[会社法・指名委員会等設置会社]法理編 こはるノート
社長という肩書があっても、会社のすべてを自由に決められるわけではありません。
取締役だからといって、何でも決定できるわけでもありません。
そして。
指名委員会。
監査委員会。
報酬委員会。
この三つを設置したからといって、自動的に公正な会社になるわけでもないのです。
大切なのは。
誰が決めるのか。
誰が実行するのか。
誰が監督するのか。
それぞれの権限を、正しく分けること。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、ノートを開いていました。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法会社編。
と書いてあります。
「……やっぱり納得いきません」
私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「何がだ」
「指名委員会等設置会社です」
「また未来の会社の話か」
「はい!」
「昭和の会社にない制度を、そんなに熱心に覚えてどうするんだ」
「私の頭の中では、行政書士試験に出るんです!」
「訳の分からんこと言ってねえで、今の商法を読め」
私は頬を膨らませました。
でも。
今回ばかりは、引き下がれません。
だって、あの事件。
藤沢精機株式会社。
黒田剛造という強欲な経営者が、会社に三つの委員会を作りました。
指名委員会。
監査委員会。
報酬委員会。
そして、自分を代表執行役と名乗った。
その結果。
指名委員会で、邪魔な藤沢修一さんを取締役から追い出そうとした。
報酬委員会で、自分の年間報酬を三千万円に引き上げようとした。
監査委員会で、自分の関連会社に工作機械を安く売る計画を正当化した。
でも。
昭和六十三年には、法律上の指名委員会等設置会社という制度がありません。
しかも黒田は、未来の制度の権限すら正しく理解していなかった。
結局。
私たちが定款や議事録を確認し、本人名義の内容証明を整え、監査役の報告書作成を支援したことで、正式な取締役会が動きました。
黒田は代表取締役の地位を失い、不当な設備売却計画も中止されたのです。
「でも、先輩」
「何だ」
「黒田さんのやろうとしたこと、発想だけは現代の制度に似ていたんですよ」
「そうなのか」
「はい。だから余計に腹が立つんです」
「どうしてだ」
「本当は社長の暴走を防ぐための仕組みなのに、社長の暴走を正当化するために使っていたからです!」
相馬先輩は少し考えました。
そして。
「なるほどな」
と呟きました。
珍しい。
納得してくれました。
そのとき。
奥の机から片桐所長が声をかけました。
「こはる」
「はい!」
「だったら、その三つの委員会が何をするのか、説明してみろ」
私は目を輝かせました。
「いいんですか!」
「ただし」
「はい」
「昭和六十三年に存在しない制度だということを忘れるな」
「もちろんです!」
私は鉛筆を握りました。
よし。
今日の勉強会は、未来の会社法です。
昭和の商法と比較しながら。
指名委員会等設置会社を、完全攻略します。
「まず、そもそも指名委員会等設置会社って、何のためにあるんでしょうか」
私はノートの真ん中に、大きく書きました。
――経営と監督の分離。
「これが基本です」
相馬先輩が首をかしげました。
「経営と監督?」
「はい」
会社を動かす人。
会社を監督する人。
この二つを、できるだけ明確に分けるという考え方です。
「普通の株式会社では、取締役会が重要な業務執行の決定をしたり、取締役の職務を監督したりしますよね」
「ああ」
「でも、指名委員会等設置会社では、執行役という役職が登場します」
「執行役?」
「会社の業務を実際に執行する人です」
私は二つの箱を描きました。
一つ目。
――取締役会。
経営を監督する。
二つ目。
――執行役。
業務を執行する。
そして二つを矢印で結びます。
「つまり、監督する側と、実際に動かす側を分けるんです」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「社長が自分で仕事をして、自分で自分を監査して、自分の報酬まで決めたら、ろくなことにならねえ」
「まさに黒田さんです!」
私は勢いよく答えました。
あの男。
自分の報酬を自分の仲間で決めた。
関連会社への取引を、自分の仲間に監査させた。
反対する取締役を、自分の仲間で追い出そうとした。
全部。
自分に都合のいい判断です。
「だから現代の会社法では、三つの委員会に、それぞれ役割を持たせています」
「指名、監査、報酬か」
「はい!」
私はノートに三本の線を引きました。
指名委員会。
監査委員会。
報酬委員会。
「ただし、三つの委員会が会社のすべてを決めるわけじゃありません」
「そこが黒田の勘違いだな」
「そうです」
それぞれの権限は、法律で決められています。
勝手に拡大することはできません。
そして。
「この制度が日本に導入されるのは、ずっと後の時代なんです」
私は小声で言いました。
「平成十五年に、委員会等設置会社という制度が導入されます」
「平成十五年?」
「……未来です」
「また未来か」
「その後、平成十八年施行の会社法では委員会設置会社として整理され、平成二十六年の改正で現在の指名委員会等設置会社という名称になります」
相馬先輩が眉をひそめました。
「お前、いったい何年分の六法を読んできたんだ」
「受験生の執念です!」
「怖えな」
私は笑いました。
でも。
この歴史は大切です。
昭和六十三年には、会社の規律は主に商法第二編や有限会社法などに分かれていました。
現代では、会社法という独立した法律に整理されています。
会社形態の整理。
機関設計の柔軟化。
経営の監督機能の強化。
そうした改正が積み重なった結果、現在の制度がある。
「つまり」
私は言いました。
「現代の会社法は、昭和の商法と無関係な新しい法律じゃないんです」
所長が頷きました。
「古い仕組みの問題を見直しながら、制度が変わっていくわけだな」
「はい!」
私はノートに大きく書きました。
――昔の商法を知ると、今の会社法が作られた理由が見えてくる。
よし。
最初の重要ポイントです。
「では、三つの委員会に入る前に、人数の話です」
私は鉛筆を立てました。
「人数?」
相馬先輩が聞きました。
「はい。ここ、行政書士試験でかなり重要なんです!」
私はノートに書きました。
各委員会。
三人以上。
委員は全員取締役。
過半数は社外取締役。
「まず、指名委員会、監査委員会、報酬委員会。それぞれ三人以上の委員が必要です」
「三人ずつか」
「はい」
「じゃあ、全部で九人必要なのか?」
私は首を横に振りました。
「必ずしも九人必要なわけではありません。委員の兼任が認められる場合があります」
