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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式会社の機関    

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653/701

[会社法・取締役会の招集]現場編 「社長が呼ばなきゃ会議は開けない」の嘘。五日間の沈黙と、招集通知一枚で会社を奪おうとした男の誤算

挿絵(By みてみん)

会議に呼ばれなかった人間は、その会議で決められたことに従わなければならないのでしょうか。


たとえば。


社長が自分に都合のいい役員だけを集めて。


勝手に会社の財産を売ってしまったら。


しかも。


「俺が社長なんだから、誰を呼ぶかも俺の自由だ」


そう言い張ったら。


……困りますよね。


でも。


会社の会議には、ちゃんとルールがあります。


誰が招集できるのか。


誰に通知しなければならないのか。


何日前までに知らせるのか。


そして。


社長が会議を開こうとしないとき、どうすればいいのか。


昭和六十三年。


片桐行政書士事務所。


その日の私は、一枚の招集通知が会社の運命を左右することを知りました。


しかも。


今回の敵は。


会議を開く権限さえ独り占めすれば、会社も自分のものになると思っている男だったのです。


「会社を、売られそうなんです!」


朝九時。


事務所の扉が勢いよく開きました。


飛び込んできたのは、四十歳くらいの女性。


作業着の袖には、機械油の染み。


手には、くしゃくしゃになった封筒。


「落ち着いてください」


私は椅子を勧めました。


「お名前を教えていただけますか?」


「高瀬真理子です」


「高瀬さんですね」


「高瀬精密工業という会社で、取締役をしています」


取締役。


私は背筋を伸ばしました。


会社の経営を担う役員です。


「何があったんですか?」


「うちの社長が、工場を売ろうとしているんです」


「工場を?」


「はい。しかも、従業員には何も知らせずに」


高瀬精密工業。


この町で二十五年間、金属加工を続けてきた小さな株式会社。


従業員は二十八人。


自動車部品や医療機器用の金属部品を製造しているそうです。


創業者は、真理子さんの父親。


その父親が三年前に亡くなり、現在は義兄の高瀬剛三が代表取締役社長を務めていました。


「兄は、最近おかしくなってしまって……」


真理子さんは膝の上で拳を握りました。


「会社の資金繰りが苦しいと言っていたんです。でも、帳簿を見せてくれなくて」


「工場を売る理由は?」


「借金を返すためだと」


「なるほど……」


「でも、その売却先が……」


真理子さんは封筒から書類を取り出しました。


不動産売買契約書の写し。


買主。


株式会社東栄開発。


売却価格。


一千八百万円。


「工場の土地と建物を、これだけで?」


私は思わず聞き返しました。


「機械は別ですが、土地と建物だけでも、以前は六千万円近い評価だったんです」


「ええっ!」


「しかも、東栄開発の社長は、兄の昔からの友人なんです」


私は契約書を見つめました。


市場価格より大幅に安い売却。


社長の知人企業。


そして、従業員には秘密。


嫌な予感しかしません。


「取締役会では承認されたんですか?」


私が尋ねると、真理子さんの表情が変わりました。


「そこなんです」


「はい?」


「兄は、取締役会で決まったと言うんです」


「では、取締役会が開かれたんですね?」


「いいえ」


「……え?」


「少なくとも、私は呼ばれていません」


私は止まりました。


「取締役なのに?」


「はい」


「招集通知は?」


「来ていません」


「電話も?」


「ありません」


「それなのに、取締役会で決議したと?」


「そうなんです!」


真理子さんは机を叩きました。


「兄は言いました。『お前は会議に必要ない。俺が社長だ。俺が決めたんだから、それでいい』って!」


……。


私はゆっくり六法を見ました。


取締役会。


招集。


通知。


そして。


決議。


これは。


ものすごく重要な論点です。


「大丈夫です!」


私は勢いよく立ち上がりました。


「会社法第三百六十六条です!」


真理子さんが顔を上げました。


「会社法?」


「はい! 取締役会は原則として各取締役が招集できます!」


よし。


行政書士試験の知識。


完全に出番です。


「ただし、定款や取締役会で特定の招集権者を定めている場合は、その人が招集します!」


「それなら、うちは……」


「社長以外の取締役も、招集を請求できます!」


私は続けました。


「しかも、請求から五日以内に、請求日から二週間以内の日を開催日とする招集通知を出さなければ、請求した取締役自身が招集できるんです!」


完璧。


会社法第三百六十六条。


覚えています。


五日。


二週間。


ここ、試験に出るところです!


「おい」


相馬先輩が声をかけました。


「はい!」


「今、何条って言った?」


「会社法第三百六十六条です!」


「……会社法?」


しまった。


私は固まりました。


会社法。


平成十七年成立。


平成十八年施行。


つまり。


昭和六十三年には、まだ存在しません。


「こはる」


「はい……」


「お前、また妙な法律を作ったのか?」


「作ってません!」


「じゃあ、その会社法ってのは何だ」


「あ、えっと……」


私は慌てて言い直しました。


「商法です!」


「最初からそう言え」


相馬先輩は本棚から古い六法を取り出しました。


「今、会社の規則は商法第二編だ。有限会社については別に有限会社法がある」


「はい……」


「一人で会社を作れるだの、妙な会社形態があるだの、また言い出すなよ」


ぎくっ。


実は私、少し前まで、


――株式会社なんて一人で設立できるじゃないですか!


