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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政手続法

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[行政手続法17条・聴聞の参加人・主宰者]現場編 「当事者じゃない人は口を出せません」の罠。処分を受ける者と、処分で生活が揺れる者を分ける聴聞の入口

挿絵(By みてみん)

 役所の手続では、ときどき「あなたの話ではありません」が一番怖いです。


 たしかに。


 名前が書いてあるのは別の人。


 処分を受けるのも別の人。


 通知書が届いたのも別の人。


 でも。


 その「別の人」に下される処分ひとつで、自分の仕事も、暮らしも、明日の給料も吹き飛ぶことがあります。


 そういうときに、


「あなたは当事者ではありませんから」


 で扉を閉められたら。


 人は、自分の生活について、自分だけが部外者になります。


「――うち、潰れるかもしれないんです」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所の応接机に、作業着姿の男が座っていました。


 三十代後半。


 手の甲には油汚れが染みついています。


 何度洗っても落ちないやつです。


 町工場の人の手。


 それだけで、たぶん私よりこの町のことを知っています。


「名前は?」


 相馬先輩が聞きました。


「牧野正夫です」


「何の工場だ」


「東亜メッキです。駅東の工業団地にある」


 私は聞き覚えのある名前に顔を上げました。


 駅前再整備に伴って、工業団地の一部が環境対策の重点区域として見直されている。


 最近、市役所でもちょくちょく聞く名前です。


「会社が何か?」


 片桐所長が聞きました。


 牧野さんは膝の上で帽子を握りました。


「市から、操業停止の話が出てるそうなんです」


 空気が少し重くなりました。


「そうなんです、って?」


「社長に通知が来たんです。排水の基準違反だとかで」


「通知は見たのか」


「見せてもらいました」


 牧野さんが封筒からコピーを取り出しました。


 工場排水に関する改善命令違反を理由とする操業停止処分の予定。


 その前に、工場側の言い分を聞くための聴聞。


 処分の名あて人は、東亜メッキ株式会社。


 なるほど。


 当事者は会社です。


 牧野さんではない。


「それで?」


 相馬先輩が聞きました。


「昨日、市役所に行ったんです」


「一人で?」


「はい。俺も聴聞に出させてくれって」


「理由は」


「工場が止まったら、俺たち仕事なくなるでしょう」


 牧野さんはそう言って。


 すぐに言い直しました。


「いや、止まるのが悪いって言ってるんじゃないです。排水がまずいなら直さなきゃいけない。でも……」


 帽子を握る指に力が入ります。


「今の設備が全部違反してるわけじゃないんです」


「どういうことです?」


 私が聞くと、牧野さんは身を乗り出しました。


「問題になってるのは第二洗浄槽の排水なんです。そこは前から調子が悪かった。でも社長が、市に言われた通り全部直さなかったわけじゃない。去年、第一系統は交換してる。排水経路も分けた」


