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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式会社の機関    

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642/701

[会社法・株主の議決権と行使の方法]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 社長が百回「賛成しろ」と怒鳴っても。


 株主が「反対」と意思を示せば、その議決権まで消せるわけではありません。


 そして。


 株式を千株発行している会社だからといって、必ず千個の議決権があるとも限りません。


 株主総会。


 議決権。


 代理行使。


 書面投票。


 不統一行使。


 名前だけ見ると、難しい制度ばかりです。


 でも、その仕組みを一つずつ理解すると。


 あることが見えてきます。


 会社の意思は、社長の気分では決められない。


 法律で定められた手続によって、決まるのです。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かっていました。


 目の前には、一冊のノート。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・商法編。


 と書いてあります。


「……四百二十対四百六十」


 私は呟きました。


「たった四十票ですよね」


「何がだ」


 相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「東浜精機の株主総会です」


「ああ。黒田の再任議案が否決された件か」


「はい!」


 私はノートを開きました。


「たった四十票の差で、社長の思惑が崩れたんですよ!」


「そうだな」


「しかも、最初は八百票もあるって威張ってたんです!」


「あいつの頭の中ではな」


「でも実際は四百二十票!」


「そうだ」


 私は鉛筆を握りました。


「つまり!」


「何だ」


「株主総会って、算数なんですね!」


 相馬先輩は、しばらく黙りました。


「……半分正解で、半分間違いだ」


「えっ?」


「数える前に、何を数えていいのかを判断しなきゃならねえ」


 私は手を止めました。


「何を数えていいのか?」


「ああ」


 先輩は新聞を畳みました。


「議決権がない株式を数えたら、どんなに計算が正しくても結果は間違いだ」


「……なるほど」


「それに、誰がその票を使えるのかも重要だ」


 確かに。


 今回の事件では。


 自己株式。


 委任状。


 不統一行使。


 この三つが問題になりました。


 数字だけではありません。


 その数字を、誰が、どのような根拠で行使できるのか。


 そこが重要だったのです。


「よし!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――株主の議決権と行使の方法。


「今日は、これを完全攻略します!」


「また始まったな」


「先輩!」


「何だ」


「今日は試験対策としても重要なんです!」


「お前、何の試験を受けるつもりなんだ?」


 ……。


 危ない。


 行政書士試験です。


 ただし、令和の。


 昭和六十三年の人間に、そのまま説明できるはずもありません。


「将来のための勉強です!」


「便利な言葉だな」


 相馬先輩は呆れた顔をしました。


 そのとき。


 奥から片桐所長が声をかけました。


「相馬」


「はい」


「付き合ってやれ」


「……所長まで」


 よし。


 今日も強制勉強会。


 開幕です。


「まず、議決権とは何か!」


 私はノートに書きました。


 ――議決権。


 株主総会の決議に参加し、議案について賛成・反対などの意思を示す権利。


「簡単に言うと、株主総会で投票する権利ですね」


「そうだ」


「そして、原則として一株につき一個の議決権があります」


 私はそこに赤線を引きました。


 一株一議決権。


 これが基本です。


「たとえば!」


 私は紙に数字を書きました。


 Aさん。


 百株。


 Bさん。


 三百株。


 Cさん。


 六百株。


「全株式について一株一議決権が認められるなら、Aさんは百個、Bさんは三百個、Cさんは六百個の議決権を持ちます」


「そうだな」


「つまり、人数が三人だから一人一票、ではないんです」


 ここ。


 大事です。


 株主総会は、学校の学級委員長選挙とは違います。


 一人一票が原則ではありません。


 基本的には、保有する株式に対応して議決権が与えられます。


「じゃあ、百株持ってる人が十人いたら?」


 相馬先輩が聞きました。


「合計千個の議決権です!」


「一人で千株持ってる奴と比べると?」


「議決権の合計数は同じです!」


「そうだ」


 なるほど。


 一人で大量の株を持つ人と。


 少数の株を持つ人が大勢いる場合。


 それぞれの議決権数を正しく数えなければならない。


 今回の東浜精機でも、まさにそこが問題になりました。


「ただし」


 私は鉛筆を止めました。


「一株一議決権には例外があるんですよね」


「あるな」


 相馬先輩が頷きました。


「言ってみろ」


「はい!」


 私はノートをめくりました。


 ここからが、今回の本番です。


「まず、一つ目!」


 私は書きました。


 ――議決権制限株式。


「何だか、そのまんまの名前ですね」


「分かりやすくていいだろ」


「確かに」


 議決権制限株式とは、一定の事項について、株主総会で議決権を行使できない株式です。


 現代の会社法では、種類株式の一つとして整理されています。


「たとえば」


 私は言いました。


「会社が、配当について優遇する代わりに、議決権を制限した株式を発行することがあります」


「金銭的な利益を重視する株主向けか」


「そうです」


 会社の経営に積極的に口を出したい株主もいれば。


 配当を重視する株主もいる。


 そのような違いに対応する仕組みです。


「ただし、先輩」


「何だ」


「ここで注意です!」


「またか」


「議決権制限株式だからといって、あらゆる議案について必ず議決権がないとは限りません」


 私は大きく丸をつけました。


 特定の事項についてのみ議決権を制限する設計もあります。


 また、法律が特別に保護する場面もあります。


「つまり、どの議案について議決権があるのか、株式の内容を確認しないといけないんですね」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「名前だけで判断するな」


