[会社法・監査役会]法理編 こはるノート
多数決で決まったことが、いつでも正しいとは限りません。
三人のうち、二人が賛成した。
だから、一人は黙らなければならない。
普通の会議なら、そういう場面もあるでしょう。
でも。
会社の不正を調べる監査役まで、多数決で黙らせることができたら?
もし、三人の監査役のうち二人が社長の味方だったら。
残る一人は、会社の不正を見つけても何もできないのでしょうか。
答えは。
いいえ、です。
実は、現代の会社法には、監査役会が多数決で決めても、個々の監査役の権限を奪えないという重要なルールがあります。
そして。
この仕組みが必要とされる理由を、私は昭和六十三年の事件で思い知らされました。
存在しない監査役会。
社長の弟の会社に流れた三千万円。
帳簿を調べようとした監査役。
そして。
――監査役会で決めたから、お前は調べるな。
そう言い放ったワンマン社長。
あの事件には、現代の監査役会制度を理解するための、大切な問題が詰まっていたのです。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かっていました。
目の前には、使い慣れた大学ノート。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法編。
と書いてあります。
「……先輩」
「何だ」
「監査役会って、ややこしくないですか?」
相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「何がだ」
「監査役と監査役会ですよ」
「ああ?」
「名前がほとんど同じなんです!」
「そりゃ監査役が集まる会だからな」
「そういう問題じゃありません!」
私は鉛筆を握りました。
「監査役は一人でも仕事ができる。なのに、監査役会では多数決をする。じゃあ、どっちが偉いんですか?」
相馬先輩は煙草をくわえました。
「偉いかどうかで考えるな」
「え?」
「何のためにある機関なのかを考えろ」
……。
なるほど。
また、それですか。
片桐所長も、いつも同じことを言います。
会社の機関は、役割を分けるためにある。
社長が一番偉いから全部決めていい。
そんな制度ではないのです。
「じゃあ、昨日の事件から整理しましょう!」
私はノートを開きました。
東海精密工業株式会社。
資本金六億円。
監査役は森田修一さんを含めて二人。
代表取締役は黒崎剛三。
その弟が代表を務める会社に、合計三千万円が支払われていた。
経営改善指導料という名目。
しかし、業務の実態がはっきりしない。
そこで森田さんが帳簿を調べようとした。
すると。
社長が、監査役会決議通知書なるものを作った。
――監査役会の承認がなければ帳簿を調べてはいけない。
――違反する監査役には解任を含む措置を講ずる。
ところが。
昭和六十三年には、法律上の監査役会制度が存在しなかった。
「つまり!」
私は勢いよく言いました。
「存在しない機関の名前を使って、監査役の権限を奪おうとした事件です!」
「そうだな」
「しかも社長が会議の議長!」
「ああ」
「監査役でもないのに!」
「そうだ」
相馬先輩が頷きました。
「で、何が決め手だった?」
「監査役自身に法律上の調査権限があったことです!」
「よし」
そうです。
監査役会という名前が使えなくても。
監査役という機関は存在する。
その監査役には、会社を監査する権限がある。
会社の財産が不当に失われていないか。
取締役が適切に職務を行っているか。
必要な調査をすることができる。
だから、社長が勝手に作った会議の決定だけで、その権限が消えるわけではない。
「でも先輩」
「何だ」
「もっと面白いことがあるんです」
「また未来の話か?」
「……よく分かりましたね」
「お前の顔を見れば分かる」
ひどい。
でも、今回は本当に重要です。
私はノートに大きく書きました。
――監査役会。
そして、その下に。
――監査役会の決定は、個々の監査役の権限行使を妨げることができない。
「これです!」
相馬先輩が文字を見ました。
「……ほう」
「つまり、現代の会社法では!」
「また現代か」
「仮に監査役会が正式に存在しても、あの黒崎社長の作戦は通用しないんです!」
私は鉛筆を机に置きました。
「監査役会の多数決で、一人の監査役の調査権限を取り上げることはできません!」
相馬先輩が少しだけ笑いました。
「なるほどな」
「これ、すごく大切ですよね!」
