[会社法・会計参与]法理編 こはるノート
会社の数字は、社長の希望を書く場所ではありません。
売上を増やしたい。
赤字を消したい。
銀行に立派な決算書を見せたい。
そんな気持ちは分かります。
でも。
実際には売れていない商品を、売れたことにする。
会社から持ち出したお金を、なかったことにする。
それは、経営努力ではありません。
ただの数字のごまかしです。
そして。
現代の会社法には、そんな数字の信頼性を支えるために設けられた、少し変わった役員がいます。
会計参与。
取締役でもありません。
監査役でもありません。
ただの経理担当者でもありません。
取締役と共同して計算書類を作成する、会計の専門家です。
ただし。
昭和六十三年には、まだ存在しません。
……。
これが、転生者には厄介なのです。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かっていました。
目の前には、一冊のノート。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法編。
と書いてあります。
「……会計参与って、名前が地味ですよね」
私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「またそれか」
「何がです?」
「この前から、ずっと会計参与って言ってるだろ」
「だって大事なんです!」
「この時代にはいねえんだろ」
「そうです!」
「じゃあ、今すぐ役には立たねえじゃねえか」
「でも、試験に出るんです!」
「何の試験だよ」
……。
しまった。
現代の行政書士試験です。
もちろん、昭和六十三年の相馬先輩には説明できません。
「と、とにかく!」
私はノートを開きました。
「この前の森下さんの事件を思い出してください!」
「ああ。あの経理担当の人か」
「そうです!」
東海精密部品株式会社。
経理担当者の森下澄江さん。
十五年間、会社の帳簿を守ってきた女性です。
ところが。
黒崎社長は、売上高を六百万円水増しし、社長仮払金三百万円を帳簿から消すよう命じました。
森下さんが拒否すると。
「経理の責任者なんだから、全部お前の責任だ!」
と責任を押しつけようとしたのです。
しかし。
森下さんは取締役でも監査役でもありません。
まして。
会計参与でもありません。
そもそも昭和六十三年に会計参与という役員は存在しないのです。
「結局、どうなったんだっけな」
相馬先輩が聞きました。
「商法上の取締役の責任を整理して、森下さん名義の内容証明を作成しました」
「そうだったな」
「それから、監査役の山根さんに事実関係を報告する書類も作りました」
「ああ」
「帳簿と銀行記録を照合したことで、社長の不正な修正指示が問題になったんです」
そして。
黒崎社長は、森下さんへの懲戒処分の検討を撤回しました。
決算書も、元の記録に基づいて見直されることになりました。
「つまり」
私は言いました。
「昔の商法でも、取締役と監査役の仕組みを使って、会社の数字を守ることはできたんです」
「そうだな」
「でも現代では、さらに会計参与という制度があるんです!」
相馬先輩が煙草を取り出しました。
「で?」
「今日は、それを徹底的に整理します!」
「……嫌な予感がするな」
「まずは、会計参与が何者なのかからです!」
そこへ。
片桐所長が奥の部屋から出てきました。
「相馬」
「はい」
「付き合ってやれ」
「またですか」
「俺も少し聞いてみたい」
私は目を輝かせました。
やった。
所長まで参加です。
こうして。
昭和六十三年には存在しない役員についての、奇妙な勉強会が始まったのでした。
「まず、会計参与の基本です!」
私はノートの中央に、大きく書きました。
――会計参与。
その下に。
――取締役と共同して計算書類等を作成する役員。
「ここが一番大事です!」
私は鉛筆で二重線を引きました。
「会計参与は、取締役と共同して、計算書類等を作成します」
「共同?」
相馬先輩が聞き返しました。
「はい!」
「じゃあ、会計参与が一人で勝手に決算書を作るわけじゃねえんだな」
「そのとおりです!」
私は頷きました。
「現代の会社法第三百七十四条第一項です」
「会社法……」
相馬先輩が眉をひそめました。
「また未来の法律か」
「そうです!」
「堂々と言うな」
「今日は比較の勉強ですから!」
私は説明を続けました。
会計参与の仕事は、大きく二つ。
一つ。
取締役と共同して、計算書類等を作成すること。
もう一つ。
会計参与報告を作成すること。
「会計参与報告?」
相馬先輩が聞きました。
「はい。会計参与が、その職務に関して作成する報告書です」
「なるほどな」
「つまり、ただ計算して終わりじゃないんです」
私はノートに書き加えました。
――共同作成。
――会計参与報告。
「この二つをセットで覚えます!」