「はい!」


 昭和六十三年には、現代の種類株式制度とまったく同じものがあったわけではありません。


 当時の商法にも、利益配当などについて内容の異なる種類株式や、議決権を認めない優先株式の制度はありました。


 しかし。


 現在の会社法で認められる種類株式の仕組みは、後の改正を経て、より多様に整理されたものです。


「だから昭和の定款を読むときに、現代の種類株式の知識をそのまま当てはめるのは危険なんですね」


「そういうことだ」


 相馬先輩が頷きました。


 なるほど。


 転生者の落とし穴。


 同じような制度があっても。


 使える範囲や条文は、時代によって違うのです。


「では、二つ目!」


 私はノートに書きました。


 ――自己株式。


「これは東浜精機の事件ですね!」


「ああ」


 今回。


 東浜精機の発行済株式は千株でした。


 そのうち百二十株を、会社自身が保有していた。


「黒田社長は、これも自分の票として数えようとしました」


「そうだったな」


 私は少し声を低くしました。


「会社の金で買ったんだから、俺の票だ!」


 相馬先輩が顔をしかめました。


「……また黒田の物真似か」


「似てません?」


「似てねえ」


「厳しい!」


 でも。


 黒田社長の主張は、法律上間違っていました。


 現代の会社法第三百八条第二項。


 株式会社は、自己株式について議決権を有しません。


「つまり、会社自身が保有する自社の株式について、議決権はないんです」


「そうだ」


「どうしてですか?」


 私が尋ねると、相馬先輩は言いました。


「お前が考えてみろ」


「ええっ」


「会社が自分自身の株式で投票できたら、どうなる?」


 私は少し考えました。


 会社の経営陣が。


 会社の資金を使って、自社の株式を取得する。


 そして。


 その株式で、経営陣に都合のいい投票をする。


 ……。


「あっ!」


「気づいたか」


「経営陣が、会社の財産を利用して、自分たちの支配を強められてしまいます!」


「そういう危険がある」


 会社が、自分自身に議決権を与える。


 それでは、株主総会の意思決定が歪むおそれがあります。


「だから自己株式には、議決権を認めないんですね」


「そうだ」


 私はノートに書きました。


 ――自己株式には議決権なし。


 ここで、もう一つ重要なことがあります。


「昭和六十三年には、会社が自由に自己株式を取得できたわけではありません」


 相馬先輩が頷きました。


「ああ。当時は自己株式の取得そのものが厳しく制限されている」


「はい」


 現代のように、一定の手続や財源規制のもとで自己株式を取得する制度とは、かなり違います。


 昭和六十三年。


 自己株式の取得は原則として禁止され、法律上の例外的な場合に限って認められていました。


 だから東浜精機の事件でも。


 百二十株について、どういう経緯で会社が取得したのか。


 そもそも適法な取得だったのか。


 その確認が別に必要でした。


「議決権がないから、取得経緯はどうでもいいというわけではないんですね」


「そうだ」


 片桐所長が頷きました。


「一つの問題を解決しても、別の問題が残ることはある」


 私は大きく頷きました。


 自己株式。


 現代では会社法第三百八条第二項。


 昭和では旧商法。


 でも、会社自身が保有する自社株式で議決権を行使できないという基本は、共通しています。


「ここは絶対覚えます!」


「忘れるなよ」


「はい!」


 なにしろ。


 黒田社長が、あれほど自信満々に百二十票を足していたのです。


 あの顔を思い出せば。


 たぶん、一生忘れません。


「さて、三つ目です!」


 私はページをめくりました。


 ――単元未満株式。


 相馬先輩が眉をひそめました。


「……単元?」


「はい!」


「お前、また聞き慣れねえ言葉を使ってるな」


 ……。


 あ。


 しまった。


 また未来の制度です。


 現代の会社法には、単元株制度があります。


 たとえば。


 一単元を百株と定めている会社。


 この場合、原則として百株につき一個の議決権があります。


「百株持っていたら?」


 私は自分で質問しました。


「一個の議決権」


「二百株なら?」


「二個だろ」


「では、五十株しか持っていなかったら?」


「……単元に満たないから、議決権がないって話か?」


「正解です!」


 私はノートに書きました。


 百株一単元の場合。


 五十株。


 議決権ゼロ。


 百株。


 議決権一個。


 二百五十株。


 議決権二個。


 残り五十株については、通常の株主総会の議決権がありません。


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


「でも、こはる」


「はい?」


「さっき一株一議決権って言わなかったか?」


「そこなんです!」


 私は鉛筆を振りました。


「原則と例外を分けて覚えるんです!」


 一株一議決権。


 これが基本。


 しかし、単元株制度を採用していれば。


 一単元につき一個の議決権となる。


 だから。


 発行済株式の数と議決権の数が、必ず一致するわけではありません。


「ただし!」


 私はさらに書き加えました。


「単元未満株式でも、株主としての権利が全部なくなるわけではありません」


「ほう」


「配当を受ける権利など、法律上認められる権利は残ります」


 議決権がないことと。


 株主でなくなることは、別の話です。


 ここも、混同してはいけません。


 そして。


「昭和六十三年には、現在の単元株制度はありません!」


 私は言いました。


「ないのか」


「はい!」


 現代の単元株制度は、平成十三年の商法改正によって導入された制度です。


 昭和六十三年当時には、これと区別すべき単位株制度が存在しました。


 そのため、当時の議決権数を判断するには、単位株制度の適用の有無や経過措置を確認する必要があります。


「つまり、昔の『単位株』と現代の『単元株』は、名前が似ていますが、同じ制度だと決めつけてはいけません」


