十条。


 昭和六十三年なら商法二百七十二条。


「まず、株主の資格です」


 昭和六十三年では、六か月前から引き続き株式を保有する株主。


 現代でも、公開会社では原則として六か月の継続保有が必要です。


 ただし、現代の非公開会社では、その保有期間は不要です。


「代表訴訟と似ていますね」


「そうだな」


「でも、検査役とは違うんですよね」


「その話は後だ」


「はい!」


 私は続けました。


「次に、取締役が何をしようとしているかです」


 会社の目的の範囲外の行為。


 法令に違反する行為。


 定款に違反する行為。


 こうした行為を現にしている、または、しようとしていることが問題になります。


「たとえば」


 私は言いました。


「社長が、会社の土地を不当な条件で自分の息子の会社に売ろうとしている場合です」


「昨日の電話だな」


「はい」


 もちろん。


 社長の親族の会社に土地を売るというだけで、当然に差止めが認められるわけではありません。


 利益相反取引の規制。


 必要な承認。


 売買価格の相当性。


 会社の目的。


 取締役の任務。


 そうした事情を調べなければなりません。


「単に気に入らない取引だから止めろ、という制度ではないんですね」


「そうだ」


 相馬先輩が言いました。


「株主にも好き嫌いはある。だが、差止請求は経営方針への不満を何でも通すための権利じゃねえ」


 私は頷きました。


 そして、もう一つ。


 とても重要な条件があります。


 損害です。


「ここが、試験の引っかけポイントです!」


 私は赤鉛筆を取りました。


 現代の会社法三百六十条。


 原則として。


 会社に著しい損害が生じるおそれ。


 ただし。


 監査役設置会社。


 監査等委員会設置会社。


 指名委員会等設置会社。


 これらについては。


 会社に回復することができない損害が生じるおそれ。


「……違う!」


 私は叫びました。


 相馬先輩が顔をしかめます。


「何がだ」


「著しい損害と、回復することができない損害です!」


「同じじゃねえな」


「そうなんです!」


 著しい損害。


 大きな損害ということです。


 一方。


 回復することができない損害。


 後から金銭賠償などで十分に回復できないような損害です。


 この二つは、同じ言葉ではありません。


「しかも、昭和六十三年の商法二百七十二条では、回復することができない損害が生じるおそれが問題になります」


 私はノートに大きく書きました。


 昭和六十三年。


 回復することができない損害。


 現代。


 原則、著しい損害。


 ただし監査役設置会社などでは、回復することができない損害。


「ややこしい!」


 私は頭を抱えました。


 相馬先輩が笑います。


「覚えりゃいいだろ」


「それが大変なんです!」


「法律家を目指すんだろ」


「そうですけど!」


 すると、片桐所長が言いました。


「こはる」


「はい」


「なぜ監査役がいる会社では、株主の差止請求の条件が厳しくなると考えられる」


 私は考えました。


「……監査役にも、取締役の違法行為を止める役割があるから?」


 所長が頷きました。


「そうだ」


 なるほど。


 会社の内部に、取締役の違法行為を監視し、必要に応じて差止めを求める仕組みがある。


 だから、株主が直接差止めを求める場面では、より重大な危険が要求される。


「役割分担なんですね!」


「そういうことだ」


 私は赤線を引きました。


 法律の数字や言葉には、理由がある。


 それを理解すれば、ただの丸暗記ではなくなるのです。


「ただ、所長」


 私は手を上げました。


「はい」


「東海精密には監査役がいましたよね」


「ああ」


「それなら、来月五百万円の支払が予定されているだけで、差止請求が必ず認められるわけではないんですね」


「そのとおりだ」


 所長は頷きました。


「その支出が法令違反などに当たり、会社に回復できない損害を生じさせるおそれがあるか。そこまで確認する必要がある」


「はい」


 私は、少し反省しました。


 現場編では。


 五百万円が支払われる。


 だから差止めだ!