すると。
片桐所長が口を開きました。
「こはる」
「はい!」
「その会計参与には、誰でもなれるのか」
「なれません!」
私は即答しました。
「公認会計士、監査法人、税理士、税理士法人でなければなりません!」
「ほう」
「つまり、会計の専門的な資格を持つ人たちです」
所長は頷きました。
「専門家に、会社の計算書類について責任を持たせる仕組みか」
「そうです!」
「それなら、取締役に言われたまま数字を作るだけでは困るな」
「まさにそこです!」
私は勢いよく答えました。
黒崎社長の事件を思い出してください。
社長は、経理担当者に言いました。
「売上を六百万円増やせ!」
「三百万円は帳簿から消せ!」
もし。
そこに現代の会計参与がいたら。
取締役と共同して計算書類を作る立場として、根拠のない数字を簡単に受け入れるわけにはいきません。
「でも、こはる」
相馬先輩が言いました。
「会計参与がいれば、絶対に粉飾決算は起きないのか?」
「いいえ!」
私は首を横に振りました。
「制度があっても、不正が絶対になくなるわけではありません」
「だろうな」
「ただ、専門家が計算書類の作成に関与することで、信頼性を高めようとしているんです」
所長が頷きました。
「人間の欲望を、制度で抑えるわけだな」
「はい」
私は、その言葉をノートの端に書きました。
――専門家の関与は、数字の信頼性を支える。
なるほど。
会計参与は。
単なる計算係ではありません。
会社の計算書類について、取締役とともに責任ある役割を担う専門家なのです。
「ところで」
相馬先輩が言いました。
「そいつは、ただの経理担当者と何が違うんだ?」
「大きく違います!」
私は待っていましたとばかりに答えました。
「まず、会計参与は会社の役員です!」
「役員?」
「はい!」
現代の会社法では。
取締役。
会計参与。
監査役。
この三者は、いずれも役員に含まれます。
「経理部長も役員なのか?」
「いいえ!」
「じゃあ、何が違う」
「法律上の地位です!」
私は、森下さんの事件を思い出しました。
森下さんは、経理担当の従業員。
十五年間、会社の帳簿を作ってきました。
でも。
会社の役員として選任されたわけではありません。
黒崎社長が、
「経理の責任者だから全部お前の責任だ!」
と叫んでも。
それだけで、森下さんが取締役や監査役になるわけではありません。
もちろん、従業員でも自分の違法行為について責任を負う場合はあります。
しかし。
会社の役員としての法的責任を、社長の一言で勝手に背負わされるわけではないのです。
「じゃあ、会計参与は?」
先輩が聞きました。
「正式に選任される会社の役員です」
「つまり?」
「肩書だけじゃなく、法律上の職務と責任があるんです!」
相馬先輩は頷きました。
「なるほどな」
私はさらに書き加えました。
――取締役は、会社の業務執行を担う。
――監査役は、法令や会社の機関設計に応じた監査を担う。
――会計参与は、取締役と共同して計算書類等を作成する。
「同じ役員でも、仕事が違うんですね」
「そういうことだな」
「それと、会計参与は監査役の代わりではありません」
私は念を押しました。
会計参与は、取締役と共同して書類を作る側。
監査役は、法律上の監査をする側。
似ているようで、役割が違います。
「作る側と、調べる側か」
相馬先輩が言いました。
「覚えやすいですね!」
「お前が覚えるために言ったんじゃねえよ」
「でも採用します!」
私は大きく丸をつけました。
――会計参与は共同作成、監査役は監査。
よし。
これなら忘れません。
「次は、会計参与の備置き義務です!」
私はページをめくりました。
――会社法第三百七十八条。
「備置き?」
相馬先輩が首をかしげました。
「はい。簡単に言えば、書類を一定の場所に置いて、保存しておくことです」
「会社の帳簿なんだから、会社の金庫に入れときゃいいんじゃねえのか」
「ところが、会計参与には独自の備置き義務があるんです!」
私は鉛筆を握り直しました。
会計参与は、一定の計算書類や報告書を、会計参与が定めた場所に備え置かなければなりません。
「ここ、重要です!」
「何がだ」
「会社の本店に置けばいい、とだけ覚えるのは間違いです」
「ほう」
「会計参与が定めた場所、なんです!」
所長が頷きました。
「なるほど」
「つまり、会社側が保管する書類とは別に、会計参与自身にも法律上の備置き義務があるんです」
私はノートに書きました。
まず。
各事業年度に係る計算書類。
その附属明細書。
そして会計参与報告。
さらに。
臨時計算書類を作成した場合には、その臨時計算書類と会計参与報告。
「臨時計算書類?」
相馬先輩が聞きました。
「通常の事業年度末とは別に、法律に従って臨時に作成する計算書類です」
「なるほど」
「これらを、法律で決められた期間、備え置くんです!」
私はそこで、一度息を吸いました。
