[会社法・株式の譲渡]法理編 こはるノート
株式は、自由に売れる。
これが原則です。
けれど。
売ったからといって、必ず相手が会社から株主として認められるとは限りません。
契約書があっても。
代金を支払っていても。
株券がなかったり、定款に制限があったりすれば、思わぬ問題が起きます。
では。
株式を自由に譲渡できるという原則は、いったい何を守っているのでしょうか。
そして。
その自由を制限する法律は、何を守ろうとしているのでしょうか。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、ノートを開いていました。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法編。
と書いてあります。
「……株って、紙じゃないんですね」
私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「何だ、いきなり」
「株式です」
「ああ?」
「株券っていう紙がなくても、株式という権利そのものは存在するんですよね」
「そりゃそうだ」
「でも、この時代は、その紙がないと譲渡で困る場合がある」
「あるな」
「ややこしい!」
相馬先輩がため息をつきました。
「昨日、散々やっただろ」
「だから整理するんです!」
私はノートの最初のページを開きました。
思い出すのは、東海精密工業株式会社の事件。
相談者の藤井千鶴さんは、義兄の正一さんから普通株式三百株を三百万円で買い取りました。
契約書もありました。
代金も支払いました。
でも。
大沢社長は、株主として認めなかった。
理由は二つ。
株券が発行されていないこと。
そして、会社の承認がないこと。
ところが。
会社の定款には、譲渡制限の定めが確認されませんでした。
しかも。
株券を発行していなかったのは、会社自身。
十年間、発行を放置していたのです。
そこで私たちは、古い最高裁判例を調べました。
昭和四十七年十一月八日。
最高裁判所大法廷判決。
会社が株券の発行を不当に遅らせている場合には、その未発行を理由として譲渡の効力を否定できないことがある。
その考え方を、証拠とともに内容証明郵便にまとめた結果。
大沢社長は従来の主張を撤回。
千鶴さんは、株主名簿の名義書換を受けることができました。
「よし!」
私は鉛筆を握りました。
「今日は、株式譲渡の四つの制限を完全に覚えます!」
「四つ?」
「はい!」
相馬先輩が、面倒くさそうに言いました。
「言ってみろ」
「定款による譲渡制限!」
「うん」
「権利株の譲渡!」
「うん」
「株券発行前の譲渡!」
「うん」
「子会社による親会社株式の取得!」
相馬先輩が頷きました。
「最後のは譲渡一般の制限というより、取得する側に対する規制だがな」
「そこも大事です!」
「分かってるならいい」
私はノートに四つの項目を書きました。
ここから。
今日の勉強会が始まります。
「まず、株式とは何か」
私は大きく書きました。
――株式。
株式会社における株主たる地位。
「株式って、会社の財産の一部を直接所有する権利ではないんですよね」
「そうだ」
相馬先輩が言いました。
「会社の土地や機械は、会社のものだ」
「はい」
「株主だからって、工場の機械を勝手に持って帰れねえ」
「当たり前です!」
「でも、あの大沢みたいな社長は、会社のものを自分のものと勘違いしがちだ」
私は苦笑しました。
確かに。
会社と株主。
そして取締役。
それぞれ別の存在です。
株主は、会社に対して一定の権利を持っています。
たとえば。
株主総会で議決権を行使する。
配当を受ける。
会社が清算された場合に、残余財産の分配を受ける。
ただし、それぞれ法律や株式の内容などによる条件があります。
「つまり株式って、会社に対する権利を伴った地位なんですね」
「そういうことだ」
