[会社法・取締役会の招集]法理編 こはるノート
会議を開く権限があることと、会議を開かせない権限があることは、同じではありません。
社長だから。
代表取締役だから。
会社で一番偉いから。
そんな理由で、ほかの取締役を会議から締め出せるのでしょうか。
答えは、いいえ。
そして。
社長がわざと取締役会を開かなかったとしても。
法律には、その沈黙を破る方法が用意されています。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かって、ノートを開いていました。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法編。
と書いてあります。
「……五日、二週間、一週間」
私は鉛筆を握りながら呟きました。
「五日、二週間、一週間……」
「何の呪文だ」
相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「取締役会の招集です!」
「ああ。高瀬精密工業の件か」
「はい!」
私は頷きました。
高瀬精密工業。
従業員二十八人の小さな株式会社。
社長の高瀬剛三が、会社の工場を知人の会社へ安く売ろうとしていた事件です。
しかも。
社長は、取締役の真理子さんと監査役の杉浦さんを呼ばずに、取締役会を開いたことにしていました。
「俺が社長なんだから、誰を呼ぶかは俺の自由だ」
そう言い張って。
ところが。
商法に基づく招集請求書を送ったことで、事態は変わりました。
社長は招集請求を無視。
五日間、何もしなかった。
その結果。
真理子さんが自ら取締役会を招集できる条件が整い、適法な手続で会議が開かれた。
監査役も出席。
ほかの取締役も、売却手続を進めることに反対。
工場の売却はいったん見合わせられたのです。
「先輩」
「何だ」
「社長って、本当に会議を開かなかったんですよね」
「ああ」
「自分が会議を開かなければ、誰も逆らえないと思ってたんでしょうね」
「そうだろうな」
相馬先輩は煙草を取り出しました。
「だが、商法はそんなに甘くねえ」
「ですよね!」
「じゃあ、今日の勉強はそこからだ」
私は鉛筆を構えました。
よし。
今日のテーマ。
取締役会の招集。
行政書士試験では、数字がたくさん登場する分野です。
でも。
高瀬精密工業の事件を思い出せば。
ただの暗記ではなくなります。
五日。
二週間。
一週間。
その数字には。
会社を守る理由があるのです。
「まず、取締役会は誰が招集するんですか?」
私はノートに大きく書きました。
――取締役会の招集権者。
「基本は各取締役だ」
相馬先輩が答えました。
「はい!」
私は頷きました。
取締役会。
株式会社の業務執行について意思決定し、取締役の職務執行を監督する機関。
昭和六十三年の株式会社では、取締役会を置くことが当然の制度になっています。
取締役は三人以上。
その取締役たちが集まって、会社の重要な方針を決める。
「で、招集権者は?」
「原則として、各取締役です!」
「そうだ」
私はノートに書きました。
昭和六十三年。
商法第二百五十九条。
取締役会は、原則として各取締役が招集できる。
「つまり」
私は言いました。
「社長でなくても、取締役なら原則として招集できるんですね」
「ああ」
「真理子さんにも、もともと取締役としての権限がある」
「そういうことだ」
でも。
ここで問題があります。
「先輩」
「何だ」
「もし、取締役全員が好き勝手に会議を招集したら、どうなるんでしょう?」
「面倒だな」
「ですよね」
三人の取締役。
それぞれが、
「月曜日に会議だ!」
「いや、水曜日だ!」
「俺は金曜日に開く!」
そんなことを言い始めたら。
会社の仕事が進みません。
「だから、特定の取締役を招集権者にできるんですね」
「そうだ」
私は書きました。
原則。
各取締役が招集する。
例外。
取締役会で特定の招集権者を定めた場合、その者が招集する。
現代の会社法第三百六十六条第一項では、定款または取締役会で招集権者を定めることが明記されています。
昭和の旧商法では条文の構成が異なり、当時の商法第二百五十九条を確認する必要があります。
「ここが時代錯誤ポイントですね!」
私は言いました。
相馬先輩が顔をしかめました。
「何が時代錯誤だ」
「あ、何でもありません!」
危ない。
また未来人の知識を口走るところでした。
でも。
根本の考え方は、昔も今も共通しています。
通常の招集を担当する人を決めておく。
会社の運営を円滑にするためです。
「高瀬精密工業では?」
先輩が聞きました。
「社長が招集する運用になっていました」
「そうだな」
「だから、真理子さんは最初から勝手に会議を開くのではなく、まず招集請求をしたんですね」
「そのとおりだ」
私は大きく丸をつけました。
なるほど。
招集権者を定めること自体は、悪いことではありません。
問題は。
その権限を使って、都合の悪い会議を封じ込めようとすること。
そこなのです。
「じゃあ、次!」
私はノートをめくりました。
――招集権者が会議を開かない場合。
「高瀬社長のような人が登場したら、どうするのか!」
相馬先輩が笑いました。
「もう事件を思い出してるな」
「当然です!」
高瀬剛三。
あの男は言いました。
――俺が呼ばなきゃ、二度と会議は開けねえんだよ!