ここからが。
行政書士試験で間違えやすい数字です。
「先輩!」
「何だ」
「五年です!」
「何が」
「保存期間です!」
私はノートに大きく書きました。
――五年間。
「長いな」
「はい!」
ただし。
いつから五年間なのか。
ここを間違えてはいけません。
「まず、通常の事業年度の計算書類などです」
私は説明しました。
取締役会設置会社ではない場合。
定時株主総会の日の一週間前の日から、五年間。
「一週間前?」
「はい!」
「総会が終わってからじゃねえんだな」
「そこです!」
私は大きく頷きました。
定時株主総会の前から、備え置かなければなりません。
「じゃあ、取締役会がある会社は?」
先輩が聞きました。
「二週間前です!」
「二週間?」
「はい!」
私は二重線を引きました。
取締役会設置会社。
定時株主総会の日の二週間前の日から、五年間。
取締役会設置会社でない場合。
定時株主総会の日の一週間前の日から、五年間。
「なんで二種類あるんだよ」
相馬先輩が顔をしかめました。
「法律ですから!」
「説明になってねえ!」
「でも試験では、二週間と一週間を区別するんです!」
私は胸を張りました。
所長が静かに聞きました。
「臨時計算書類は?」
「はい!」
私は答えました。
「臨時計算書類を作成した日から、五年間です!」
所長が頷きました。
「定時株主総会の日から数えるわけではないんだな」
「そうです!」
私はノートに大きく書きました。
通常の計算書類等。
――総会前一週間、取締役会設置会社は二週間。そこから五年間。
臨時計算書類等。
――作成日から五年間。
「できました!」
私は満足して鉛筆を置きました。
すると。
相馬先輩が言いました。
「こはる」
「はい?」
「何でそんなに細かく保存するんだ?」
私は少し考えました。
そして。
森下さんの帳簿を思い出しました。
十五年間。
一円単位で確認してきた記録。
それが。
社長の不正な修正指示を明らかにする材料になりました。
「後から、数字を確かめられるようにするためです」
「うん」
「計算書類の信頼性を支えるためにも、作成した書類を適切に備え置くことが必要なんです」
所長が頷きました。
「数字は、作ったときだけ正しければいいわけではない」
「はい」
「後から確認できなければ、信用も揺らぐ」
私は、その言葉に赤線を引きました。
――数字の信頼は、記録を残すことでも守られる。
なるほど。
備置き義務という地味な規定にも。
ちゃんと理由があるのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が、私のノートを覗き込みました。
「はい?」
「その書類、五年間しまっておくだけでいいのか?」
「いい質問です!」
「何でお前が先生みたいになってんだよ」
「今日は私が先生です!」
「調子に乗るな」
私は笑いながら、ノートの端に書き加えました。
――閲覧。
「実は、会計参与が備え置いている書類には、閲覧などを請求できる仕組みがあるんです」
「誰が?」
「株主や会社債権者です!」
私は説明を続けました。
たとえば。
会社にお金を貸している人。
その人にとって、会社の決算書は大切です。
本当に返済できるのか。
財産はどのくらいあるのか。
会社の数字が信用できなければ、安心して取引できません。
「だから、会計参与が書類を備え置くことには意味があるんですね」
「なるほどな」
「ただし、いつでもどんな方法でも無料で全部持ち帰れる、という意味ではありません」
会社の営業時間内であることなど、法律上の条件があります。
書面の閲覧や謄本・抄本の交付など、請求の種類によって扱いも異なります。
「つまり、備置き義務と閲覧制度はつながっているんです」
所長が頷きました。
「保管するだけではなく、必要な者が確認できる仕組みか」
「はい!」
私はノートに丸をつけました。
会計参与は、ただ決算書を作るだけではありません。
作成した書類の信頼性を、後から確認できるようにする。
そこまでが、大切な役割なのです。
「さて!」
私は次のページをめくりました。
「ここからが、森下さんの事件と一番関係の深いところです!」
――会計参与の報告義務。
「報告?」
相馬先輩が聞きました。
「はい。現代の会社法第三百七十五条です」
私は黒板の代わりに、ノートを掲げました。
「会計参与は、職務を行う際に、取締役の職務執行に関して不正行為や、法令または定款に違反する重大な事実を発見した場合、遅滞なく報告しなければなりません!」
「なるほど」
「これ、ものすごく大事なんです!」
私は、黒崎社長の顔を思い浮かべました。
あの人は言いました。
売上を六百万円増やせ。
社長仮払金三百万円を消せ。
そして。
責任は経理担当者に押しつけろ。
「もし、会計参与がこんな事実を発見したら?」
私が尋ねると、相馬先輩が答えました。