「ああ」
私は頷きました。
監査役会は、監査役の上司ではない。
監査役を束ねる仕組みではあるけれど、個々の監査役から独立した監査権限を取り上げるための機関ではない。
ここを間違えると。
まさに今回のような、ひどい事件が起こってしまうのです。
「まずは人数です!」
私は新しいページを開きました。
――監査役会の構成。
「監査役会は、誰で作られると思いますか?」
相馬先輩が眉を上げました。
「監査役だろ」
「正解です!」
「当たり前だろ」
「でも、これが大事なんです!」
現代の会社法第三百九十条第一項。
監査役会は、すべての監査役で組織します。
「すべて、です!」
私は強調しました。
「つまり、社長が気に入った監査役だけを集めて、監査役会を作るわけではありません」
「なるほどな」
「取締役も、監査役会の構成員にはなりません」
「そうだろうな」
「だから、黒崎社長が監査役会の議長を務めて、監査役の権限を制限するなんて発想自体がおかしいんです!」
相馬先輩が頷きました。
「監査する側と、監査される側を混ぜたら意味がねえからな」
「そうなんです!」
私は大きく丸をつけました。
監査役会の構成員。
全員が監査役。
社長は構成員ではない。
取締役も構成員ではない。
「じゃあ、人数は?」
相馬先輩が聞きました。
「現代の監査役会設置会社では、監査役が三人以上必要です!」
「三人か」
「はい!」
私はノートに書きました。
――監査役三人以上。
「それだけか?」
「いいえ!」
私は勢いよく答えました。
「半数以上が社外監査役でなければなりません!」
会社法第三百三十五条第三項。
監査役会設置会社の監査役は三人以上。
そして、その半数以上は社外監査役である必要があります。
「半数以上って、半分でいいんだよな?」
相馬先輩が聞きました。
「はい。ただし、人数が奇数の場合は注意です!」
私は紙に数字を書きました。
監査役が三人。
社外監査役は二人以上。
監査役が四人。
社外監査役は二人以上。
監査役が五人。
社外監査役は三人以上。
「どうして三人だと二人必要なんだ?」
「一人では半数に届かないからです!」
「そうか」
「三人の半分は一・五人です」
「人間を半分にするなよ」
「しませんよ!」
私は笑いました。
「だから、整数で半数以上となると二人必要なんです」
相馬先輩は頷きました。
「じゃあ四人なら?」
「二人!」
「五人なら?」
「三人!」
「七人なら?」
「四人!」
「九人なら?」
「五人!」
「百一人なら?」
「五十一人!」
「……計算だけは速いな」
「だけって何ですか!」
私は頬を膨らませました。
でも。
これで人数の問題は整理できました。
監査役会。
三人以上。
社外監査役は半数以上。
奇数なら、半分を切り上げる。
「ところで先輩」
「何だ」
「どうして社外監査役が必要なんでしょう?」
相馬先輩は少し考えました。
「社内の人間だけだと、社長に遠慮するからか?」
「そのとおりです!」
私は昨日の事件を思い出しました。
黒崎社長。
会社を作った創業者。
強烈なワンマン経営者。
社員たちは、社長に逆らいにくい。
監査役の一人も、社長の古くからの知人だった。
もし。
監査役が全員、社長の言いなりだったら。
社長に都合の悪い帳簿を調べようとする人間が、誰もいなくなってしまう。
「だから外部の視点が必要なんですね」
「そういうことだろうな」
「ただし、単に会社の外から連れてくれば、誰でも社外監査役になれるわけではありません」
私は書き加えました。
社外監査役。
法律で定められた独立性に関わる要件を満たす監査役。
過去の勤務関係や親族関係などについても、法律上の条件がある。
「社長の弟を連れてきて『社外の人です』なんて言っても、簡単には通らないわけですね」
「まあ、名前だけ変えても駄目ってことだな」
「そうです!」
私は笑いました。
制度の目的は、社外という肩書を増やすことではない。
会社の経営陣から距離を置いた立場で、監査の独立性を高めること。
そこに意味があるのです。
「では次!」
私はノートをめくりました。
――監査役会の職務。
「監査役会には、大きく三つの仕事があります!」
相馬先輩が顔をしかめました。
「また三つか」
「法律って三つが好きですよね」
「お前の問題集の話だろ」
「でも試験に出ます!」
私は一つ目を書きました。
――監査報告の作成。
「監査報告?」
「はい。監査役会として監査報告を作成する仕事です」