と思っていました。


でも。


この時代は違います。


株式会社の発起人は七人以上。


取締役は三人以上。


監査役も必要。


現代なら一人で始められる会社が、昭和では何人もの人間を集めなければ成立しない。


だからこそ。


名義だけの発起人。


名前だけの取締役。


そして。


実質的には社長一人が支配する会社。


そんな歪みが生まれやすかったのです。


「所長」


私は小声で尋ねました。


「昭和六十三年でも、社長以外の取締役が招集を請求できるんですよね?」


「できる」


片桐所長が頷きました。


「商法第二百五十九条だ」


「よかった……!」


「ただし、まず定款を見ろ」


「定款?」


「誰が招集することになっているか。それが先だ」


私は真理子さんに向き直りました。


「会社の定款は、お持ちですか?」


「はい。父が作ったものの写しなら」


真理子さんは鞄から分厚い書類を取り出しました。


高瀬精密工業株式会社定款。


黄ばんだ紙。


父親の名前。


そして。


そこに書かれていた一文。


――取締役会ハ、取締役社長之ヲ招集ス。


私は目を丸くしました。


「……社長だけ?」


「そうだ」


相馬先輩が言いました。


「招集権者を社長に限定してる」


「じゃあ、真理子さんは自分で会議を開けないんですか?」


「最初から勝手に招集するわけにはいかねえ」


「そんな!」


「だが」


先輩が六法を開きました。


「そこで終わりじゃねえ」


指が止まったのは。


商法第二百五十九条。


「社長が招集権者でも、他の取締役は会議の目的を記載した書面を提出して、招集を請求できる」


「はい!」


「そして、請求された社長が動かなければ、請求した取締役自身が招集できる場合がある」


私は頷きました。


なるほど。


社長だけが会議を招集できる。


それは、普段の運営を円滑にするための決まりです。


社長に都合が悪い議題を永久に封じ込めるための特権ではありません。


「真理子さん」


片桐所長が尋ねました。


「取締役は何人ですか?」


「三人です」


「お名前は?」


「社長の剛三、私、それから経理を担当している松井清次です」


「監査役は?」


「父の代からいる杉浦さんです」


所長は頷きました。


「その杉浦さんは、工場売却の話を知っていますか?」


「はい。昨日、相談したんです」


「何と言っていました?」


「監査役として見過ごせない、と」


その瞬間。


所長の目が、少しだけ鋭くなりました。


「相馬」


「はい」


「監査役にも事情を聞こう」


「了解です」


私は首をかしげました。


監査役。


現代の会社法でも、取締役の違法行為に対して取締役会の招集を請求できる場合があります。


でも、昭和六十三年では?


