[会社法・株券と株主名簿]法理編 こはるノート
株券を持っている人が、必ず株主として扱われるとは限りません。
反対に。
株主名簿に名前がないからといって、その人が株主ではないとも限りません。
……。
どっちなんですか!
そう叫びたくなるところですが。
実は、この二つ。
見ている問題が違うのです。
株券。
株主名簿。
名義書換。
会社に対する対抗要件。
第三者に対する対抗要件。
似たような言葉が次々に出てくる、商法・会社法の厄介なところ。
でも。
あの百枚の株券を思い出せば、きっと忘れません。
昭和六十三年。
夕方の片桐行政書士事務所。
私は机に向かい、ノートを開いていました。
表紙には大きく、
――こはるノート・商法編。
と書いてあります。
「……株主名簿って、ずるいですよね」
私が呟くと、相馬先輩が新聞から顔を上げました。
「いきなり何だ」
「株券を持っていても、株主名簿に名前がなければ会社に権利を主張できないって」
「原則としてな」
「でも、会社がわざと名義書換を拒んだら、名前がなくても主張できる」
「そうだ」
「だったら最初から、株券を持ってる人を株主にすればいいじゃないですか!」
相馬先輩は、ため息をつきました。
「お前な」
「はい」
「全国に何万、何十万って株主がいる会社だったらどうする」
「え?」
「毎日、株券を持った人間が何千人も会社に押しかけてくるんだぞ」
「……あ」
「全員の株券を、その場で調べて議決権を行使させるのか?」
私は固まりました。
確かに。
そんなことをしていたら、会社の事務が回りません。
「だから株主名簿があるんだよ」
「なるほど……」
相馬先輩は新聞を畳みました。
「昨日の杉浦精機の事件、思い出せ」
私は頷きました。
杉浦真理子さん。
三十一歳。
亡くなった父親から、杉浦精機株式会社の株式百株を譲り受けた女性。
贈与契約書がある。
株券百枚も受け取っている。
定款で必要とされた取締役会の承認も得ている。
そして。
三年前に、株主名簿の名義書換を請求していた。
ところが。
大久保社長は、理由もなく名義書換を放置。
父親が亡くなると、
「株主名簿に名前がないから、お前は株主じゃない」
と主張した。
でも結局。
昭和四十一年七月二十八日の最高裁判例を踏まえた内容証明郵便によって、会社側は名義書換に応じた。
「……あの事件ですね」
「そうだ」
私は鉛筆を握りました。
「今日は、株券と株主名簿を完全に理解します!」
「昨日もそんなこと言ってたな」
「昨日は現場です! 今日は法理です!」
「便利な言い訳だな」
そこへ。
奥から片桐所長の声がしました。
「相馬」
「はい」
「付き合ってやれ」
「……また俺ですか」
よし。
本日も強制勉強会、開催です。
まず。
私はノートに、大きく書きました。
――株券。
「株券とは、株式に関する権利を表す有価証券です」
「そうだな」
「でも、先輩」
「何だ」
「株券って、株主であることを証明する紙、という理解だけでいいんですか?」
「それだけじゃ足りねえな」
相馬先輩が、杉浦精機の株券の写しを一枚取り出しました。
「株券はな、単なる証明書じゃねえ」
「はい」
「株式を譲渡するときに、重要な働きをする」
私は頷きました。
ここが大切です。
株券。
有価証券。
紙そのものが、株式の権利の移転と深く結びついている。
現代の株券発行会社では、原則として株券を交付しなければ、株式譲渡の効力は生じません。
会社法第百二十八条。
ただし、自己株式の処分などには特則があります。
「つまり、売買契約書だけ作ればいいわけじゃないんですね」
「そういうことだ」
「株券発行会社では、株券の交付が重要になる」
「うん」
私は昨日の事件を思い出しました。
杉浦清一さん。
創業者。
娘の真理子さんに百株を贈与した。
契約書もある。
そして。
株券百枚を実際に交付していた。
「だから、株券を受け取ったという事実が重要だったんですね」
「そうだ」
相馬先輩が頷きました。