「知らん顔はできねえな」
「そのとおりです!」
不正の行為。
または。
法令もしくは定款に違反する重大な事実。
これらを職務中に発見したとき、報告義務が問題になります。
「ただし、ここからが試験の引っかけです!」
「また引っかけか」
「法律は引っかけだらけです!」
「法律じゃなくて、お前の勉強の仕方の問題じゃねえか」
「細かいことは気にしないでください!」
私は鉛筆を立てました。
「先輩、問題です!」
「おう」
「会計参与が取締役の重大な不正を発見しました。誰に報告しますか?」
「そりゃ、社長だろ」
「違います!」
「何でだよ!」
「その社長が不正をしているかもしれないじゃないですか!」
「ああ、そうか」
「原則は、株主です!」
私は大きく書きました。
――原則、株主に報告。
「株主か」
「はい!」
でも。
ここで終わりではありません。
「では、監査役設置会社の場合は?」
相馬先輩が少し考えました。
「……監査役か?」
「正解です!」
私は机を叩きました。
――監査役設置会社では、監査役に報告。
「ここを絶対に混同しないでください!」
相馬先輩が笑いました。
「何で俺が試験を受けることになってんだ」
「先輩は今日から受験生です!」
「勝手に決めるな!」
私は続けました。
「大切なのは、監査役がいる会社と、いない会社で報告先が違うことです」
監査役設置会社では、監査役に報告する。
そうでない会社では、株主に報告する。
「じゃあ、取締役会がある会社なら?」
相馬先輩が聞きました。
「取締役会があるというだけで、報告先が取締役会になるわけではありません」
「ほう」
「会計参与の報告義務では、監査役設置会社かどうかが重要なんです!」
私は赤線を引きました。
なるほど。
会社の機関は、名前が似ていても、それぞれ仕事が違います。
株主。
監査役。
取締役会。
会計参与。
誰が何をするのか。
そこを区別することが、会社法では非常に大切なのです。
「でも、こはる」
片桐所長が口を開きました。
「はい!」
「その報告は、いつまでにするんだ」
私は即答しました。
「遅滞なく、です!」
「直ちに、ではないのか」
「条文は『遅滞なく』です!」
私はノートに大きく書きました。
――遅滞なく。
「不正を発見したのに、いつまでも放置してはいけません」
「そうだろうな」
「でも、法律の言葉として、『直ちに』『速やかに』『遅滞なく』は、同じ表現ではありません」
私は鉛筆で囲みました。
「だから、条文の言葉をそのまま覚えたいんです」
相馬先輩が呆れた顔をしました。
「お前、細けえな」
「試験では、その細かさが命取りなんです!」
「恐ろしい世界だな」
私は笑いました。
でも。
この報告義務には、試験対策以上の意味があります。
黒崎社長のように、会社の数字を私物化しようとする経営者がいる。
そのとき。
会計の専門家が、
「私は知らなかったことにします」
と言ってしまったら。
株主や債権者は、どうなるのでしょう。
間違った数字を信じて、投資するかもしれません。
融資するかもしれません。
取引を続けるかもしれません。
「だから、報告義務があるんですね」
私が呟くと、所長が頷きました。
「不正を知った者が、黙っていては困る」
「はい」
「専門家という肩書は、責任と一緒にある」
私は、その言葉に二重線を引きました。
――会計参与は、不正の発見を黙って抱え込む役員ではない。
「次です!」
私はページをめくりました。
――取締役会への出席。
「まだあるのか」
相馬先輩がため息をつきました。
「あります!」
「よくそんなに覚えられるな」
「覚えるんじゃありません。事件と結びつけるんです!」
私は説明しました。
現代の会社法第三百七十六条。
取締役会設置会社の会計参与には、特定の取締役会への出席義務があります。
「特定の?」
先輩が聞きました。
「はい!」
「全部の取締役会じゃねえのか?」
「そこが大事なんです!」
私はノートに大きく書きました。
――計算書類等の承認をする取締役会。
「会計参与は、この取締役会に出席しなければなりません!」
「決算書を承認する会議か」
「そうです!」
たとえば。
東海精密部品株式会社が、現代の会計参与設置会社だったとします。
黒崎社長が、取締役会を開きました。
議題は。
決算書の承認。
ところが。
売上高が六百万円も増やされている。
社長仮払金三百万円も、不自然な処理になっている。
会計参与がその問題を把握していたとしたら。
「どうします?」
私が尋ねると、先輩は答えました。
「会議で何か言わなきゃならねえだろうな」
「そうなんです!」
会計参与は、必要があると認めるときは、意見を述べなければなりません。
「ここも重要です!」
私は赤線を引きました。
――出席は義務。
――意見陳述は、必要があると認めるときに義務。
「つまり、いつでも必ず発言しなければならないわけではありません」