「所長」


「何だ」


「監査役も取締役会を開かせることができるんですか?」


「ああ」


所長は六法の別のページを開きました。


「昭和五十六年の商法改正で、監査役による取締役会の招集請求の仕組みも整備されている」


「えっ!」


「商法第二百六十条ノ三だ」


私は思わず身を乗り出しました。


昭和の商法。


堅苦しいだけではありません。


社長が不正を働く場合に備えて、ちゃんと対抗手段が用意されていたのです。


その日の午後。


相馬先輩と私は、高瀬精密工業を訪れました。


郊外の工業団地。


古い工場。


機械の回転音。


金属を削る独特の匂い。


中では、作業着の従業員たちが黙々と働いていました。


「ここが売られたら……」


真理子さんが呟きました。


「みんな、どうなるんでしょう」


私は答えられませんでした。


二十八人。


それぞれに家族があります。


住宅ローンもあるでしょう。


子供の学費もあるでしょう。


ここで働くことを前提に、生活している人たちです。


その職場を。


社長が一人で、知人に安く売ろうとしている。


そんなことが許されていいはずがありません。


もっとも。


社長が会社の財産を売ること自体が、常に違法なわけではありません。


問題は。


その手続と目的。


そして、会社に損害を与えるような取引なのかどうかです。


「おう」


奥の事務室から、男が出てきました。


五十歳前後。


高価そうな背広。


金色の腕時計。


見るからにワンマン社長。


「お前、何を連れてきた」


真理子さんに向かって言いました。


「行政書士の方です」


「行政書士?」


男は私たちを見ました。


「何だ。弁護士じゃねえのか」


出ました。


悪徳経営者の定番台詞。


「片桐行政書士事務所の相馬です」


相馬先輩が名刺を差し出します。


「取締役会に関する事実確認と、書類作成のために来ました」


「書類?」


社長は鼻で笑いました。


「何だ、議事録でも作るのか?」


「必要があれば」


「だったらもうあるぞ」


社長は机の引き出しから、一冊の議事録を取り出しました。


「先週の取締役会だ」


私は受け取りました。


昭和六十三年十月某日。


高瀬精密工業株式会社。


臨時取締役会議事録。


議題。


工場用地及び建物売却の件。


出席取締役。


高瀬剛三。


松井清次。


以上二名。


決議。


賛成二名。


反対零名。


工場売却を承認する。


……。


私は顔を上げました。


「真理子さんのお名前がありません」


「呼んでねえからな」


社長は平然と言いました。


「……呼んでない?」


「ああ」


「でも、取締役ですよ?」


「こいつは余計な口を出すからな」


社長は真理子さんを指差しました。


「会議が面倒になるんだよ」


私は絶句しました。


「監査役の杉浦さんには?」


「呼んでねえよ」


「……え?」


「監査役なんて、帳簿だけ見てりゃいいんだ」


私は議事録を見つめました。


取締役三人。


そのうち一人には招集通知なし。


監査役にも通知なし。


しかも。


「社長」


相馬先輩が尋ねました。


「招集通知は、いつ出されました?」


「通知?」


「はい」


「そんなもん、出してねえよ」


「出していない?」


「松井には前日に電話した」


社長が胸を張りました。


「二人集まった。それで過半数だろ?」


……。


私は息を呑みました。


確かに、取締役三人の会社なら、通常の取締役会決議について二人の出席で定足数を満たす場合があります。


でも。


だからといって。


残りの取締役を、最初から会議に呼ばなくてよいわけではありません。


「社長」


私は言いました。


「取締役会には、招集手続があります」


「あ?」


「原則として、会日の一週間前に通知を発しなければなりません」


「一週間?」


「はい」


「そんな面倒なこと、いちいちやってられるか!」


社長が笑いました。


「会社は俺のものだぞ!」


その瞬間。


相馬先輩の表情が変わりました。


「違いますね」


「あ?」


「会社は、あんた個人の財布じゃありません」


「何だと?」


「株式会社という法人の財産です」


先輩は淡々と続けました。


「社長だから何でも決められるわけじゃない」


「俺が代表取締役だ!」


「代表取締役だろうと、商法は守ってもらいます」


社長の顔が赤くなりました。


「たかが行政書士が、経営に口を出すな!」


私は思わず言い返そうとしました。


でも。


相馬先輩が手で制しました。


「こはる」


「はい」


「もういい」


「でも!」


「必要な事実は確認できた」


先輩は議事録を机に戻しました。


「社長。招集通知を出していないこと、真理子さんと監査役を呼んでいないことは、今のお話で確認できました」


「だから何だ」


「その事実を踏まえて、ご本人の意思に基づく書面を作成します」


「好きにしろ!」


社長は椅子にふんぞり返りました。


「ただしな」


男は笑いました。


「取締役会を招集できるのは俺だけだ」


定款を指差します。


「ここに書いてあるだろ?」


――取締役社長之ヲ招集ス。


「俺が呼ばなきゃ、二度と会議は開けねえんだよ!」


その笑顔を見て。


私は思いました。


この人。


自分が何を見落としているのか。


まだ分かっていません。


事務所へ戻ると、相馬先輩が六法を机に置きました。


「さて、こはる」


「はい!」


「今日の社長の間違いは、いくつある?」


「いっぱいあります!」


「具体的に言え」


「まず、招集通知です!」


私はノートを開きました。


「取締役会の招集通知は、原則として一週間前までに発する必要があります!」


「そうだ」


「定款で期間を短縮していれば別ですが……」


私は高瀬精密工業の定款を確認しました。


招集権者の定めはあります。


でも、通知期間を短縮する規定はありません。


「ありません!」


「じゃあ?」


「原則どおり、一週間前です!」


相馬先輩が頷きました。


「次」


「通知する相手です!」


「誰だ?」


「各取締役です!」


「それだけか?」


私は止まりました。


あ。


「監査役も!」


「そうだ」


相馬先輩は議事録を指で叩きました。


「この会社には業務監査を行う監査役がいる。監査役にも取締役会へ出席して意見を述べる役目がある。呼ばずに済ませていいわけじゃねえ」


「はい!」


「じゃあ、二人だけで集まったら、絶対に取締役会を開けないのか?」


私は考えました。


……あ。


「全員の同意があれば、招集手続を省略できる場合があります!」


「そうだ」


「でも、取締役全員と監査役の同意が必要ですよね?」


「ああ」


「真理子さんも、杉浦監査役も同意していません」


「そのとおり」


なるほど。


ここが大切です。


全員の同意。


単なる出席者の過半数ではありません。


社長と経理担当取締役の二人が、


「今日、会議をやろう」


と決めても。