「なるほど」
「ただし、各委員会について三人以上という条件を満たさなければいけません」
私は続けました。
「そして、委員は取締役の中から選ばれます」
「誰が選ぶんだ?」
「取締役会です」
ここ。
大事です。
委員は、株主総会が直接選ぶわけではありません。
取締役会の決議によって、取締役の中から選定されます。
「じゃあ、社外の専門家を呼んで、そのまま監査委員にすることはできるのか?」
相馬先輩が聞きました。
「取締役でないまま、法定の委員にすることはできません」
「ほう」
「委員は全員、取締役でなければいけないからです」
私は二重線を引きました。
――委員は全員取締役。
「それから、各委員会の過半数は社外取締役です」
「過半数?」
「はい」
「三人なら?」
「二人以上!」
「四人なら?」
「三人以上!」
「五人なら?」
「三人以上!」
相馬先輩が頷きました。
「半分じゃ足りねえわけだな」
「そうです!」
過半数。
つまり、半分を超える人数。
ここを間違えると試験で失点します。
「社外取締役を多くする理由は?」
所長が尋ねました。
私は少し考えました。
「社内の人間だけで監督すると、経営者とのしがらみが強くなりやすいからです」
「そうだな」
「外部の立場から判断できる人を、一定数以上入れるんです」
そこで、私は藤沢精機の事件を思い出しました。
黒田の作った監査委員会。
委員と称する人の中には、黒田自身や黒田の弟、関連会社の従業員がいました。
しかも、そもそも取締役でない人まで入っていた。
「現代の制度だったとしても、あんな人選では駄目だったんですね」
「そうなのか」
「はい。取締役であること、社外取締役の要件を満たすこと、それぞれ確認が必要です」
私はノートに書きました。
――三人以上、全員取締役、過半数社外。
「これ、覚えやすいですね」
相馬先輩が言いました。
「おっ、先輩!」
「何だ」
「今、覚えやすいって言いましたね!」
「言ったら悪いか」
「勉強する気になりました?」
「調子に乗るな」
私は笑いました。
でも。
社外取締役を入れる仕組みは、単なる人数合わせではありません。
会社の経営を、身内だけで決めないための仕組み。
その意味を知ると、数字も覚えやすくなるのです。
「では、第一の委員会です!」
私はページをめくりました。
――指名委員会。
「これは、名前から何となく分かるな」
相馬先輩が言いました。
「役員を指名するんだろ?」
「半分正解です!」
「半分?」
「重要なのは、何を決定するのかです」
私は書きました。
株主総会に提出する。
取締役及び会計参与の選任・解任に関する議案の内容を決定する。
「ここです!」
私は指で叩きました。
「株主総会に提出する議案の内容!」
相馬先輩が顔を上げました。
「つまり?」
「指名委員会が、取締役を直接選任したり解任したりするわけではないんです」
私は続けました。
「実際に取締役を選任・解任するのは、株主総会です」
そう。
藤沢精機の黒田は、指名委員会が藤沢さんを解任したと言っていました。
でも。
現代の会社法でも、指名委員会には取締役を直接解任する権限はありません。
「じゃあ、指名委員会は何を決めるんだ?」
「誰を取締役候補として株主総会に提案するか。誰の解任を議案として提出するか。その内容です」
「なるほど」
「そして、会計参与も対象になります」
私はノートに丸をつけました。
取締役。
会計参与。
「監査役は?」
相馬先輩が聞きました。
「指名委員会等設置会社には監査役を置きません」
「ほう」
「監査は監査委員会が担当するからです」
ここも重要。
指名委員会等設置会社。
監査役はいない。
監査委員会がある。
「先輩、今回の黒田さんが、もし現代の会社で『指名委員会が決めたから藤沢さんは解任だ』と言っていたら?」
「株主総会はどうした、って話になるな」
「正解です!」
私は嬉しくなりました。
「それから、もう一つ注意です」
「何だ」
「指名委員会が執行役を選任するわけでもありません」
「え?」
相馬先輩が首をかしげました。
「指名って名前なのに?」
「そうなんです!」
ここが、ひっかけポイントです。
執行役の選任は、取締役会。
指名委員会ではありません。
「名前に騙されると間違えます」
「黒田と同じだな」
「はい!」
私は書きました。
――指名委員会は、取締役・会計参与の選任解任議案。執行役の選任ではない。
これなら忘れません。
「次は、監査委員会です」
私はノートをめくりました。
――監査委員会。
「これは黒田の不正を止めるために、一番必要そうな委員会ですね」
「ああ」
相馬先輩が頷きました。
「社長が好き勝手してないか、調べるわけだな」
「はい」
私は書きました。
監査委員会の主な仕事。
執行役・取締役・会計参与の職務執行を監査する。
監査報告を作成する。
さらに。
株主総会に提出する、会計監査人の選任・解任・不再任に関する議案の内容を決定する。
「……待て」
相馬先輩が言いました。
「指名委員会は、会計監査人を選ばないのか?」
「そこです!」
私は勢いよく頷きました。
「会計監査人の選任・解任・不再任に関する議案の内容を決めるのは、監査委員会なんです!」
「指名委員会じゃないのか」
「違います」
私は大きく書きました。
指名委員会。
取締役・会計参与。
監査委員会。
会計監査人。
「名前だけ見ると、会計監査人も指名委員会が候補を決めそうですよね」
「確かにな」
「でも、違います!」
ここは、行政書士試験で狙われそうなところです。
それから。
監査委員会には、実際に調査を行うための仕組みがあります。
「ここから少し面白くなりますよ」
私は言いました。
「監査委員会が選定した監査委員は、執行役や取締役、会計参与に報告を求めたり、会社の業務や財産の状況を調査したりできます」
「いつだ?」
「いつでもです」
「ほう」
私はさらに書きました。
会社本体。
報告要求・業務財産調査。
いつでも。
「じゃあ、子会社は?」
相馬先輩が尋ねました。
「子会社については、監査委員会の職務を行うため必要があるときに、事業の報告を求めたり、業務や財産の状況を調査したりできます」
「なるほど」
ここ。
微妙に違います。
会社本体は、いつでも。
子会社は、職務遂行のため必要があるとき。
もちろん、子会社側が正当な理由なく調査を妨げてよいという話ではありませんが、法律上の要件はきちんと区別しなければなりません。
私はノートに二重線を引きました。
――本体はいつでも。子会社は必要があるとき。
そして。
あの事件を思い出しました。
黒田は、自分の関連会社に設備を安く売ろうとしていた。
「先輩」
「何だ」
「もし現代の指名委員会等設置会社で、執行役が会社の財産を不当に流出させようとしていたら?」