「そして、その株主たる地位を他人に移すのが株式譲渡!」
私は勢いよく書きました。
――株式譲渡とは、株主たる地位を他人に移転すること。
「たとえば、正一さんが千鶴さんに三百株を売った」
「ああ」
「正一さんが持っていた三百株分の株主たる地位を、千鶴さんに移す」
「そうだ」
「だから、千鶴さんは株主総会に参加できるようになるんですね」
「必要な手続を踏めばな」
私は頷きました。
ここが重要です。
株式の譲渡と、会社に対する権利行使。
その間には、手続や対抗関係の問題があるのです。
「ところで先輩」
「何だ」
「どうして株式は、原則として自由に譲渡できるんですか?」
相馬先輩は新聞を畳みました。
「じゃあ逆に聞く」
「はい」
「お前が会社に百万円出資したとする」
「はい」
「その会社が大きくなった。でも、お前は急に金が必要になった」
「はい」
「そのとき、会社から出資金を勝手に返してもらえると思うか?」
私は考えました。
「……いいえ」
「そうだ」
株式会社では、株主が自由に出資を払い戻させられるわけではありません。
もし株主が、
「お金が必要になったから、出資した百万円を返して!」
と言うたびに会社の財産が減っていけば。
会社は安定して事業を続けられません。
債権者だって困ります。
「でも、出資した人がお金を回収できなくなったら、それも困りますよね」
「そこでどうする」
「株式を他人に売る!」
「正解」
私は思わず笑いました。
なるほど。
株式を譲渡できれば。
会社から直接お金を返してもらわなくても、買主から代金を受け取れます。
これが、投下資本を回収するための重要な方法になる。
「だから株式譲渡自由の原則があるんですね!」
「そうだ」
私は六法を開きました。
昭和六十三年。
旧商法第二百四条。
株式は、他人に譲渡できます。
「現代では、会社法第百二十七条ですね」
「また未来か」
「比較は大事なんです!」
私はノートを二つに分けました。
昭和六十三年。
旧商法第二百四条。
現代。
会社法第百二十七条。
どちらも。
株式譲渡自由の原則を定めています。
「条文番号は違っても、考え方は引き継がれているんですね」
片桐所長が、奥から声をかけました。
「そうだ」
「所長!」
「ただし」
「はい」
「自由だからといって、何の制限もないわけではない」
私は頷きました。
いよいよ。
四つの制限です。
「一つ目!」
私は大きく書きました。
――定款による株式譲渡制限。
「これは、東海精密工業の事件で問題になったところですね」
「ああ」
「大沢社長は、会社の承認がなければ株を売れないと言っていました」
「そうだったな」
「でも、定款にその定めが確認できませんでした」
相馬先輩が頷きました。
「社長が嫌だと言っただけじゃ、譲渡制限にはならねえ」
私は赤線を引きました。
ここです。
譲渡制限は、単なる社長の好き嫌いではありません。
法律に従った定款上の仕組みです。
「では、どうして譲渡制限を認めているんでしょう?」
私が尋ねると、相馬先輩が言いました。
「小さな会社を考えてみろ」
「はい」
「親父と息子と親戚で経営している会社だ」
「はい」
「ある日、親戚の一人が、まったく知らねえ奴に株を売った」
「はい」
「しかも、その買主が会社の経営方針に強く反対する人物だったら?」
私は想像しました。
家族経営の町工場。
そこに突然、見知らぬ大株主。
「……揉めそうですね」
「だろ」
なるほど。
株式会社といっても、上場企業のように多数の株主がいる会社ばかりではありません。
少人数で経営する会社もあります。
そうした会社では、誰が株主になるかが重要な場合があります。
「だから、定款で譲渡による取得に会社の承認を必要とする仕組みがあるんですね」
「そういうことだ」
昭和六十三年の旧商法では。
定款により、株式の譲渡に取締役会の承認を要すると定めることができました。
私はノートに書きました。