招集手続を省略することについて、ほかの必要な人たちが同意していなければ、手続違反が問題になります。


「だから、二人で集まったというだけでは、適法な取締役会にならないんですね」


「そうだ」


「しかも、今回の売却は工場の土地建物です」


私は契約書を見ました。


重要な財産の処分。


会社の営業に大きく影響する取引。


取締役会での適切な意思決定が求められる場面です。


「先輩」


「何だ」


「これ、社長の独断では済まないですよね」


「ああ」


「でも、社長はもう売買契約書に署名しています」


「そこは別に調べる必要がある」


先輩は言いました。


「社内の決議に問題があることと、外部の買主との契約がどう扱われるかは、同じ問題じゃねえ」


「……はい」


「契約の効力や買主の認識も絡む。軽々しく無効だと決めつけるな」


なるほど。


社長の手続違反を発見したからといって。


すべてが自動的になかったことになるわけではありません。


だからこそ。


今、何をすべきなのか。


順序を間違えてはいけないのです。


「所長!」


私は奥の机へ向かいました。


「今すぐ、真理子さんに取締役会を招集してもらいましょう!」


片桐所長は顔を上げました。


「どうやって?」


「本人名義の通知を作って……」


「定款は?」


「あっ」


私は止まりました。


定款。


取締役会の招集権者は社長。


真理子さんは、いきなり自由に招集できるわけではありません。


「じゃあ……」


私は考えました。


「まず、社長に招集を請求します!」


「そうだ」


「商法第二百五十九条!」


「うん」


「会議の目的を書いた書面を提出する!」


所長が頷きました。


「何を議題にする?」


私はノートに書きました。


――工場用地及び建物売却の件。


――売却契約締結の経緯及び価格の調査。


――代表取締役の職務執行状況の確認。


――今後の売却手続の取扱い。


「これでどうでしょう!」


所長は原案を受け取りました。


静かに読みます。


そして。


赤鉛筆を取りました。


嫌な予感。


「こはる」


「はい」


「ここ」


「はい」


「『社長が会議を開かなければ、ただちに私が招集する』」


「……はい」


「ただちに、ではない」


赤線。


「商法が定める手順を踏め」


「はい……」


「請求を受けた日から五日以内に、請求日から二週間以内の日を会日とする招集通知が発せられなければ、請求した取締役が招集できる」


私は慌てて書き直しました。


五日以内。


二週間以内。


そして。


そこまでの期間は、社長に適法な招集の機会を与える。


「分かりました!」


「もう一つ」


所長が言いました。


「請求した証拠を残せ」


「証拠?」


「いつ、何を請求したか。それが曖昧では、五日を数えられん」


なるほど。


単に電話で、


「会議を開いてください!」


と言っただけでは、後から争いになる可能性があります。


何を議題として請求したのか。


いつ届いたのか。


誰が受け取ったのか。


記録が必要です。


「だから書面ですね!」


「そうだ」


私は気合いを入れ直しました。


内容証明郵便。


配達証明。


行政書士の武器です。


ただし、書面そのものに裁判所の命令のような強制力が生まれるわけではありません。


法律で認められた権利を、本人がいつ、どのように行使したか。


それを明確にするための書面です。


「こはる」


所長が言いました。


「監査役にも同じ事実を確認しろ」


「はい!」


「今回は、取締役だけでなく、監査役の責務も問題になる」


そうです。


監査役。


杉浦さん。


この人にも、会社を守るための役割があります。


翌日。


監査役の杉浦清一さんが、事務所を訪れました。


六十八歳。


白髪。


古い革鞄。


創業者の時代から会社を支えてきた男性です。


「私は、名前だけの監査役ではありません」


杉浦さんは静かに言いました。


「高瀬社長のお父さんから、会社を頼まれているんです」


そして、鞄から帳簿の写しを取り出しました。


「これを見てください」


私は覗き込みました。


工場用地の売却予定価格。


一千八百万円。


その下には。


同じ東栄開発が、半年後に別の不動産会社へ工場用地を転売する予定であることをうかがわせる資料。


予定価格。


五千二百万円。


「……三千四百万円も違う!」


私は思わず叫びました。


杉浦さんが頷きます。


「正式に売買されるかどうかは、まだ分かりません。ただ、社長が売却先に特別な利益を与えようとしている疑いがあります」


「社長は、このことを?」


「説明してくれません」


相馬先輩が資料を確認しました。


「不正の疑いを示す資料としては重要ですね。ただし、これだけで裏金があったとまでは断定できません」


「はい」


杉浦さんは頷きました。


「ですから、取締役会できちんと報告させたいんです」


その言葉に。


片桐所長が応えました。


「監査役として、招集を請求する意思はありますか」


「あります」


「では、その意思を文書にしましょう」


所長は六法を開きました。


商法第二百六十条ノ三。


監査役が取締役の法令・定款違反の行為、またはそのおそれを認めた場合。


必要があれば、取締役会の招集を請求できる。


そして。


適法な招集がなされない場合には、一定の手順で監査役自身が招集できる。


「所長!」


私は思わず声を上げました。


「社長が会議を開かなくても、監査役が動けるんですね!」


「ああ」


「すごい!」


相馬先輩が横から言いました。


「すごいじゃねえ。そういうときのための監査役だ」


「はい!」


「ただ名前を置いておくだけなら、監査の意味がねえだろ」


杉浦さんが小さく笑いました。


「そのとおりです」


私は少し胸が熱くなりました。


昭和六十三年。


株式会社を作るには、取締役が三人以上必要。


監査役も必要。


確かに、現代と比べれば堅苦しい。


けれど。


その人数には、本来、意味があります。


一人の社長にすべてを任せない。


ほかの取締役が監督する。


監査役が不正を見張る。


会社を、一人の欲望から守るための仕組みです。


人数だけ揃えても意味はありません。


その人たちが、本当に役割を果たしてこそ。


会社の仕組みは、生きるのです。


その日の夕方。


二通の書面が完成しました。


一通目。


差出人。


取締役・高瀬真理子。


二通目。


差出人。


監査役・杉浦清一。


いずれも、社長に対する取締役会招集請求の書面です。


真理子さんの請求書には、こう記されました。


――商法第二百五十九条第二項に基づき、下記事項を会議の目的として、取締役会の招集を請求する。


――一、本件工場用地及び建物の処分に関する経緯の報告。


――二、本件売買契約の条件及び価格の妥当性の検討。


――三、適正な承認手続の有無及び今後の対応。


――本請求を受けた日から五日以内に、請求日から二週間以内の日を会日とする適法な招集通知が発せられない場合には、商法の定めに従い、請求者自ら取締役会を招集することを検討する。