「監査委員が調べるんだろ」
「はい」
「それで、不正が見つかったら?」
「取締役会への報告義務があります」
私は新しいページを開きました。
――監査委員の取締役会への報告義務。
執行役や取締役が不正行為をした、またはそのおそれがある。
法令・定款違反の事実がある。
著しく不当な事実がある。
こうした事実を認めたとき。
監査委員は、遅滞なく取締役会に報告しなければなりません。
「遅滞なく、か」
相馬先輩が呟きました。
「はい。いつまでも黙っていていいわけではありません」
私は黒田の監査委員会を思い出しました。
あの男たちは、不正を調べるどころか、黒田に都合のいい報告書を作っていました。
でも。
本来の監査制度は、そういうものではありません。
「そして、監査委員には、さらに強い権限があります」
「何だ?」
「差止請求です」
相馬先輩が眉を上げました。
「ほう」
私はノートに書きました。
――監査委員による執行役等の行為の差止請求。
執行役や取締役が、会社の目的の範囲外の行為、その他法令や定款に違反する行為をし、またはそのおそれがある。
そして。
その行為によって、会社に著しい損害が生ずるおそれがある。
この場合。
監査委員は、当該行為をやめるよう請求できます。
「つまり」
私は言いました。
「不正な行為が終わってから、報告書を書くことしかできないわけではないんです」
「事前に止められる場合があるんだな」
「そうです!」
ここが大切。
監査は、過去の間違いを数えるだけではありません。
将来の大きな損害を防ぐ役割も持っています。
「ただし」
私は鉛筆を立てました。
「社長の行為が気に入らないから、何でも差し止められるわけではありません」
「当たり前だな」
「法令・定款違反などと、会社に著しい損害が生じるおそれ。要件をきちんと確認する必要があります」
片桐所長が頷きました。
「そこを曖昧にするな」
「はい」
私は、もう一度事件を思い出しました。
黒田の設備売却。
会社に大きな損害を与えるおそれ。
利益相反の問題。
承認手続きの欠如。
もし未来の指名委員会等設置会社で、こうした事情があれば。
監査委員による調査。
取締役会への報告。
要件を満たす場合の差止請求。
そうした仕組みが、重要な意味を持つことになります。
「……監査って、強いですね」
私が呟くと、相馬先輩が答えました。
「権限があっても、使わなきゃ意味ねえけどな」
私は頷きました。
確かに。
どれほど立派な監査制度があっても。
監査する人が社長の顔色ばかり見ていたら、不正は止まりません。
法律が用意した権限を。
本当に使う人がいるかどうか。
そこが、会社を守る最後の分かれ道になるのです。
「では、第三の委員会!」
私はノートをめくりました。
――報酬委員会。
相馬先輩が笑いました。
「黒田が一番好きそうなところだな」
「間違いないです」
私は頷きました。
あの男。
自分の年間報酬を三千万円に引き上げようとしたのですから。
「報酬委員会は、何を決めると思いますか?」
「役員の給料だろ」
「はい。でも、そこに重要な言葉があります」
私は大きく書きました。
――個人別の報酬等の内容。
「個人別?」
「そうです」
私は説明しました。
指名委員会等設置会社では、報酬委員会が、執行役、取締役、会計参与の個人別の報酬等の内容を決定します。
「例えば」
私は言いました。
「A取締役は年間八百万円」
「うん」
「B取締役は年間六百万円」
「うん」
「C執行役は年間一千万円」
「なるほど」
それぞれの報酬内容を決めるのが、報酬委員会です。
「ただし、先輩」
「何だ」
「指名委員会等設置会社ではない通常の株式会社と、決め方を混同しないでくださいね」
「どう違うんだ?」
「現代の一般的な株式会社では、取締役の報酬は定款や株主総会決議による規律を受けます。個人別の配分については、適法な決定方法が問題になります」
「うん」
「でも、指名委員会等設置会社では、報酬委員会に個人別の報酬を決める法定の権限があるんです」
私は二重線を引きました。
――報酬委員会は、個人別の報酬を決める。
ただし。
もちろん、法律で定められた仕組みや報酬決定方針に従う必要があります。
社長の仲間が集まって、好き勝手に金額を書けばよいわけではありません。
「それと、もう一つ」
私は続けました。
「執行役が会社の支配人や使用人を兼ねている場合、その使用人としての報酬等の内容についても、報酬委員会が決定します」
「兼任していてもか」
「はい」
ここも注意。
執行役としての報酬だけを考えればよいわけではありません。
使用人としての報酬についても、法律上の規律があります。
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「黒田みたいに、自分で自分の給料を決めたがる奴がいるから、こういう仕組みが必要になるわけか」
「まさにそうです!」
私は少し考えました。
黒田の三千万円。
もし本当の報酬委員会があって。
法律上の要件を満たした社外取締役たちがいて。
きちんと報酬決定方針を定めていたら。
黒田一人の思いつきで、簡単に決められる話ではなかったでしょう。
でも。
それでも制度は万能ではありません。
委員が独立して判断しなければ、形だけの仕組みになってしまいます。
私はノートに書きました。
――報酬を決める仕組みより、報酬を公正に決めることが大切。
そのとき。
相馬先輩が言いました。
「こはる」
「はい?」
「お前の給料も、報酬委員会に決めてもらうか?」
「えっ!」
私は顔を上げました。
「本当ですか!」
「三人集めるか」
「ぜひ!」
「所長、俺、それからお前」
私は止まりました。
「先輩」
「何だ」
「私は取締役じゃありません」
「知ってる」
「そもそも、ここ株式会社じゃありません」
「それも知ってる」
「しかも、社外取締役が足りません!」
相馬先輩が吹き出しました。
「冗談だよ」
「期待したのに!」
所長が帳簿から顔を上げずに言いました。
「報酬は増やさん」
「まだ何も言ってません!」
……。
現代の会社法でも、見習いの給料を増やす魔法にはならないようです。
「さて」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「三つの委員会は分かった」
「はい!」
「でも、肝心なことが残ってるだろ」
「何ですか?」
「会社を実際に動かす奴だよ」
私は目を輝かせました。
「執行役ですね!」
「そうだ」
よし。
いよいよ、指名委員会等設置会社のもう一つの主役です。
「まず、執行役です!」
私はノートに大きく書きました。
――執行役。
「指名委員会等設置会社には、一人以上の執行役を置かなければなりません」
「一人でもいいのか」
「はい!」
