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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈商法・会社法 配点20点/300点〉 株式

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636/701

[会社法・新株予約権]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 株を買う権利を持っていることと、株主であることは違います。


 たとえ、お金を払っていても。


 会社から正式な書類を受け取っていても。


 それだけで株主になったとは限りません。


 では、いつ株主になるのでしょうか。


 そして。


 新株予約権を取得するためのお金と、株式を取得するためのお金は、なぜ別々なのでしょうか。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机の上に、二枚の紙を並べていました。


 一枚目には、


 ――権利の取得。


 二枚目には、


 ――権利の行使。


 そう書いてあります。


「……たった二文字の違いなのに」


 私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。


「何がだ」


「取得と行使です」


「ああ」


「これ、全然違うじゃないですか!」


「今さらか」


「今さらです!」


 私は胸を張りました。


 だって。


 その違いを知らなかったために、大切なお金と株式を失いかけた人がいたのです。


 森田修一さん。


 町工場を営む四十八歳の男性。


 東海精機株式会社が発行した新株引受権付社債を、二百万円で取得しました。


 ところが。


 社長の黒岩剛造は、


「お前は株主じゃない」


 と言い放ったのです。


 しかも。


「会社の方針が変わったから、もう株は渡さない」


 とまで言い出しました。


 結局、私たちは発行書類や取締役会議事録を確認し、森田さん本人の意思に基づいて内容証明郵便を作成しました。


 会社は態度を改め、正式な権利行使の手続を案内。


 森田さんは、さらに二百万円を払い込んで、二千株を取得することができました。


「でも先輩」


「何だ」


「黒岩社長の『まだ株主じゃない』って言葉自体は、間違ってなかったんですよね」


「そうだ」


「なのに、結論は社長の負けでした」


「当たり前だろ」


 相馬先輩は新聞を畳みました。


「株主じゃないことと、株を取得する権利がないことは、別だからな」


 私は鉛筆を握りました。


 そう。


 そこです。


 今日の勉強は、その違いを完全に理解するためのもの。


「よし!」


 私はノートを開きました。


「新株予約権を完全攻略します!」


「……また妙な言葉が出たな」


 相馬先輩が眉をひそめます。


 しまった。


 そうでした。


 ここは昭和六十三年。


 現代の新株予約権という制度は、まだありません。


「お前、どこの商法を読んでるんだ?」


「ええと……未来の……」


「未来?」


「い、いえ! 将来こういう制度ができたら便利だろうなって!」


 先輩は呆れた顔をしました。


「またお前の変な研究か」


「勉強熱心と言ってください!」


 そのとき。


 奥から片桐所長が声をかけました。


「こはる」


「はい!」


「今の法律と、将来あるべき制度を混同するな」


「……はい」


「だが、制度の違いを考えることは無駄じゃない」


 私は顔を上げました。


「所長!」


「まず、今ある権利の仕組みを説明してみろ」


「はい!」


 こうして。


 昭和の商法から現代の会社法へとつながる、奇妙な勉強会が始まりました。


---


「まず、新株予約権とは何か!」


 私はノートに大きく書きました。


 ――新株予約権。


 現代の会社法第二条第二十一号。


 新株予約権とは、その権利を持つ人が株式会社に対して権利を行使することによって、その株式会社の株式の交付を受けることができる権利です。


「……長いですね」


「自分で書いたんだろ」


「法律の定義ですから!」


 私はもう少し簡単に書き直しました。


 ――決められた条件で、将来、その会社の株式を取得できる権利。


「これなら分かりやすい!」