私は昨日の三千万円の事件を思い出しました。
会社が不透明な支出をしている。
監査役が調査する。
必要な資料を確認する。
問題があるのか、ないのかを検討する。
そうした監査の結果を、法律上の手続に従って報告することが重要になります。
「でも先輩」
「何だ」
「監査役会が監査報告を作成するといっても、個々の監査役が何も考えなくていいわけじゃありません」
「当たり前だろ」
「そうなんです!」
監査役は、それぞれ監査の職務を果たす。
監査役会は、組織として監査報告を作成する。
この二つを混同してはいけない。
「つまり、監査役会があるから監査役個人の責任がなくなる、という話ではないんですね」
「そうだな」
私は頷きました。
次。
――常勤監査役の選定及び解職。
「常勤監査役?」
相馬先輩が聞きました。
「はい!」
「何だそりゃ」
「普段から継続的に監査の職務に取り組む監査役です」
私は説明しました。
「会社の監査って、年に一回帳簿を眺めれば終わり、というわけじゃないですよね」
「まあな」
「日々、会社では取引が行われています」
契約。
支払い。
借入れ。
設備投資。
取引先との交渉。
会社のお金は、毎日のように動いています。
「そこで、継続的に情報を集める監査役が重要になるんです」
「なるほどな」
「その常勤監査役を、監査役会が選定します」
私は赤線を引きました。
ここ、重要です。
常勤監査役を選ぶのは、監査役会。
社長が勝手に決めるわけではありません。
「ちなみに、社長の気に入らない常勤監査役を、社長が勝手に常勤から外すこともできません」
「そりゃそうだろうな」
「常勤監査役の解職も、監査役会の職務です」
私は書きました。
常勤監査役。
監査役会が選定。
監査役会が解職。
「ただし!」
私は鉛筆を立てました。
「ここ、引っかけ問題になりやすいです!」
「何がだ」
「常勤監査役から外すことと、監査役そのものを解任することは違います!」
相馬先輩が頷きました。
「そりゃ役職の話と、監査役を辞めさせる話は別だな」
「そうなんです!」
常勤監査役の解職。
これは、常勤という立場から外すこと。
一方。
監査役という役員そのものの解任は、原則として株主総会の特別決議による問題です。
「つまり、監査役会が気に入らない監査役を、そのまま会社から追い出せるわけではありません」
「なるほど」
私は頷きました。
これも。
監査役の独立性を考えると、とても重要です。
「そして三つ目です!」
私は書きました。
――監査の方針、会社の業務・財産の状況の調査方法、その他監査役の職務執行に関する事項の決定。
相馬先輩が、私のノートを覗き込みました。
「……長えな」
「長いです!」
「覚えにくいだろ」
「覚えにくいです!」
「威張るな」
私は苦笑しました。
「要するに、監査役会として、どう監査するかを決めるんです」
例えば。
今年は重要な取引先への支出を重点的に調べる。
工場の棚卸しを確認する。
子会社の財産状況を調べる。
不自然な資金移動に注意する。
「そういう方針を、監査役会で決めることができるんです」
「なるほどな」
「ただし!」
私は声を大きくしました。
「ここが今回の事件で、一番重要なところです!」
相馬先輩が顔を上げました。
「何だ」
「監査役会が監査の方針を決めても、個々の監査役の権限行使を妨げることはできません!」
会社法第三百九十条第二項ただし書。
これです。
まさに。
黒崎社長が理解していなかった考え方。
「例えば!」
私は昨日の事件を書きました。
森田監査役。
三千万円の支出を調べたい。
ほかの監査役。
調べなくていい。
仮に、現代の法律に従って正式な監査役会が設置されていたとしても。
監査役会が多数決で、
――森田は調べてはならない。
と決めることは、個々の監査役の法定権限を妨げることになります。
「だから、そんな決定で森田さんの調査権限を奪えないんですね!」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「監査役会は、監査役を黙らせるための会じゃねえ」
「そうです!」
「監査役が仕事をしやすくするための組織なんだな」
「そのとおりです!」
私は大きく丸をつけました。
――監査役会は監査方針を決める。しかし、個々の監査役の独立した権限を奪えない。
これ。
絶対に忘れません。
だって。
あの黒崎社長の顔を思い出せばいいのです。
監査役会で決めた!
だから調べるな!
俺が社長だ!