でも。
違いました。
「招集権者に指定されていない取締役も、招集を請求できます!」
「何を使って?」
「会議の目的を書いた書面です!」
「よし」
私はノートに書きました。
商法第二百五十九条。
特定の招集権者が定められている場合、ほかの取締役は、会議の目的事項を記載した書面を提出して、取締役会の招集を請求できる。
「真理子さんは、これを使ったんですね」
「ああ」
「工場売却の経緯、売却価格の妥当性、適切な承認手続の有無。これらを議題として請求した」
「そうだ」
「でも、社長は無視しました」
「したな」
私は鉛筆を強く握りました。
ここからです。
行政書士試験で重要な数字。
五日。
二週間。
「先輩!」
「何だ」
「問題を出してください!」
「じゃあ、招集権者が請求を無視したら、すぐに自分で招集できるか?」
「できません!」
「ほう」
「まず、法律で定められた期間を確認します!」
私はノートに書きました。
――請求があった日から五日以内。
――請求があった日から二週間以内の日を会日とする招集通知。
「これです!」
相馬先輩が頷きました。
「説明してみろ」
「はい!」
たとえば。
十月一日に、取締役が招集権者へ招集を請求したとします。
この場合。
招集権者は、請求から五日以内に。
請求日から二週間以内の日を開催日とする取締役会の招集通知を発する必要がある。
「つまり」
私は言いました。
「五日というのは、会議を開くまでの期限ではないんですね」
「そうだ」
「招集通知を発するかどうかを判断する期間です!」
「うん」
「そして、二週間というのは、請求日から見た会議の日程の期限!」
「正解」
私は嬉しくなりました。
ここ。
かなり間違えやすいところです。
五日以内に会議を開く。
これは違う。
二週間以内に通知を出せばよい。
これも違う。
正しくは。
五日以内に。
請求日から二週間以内の日を会日とする通知を出す。
「ややこしい!」
私は叫びました。
「覚えろ」
「はい!」
でも。
理由を考えれば、納得できます。
社長が、
「分かった。半年後に会議を開く」
と言ったら。
会社の財産が、その間に処分されてしまうかもしれません。
あるいは。
「そのうち開く」
と言いながら、いつまでも通知を出さないかもしれない。
だから。
法律は、待たせる時間を限定しているのです。
「じゃあ、五日以内に適切な招集通知が出されなかった場合は?」
相馬先輩が聞きました。
「請求した取締役が、自分で取締役会を招集できます!」
「そうだ」
私は力いっぱい二重線を引きました。
――社長が動かなければ、請求者が動ける。
「これ、痛快ですよね!」
私は言いました。
「社長が無視すればするほど、ほかの取締役が動けるようになるんですから!」
相馬先輩が笑いました。
「黙ってりゃ勝てると思った奴の負けだな」
なるほど。
社長に与えられた招集権限。
それは、会社を支配するための無期限の拒否権ではありません。
会社が必要な意思決定をできるようにするためのもの。
だからこそ。
その役割を果たさない人間がいても、会社の機能を止めない仕組みが用意されているのです。
「次は、監査役です!」
私はノートに書きました。
――監査役による取締役会の招集。
「杉浦さんですね」
「ああ」
杉浦清一。
六十八歳。
高瀬精密工業の創業者時代から、会社を見守ってきた監査役。
高瀬社長が工場を不当に安く売ろうとしている疑いを知り。
黙っていませんでした。
「監査役って、最初は帳簿を確認するだけの人だと思っていました」
「それだけじゃねえ」
相馬先輩が言いました。
「会社の監査役には、取締役の違法行為を見逃さない役目がある」
「はい」
私はノートに書きました。
昭和六十三年。
商法第二百六十条ノ三。
監査役は取締役会に出席し、必要があると認めるときは意見を述べる。
そして。
取締役が法令・定款に違反する行為をしたり、そのおそれがあると認められる場合には、取締役会に報告する役割を負います。
必要な場合には、取締役会の招集を請求することもできる。
「所長」
私は奥に声をかけました。
「これって、昭和六十三年にはもう存在していたんですよね?」
「ああ」
片桐所長が頷きました。
「昭和五十六年の商法改正で、監査役の権限が強化された」
「なるほど!」
昭和五十六年。
一九八一年です。
今は昭和六十三年。
つまり七年前。
監査役が会社の不正を見逃さないための制度が、すでに整備されていたのです。
「ところで、先輩」