続いて。


杉浦さんの請求書。


――本件売却については、代表取締役による法令又は定款に違反する行為若しくはそのおそれが認められるため、監査役として取締役会への報告及び調査が必要である。


――よって、商法第二百六十条ノ三に基づき、取締役会の招集を請求する。


私は二通を並べました。


「所長」


「何だ」


「これ、強いですね」


「そうか」


「社長が無視しても、次の手続に進めるんです」


所長は静かに言いました。


「そうだ」


そして、続けました。


「招集権を独占していても、会社の監督まで独占できるわけではない」


私は、その言葉をノートに書きました。


社長の権限。


取締役の権限。


監査役の権限。


それぞれ違う。


そして。


誰か一人が暴走しても、ほかの人間が動けるように法律が作られている。


なるほど。


これは、ただの会議のルールではありません。


会社を守るための安全装置なのです。


請求書が社長に届いたのは、翌々日の午前でした。


配達の記録が残りました。


その日の夕方。


社長から真理子さんへ電話がありました。


『何だ、この紙は!』


「取締役会の招集請求です」


『ふざけるな!』


「商法に基づいた請求です」


『俺が会議を開かねえと言ったら、開かねえんだよ!』


真理子さんは、静かに答えたそうです。


「それなら、法律に従って次の手続を取ります」


『何だと?』


「兄さん。もう、お父さんの会社を一人のものにしないで」


電話は切れました。


そして。


一日目。


通知なし。


二日目。


通知なし。


三日目。


通知なし。


四日目。


通知なし。


社長は何もしてきませんでした。


私は事務所のカレンダーに、毎日印をつけました。


「先輩」


「何だ」


「本当に、何もしないんですね」


「ああ」


「商法の条文を読んでいないんでしょうか」


「読んでねえか、読んでも自分には関係ないと思ってるんだろ」


「でも、五日目が来ます」


「来るな」


「五日経ったら……」


「条件を満たせば、請求した側が招集できる」


私はカレンダーを見つめました。


社長は。


会議を開かなければ、自分の権力を守れると思っている。


でも。


その沈黙こそが。


ほかの人間に、会議を招集する道を開く。


何という皮肉でしょう。


五日目。


夕方まで待っても、適法な招集通知は発せられませんでした。


相馬先輩が言いました。


「こはる」


「はい!」


「次の書類だ」


私は頷きました。


「取締役会招集通知ですね!」


「そうだ」


ついに。


反撃の始まりです。


ただし。


ここでも、落とし穴がありました。


「来週の月曜日に開きましょう!」


私は勢いよく言いました。


「待て」


相馬先輩が止めます。


「はい?」


「今日は何曜日だ」


「金曜日です」


「来週の月曜まで、何日ある?」


「三日です」


「定款の招集期間は?」


「……一週間です」


私は固まりました。


「じゃあ、駄目ですね」


「そうだ」


危ない。


せっかく適法に招集できる立場になっても。


通知の手続を間違えれば、また争いになる可能性があります。


「でも、全員が同意すれば省略できるんですよね?」


「できる」


「じゃあ、今回は?」


「社長が同意すると思うか?」


「……思いません」


「だろ」


私は肩を落としました。


相馬先輩は言いました。


「急ぐときほど、手続を守れ」


「はい」


「相手に落ち度があるからって、こっちまで落ち度を作るな」


なるほど。


法律で勝つというのは。


相手の違反を指摘するだけではありません。


自分たちが法律を守ることでもあるのです。


こうして。


取締役・真理子さんと監査役・杉浦さんの意思を確認したうえで、適法な招集権限と通知期間を満たす日程が設定されました。


通知先は。


取締役・高瀬剛三。


取締役・高瀬真理子。


取締役・松井清次。


そして。


監査役・杉浦清一。


全員です。


片桐所長は、最後の一枚を見直しました。


「日時」


「記載しました!」


「場所」


「記載しました!」


「通知先」


「全員確認しました!」


「議題の資料」


「添付しました!」


所長は頷きました。


「よし」


そして。


最後に、静かに言いました。


「今度は、誰も会議から排除できん」


私は息を呑みました。


社長が隠していた会議。


社長が独占していた招集権。


社長が見せなかった契約書。


そのすべてを。


今度は、正面から確認できる場が作られたのです。


取締役会の前日。


事件は思わぬ方向へ動きました。


高瀬剛三社長が、片桐事務所にやってきたのです。


「……片桐さんはいるか」


あの威勢のいい声ではありません。


どこか、焦っています。