「なるほど」
「でも、問題を見つけて意見を述べる必要があるなら、黙って座っているだけではいけないんです」
相馬先輩が頷きました。
「会議に出て、必要なら口も出すってことか」
「そうです!」
私は少し笑いました。
「しかも、会計参与だからといって、取締役会の決議に参加して一票を投じるわけではありません」
「議決権はねえのか」
「取締役としての議決権はありません」
「ほう」
「会計参与は、あくまで会計参与として出席するんです」
所長が頷きました。
「なるほど。役割が明確だな」
「はい」
会社の役員だからといって、全員が同じ権限を持つわけではありません。
会計参与には、会計参与としての権限と義務があります。
それを。
取締役と混同してはいけないのです。
「では、ここで問題です!」
私は相馬先輩を指差しました。
「またかよ」
「東海精密部品株式会社に、現代の会計参与がいたとします!」
「おう」
「社長は言いました!」
私は低い声を出しました。
「今日の取締役会には、お前は出なくていい!」
相馬先輩が顔をしかめました。
「似てねえな」
「黒崎社長の物真似です!」
「分かってるよ」
「その会議では、計算書類の承認をします。会計参与は、社長に言われたから欠席してもいいでしょうか!」
「……駄目なんだろ」
「正解です!」
私は拳を握りました。
「法律上の出席義務がありますから!」
「そうだな」
「じゃあ、会議の議題が工場の社員旅行だったら?」
「社員旅行?」
「はい!」
「そりゃ、会計参与の出番じゃねえだろ」
「正解です!」
私は満足して頷きました。
「会計参与が、すべての取締役会に必ず出席するわけではないんです」
ここ。
非常に重要です。
単に、
「会計参与は取締役会に出席する」
とだけ覚えていると。
問題文の言い回しに引っかかってしまいます。
「計算書類等の承認をする取締役会!」
私はもう一度、赤線を引きました。
「この限定が大切なんです!」
相馬先輩は苦笑しました。
「会議の名前一つで、ずいぶん違うんだな」
「法律はそういうものです!」
所長が静かに言いました。
「誰が、いつ、何をしなければならないか」
「はい」
「そこを正確に書いてあるから、規則として使える」
私は頷きました。
なるほど。
法律の細かい言葉には。
ちゃんと意味があるのです。
「さて」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「こはる」
「はい!」
「その会計参与には、報酬を誰が払うんだ」
「会社です!」
「では、金額は誰が決める」
私は笑いました。
「そこが、今日の最後の重要論点です!」
――会計参与の報酬。
会社法第三百七十九条。
「まず、定款に報酬等の額が定められている場合は、それに従います」
「うん」
「では、定款に定めがない場合は?」
相馬先輩が答えました。
「社長が決めるんじゃねえのか」
「違います!」
「また違うのかよ!」
「株主総会の決議です!」
私はノートに大きく書きました。
――定款に額の定めがある。
――その定款に従う。
――定款に額の定めがない。
――株主総会の決議によって定める。
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「社長が一人で勝手に決めるものじゃないんだな」
「そうです!」
ここで、私は黒崎社長を思い出しました。
あの社長。
「会社は俺のものだ!」
と言っていました。
自分の報酬も、勝手に増やそうとしていました。
でも。
会社の役員報酬には、法律上のルールがあります。
「もし、会計参与の報酬まで社長が好き勝手に決められたら?」
私が言うと、先輩は考えました。
「都合のいい奴だけ高い金をもらえるな」
「そうなんです!」
社長の言いなりになる会計参与には高額報酬。
不正を指摘する会計参与には報酬を減らす。
そんなことを社長が自由にできる仕組みでは、専門家の立場が弱くなりかねません。
「だから、定款や株主総会の決議によって決めるというルールがあるんですね」
所長が頷きました。
「役員の報酬も、会社の金だ」
「はい」
「社長の気分だけで決めるものではない」
私は赤線を引きました。
――会計参与の報酬は、定款または株主総会決議。
「これで覚えられます!」
相馬先輩が言いました。
「じゃあ一問」
「はい!」
「定款に会計参与の報酬額が書いてある。それでも毎回、株主総会で金額を決め直さなきゃならねえのか?」
「いいえ!」
私は即答しました。
「定款に額の定めがあれば、それに従います!」
「よし」
「定款に定めがなければ、株主総会の決議です!」
「正解」
私は思わず笑いました。
会計参与の報酬。
難しそうな条文ですが。
順番を覚えるだけで、かなり整理できます。
まず定款。
なければ株主総会。
社長の独断ではない。
それが大切なのです。