「何だ」
「監査役は、社長が気に入らないだけで、いつでも勝手に会議を開けるんですか?」
「んなわけねえだろ」
「ですよね!」
監査役の招集権限にも、条件があります。
取締役の違法行為などを監督する必要がある。
そのうえで、所定の手続を踏む。
「まず、必要性を判断して招集を請求する」
「そうだ」
「そして、招集権者が動かない場合には、法律に従って自ら招集できる」
「そのとおり」
私は頷きました。
監査役だから万能。
というわけではありません。
法律上の権限には、それぞれ目的と条件があります。
「高瀬精密工業では?」
相馬先輩が尋ねました。
「社長が工場を不当に安く売ろうとしている疑いがありました!」
「うん」
「取締役会の招集手続にも問題があった!」
「そうだ」
「だから杉浦さんは、監査役として必要な報告を求めるため、招集請求をした!」
「よし」
私は大きく頷きました。
監査役が必要なときに行動できなければ。
社長が不正を隠した瞬間、会社の監督機能は止まってしまいます。
だからこそ。
監査役にも、その沈黙を破る道が用意されている。
これは、会社を守るための大切な仕組みなのです。
「じゃあ、株主はどうなんですか?」
私は質問しました。
相馬先輩が顔を上げます。
「株主?」
「はい。取締役でも監査役でもない、普通の株主です」
ここ。
現代の行政書士試験で、重要なところです。
現代の会社法第三百六十七条。
一定の取締役会設置会社では、株主にも取締役会の招集を請求する権利があります。
ただし。
すべての株式会社の株主が、無条件で請求できるわけではありません。
「……会社法?」
相馬先輩が顔をしかめました。
しまった。
また未来の法律です。
「えっと、その……将来の制度について、仮に考えてみたんです!」
「お前、変な想像が好きだな」
「勉強熱心と言ってください!」
「で、どういう制度を想像したんだ」
私は勢いよく説明し始めました。
「監査役設置会社などを除いた一定の取締役会設置会社では、取締役が法令や定款に違反する行為をしたり、そのおそれがある場合、株主が招集を請求できるんです!」
相馬先輩が眉をひそめました。
「監査役がいる会社と、いない会社で違うってことか?」
「はい!」
ここが大切です。
現代の会社法では、監査役などによる監督機能が設けられている会社については、株主によるこの特別な招集請求制度の対象から除外しています。
逆に。
そうした監督機関がない一定の会社では、株主自身が行動できる道を用意しているのです。
「でも、取締役が何も違反していないのに、株主が気まぐれで招集を請求できるわけではないんですね」
「そりゃそうだろうな」
「はい!」
法令・定款に違反する行為。
または、そのおそれ。
そうした条件が必要です。
そして。
請求から五日以内に、請求日から二週間以内の日を開催日とする招集通知が発せられなければ。
請求した株主が、自ら取締役会を招集できる仕組みがあります。
「……ちょっと待て」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今、お前が言った五日と二週間って、取締役の場合と同じじゃねえか」
「そうなんです!」
私は嬉しくなりました。
現代の制度では。
取締役。
一定の場合の株主。
監査役。
立場も条件も違います。
でも。
招集請求を無視された場合に、一定の期間が経過すると自ら招集できるという仕組みには、共通する考え方があるのです。
「ただし!」
私は付け加えました。
「株主が請求できる会社の範囲は限定されています!」
「そこを忘れるなってことか」
「はい!」
そして。
昭和六十三年の事件を考えるときには、現代の会社法第三百六十七条をそのまま持ち込んではいけません。
当時適用される商法の規定で考える必要があります。
「先輩」
「何だ」
「未来の条文番号を言わないようにするのって、ものすごく大変です」
「何を言ってるんだ、お前は」
相馬先輩は呆れた顔をしました。
私は苦笑しました。
でも。
昔と今を比較すると。
なぜ現代の会社法が、取締役だけでなく、監査役や一定の株主にも招集を求める道を用意しているのか。
その理由が見えてくるのです。
「さて」
相馬先輩が机を叩きました。
「ここからが、もう一つの山だ」
「招集手続ですね!」
「ああ」
私はノートに大きく書きました。
――取締役会の招集手続。
「取締役会を開くとき、何日前までに通知する?」