「最初からそう言え」


 相馬先輩が言いました。


 私は構わず続けます。


「例えば、東海精機の株式を一株千円で取得できる権利があるとします」


「うん」


「その株式の価値が一株一万円になったら?」


「千円で取得できるなら、得だな」


「そうです!」


 株価が上昇しても、あらかじめ決められた条件で株式を取得できる。


 それが新株予約権の魅力の一つです。


 もちろん、権利を取得するために支払った金額や税金、売却時の条件なども考慮しなければなりません。


 でも。


 株式を取得する権利そのものに、経済的な価値が生まれることがあります。


「じゃあ、逆に株式の価値が五百円になったら?」


 私は聞きました。


「千円払って買いたくはねえな」


「そうですよね!」


 原則として、権利を行使するかどうかは、権利者が判断できます。


 ただし、行使期間があります。


 期限を過ぎれば、原則として行使できなくなります。


「森田さんの事件も、危なかったですね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


「あのまま放っておけば、行使期間が過ぎたかもしれねえ」


「はい」


 私はノートに赤線を引きました。


 新株予約権を取得しただけでは、株式を取得したことにならない。


 ここが出発点なのです。


---


「ところで、所長」


 私は顔を上げました。


「昭和六十三年には、なぜ新株予約権がないんですか?」


 所長は六法を閉じました。


「会社の資金調達の仕組みは、時代によって変わるからだ」


「……なるほど」


 私は、森田さんが持っていた書類を思い出しました。


 新株引受権付社債。


 いわゆるワラント債。


 昭和五十六年の商法改正で認められた仕組みです。


「社債と、新株を引き受ける権利を組み合わせたものですね」


「そうだ」


 相馬先輩が言いました。


「森田さんが持っていたのは分離型だったな」


「はい!」


 分離型。


 社債と新株引受権を分離して扱える仕組みです。


 ここで重要なのが、社債と株式の違い。


「社債を持っている人は、会社にお金を貸している立場です」


「うん」


「株主は、会社に出資して株式を持つ立場です」


「そうだ」


 社債権者は、契約条件に従って元本の償還などを求めることができます。


 一方、株主は会社の構成員として、株式に基づく権利を持ちます。


「だから社債を買っただけでは、株主にならないんですね」


「そのとおりだ」


 私は続けました。


「それから、転換社債とも区別が必要です」


 転換社債は、転換権の行使によって社債を株式へ転換する仕組み。


 一方、森田さんが取得した分離型の新株引受権付社債では、原則として社債とは別に、新株引受権を行使する際の払込みが必要でした。


「だから森田さんは、二回お金を払ったんですね!」


「そうだ」


 最初の二百万円。


 社債の取得。


 次の二百万円。


 新株引受権を行使して、新株を取得するための払込み。


「先輩」


「何だ」


「これ、現代の新株予約権を理解するのにも役立ちますね」


「そうだな」


 ただし、昭和のワラント債と現代の新株予約権は、同一の制度ではありません。


 ワラント債の社債購入代金を、そのまま現代の新株予約権の発行時の払込金額と考えてはいけないのです。


 私はその違いにも、しっかり赤線を引きました。


---


「次は、新株予約権の発行です!」


 私はページをめくりました。


「株を取得できる権利なら、社長が勝手に発行してもいいんじゃないか?」


 相馬先輩が聞きました。


「駄目です!」


 私は即答しました。


「なぜだ?」


「既存株主の利益に影響するからです!」


 たとえば。


 ある株式会社が千株を発行しているとします。


 そのうち五百株を持っている人がいる。


 持株比率は五十パーセントです。


 ところが。


 会社が新株予約権を大量に発行し、その行使によって、新たに千株が発行されたら。


 発行済株式は二千株。


 従来の五百株は、全体の二十五パーセントになります。


「……あれ?」


 私は数字を見つめました。


「持っている株数は変わっていないのに、割合が半分になりました!」


「そうだな」


「つまり、新株予約権は、将来の株主構成に大きく影響するんです!」


 これを考えるうえで重要なのが、既存株主の利益保護です。