私は驚きました。


「社長?」


「真理子の件だ」


所長が応接室へ案内しました。


社長は封筒を机に置きました。


「これを見てくれ」


中には、一枚の紙。


――取締役会招集手続省略同意書。


私は目を見開きました。


「……同意書?」


「そうだ」


社長は笑おうとしました。


「先週の会議だって、手続は省略できたんだ」


紙には。


高瀬剛三。


松井清次。


二人の署名押印。


そして。


その下に、真理子さんと杉浦さんの名前がありました。


ただし。


署名も印影もありません。


「これで十分だろ?」


社長が言いました。


「二人は賛成してるんだから」


……。


私は声を失いました。


「社長」


相馬先輩が尋ねました。


「真理子さんと杉浦監査役は、招集手続の省略に同意したんですか?」


「してねえよ」


「では、なぜお名前があるんです?」


「役員だからだ」


「同意は?」


「必要ねえだろ。過半数が賛成してる」


相馬先輩は、静かに紙を置きました。


「違います」


「何?」


「招集手続の省略に必要な全員の同意と、取締役会決議における多数決は、別の話です」


「……何だと?」


「取締役三人のうち二人が賛成したからといって、呼ばなかった取締役や監査役の同意まであったことにはなりません」


社長の顔から、少しずつ笑みが消えていきました。


「そんな細かいことで……」


「細かくありません」


相馬先輩が言いました。


「会議に参加する機会を奪ったんです」


静かな声。


でも。


それ以上、言い逃れを許さない声でした。


「そもそも、全員の同意があるなら、今回のような争いは起きていないでしょう」


社長は黙りました。


私は思いました。


この人。


最後まで勘違いしていたんです。


決議の多数決。


招集手続の省略。


二つは、まったく別の問題なのに。


自分に賛成する人間が多ければ、何でも省略できると思っていた。


「……それで」


社長が小さく言いました。


「明日の会議を開かれたら、どうなる?」


所長は答えました。


「それは、取締役会で適法に判断されることです」


「俺は社長だぞ」


「はい」


「俺が代表取締役なんだ」


「承知しています」


「なのに、俺の許可なしで会議を開くのか?」


所長は、静かに言いました。


「商法が認めています」


社長は何も言えませんでした。


翌日。


高瀬精密工業の会議室。


長机。


四つの椅子。


取締役三人。


監査役一人。


私は、その場にはいませんでした。


行政書士として、会社の法律紛争を代理して議論を戦わせる立場ではないからです。


ただし。


事前の招集関係書類の作成や、本人の意思に基づく資料整理には関わりました。


そして、会議の結果は。


その日の夕方、真理子さんから報告を受けました。


「……社長、来ました」


「本当ですか!」


「はい」


「会議は?」


「開けました」


真理子さんは、少し笑いました。


「杉浦さんが、最初に資料を出してくれたんです」


売買契約書。


土地の評価資料。


売却価格を巡る疑問。


買主との関係。


そして。


先週の取締役会議事録。


真理子さんは続けました。


「松井さんが、全部話してくれました」


「松井取締役が?」


「はい」


経理担当の松井さん。


社長の側についていた人です。


でも。


今回は違った。


杉浦監査役が、取締役会で資料を示し、説明を求めたのです。


そこで松井さんは。


先週の会議では十分な価格資料が示されなかったこと。


社長に言われて急いで出席したこと。


真理子さんや杉浦さんが呼ばれていないと知っていたこと。


それらを認めました。


「そして……」


真理子さんが少し声を震わせました。


「先週の決議を前提に売却を進めることには、反対だと言ってくれたんです」


「……!」


私は息を呑みました。


松井さんは、今回、社長の意向に従いませんでした。


もっとも。


先週の決議が法的に無効かどうか、また締結済みの売買契約がどう扱われるかは、別途慎重な検討が必要です。


そのため。


今回の取締役会では、工場売却に向けた手続の進行を見合わせること。


売却価格及び取引経緯について、独立した評価と調査を行うこと。


既に締結された契約については、弁護士に法的対応を相談すること。


これらが、適法な手続で決定されたそうです。


「社長は?」


私が尋ねました。


真理子さんは、少し沈黙しました。


「最初は怒鳴っていました」


「やっぱり……」


「でも、杉浦さんが言ったんです」


真理子さんは、その言葉を思い出すように続けました。


「会社は、社長一人のものではありません。従業員の生活も、取引先との信用も、株主の利益もかかっています、と」


私は黙りました。


「それから、松井さんも言いました」