先輩が聞きました。
「原則として、一週間前です!」
「誰に?」
「各取締役です!」
「監査役がいる場合は?」
「監査役にも通知します!」
「よし」
昭和六十三年。
商法第二百五十九条ノ二。
取締役会の招集通知は、原則として会日の一週間前までに、各取締役及び各監査役に対して発する必要があります。
「ここで大事なのが」
私は言いました。
「通知を受け取るのが一週間前、とは限らないんですよね」
「そうだ」
「法律上は、通知を発する時期が問題になります!」
私は二重線を引きました。
――一週間前までに発する。
到達。
ではありません。
発信。
ここは、試験で混同しやすいところです。
「じゃあ、なぜ一週間なんですか?」
私が尋ねると、相馬先輩が言いました。
「考えてみろ」
私は腕を組みました。
高瀬精密工業。
工場売却。
一千八百万円。
そんな重要な問題を。
前日の夜に突然、
「明日の昼に決めるぞ!」
と言われたら。
資料を調べる時間もありません。
価格を比較する時間もありません。
ほかの取締役が、疑問点を確認する時間もありません。
「……なるほど」
私は呟きました。
「ちゃんと準備して会議に参加できるようにするためですね」
「そうだ」
「ただ集まればいいわけじゃない」
「そのとおり」
私はノートに書きました。
一週間前の招集通知。
目的。
取締役や監査役が会議に参加する機会を確保し、必要な準備をできるようにすること。
「でも、先輩」
「何だ」
「毎週のように取締役会を開く会社だと、一週間前の通知って面倒じゃありません?」
「そういう会社もあるだろうな」
「じゃあ、どうするんですか?」
「定款だ」
「そうでした!」
私は書きました。
――定款による招集期間の短縮。
原則一週間。
ただし、定款でそれより短い期間を定めることができます。
「たとえば三日前とか?」
「適法な定款の定めがあればな」
「なるほど!」
高瀬精密工業の事件では、招集期間を短縮する定款の規定がありませんでした。
だから。
原則どおり、一週間前の通知が必要だったのです。
「社長が『明日やるぞ』って言っただけでは駄目なんですね」
「そうだ」
「しかも、真理子さんと杉浦さんには何も知らせていませんでした」
「そのとおり」
私は、あの議事録を思い出しました。
取締役三人。
出席二人。
賛成二人。
反対零人。
社長は、それで全部正しいと思っていました。
でも。
ここには、大きな勘違いがあったのです。
「次!」
私はノートをめくりました。
――招集手続の省略。
「取締役会の招集手続は、全員の同意があれば省略できます!」
「誰の全員だ?」
相馬先輩が聞きました。
「取締役全員です!」
「監査役がいる場合は?」
「監査役も含めて全員です!」
「よし」
昭和六十三年。
商法第二百五十九条ノ三。
取締役及び監査役の全員の同意がある場合、招集手続を経ずに取締役会を開くことができます。
「たとえば」
私は言いました。
「取締役三人、監査役一人の会社があったとします」
「うん」
「四人全員が集まっていて、今すぐ取締役会を開こうということに全員が同意した場合」
「うん」
「一週間前に通知していなくても、招集手続を省略して開催できます!」
「そうだ」
でも。
ここが重要です。
全員。
です。
過半数ではありません。
三分の二でもありません。
社長の独断でもありません。
「高瀬社長は、二人が賛成したから問題ないと言っていました」
「ああ」
「でも、それは違いました!」
私はノートを叩きました。
「決議の多数決と、招集手続を省略するための全員同意は、別問題です!」
「正解」
相馬先輩が笑いました。
取締役会の決議。
これは、原則として取締役の過半数が出席し、その出席取締役の過半数で行います。
ただし、定款による要件の加重や、特別利害関係のある取締役の議決参加制限などにも注意が必要です。
でも。
招集手続の省略。
こちらは、必要な全員の同意です。
「つまり」
私は言いました。
「二人で集まって決議すれば足りる場合があることと、残りの一人に招集通知を出さなくていいことは、違うんですね」
「そのとおりだ」
私は思わず笑いました。
ここ。
高瀬社長が完全に間違えたところです。
あの人は。
自分と松井取締役。
二人が賛成すれば、何でも決められると思っていました。
でも。
真理子さんに参加の機会を与えていない。
杉浦監査役にも知らせていない。
招集手続の省略について、必要な全員の同意もない。