「じゃあ、三つの委員会は三人以上なのに、執行役は一人でもいいんだな」
「そうです!」
私は頷きました。
ここ。
人数を混同しやすいところです。
三つの委員会は、それぞれ三人以上。
執行役は、一人以上。
「では、執行役は誰が選ぶでしょう?」
私が尋ねると、相馬先輩は少し考えました。
「指名委員会……と言いたいところだが」
「はい!」
「さっき違うって言ってたな」
「そうです!」
私は大きく書きました。
――執行役は、取締役会の決議で選任する。
「指名委員会ではありません!」
「分かったよ」
「大事なので二回言いました!」
「三回目は要らねえぞ」
私は笑いました。
そして続けます。
「執行役は、取締役を兼ねることもできます」
「ほう」
「つまり、取締役と執行役が、必ず別人でなければならないわけではありません」
ここも重要です。
経営の監督と業務執行を分離する仕組みですが、法律は取締役と執行役の兼任を認めています。
ただし、監査委員については別の制限があります。
監査する立場の人が、その会社の執行役を兼ねることはできません。
「自分で執行して、自分で監査したらおかしいですからね」
私が言うと、相馬先輩が頷きました。
「黒田みたいになるからな」
「まさに!」
私は藤沢精機の事件を思い出しました。
黒田は、自分で取引を決めて。
自分の仲間に監査させて。
問題なしという報告書まで作っていた。
でも、それでは監督とは呼べません。
「じゃあ、執行役の仕事は何だ?」
相馬先輩が尋ねました。
「二つあります」
私は指を二本立てました。
一つ。
取締役会の決議によって委任された、業務執行の決定。
二つ。
業務の執行。
「例えば」
私は説明しました。
「工場の新しい設備を導入するか、営業活動をどう進めるか、取引先への対応をどうするか」
「うん」
「そうした経営上の仕事を、取締役会から委任された権限の範囲で決めたり、実行したりします」
相馬先輩が頷きました。
「取締役会が何でも細かく決めるんじゃなくて、執行役に任せるわけだな」
「はい!」
ただし。
取締役会が法律上、委任できない事項まで、何でも執行役に任せられるわけではありません。
監督する側に残される権限もあります。
「つまり」
私は言いました。
「仕事を任せることと、監督をやめることは違うんです」
片桐所長が顔を上げました。
「いい言葉だな」
「ありがとうございます!」
「会社でも事務所でも、同じだ」
「はい!」
「相馬に仕事を任せても、私の責任が全部なくなるわけじゃない」
相馬先輩が苦笑しました。
「所長、俺はちゃんと仕事してますよ」
「知っている」
所長は短く答えました。
私は少し笑いました。
なるほど。
経営と監督の分離。
難しい言葉ですが、考え方は分かりやすい。
仕事をする人。
その仕事が適切か確認する人。
両方が必要なのです。
「次は、執行役の任期です」
私はノートをめくりました。
――執行役の任期。
「先輩、何年だと思います?」
「二年か?」
「惜しい!」
「何だと」
「執行役は、原則として一年を基準にした任期なんです」
私は説明しました。
正確には。
選任後一年以内に終了する事業年度のうち、最後のものに関する定時株主総会が終結したあと。
最初に招集される取締役会。
その取締役会の終結時までです。
「……長い」
相馬先輩が言いました。
「ですよね!」
「一年じゃ駄目なのか」
「試験では、正確な終期も大切なんです!」
私は頷きました。
単純に、選任からちょうど一年後。
というわけではありません。
定時株主総会の終結後、最初に招集される取締役会。
そこがポイントです。
「しかも、定款によって任期を短縮することができます」
「延長は?」
「この規定で認められているのは短縮です」
私は二重線を引きました。
――執行役の任期は原則一年基準。定款で短縮できる。
「それから、取締役の任期とも区別します」
「また違うのか」
「はい!」
現代の指名委員会等設置会社の取締役も、監督機能を重視する仕組みの下で、一年を基準とする任期が定められています。
一方、通常の株式会社の取締役は、原則二年です。
非公開会社では、一定の条件で任期をさらに長くすることもできます。
「だから」
私は言いました。
「取締役は全部二年、執行役も二年、と覚えると間違えます」
「面倒くせえな」
「会社法って、そういうところがあります!」
私は笑いました。
でも。
任期が短いことにも意味があります。
経営を任せた人の仕事ぶりを、定期的に評価する。
適任でなければ、交代を検討する。
会社を動かす権限を、いつまでも無条件に預けっぱなしにしない。
そんな考え方につながっています。
「それから、執行役の解任です」
私は言いました。
「これは分かるぞ」
相馬先輩が答えました。
「取締役会だろ?」
「正解です!」
私は大きく丸をつけました。
執行役の選任。
取締役会。
執行役の解任。
取締役会。
「しかも、取締役会の決議によって、いつでも解任できます」
「いつでもか」
「はい。ただし、解任に伴う損害賠償などの問題が生じる場合は、別に検討が必要です」
私は藤沢精機の黒田を思い出しました。
黒田は、自分を代表執行役と呼んでいました。
でも、昭和六十三年にはその法定の役職がない。
だから今回、実際に問題になったのは、黒田の代表取締役としての地位でした。
「先輩」
「何だ」
「現代の指名委員会等設置会社だったら、黒田さんみたいな人を執行役にした場合、取締役会で解任できるんですよね」
「ああ。お前の説明ならそうなるな」
「そして、代表執行役の地位だけを失わせることもできます」
「執行役の解任とは違うのか?」
「そこが次のポイントです!」
私は鉛筆を握り直しました。
「でも、その前に!」
私はノートに書きました。
――執行役の報告義務。
相馬先輩がため息をつきました。
「まだあるのか」
「あります!」
「執行役って大変だな」
「会社の経営を任されるんですから!」
私は続けました。
「執行役は、三か月に一回以上、自分の職務の執行状況を取締役会に報告しなければなりません」
「三か月に一回以上?」
「はい」
私は大きく書きました。
――三か月に一回以上、取締役会へ報告。
「つまり、半年に一回では足りません」
「なるほど」
「しかも、この報告は、他の執行役を代理人として行うこともできます」
「代理できるのか」
「はい。ただし、代理人になれるのは他の執行役です」
私は二重線を引きました。
「ここも重要です!」
「何がだ」
「誰でも代理できるわけじゃないんです!」
たとえば。
執行役Aが忙しい。
そこで、別の執行役Bに報告を任せる。
これは認められます。
でも。
一般の従業員Cに、同じ法律上の代理報告を任せる。
それでは足りません。