窓の外は、少しずつ暗くなっていました。
私はノートを閉じかけました。
すると。
片桐所長が言いました。
「こはる」
「はい?」
「まだ一番大事な話をしていないな」
「え?」
「なぜ、そんな役員が後の時代に必要になったんだ」
私は鉛筆を止めました。
……なるほど。
そこです。
会計参与の権限。
報告義務。
取締役会への出席。
書類の備置き。
報酬。
これらを暗記するだけでは、法律の本当の意味は分かりません。
「昭和六十三年には、会計参与がいないんですよね」
「そうだ」
私は頷きました。
「当時の株式会社には、取締役や監査役がいて、商法や監査特例法などで会計に関する責任や監査の仕組みが定められていました」
「ああ」
「でも、会社の規模や実態によっては、経営者が会社を強く支配していることもあります」
私は、東海精密部品株式会社を思い出しました。
黒崎社長。
発起人七人で作られた会社。
取締役三人。
監査役一人。
法律上は、必要な人数がそろっています。
でも。
実際には。
社長一人が、会社の数字を自由に動かそうとしていました。
「人数がそろっているだけでは、十分じゃないんですね」
私が言うと、相馬先輩が頷きました。
「会社を動かすのは人間だからな」
「はい」
「三人いようが七人いようが、全員が社長の言いなりなら、ろくなことにならねえ」
私は苦笑しました。
そうなのです。
昭和の株式会社には、設立のための厳しい人数要件がありました。
発起人七人以上。
取締役三人以上。
監査役一人以上。
それなのに。
その形式を満たすために、名前だけ貸す人が現れることもありました。
「一方で、現代の会社制度は大きく変わりました」
私はノートに書きました。
――平成十八年、会社法施行。
「会社のルールが、商法第二編などから独立して、会社法という法律に整理されたんです」
相馬先輩が腕を組みました。
「どうしてわざわざ独立させたんだ?」
「それまでの複数の法律を整理して、会社制度を使いやすくするためです」
私は続けました。
「会社の規模や実態に応じた機関設計ができるようになったことも、大きな変化です」
「機関設計?」
「会社にどんな役員や機関を置くか、ということです」
現代では。
株式会社を一人で設立することもできます。
一定の会社では、取締役一人という形も認められます。
資本金一円での設立も可能です。
そして。
昭和六十三年には存在しなかった、合同会社という会社形態もあります。
「昭和とは、ずいぶん違うんだな」
「はい!」
私は頷きました。
「現代の会社法では、会社の規模や機関設計に応じて、必要な仕組みを考えられるんです」
そして。
その選択肢の一つとして登場したのが。
会計参与。
会計の専門家が、会社の役員として計算書類の作成に関与する制度です。
「なるほど」
所長が言いました。
「人数を形式的にそろえることだけではなく、必要な専門性を会社に取り入れる仕組みも作ったわけか」
「そうです!」
私は嬉しくなりました。
「しかも、会計参与はすべての株式会社に必ず置かなければならないわけではありません」
「そうなのか」
「はい。会社の機関設計に応じて設置するんです。ただし、法定の機関構成によっては設置が必要になる場合もあります」
「なるほどな」
「だから、会計参与の役割を理解するには、その会社にどんな機関があるかも大切なんです」
所長は静かに頷きました。
「会社ごとに必要な仕組みを考える時代になるのか」
「はい」
私は、昭和の古い六法を見つめました。
今、目の前にある法律。
そして。
未来で私が勉強していた会社法。
二つは、まったく無関係な法律ではありません。
昔の制度の中で見つかった問題。
会社の設立の難しさ。
形式的な役員の存在。
会社の数字に対する信頼の確保。
そうした課題を踏まえて、会社制度は改正されてきたのです。
「法律って」
私は呟きました。
「昔の失敗や不便さを、少しずつ直していくものでもあるんですね」
所長が頷きました。
「そうだな」
私はノートに書きました。
――会社法の独立と会計参与の創設は、会社制度の柔軟化と計算書類の信頼性向上につながる。
これ。
かなり重要な一文かもしれません。
「さて」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「もう終わりか?」
「まだです!」
「まだあるのかよ!」
「最後の確認問題です!」
私はノートを開き直しました。
「今回は会計参与の全範囲から出題します!」
「やれやれ」
先輩は煙草を消しました。
「来い」
私は鉛筆を立てました。
「第一問!」
――会計参与は、取締役と共同して計算書類等を作成する役員である。
「正しい!」
「正解です!」
私は丸をつけました。
「第二問!」
――会計参与は、会社の経理担当従業員であれば、誰でも就任できる。
「違うな」
「なぜです?」