「契約しただけなのか。株券まで渡されたのか。そこは区別する必要がある」
私は、赤線を引きました。
――株券発行会社では、株式譲渡と株券の交付を結びつけて考える。
よし。
ここまでは大丈夫です。
でも。
次が、昭和と現代の大きな違いでした。
「ところで、先輩」
「何だ」
「株式会社って、原則として株券を発行するんですよね」
「そうだろ」
「……昭和六十三年なら」
「また妙な言い方だな」
私は笑ってごまかしました。
ここ。
転生者には、とても重要なポイントです。
昭和六十三年。
会社法という独立した法律は、まだありません。
株式会社については、商法第二編が中心です。
そして、この時代の株式会社は、株券の発行を前提とする制度でした。
ところが。
現代では、逆です。
「先輩」
「何だ」
「もし、株券を原則として発行しない法律になったら、どう思います?」
相馬先輩が眉をひそめました。
「は?」
「株券がない株式会社です」
「……何だそりゃ」
「会社の帳簿で株主を管理するんです」
「株券なしでか?」
「はい!」
「株式の譲渡をどう確認するんだよ」
「そこは名簿への記載などを使って……」
私は途中で口をつぐみました。
……危ない。
未来の法律を説明し始めるところでした。
でも。
現代の会社法では、こうなっています。
会社法第二百十四条。
株式会社は、定款に株券を発行する旨を定めることができます。
つまり。
株券を発行するかどうかは、定款の定めによる。
そして。
原則は、株券不発行。
「……ええっ!」
私は、現代の受験生だった頃のことを思い出しました。
初めてこの条文を読んだとき。
少し驚いたのです。
株式会社なのに、株券がない?
株主なのに、手元に証券がない?
大丈夫なんですか?
でも。
考えてみれば。
株式という権利と、その権利を表す紙は、同じものではありません。
紙がなくても、株式という権利は存在できる。
その権利を、適切な仕組みで管理すればいい。
「こはる」
片桐所長が声をかけました。
「はい!」
「株券があるかないかだけで、株主の権利の価値が決まるのか」
「いいえ!」
「そうだ」
所長が頷きました。
「大事なのは、誰が権利を持つかだ」
私は、鉛筆を止めました。
……なるほど。
株券は、権利を表すための仕組み。
でも、守られるべきものは株主の権利そのもの。
だから。
時代が変われば、管理方法も変わり得る。
「現代では、株券を発行しない会社が原則になるんですね……」
思わず呟きました。
「現代?」
相馬先輩が顔を上げました。
「あっ」
「お前、さっきから何の話してるんだ?」
「み、未来予想です!」
「商法の勉強中に未来予想すんな!」
……はい。
気をつけます。
「さて」
私はノートをめくりました。
――株券発行会社。
――株券不発行会社。
「現代では、この二つを区別するんです」
相馬先輩が、また怪訝な顔をしました。
「……仮にそういう制度があったとして、何が違う」
「まず、株券発行会社です」
私は書きました。
株券を発行する旨の定款の定めがある会社。
これが、株券発行会社。
反対に。
株券を発行する旨の定款の定めがない会社。
これが、株券不発行会社。
「名前のとおりですね」
「そりゃそうだろ」
「でも、ここからが試験に出ます!」
私は勢いよく続けました。
「株券発行会社は、株式を発行した日以後、遅滞なく株券を発行するのが原則です」
現代会社法第二百十五条第一項。
遅滞なく。
つまり、正当な理由なく発行を先延ばしにしてはいけない。
「じゃあ、会社を作ったら、すぐ株券を印刷するんだな?」
「原則としては、そういう方向です」
「原則?」
「はい!」
私は赤鉛筆を持ちました。
「ここに、例外があるんです!」
非公開会社である株券発行会社。
この会社では。
株主から請求がある時までは、株券を発行しないことができます。
会社法第二百十五条第四項。
「……何?」
相馬先輩が首をかしげました。
「株券発行会社なのに、株券を発行しなくていいのか?」