――昭和六十三年は、旧商法に基づく取締役会の承認。
「現代では少し違います!」
私は勢いよく言いました。
「またか」
「はい!」
現代の会社法では。
発行する全部の株式について譲渡制限を設けることもできます。
また、種類株式の一部について譲渡制限を設けることもできます。
「さらに、承認をする機関も、会社の機関設計や定款によって異なります」
相馬先輩が眉をひそめました。
「種類株式?」
「あっ」
しまった。
昭和六十三年の制度を説明している途中でした。
「今の話は現代の会社法です!」
「ややこしい奴だな」
私は笑いました。
現代では、株式の譲渡制限の有無によって、公開会社と非公開会社という区別も重要になります。
発行するすべての株式に譲渡制限がある株式会社は、非公開会社。
一部でも譲渡制限のない株式を発行できる株式会社は、公開会社。
「ただし!」
私は自分で言いました。
「何だ」
「公開会社と上場会社は、同じ意味ではありません!」
相馬先輩が目を丸くしました。
「そうなのか?」
「はい!」
上場していなくても、会社法上の公開会社であることはあります。
逆に、非公開会社という言葉も、単に株式市場に上場していない会社という意味ではありません。
「ここ、行政書士試験で引っかかりやすいところです」
「なるほどな」
私は満足して頷きました。
でも。
まだ疑問があります。
「先輩」
「何だ」
「譲渡制限のある会社が、譲渡を承認しなかったらどうなるんですか?」
「ああ」
相馬先輩が頷きました。
「そこが大事だ」
株主には、株式を売却して投下資本を回収したいという利益があります。
一方。
会社には、望ましくない者が株主になるのを避けたいという利益があります。
どちらも無視できません。
「だから」
相馬先輩が言いました。
「会社が承認しない場合にも、別の譲渡先を確保する仕組みがある」
「はい!」
昭和六十三年の旧商法にも、承認を拒否する場合の譲渡相手の指定などに関する規律がありました。
現代の会社法では、会社による買取りや指定買取人による買取りなど、手続が整理されています。
「つまり、譲渡制限は永久に売却禁止という意味じゃないんですね」
「そうだ」
私は大きく丸をつけました。
――譲渡制限は、売却そのものを永久に封じる制度ではない。
「それと、もう一つ」
片桐所長が言いました。
「はい」
「会社の承認がない譲渡については、当事者間の効力と会社に対する効力を分けて考えろ」
「あ!」
私は鉛筆を止めました。
承認がなければ、売主と買主の契約まで当然に全部無効になる。
そうではないのです。
譲渡制限に反する譲渡でも、当事者間では有効と扱われる場合があります。
ただし、会社との関係では承認がないために株主として扱われないという問題が生じる。
「つまり、ここでも二段階なんですね!」
「そうだ」
所長が頷きました。
「誰と誰の間で効力を問題にしているのか。それを忘れるな」
私は書きました。
――売主と買主の間で有効か。
――会社に対して株主と主張できるか。
同じではない。
なるほど。
昨日の事件の核心が、また一つ見えてきました。
「二つ目!」
私はページをめくりました。
――権利株の譲渡。
「……名前が強そうですね」
相馬先輩が顔をしかめました。
「何だそれ」
「権利株って、株の上位種みたいじゃないですか」
「ゲームじゃねえぞ」
「分かってます!」
私は笑いながら六法を開きました。
権利株。
それは、会社成立前の株式引受人の地位や、新株発行の効力が生じる前の株式引受人の権利に関係するものです。
「つまり、まだ完全な株主としての地位が成立する前の段階ですね」
「そうだ」
ここで私は、ある例を考えました。
新しく株式会社を作るために。
七人の発起人が集まりました。
それぞれが株式を引き受けます。
でも、会社はまだ成立していません。
その段階で。
「自分が引き受ける予定の株を、友人に売りたい!」
と言い出したら?