……。
残念でした。
現代でも、その理屈は通用しないのです。
「じゃあ次は、招集です!」
私は新しいページを開きました。
――監査役会の招集。
「先輩、監査役会を招集できるのは誰でしょう?」
「会長とか?」
「違います!」
「常勤監査役か?」
「それも違います!」
「じゃあ誰だよ」
私は胸を張りました。
「各監査役です!」
会社法第三百九十一条。
監査役会は、各監査役が招集します。
「各監査役?」
「はい!」
「誰でもいいのか?」
「監査役なら、原則としてそれぞれ招集権があります!」
私は頷きました。
ここも重要です。
取締役会の招集制度と、監査役会の招集制度を混同してはいけません。
「例えば、三人の監査役がいる会社を考えてください」
私は書きました。
監査役A。
監査役B。
監査役C。
「Aさんが常勤監査役だとします」
「うん」
「でも、BさんもCさんも、それぞれ監査役会を招集できるんです」
「なるほど」
「社長の許可はいりません!」
相馬先輩が笑いました。
「また黒崎社長か」
「はい!」
黒崎社長なら、きっとこう言うでしょう。
――監査役会を開きたければ、俺の許可を取れ!
でも。
監査役会の招集は、監査役自身の権限です。
監査される立場の社長に、いつ会議を開いていいか決められてしまったら。
都合の悪い問題があるたびに、会議を止められてしまいます。
「だから、各監査役が招集できるんですね」
「そういうことだな」
「ただし、招集権があることと、手続を無視していいことは別です」
私は付け加えました。
現代の会社法では、監査役会の招集通知についても定めがあります。
原則として、一週間前までに各監査役に通知します。
定款で、それより短い期間を定めることもできます。
また、監査役全員の同意があれば、招集手続を省略することもできます。
「でも先輩」
「何だ」
「これ、今回は人数と招集権をまず覚えたいです」
「そうだな」
「監査役会は各監査役が招集できる!」
私は二重線を引きました。
よし。
これで忘れません。
「次は、決議です!」
私はさらにノートをめくりました。
――監査役会の決議。
「先輩、監査役会で何かを決めるときは、何人の賛成が必要だと思いますか?」
「過半数だろ」
「正解です!」
「簡単だな」
「でも、ここに落とし穴があります!」
私は赤鉛筆を取りました。
会社法第三百九十三条第一項。
監査役会の決議は、監査役の過半数をもって行います。
「監査役の過半数、です!」
「それがどうした」
「出席した監査役の過半数、とは書いてありません!」
相馬先輩の目が少し鋭くなりました。
「……なるほど」
私は例を出しました。
監査役が三人いる会社。
そのうち二人だけが会議に出席した。
出席した二人のうち、一人が賛成。
一人が反対。
「決議は成立しますか?」
「しねえだろ」
「正解です!」
では。
三人中二人が賛成したら?
「成立するな」
「はい!」
監査役の過半数です。
三人なら二人以上。
四人なら三人以上。
五人なら三人以上。
「四人の過半数って二人じゃ駄目なのか?」
相馬先輩が聞きました。
「駄目です!」
「半分だろ?」
「半分ちょうどは、過半数ではありません!」
私は強調しました。
半数以上。
過半数。
名前が似ています。
でも、意味は違います。
半数以上は、半分ちょうどでもよい。
過半数は、半分を超える必要がある。
「ここ、行政書士試験では大事ですよ!」
「また試験か」
「はい!」
私はノートに並べました。
監査役会の社外監査役。
半数以上。
監査役会の決議。
過半数。
「違い、分かりました?」
「ああ」
「じゃあ問題です!」
「まだやるのか」
「監査役が四人。社外監査役は最低何人?」
「二人」
「正解!」
「決議に必要な賛成は?」
「……三人」
「大正解!」
私は拳を握りました。
「完璧です!」
相馬先輩は苦笑しました。
「お前、人に問題を出すのが好きだな」
「受験生ですから!」
「今は見習いだろ」
「両方です!」
……。
危ない。
現代の受験生という部分は、あまり強調しない方がよさそうです。
「しかし、こはる」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「何でしょう?」
「一つ気になることがある」
「はい」
「監査役会が過半数で決めるなら、さっきの話と矛盾しねえか?」
私は首をかしげました。
「さっき?」
「監査役会は監査の方針を決めるんだろ」
「はい」
「だったら、多数決で決めた方針には従うべきじゃねえのか?」