 株主以外の第三者に、著しく有利な条件で新株予約権を与えたらどうなるか。


 特定の人だけが安い価格で株式を取得できるようになれば、既存株主が不利益を受ける可能性があります。


 だからこそ。


 新株予約権の発行には、法律で定められた手続が必要になります。


「現代の会社法では、公開会社と非公開会社で手続が違うんですね」


「ほう」


 相馬先輩が興味を示しました。


 私はノートに書きました。


 公開会社。


 発行する全部または一部の株式について、譲渡による取得に会社の承認を必要としない株式会社。


 非公開会社。


 発行するすべての株式について、譲渡制限がある株式会社。


「公開会社なら、原則として取締役会で募集事項を決められる場合があります」


「うん」


「一方、非公開会社では、原則として株主総会の特別決議が必要になります」


 ただし、委任や法定の例外があります。


 また、公開会社であっても、株主以外の者に特に有利な条件で発行する場合などは、株主総会の特別決議が問題になります。


「つまり」


 私は言いました。


「公開会社だから、どんな条件でも取締役会だけで自由に発行できるわけではないんです!」


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、株主に割り当てる場合は?」


「そこも違います!」


 株主に対し、持株数に応じて新株予約権の割当てを受ける権利を与える方法があります。


 その場合は、株主以外の第三者に募集する場合とは異なる特別の規律が適用されます。


「だから、公開会社か非公開会社か。それから、株主割当か第三者割当か」


 私はノートに線を引きました。


「この二つの視点で整理するんですね!」


 片桐所長が頷きました。


「誰に、何を、どんな条件で与えるのか。そこを見なければならん」


 私は頷きました。


 そうです。


 法律は、単に書類を増やして会社を困らせているわけではありません。


 勝手な発行によって既存株主の利益が損なわれることを防ぐため、決定権限と手続を定めているのです。


---


「では、ここからが本題です!」


 私は鉛筆を持ち直しました。


 ――新株予約権者になる日。


「これ、重要なんです!」


「またか」


「またです!」


 現代の会社法第二百四十五条第一項。


 募集新株予約権の申込者は、原則として割当日に、その割当てを受けた募集新株予約権の新株予約権者となります。


「つまり、割当日に権利者になるんです!」


「うん」


「払込期日まで待って、初めて権利者になるわけじゃないんですね」


 私は大きく頷きました。


 ここで区別するのは、


 新株予約権者となる時点。


 そして、払込みの義務。


 この二つです。


「まず、無償発行から説明します!」


 無償発行。


 新株予約権そのものを取得するために、金銭などを払い込む必要がないもの。


 たとえば、会社が従業員に新株予約権を無償で割り当てる場合です。


「この場合、割当日に新株予約権者になります」


「無料なんだから、権利取得のためのお金は必要ねえな」


「そうです!」


 でも、ここで大きな落とし穴があります。


「先輩!」


「何だ」


「無償で新株予約権を取得した人は、その日から株主ですか?」


「違うだろ」


「正解です!」


 新株予約権を無料でもらった。


 それだけでは、株式を取得したことにはなりません。


 さらに。


 新株予約権自体を無償で取得したとしても、権利行使時に金銭の払込みが必要になる場合があります。


「無料でもらった権利だから、株式も必ず無料でもらえる。これは間違いですね!」


「そうだな」


 私は赤線を引きました。


 ――無償発行と、無償での株式取得は別問題。


 ここは、絶対に混同してはいけません。


---


「次は有償発行です!」


 私は新しいページを開きました。


 有償発行。


 新株予約権そのものを取得するために、対価を払い込むものです。


「たとえば」


 私は説明しました。


「新株予約権一個を千円で発行するとします」


「うん」


「百個の割当てを受けたら?」


「十万円だな」


「正解!」


 この十万円は、何のお金でしょうか。


 私は質問しました。


「株式を買うお金か?」


 相馬先輩が聞きます。


「違います!」


 私は即答しました。


「新株予約権そのものの払込金額です!」