「それを市は?」


「現場を見に来た人は知ってます。でも通知書には、“改善命令に従わなかった”って大きく書いてある」


 嫌な感じがします。


 大きな言葉が、細かい事実を踏み潰している感じ。


「それで、牧野さんはその事情を話したい?」


「俺、現場責任者なんです。配管も交換工事も全部立ち会った。どこが古くて、どこを直したか、社長より知ってます」


 相馬先輩が顎をさすりました。


「会社の代理人になればいいんじゃないか」


「それが……」


 牧野さんが困った顔をします。


「社長は自分で出るって言ってます」


「ああ」


「それに、俺は会社の代表じゃないし。社長から頼まれてるわけでもない」


 そこ。


 私は少し引っかかりました。


 昨日までなら。


 当事者。


 代理人。


 そこで話は終わっていたかもしれません。


 でも。


 今日の牧野さんは、そのどちらでもない。


 会社ではない。


 会社の代理人でもない。


 ただ。


 処分が出れば、生活に思い切り影響を受ける。


「市役所では何て?」


 私が聞きました。


 牧野さんの顔が曇りました。


「『聴聞は会社に対してやるものです。従業員の方は当事者ではありません』って」


「それだけ?」


「『社長さんに話して、社長さんから説明してもらってください』と」


 相馬先輩が鼻を鳴らしました。


「役所らしいな」


「間違いではないんですよね」


 私は言いました。


「牧野さんは処分の名あて人じゃない」


「だから帰ったんです」


 牧野さんは笑いました。


 笑いましたけど。


 その笑い方は、笑っている人のものではありませんでした。


「帰ってから考えたんです。社長が全部話してくれるのかって」


「話さない?」


「隠す人じゃないです。でも、設備のことは細かすぎる。俺なら説明できる。でも俺は“当事者じゃない”」


 私は通知書を見ました。


 操業停止。


 会社に出る処分。


 でも。


 従業員に何の影響もないわけがない。


 むしろ処分の法的名あて人と、現実に生活が揺れる人がズレている。


 頭の奥で。


 また未来の条文が立ち上がりました。


 行政手続法十七条。


 当事者以外の者であって。


 不利益処分につき利害関係を有する者。


 主宰者は、その者に参加を求め、または参加を許可することができる。


 ――参加人。


「……いた」


「何が」


 相馬先輩が私を見る。


「いえ」


 危ない。


 未来の法律用語をそのまま口から出すところでした。


 昭和六十三年。


 行政手続法は、まだない。


 でも。


 この問題も、もう先に存在している。


「所長」


「何だ」


「この聴聞、市の規程ってありますよね」


「ああ」


「当事者以外の利害関係人について、何か書いてないですか」


 相馬先輩が私を見る。


「また規程掘るのか」


「掘ります」


「好きだな」


「最近、役所の規程って宝探しみたいに思えてきました」


「だいたい宝より面倒が出るぞ」


 それは知っています。


 片桐所長は少し考えてから立ち上がりました。


「相馬」


「はい」


「市役所」


「またですか」


「牧野さんも来てもらう」


「え、俺も?」


「現場を知っているんだろう」


「はい」


「なら、来い」


 短い。


 でも牧野さんの顔が、ほんの少しだけ上がりました。


 市役所の環境保全課。


 最近の私は、市役所の廊下を自宅より歩いている気がします。


 倉田係長は別課から応援で入っているらしく、今日もいました。


 私たちを見るなり、眉間に皺が寄ります。


「今日は何ですか」


「今日はまだ何もしてません」


 私が言うと、相馬先輩が横から、


「“まだ”って言うな」


 と突っ込みました。


 倉田係長の胃に悪いのでやめましょう。


「東亜メッキの聴聞です」


 片桐所長が言いました。


 倉田係長の表情が変わりました。


「ああ……」


「牧野さんを参加させたい」


「参加?」


 係長が牧野さんを見る。


「従業員の方ですよね」


「現場責任者です」


「でも聴聞の当事者は会社です」


 来ました。


 昨日と同じ扉。


 当事者か、そうでないか。


 そして。


 当事者でなければ外。


 私は一歩前に出ました。


「係長」


「はい」


「当事者じゃないことと、聴聞に関与できないことって、同じですか」