 と勢いよく考えていました。


 でも。


 現実の法律は、そんなに単純ではありません。


 支出が不当なのか。


 会社にどのような損害があるのか。


 後で回復できるのか。


 会社の財産状況はどうなのか。


 そうしたことが重要になります。


「だから、私たちは最初から裁判所に行ったわけじゃなく、本人名義で支出の中止を求める通知を作ったんですね」


「そうだ」


「そして、必要なら弁護士に引き継ぐ」


「そのとおり」


 私は頷きました。


 内容証明郵便。


 それ自体に、裁判所の差止命令と同じ効力があるわけではありません。


 でも。


 相手に、どのような問題を指摘し、何を求めたのか。


 それを証拠として残すことができます。


 黒田社長が支払停止を決めたのも。


 内容証明に魔法の力があったからではありません。


 書かれていた法律上の危険を、無視できなくなったからなのです。


「そして三つ目!」


 私はノートをめくりました。


 ――検査役による調査。


「これは、私が一番驚いた制度です!」


 相馬先輩が聞きました。


「何でだ?」


「だって、会社の中に不正がありそうなとき、裁判所に検査役を選んでもらうんですよ!」


「そうだな」


「社長が帳簿を隠していても、調査の道がある」


 私は、東海精密の事件を思い出しました。


 請求書。


 振込控え。


 取締役会議事録。


 そこまでは、確認できました。


 でも。


 本当に経営指導が行われたのか。


 黒田商事にどのような実績があったのか。


 支払った三千万円が、最終的にどう使われたのか。


 会社の内部を詳しく調べなければ、分からないこともありました。


「株主なら、何でも帳簿を見られるわけではないんですよね」


「そうだ」


 株主には、会計帳簿の閲覧など、一定の情報を得る権利があります。


 でも。


 その権利にも、要件や範囲があります。


 会社の内部資料を、株主が好き放題に調査できるわけではありません。


「そこで、検査役です!」


 私は六法を開きました。


 現代の会社法三百五十八条。


 会社の業務執行について、不正行為や、法令・定款に違反する重大な事実があることを疑うに足りる理由がある場合。


 一定の株主は、裁判所に検査役の選任を申し立てることができます。


「検査役は、会社の業務や財産の状況を調べる人です」


「そうだ」


「つまり、不正を調べるための臨時の調査役ですね」


 相馬先輩が頷きました。


「ただし、株主が自分で好きな奴を連れてきて、勝手に調べさせるわけじゃねえぞ」


「分かってます!」


 検査役を選任するのは、裁判所です。


 検査役は、必要な調査を行い、その結果を報告します。


 株主が、社長の机を勝手に開けていい制度ではありません。


「そこ、大事ですね」


「当たり前だ」


 私は頷きました。


 不正を疑っているからといって。


 自分まで違法な手段を使ってはいけない。


 法律を守るための制度なのですから。


「さて」


 私は赤鉛筆を握りました。


「検査役で、一番重要な数字です!」


 昭和六十三年。


 発行済株式総数の十分の一以上。


「十パーセントですね」


「そうだ」


「澄江さんは千株中百株でした」


「だから、持株数の要件を満たしていた」


 私は大きく頷きました。


 昭和六十三年の商法二百九十四条。


 発行済株式総数の十分の一以上の株式を有する株主。


 その持株数が、重要になります。


 ただし。


「現代の会社法では、ここが変わるんです!」


 私は別のページに書きました。


 会社法三百五十八条。


 検査役の選任を申し立てられるのは、原則として、次のどちらかを満たす株主です。


 一つ。


 総株主の議決権の三パーセント以上を有すること。


 もう一つ。


 自己株式を除いた発行済株式の三パーセント以上の株式を有すること。


 なお、定款でこれより低い割合を定めた場合には、その割合が基準になります。


「十パーセントから三パーセント!」


 私は声を上げました。


「かなり違いますよね!」


「そうだな」


「しかも、現代は議決権か株式数のどちらかの基準を満たせばいい」


 私は赤線を引きました。


「ここ、試験で絶対に覚えたいです!」


 昭和六十三年。


 検査役の持株数の基準は、十分の一。


 現代。


 原則として、議決権または株式数の百分の三。