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「それから、取締役会が説明を求めた場合も重要です」
「どうなる?」
「執行役は取締役会に出席し、求められた事項について説明しなければなりません」
私は言いました。
「つまり、経営を任されているからといって、取締役会からの質問を無視できないんです」
「当然だな」
そこで私は、黒田の顔を思い浮かべました。
もし黒田が現代の執行役だったら。
「俺が経営してるんだ! 取締役会に説明なんかしねえ!」
そう叫んだかもしれません。
でも。
取締役会に説明を求められれば、応じる義務があります。
経営する権限と。
経営について説明する責任。
この二つは、切り離せません。
「……ちょっと待ってください」
私は鉛筆を止めました。
教材を思い出したのです。
「先輩!」
「何だ」
「執行役には、もう一つ重要な報告義務があります!」
「また報告か」
「しかも、報告先が違うんです!」
私は大きく書きました。
――会社に著しい損害を及ぼすおそれのある事実を発見したとき。
――直ちに、監査委員へ報告。
「ここです!」
私は勢いよく説明しました。
「執行役が、会社に著しい損害を与えるおそれのある事実を発見した場合、直ちに監査委員へ報告しなければならないんです」
「取締役会じゃないのか?」
「違います!」
私は二重線を引きました。
定期的な職務執行状況の報告。
取締役会。
著しい損害のおそれがある事実を発見したとき。
監査委員。
「この違い、試験で絶対に注意したいところです!」
相馬先輩が頷きました。
「なるほど。普通の報告と、危険を見つけたときの報告じゃ、相手が違うんだな」
「そうです!」
しかも。
定期報告は、三か月に一回以上。
重大な損害のおそれについては、直ちに。
時期まで違います。
「先輩、もし執行役が会社の資産を不当に流出させる計画を見つけたら?」
「監査委員に直ちに報告だな」
「正解!」
「じゃあ、普段の仕事の報告は?」
「取締役会です!」
私は嬉しくなりました。
でも。
ここで大切なのは、試験のひっかけ問題だけではありません。
危険な事実を見つけた人が、速やかに監査する側へ伝える。
それが、大きな損害を防ぐことにつながるのです。
「さて、いよいよ代表執行役です!」
私はノートをめくりました。
――代表執行役。
「黒田が勝手に名乗ってた肩書だな」
相馬先輩が言いました。
「はい!」
私は頷きました。
「現代の指名委員会等設置会社では、代表執行役という法律上の役職があります」
「誰が選ぶ?」
「取締役会です!」
私は大きく書きました。
――代表執行役は、取締役会が執行役の中から選定する。
「ここも重要です」
私は続けました。
「代表執行役は、執行役の中から選ばれます」
「じゃあ、執行役でない人を、いきなり代表執行役にできるのか?」
「できません」
「なるほど」
私はさらに説明しました。
「ただし、執行役が一人しかいない場合には、その人が代表執行役に選定されたものとされます」
「一人なら、自動的に代表執行役になるわけだな」
「そうです!」
私は二重線を引きました。
執行役が複数。
取締役会が代表執行役を選定。
執行役が一人。
その人が代表執行役。
「それから、代表執行役は取締役会の決議でいつでも解職できます」
相馬先輩が首をかしげました。
「解任じゃなくて、解職なのか?」
「そうです!」
私は勢いよく頷きました。
「ここ、すごく大切なんです!」
執行役という地位そのものを失わせる。
それが、執行役の解任。
一方。
執行役としての地位は残したまま、代表執行役としての地位だけを失わせる。
それが、代表執行役の解職です。
「なるほど」
相馬先輩が腕を組みました。
「つまり、代表執行役を解職されても、当然に執行役でなくなるわけじゃないんだな」
「そのとおりです!」
私はノートに書きました。
――解任は執行役の地位。解職は代表執行役の地位。
ここ。
名前が似ています。
でも、法律上の意味は違います。
「先輩、もし現代の指名委員会等設置会社で、黒田さんが代表執行役だったら?」
「まず代表執行役から外すことはできる」
「はい」
「それだけじゃ執行役としては残る場合がある」
「はい!」
「だから、執行役からも外すなら、別に解任の決議が必要になるわけだ」
「正解です!」
私は思わず拍手しました。
相馬先輩が嫌そうな顔をします。
「子供扱いするな」
「でも先輩、すごいです!」
「当たり前だ」
私は笑いました。
でも。
役職を失わせるときに、何の地位を失わせるのか。
そこを正確に区別することは、本当に重要です。
今回の藤沢精機でも。
黒田が代表取締役を解職されたことと。
取締役そのものの地位を失うことは、別問題でした。
代表の肩書が外れたからといって、当然に取締役でなくなるわけではありません。
「つまり」
私は言いました。
「誰をクビにするか、ではなく、どの法律上の地位について、誰が権限を持って決定するか、なんですね」
片桐所長が頷きました。
「そのとおりだ」
私は、その言葉をノートに書きました。
「では、代表執行役の権限です」
私は続けました。
「代表執行役は、会社の業務に関する裁判上・裁判外の行為について、広い代表権を持っています」
「裁判上・裁判外?」
相馬先輩が聞きました。
「はい」
私は説明しました。
例えば。
会社を代表して契約を締結する。
取引先との法律関係について意思表示をする。
会社の業務に関する訴訟上の行為をする。
そうした広い代表権です。
「つまり、会社の顔になるわけだな」
「そうです!」
ただし。
ここには、重要な注意点があります。
「先輩、もし会社が代表執行役に対して、『一千万円以上の契約は勝手にするな』という内部的な制限を設けていたら?」
「ほう」
相馬先輩が考えました。
「その制限に違反して契約したら、どうなる?」
「そこが問題です」
私はノートに書きました。
――代表権に加えた制限は、善意の第三者に対抗できない。
「例えば」
私は説明しました。
代表執行役が、会社を代表して二千万円の契約を結んだ。
会社の内部規程では、一千万円以上の契約には承認が必要だった。
でも。
取引相手は、その内部制限を知らなかった。
「この場合、会社は内部制限だけを理由に、善意の取引相手へ当然に契約の無効を主張できるわけではないんです」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「会社の内部事情を知らねえ相手を守るわけか」
「そうです!」
もちろん、代表権の問題だけで契約の有効性がすべて決まるわけではありません。
ほかの法令違反や、取引の事情によって、別の問題が生じることもあります。
でも。
内部的な制限を、知らない第三者にそのまま押しつけられない。