……。
なるほど。
いい質問です。
「先輩」
「何だ」
「そこが、監査役会の一番面白いところなんです!」
私は昨日の事件をもう一度、ノートに書きました。
森田監査役。
会社の三千万円の支出を調べたい。
ほかの監査役。
調査する必要はないと考えている。
「仮に現代の監査役会で、監査の重点事項を決めたとします」
「ああ」
「その方針は、監査役会としての決定です」
「そうだな」
「でも!」
私は鉛筆を立てました。
「それによって、森田さん個人の法定の調査権限が消えるわけではないんです!」
監査役会は、監査を組織的に進める。
一方。
個々の監査役も、独立した権限を持つ。
この二つは、両立します。
「監査役会が決めることと、各監査役が監査することは、役割が違うんですね」
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「だから、監査役会の多数決で、一人の監査役の目と口を塞ぐことはできねえ」
「そうです!」
私は思いました。
もし、多数決で一人の監査役の調査権限を取り上げられるなら。
社長の味方を過半数揃えるだけで、会社の不正を隠せてしまうかもしれません。
それでは。
監査役会を設けた意味がなくなってしまう。
「結局、会社法は人数だけでなく、権限の独立性まで守っているんですね」
「そういうことだな」
私はノートに書きました。
――監査役会は組織として決める。監査役は独立して監査する。
よし。
これなら、あの事件を思い出すだけで理解できます。
「では最後に、設置義務です!」
私はノートをめくりました。
――監査役会を置かなければならない会社。
「先輩、現代の株式会社は、全部監査役会を置く必要があると思いますか?」
「いや、そんなことはねえだろ」
「正解です!」
私は頷きました。
現代の株式会社は、規模や株式の譲渡制限などによって、必要な機関が違います。
監査役会を置く会社もあれば。
監査役会を置かない会社もある。
そして。
会社法第三百二十八条。
一定の会社には、監査役会と会計監査人を置く義務があります。
「基本となるのが、公開会社である大会社です!」
私は説明しました。
「ただし、監査等委員会設置会社や指名委員会等設置会社は除きます」
相馬先輩が顔をしかめました。
「……名前が似すぎだろ」
「ですよね!」
私は大きく頷きました。
監査役会。
監査等委員会。
指名委員会等。
会社法は、ときどき受験生に意地悪をしているとしか思えません。
「でも、この三つは別の制度です」
私は書きました。
監査役会設置会社。
監査等委員会設置会社。
指名委員会等設置会社。
「それぞれ違う機関設計なんです」
「なるほど」
「そして、監査等委員会設置会社や指名委員会等設置会社には、監査役を置きません」
「ほう」
「だから、同じ会社に監査役会まで重ねて置くわけではないんです」
相馬先輩が頷きました。
「別の仕組みで監督するってことか」
「そうです!」
私は大きく丸をつけました。
では。
大会社とは何か。
現代の会社法では、最終事業年度の貸借対照表上の資本金が五億円以上、または負債総額が二百億円以上である株式会社です。
「五億円!」
私は言いました。
「覚えやすい数字ですね!」
「そうか?」
「はい!」
昨日の東海精密工業。
資本金六億円。
現代の基準で考えれば、資本金の面では大会社に当たります。
ただし。
それだけで監査役会の設置義務が決まるわけではありません。
「ここが、もう一つの落とし穴です」
「何だ?」
「公開会社かどうかです!」
私は説明しました。
会社法でいう公開会社。
それは、単に株式を証券取引所に上場している会社という意味ではありません。
発行する株式の全部または一部について、譲渡による取得に会社の承認を要しない株式会社です。
「つまり、上場していなくても公開会社になり得るんです」
「そうなのか」
「はい!」
私は頷きました。
そして。
公開会社である大会社。
監査等委員会設置会社でも、指名委員会等設置会社でもない。
その場合は、監査役会及び会計監査人を置かなければなりません。
「では、公開会社ではない大会社は?」
相馬先輩が聞きました。
「会計監査人は必要ですが、監査役会の設置が当然に義務になるわけではありません!」
「なるほどな」
「ここ、大切です!」
私はノートに線を引きました。
大会社だから、必ず監査役会。
これは間違い。
公開会社かどうか。
どの機関設計を採用しているか。
そこまで確認する必要があります。
「会社法って、条件が多いですね……」