「公認会計士や税理士なんかの、資格を持った専門家でなきゃ駄目なんだろ」
「正解です!」
私は満足して頷きました。
「第三問!」
――会計参与は、監査役設置会社で取締役の重大な不正を発見した場合、遅滞なく株主に報告しなければならない。
相馬先輩が少し考えました。
「……違う」
「理由は?」
「監査役設置会社なら、監査役に報告する」
「正解!」
私は大きな丸を書きました。
「第四問!」
――取締役会設置会社の会計参与は、すべての取締役会に必ず出席しなければならない。
「違う!」
「なぜです?」
「計算書類なんかを承認する取締役会だ!」
「大正解!」
私は拳を握りました。
先輩。
かなり理解しています。
「第五問!」
――取締役会設置会社の会計参与は、各事業年度の計算書類等を、原則として定時株主総会の二週間前の日から五年間備え置く。
「正しい!」
「正解!」
「第六問!」
――臨時計算書類等については、臨時計算書類を作成した日から五年間備え置く。
「正しい!」
「そのとおりです!」
「第七問!」
――会計参与の報酬額が定款に定められていない場合、代表取締役が自由に決定できる。
「違う!」
「では誰が?」
「株主総会!」
「正解です!」
私は、思わず立ち上がりました。
「先輩!」
「何だ!」
「全問正解です!」
「……そうか」
「すごいです!」
「お前が延々しゃべるから、嫌でも覚えただけだ」
「それが勉強です!」
私は笑いました。
すると。
片桐所長が静かに言いました。
「では、最後に俺から一問」
「はい!」
「昭和六十三年、森下さんは会計参与の報告義務に基づいて、監査役に不正を報告できるか」
私は即答しました。
「できません!」
所長が頷きました。
「理由は?」
「昭和六十三年には、会計参与制度が存在しないからです!」
「そうだ」
「でも、森下さん本人が、確認した事実を監査役に伝えることはできます!」
「うん」
「そのときには、現行の制度と本人の立場に合った方法を使わなければなりません!」
所長は、静かに笑いました。
「よし」
私は思わず拳を握りました。
やりました。
未来の法律。
昭和の法律。
ようやく頭の中で、きれいに分けられた気がします。
勉強会が終わる頃。
外はすっかり夕暮れでした。
私は、森下さんのことを思い出していました。
十五年間。
一円の違いも見逃さず。
毎日、帳簿を書き続けてきた女性。
その仕事を、黒崎社長は軽く見ていました。
「数字なんて、銀行が喜ぶように作ればいい」
そんなことを言って。
でも。
正しい数字が残っていたからこそ。
社長の不正な修正指示が明らかになったのです。
「先輩」
「何だ」
「会計参与って、格好いいですね」
「またそれか」
「だって、会社の数字を守る仕事ですよ」
「まあな」
「でも、会計参与だけが数字を守るわけじゃないんですよね」
先輩が顔を上げました。
「どういう意味だ?」
「森下さんは会計参与じゃありませんでした」
「そうだな」
「取締役でも監査役でもありませんでした」
「ああ」
「それでも、正しい帳簿を残したことで、自分と会社を守ったんです」
先輩は、少しだけ笑いました。
「そうだな」
私は頷きました。
役員の名前。
権限。
義務。
保存期間。
報告先。
報酬。
試験では、細かい知識を正確に覚える必要があります。
でも。
その奥にある考え方は、意外と単純なのかもしれません。
会社の数字を、誰かの欲望で書き換えさせない。
不正を見つけたら、適切な相手に報告する。
そして。
真面目に働いている人が、不正を押しつけられないようにする。
そういう仕組みなのです。
「よし」
私はノートの最後のページを開きました。
「今日の一行を書きます!」
相馬先輩が覗き込みました。
「何て書くんだ?」
私は鉛筆の先を整えました。
そして。
ゆっくり書きました。
――会計参与は「取締役と共同作成」、不正は「株主、監査役設置会社なら監査役へ遅滞なく報告」、承認取締役会に出席、書類は「原則、総会前一週・取締役会設置会社は二週から五年」、報酬は「定款、なければ株主総会」。
「……長え!」
相馬先輩が叫びました。
「一行です!」
「紙の端まで使ってるじゃねえか!」
「重要事項を全部入れたんです!」
「覚え書きっていうより呪文だな」
「試験に勝つための呪文です!」
私は胸を張りました。
でも。
確かに少し長い。
私は、その下にもう一行だけ書きました。
――会計参与は、作って、報告して、会議に出て、書類を残す。報酬は社長の気分で決まらない。
「どうですか!」
相馬先輩が頷きました。
「そっちの方が分かりやすいな」
「ですよね!」
私は満足してノートを閉じました。
会計参与。
最初は、ただの地味な役員だと思っていました。
でも。
取締役と共同して計算書類を作成する。
不正を発見したら報告する。
必要な取締役会に出席する。
計算書類等を備え置く。