これが重要です。
「……あ」
私は手を止めました。
「先輩!」
「今度は何だ」
「さっきの電話相談とつながりました!」
「副社長の話か?」
「はい!」
会社の代表権。
そして。
代表権があるように見える肩書。
そうです。
次は、表見代表執行役です。
「先輩」
私は少し声を低くしました。
「もし、会社が代表権のない人に『社長』という肩書を与えたら、どうなると思いますか?」
「社長って名乗らせるのか?」
「はい」
「でも、本当は会社を代表する権限がないんだろ」
「そうです」
私はノートに書きました。
――表見代表執行役。
相馬先輩が眉をひそめました。
「表見?」
「外から見たときに、代表権があるように見える場合の問題です」
私は説明を始めました。
例えば。
ある指名委員会等設置会社に、執行役Aがいました。
でも。
Aは代表執行役ではありません。
会社を代表する権限は持っていない。
ところが会社は、Aに、
――副社長。
という肩書を与えました。
名刺にも副社長。
会社案内にも副社長。
取引先に対しても、副社長として紹介している。
「こんな場合、取引相手はどう思うでしょう?」
「会社を代表できる偉い人だと思うかもしれねえな」
「そうです!」
そこで。
Aが取引先と契約を結んだ。
相手は、Aに代表権があると信じていた。
でも会社があとから、
「Aには代表権がないから、うちは責任を負いません」
と言い出したら。
「……そりゃ、取引相手は困るな」
相馬先輩が言いました。
「はい」
私は頷きました。
そこで現代の会社法には、表見代表執行役の規定があります。
指名委員会等設置会社が、代表執行役以外の執行役に、社長、副社長など代表権があると認められる名称を付した場合。
その執行役がした行為について、善意の第三者に対して会社が責任を負うという仕組みです。
「つまり」
私は言いました。
「会社が自分で紛らわしい肩書を与えておいて、取引相手が信じたら『実は違いました』では済まない場合があるんです」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「肩書を与えた会社にも責任があるってことか」
「そうです!」
ただし。
ここにも重要な条件があります。
「先輩、表見代表執行役の規定が直接問題になるのは、どんな人ですか?」
「代表執行役じゃない執行役、か」
「正解です!」
私は二重線を引きました。
――代表執行役以外の執行役。
ここ。
とても大切です。
単に会社の従業員に「部長」という肩書を付けただけで、当然に表見代表執行役になるわけではありません。
法定の要件を満たすかどうかを、きちんと確認する必要があります。
「それから、取引相手についても」
私は続けました。
「善意の第三者であることが重要です」
「善意?」
「法律でいう善意は、基本的に事情を知らないという意味です」
つまり。
相手に代表権がないことを知っていた人まで、同じように保護されるわけではありません。
「なるほど」
相馬先輩が頷きました。
「会社も取引相手も、何でも無条件に守られるわけじゃねえんだな」
「はい!」
私はノートに書きました。
――表見代表執行役は、会社が与えた代表権らしい肩書と、善意の第三者の保護が鍵。
そして。
私は思い出しました。
昭和六十三年にも、これに似た制度があります。
表見代表取締役。
会社が代表権を持たない取締役に、社長、副社長など、代表権があるように見える名称を付した場合の問題です。
「先輩」
「何だ」
「昭和にも、似た考え方があるんですね」
「ああ」
「未来の会社法って、昔の商法から全部作り直したわけじゃないんですね」
「そうだろうな」
相馬先輩は頷きました。
法律の制度は変わります。
役職の名前も変わります。
でも。
会社が作り出した外観を信じた取引相手を、どう保護するか。
その考え方は、時代を超えて続いているのです。
窓の外が、少しずつ暗くなってきました。
私はノートを見直しました。
指名委員会。
監査委員会。
報酬委員会。
執行役。
代表執行役。
表見代表執行役。
……。
「多い!」
私は思わず叫びました。
相馬先輩が顔を上げます。
「何がだ」
「名前が多すぎです!」
「今さらか」
「しかも、全部似てるんですよ!」
私はノートを指差しました。
「指名委員会が執行役を選びそうなのに、選ぶのは取締役会!」
「うん」
「会計監査人を指名委員会が選びそうなのに、議案を決めるのは監査委員会!」
「うん」
「執行役は会社を動かすけど、当然に代表権を持つわけじゃない!」
「うん」
「代表執行役の解職と、執行役の解任は違う!」
「そうだな」
「報告義務も、取締役会と監査委員で違う!」
私は机に突っ伏しました。
「受験生を落とすために作った制度ですか……」
相馬先輩が笑いました。
「そんなわけねえだろ」
「だって!」
「こはる」
片桐所長が言いました。
「はい……」
「名前を覚える前に、仕事を覚えろ」
私は顔を上げました。
「仕事?」
「誰が何をするのかだ」
所長は静かに続けました。
「人を選ぶ準備をする者」
「……指名委員会」
「不正を監査する者」
「監査委員会」
「報酬を決める者」
「報酬委員会」
「会社の業務を執行する者」
「執行役」
「会社を代表する者」
「代表執行役」
「代表権があるように見える肩書を与えられた者について、第三者を守る仕組み」
「表見代表執行役!」
所長が頷きました。
「それでいい」
私は目を見開きました。
……あ。
すごい。
全部、役割で整理できました。
「所長!」
「何だ」
「今、すごく分かりました!」
「そうか」
「指名は候補者の議案!」
「うん」
「監査は不正のチェック!」
「うん」
「報酬は個人別の金額!」
「うん」
「執行役は仕事をする人!」
「うん」
「代表執行役は会社を代表する人!」
「そうだ」
「表見代表執行役は、肩書を信じた取引相手を守る話!」
所長が頷きました。
「よし」
私は思わず拳を握りました。
やった。
頭の中で、ごちゃごちゃになっていた制度が。
急に、整理されたのです。
「じゃあ、確認問題だ」
相馬先輩が言いました。
「はい!」
「指名委員会等設置会社の三つの委員会は?」
「指名委員会、監査委員会、報酬委員会です!」
「各委員会の委員は何人以上?」
「三人以上!」
「委員は誰から選ぶ?」
「取締役の中から!」
「誰が選定する?」
「取締役会!」
「社外取締役は?」
「各委員会の過半数!」
相馬先輩が頷きました。
「じゃあ、取締役の選任議案の内容を決めるのは?」
「指名委員会!」
「会計監査人の選任議案の内容は?」
「監査委員会!」
「個人別の報酬は?」
「報酬委員会!」
よし。
順調です。
相馬先輩が続けます。
「執行役は、何人以上必要だ?」
「一人以上!」
「誰が選任する?」