私は呟きました。
相馬先輩が笑いました。
「だから会社ごとに定款を見るんだろ」
「確かに!」
その一言で、私は納得しました。
会社の制度を理解するには、条文だけでは足りません。
定款。
登記。
役員構成。
会社の規模。
株式の譲渡制限。
そうした情報が必要なのです。
「ところで」
片桐所長が、奥から声をかけました。
「こはる」
「はい!」
「さっきから、妙に詳しいな」
……。
私は固まりました。
「え?」
「今の商法にはない制度を、ずいぶん具体的に説明している」
「あ、いや、その……」
まずい。
未来人。
また疑われました。
「勉強熱心なので!」
「そうか」
「はい!」
所長は少し考えました。
そして。
「では、昭和六十三年の制度と、今お前が説明した制度を区別してみろ」
「……はい!」
私は慌ててノートを開きました。
昭和六十三年。
会社の基本的なルールは、商法第二編。
大会社の監査については、商法特例法による制度がある。
監査役は存在する。
監査役の監査権限も存在する。
しかし、法律上の監査役会という機関はまだない。
「そこまではいいな」
所長が言いました。
「はい!」
私は続けました。
「でも、その後、監査制度は改正されていきます」
「……その後?」
「あ、将来的には、です!」
危ない。
「例えば、平成五年の商法改正では、大会社について監査役会制度や社外監査役制度が導入されることになります」
私は言いながら、自分で驚いていました。
平成五年。
昭和六十三年から、たった五年後です。
「だから、監査役会は会社法が独立したときに初めて生まれたわけではありません」
ここは重要です。
現代の会社法ができたのは、もっと後。
監査役会制度は、それより前の商法改正によって導入されています。
その後も、監査役の人数や社外監査役の要件などが見直されました。
そして。
平成十七年に会社法が制定され、平成十八年に施行。
それまで商法などに分かれていた会社の基本的な制度が、独立した会社法として整理されました。
「なるほど……」
私は、自分のノートを見ました。
昭和六十三年。
監査役会制度なし。
平成五年改正。
大会社に監査役会制度・社外監査役制度を導入。
その後も監査制度を強化。
平成十七年。
会社法制定。
平成十八年。
会社法施行。
そして現代。
監査役会の構成や権限などが、会社法の条文に整理されている。
「法律って、一度に全部変わったわけじゃないんですね」
私が言うと、所長が頷きました。
「制度は必要に応じて変わる」
私は少し考えました。
「つまり、昭和六十三年のような問題があって、監査制度をもっと機能させる必要があったんですね」
「そういう問題意識は理解できる」
所長が言いました。
「だが、制度を作っただけで不正が消えるとは限らん」
「はい」
「大事なのは、権限を与えられた人間が仕事をすることだ」
私は頷きました。
森田さん。
あの人が声を上げなかったら。
三千万円の問題は、ずっと隠されたままだったかもしれません。
監査役が二人でも。
三人でも。
五人でも。
その全員が黙っていたら、監査は機能しない。
「だから、制度と人の両方が必要なんですね」
「そうだ」
所長は短く答えました。
窓の外は、薄暗くなっていました。
私はノートを見直しました。
監査役会。
最初は、監査役が集まるだけの組織だと思っていました。
でも、違いました。
監査報告を作成する。
常勤監査役を選定・解職する。
監査の方針などを決定する。
各監査役が招集できる。
監査役の過半数で決議する。
そして。
監査役会の決定によっても、個々の監査役の権限行使を妨げることはできない。
「……よし!」
私は鉛筆を握りました。
「所長! 確認問題をお願いします!」
所長は帳簿を閉じました。
「いいだろう」
やった。
今日も、強制勉強会の始まりです。
「監査役会は、誰で組織される?」
「すべての監査役です!」
「最低何人必要だ?」
「三人以上です!」
「社外監査役は?」
「半数以上です!」
「監査役が五人なら?」
「社外監査役は三人以上!」
「監査役会の職務を言ってみろ」
「監査報告の作成!」
「うん」
「常勤監査役の選定及び解職!」
「うん」
「監査の方針、会社の業務・財産の調査方法その他監査役の職務執行に関する事項の決定です!」
所長が頷きました。
「招集できるのは?」
「各監査役です!」
「決議は?」
「監査役の過半数です!」
「監査役が四人なら、何人の賛成が必要だ?」
「三人!」
「では、監査役会が決めたことに反対した監査役は、独自に監査できなくなるか?」