 現代の会社法第二百四十六条第一項。


 有償の募集新株予約権については、払込期日までに、その払込金額の全額を払い込まなければなりません。


「ここで重要なのが、割当日との関係です」


「何が違う?」


「有償発行でも、原則として割当日に新株予約権者になります」


 私は続けました。


「ただし、払込みの義務があります。払込みを怠ると、その新株予約権を行使できる権利を失うことになります」


「つまり、払ってねえから最初から権利者にならなかった、とは単純に言えねえんだな」


「そのとおりです!」


 私はノートに二つを書き分けました。


 ――割当日。新株予約権者となる日。


 ――払込期日。有償の場合に、払込金額を払い込む期限。


 そして。


 ――払込みを怠れば、新株予約権を行使する権利を失う。


「なるほど……」


 私は鉛筆を置きました。


「ここ、試験ではかなり引っかけになりそうです」


「お前は何でも試験に結びつけるな」


「受験生ですから!」


 私は胸を張りました。


 この三つ。


 割当日。


 払込期日。


 権利行使日。


 名前が似ているわけではありません。


 でも。


 それぞれ何が起こる日なのかを理解していないと、簡単に間違えてしまうのです。


---


「では、いよいよ権利行使です!」


 私はノートの真ん中に、大きく書きました。


 ――新株予約権の行使。


 新株予約権を持っている人が、その権利に基づいて実際に株式を取得する段階です。


「森田さんの事件で言えば、さらに二百万円を払い込んだところですね」


「そうだ」


 相馬先輩が頷きました。


 ただし、昭和の新株引受権付社債と現代の新株予約権では、細かな法律上の仕組みが異なります。


 ここからは、現代の会社法で考えます。


「先輩、さっきの例を使いますね」


 私は書きました。


 新株予約権百個。


 発行時の払込金額は一個千円。


 合計十万円。


 そして。


 新株予約権一個を行使すると、一株を取得できる。


 行使価額は一株五千円。


「では、百個全部を行使すると、いくら必要でしょうか?」


「五十万円だな」


「正解です!」


 私は計算を書きました。


 五千円掛ける百株。


 五十万円。


「じゃあ、最初の十万円は何だったんですか?」


 私は続けて聞きました。


「新株予約権そのものの代金だろ」


「そうです!」


 つまり。


 最初の十万円。


 新株予約権を取得するためのお金。


 次の五十万円。


 権利を行使して株式を取得するためのお金。


 目的が違います。


「これでようやく、二段階の払込みが分かりました!」


「よかったな」


 相馬先輩が苦笑しました。


 ただし。


 私はここに、大きな注意書きを加えました。


 ――新株予約権は、必ず二回現金を払い込むとは限らない。


 無償発行なら、権利取得時の払込みはありません。


 また、権利行使についても、法律上認められた金銭以外の財産を出資する仕組みなどがあります。


「だから、正確には、有償発行の場合に、発行時と行使時の二つの払込みを区別する必要がある、ですね」


「そうだな」


 私は満足して頷きました。


 単に「二回払う」と丸暗記するだけでは、理解したことにならないのです。


---


「さて」


 片桐所長が口を開きました。


「こはる」


「はい!」


「新株予約権者は、いつ株主になる?」


 来ました。


 今回の最重要問題。


 私は迷わず答えました。


「適法に新株予約権を行使した日です!」


 現代の会社法第二百八十二条第一項。


 新株予約権を行使した新株予約権者は、その権利を行使した日に、新株予約権の目的である株式の株主となります。


「つまり、割当日じゃないんです!」


「うん」


「払込期日という言葉だけで決めるのでもありません!」


「そうだ」


「適法に権利を行使した日が重要なんです!」


 私はノートに具体例を書きました。


 十月一日。


 新株予約権の割当日。


 この日に新株予約権者となる。


 十月十日。


 所定の手続を行い、必要な払込みをして、適法に新株予約権を行使する。


 この日に株主となる。


「十月一日と十月十日では、法律上の立場が違います」


「なるほどな」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、十月一日に株主総会へ行って、議決権を使えるか?」