「取締役会!」
「いつでも解任できるか?」
「取締役会決議で、できます!」
「職務執行状況の定期報告は?」
「三か月に一回以上、取締役会へ!」
「会社に著しい損害のおそれがある事実を発見したら?」
「直ちに監査委員へ報告!」
「代表執行役は誰が選ぶ?」
「取締役会が、執行役の中から選びます!」
「執行役が一人なら?」
「その人が代表執行役になります!」
「代表執行役の地位だけを失わせるのは?」
「解職!」
「執行役そのものの地位を失わせるのは?」
「解任!」
私は息を吐きました。
完璧。
今なら、かなりの問題を解けそうです。
すると。
片桐所長が、静かに言いました。
「最後に一問」
「はい!」
「なぜ、そんな複雑な制度が必要なんだ?」
私は止まりました。
……。
なぜ。
三つの委員会。
社外取締役。
執行役。
代表執行役。
報告義務。
監査。
差止請求。
ここまで複雑な仕組みを作るのか。
私は少し考えました。
そして。
藤沢精機の事件を思い出しました。
黒田剛造。
会社の金は自分のものだと思っていた男。
自分の報酬を増やそうとした。
会社の財産を、関連会社へ安く移そうとした。
邪魔な取締役を、偽物の委員会で追い出そうとした。
でも。
正式な監査役が動き。
取締役会が動き。
法律上の手続きが確認されたことで。
黒田の暴走は止まった。
「……一人の人間に、全部の権限を集中させないためです」
私は答えました。
所長が頷きます。
「続けろ」
「会社を経営する人にも、間違いがあります」
「うん」
「自分の利益を優先してしまうこともあります」
「そうだ」
「だから、別の立場からチェックする人が必要なんです」
私は続けました。
「誰が役員になるか」
「うん」
「誰が会社を動かすか」
「うん」
「誰が報酬を決めるか」
「うん」
「誰が不正を止めるか」
私は一度、息を吸いました。
「それを一人の社長の気分に任せないために、法律が権限を分けているんです」
片桐所長は、しばらく黙っていました。
そして。
「そうだ」
短く言いました。
私は少し嬉しくなりました。
でも、所長は続けました。
「ただし、制度を作れば必ず不正がなくなるわけではない」
「はい」
「監督する者が、仕事をしなければ同じだ」
私は頷きました。
黒田の三つの委員会。
名前だけは立派でした。
でも。
中身は、黒田のために動く人間ばかり。
それでは意味がありません。
「法律は、権限を与える」
所長が言いました。
「だが、その権限を正しく使うのは人間だ」
私は、その言葉をノートの端に書きました。
ここまで整理して、私はようやく気づきました。
昭和六十三年の商法と、現代の会社法。
その違いは、単に新しい役職が増えたという話ではありません。
昭和の株式会社では、取締役会と監査役を中心とする仕組みが重要な役割を果たしていました。
当時の株式会社の設立には、七人以上の発起人が必要でした。
取締役も三人以上。
監査役も必要。
現在よりも、会社を作るための人的な要件が厳しかったのです。
そのため、必要な人数をそろえるために、名前だけの関係者を用意するような問題も起こり得ました。
一方。
現代の株式会社は、発起人一人でも設立できます。
機関設計によっては、取締役一人の株式会社も作れます。
資本金一円で設立することも可能です。
もちろん、事業を続けられるかどうかは別問題ですが。
会社設立の制度は、大きく変わりました。
そして。
現代では、会社の規模や性質に応じて、さまざまな機関設計を選べるようになっています。
取締役会。
監査役。
監査等委員会。
指名委員会等。
それぞれの仕組みに、異なる役割があります。
「先輩」
「何だ」
「昔は、会社を作るための人数をそろえること自体が大変だったんですね」
「ああ」
「でも現代では、少人数でも会社を作れるようになっている」
「そうなのか」
「はい。そして、経営をどう監督するかについても、いくつもの仕組みが用意されています」
私は続けました。
「会社を作りやすくすることと、会社の経営を適切に監督すること。その両方を考えて制度が整理されてきたんですね」
相馬先輩が頷きました。
「なるほどな」
私は六法を見つめました。
法律は、古い制度を全部捨てるためだけに改正されるわけではありません。
古い制度の中で積み重なった経験。
実際に起きた問題。
守るべき利益。
そうしたものを踏まえて、次の仕組みが作られていく。
だから。
昭和の商法を知ることには、意味がある。
現代の会社法を理解するためにも。
なぜ、そんな制度が必要なのかを考えるためにも。
「法律って、歴史を知ると面白いですね」
私は呟きました。
相馬先輩が笑います。
「お前、何でも面白がるな」
「だって、本当に面白いんです!」
私は笑いました。
昔の商法。
現代の会社法。
制度は変わります。
でも。
会社の権力が一人に集中すれば、不正が起きやすくなる。
会社の財産を私物化すれば、ほかの人が損害を受ける。
取引相手は、会社の肩書を信じて行動することがある。
そうした問題は、時代が変わっても消えません。
だからこそ。
会社法は、権限と責任を細かく分けているのでしょう。
私はノートの最後のページを開きました。
今日の一行。
何を書こう。
指名。
監査。
報酬。
執行。
代表。
表見。
全部大事です。
でも。
覚えるべき本質は、一つ。
私は鉛筆を握りました。
そして、ゆっくり書きました。
――指名は「人の議案」、監査は「不正の監督」、報酬は「個人別の額」、執行役は「仕事」、代表執行役は「会社の顔」。
「……できました!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、覚えやすいんじゃねえか」
「褒めましたね!」
「気のせいだ」
「またそれですか!」
私は笑いました。
でも。
この一行は、たぶん忘れません。
藤沢精機の事件を思い出せばいいのです。
指名委員会。
取締役を勝手に解任したつもりになった黒田。
監査委員会。
不正を止めるどころか、隠そうとした黒田。
報酬委員会。
自分の報酬を三千万円にしようとした黒田。
そして。
代表執行役。
存在しない法定の肩書を名乗って、会社を支配しようとした黒田。
全部。
法律上の権限を無視した結果でした。
もし本当の指名委員会等設置会社だったとしても。
同じようなことが許されるわけではありません。
人を選ぶ準備をする権限。
会社の不正を監査する権限。
報酬を決める権限。
仕事を執行する権限。
会社を代表する権限。
それぞれが、法律によって分けられているのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今日の勉強は終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、机を片付けろ」