「そういうことか」


「はい!」


 私はノートに二重線を引きました。


 昭和六十三年。


 単位株制度。


 現代。


 単元株制度。


 似ている。


 でも、制度の成立時期と仕組みが違う。


「……ややこしいですね」


「自分で説明しといて何言ってんだ」


「だって、名前が似すぎなんです!」


 相馬先輩は笑いました。


 でも。


 こういう言葉の違いこそ。


 転生者が一番注意しなければならないところなのです。


「次は、四つ目です!」


 私はノートに書きました。


 ――非公開会社における株主ごとの異なる取扱い。


 相馬先輩が首をかしげました。


「何だそりゃ」


「現代の会社法で認められている特別な仕組みです」


 会社法第百九条第二項。


 株式の譲渡について、すべての株式に会社の承認を必要とする非公開会社では、一定の株主の権利について、定款で株主ごとに異なる取扱いを定められます。


 対象になるのは、剰余金の配当、残余財産の分配、そして議決権です。


「たとえば」


 私は言いました。


「家族で経営している小さな株式会社があるとします」


「うん」


「経営の中心になる人と、経営に関与しない家族とで、定款により議決権の扱いを変えることができる場合があります」


「株式の数だけじゃなく、株主ごとに違いを設けられるのか」


「そうです」


 現代の会社法では、このような属人的な定めが一定の要件のもとで認められています。


 ただし。


 勝手に社長が決められるわけではありません。


 定款に定めることが必要です。


 しかも、その定款変更には、通常より厳しい特別な決議要件が設けられています。


「じゃあ、黒田みたいな社長が『俺に逆らう株主の票は半分だ』と言い出しても?」


「もちろん、それだけでは認められません!」


 私は即答しました。


「社長の気分と、定款に基づく適法な取扱いは別です!」


 相馬先輩が頷きました。


「そこは大事だな」


「はい!」


 ただし。


 昭和六十三年に、現在の会社法第百九条第二項と同じ制度をそのまま使えるわけではありません。


 現代の非公開会社の仕組みは、その後の法改正によって整えられてきました。


 だから今回の東浜精機の事件でも、令和の制度を持ち出して、黒田社長に好き勝手な扱いを認めることはできません。


「つまり」


 私はノートにまとめました。


 議決権を数えるときは。


 ただ株主名簿を見るだけでは足りない。


 株式の種類。


 自己株式かどうか。


 単元株制度の有無。


 定款の内容。


 会社が公開会社か非公開会社か。


 そして、適用される時代の法律。


 それらを確認する必要がある。


「……所長」


「何だ」


「議決権の計算って、思ったより大変ですね」


 片桐所長が頷きました。


「だから最初に定款を見たんだ」


 私は、はっとしました。


 あの日。


 所長は最初に言いました。


 株主名簿を確認しなさい。


 そして。


 定款を見なさい。


 あれは、単に形式的な確認ではなかったのです。


 議決権を数える前に。


 数えるためのルールを確認していた。


「……所長」


「何だ」


「やっぱりすごいですね」


「普通のことだ」


 その普通が、難しいんです。


「さて」


 相馬先輩が煙草を消しました。


「今度は議決権の行使方法だな」


「はい!」


 私はページをめくりました。


 ――議決権の行使方法。


 原則として、株主本人が株主総会に出席して議決権を行使することができます。


 でも。


 すべての株主が、毎回総会に出席できるとは限りません。


 仕事。


 病気。


 遠方に住んでいる。


 さまざまな理由があります。


「そこで、法律は本人が会場に来る方法だけに限定していないんです」


「そうだな」


 私は大きく書きました。


 代理行使。


 書面投票。


 電子投票。


 不統一行使。


「これを区別します!」


「おう」


「ただし、先輩」


「何だ」


「最後の不統一行使は、出席するかどうかの方法というより、議決権を分けて行使する仕組みです」


「なるほどな」


 私は頷きました。


 ここを整理すると。


 頭がすっきりします。


 まず。


 誰が議決権を行使するのか。


 本人か、代理人か。


 次に。


 どのような手段で行使するのか。


 会場での投票か、書面か、電磁的方法か。


 さらに。


 複数の議決権を、同じ賛否で使うのか、分けて使うのか。


 つまり。


 代理行使と不統一行使は、同じ次元の話ではないのです。


「よし!」


 私は鉛筆を握り直しました。


「まずは代理行使です!」


「代理行使とは、株主が代理人に議決権を行使してもらうことです」


 私はノートに書きました。


 ――代理行使。


 株主本人に代わり、代理人が株主総会で議決権を行使すること。


「これ、和子さんの事件で問題になりましたね」


「ああ」


「和子さんは、去年の株主総会について黒田社長に委任状を渡していました」


「そうだな」


「でも、黒田社長は、その委任状で今年も議決権を使えると言い張った」


 私は、少し声を低くしました。


「一度任せたんだから、永久に俺の票だ!」


 相馬先輩が溜息をつきました。


「……また始まった」


「物真似です!」


「分かったから続けろ」


 私は咳払いしました。


「現代の会社法第三百十条では、代理行使について定めています」


 株主は、代理人によって議決権を行使することができる。


 ただし、代理人は、代理権を証明する書面を会社に提出しなければなりません。


「つまり、委任状ですね」


「そうだ」


 私は書きました。


 代理人。


 委任状。


 代理権の証明。


 この三つを押さえます。


「そして、重要なのが、代理権の授与は株主総会ごとに必要だということです」


「うん」


「会社法第三百十条第二項です」


 私は赤線を引きました。


 ――代理権は株主総会ごとに授与。


「だから、去年の総会用の委任状を、今年の総会にそのまま使えるとは限らないんです」