「先輩」


「何だ」


「現代では少数株主が検査役を求めるための持株割合が、昭和より小さくなっているんですね」


「ああ」


「それだけ、不正を調べるための道が広がっている」


 私は少し嬉しくなりました。


 昔の商法にも、株主を守る制度はありました。


 でも。


 現代の会社法では、制度が整理され、少数株主に認められる権利の要件も変わっている。


 法律は、ただ昔のまま続いているわけではありません。


 時代に合わせて、少しずつ姿を変えているのです。


「ただし、こはる」


 片桐所長が言いました。


「はい」


「十パーセントあれば、どんな会社にも検査役を送り込めるのか」


「いいえ!」


 私は即答しました。


「不正や重大な法令・定款違反を疑うに足りる事情が必要です!」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「単に社長が嫌いだから、という理由では駄目です」


「うん」


「会社が赤字になっただけでも、当然に検査役を選任してもらえるわけではありません」


「そうだな」


 会社の経営には、失敗がつきものです。


 新しい設備を導入したけれど、売上が伸びなかった。


 新商品が売れなかった。


 景気が悪くなった。


 こうしたことが、すべて不正行為になるわけではありません。


「経営判断の失敗と、法律上問題のある不正は区別しなければならないんですね」


「そういうことだ」


 私は頷きました。


 黒田社長の事件では。


 自分の別会社への継続的な支払。


 役務提供を示す資料の不足。


 利益相反取引の承認手続への疑義。


 こうした事情が重なっていました。


 だから、検査役による調査という選択肢が現実味を持った。


「そして、検査役が調べた結果、不正が明らかになれば……」


 私は言いました。


「その報告が、責任追及や取締役の解任を求める際の重要な資料になるんですね」


「そうだ」


 ただし。


 検査役が不正を発見したからといって、その瞬間に取締役が自動的に解任されるわけではありません。


 調査。


 報告。


 その結果を踏まえた会社の対応。


 必要なら株主総会や裁判上の手続。


 それぞれ、別の段階があります。


「検査役は、社長を処罰する人ではなく、事実を調べる人なんですね」


「そのとおりだ」


 私は大きく丸をつけました。


 これも、忘れてはいけません。


「さて、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい!」


「三つの武器を、短く言ってみろ」


 私は立ち上がりました。


「株主代表訴訟!」


「何をする?」


「会社に損害を与えた取締役などの責任を、会社のために追及します!」


「差止請求!」


「違法行為によって会社に重大な損害が生じる前に、その行為を止めます!」


「検査役!」


「不正が疑われる会社の業務や財産を、裁判所が選んだ検査役に調べてもらいます!」


 相馬先輩が頷きました。


「よし」


 私は拳を握りました。


「完璧です!」


「じゃあ、もう一問」


「はい!」


「株主代表訴訟で勝って、三千万円を取り戻した。金は誰のものだ?」


「会社です!」


「株主が直接三千万円もらうのか?」


「もらいません!」


「差止請求は、社長の行為が気に入らなければ何でもできるか?」


「できません! 法定の要件が必要です!」


「検査役は、株主が勝手に選べるか?」


「選べません! 裁判所が選任します!」


「よし」


 相馬先輩が笑いました。


「少しは分かったみてえだな」


「少しじゃありません!」


「じゃあ、昭和の代表訴訟の待機期間は?」


「三十日!」


「現代は?」


「六十日!」


「昭和の検査役の持株割合は?」


「十分の一!」


「現代は?」


「原則、議決権か株式数の百分の三!」


「よし」


 私は思わず万歳しました。


「やりました!」


 ようやく。


 数字が頭の中で、つながってきました。


「でも」


 私は椅子に座り直しました。


「先輩、一つ気になることがあります」


「何だ?」


「どうして昔は、こんなに会社を作るのが大変だったんでしょう」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「またその話か」