「株主から請求があるまで、です!」
「ややこしいな」
「そうなんです!」
私は笑いました。
ここ。
試験で引っかかりやすいところです。
株券発行会社だから、必ず設立直後に株券を印刷しなければならない。
これは、現代法では正確ではありません。
非公開会社であれば、株主から請求がある時まで発行を留保できる。
「でも、先輩」
「何だ」
「株券を発行していないからといって、自動的に株券不発行会社になるわけじゃないんです」
「……どういうことだ」
「定款に株券を発行する旨があるかどうかで、会社の種類が決まるんです」
私は大きく囲みました。
――株券発行会社かどうかは、実際に株券を印刷したかではなく、定款の定めで判断する。
相馬先輩は、少し考えました。
「つまり、発行を待っている状態でも、株券発行会社は株券発行会社ってことか」
「そうです!」
「なるほどな」
私は嬉しくなりました。
やった。
先輩に未来の法律が通じました。
もっとも。
この説明が昭和の実務で使えるようになるのは、ずっと先の話です。
「次は株主名簿です!」
私は新しいページを開きました。
――株主名簿。
会社が、株主に関する事項を記録しておく帳簿。
「昨日の事件の主役ですね」
「ああ」
「杉浦精機では、大久保社長が管理していました」
「そうだな」
株主名簿には、株主の氏名や住所、保有株式数など、法律上必要な事項が記載されます。
会社は、これをもとに株主への通知や権利行使の取扱いを行います。
「でも、どうして名簿が必要なんでしょう?」
私が聞くと、相馬先輩が言いました。
「さっき説明しただろ」
「大量の株主を管理するためですね」
「そうだ」
たとえば。
株主が千人いる株式会社。
その会社が株主総会を開くとします。
誰に招集通知を送るか。
誰が議決権を持っているか。
誰に配当を支払うか。
それらを毎回、株券の取得経緯から調べ直していたら。
大変です。
「だから、名簿に記載された株主を基準に事務を処理する仕組みが必要なんですね」
「そういうことだ」
私は頷きました。
なるほど。
株主名簿は、会社の事務を円滑にするための制度。
だからこそ、名義書換が重要になる。
でも。
「所長」
「何だ」
「それなら、昨日の大久保社長みたいに、会社側が名簿を悪用したらどうなるんでしょう?」
片桐所長が、短く答えました。
「そのために、例外がある」
……。
来ました。
昨日の事件の核心。
でも、その前に。
もう一つ整理しなければなりません。
それは。
対抗要件です。
「先輩」
「何だ」
「対抗要件って、そもそも何ですか?」
「他人に対して、自分の権利関係を法律上主張するために必要な条件だ」
「そうです!」
私はノートに書きました。
――対抗要件。
ある権利の取得や移転を、特定の相手に対して主張するために必要な法律上の要件。
「民法の不動産登記と似ていますね」
「ああ」
「土地を買った場合、登記が重要になる」
「そうだな」
ただし。
株式と不動産では、細かい仕組みは異なります。
そこで。
現代会社法第百三十条。
これが重要になるのです。
「ここは、株券発行会社と株券不発行会社で違います!」
私は赤鉛筆を持ちました。
まず。
株券発行会社。
この場合、株式を取得した人は、株主名簿の名義書換をしなければ、原則として会社に株式の移転を対抗できません。
「つまり」
私は言いました。
「株券を正当に譲り受けても、名義書換をしていなければ、会社に対して株主として扱えと主張する際に問題が生じます」
「うん」
「ただし、第三者との関係では、名義書換は対抗要件ではありません」
相馬先輩が頷きました。
「株券の交付と所持が重要になるわけだな」
「そうです!」
ここで私は、ノートに大きく書きました。
――株券発行会社。
――名義書換が必要なのは、原則として会社に対する対抗のため。
――第三者との関係では、株券の交付や占有が重要。
「ここまでいいですね?」
「ああ」
「では、次です!」