 相馬先輩が頷きました。


「和子さんは、今年は委任していなかった」


「はい!」


「だから黒田は、去年の委任状だけを根拠に今年の三百票を使えなかった」


「そのとおりです!」


 ここで、私は重要なことに気づきました。


「先輩、委任状を出すって、議決権を譲渡することじゃないんですよね」


「そうだ」


「株主は、あくまで和子さんです」


「ああ」


「代理人は、本人に代わって行使するだけです」


 なるほど。


 代理行使。


 議決権の持ち主そのものが変わるわけではありません。


 これを混同すると。


 黒田社長のように、


「委任状をもらったから、もう俺の票だ」


 という、おかしな発想が生まれてしまうのです。


「そして、もう一つ!」


 私はノートに書きました。


 ――代理人の数の制限。


「現代の会社法では、株式会社は株主総会に出席できる代理人の数を制限できます」


「なぜだ?」


「会場の混乱を防ぐためです」


 たとえば。


 一人の株主が、十人の代理人を連れてきたら。


 ただでさえ大変な株主総会が、ますます混乱するかもしれません。


 そこで。


 会社は、出席できる代理人の数を制限できるのです。


「たとえば、一人の株主につき代理人一人まで、という制限ですね」


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


 ただし、会社側が代理人制度を不当に利用して、株主の議決権行使を妨げてよいわけではありません。


 代理人の資格を定款で制限する場合などにも、問題になる事情があります。


「要するに」


 私はまとめました。


「代理行使は認められる。でも、委任状や適法な制限を確認する必要がある」


「そうだ」


 昭和六十三年の商法にも、代理人による議決権行使の仕組みはありました。


 しかし、今の会社法第三百十条という条文を、そのまま当時の六法で探しても出てきません。


「……先輩」


「何だ」


「また条文番号の時代錯誤を起こしそうです」


「だから今の六法を見ろって言ってるだろ」


「はい……」


 私は苦笑しました。


 転生者の難しさ。


 法律の考え方を知っているだけでは足りません。


 その時代に存在する条文を、正確に使わなければならないのです。


「では、次!」


 私はページをめくりました。


 ――書面による議決権行使。


 いわゆる書面投票です。


「先輩、北海道で株主総会が開かれる会社を想像してください」


「北海道?」


「はい」


「遠いな」


「そこに、沖縄に住んでいる株主がいるとします」


「もっと遠いな」


「その人が、毎回飛行機で総会に行くのは大変ですよね」


「そうだな」


 私は頷きました。


「そこで、書面投票です!」


 現代の会社法では、所定の手続によって書面による議決権行使を認めることができます。


 取締役会設置会社なら、原則として取締役会が、株主総会の招集に際して書面投票を認める旨を決定します。


 そして。


 出席しない株主は、会社から交付される議決権行使書面を用いて、賛否を示すことができます。


「つまり、会場に行かなくても、株主自身が賛否を示せるんです」


「なるほどな」


 私は説明を続けました。


「ここで代理行使との違いが重要です」


 代理行使。


 代理人が、本人に代わって議決権を行使する。


 書面投票。


 株主本人が、書面によって直接議決権を行使する。


「似ていますけど、違うんですよ!」


「確かにな」


「委任状を送ることと、議決権行使書面で投票することは、同じではありません」


 ここ。


 試験でも重要です。


 委任状は、代理権を与えるための書類。


 議決権行使書面は、本人の投票内容を示すための書類。


「だから黒田社長みたいに、何でも委任状で済ませようとすると危険なんですね」


「そうだな」


 相馬先輩が頷きました。


 私はさらに書きました。


 現代では、会社法第二百九十八条第一項第三号。


 株主総会を招集するにあたり、書面による議決権行使を認めるかどうかを決定する規定があります。


「ただし!」


 私は鉛筆を立てました。


「書面投票は、どんな会社でも、株主が勝手に紙を送れば成立するわけではありません」


「そうなのか」


「はい」


 会社が法令に従って書面投票の制度を設けていることなどが必要です。


 また、一定の要件に該当する会社では、書面投票を認めることが法律上義務づけられます。


「だから、単に手紙で『反対です』と送れば、必ず有効な議決権行使になるわけではないんです」


「そこは注意だな」


「はい!」


 私はノートに書きました。


 ――書面投票は、法定の手続による本人の議決権行使。


 ここで。


 私は昭和の制度との違いを思い出しました。


「所長」


「何だ」


「昭和六十三年には、書面投票の仕組みはもうあったんですよね」


「一定の会社ではな」


「はい!」


 昭和五十六年の商法関係法令の改正によって、書面による議決権行使の制度が導入されました。


 ただし。


 当時は、現在より適用対象が限定されていました。


 資本規模が大きく、株主数も多い一定の会社などを対象とする制度だったのです。


「だから、東浜精機のような小規模な株式会社で、現代と同じ感覚で書面投票ができると思ってはいけないんですね」


「そのとおり」


 所長が頷きました。


「法律は、その時代に認められている範囲で使う」


「はい!」


 私は赤線を引きました。


 昭和六十三年。


 書面投票制度あり。


 ただし、適用対象は限定的。


 現代。


 会社法により一般的な制度として整備。


「……あれ?」


 私は手を止めました。


「どうした」


 相馬先輩が聞きました。


「昔から書面投票があったなら、どうして電子投票はなかったんでしょう?」


 相馬先輩は、私を見つめました。


「……電子投票?」


 しまった。


 またです。


「電子投票とは!」


 私は勢いよく説明を始めました。


「電磁的方法によって議決権を行使することです!」


「でんじほうほう?」


「はい!」


「何だそりゃ」