「何と?」


「この取引で会社に損害が出たら、自分たち取締役も責任を問われる。もう、名前だけで賛成するのは嫌だ、と」


……。


それです。


まさに。


昭和の会社制度が、名ばかりの役員を生みやすかった理由。


人数合わせで役員になって。


社長に逆らわず。


何も考えずに議事録へハンコを押す。


でも。


取締役という肩書には、責任があります。


名前を貸しただけ。


社長に言われただけ。


それだけで、すべての責任から逃げられるわけではありません。


「社長は、何と言いました?」


私が尋ねると、真理子さんは答えました。


「……分かった、と」


「え?」


「工場の売却は、いったん止める。買主との契約についても、弁護士に相談して適切に対応する、と」


私は思わず拳を握りました。


「やりましたね!」


真理子さんの目に、涙が浮かびました。


「ありがとうございます」


「いえ、まだ調査も残っていますし……」


「でも」


真理子さんは言いました。


「少なくとも、みんなに黙って工場を売られることは、止められました」


私は頷きました。


その言葉には。


金額では測れない重さがありました。


数日後。


高瀬剛三社長から、真理子さん宛てに一通の書面が届きました。


その写しが、事務所にも持ち込まれました。


私は読みました。


――本件工場用地及び建物の売却について、取締役会の招集手続及び承認手続に問題があったことを認識した。


――今後、重要な業務執行については、商法及び定款に従い、取締役会で適正に審議する。


――本件については、第三者による評価及び専門家の助言を受け、会社の利益を損なわない対応を検討する。


そこには。


高瀬剛三。


本人の署名押印がありました。


「……社長が、自分で書いたんですか?」


私が尋ねると、真理子さんが頷きました。


「はい。顧問の税理士さんにも相談したそうです」


「そうなんですね」


「このまま工場を安く売って会社に損害が出れば、取締役として個人の責任を追及されるおそれもあると説明されたようで……」


私は、もう一度書面を読みました。


あの社長。


最初は。


会社は俺のものだ。


俺が法律だ。


俺が呼ばなきゃ会議は開けない。


そう言っていました。


でも。


商法の手続を前にして。


自分の思いどおりにならないことを、ようやく理解したのでしょう。


もっとも。


これで社長が完全に改心したかどうかは、分かりません。


でも。


少なくとも。


会社の財産を勝手に処分することの危険性。


取締役会の招集手続を無視することの危険性。


そして。


取締役としての責任。


それを、本人が認識したことには意味があります。


一週間後。


高瀬精密工業から、写真が届きました。


工場の前。


二十八人の従業員。


真理子さん。


杉浦監査役。


そして。


古い工作機械。


みんな、笑っています。


「よかったですね……」


私は思わず呟きました。


相馬先輩が写真を覗き込みました。


「まだ契約の問題は残ってるけどな」


「はい」


「でも、会社の判断を社長一人から取り戻すことはできた」


「そうですね」


私は写真の端にいる男性を見ました。


白髪。


小さな笑顔。


杉浦監査役です。


「先輩」


「何だ」


「監査役って、すごいですね」


「何でだ」


「社長が会議を開かなくても、必要な場合には、自分で招集する道があるんです」


「そうだな」


「ただ帳簿を見るだけじゃないんですね」


相馬先輩は頷きました。


「会社が壊れる前に、おかしいって声を上げる役目もある」


私は少し考えました。


「じゃあ、取締役会の招集って……」


「うん?」


「単なる会議の準備じゃないんですね」


先輩が笑いました。


「ようやく分かったか」


そうです。


取締役会。


招集通知。


一週間。


全員の同意。


五日以内。


二週間以内。


行政書士試験では、数字と条文が並んでいます。


でも。


今回の事件では、その一つ一つに意味がありました。


一週間前の通知。


それは、ほかの取締役が会議に参加する機会を守るため。


全員の同意。


それは、手続を省略する際に、誰か一人を勝手に排除しないため。


五日以内の対応。


それは、社長が招集請求を無視して、問題を永久に封じ込めないため。


二週間以内の日程。


それは、会議を開くと言いながら、不当に先延ばししないため。


そして。


取締役や監査役による招集。


それは。


会社を一人の人間の私物にしないため。


全部、つながっているのです。


「ところで、所長」


私は六法を開きながら尋ねました。


「今回、どうして株主ではなく、取締役と監査役に招集してもらったんですか?」


片桐所長が顔を上げました。


「いい質問だ」


私は驚きました。


褒められました!