「いいえ!」
私は勢いよく答えました。
「監査役会の監査方針等の決定は、個々の監査役の権限行使を妨げることができません!」
所長が頷きました。
「よし」
私は嬉しくなりました。
完璧。
これなら試験でも間違えません。
「じゃあ俺からも一問」
相馬先輩が口を挟みました。
「はい!」
「昭和六十三年の監査役会は、最低何人必要だ?」
「法定の監査役会制度がまだありません!」
「正解」
「でも、監査役制度はあります!」
「よし」
「社長が監査役の調査を勝手に止めることはできません!」
「そうだ」
「そして、現代の監査役会制度をそのまま昭和に持ち込んではいけません!」
相馬先輩が笑いました。
「ようやく覚えたな」
「はい!」
私は胸を張りました。
でも。
先輩は、そこで意地悪そうな顔をしました。
「じゃあ最後だ」
「はい!」
「監査役会がある会社なら、社長が監査役を解任できるか?」
「できません!」
「ほう」
「社長が一人で勝手に解任できるわけではありません。監査役の解任は原則として株主総会の特別決議が必要です!」
「よし」
「そして、常勤監査役から外すことと、監査役を解任することも違います!」
「正解だ」
私は拳を握りました。
「やりました!」
相馬先輩は、少しだけ笑いました。
「まあ、覚えたようだな」
私は嬉しくなりました。
試験の知識が。
昨日の事件を思い出すだけで、すらすら出てくる。
あの三千万円。
あの監査役会決議通知書。
黒崎社長の怒鳴り声。
そして。
森田さんの静かな決意。
――会社を守りたいんです。
その言葉が、頭から離れませんでした。
「所長」
私は尋ねました。
「何だ」
「監査役会って、結局、誰のためにあるんでしょう?」
所長は少し考えました。
「会社の監査を機能させるためだ」
「はい」
「その結果、会社と、それに関わる人々の利益を守ることにつながる」
私は頷きました。
会社。
株主。
債権者。
従業員。
取引先。
その会社には、いろいろな人が関わっています。
社長が会社の財産を不当に使ったら。
困るのは社長だけではありません。
会社の資金繰りが悪くなる。
取引先への支払いが遅れる。
従業員の給料にも影響するかもしれない。
だから。
会社の中には、経営する人とは別に、経営を監査する人が必要なのです。
「しかも」
私は呟きました。
「監査役は、社長に嫌われることも覚悟しないといけないんですね」
相馬先輩が頷きました。
「そういう仕事だろうな」
「大変ですね」
「ああ」
でも。
昨日の森田さんは、逃げませんでした。
社長に怒鳴られても。
解任すると脅されても。
帳簿を調べようとした。
その結果。
会社の不透明な支出について、説明が始まりました。
「制度って、使って初めて意味があるんですね」
私が言うと、片桐所長が頷きました。
「そうだ」
私は鉛筆を握り直しました。
そして。
ノートの最後に、一行を書きました。
――監査役会は「三人以上・社外半数・決議は過半数」。ただし、個々の監査役の監査権限は奪えない。
「……できました!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「長えな」
「ええっ!」
「一行にしては長い」
「でも必要なことを全部入れたんです!」
「欲張りだな」
「試験対策です!」
所長が小さく笑いました。
私は、もう一度その一行を読みました。
三人以上。
社外半数。
決議は過半数。
そして。
個々の監査役の権限は奪えない。
なるほど。
これなら。
現代の監査役会の基本が、一気に思い出せます。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「お前、監査役会を随分と褒めてたな」
「はい!」
「じゃあ、この事務所にも監査役会を作るか?」
私は目を丸くしました。
「え?」
「所長の仕事ぶりを監査するんだよ」
「……!」
私は思わず立ち上がりました。
「それ、いいですね!」
相馬先輩が笑います。
「だろ?」
「所長の帳簿を調べましょう!」
「おいおい」
「先輩の煙草代も!」
「何で俺の煙草代まで入るんだ!」
「事務所の経費かもしれませんから!」
「自腹だ!」
私はノートを開きました。
「では、監査の方針を決めます!」
「勝手に始めるな!」
「まず、所長の仕事時間!」
「うん?」
「次に、先輩の煙草代!」
「だから自腹だ!」
「そして、私の給料!」
相馬先輩が、ぴたりと止まりました。
「……お前、それが目的だろ」