報酬も、定款や株主総会の決議によって定める。
そうした一つ一つの規定には、意味があります。
会社の数字を信用する人がいる。
その数字で投資を判断する株主がいる。
融資を判断する銀行がいる。
取引を続けるか決める債権者がいる。
そして。
その数字を、毎日こつこつ記録している人がいる。
会社の会計は。
社長のためだけのものではないのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「お前、今日ずっと会計参与の話をしてたな」
「はい!」
「じゃあ、現実の仕事に戻るぞ」
「え?」
先輩は、机の上に分厚い帳簿を置きました。
どさっ。
「……何ですか、これ」
「今月の事務所の経費帳だ」
「はい?」
「領収書を整理してくれ」
私は固まりました。
「……領収書?」
「ああ」
「何枚ですか?」
「百二十枚くらい」
「百二十枚!?」
私は叫びました。
「先輩!」
「何だ!」
「私、今、会計参与について勉強したところなんですよ!」
「そうだな」
「会計の専門家について学んだんです!」
「そうだな」
「だったら、私も専門家として扱ってください!」
相馬先輩は、にやりと笑いました。
「お前、会計参与になれる資格を持ってるのか?」
「……ありません」
「じゃあ見習いだ」
「うっ」
「領収書、整理しろ」
「……はい」
私は、しぶしぶ帳簿を開きました。
そのとき。
一枚の領収書が目に入りました。
――喫茶あけぼの。
珈琲代。
八百円。
「あれ?」
私は首をかしげました。
「先輩」
「何だ」
「これ、先輩の名前が書いてありますよ」
「ああ」
「仕事の打ち合わせですか?」
「……まあな」
「誰との?」
「……」
先輩が黙りました。
私は領収書を持ち上げました。
「先輩?」
「……何だ」
「この日、先輩、お休みでしたよね?」
沈黙。
「しかも日曜日です」
さらに沈黙。
「喫茶店で、何の仕事をしていたんですか?」
相馬先輩が、そっと新聞を広げました。
「……細けえことはいいだろ」
私は立ち上がりました。
「駄目です!」
「何だよ!」
「会社でも事務所でも、数字の根拠は大切です!」
「八百円だぞ!」
「八百円でもです!」
「黒崎社長の三百万円と一緒にすんな!」
「金額の問題じゃありません!」
私は領収書を掲げました。
「先輩!」
「何だ!」
「会計参与の精神です!」
「お前は会計参与じゃねえだろ!」
「でも、正しい帳簿を守る精神は持てます!」
「……!」
そのとき。
奥から片桐所長の声がしました。
「相馬」
「はい」
「その八百円は何だ」
相馬先輩の顔が、ぴたりと固まりました。
「……」
「相馬」
「……はい」
「説明しろ」
私は思わず笑いそうになりました。
そして。
先輩は観念したように言いました。
「……友人と飲んだ珈琲です」
所長が頷きました。
「なら、事務所の経費にするな」
「……はい」
私は思わず拳を握りました。
「所長!」
「何だ」
「会計の透明性が守られました!」
「大げさだ」
相馬先輩が、深いため息をつきました。
「お前、余計な知識ばっかり身につけやがって……」
「法律を勉強していますから!」
「八百円で俺を追い込むな!」
「社長も先輩も、帳簿には正直でいてください!」
「俺を黒崎と一緒にするな!」
私は笑いました。
窓の外には、昭和六十三年の夕暮れ。
工場から帰る人たちの自転車が、商店街を通り過ぎていきます。
この町の会社にも。
工場にも。
事務所にも。
毎日、たくさんの数字が生まれています。
一円。
百円。
一万円。
百万円。
数字は、ただの記号です。
でも。
その一つ一つの向こうには。
働いた人がいます。
商品を作った人がいます。
お金を貸した人がいます。
家族を養う人がいます。
だから。
会社の数字は、正しくなければならない。
会計参与という制度は、そんな当たり前のことを、法律の仕組みとして支えるために生まれたのです。
私は、ノートの最後の一行をもう一度読みました。
――会計参与は、作って、報告して、会議に出て、書類を残す。報酬は社長の気分で決まらない。
よし。
これなら忘れません。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで、領収書を整理しろ!」
「今、重要事項を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「八百円の領収書、返しますね!」
「それは俺の財布に戻しとけ!」
「はいっ!」
……なるほど。
会計参与という役員が存在しなくても。
帳簿の数字は、正しく扱わなければならない。
そのことは。
昭和六十三年でも、令和でも。
そして、たった八百円でも。
まったく変わらないのでした。
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