「真理子さんは、株主でもありますよね」


「ああ」


「現代の会社法だと、一定の会社では株主も取締役会の招集を請求できます」


相馬先輩が怪訝な顔をしました。


「また未来の話か?」


「あっ」


しまった。


でも。


ここは大事です。


現代の会社法第三百六十七条。


監査役設置会社などを除いた一定の取締役会設置会社では、取締役の違法行為などを理由に、株主が取締役会の招集を請求できる制度があります。


ただし。


今回の昭和六十三年とは、条文の置き方も制度も違う。


この時代の高瀬精密工業では、真理子さんが取締役であること。


杉浦さんが監査役であること。


そこに着目したのです。


片桐所長が言いました。


「こはる」


「はい」


「資格が違えば、使える権利も違う」


「……はい」


「株主としてできること。取締役としてできること。監査役としてできること」


私は頷きました。


「全部、同じじゃないんですね」


「そうだ」


所長は、写真を机に置きました。


「誰が、どの立場で、何を請求できるのか」


「はい」


「それを間違えると、正しい目的でも手続を誤る」


なるほど。


会社を守りたい。


その気持ちだけでは足りない。


法律が定める立場。


権限。


条件。


手続。


それを一つずつ確認する。


だからこそ、行政書士の書類には意味があるのです。


その日の夕方。


私は写真をもう一度見ました。


工場。


従業員。


真理子さん。


杉浦監査役。


二十八人の笑顔。


あの人たちは、何も悪いことをしていません。


毎朝、工場へ出勤して。


機械を動かして。


製品を作って。


取引先へ納める。


ただ、それだけです。


でも。


社長一人の判断で、生活の土台が失われかけていた。


その危機を止めるきっかけになったのは。


一枚の招集請求書。


そして。


一通の招集通知だったのです。


「所長」


「何だ」


「商法って、不思議ですね」


「そうか」


「最初は、面倒なだけの法律だと思っていました」


「うん」


「発起人が七人必要だったり、取締役が三人必要だったり」


相馬先輩が笑いました。


「確かに面倒だな」


「でも、その人数に意味があったんですね」


私は続けました。


「社長一人で勝手に決めないために、ほかの人がいる」


「そうだ」


「ただし、人数だけ揃えても駄目で」


「うん」


「ちゃんと会議に参加できて、意見を言えて、必要なら自分たちで会議を開ける仕組みがないと意味がない」


片桐所長が頷きました。


「そのとおりだ」


私は笑いました。


「じゃあ、取締役会って、会社の良心みたいなものですね」


相馬先輩が鼻で笑いました。


「良心だけで動いてくれりゃ、法律なんか要らねえよ」


「ひどい!」


「だから、手続があるんだろ」


……確かに。


良心がなくても。


社長がわがままでも。


権力を独占しようとしても。


一定の条件を満たせば、ほかの人間が行動できる。


それが法律です。


私はノートを開きました。


今日の教訓。


――社長が会議を呼ばないなら、商法に従ってほかの者が招集できる道がある。招集権は、独裁権ではない。


よし。


これなら忘れません。


そのとき。


電話が鳴りました。


「はい! 片桐行政書士事務所です!」


『あのう……』


年配の男性の声。


『うちの会社の取締役会について、相談したいんですが』


「はい!」


『社長が、昨日いきなり電話してきまして』


「はい」


『今日の昼に会議を開くから、すぐ来いって言うんです』


……。


私は相馬先輩を見ました。


先輩もこちらを見ました。


『それで、都合がつかないと言ったら……』


「はい」


『じゃあ、お前抜きで決めるからいい、と』


私は、ゆっくり息を吸いました。


またです。


また来ました。


招集通知。


一週間。


全員の同意。


そして。


出席できない取締役を、勝手に排除しようとする社長。


「先輩」


「何だ」


「次も招集手続です」


「聞こえてる」


「しかも、昨日通知して今日開催です!」


「だから聞こえてる!」


私は受話器を握り直しました。


「すみません。まず、会社の定款で招集通知の期間が短縮されていないか、確認させてください」


『定款ですか?』


「はい。それから、取締役全員と監査役が招集手続の省略に同意しているかどうかも重要です」


『……そんな話、聞いてません』


「分かりました。では、会議の通知内容と、これまでの経緯を教えてください」


相馬先輩が、机の向こうで頷きました。


よし。


今度は間違えません。


社長が呼んだから。


二人集まったから。


多数決で決めたから。


それだけで、すべての手続が正しくなるわけではないのです。


昭和六十三年。


商法第二編。


取締役会の招集。


最初は、ただの会議のルールだと思っていました。


でも。


それは違いました。


会議に呼ぶこと。


意見を聞くこと。


誰かが会議を独占できないようにすること。


その一つ一つが。


会社の財産を守り。


真面目に働く従業員を守り。


会社を信じてきた人たちの生活を守る。


法律の仕組みだったのです。


「相馬先輩!」


「今度は何だ!」


「私、取締役会の招集、完全に覚えました!」


「ほう」


「原則一週間前に通知!」


「うん」


「全員の同意があれば手続省略!」


「うん」


「招集請求を無視されたら、五日と二週間!」


「よし」


「そして、社長だからといって好き勝手にはできない!」


相馬先輩が、にやりと笑いました。


「そこが一番大事だな」


私は笑いました。


でも。


最後に一つだけ。


忘れてはいけないことがあります。


会議に呼ばれなかった人間は。


ただ黙って、会社を奪われるしかないわけではない。


定款を開いて。


商法を開いて。


正しい手続を踏めば。


閉ざされた会議室の扉を、自分たちで開けられることがある。


そして。


その扉を開く鍵は。


社長の許可ではなく。


法律が認めた、一枚の招集通知なのです。

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