 倉田係長が止まりました。


「どういう意味です」


「この市の聴聞規程に、利害関係人の参加について何かありませんか」


 倉田係長の顔が、


 またか。


 という顔になりました。


 すみません。


 でも見てください。


 役所のファイル。


 そこに答えがいる気がするんです。


「少し待ってください」


 係長が規程集を取り出しました。


 ぱらぱら。


 ぱらぱら。


 私はこの音が最近好きです。


 役所が「慣例」から「根拠」に戻っていく音だから。


「あった」


 倉田係長が小さく言いました。


「何て?」


 相馬先輩が聞きます。


「聴聞を主宰する者は……必要があると認めるときは、処分について直接の利害関係を有する者に、手続への参加を求め、または申出により参加を認めることができる」


 私は思わず息を止めました。


 未来の行政手続法十七条と、ほとんど同じ骨格です。


 まだ全国共通の法律にはなっていない。


 でも問題が同じなら、現場が生み出す仕組みも似てくる。


「じゃあ、牧野さんは申出できますね」


「申出はできます」


 倉田係長が慎重に言いました。


「ただし、参加できるかは別です」


「誰が決めるんです?」


「主宰者です」


 その言葉。


 未来の条文が、もう一つ頭の中で光りました。


 主宰者。


 聴聞の司会者。


 運営する人。


 でも、ただの司会じゃない。


 誰を手続に参加させるか。


 必要な進行をどう整理するか。


 聴聞の場を仕切る立場。


「今日の主宰者は?」


 片桐所長が聞きました。


「環境部の次長が指名されています」


「処分を決める人ですか」


 私が思わず聞く。


 倉田係長が私を見る。


「最終判断は市長名です。ただ、聴聞の進行役として次長が指名されています」


 なるほど。


 行政庁が指名した職員。


 未来の行政手続法十九条に出てくる形と重なります。


 でも。


 ここで頭の中だけで条文を朗読してはいけない。


 昭和です。


 平成の条文を昭和の窓口へ持ち込むと、話より私の戸籍が問題になります。


「じゃあ、牧野さんが参加できるかは、係長がここで決めることじゃない」


 私は言いました。


 倉田係長が少しだけ苦い顔をしました。


「そうですね」


「窓口で“当事者じゃないから駄目”って終わらせる話でもない」


「……そうなります」


 相馬先輩が腕を組みました。


「最初から主宰者に回せばいいだろ」


「通常は、従業員の方まで参加を希望されることがあまりないので」


「“あまりない”は、駄目の根拠じゃない」


 相馬先輩。


 今日も切れます。


 倉田係長は反論しかけて。


 やめました。


「申出書を出してください」


「書式は?」


 片桐所長が聞く。


「決まったものはありません。処分との利害関係と、参加を希望する理由が分かれば」


「分かりました」


 そこで牧野さんが、おそるおそる口を開きました。


「あの」


「はい」


 倉田係長が見る。


「俺、会社をかばいたいだけじゃないんです」


 部屋が静かになりました。


「排水が駄目なら、止める必要があるのかもしれない。でも、どこまで直して、どこが残ってるかは、ちゃんと見てほしいんです」


「……はい」


「全部一緒にされて、“命令に従わなかった工場”って言われたら、現場で直した奴らまで何もしてなかったみたいになる」


 牧野さんの声は強くありませんでした。


 でも。


 強い言葉より、こういう声の方が残ります。


「それと」


 牧野さんは続けました。


「もし本当に止まるなら、いつから、どのくらいなのか。俺たちも知らないと困る」


 それは。


 法律上の処分の名あて人だけを見ていると、こぼれ落ちる話でした。


 会社に対する操業停止。


 その文字の後ろに。


 従業員の給料。


 家賃。


 子どもの学費。


 翌月の生活。


 そういうものがぶら下がっています。


 片桐所長が一言だけ言いました。


「それを書け」


「え?」


「参加を求める理由に」


 牧野さんは頷きました。


 事務所へ戻って。


 私たちは申出書を作りました。


 処分予定。


 東亜メッキに対する操業停止。


 牧野さんの立場。


 現場責任者。


 排水設備の改修状況を直接把握している。


 処分により就労継続や賃金に重大な影響を受ける。