株券不発行会社。
こちらでは。
株式を取得した人は、株主名簿の名義書換をしなければ、原則として会社だけでなく、第三者に対しても株式の移転を対抗できません。
「……待て」
相馬先輩が言いました。
「株券発行会社より、名簿の役割が大きいってことか」
「そうなんです!」
私は嬉しくなりました。
そこです。
株券がない会社では、株券の所持によって権利関係を示す仕組みがありません。
そこで。
株主名簿への記載が、会社との関係だけでなく第三者との関係でも重要になる。
「なるほどな」
相馬先輩は、煙草をくわえました。
「つまり、同じ名義書換でも、会社の種類によって意味が違う」
「はい!」
私は大きく丸をつけました。
現代会社法第百三十条。
株券発行会社。
会社への対抗要件。
株券不発行会社。
会社及び第三者への対抗要件。
……。
「これです!」
私は鉛筆を掲げました。
「行政書士試験で、絶対に取り違えたくないところです!」
相馬先輩が笑いました。
「ようやく頭に入ったか」
「はい!」
昨日の真理子さんの事件。
あれを思い出すだけで、もう忘れません。
株券を持っていること。
名簿に名前があること。
会社に対抗できること。
第三者に対抗できること。
全部、同じではないのです。
「さて」
片桐所長が帳簿を閉じました。
「では、昨日の事件に戻れ」
「はい!」
「真理子さんは株券を持っていたな」
「はい」
「贈与契約もある」
「はい」
「譲渡制限について、取締役会の承認もあった」
「そうです」
「だが、株主名簿には名前がなかった」
「はい」
所長は、私を見ました。
「原則だけなら、どうなる」
私は少し考えました。
「会社に対して株主としての権利を主張するためには、名義書換が必要になります」
「そうだ」
「でも!」
私は勢いよく言いました。
「会社側が、不当に名義書換を拒絶していました!」
相馬先輩が、にやりとしました。
「そこだ」
私は判例集を開きました。
最高裁判所。
昭和四十一年七月二十八日。
株主名簿の名義書換に関する重要な判例です。
結論は。
正当な理由なく名義書換請求を拒絶した会社は、名義書換がされていないことを理由に、株式の譲渡を否認できない。
さらに。
会社の過失によって名義書換がされなかった場合にも、この考え方が及びます。
「……なるほど」
私はゆっくり頷きました。
つまり。
名義書換は、会社に対して株式の移転を主張するための大切な要件。
でも。
会社自身が、その手続きを妨げた場合。
会社は、その不備を利用して株式譲渡を否定することができない。
「先輩」
「何だ」
「これ、信義則にもつながるんですね」
「そうだ」
信義誠実の原則。
民法第一条第二項。
権利の行使や義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
私はノートに書きました。
自分で名義書換を妨げた。
その結果、名義書換がない。
なのに。
名義書換がないことを理由に相手の権利を否定する。
……。
それは、あまりにも身勝手です。
「昨日の大久保社長ですね」
「そのとおりだ」
相馬先輩が頷きました。
「三年前に名義書換請求書を受け取っている」
「はい」
「取締役会の承認もある」
「はい」
「それなのに書き換えない」
「はい」
「そして、書き換えてないから株主じゃないと言い出す」
私は、思わず顔をしかめました。
「最悪ですね」
「最悪だな」
片桐所長が、静かに言いました。
「ただし、こはる」
「はい」
「名義書換がない場合、いつでも株主権を行使できるという意味ではないぞ」
「……あ」
「例外には、例外を認めるだけの事情が必要だ」
私は頷きました。
そうです。
名義書換を請求していなかっただけの場合。
必要な譲渡承認がない場合。
そもそも株式を適法に取得していない場合。
こうした事情があれば、結論は変わり得ます。
また、株主総会で議決権を行使できるかについては、基準日の設定など、別の問題も確認しなければなりません。