「だって!」


 昭和六十三年。


 株式会社を設立するには、発起人七人以上。


 取締役三人以上。


 監査役も必要。


 現代のような一人株式会社の感覚ではありません。


 もちろん、この時代にも、小規模事業向けの有限会社という制度はあります。


 でも。


 株式会社を作るとなると、人を揃え、機関を整える必要がありました。


「それで、名義貸しや頭数合わせが起きやすかったんですよね」


「まあな」


 相馬先輩が言いました。


「実際に経営に関わらない奴を発起人に入れたり、知り合いに取締役になってもらったりな」


「そして、形だけの役員が生まれる」


 私は東海精密の事件を思い出しました。


 黒田社長の親戚の取締役。


 古い知人の監査役。


 形式的には、会社の機関が揃っています。


 でも。


 社長の暴走を止めるという役割が、十分に果たされていなかった。


「つまり」


 私は言いました。


「人数を揃えれば、きちんと監督できるとは限らないんですね」


「そういうことだ」


 片桐所長が頷きました。


「形と実態は違う」


 なるほど。


 制度として役員が存在することと。


 その役員が実際に職務を果たすこと。


 この二つは、別なのです。


「現代では、ここが大きく変わります!」


 私はノートの新しいページを開きました。


 ――会社法。


 平成十七年に制定。


 平成十八年に施行。


 それまで商法や有限会社法などに分かれていた会社に関するルールが、独立した法律として整理されました。


 そして、株式会社の設立や機関設計についても、柔軟な仕組みが導入されました。


「たとえば、現代の株式会社は、発起人一人でも設立できます」


「一人?」


 相馬先輩が目を丸くしました。


「あ、これは未来の制度の説明です!」


「また変なこと言い出したな」


「取締役も、機関設計によっては一人で大丈夫です!」


「本当かよ」


「資本金一円でも、法律上は設立できるんです!」


 相馬先輩は、しばらく黙りました。


 そして。


「……何だ、その会社は」


 私は笑いました。


 そりゃそうですよね。


 昭和六十三年の人から見れば、常識外れです。


「しかも合同会社という会社形態もあります!」


「聞いたことねえぞ」


「まだありませんから!」


「だったら今使えるみたいに言うな!」


「はい!」


 私は慌ててノートを押さえました。


 でも。


 この変化には、意味があります。


 会社を作るハードルを下げる。


 小さな事業にも合った機関設計を認める。


 形式だけの役員を無理に揃える必要を減らす。


 そして。


 会社の規模や性質に応じて、適切な仕組みを選びやすくする。


「昔は、株式会社なら何人もの人を集めないといけなかった」


「そうだ」


「でも現代では、会社の規模に合わせて、もっと柔軟に作れる」


 私は頷きました。


 ただし。


「簡単に会社を作れるようになったからといって、社長が何をしてもいいわけではありません!」


 相馬先輩が笑いました。


「当たり前だ」


 そうです。


 設立が簡単になった。


 でも。


 会社と経営者が別人格であること。


 取締役が任務を適切に果たすべきこと。


 会社の財産を不当に流出させてはいけないこと。


 そうした基本的な考え方がなくなるわけではありません。


 だからこそ。


 現代の会社法にも、株主代表訴訟や差止請求、検査役の制度が引き継がれているのです。


「所長」


 私は聞きました。


「何だ」


「会社法が独立したのって、会社を作りやすくするためだけじゃないんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「会社の種類や規模が違えば、必要な仕組みも違う」