「先輩、これってどうなるんですか?」
「当事者間での譲渡と、成立する会社に対する効力を分けて考えることになる」
「また二段階ですね!」
「ああ」
会社成立前の権利株の譲渡については、会社に対抗できないという制限があります。
現代の会社法でも。
設立時発行株式についての会社法第三十五条。
設立時募集株式に関する第五十条第二項。
募集株式についての第二百八条第四項。
それぞれ、株式引受人の地位に関わる譲渡の対抗関係が問題になります。
「でも、昭和六十三年には、この会社法の条文番号はありません!」
私は自分に言い聞かせました。
相馬先輩が呆れます。
「誰に説明してるんだ」
「未来の私です!」
「意味が分からねえ」
私は咳払いしました。
昭和六十三年は、商法の時代。
会社を設立するには、発起人七人以上。
取締役三人以上。
監査役も必要。
現在のように、発起人一人、取締役一人で株式会社を設立できる時代ではありません。
「そう考えると、権利株の問題って、当時は会社設立の手続とも密接だったんですね」
「そうだな」
私は頷きました。
まだ会社が成立していない。
あるいは、まだ新株発行の効力が生じていない。
そんな段階で、誰が株式を引き受けるのかが次々と変わってしまえば。
会社側の事務処理や法律関係が混乱するおそれがあります。
「だから、権利株の譲渡には会社に対する効力の制限があるんですね」
「そういうことだ」
私は書きました。
――権利株は、まだ株主たる地位が完成していない段階の権利。
――当事者間の譲渡と、会社への対抗は別問題。
よし。
二つ目です。
「三つ目!」
私は大きく書きました。
――株券発行前の株式譲渡。
そして。
鉛筆を止めました。
「……来ましたね」
相馬先輩が笑いました。
「ああ」
「千鶴さんの事件です!」
私は昨日の資料を取り出しました。
東海精密工業株式会社。
設立から十年。
株券未発行。
正一さんから千鶴さんへの三百株の譲渡。
それに対して、大沢社長は言いました。
「株券がないから、株主じゃない!」
相馬先輩が顔をしかめました。
「お前、物真似が下手だな」
「そこはいいんです!」
私は続けました。
「でも、これって原則だけ見れば、会社側の言い分に根拠があったんですよね」
「そうだ」
昭和六十三年の旧商法第二百四条第二項。
株券発行前にした株式の譲渡は、会社に対して効力を生じない。
私はノートに赤線を引きました。
「これ、初めて読むと驚きますよね」
「そうか?」
「だって、お金を払って契約したのに、会社から株主と認めてもらえないんですよ!」
「ああ」
「厳しすぎませんか?」
相馬先輩は少し考えました。
「じゃあ、何のために株券があると思う」
「……株主の権利を表すため?」
「それもある」
株券。
それは、株主の地位を表章する有価証券です。
株券を発行する会社では、株券の交付が株式譲渡の重要な要件になります。
「株券が発行されていれば、原則としてその交付によって株式を譲渡する仕組みなんですね」
「そうだ」
私は頷きました。
株券を使えば、権利の移転を一定の形で明確にできます。
でも。
発行前の段階で自由に譲渡でき、会社にも当然に主張できるとなれば。
誰が正当な株主なのか。
誰に株券を発行すべきなのか。
会社の処理が混乱する可能性があります。
「だから、株券発行前の譲渡には制限があるんですね」
「そうだ」
ただし。
ここで、もう一つの原則が登場します。
会社は、法律に従い株券を発行しなければならない。
昭和六十三年の株式会社では、株券を発行することが原則とされていました。
「つまり!」
私は鉛筆を握りました。
「株券がないから譲渡できないという仕組みは、会社がきちんと株券を発行することを前提にしているんですね!」
「そこだ」
相馬先輩が頷きました。
そして。
あの最高裁判例です。
昭和四十七年十一月八日。
最高裁判所大法廷。
「先輩、この判例が今回の決定打でしたよね」
「ああ」
私は判例の要旨を確認しました。
会社が、株券の発行を不当に遅滞している。
そのため、株主が株式を譲渡する自由を事実上奪われている。
しかも、信義則に照らして、会社が未発行を理由に譲渡の効力を否定するのが相当でない状況になっている。
そのような場合。
会社は、株券発行前であることを理由に譲渡の効力を否定できない。
「……すごいですね」