 私は少し考えました。


 昭和六十三年。


 パソコンはあります。


 通信技術もあります。


 でも。


 現代のように、インターネットを通じて議決権を行使する制度が一般化している時代ではありません。


「ええと……」


 私は言葉を選びました。


「未来では、株主が電子的な仕組みを使って投票できるようになるんです」


 相馬先輩が怪訝な顔をしました。


「未来?」


「い、いつかそうなるかもしれません!」


「また妙な予言か」


「技術の進歩です!」


「はいはい」


 ……。


 誤魔化しました。


 でも。


 現代の会社法では、電子投票が認められています。


 会社法第二百九十八条第一項第四号。


 株主総会の招集に際して、電磁的方法による議決権行使を認める旨を決定することができます。


 その場合、所定の方法によって、株主は会場に出席せずに議決権を行使できます。


「書面投票と似ていますが、紙ではなく電磁的方法を利用するんです」


「便利そうだな」


「はい!」


 私は頷きました。


 現代なら、会社が定めた仕組みに従って、インターネット上の議決権行使サイトなどで賛否を入力することもあります。


 株主総会に出席するために遠くまで移動しなくてもよい。


 書類を郵送する手間も減らせる。


 ただし。


 こちらも、株主が勝手に電子メールを送れば、必ず有効な投票になるわけではありません。


 会社側の決定や、法令に従った方法で行使する必要があります。


「なるほど」


 相馬先輩が頷きました。


「便利な仕組みでも、手続は必要ってことか」


「そうです!」


 私はノートに書きました。


 書面投票。


 紙による本人の議決権行使。


 電子投票。


 電磁的方法による本人の議決権行使。


「では先輩!」


「何だ」


「もし株主が、書面でも電子でも投票したら、どうなります?」


「……二回分数えるのか?」


「数えません!」


 私は即答しました。


 同じ議決権を二重に数えることはできません。


 会社が法令に従い、重複した場合の取扱いをあらかじめ定めていることがあります。


 だから、どちらが有効になるかは、その取扱いなどを確認する必要があります。


「なるほどな」


「はい!」


 私は大きく丸をつけました。


 ――行使方法が複数あっても、議決権が二倍になるわけではない。


 これも大切です。


 書面で一票。


 電子で一票。


 合計二票。


 そんな都合のいい増殖はできません。


「黒田社長なら、やりそうですね」


「やりそうだな」


 二人で笑いました。


 でも。


 笑い話ではありません。


 実際の株主総会で、投票の集計を間違えれば。


 決議の有効性が問題になる可能性があります。


 だからこそ。


 議決権の数と行使方法は、正確に管理しなければならないのです。


「さて!」


 私はノートの最後の大きな項目を開きました。


 ――議決権の不統一行使。


 今回の東浜精機で、最も面白かった論点です。


「先輩、二百株を持っている株主がいるとします」


「うん」


「その人は、二百株全部について賛成か反対のどちらかにしなければならないと思いますか?」


「普通はそう考えるな」


「ですよね!」


 私は頷きました。


 でも。


 実際には、一人の株主が複数の人の利益のために株式を保有していることがあります。


 たとえば。


 信託の仕組みなどによって、証券会社などが株主名義人となっている場合です。


 その株式の背後には、異なる利益を持つ人たちが存在する。


「東浜精機の浜松中央証券ですね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


 浜松中央証券は、二百株を持っていました。


 しかし。


 その二百株について、利益を受ける顧客の意向は同じではありませんでした。


 反対したい人。


 賛成したい人。


 それぞれがいたのです。


「そこで、不統一行使です!」


 私は言いました。


 現代の会社法第三百十三条第一項。


 株主は、その有する議決権を統一しないで行使することができます。


「つまり」


 私は紙に書きました。


 二百株。


 賛成四十株分。


 反対百六十株分。


「こういう分け方ができるんです!」


「そうだったな」


 相馬先輩が頷きました。


 でも。


 ここで、重要な注意点があります。


「不統一行使は、当日にいきなり好き勝手に分ければいいわけではありません」


「どういうことだ?」


「現代の会社法では、株主総会の日の三日前までに、不統一行使をする旨とその理由を会社に通知する必要があります」


 私は赤線を引きました。


 ――不統一行使は、総会の日の三日前までに通知。


「ただし、先輩」


「何だ」


「三日前というのは、三営業日前という意味ではありません」


「そうなのか」


「はい。そこも間違えやすいところです」


 私は頷きました。


 そして、もう一つ。


 会社法第三百十三条第三項。


 株式会社は、他人のために株式を有する者でない株主による不統一行使を拒むことができます。


「つまり」


 私は言いました。


「株主が自分自身のためだけに株式を保有している場合、会社は不統一行使を拒めることがあるんです」


「なるほどな」


「でも、他人のために保有している場合には、その人たちの利益や意思が分かれることがあります」


「そうだな」


「だから、その事情が重要になるんです」


 今回の浜松中央証券は、顧客から信託を受けた株式を保有していました。


 それぞれの顧客の意向に違いがあった。


 そして、必要な事前通知も行われていた。


 だから。


 黒田社長が、


「一人の株主なんだから全部賛成にしろ!」


 と怒鳴っても。


 その主張は通らなかったのです。


「先輩」


「何だ」


「これって、すごく大事な制度ですよね」


「なぜだ?」


「名義上の株主が一人でも、その背後に複数の人の利益が存在することがあるからです」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだ」