「はい」


「その違いに応じて、制度を整えていく必要がある」


 私はゆっくり頷きました。


 昭和六十三年。


 高度経済成長を経て、日本の会社はさまざまな形で発展していました。


 家族経営の小さな町工場。


 何万人もの社員を抱える大企業。


 同じ株式会社でも、実態はまるで違います。


 それなのに。


 すべてを同じような形式で運営しなければならないとしたら。


 無理が生じることもあります。


「だから現代の会社法では、機関設計の選択肢が増えたんですね」


「未来の法律なら、そういう方向なんだろうな」


 相馬先輩が言いました。


 私は頷きました。


「でも、簡単にしただけじゃないんです」


 会社の規模や公開性によって。


 株主を守る仕組み。


 取締役を監督する仕組み。


 会計を監査する仕組み。


 それぞれが整理されています。


「つまり」


 私は言いました。


「設立や運営は柔軟にしながら、会社を守る仕組みも整える」


 所長が頷きました。


「会社は、作ることより、続けることの方が難しい」


 ……。


 私は、その言葉をノートに書きました。


 会社は、作ることより、続けることの方が難しい。


 なるほど。


 東海精密工業も。


 設立するときには、多くの人が夢を持っていたはずです。


 でも。


 十二年も経てば、人が変わる。


 社長が変わる。


 経営環境も変わる。


 その中で。


 会社を正しく運営し続けるためのルールが、必要になるのです。


「さて」


 相馬先輩が時計を見ました。


「そろそろ終わりにしろ」


「まだです!」


「何でだよ!」


「最後の確認問題があります!」


「またか!」


 私はノートを開きました。


「では、問題です!」


 第一問。


 株式会社の取締役が任務を怠り、会社に損害を与えた。


 株主は、会社のために責任を追及する訴えを提起できる場合がある。


「これは?」


「正しい」


「正解です!」


 第二問。


 株主代表訴訟で勝訴した株主は、会社の損害賠償金を自分のものにできる。


「誤り」


「正解!」


 第三問。


 現代の公開会社における株主代表訴訟では、原則として六か月以上の継続保有が必要である。


「未来の法律なら、そうなんだろ?」


「正解です!」


 第四問。


 現代の非公開会社では、株主代表訴訟について六か月の継続保有が不要である。


「正しい」


「正解です!」


 第五問。


 現代の会社法では、会社に訴えの提起を請求してから、原則六十日以内に会社が訴えを提起しない場合、株主代表訴訟を起こすことができる。


「正しい」


「正解!」


 第六問。


 昭和六十三年の商法二百六十七条では、原則三十日だった。


「正しい!」


「完璧です!」


 私は勢いよく続けました。


 第七問。


 現代の会社法三百六十条による取締役の差止請求では、監査役設置会社について、回復することができない損害が生じるおそれが必要である。


「正しい」


「正解!」


 第八問。


 現代の会社法三百五十八条による検査役の申立ては、原則として議決権または株式数の三パーセント以上が基準となる。


「正しい!」


「正解!」


 第九問。


 検査役が不正を発見すると、その取締役は自動的に解任される。


「誤り!」


「そのとおりです!」


 私は思わず拍手しました。


「先輩、すごいです!」


「お前が散々説明したからだろ!」


「教育の成果です!」


「誰が教師だ!」


 私は笑いました。


 でも。


 こうして問題にすると、よく分かります。


 似たような制度でも、目的が違う。


 同じような数字でも、時代が違う。


 同じ会社を守るための権利でも、使える株主の条件が違う。


 だから。


 単純な丸暗記だけでは、間違えやすいのです。


 窓の外は、もう薄暗くなっていました。


 工場の煙突から上がる煙が、夕焼けに溶けています。


 私は今日のノートを見直しました。


 株主代表訴訟。


 差止請求。


 検査役。


 最初は、ただの難しい法律用語でした。


 でも。


 東海精密工業の事件を思い出すと。


 その意味が、はっきり見えます。


 会社から消えた三千万円。


 これ以上の支出を止めたい五百万円。


 そして、不正の証拠を調べる必要。


 それぞれ。


 別の問題だったのです。


「所長」


「何だ」


「私、やっと分かりました」


「何をだ」


「株主って、会社を所有する側の人間ですけど、だからといって会社の財産を自由に使えるわけではないんですね」


「そうだ」


「社長も、同じです」


 私は続けました。


「会社のお金は、社長個人のものじゃない」


「うん」


「株主が会社のために責任を追及するときも、その損害賠償金は会社のもの」


「そうだ」


「つまり、株式会社という法人そのものを守るための仕組みなんですね」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は少し胸が熱くなりました。


 東海精密工業。


 古い看板。


 工場で働く三十五人。


 亡くなった創業者。


 会社を守ろうとした奥さん。


 あの事件に登場した人たちは。


 誰も、法律の条文そのものを見たくて事務所に来たわけではありません。


 守りたいものがあったのです。


 働く場所。


 会社の財産。


 長年積み上げた信用。


 そして。


 亡くなった人が残した思い。


 株主代表訴訟。


 違法行為の差止請求。


 検査役による調査。


 その三つは。


 冷たい法律用語ではなく。


 大切なものを守るための、現実の手段だったのです。


「よし」


 私はノートの最後のページを開きました。


「今日の一行です!」


 相馬先輩が顔を上げます。


「やっと終わるのか」


「はい!」


 私は鉛筆を握りました。


 そして。


 ゆっくりと書きました。


 ――株主は、過去の損害を「訴える」、未来の違法行為を「止める」、隠された不正を「調べる」。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、分かりやすいな」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、忘れないと思います。