私は呟きました。
「何がだ」
「法律の原則を、そのまま機械的に当てはめないところです」
私はノートに書きました。
原則。
株券発行前の譲渡は、会社に対して効力を生じない。
例外。
会社が株券発行を不当に遅滞し、信義則上、未発行を理由に譲渡を否定できない場合がある。
「つまり」
私は言いました。
「自分で株券を出さなかった会社が、そのことを利用して株式譲渡を妨げるのは許されない場合がある!」
「そうだ」
相馬先輩が頷きました。
「ただし、何年たったら必ず例外になる、という単純な話じゃねえぞ」
「はい」
重要なのは、具体的な事情です。
会社がどのくらい発行を遅らせたのか。
なぜ発行しなかったのか。
株主が発行を求めていたか。
会社が譲渡を否定することが、信義則に反するか。
それらを総合して考えます。
「千鶴さんの場合は、証拠がそろっていましたね」
「ああ」
十年間の未発行。
繰り返された発行請求。
会社からの先延ばしの回答。
さらに。
社長自身の、
「面倒だから発行しなかった」
という説明。
「先輩」
「何だ」
「この社長、法律で負けたというより……」
「何だ?」
「自分の行動で、自分を追い詰めたんですね」
相馬先輩が笑いました。
「そういうことだ」
私は頷きました。
法律は、言い逃れの道具ではありません。
その法律が何のために作られたのか。
そこまで考えなければ、本当の意味は分からないのです。
「さて、ここから現代との違いです!」
私はノートをめくりました。
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
「また未来か」
「はい!」
現代の会社法では、株式会社は原則として株券を発行しません。
ただし、定款で株券を発行する旨を定めた会社は、株券発行会社になります。
「昭和六十三年とは、基本的な仕組みが逆なんです」
「へえ」
「今の会社法では、株券を発行しない会社が原則なんですよ」
「……本当か?」
「本当です!」
もちろん。
ここは転生者の秘密。
相馬先輩には、未来の制度を勝手に想像しているように聞こえているのでしょう。
私は説明を続けました。
現代の株券不発行会社では、株券の交付によらず株式を譲渡します。
一方。
株券発行会社では、原則として株券の交付が必要です。
さらに、株券発行前の譲渡については、会社法第百二十八条第二項が問題になります。
「つまり、現代でも株券発行前の譲渡に関する制限自体は残っているんですね」
「そうなのか」
「はい」
私は書きました。
――現代の原則は、株券不発行。
――ただし、株券発行会社には株券特有の譲渡ルールがある。
ここで相馬先輩が尋ねました。
「じゃあ、株券を発行しない会社なら、契約書さえあれば何でもいいのか?」
「いい質問です!」
「何でお前が先生なんだよ」
私は笑いました。
株券不発行会社でも。
会社に対して株主であることを主張するには、株主名簿の名義書換など、対抗要件の問題があります。
また、譲渡制限株式なら、会社の承認も問題になります。
「だから、株券がない会社でも、譲渡に関する法律問題が全部なくなるわけじゃないんです」
「なるほどな」
私は大きく頷きました。
株式譲渡の仕組みは、時代とともに変わりました。
でも。
誰が株主なのかを明確にする必要性は、昔も今も同じなのです。
「四つ目!」
私は勢いよくページをめくりました。
――子会社による親会社株式の取得制限。
「……これ、最初は意味が分かりませんでした」
相馬先輩が言いました。
「何がだ」
「子会社が親会社の株を買うって、どうして駄目なんですか?」
相馬先輩は少し考えました。
「じゃあ、会社が自分自身を支配しようとしたらどうなる」
「……え?」
「親会社と子会社を使ってな」
私は首をかしげました。
親会社。
子会社。
まず、その関係を整理します。
たとえば。
A株式会社が、B株式会社の議決権の過半数を持っている。
この場合。
AがBを支配する親会社。
BがAの子会社になります。
「ただし現代では、議決権の過半数だけでなく、法令上定められた支配関係の判断もあります」
「お前、また未来の話を混ぜてるぞ」
「あっ!」
私は苦笑しました。
今回も、まず現代の基本例として考えます。
親会社A。
子会社B。
AはBを支配しています。
では。
BがAの株式を大量に取得したら?