 聴聞で、設備改善の実施状況について説明したい。


 私は文章を書きながら、少し不思議な気分になっていました。


 この人は当事者ではない。


 でも無関係でもない。


 当事者か。


 部外者か。


 世界を二つに割れば、牧野さんは部外者になります。


 でも現実は、そんなにきれいに二色ではありません。


 法律は時々、その中間に名前をつける。


 未来では。


 参加人。


 今はまだ、その言葉が全国共通で整理されていないだけ。


「こはる」


 相馬先輩が私の書いた紙を見ます。


「長い」


「何がですか」


「理由」


「必要でしょう」


「主宰者が読む前に疲れるぞ」


「じゃあ先輩が短くしてください」


「よし」


 相馬先輩が赤鉛筆を取りました。


 三分後。


「短すぎません?」


 申出理由。


 処分により雇用へ重大な影響を受け、かつ設備改善の事実を直接知るため。


「一行!」


「十分だ」


「文章に情緒がない!」


「役所に情緒を出すな」


 片桐所長が横から言いました。


「相馬のでいい」


「所長まで!」


 昭和の実務。


 短文至上主義。


 でも。


 たしかに論点は全部入っています。


 利害関係がある。


 そして参加する意味がある。


 誰でも、


「気になるから見せてください」


 で聴聞に入れるわけではない。


 処分との関係が必要。


 さらに、参加させるかどうかは主宰者が判断する。


 入口を広くしすぎれば、聴聞が収拾つかなくなる。


 狭くしすぎれば、本当に影響を受ける人の声が消える。


 その真ん中に。


 主宰者という役割が置かれている。


 三日後。


 返事が来ました。


 牧野さんの参加を許可する。


 ただし、設備改善状況および操業停止処分による直接の影響に関する範囲で意見を述べること。


「通った……」


 牧野さんが事務所で通知を見ながら呟きました。


「通りましたね」


 私も嬉しくなりました。


 でも相馬先輩が釘を刺します。


「まだ入口だぞ」


「分かってます」


「参加できることと、言うことが通ることは別だ」


「はい」


 そこ。


 大事です。


 手続に入れた。


 イコール勝ち。


 ではない。


 聴聞は、意見を言う場所。


 参加人になったから、処分を止められるわけではありません。


 でも。


 昨日までは、


「あなたは当事者ではない」


 で廊下に立たされていた人が。


 今日は中に入れる。


 それだけでも、かなり違います。


 聴聞当日。


 会議室の中央には長机。


 正面に主宰者。


 環境部の次長です。


 五十代くらい。


 眼鏡。


 表情は固い。


 でも、倉田係長よりさらに疲れて見えます。


 行政組織、役職が上がるほど肩が重そうです。


 右側に行政側。


 左側に東亜メッキの社長。


 そして少し離れて、牧野さん。


「それでは始めます」


 主宰者が言いました。


 声は落ち着いています。


 私は後ろから見ていました。


 なるほど。


 司会者。


 たしかに見た目だけならそうです。


 でも。


 ただ順番に喋らせるだけではない。


「牧野さん」


「はい」


「あなたは本件処分について利害関係を有し、設備改善状況を直接把握している者として参加を認めています」


「はい」


「会社を代表して意見を述べる立場ではありません。その点は分けてください」


「分かりました」


 私は少しだけ背筋を伸ばしました。


 そう。


 そこです。


 参加人は、当事者ではない。


 当事者の代理人でもない。


 自分自身が処分との利害関係を持つ者として参加している。


 誰の立場で話しているのか。


 そこを混ぜない。


 聴聞が始まりました。


 市側が改善命令の経緯を説明します。


 排水基準超過。


 改善命令。


 再検査。


 なお一部基準を超過。


 だから操業停止を検討する。


 東亜メッキの社長が話します。


 改善工事は行った。


 資金面の問題で全面更新はできなかった。


 第二系統については追加工事を予定していた。


 そして牧野さんの番。


「第一系統は去年の十一月に交換しました」


 図面を出します。


「この配管です。旧排水管はここで切り離してます」


 行政側の職員が図面を見る。


「第二系統は?」


「旧設備のままです。ただし、使用時間を短縮して、排水量を減らしていました」