 過去。


 未来。


 調査。


 それぞれに、守る役割がある。


 その違いが分かれば。


 株主代表訴訟。


 差止請求。


 検査役。


 三つの制度が、きれいに頭の中で整理できます。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「勉強会は終わったんだな?」


「終わりました!」


「じゃあ、掃除しろ」


「……え?」


「机も片付けろ」


「はい?」


「六法も棚に戻せ」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「私にも、権利があります」


「あるな」


「見習いとはいえ、正当な意見を述べる権利があります!」


「ほう」


 私は胸を張りました。


「だから、先輩ばかりが仕事を押しつけるのは不公平です!」


 相馬先輩は、にやりと笑いました。


「じゃあ、株主代表訴訟でも起こすか?」


「……!」


「俺を訴えるか?」


「いや、それは……」


「俺は取締役か?」


「違います」


「ここは株式会社か?」


「違います」


「じゃあ、会社のために何の責任を追及するんだ?」


 ……。


 私は黙りました。


 そして。


「先輩!」


「何だ!」


「それは論点が違います!」


「分かってるじゃねえか!」


 相馬先輩が笑いました。


 私は頬を膨らませました。


 確かに。


 株主代表訴訟は、気に入らない人間を何でも訴えるための制度ではありません。


 株式会社のために。


 法律の定める責任を追及する制度です。


 だから。


 掃除を押しつけられたからといって。


 株主代表訴訟は使えません。


「……分かりましたよ」


 私は箒を手に取りました。


「掃除します!」


「いい返事だ」


「でも先輩!」


「まだ何かあるのか!」


「掃除の前に、今日の一行だけ確認させてください!」


「さっき確認しただろ!」


「復習です!」


「復習ばっかりしてねえで働け!」


 私は笑いながら、ノートを閉じました。


 昭和六十三年。


 商法は、古臭くて難しい。


 発起人七人。


 取締役三人。


 監査役。


 会社法という独立した法律も、まだありません。


 でも。


 その古い条文の中にも。


 社長の暴走を止めるための知恵が、きちんと詰まっています。


 会社が動かないなら、株主が訴える。


 違法行為が迫っているなら、止める。


 不正が隠されているなら、調べる。


 会社という法人は、自分で助けを求めることができません。


 だから。


 法律が、誰かにその役割を与えている。


 私は箒を止め、最後の一行をもう一度読みました。


 ――株主は、過去の損害を「訴える」、未来の違法行為を「止める」、隠された不正を「調べる」。


 よし。


 完璧。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「またノート見てるのか!」


「学習内容を定着させているんです!」


「床の埃も片付けろ!」


「先輩!」


「何だ!」


「この掃除命令には、私の同意がありません!」


「じゃあ所長に聞け!」


 私は奥を見ました。


「所長!」


「何だ」


「掃除の業務分担について、異議を申し立てたいのですが!」


 所長は帳簿から顔を上げました。


 そして。


 静かに言いました。


「異議は聞いた」


「はい!」


「掃除は頼む」


「……!」


 相馬先輩が吹き出しました。


「ほらな!」


「所長まで!」


 私は肩を落としました。


 なるほど。


 株主が会社を守るために権利を持っていることと。


 見習いが掃除を免れることは、まったく別問題です。


 残念ながら。


 株主代表訴訟でも。


 違法行為の差止請求でも。


 検査役の調査でも。


 事務所の床に積もった埃までは、片付けてくれないのでした。


 私は箒を握り直しました。


 そして、心の中で呟きました。


 ……いつか、掃除当番を決める適法な議事録を作ってやる。


 もっとも。


 この事務所は株式会社ではありません。


 その前に、所長の同意が必要そうです。


 法律の勉強は。


 どうやら、まだまだ続きそうなのでした。

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