「……あれ?」
私は鉛筆を止めました。
AがBを支配している。
なのに。
BがAの株式を持つ。
つまり。
支配される側が、支配する側の株式を持つ。
「これ、変な関係ですね」
「そうだろ」
私はさらに考えました。
AがBの経営を支配しているなら。
Bが保有するA株式についても、Aの経営陣の意向が影響する可能性があります。
そうなると。
会社自身が、子会社を通じて自社株式に関わる支配力を持つような構造が生まれます。
「……なるほど!」
私は声を上げました。
「親会社が子会社を使って、自分の株式を間接的に保有するような問題が出てくるんですね!」
「そういうことだ」
相馬先輩が頷きました。
さらに。
会社財産を使って株式を取得することによる弊害も考えなければなりません。
だから、子会社による親会社株式の取得は、法律上制限されます。
「現代の会社法では、第百三十五条ですね!」
私は書きました。
――子会社は、原則として親会社の株式を取得できない。
ただし。
例外があります。
「ここが試験のポイントです!」
相馬先輩が眉をひそめました。
「何だ」
「子会社が親会社の株式を持っていたら、必ず違法というわけじゃないんです」
「ほう」
私は例を書きました。
親会社A。
子会社B。
別会社X。
そして、XはAの株式を保有しています。
ここで。
BがXを吸収合併したとします。
「すると、どうなりますか?」
相馬先輩が言いました。
「Xの持っていた財産や権利義務をBが引き継ぐことになるな」
「はい!」
その中には。
Xが保有していたAの株式も含まれます。
結果として。
子会社Bが、親会社Aの株式を取得することになります。
「でも、これは普通に市場で買った場合とは事情が違いますよね」
「ああ」
このように、法律が認める例外的な場合には、子会社が親会社株式を適法に取得することがあります。
「ただし!」
私は赤線を引きました。
「そこで終わりではありません」
現代の会社法第百三十五条第三項。
適法に取得した親会社株式であっても、子会社は相当の時期に処分しなければなりません。
「つまり、例外的に取得することは認めても、いつまでも保有してよいとは限らないんですね」
「そういうことだ」
私は大きく丸をつけました。
――原則取得禁止。
――例外取得あり。
――適法取得後は相当の時期に処分。
よし。
これで四つです。
「ちなみに先輩」
「何だ」
「今の親会社・子会社の説明は、現代の会社法に基づいています」
「……分かってるよ」
「昭和六十三年の商法と、条文も制度の整理も同じではありません」
「そうだな」
私は頷きました。
親子会社による株式の持合いに対する規制は、商法の時代にも問題とされ、制度の整備が進められてきました。
ただし、現代の会社法第百三十五条の文言や例外を、そのまま昭和六十三年の条文として扱うことはできません。
「時代ごとの六法を確認しないと、駄目ですね」
相馬先輩が笑いました。
「やっと分かったか」
「ずっと分かってます!」
「じゃあ間違えるな」
「努力します!」
……。
転生者の勉強は、なかなか大変です。
「さて」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「こはる」
「はい!」
「四つの制限を整理したな」
「はい!」
「では、なぜ株式譲渡自由の原則がありながら、こんなに制限がある?」
私は少し考えました。
株式譲渡自由の原則。
出資者が投下資本を回収するため。
定款による譲渡制限。
会社にとって望ましくない者の株主参加を防ぐため。
権利株の譲渡制限。
会社成立や新株発行の前段階における法律関係の混乱を防ぐため。
株券発行前の譲渡制限。
株券発行事務や株主関係を明確にするため。
子会社による親会社株式の取得制限。
親子会社を通じた不適切な株式保有や支配関係の弊害を防ぐため。
「つまり……」
私は答えました。
「株式を自由に売れることも大切だけど、会社や他の株主、債権者の利益も守らないといけないからです」
所長が頷きました。
「そうだ」
「だから、自由と制限を調整しているんですね」
「うん」
私は、少し嬉しくなりました。