「だから昨日は、証拠を全部調べたんですね」
「そうだ」
私はノートに書きました。
贈与契約書。
株券。
取締役会議事録。
名義書換請求書。
会社の受領確認書。
「一つでも欠けていたら、事案の評価が変わったかもしれない」
所長が頷きました。
「法律は、事実に当てはめるものだ」
「はい」
「条文だけ暗記しても、事実を見落とせば役に立たん」
……。
胸に刺さります。
行政書士試験。
知識を覚えるだけではない。
どの事実が、どの法律要件に当たるのか。
そこまで考えられて、初めて使える知識になる。
「所長」
「何だ」
「昨日の百枚の株券って、証拠の山だったんですね」
「そうだ」
「たった一行の名義書換をさせるために、あれだけの資料が必要だった」
片桐所長は、小さく頷きました。
「その一行で、会社が動くからな」
私は、しばらく黙りました。
……確かに。
株主名簿の一行。
でも。
その一行が、株主総会での権利行使につながっていたのです。
「次は、株主名簿の閲覧と謄写です!」
私は、新しいページを開きました。
相馬先輩が、少し嫌そうな顔をしました。
「まだあるのか」
「あります!」
「長えな」
「試験範囲ですから!」
私は元気よく続けました。
株主名簿。
これは会社が勝手に隠してよい帳簿ではありません。
現代会社法第百二十五条。
株式会社は、株主名簿を本店に備え置かなければなりません。
ただし、株主名簿管理人を置いている場合には、その営業所に備え置くことになります。
「株主名簿管理人って何だ?」
相馬先輩が聞きました。
「会社に代わって株主名簿の管理などを行う者です」
「なるほど」
「株主がたくさんいる会社では、専門の機関に管理を委託することもあります」
私はノートに書きました。
原則。
本店。
例外。
株主名簿管理人の営業所。
「そして」
私は鉛筆を持ち直しました。
「株主と会社債権者には、株主名簿の閲覧・謄写を請求する権利があります!」
現代会社法第百二十五条第二項。
会社の営業時間内。
理由を明らかにして請求する。
「ここ、大事なのが債権者です」
「株主だけじゃねえんだな」
「はい!」
私は昨日の真理子さんを思い出しました。
真理子さんは株式百株を譲り受けた人でした。
でも。
それとは別に、会社に対する貸付債権の一部も取得していた。
つまり。
株主としての立場だけでなく、会社債権者としての立場も持っていたのです。
「そこで所長は、請求資格を複数の面から確認したんですね」
「そうだ」
片桐所長が言いました。
「相手が一つの権利関係を争っているなら、ほかの根拠があるかも調べる」
「はい!」
もちろん。
債権者なら誰でも、どんな目的でも自由に情報を集めていいわけではありません。
請求の理由。
権利の確保や行使との関係。
請求資格の裏付け。
それらが必要です。
「真理子さんの場合は?」
相馬先輩が聞きました。
「株式の記載状況と株主構成を確認し、自分の権利を守るためです」
「そうだ」
「会社を嫌がらせするためでも、情報を売るためでもありません」
「そのとおり」
私は、大きく頷きました。
よし。
ここまでは分かりました。
次。
謄写です。
「先輩、謄写って、コピーのことですよね」
「まあ、書き写したり複写したりすることだな」
「写真で撮ることも含まれるんですよね」
「そういう方法も考えられるな」
私は頷きました。
閲覧。
その場で見ること。
謄写。
内容を書き写したり、複写したりすること。
どちらも重要です。
ただし、謄写請求権があることと、会社に無料でコピーを作って渡すよう当然に要求できることは、同じではありません。
「見るだけじゃ、あとで正確な内容を確認できないことがありますもんね」
「そうだ」
「だから、写しを残せることにも意味がある」
私はノートに赤線を引きました。
――閲覧は見ること。謄写は内容を写して記録すること。
簡単。
これなら覚えられます。
「ところが、先輩」
「何だ」