そんな状態で、
「過半数だから有効だ!」
と叫んでも。
招集手続の問題は消えません。
「先輩」
「何だ」
「多数決って、何でも解決する魔法じゃないんですね」
「当たり前だ」
「ですよね!」
私はノートに大きく書きました。
――決議は原則多数決。招集手続の省略は全員同意。
よし。
これなら絶対に忘れません。
「ところで」
片桐所長が奥から声をかけました。
「こはる」
「はい!」
「全員の同意がなかった場合、その取締役会の決議はどうなる?」
私は少し考えました。
「招集手続に問題があるので……」
「うん」
「必ず無効です!」
「……必ず、か?」
所長の声が低くなりました。
あ。
嫌な予感。
「……違いますか?」
「断定するな」
所長は六法を閉じました。
「招集手続に瑕疵がある場合、決議の効力が問題となる。しかし、あらゆる手続違反について機械的に同じ結論になるわけではない」
「はい……」
「違反の内容や、会議への参加機会を奪われた事情などを確認する必要がある」
私は慌てて書き直しました。
取締役会の招集手続に違反がある場合。
決議の効力が問題となる。
ただし、具体的事情や判例法理を検討する必要がある。
「高瀬精密工業では?」
所長が尋ねました。
「真理子さんには、招集通知がまったくありませんでした」
「うん」
「杉浦監査役にも通知していません」
「そうだ」
「しかも、工場という重要な財産の処分でした」
「うん」
「だから、決議の効力について重大な問題があったんですね」
「そのとおりだ」
私は頷きました。
なるほど。
試験の知識を使うとき。
条文だけで結論を急いではいけません。
何が起きたのか。
誰が通知を受けなかったのか。
なぜ参加できなかったのか。
どのような決議がされたのか。
そこまで確認する。
そして。
もう一つ。
高瀬精密工業には、難しい問題がありました。
「所長」
「何だ」
「社長は、すでに工場の売買契約書に署名していましたよね」
「ああ」
「取締役会の決議に問題があれば、契約も当然に無効になるんでしょうか?」
「そこも分けて考えろ」
所長が言いました。
取締役会の内部的な意思決定。
代表取締役が外部の相手方と結んだ契約。
これらは関連しますが、同じものではありません。
重要な財産の処分について取締役会の決議が必要な場合でも、その決議を欠いた代表取締役の行為が対外的にどう扱われるかは、取引相手の認識なども問題になります。
「だから、今回の工場売却は、専門家による調査と弁護士への相談が必要だったんですね」
「そうだ」
「招集通知の違反を見つけたから、売買契約が全部自動的になくなるわけではない」
「うん」
私は深く頷きました。
社内手続の問題。
決議の効力。
外部との契約の効力。
取締役の責任。
それぞれ区別して考える必要があるのです。
「法律って、一つの間違いから、いろんな問題が出てきますね」
私が言うと、相馬先輩が笑いました。
「だから面白いんだろ」
私は目を丸くしました。
「先輩!」
「何だ」
「今、法律が面白いって言いましたね!」
「言ってねえ」
「言いました!」
「気のせいだ!」
……。
絶対に言いました。
「さて」
相馬先輩が新聞を畳みました。
「今度は、数字を整理しろ」
「はい!」
私は新しいページを開きました。
――取締役会招集・数字の整理。
まず。
五日。
招集請求を受けた後、適切な招集通知が発せられるかを判断する期間。
次。
二週間。
招集請求の日から見た、開催日の期限。
そして。
一週間。
原則として、取締役会の会日前に招集通知を発する期間。
「どうですか!」
私はノートを掲げました。
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、いいんじゃねえか」
「やった!」
「ただし」
「はい?」
「五日経ったら、必ずその日のうちに会議を開けるわけじゃねえぞ」
「……あっ!」
そうでした。
ここ、大事です。
招集請求から五日以内に適切な通知が発せられなかった場合。
請求した取締役が自ら招集できるようになります。
でも。
その後、実際に会議を開催するときには、原則として一週間前の通知が必要です。
定款による短縮や、全員同意による省略が認められる場合は別ですが。
「なるほど……」
私は呟きました。
「五日経ったら、即座に全員を集めて決議していい、ではないんですね」
「そうだ」
「自分で招集できる立場になるだけ」
「そのとおり」
私はノートに書き足しました。