「え?」
「六法も棚に戻せ」
「はい」
「それから、床も掃け」
……。
私は止まりました。
「先輩」
「何だ」
「それ、さっきも私にやらせましたよね」
「見習いだろ」
「でも!」
私はノートを持ち上げました。
「今日、経営と監督の分離を勉強しました!」
「それがどうした」
「つまり、仕事をする人と、監督する人を分けるべきです!」
「うん」
「だから私は、監督する側に回ります!」
相馬先輩が眉を上げました。
「ほう」
「先輩が掃除してください!」
私は胸を張りました。
「私は監査委員会です!」
……。
沈黙。
相馬先輩が、ゆっくり笑いました。
「お前な」
「はい!」
「監査委員会の委員は、誰から選ぶんだった?」
「取締役です!」
「お前、取締役か?」
「……違います」
「誰が選定する?」
「取締役会です……」
「この事務所に取締役会はあるか?」
「……ありません」
「じゃあ、お前は何だ?」
私は小さく答えました。
「……見習いです」
「よし。掃除しろ」
「ぐぬぬ……!」
相馬先輩が笑い出しました。
悔しい。
でも。
法律上の肩書は、勝手に名乗れば手に入るわけではありません。
まして。
都合のいい権限だけ、勝手に持ってくることもできません。
……黒田と同じ失敗をするところでした。
「分かりましたよ!」
私は箒を手に取りました。
「掃除します!」
「いい返事だ」
「でも先輩!」
「今度は何だ!」
「私にも報酬委員会を作る権利があると思います!」
「ねえよ!」
「せめて掃除手当を!」
「所長に言え!」
私は奥の机を見ました。
「所長!」
「何だ」
「本日の掃除手当について、個人別の報酬を決定していただけませんか!」
片桐所長は帳簿を閉じました。
そして、静かに言いました。
「零円だ」
「……!」
相馬先輩が吹き出しました。
「即決だったな!」
「所長!」
「何だ」
「私の報酬委員会は、どこにあるんですか!」
「この事務所にはない」
「ですよね!」
……。
まったく。
昭和六十三年の行政書士事務所には、指名委員会等設置会社よりも、ずっと手強い経営者がいるようです。
それでも。
私は笑いながら床を掃き始めました。
窓の外。
夕暮れの町に、家々の明かりが灯っていきます。
遠くから、工場の機械音が聞こえました。
あのどこかで。
藤沢精機の人たちも、今日一日の仕事を終えようとしているのでしょう。
黒田の不当な取引計画が止まり。
会社の財産が守られ。
藤沢さんが、再び工場に戻った。
もちろん。
それだけで会社の問題が全部解決したわけではありません。
経営の立て直し。
取引先との信頼関係。
従業員たちの将来。
まだまだ考えるべきことがあります。
でも。
少なくとも。
誰か一人が、会社のすべてを自由に決めていいわけではない。
そのことを、会社の人たちは思い出したはずです。
指名委員会。
監査委員会。
報酬委員会。
執行役。
代表執行役。
表見代表執行役。
どれも、最初は覚えにくい法律用語でした。
でも。
今なら分かります。
これらの制度は、社長を偉くするためにあるのではありません。
会社の権限を適切に分け、監督し、必要な責任を負わせるためにあるのです。
そして。
会社の外にいる取引相手を守るための仕組みもある。
その全部が、会社という大きな組織を動かすためのルールになっている。
私は箒を止め、ノートの最後の一行をもう一度読みました。
――指名は「人の議案」、監査は「不正の監督」、報酬は「個人別の額」、執行役は「仕事」、代表執行役は「会社の顔」。
よし。
完璧。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで掃除しろ!」
「今、学習内容を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「会社法では、監督と執行を分離するんですよ!」
「だから何だ!」
「私は監督する側が向いてると思います!」
「まず掃除を執行しろ!」
「横暴です!」
「文句があるなら所長に言え!」
私は所長を見ました。
「所長!」
「何だ」
「この事務所にも、指名委員会等設置会社のような仕組みを導入しませんか!」
所長は少し考えました。
そして。
「検討しておく」
と言いました。
「本当ですか!」
「ああ」
私は目を輝かせました。
「では、まず報酬委員会から!」
「その前に」
「はい!」
「掃除委員会を設置する」
「……え?」
「委員は、こはる一人だ」
……。
私は固まりました。
「所長!」
「何だ」
「委員会は三人以上です!」
「これは任意の掃除委員会だ」
「社外取締役も必要です!」
「必要ない」
「取締役会の決議は!」
「ない」
相馬先輩が大笑いしました。
「こはる、お前、黒田の事件から何も学んでねえな!」
「学びましたよ!」
「だったら分かるだろ」
「何がですか!」
「名前を付けただけじゃ、法律上の委員会にはならねえんだよ!」
……。
確かに。
そのとおりです。
掃除委員会。
名前だけは立派。
でも。
そこに会社法上の指名委員会等と同じ権限が生まれるわけではありません。
私は深いため息をつきました。
なるほど。
今日の勉強は、最後の最後まで役に立つようです。
残念ながら。
その知識を使っても、掃除当番から逃げることはできませんでした。
それでも、私は少しだけ笑いました。
だって。
会社法の難しい制度が、やっと頭の中で一つにつながったのですから。
指名は、人の議案。
監査は、不正の監督。
報酬は、個人別の額。
執行役は、仕事。
代表執行役は、会社の顔。
そして。
表見代表執行役は、肩書を信じた善意の第三者を守る仕組み。
もう、混同しません。
たぶん。
……いえ。
絶対に。
「先輩!」
「今度は何だ!」
「次の行政書士試験なら、指名委員会等設置会社は満点です!」
「昭和六十三年の試験には、そんな制度出ねえぞ!」
「……!」
そうでした。
最大の問題が残っていました。
この時代には。
まだ、指名委員会等設置会社そのものが存在しないのです。
私は箒を握りしめました。
……未来の試験知識。
役に立つ日は、まだまだ先のようです。
それでも。
今日覚えた考え方は、きっと無駄にはなりません。
会社の権限は、肩書だけでは決まらない。
権限には、必ず責任が伴う。
そして。
どれほど立派な仕組みを作っても、それを正しく使う人間がいなければ、会社は守れない。
私はノートを閉じました。
昭和六十三年。
片桐行政書士事務所。
今日も、会社の法律は奥が深い。
そして。
掃除当番の権限だけは、どうやら誰にも委任できそうにありませんでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