「新株予約権を持っているというだけでは、使えません!」


「正解だ」


 私は続けました。


「株主としての議決権と、新株予約権者としての地位は別なんです!」


 もっとも、実際の株主総会で議決権を行使できるかどうかには、株式の種類、議決権の有無、基準日なども関係します。


 でも、基本は同じ。


 新株予約権を取得しただけで、当然に株主の権利を使えるわけではありません。


 私は赤鉛筆を取りました。


 ――新株予約権者と株主は違う。


 ――適法な行使によって、株式を取得する。


 ここに二重線を引きました。


---


「それにしても」


 私は窓の外を見ました。


「未来の会社法って、昭和の商法より便利ですね」


「また未来の話か」


 相馬先輩が呆れました。


「だって、会社の仕組みが全然違うんですよ!」


 昭和六十三年。


 株式会社の発起人は七人以上。


 取締役は三人以上。


 監査役も必要。


 会社を作るだけでも、相当な人数を揃えなければなりません。


 そのため、実際には経営に関与しない人の名前を借りたり、形式上の役員を置いたりすることもありました。


「現代なら、発起人一人、取締役一人でも株式会社を設立できます」


「何だと?」


 相馬先輩が顔を上げました。


「一人で?」


「はい!」


「そんな会社、誰が監督するんだ?」


「会社の機関設計や規模に応じたルールがあるんです!」


 私は続けました。


「資本金一円で設立することも法律上は可能です」


「一円!?」


 先輩が新聞を落としました。


「駄菓子も買えねえぞ!」


「現実の事業運営には、もちろん資金が必要ですけど!」


 私は笑いました。


 現代の会社法では、会社の規模や性質に応じた柔軟な設計が認められています。


 そして、新株予約権についても、単独で発行する制度が整備されています。


「昭和のワラント債から、どうやって新株予約権になったんだ?」


 相馬先輩が聞きました。


「そこが面白いんです!」


 私はノートに年表を書きました。


 昭和五十六年。


 新株引受権付社債の制度が導入される。


 平成十三年。


 商法改正によって、新株予約権制度が創設される。


 平成十四年。


 新株予約権に関する改正が施行される。


 平成十七年。


 会社法が成立する。


 平成十八年。


 会社法が施行される。


「つまり、新株予約権は、会社法の成立前に、商法改正で導入されたんです」


 私は続けました。


「その後、会社法に引き継がれて整理されたんですね」


 相馬先輩が年表を見つめました。


「ずいぶん長い道のりだな」


「そうなんです」


 会社の資金調達。


 役員や従業員に対する報酬制度。


 株式の取得に関する権利。


 こうした仕組みが多様化する中で、法律も変わっていったのです。


「でも所長」


「何だ」


「制度が簡単になっても、守るべき原則は変わりませんよね」


 所長が頷きました。


「そうだ」


「会社の権利と、社長個人の判断は違う」


「うん」


「株主の利益を、勝手に踏みにじってはいけない」


「そうだ」


「新株予約権者にも、法律に従って保護される権利がある」


 所長は静かに言いました。


「会社の制度は、人の欲望を無制限に認めるためのものではない」


 私は、その言葉をノートに書き留めました。


 黒岩社長の顔が浮かびます。


「会社は俺のものだ」


 そう言い放った男。


 でも。


 会社が適法に発行した権利を、社長が勝手に消すことはできません。


 そこに、会社法の大切な意味があるのです。


---


「では、確認問題だ」


 相馬先輩が六法を閉じました。


「はい!」


 私は姿勢を正しました。


「第一問。新株予約権を取得しただけで、株主になるか?」


「なりません!」


「第二問。無償で発行された募集新株予約権は、申込者が割当てを受けた場合、原則としていつ権利者になる?」


「割当日です!」


「第三問。有償の場合、何が必要だ?」


「払込期日までに、募集新株予約権の払込金額の全額を払い込む必要があります!」


「第四問。払い込まなかったら?」


「その新株予約権を行使する権利を失います!」


「第五問。権利行使によって株式を取得する場合、金銭出資なら?」


「行使に際して必要な払込金額の全額を払い込みます!」


「第六問。株主になる日は?」


「適法に新株予約権を行使した日です!」


 私は胸を張りました。


 完璧。


 今度こそ、完璧です。


 すると。


 片桐所長が口を開きました。


「こはる」


「はい!」


「無償で新株予約権を取得した人は、株式も必ず無料で取得できるか」


「いいえ!」


 私は即答しました。


「新株予約権そのものが無償であることと、行使時の出資が必要かどうかは、別です!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は拳を握りました。


 やった!


「では、もう一問」


 所長が続けます。


「有償の募集新株予約権は、払込みを済ませた日に初めて新株予約権者になるのか」


「違います!」


 私は答えました。


「原則として割当日に新株予約権者になります。ただし、払込義務を履行しなければ、行使する権利を失います!」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は大きく息を吐きました。


 新株予約権の取得。


 有償の場合の払込み。


 権利行使。


 株主となる時点。


 全部、区別できました。


---


 窓の外は、もう夕暮れでした。


 私はノートの最後のページを開きました。


 ここまでの内容を、一行にまとめます。


 森田さんの事件を思い出しました。


 最初の二百万円。


 社債と新株引受権を取得した。


 でも、まだ株主ではなかった。


 次の二百万円。


 新株引受権を行使し、二千株を取得した。


 そして。


 現代の新株予約権でも、権利の取得と株式の取得は、別の段階です。


 私は鉛筆を動かしました。


 ――新株予約権は「割当てで権利者、適法な行使で株主」。有償発行なら、権利取得の払込みと行使時の払込みを区別する。


「……できました!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか、先輩!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「長えな」