――自ら招集できることと、通知手続を省略できることは別。
これ。
ものすごく重要です。
高瀬社長が招集請求を無視したからといって。
真理子さんまで手続を無視してよいわけではありません。
相手が法律を守らないなら。
こちらこそ、法律を守る。
それが。
今回、片桐所長が徹底していたことなのです。
「では、確認問題だ」
片桐所長が言いました。
「はい!」
「取締役会は、原則として誰が招集する?」
「各取締役です!」
「特定の招集権者が定められている場合は?」
「原則として、その招集権者が招集します!」
「ほかの取締役は、何もできないのか?」
「いいえ! 会議の目的事項を記載した書面を提出して、招集を請求できます!」
「その請求を無視された場合は?」
「五日以内に、請求日から二週間以内の日を会日とする招集通知が発せられなければ、請求した取締役が自ら招集できます!」
「よし」
私は拳を握りました。
「次。招集通知は、原則として何日前までに発する?」
「一週間前です!」
「定款で短縮できるか?」
「できます!」
「誰に通知する?」
「各取締役と、監査役がいる場合には各監査役です!」
「全員の同意があれば?」
「招集手続を省略できます!」
「決議の多数決と、手続省略の同意は同じか?」
「違います!」
所長が頷きました。
「では、監査役は?」
「取締役の法令・定款違反行為などを監督する必要がある場合、法律に基づき招集を請求し、所定の条件を満たせば自ら招集することもできます!」
「うん」
私は得意になりました。
完璧。
五日。
二週間。
一週間。
もう混同しません。
ところが。
「じゃあ最後に一問」
相馬先輩が言いました。
「はい!」
「取締役が三人いる会社で、二人が賛成していれば、三人目を呼ばずに会議を開いていいか?」
「駄目です!」
「理由は?」
「決議の定足数と、招集手続の適法性は別だからです!」
「監査役への通知も無視していいか?」
「駄目です!」
「よし」
私は笑いました。
「先輩、今日は優しいですね!」
「どこがだ」
「ちゃんと勉強会に付き合ってくれます!」
「お前が勝手に始めたんだろ!」
相馬先輩は呆れていました。
でも。
少しだけ笑っていました。
窓の外は、すっかり夕暮れになっていました。
私はノートを閉じかけました。
そこで。
ふと、疑問が浮かびました。
「所長」
「何だ」
「どうして現代では、会社法が独立することになるんでしょう?」
所長が顔を上げました。
相馬先輩もこちらを見ます。
「会社法?」
「あ、えっと……!」
しまった。
また未来の話です。
でも。
どうしても気になります。
昭和六十三年。
会社のルールは、商法第二編などに置かれています。
株式会社。
有限会社。
それぞれに法律があり。
制度も、用語も、手続も複雑です。
株式会社を設立するには、発起人七人以上。
取締役三人以上。
監査役も必要。
会社を作るだけでも、大仕事です。
一方。
現代の会社法では、株式会社の発起人は一人でもよい。
取締役も、取締役会を設置しない会社なら一人でよい。
資本金も、法律上は一円から設立可能。
合同会社という会社形態も使える。
そして。
会社法という一つの法律に、株式会社や持分会社などのルールが整理されています。
「……ものすごい違いですよね」
私は呟きました。
「何がだ?」
相馬先輩が尋ねました。
「会社を作るためのハードルです」
私は説明しました。
「昔は、人数を揃えることが重視されていた」
「うん」
「でも、実際には名前だけの発起人や役員が生まれやすかった」
「ああ」
「高瀬精密工業の松井さんも、最初は社長に言われるまま議事録に名前を載せていました」
相馬先輩が頷きました。
「そうだったな」
「つまり、人数を揃えるだけでは、会社を監督する仕組みとして十分じゃなかったんですね」
片桐所長が静かに言いました。
「人数だけいても、誰も社長に逆らわなければ意味がない」
「はい」
私は頷きました。
そして。
現代の会社法では。
会社の規模や性質に応じて、機関設計を選べるようになっています。
取締役会を置かない小さな株式会社。
取締役会を置いて組織的に経営する株式会社。
監査役や監査等委員会などを設置して、監督機能を整える株式会社。
それぞれに違う仕組みがあります。
ただし。
取締役会を設置したなら、その取締役会についての招集ルールを守らなければならない。
「なるほど……」
私は小さく呟きました。