法律は。
自由を認めるだけでも駄目。
制限するだけでも駄目。
その両方を考えなければなりません。
株式譲渡の四つの制限は。
それぞれ、違う危険を防ぐために存在しているのです。
「ところで先輩」
「何だ」
「現代では、どうして会社法が独立したんでしょう?」
相馬先輩が顔をしかめました。
「だから、その会社法って何なんだよ」
「あ……」
そうでした。
昭和六十三年。
会社法という単独の法律は、まだありません。
私は慌てて言い直しました。
「ええと、将来、会社に関する法律が整理されるとしたら、どうしてだろうなって」
「変な仮定だな」
相馬先輩は笑いました。
でも。
私は少し真面目に考えました。
昭和六十三年の会社制度。
株式会社の設立には、発起人七人以上。
取締役三人以上。
監査役一人以上。
会社の基本的なルールは、商法第二編。
有限会社には、別の有限会社法。
制度も法律も、いくつかに分かれています。
「会社を作るだけでも、かなり大変ですよね」
「そうだな」
「発起人を七人そろえて、取締役も三人必要で……」
「ああ」
「そうなると、名前だけ貸す人が出てきても不思議じゃないですよね」
「まあな」
相馬先輩が煙草をくわえました。
「ただし、名前だけのつもりでも、役員としての責任が問題になるからな」
「はい」
私は頷きました。
会社制度が複雑で、形式的に人数をそろえる必要がある。
そんな仕組みでは。
本当に会社を経営する人と、書類上の役員が一致しないことも起こり得ます。
その後。
会社を取り巻く社会や経済は大きく変わっていきます。
小さな会社も作りやすくする。
会社の機関設計を柔軟にする。
複雑になった法律を整理する。
現代の会社法は、こうした方向への改革の中で、平成十七年に成立し、平成十八年に施行されました。
「でも、単に簡単にしただけじゃないんですよね」
私は呟きました。
会社の設立や運営の自由度を高める。
一方で。
株主や債権者を保護する制度も必要になる。
企業の不正を防ぐ仕組みも必要になる。
「つまり、自由にするところと、守るべきところを整理したんですね」
片桐所長が頷きました。
「法律の役割は、時代が変わっても同じだ」
「はい」
「会社を動かす人間の欲望は、そう簡単には変わらん」
……。
私は昨日の大沢社長を思い出しました。
「会社は俺のものだ」
あの言葉。
昭和でも。
令和でも。
きっと、どこかで誰かが言っているのでしょう。
でも。
株式会社は、社長の私物ではありません。
株主の権利。
会社の財産。
取締役の権限。
それぞれ、法律で区別されています。
だからこそ。
会社の仕組みが変わっても。
その根底にある考え方は、忘れてはいけないのです。
「よし!」
私はノートを閉じかけました。
「今日の確認問題です!」
相馬先輩が嫌そうな顔をしました。
「まだやるのか」
「もちろんです!」
私は六法を机に置きました。
「第一問。株式は原則として自由に譲渡できる!」
「正しい」
「第二問。定款に譲渡制限がなくても、社長が嫌だと言えば譲渡を禁止できる!」
「誤り」
「第三問。株券発行前の譲渡は、会社に対して原則として効力を生じない!」
「正しい」
「第四問。会社が十年間株券を発行していなければ、必ず例外として譲渡を会社に主張できる!」
「誤りだ」
私は頷きました。
「不当な発行遅滞や信義則上の事情を確認する必要がありますね!」
「ああ」
「第五問。株式譲渡契約が当事者間で有効なら、どんな場合でも会社は譲受人を株主として扱わなければならない!」
「誤り」
「第六問。子会社は、例外的に適法取得した親会社株式を永久に保有できる!」
「誤り」
「相当の時期に処分する必要があります!」
「……分かってるなら自分で答えろよ」
相馬先輩が呆れました。
でも。
私は満足でした。
四つの制限。
そして。
原則と例外。
ようやく、頭の中でつながった気がします。
窓の外は、すっかり夕暮れでした。
私は、最後のページを開きました。
そこに。
今日の一行を書きます。
鉛筆の先を整えて。
ゆっくり。
――株式は「自由に売れる」が原則。だが「会社に認めさせる」には、定款・権利株・株券・親子会社の規制を見落とすな。