 私は続けました。


「もし不統一行使ができなかったら、証券会社などが他人のために保有する株式について、異なる意向を反映しにくくなります」


「確かにな」


「だから、全部同じ方向に投票しなければならないというわけではないんですね」


 私は大きく丸をつけました。


 ――不統一行使は、一人の株主が議決権を分けて行使する仕組み。


 ここも覚えやすいです。


 不統一。


 つまり、全部を統一しない。


「ただし」


 片桐所長が口を開きました。


「通知をしただけで、必ず自由に投票できると決めつけるな」


「はい」


「その株式を誰のために保有しているのか。会社が拒める場合に当たるのか。そこまで確認しなさい」


「はい!」


 私は頷きました。


 そして。


 もう一度、東浜精機の事件を思い出しました。


 浜松中央証券。


 二百株。


 賛成四十。


 反対百六十。


 あの百六十票が消されていたら。


 株主総会の結果は変わっていたかもしれません。


 だから。


 不統一行使の制度は。


 単なる特殊な投票方法ではありません。


 株式の背後にある利益を、適切に反映させるための制度でもあるのです。


「さて」


 相馬先輩が机を軽く叩きました。


「全部説明したな」


「はい!」


「じゃあ、今回の事件を最初から計算してみろ」


「任せてください!」


 私はノートの中央に、大きく書きました。


 ――東浜精機株式会社。


 発行済株式総数。


 千株。


「まず、これだけで議決権が千個あると決めつけてはいけません」


「そうだ」


 今回の会社では、定款や株式の内容などを確認したうえで、一株一議決権を基本に計算しました。


 ただし、自己株式が百二十株ありました。


「自己株式には?」


 相馬先輩が聞きました。


「議決権がありません!」


「よし」


 私は書きました。


 千株から百二十株を除く。


 八百八十株。


 今回の議決権数。


 八百八十個。


「次に、株主ごとの内訳です!」


 黒田重蔵。


 三百八十個。


 村瀬和子。


 三百個。


 浜松中央証券。


 二百個。


「合計?」


「八百八十個です!」


「よし」


 私は続けました。


 黒田社長の再任議案。


 黒田本人。


 賛成三百八十。


 和子さん。


 反対三百。


 浜松中央証券。


 賛成四十。


 反対百六十。


「合計すると!」


 私は鉛筆を走らせました。


 賛成。


 四百二十。


 反対。


 四百六十。


「反対が四十票多いです!」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだったな」


 でも。


 そこで片桐所長が口を開きました。


「こはる」


「はい」


「反対票が多ければ、どんな議案でも必ず否決になるのか」


 ……。


 私は固まりました。


「え?」


「決議の種類を考えなさい」


 あ。


 そうです。


 株主総会の決議には、種類があります。


 普通決議。


 特別決議。


 さらに、法律上、より厳しい決議要件が設けられる場合もあります。


「……今回の取締役選任は、普通決議が基本ですね」


「そうだ」


「ただし、出席要件や賛成要件を確認する必要があります」


 私は六法を開きました。


 現代の会社法では、取締役選任について第三百四十一条に特則があります。


 原則として、議決権を行使できる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、出席株主の議決権の過半数によって決議します。


 ただし、定款で出席要件を一定の範囲で緩和できる場合があります。


「現代でも、単に賛成票と反対票の数字を比較するだけで、すべての決議を判断できるわけではないんですね」


「そうだ」


 所長が頷きました。


「定款と、適用される法令を確認する」


「はい!」


 昭和六十三年の商法でも、取締役選任などの決議について、当時の法令と定款に従った要件を満たさなければなりません。


 今回の事件では。


 議決権を有する株主の票が、すべて適法に行使されました。


 必要な出席要件も満たしていました。


 そして。


 賛成四百二十。


 反対四百六十。


 賛成は、出席した議決権の過半数に達していません。


「だから黒田社長の再任議案は、否決されたんですね」


「そうだ」


 私は、大きく頷きました。


 なるほど。


 議決権を正しく数える。


 そのうえで。


 どんな決議要件が必要なのかを確認する。


 この二段階が必要なのです。


「所長」


「何だ」


「一株一議決権だけ覚えても、まだ足りないんですね」


「そうだ」


「株主総会の決議は、議決権の数と決議要件の両方を見なければならない」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は赤線を引きました。