「違います!」
「絶対そうだろ」
「適正な監査です!」
そのとき。
奥から片桐所長が言いました。
「こはる」
「はい!」
「うちは株式会社ではない」
……。
私は止まりました。
「あ」
「監査役会を置く話にはならん」
……。
確かに。
片桐行政書士事務所。
個人事業です。
株式会社ではありません。
会社法上の監査役会を設置する話には、なりません。
「……残念です」
相馬先輩が吹き出しました。
「ほらな!」
「でも!」
私は食い下がりました。
「事務所の経費を調べること自体は、悪くないですよね!」
所長が頷きました。
「そうだな」
「じゃあ!」
「経費帳簿の整理を頼む」
「……え?」
「領収書も整理してくれ」
「……!」
相馬先輩が笑い始めました。
「よかったな、こはる!」
「何がですか!」
「監査したいんだろ!」
「そうですけど!」
「じゃあ帳簿を整理しろ!」
「それは監査じゃなくて経理の仕事です!」
……。
しまった。
自分から仕事を増やしてしまいました。
私は机に突っ伏しました。
「先輩……」
「何だ」
「監査役って、思っていたより大変ですね」
「今さらかよ」
「資料を調べるだけでも大変です」
「そうだな」
「しかも、社長に怒られるかもしれない」
「ああ」
「それでも、不正がないか確認しなければいけない」
「そういう仕事だ」
私は顔を上げました。
そうです。
監査役は、会社の飾りではありません。
監査役会も、ただ人を集めるための組織ではありません。
監査報告を作る。
常勤監査役を選ぶ。
監査の方針を決める。
そして、各監査役が必要な監査を行う。
そのすべてが。
会社を健全に動かすための仕組みなのです。
私は、最後にもう一度ノートを読みました。
――監査役会は「三人以上・社外半数・決議は過半数」。ただし、個々の監査役の監査権限は奪えない。
よし。
完璧。
あの黒崎社長の事件があれば、絶対に忘れません。
なぜなら。
監査役会で決めたから調べるな。
そう言った社長が。
監査役の権限を理解していなかったばかりに、自分の不透明な支出について説明を求められることになったのですから。
法律は。
多数決で真実を消すことを許していません。
社長の怒鳴り声で、監査役の権限を消すことも許していません。
そして。
一人でも会社の不正を調べようとする人間がいるなら。
その人が職務を果たせるように、権限を守る仕組みがあるのです。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノートは終わったか!」
「終わりました!」
「じゃあ領収書を整理しろ!」
「……はい」
「監査したかったんだろ?」
「それとこれとは別です!」
「何が違う!」
「監査の独立性です!」
「お前、ただ働きたくねえだけだろ!」
私は思わず笑いました。
……なるほど。
監査役会が多数決で決めても、個々の監査役の権限は奪えない。
でも。
それは、見習いの私が事務所の経費整理を拒否できるという意味ではありません。
残念ながら。
会社法第三百九十条を持ち出しても。
所長から頼まれた領収書整理は、消えてくれないのでした。
「先輩!」
「今度は何だ!」
「私も常勤監査役みたいに、ずっと働かされるんですか!」
「お前は見習いだ!」
「じゃあ、非常勤がいいです!」
「勝手に決めるな!」
窓の外。
昭和六十三年の町に、工場の明かりが灯っていきます。
どこかで今日も。
森田さんは、会社の帳簿を見ているのでしょう。
社長の顔色ではなく。
会社の数字を見ながら。
不自然な支出がないか。
説明できない取引がないか。
真面目に働く人たちの生活を脅かす問題がないか。
その一つ一つを、確かめているはずです。
監査役会という制度がまだない、この時代でも。
監査役の仕事は、確かに存在している。
そして、未来の制度では。
その仕事を、組織として支える仕組みがさらに整えられていく。
私は領収書を並べながら、小さく呟きました。
「……法律って、やっぱり面白いですね」
相馬先輩が顔を上げました。
「何か言ったか?」
「いいえ!」
「じゃあ手を動かせ!」
「はいっ!」
法律の勉強は、まだまだ続きます。
ただし。
今日の教訓は、忘れません。
――監査役会は多数決で動く。しかし、多数決で監査役の目を塞ぐことはできない。
それが。
三千万円を隠そうとした社長の事件から学んだ、会社法の大切な原則なのでした。
以下に私の作品へのリンク貼ってます。是非、手に取って頂ければと思います。また、ついでに評価ブックマーク頂ければ幸いです。