「それでも基準を超えた?」


「はい」


 牧野さんは逃げませんでした。


「そこは超えました。でも第一と第二をまとめて、“改善していない”って言われるのは違います」


 主宰者が行政側を見る。


「改善命令後の現地確認記録に、第一系統の更新は記載されていますか」


 担当者が書類を確認します。


「……あります」


「では、その点は事実として整理してください」


 一言。


 それだけ。


 でも。


 会議室の空気が変わりました。


 会社が命令に従ったか、従わなかったか。


 ゼロか百か。


 そこに、


 どこまで改善したのか。


 何が残ったのか。


 という事実が入ってきた。


 私は心の中で、少しだけ拳を握りました。


 これです。


 論点が整理される瞬間。


 派手じゃない。


 誰かが謝るわけでもない。


 悪役が崩れ落ちるわけでもない。


 でも。


 雑に一色で塗られていた事実が、ちゃんと分かれる。


 それだけで、空気が変わる。


 牧野さんが参加していなかったら。


 社長が説明できたかもしれない。


 行政側の記録から出てきたかもしれない。


 でも、出てこなかったかもしれない。


 手続に誰が入れるか。


 それは、何が事実として机の上に乗るかに直結します。


 聴聞はその場で終わりました。


 処分の結論は保留。


 市は、


 第一系統について改善済みであること。


 第二系統のみ基準超過が残っていること。


 全面操業停止ではなく、一部設備の停止や条件付き操業で足りるか。


 そこを改めて検討することになりました。


 完全勝利ではありません。


 工場に問題があったことも事実です。


 第二系統の排水は、基準を超えている。


 そこは消えない。


 でも。


「全部止めるしかない」


 という大きな話が、


「どこを止める必要があるのか」


 という話に変わった。


 牧野さんは会議室を出ると。


 長く息を吐きました。


「怖かった……」


「ですよね」


 私は言いました。


「でもちゃんと話せました」


「俺、途中で余計なこと言ってないですかね」


「社長より整理されてました」


 相馬先輩が言いました。


「おい」


 少し離れたところで社長が振り向きます。


「聞こえてますよ」


「聞こえるように言った」


「相馬さん!」


 私は慌てました。


 この人、聴聞終わった直後に別の紛争を発生させる気ですか。


 片桐所長だけは何も言わず。


 廊下の先を歩いていました。


 その背中に、牧野さんが声をかけました。


「先生」


 所長が止まる。


「ありがとうございました」


「まだ終わってない」


「はい」


「でも」


 牧野さんは少し笑いました。


「俺、自分は関係あると思ってたんです。でも役所で“当事者じゃない”って言われたら、本当に関係ないのかなって思って」


 片桐所長が振り向きました。


「当事者でないことと、利害がないことは別だ」


 短い。


 今日も一行。


 でも、たぶんその一言が全部でした。


 処分を受けるのは会社。


 牧野さんではない。


 だから当事者ではない。


 でも。


 処分で仕事を失うかもしれない。


 設備改善の事実を直接知っている。


 なら、処分と無関係とも言えない。


 当事者か。


 部外者か。


 その二択しかなければ、たくさんの人がこぼれます。


 だから。


 その間に制度が席を一つ作る。


 そんな感じがしました。


 事務所へ戻った夕方。


 牧野さんが差し入れを置いていきました。


 工業団地近くのパン屋のコッペパン。


 あんこ。


 ジャム。


 ピーナツ。


 三種類。


「三人でどうぞ」


「四人いますけど」


 私は牧野さんを見る。


「え?」


「所長、相馬先輩、私、それと牧野さん」


「俺はいいですよ」


「駄目です」


「何で」


「利害関係人です」


 相馬先輩が吹き出しました。


「パンに参加するのか」


「参加人です」


「誰が許可する」


 私は片桐所長を見ました。


「主宰者?」


 所長がパンを一つ取りました。


「職権で参加を認める」


「所長、それ一番人気のあんこ!」


「主宰者強い!」


 牧野さんが、初めて声を出して笑いました。


 その笑い声を聞いて。


 私は少し安心しました。