 ――議決権の数と、決議の成立要件は別問題。


 これも重要です。


 そして。


 今回の黒田社長は、その両方を都合よく考えていました。


 議決権のない株式を数える。


 委任されていない票を数える。


 不統一行使を無視する。


 そのうえで。


「俺が社長だから勝ちだ!」


 ……。


 法律の勉強というより。


 まず、算数のやり直しが必要かもしれません。


「ところで」


 相馬先輩が言いました。


「こはる」


「はい?」


「昭和の商法と、お前が言う未来の会社法は、何が違うんだ?」


 来ました。


 この質問。


 私はノートをめくりました。


「まず、昭和六十三年には独立した会社法がありません」


「それは知ってる」


「株式会社の基本的なルールは、商法第二編に置かれています」


「そうだな」


「有限会社については、有限会社法もあります」


 私は続けました。


「そして、現代では、平成十七年に会社法が制定され、平成十八年から施行されます」


 相馬先輩が眉をひそめました。


「……平成十八年?」


「い、いえ!」


「未来の年号を具体的に言うな」


「すみません!」


 危ない。


 また、口が滑りました。


 でも。


 現代の受験生である私にとって、この違いは重要です。


 昔の株式会社は、設立のハードルも高かった。


 発起人七人以上。


 取締役三人以上。


 監査役一人以上。


 昭和六十三年の株式会社には、そうした厳格な要件がありました。


「だから昔は、頭数合わせのために親戚や知人に名前を借りることもあったんですね」


「まあ、そういう例はあるな」


 相馬先輩が頷きました。


「ただし、名前を借りたからって、法律上の責任まで消えるわけじゃねえ」


「はい!」


 私は続けました。


 現代では。


 一人の発起人で株式会社を設立できる。


 一定の株式会社では、取締役一人でもよい。


 設立時の資本金も一円から可能。


 合同会社という会社形態もある。


 会社を作るための制度は、昭和六十三年と比べて大きく変わっています。


「でも」


 私は言いました。


「会社の仕組みが簡単になったからといって、株主の議決権を軽視していいわけではありません」


「そうだな」


 会社法が独立したのは、単に古い商法を読みやすくするためだけではありません。


 複雑になっていた会社関係の法律を整理し。


 企業活動の実態に対応し。


 さまざまな規模や形態の会社が利用できる制度に整える。


 そうした方向で改正が進められたのです。


 ただし。


 債権者の保護。


 株主の権利。


 会社の適正な意思決定。


 取締役の責任。


 そうした基本的な問題がなくなったわけではありません。


「むしろ、会社の形が多様になるからこそ、どんな会社にどのルールが適用されるかを整理する必要があるんですね」


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


 私は笑いました。


 現代の会社法。


 確かに、昭和の商法と比べれば、制度が整理されています。


 でも。


 だからといって、勉強が簡単になるとは限りません。


 株主総会。


 種類株式。


 機関設計。


 議決権。


 取締役会。


 監査役。


 覚えることは、相変わらず山ほどあります。


「……先輩」


「何だ」


「法律って、便利になっても試験は難しいんですね」


「知るか」


 冷たい!


 でも。


 そのとおりです。


 法律が変わっても。


 理解しなければならない原則は残り続けるのです。


「さて」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「確認問題を出そう」


「はい!」


 来ました。


 こはるノート恒例。


 抜き打ち試験です。


「株主総会の議決権は、原則として何を基準に与えられる?」


「株式数です! 現代の会社法では、単元株制度などの例外がなければ、一株につき一個の議決権です!」


「自己株式は?」


「議決権がありません!」


「議決権制限株式は?」


「株式の内容に応じて、全部または一部の事項について議決権が制限されます!」


「単元未満株式は?」


「原則として株主総会の議決権がありません!」


「非公開会社では?」


「現代の会社法では、所定の要件を満たす場合、定款で株主ごとに議決権などについて異なる取扱いを定めることができます!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は拳を握りました。


 まだ続きます。


「代理行使には?」


「代理権を証明する書面が必要です!」


「代理権の授与は?」


「現代の会社法では、株主総会ごとです!」


「代理人の数は?」


「会社が制限できます!」


「書面投票は?」


「招集に際して法令に従い書面投票を認めた場合などに、株主本人が書面で議決権を行使する仕組みです!」


「電子投票は?」


「同様に、電磁的方法によって行使する仕組みです!」


「不統一行使は?」


「一人の株主が持つ議決権を、賛成と反対などに分けて行使することです!」


「通知期限は?」


「現代の会社法では、原則として総会の日の三日前までです!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は思わず笑いました。


 やりました。


 完璧です。


 そのとき。


 相馬先輩が口を挟みました。


「じゃあ、俺からも一問」


「はい!」


「昭和六十三年に、会社法第三百十条はあるか?」


「ありません!」


「第三百十三条は?」


「会社法としては存在しません!」


「単元株制度は?」


「まだありません! 当時は単位株制度との区別が必要です!」


「電子投票は?」


「今の会社法のような制度はありません!」


「株式会社の発起人は?」


「七人以上です!」


「取締役は?」


「三人以上!」


「監査役は?」


「少なくとも一人必要です!」


「合同会社は?」


「ありません!」


 私は勢いよく答えました。


「よし」


 相馬先輩が笑いました。


「今回は、未来の法律を混ぜずに済みそうだな」


「当然です!」


「最初に電子投票って言い出したのは誰だ?」


「……私です」


「単元株って言い出したのは?」


「……私です」


「会社法第三百十条を探してたのは?」


「……私です」


 相馬先輩は笑いました。


「まだまだだな」


「うう……」


 悔しい。


 でも。


 間違えたからこそ、覚えられることもあります。


 昭和の商法。


 現代の会社法。


 両方を比べると。


 なぜ制度が変わったのか。


 何が変わらず残っているのか。


 少しずつ見えてくるのです。


 窓の外は、もう夕暮れでした。


 工場の煙突から、細い煙が上がっています。


 町の向こうには、東浜精機の工場がありました。


 あの工場。


 黒田社長は、土地を売ろうとしていました。


 でも。


 株主総会で再任議案が否決されたことで、少なくとも従来の思惑どおりに経営を続ける道は閉ざされました。


 もちろん。


 それだけで工場の将来が保証されたわけではありません。


 会社の経営には、お金も必要です。


 仕事も必要です。


 取引先も必要です。


 従業員の生活もあります。


 株主総会の決議一つで、すべてが解決するわけではありません。


 でも。


 和子さんには、自分の三百株について意思を示す権利がありました。


 その権利を。


 社長が勝手に奪うことはできなかった。


 そして。


 浜松中央証券の二百株についても、適法な不統一行使によって、それぞれの意思が反映された。


 会社自身が持つ百二十株は、議決権から除かれた。


 その結果。


 賛成四百二十。


 反対四百六十。


 黒田社長の再任議案は、否決されたのです。


「……先輩」


「何だ」


「今日の勉強、ちょっと感動しました」


「また大げさだな」


「だって」


 私はノートを見ました。


「法律って、誰かの意思を勝手に消さないための仕組みでもあるんですね」


 相馬先輩は、少し黙りました。


 それから。


「まあな」


 短く答えました。


「株主総会で一番困るのは、声のでかい奴が全部決めることだからな」


「はい」


「だから議決権を数える。委任状を確認する。必要なら議事録を残す」


「はい」


「誰が、どんな根拠で、何票を使ったのか」


 先輩は言いました。


「それを後から確かめられるようにするんだ」


 私は頷きました。


 なるほど。


 議決権の制度は。


 投票するためだけの仕組みではない。


 その投票が、正しく行われたことを確認するための仕組みでもあるのです。


 私はノートの最後のページを開きました。


 今日の一行の覚え書き。


 何を書こう。


 一株一議決権。


 自己株式には議決権なし。


 代理行使には委任状。


 書面投票。


 電子投票。


 不統一行使。


 全部大事です。


 でも。


 今回の事件を、一行にまとめるなら。


 やっぱり、これです。


 私は鉛筆を握りました。


 ゆっくり。


 丁寧に。


 ――議決権は「誰の、何票を、どう使うか」。株式の数、権利の有無、行使方法を分けて考える。


「……できた!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、悪くねえな」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、たぶん忘れません。