「……できた!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「長えな」
「ええっ!」
「一行って言っても、詰め込みすぎだろ」
「大事なことが多いんです!」
私は頬を膨らませました。
でも。
この一行は、たぶん忘れません。
あの事件を思い出せばいいのです。
三百万円を支払った千鶴さん。
株券を十年間発行しなかった会社。
そして。
その未発行を利用して、株主を締め出そうとした大沢社長。
株式は自由に譲渡できる。
それでも、法律上の制限や対抗要件がある。
その一方で。
制限の仕組みを悪用して、株主の権利を不当に奪うことまで許されるわけではない。
法律は。
会社を守ります。
株主も守ります。
取引の安全も守ります。
そして。
正しい手続を踏もうとする人間を、守ろうとしているのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が言いました。
「はい?」
「今日の勉強会は終わりか?」
「はい!」
「じゃあ、机を片付けろ」
「え?」
「資料も戻せ」
「はい」
「床も掃け」
「……また掃除ですか?」
「見習いだろ」
私は腕を組みました。
「先輩!」
「何だ」
「株式譲渡自由の原則を学びました!」
「そうだな」
「自由って大切ですよね!」
「まあな」
「だったら、私にも掃除をするかどうかの自由が!」
相馬先輩がにやりとしました。
「あるぞ」
「本当ですか!」
「もちろんだ」
私は目を輝かせました。
ところが。
「ただし、業務として頼まれた掃除を勝手に放棄していいかは、別問題だ」
「……!」
ぐっ。
そう来ましたか。
相馬先輩は笑いました。
「株式譲渡自由の原則と同じだ」
「同じですか?」
「自由だからって、何でも無条件にできるわけじゃねえ」
「……確かに」
私は渋々、箒を手に取りました。
「分かりましたよ!」
「いい返事だ」
「掃除します!」
相馬先輩は満足そうに頷きました。
でも。
私は、最後に一つだけ反撃することにしました。
「先輩!」
「今度は何だ!」
「明日は、株式譲渡制限の承認手続を詳しくやりましょう!」
「は?」
「会社が承認しなかった場合の手続も!」
「何で俺が付き合うことになってるんだ!」
「勉強会です!」
「勝手に決めるな!」
私は笑いながら床を掃き始めました。
昭和六十三年。
夕暮れの町。
遠くから、工場の終業を知らせるサイレンが聞こえてきます。
あのどこかで。
千鶴さんは、株主としての第一歩を踏み出しているのでしょう。
義兄が守ってきた会社。
そこで働く人たち。
そして、三百株に込められた思い。
株式譲渡。
たった四文字。
でも、その中には。
誰が会社を支えるのか。
誰が経営に参加できるのか。
誰が株主として権利を持つのか。
そんな大切な問題が詰まっています。
私は箒を止めて、ノートの最後の一行を見ました。
――株式は「自由に売れる」が原則。だが「会社に認めさせる」には、定款・権利株・株券・親子会社の規制を見落とすな。
よし。
完璧。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで掃除しろ!」
「今、重要事項を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「私は株式譲渡自由の原則を尊重します!」
「だから何だ!」
「掃除の仕事も、誰かに譲渡できませんか!」
相馬先輩は、一瞬黙りました。
そして。
「……お前な」
「はい!」
「仕事を人に押しつけることと、株式譲渡は別だぞ」
「……ですよね!」
「あと、お前の掃除当番を買いたがる奴がどこにいるんだ」
「ぐっ……!」
なるほど。
株式は自由に譲渡できても。
私の掃除当番は、どうやら簡単には譲渡できないようです。
残念ながら。
昭和六十三年の商法第二百四条を、何度読み直しても。
見習い行政書士の掃除当番を免除する規定は、見つからないのでした。
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