 工場の先行きは、まだ分かりません。


 全部止まるのか。


 一部停止で済むのか。


 改善期間が設けられるのか。


 会社が資金を用意できるのか。


 従業員の仕事が守られるのか。


 何一つ確定していない。


 でも。


 昨日よりは、状況が細かく見える。


 昨日は、


 操業停止。


 という巨大な一語しかありませんでした。


 今日は。


 第一系統。


 第二系統。


 改善済み。


 未改善。


 会社。


 従業員。


 当事者。


 利害関係人。


 そして。


 誰を手続に入れるかを決め、聴聞を進める人。


 主宰者。


 私はそこで、頭の中の未来の条文を思い出しました。


 行政手続法十七条。


 当事者以外の者で。


 不利益処分について利害関係を有する者。


 主宰者が必要と認めれば、参加を求める。


 または。


 申出を受けて参加を許可する。


 未来では、この関係にちゃんと名前がつく。


 参加人。


 そして。


 その入口を判断するのが主宰者。


 今はまだ、全国共通の法律として整理されていない。


 でも。


 現場ではもう同じ問いがある。


 誰を聞くのか。


 誰に話させるのか。


 誰まで手続の中に入れるのか。


 たぶん。


 法律は、こういう揉め事を何度も見てから、あとで言葉を与えるのでしょう。


「何だ、またぼうっとして」


 相馬先輩が言いました。


「未来を……」


「またか」


「いえ、パンを見てました」


「嘘つけ」


 私は自分の机に戻りました。


 ノートを開きます。


 今日も題名だけ。


 ――聴聞の参加人・主宰者。


 その下に書こうとして。


 やっぱり止めました。


「また書かないのか」


「今日はまだ現場です」


「昨日も聞いた気がする」


「現場で分かったことを、そのまま試験知識だと思うと危ないので」


 これは本当にそうです。


 今日わかったのは。


 当事者ではなくても、処分と切実な関係を持つ人がいる。


 でも。


 関係があると思う人全員が、自由に聴聞へ入れるわけでもない。


 誰を参加させるか。


 どんな立場で参加するのか。


 誰がその入口を判断するのか。


 そこには、ちゃんと線引きが必要です。


 制度は冷たい。


 だから、


「従業員さん、かわいそうだから入れてあげましょう」


 ではない。


 逆に、


「通知書に名前がないから帰ってください」


 でもない。


 利害関係があるか。


 参加させる必要があるか。


 それを判断する立場の人がいる。


 その冷たい仕組みがあるから。


 声の大きい人だけでもなく。


 役所に知り合いがいる人だけでもなく。


 本当に関係のある人に、手続の中の席を作れる。


 今日の教訓を一つだけ言うなら。


 当事者でないからといって、無関係とは限らない。


 たぶん、それです。


「こはる」


 相馬先輩が残ったコッペパンを持ち上げました。


「これ、誰のだ」


「残り一個ですか」


「ああ」


「私です」


「何で」


「私は今日かなり働きました」


「俺もだ」


「所長もです」


 片桐所長が新聞を読みながら言いました。


「牧野さんは帰った」


「だから三人で」


「一個を?」


「はい」


 相馬先輩が真顔になりました。


「聴聞を開くか」


「パン一本で?」


「利害関係人が三人いる」


「主宰者は?」


 二人で所長を見る。


 所長は新聞を下ろしました。


「職権で決める」


「はい」


「三等分」


「異議なし」


「早い」


 行政手続より、パン手続は迅速でした。


 しかも透明。


 不服もなし。


 私は三分の一になったコッペパンを受け取りながら、少し笑いました。


 役所の手続は、人を外へ出すためだけにあるんじゃない。


 ときどき。


 誰を中へ入れるべきかを決めるためにもある。


 そして。


 その入口を誰かの気分で開け閉めしないために。


 法律は、わざわざ役割に名前をつける。


 当事者。


 参加人。


 主宰者。


 昨日までなら。


 見ただけで眠くなった単語です。


 でも今日は。


 工場の油の匂いと。


 牧野さんの震える声と。


 会議室の長机まで、一緒に思い出せそうでした。

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