 あの黒田社長の顔を思い出せばいい。


 自分の三百八十株。


 会社の百二十株。


 去年の委任状で和子さんの三百株。


 証券会社の二百株も全部賛成。


 全部、自分に都合よく数えようとした。


 でも。


 正しく数えた結果は。


 四百二十対四百六十。


 株主総会は、社長の思いどおりにはならなかった。


 それが。


 議決権という制度の力なのです。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「もう勉強は終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、書類を片付けろ」


「えっ」


「六法も棚に戻せ」


「はい……」


「机も拭け」


「……それ、また私の仕事ですか?」


「見習いだろ」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「私には、意思表示をする権利があります」


「あるな」


「だから、掃除には反対票を投じます!」


 相馬先輩が、にやりと笑いました。


「ほう」


「はい!」


「何票だ?」


「一票です!」


「俺も一票持ってるぞ」


「えっ」


「掃除に賛成」


「……!」


 私は固まりました。


 相馬先輩は笑いました。


「一対一だな」


 ……。


 ならば。


 私は奥を見ました。


「所長!」


「何だ」


「掃除をするかどうか、投票してください!」


 片桐所長が帳簿から顔を上げました。


「掃除に賛成」


 ……。


 賛成二。


 反対一。


「可決だな」


 相馬先輩が笑いました。


「ちょっと待ってください!」


「何だ」


「今の投票、無効です!」


「何でだよ」


「ここは株式会社じゃありません!」


 私は叫びました。


「株主総会じゃないんです!」


 相馬先輩は、しばらく黙りました。


 そして。


 吹き出しました。


「確かにな!」


「そうでしょう!」


「でも、掃除はしろ」


「何でですか!」


「所長の仕事の指示だからだ」


 ……。


 私は、はっとしました。


 そうです。


 議決権という仕組みは。


 どんな集団にも、何でも適用できるわけではありません。


 会社の種類。


 組織の仕組み。


 決定する事項。


 それぞれの権限。


 それらによって、決め方が違う。


 行政書士事務所の掃除当番を、株主総会の普通決議で決めるわけではないのです。


「……なるほど」


 私は箒を手に取りました。


「分かりました」


「いい返事だ」


「でも先輩!」


「何だ」


「今度、事務所を株式会社にしたら、私も株を持ちます!」


「何でだよ!」


「そして、掃除当番について議案を提出します!」


「そんなこと、株主総会で決めるな!」


「では、定款で!」


「もっとやめろ!」


 私は笑いました。


 片桐所長が静かに言いました。


「こはる」


「はい!」


「会社を作るなら、まず発起人を七人集めなさい」


 ……。


 私は止まりました。


 七人。


 昭和六十三年の株式会社。


 発起人七人以上。


 取締役三人以上。


 監査役一人以上。


「……所長」


「何だ」


「やっぱり、昭和の株式会社って大変ですね」


「そうだな」


「掃除を免れるために、七人も集めるんですか……」


 相馬先輩が笑いました。


「そこまでして掃除したくねえのかよ!」


「したくありません!」


「だったら、さっさと終わらせろ!」


「はいっ!」


 私は箒を動かしました。


 窓の外。


 夕暮れの町に、工場の灯りがともっています。


 あの工場では。


 今日も誰かが機械を動かしているのでしょう。


 鉄を削り。


 部品を作り。


 製品を送り出す。


 その仕事を続けるために。


 会社という仕組みが存在する。


 そして。


 その会社の大切な意思決定には、株主の議決権が関わっている。


 一株一議決権。


 自己株式には議決権なし。


 代理行使には、代理権の確認。


 書面投票と電子投票。


 不統一行使。


 難しい言葉ばかりです。


 でも。


 それぞれの制度には、理由があります。


 会社の意思決定を適正に行うため。


 離れた場所にいる株主の意思を反映するため。


 他人のために保有する株式について、異なる意思を反映するため。


 そして。


 社長が勝手に株主の票を奪わないため。


 私は箒を止め、ノートの最後の一行をもう一度読みました。


 ――議決権は「誰の、何票を、どう使うか」。株式の数、権利の有無、行使方法を分けて考える。


 よし。


 これなら忘れません。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「ノート見てねえで掃除しろ!」


「今、学習内容を確認してたんです!」


「確認は後だ!」


「先輩!」


「今度は何だ!」


「掃除に反対票を投じた私の意思は、尊重されないんですか!」


「尊重はしてる!」


「じゃあ!」


「そのうえで掃除しろ!」


 ……。


 なるほど。


 自分の意思を示すことと。


 その意思が必ず採用されることは、別問題なのですね。


 株主総会でも。


 行政書士事務所でも。


 残念ながら。


 反対票を投じただけで、自分に都合のいい結論になるわけではありません。


 でも。


 少なくとも、株主総会では。


 適法に行使された反対票を、社長が勝手に消していいわけではない。


 そのことだけは。


 今日、はっきり理解できました。


 ――たった一票でも、法律が認めた声には、意味がある。


 私は、少しだけ笑いました。


 そして。


 今度こそ、真面目に床を掃き始めたのでした。

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