「一行です!」


「長い一行だ」


「でも、全部大事なんです!」


 先輩は少し笑いました。


「まあ、覚えやすいんじゃねえか」


「褒めましたね!」


「気のせいだ」


「またそれですか!」


 私は笑いました。


 でも。


 この一行は、たぶん忘れません。


 森田さんの油で汚れた手。


 二百万円を出したときの期待。


 黒岩社長の、


「お前は株主じゃない」


 という言葉。


 確かに、その時点では株主ではなかった。


 でも。


 株主ではないからといって、正当な新株引受権まで奪われていいわけではありません。


 法律は。


 権利を持つことと、その権利を行使することを、きちんと区別しているのです。


---


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「お前、さっき新株予約権を従業員に与えるって言ってたな」


「はい!」


「じゃあ、俺もこの事務所の新株予約権をもらえるのか?」


 私は首をかしげました。


「……この事務所の?」


「ああ」


「片桐行政書士事務所の株式ですか?」


「そうだ」


 私はしばらく考えました。


 そして。


「先輩」


「何だ」


「この事務所、株式会社じゃありませんよね?」


 沈黙。


「……あ」


 相馬先輩が固まりました。


「そうです! 株式を発行する株式会社じゃないんです!」


「分かってるよ!」


「だから、この事務所の新株予約権なんて発行できません!」


「だから分かってるって!」


 私は笑いました。


「新株予約権は、株式会社の株式を取得できる権利ですからね!」


 そのとき。


 奥から片桐所長の声がしました。


「相馬」


「……はい」


「事務所の株主になるつもりか」


「いえ、その……」


「なら、机を片付けろ」


「……はい」


 私は思わず吹き出しました。


「先輩!」


「何だ!」


「株主になる前に、掃除係になりましたね!」


「うるせえ!」


 すると。


 所長が私を見ました。


「こはる」


「はい!」


「お前も掃除だ」


「……え?」


「机の上の六法を片付けろ」


「私もですか!」


 相馬先輩がにやりと笑いました。


「ほらな!」


 私は腕を組みました。


「所長!」


「何だ」


「私にも新株予約権をください!」


「ない」


「じゃあ、掃除を免除してもらえる権利を!」


「ない」


「無償発行でお願いします!」


「ないものは発行できん」


 ……。


 完敗です。


 相馬先輩が大笑いしました。


「こはる!」


「何ですか!」


「まず会社を作ってから言え!」


「そんなの、発起人を七人集めるところからじゃないですか!」


「そうだな!」


「遠すぎます!」


 私は箒を手に取りました。


 昭和六十三年。


 株式会社を作るには、発起人七人以上。


 取締役三人以上。


 監査役も必要。


 現代のように、一人で気軽に株式会社を設立できる時代ではありません。


 それに。


 新株予約権という便利な仕組みも、まだ存在しません。


 でも。


 法律が守ろうとしているものは、時代を超えてつながっています。


 会社の約束。


 出資する人の利益。


 株主の権利。


 そして、将来株式を取得する権利を持つ人の期待。


 そうしたものを、社長一人の気分で踏みにじらせない。


 そのために、商法や会社法は存在するのです。


 私は箒を動かしながら、ノートの最後の一行をもう一度思い出しました。


 ――新株予約権は「割当てで権利者、適法な行使で株主」。有償発行なら、権利取得の払込みと行使時の払込みを区別する。


 よし。


 完璧。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「掃除してるのか、勉強してるのか、どっちだ!」


「両方です!」


「器用な奴だな!」


「先輩!」


「何だ!」


「掃除が終わったら、先輩にも新株予約権の確認問題を出します!」


「もう十分だ!」


「まだあります!」


「何だよ!」


「新株予約権を百個持っている人が、五十個だけ行使したら――」


「掃除しろ!」


 ……なるほど。


 法律上の権利は、条件を満たせば行使できます。


 でも。


 掃除を免除してもらえる権利は、そもそも私には存在しません。


 存在しない権利は、どれだけ行使したくても行使できない。


 これも、今日の勉強の成果でしょうか。


 残念ながら。


 その成果は、掃除を終わらせる役には立たないのでした。

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