会社法の独立と整理。
その背景には、複雑化した会社制度を分かりやすくし、多様な会社の実情に合う制度を整えるという目的があります。
単に。
昔の法律が面倒だったから、全部簡単にした。
という話ではありません。
会社を作りやすくする。
でも。
債権者を守る。
株主を守る。
会社の経営を適正にする。
そこは失ってはいけない。
「所長」
「何だ」
「会社法って、自由を増やしただけじゃないんですね」
「どういうことだ」
「必要なところでは、ちゃんと監督や手続の仕組みを残しているんです」
所長が頷きました。
「会社は、人が集まって動かすものだからな」
私は、その言葉をノートに書きました。
会社は、紙の上の法人です。
でも。
実際に動かすのは、生身の人間。
欲があります。
感情があります。
失敗もします。
そして。
時には、自分の利益のために、会社の財産を利用しようとする人もいる。
だから。
取締役会がある。
招集手続がある。
監査役がいる。
必要な人に、会議へ参加する機会を保障する。
それは、昭和でも令和でも変わらない大切な考え方なのです。
「よし!」
私は最後のページを開きました。
今日の一行。
ここに、学んだことを全部まとめます。
五日。
二週間。
一週間。
各取締役。
監査役。
全員同意。
そして。
社長の独断を防ぐ仕組み。
私は鉛筆を走らせました。
――取締役会は「誰が呼べるか」「いつ知らせるか」「全員が同意したか」。社長の沈黙も、全員抜きの多数決も、法律の手続には勝てない。
「……できた!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「長えな」
「ええっ!」
「一行って言っただろ」
「大事なことが多いんです!」
「もっと短くしろ」
私はむっとしました。
でも。
確かに。
一行の覚え書きなら、もっと短い方が覚えやすいかもしれません。
私は鉛筆を握り直しました。
そして。
新しく書きました。
――招集請求は「五日・二週間」、招集通知は「一週間」、手続省略は「全員同意」。
「これです!」
相馬先輩が頷きました。
「いいんじゃねえか」
「褒めましたね!」
「まあな」
「えっ!」
私は驚きました。
相馬先輩が、素直に褒めました。
珍しい!
「何だ、その顔」
「いえ、先輩も人を褒めることがあるんだなって」
「失礼な奴だな!」
私は笑いました。
でも。
この一行。
たぶん、一生忘れません。
だって。
高瀬精密工業の事件を思い出せばいいのです。
社長が会議を開かなかった。
でも、取締役は招集を請求できた。
五日間、適切な通知が出されなかった。
だから、請求者自身が招集できる道が開いた。
そして。
会議を開くときには、一週間前の通知を守った。
全員が同意していないのに、招集手続を勝手に省略することもしなかった。
その結果。
会議室に、必要な人たちが集まった。
今まで声を上げられなかった取締役が、意見を述べた。
監査役が、不正の疑いを指摘した。
会社の重要な財産について、もう一度、適正に検討することになった。
法律が守ったのは。
単なる会議の日程ではありません。
会社の中で、正しい判断ができる機会だったのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今日の勉強会は終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、帳簿を整理しろ」
「……え?」
「机の上に溜まってるだろ」
私は振り返りました。
そこには。
厚い帳簿の山。
伝票。
領収書。
ファイル。
「先輩」
「何だ」
「ちょっと待ってください」
「何をだ」
「私、今から休憩したいんです」
「だから?」
私は胸を張りました。
「休憩について、会議を開きましょう!」
「……は?」
「片桐行政書士事務所・臨時休憩会議です!」
相馬先輩が固まりました。
「お前、何を言ってるんだ」
「構成員は三人!」
私は指を立てました。
「片桐所長、相馬先輩、朝比奈こはる!」
「勝手に決めるな」
「議題は、見習いの休憩時間延長について!」
相馬先輩は額を押さえました。
「こはる」
「はい!」
「まず、ここは株式会社じゃねえ」
「……あっ」
「取締役会なんかねえぞ」
「……!」
しまった。
私は完全に止まりました。
片桐行政書士事務所。
株式会社ではありません。
取締役会もありません。
商法第二百五十九条を持ち出しても、休憩時間を延長することはできません。
「それに」
相馬先輩が続けました。
「仮に取締役会だったとしても、何でも好きなことを決められるわけじゃねえ」
「……はい」
「会社の機関には、それぞれ権限がある」
私は項垂れました。
そのとおりです。
法律上の権限。
招集の条件。
会議の目的。
決議事項。
全部、区別しなければなりません。
「じゃあ、休憩は……」
私は所長を見ました。
片桐所長は帳簿から顔を上げました。
「休憩か」
「はい!」
「いいだろう」
「本当ですか!」
「帳簿を整理したらな」
「……!」
相馬先輩が吹き出しました。
「ほらな」
「先輩!」
「何だ!」
「所長の独断です!」
「事務所の業務分担だ!」
「取締役会を開いてください!」
「だから株式会社じゃねえ!」
私は肩を落としました。
なるほど。
法律を勉強したからといって。
何でも自分の都合のいいようにできるわけではない。
当然です。
でも。
今日の勉強で、私は一つ大切なことを知りました。
社長が会議を独占しようとしても。
法律を守って行動できる人がいれば。
その独占を破れる場合がある。
それは。
誰かが特別に偉いからではありません。
法律が、会社の中に権限を分けているからです。
私は帳簿を片付けながら、窓の外を見ました。
夕暮れの町。
遠くには、工場の煙突が見えます。
あのどこかで。
高瀬精密工業の従業員たちは、今日も仕事を終えたのでしょう。
機械を止めて。
工具を片付けて。
家族の待つ家へ帰る。
工場の売却問題は、まだ完全に終わったわけではありません。
でも。
少なくとも。
社長一人の判断で、すべてが決められる状態からは抜け出せた。
真理子さんが、取締役として声を上げた。
杉浦さんが、監査役として行動した。
松井さんも、自分の責任を考えて意見を述べた。
その結果。
会社は、もう一度、みんなで考える場所を取り戻したのです。
私はノートの最後の一行を、もう一度読みました。
――招集請求は「五日・二週間」、招集通知は「一週間」、手続省略は「全員同意」。
よし。
完璧。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「またノート見てるのか!」
「復習です!」
「帳簿を整理しろ!」
「先輩!」
「今度は何だ!」
「私、今日の商法で大事なことが分かりました!」
「何だよ!」
私は笑いました。
「会社の会議って、社長が偉そうにする場所じゃないんですね!」
相馬先輩が、一瞬黙りました。
それから。
「そうだな」
短く言いました。
「会社が間違った方向へ行かないように、みんなで責任を持つ場所だ」
私は頷きました。
取締役会。
招集権者。
招集請求。
招集通知。
全員同意。
どれも、最初は面倒な手続に見えました。
でも。
その面倒な手続があるから。
誰かが勝手に会社を私物化しようとしても。
ほかの人間が異議を唱える機会を持てる。
法律は、社長だけを守るものではありません。
会社を守るもの。
株主の利益を守るもの。
そして。
その会社で真面目に働く人たちの生活にも、つながっているものなのです。
私は鉛筆を置きました。
昭和六十三年。
まだ会社法という独立した法律は存在しません。
会社のルールは、商法第二編などに記されています。
古めかしい条文。
面倒な手続。
厳格な人数要件。
現代から見ると、不便な部分もたくさんあります。
でも。
その中にも。
一人の権力者に会社を支配させないための知恵がありました。
その知恵が、時代とともに整理され、現代の会社法へと受け継がれていく。
私は、ようやく分かった気がします。
法律の改正とは。
単に新しい条文を作ることではありません。
昔から人を守ってきた仕組みを、今の社会に合う形へ整えていくことでもあるのです。
「こはる!」
「はい!」
「帳簿!」
「今やります!」
私は慌ててファイルを手に取りました。
ただし。
最後に、もう一つだけ。
今日の教訓。
もし、どこかの社長が。
「俺が会議を開かなければ、誰も何もできない!」
と勝ち誇っていたら。
思い出してください。
五日。
二週間。
一週間。
そして。
全員同意。
その数字の向こう側に。
社長の独断を止める仕組みがあることを。
なぜなら。
取締役会の招集権は、社長の王冠ではありません。
会社を動かすために与えられた、法律上の権限なのです。
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