「株主名簿の閲覧・謄写って、原則として拒絶できませんよね」
「ああ」
「でも、例外があります!」
私は赤鉛筆を持ちました。
現代会社法第百二十五条第三項。
会社が閲覧・謄写を拒絶できる場合です。
「これ、四つに整理すると覚えやすいです」
「言ってみろ」
「まず一つ目!」
私はノートに書きました。
――権利の確保や行使に関する調査以外の目的。
株主や債権者としての権利を守ったり行使したりするためではない請求。
たとえば。
株主名簿を見て、そこに載っている人の住所を営業用の名簿として利用したい。
「……そんなの駄目だろ」
相馬先輩が言いました。
「そうです!」
株主名簿は、何でも調べられる便利な住所録ではありません。
「二つ目!」
私は続けました。
――会社の業務を妨害し、または株主共同の利益を害する目的。
たとえば。
株主名簿を見ること自体が目的ではなく、会社の業務を妨害するために請求する。
あるいは、ほかの株主全体の利益を害そうとする。
「それも駄目だな」
「はい!」
ただし。
会社の経営に批判的だからというだけで、当然に拒絶できるわけではありません。
株主として正当に経営を監視することと、会社を妨害することは違います。
「昨日の真理子さんも、社長の方針に反対していましたよね」
「ああ」
「でも、反対すること自体は、株主の権利行使です」
「そうだ」
ここを間違えてはいけません。
社長にとって都合の悪い株主。
だから名簿は見せない。
そんな理屈を簡単に認めたら、株主による監督ができなくなります。
「三つ目!」
私は言いました。
――名簿から知った情報を、利益を得て第三者に通報する目的。
つまり。
株主の情報を仕入れて、売り物にするような場合です。
「うわ……」
私は自分で書きながら、顔をしかめました。
「嫌ですね」
「そういう奴もいるんだろうな」
相馬先輩が言いました。
「だから、例外が必要なんです」
そして。
「四つ目!」
私はノートに書きました。
――過去二年以内に、閲覧・謄写で得た情報を利益を得て第三者に通報したことがある場合。
「二年か」
「はい!」
ここ。
数字が重要です。
過去二年以内。
以前、名簿の情報を金儲けのために外部へ流したことがある人。
そうした人からの再度の請求については、法律が拒絶を認めています。
「なるほどな」
相馬先輩が頷きました。
「会社を監督するための権利を、情報商売に使わせないってことか」
「そうです!」
私は、四つを囲みました。
権利と無関係な目的。
業務妨害・共同利益侵害の目的。
情報を売る目的。
過去二年以内の情報売却等の実績。
「これで、現代会社法第百二十五条の拒絶事由を整理できます!」
相馬先輩が、少し考えました。
「要するに」
「はい」
「正当な権利のために見せろって言うなら、会社は原則として応じる」
「そうです」
「だが、嫌がらせや情報の悪用まで認めるわけじゃねえ」
「完璧です!」
私は、思わず拍手しました。
「何でお前が採点してるんだよ!」
「先輩、満点です!」
「いらねえよ!」
私は笑いました。
でも。
ふと気になりました。
「所長」
「何だ」
「昭和六十三年でも、今説明した現代会社法第百二十五条を使えるわけではありませんよね」
「当然だ」
所長は頷きました。
「当時の商法を確認しなければならん」
「はい」
ここも重要です。
昭和六十三年。
株主名簿の備置きや閲覧・謄写については、当時の商法第二百六十三条などが問題になります。
現代の会社法第百二十五条とは、条文の位置も制度の細部も異なります。
だから。
昔の事件を扱うときは、その時点で施行されている法律を使う。
現代の試験を受けるなら、現行会社法を覚える。
「時代を混ぜたら危ないですね」
私が言うと、相馬先輩は即答しました。
「お前が一番危ねえんだよ」
「……はい」
そのとおりです。
未来人。
今日も反省です。
「ところで」
私は、ノートを見直しました。
「株券って、どうして現代では原則として発行しなくなったんでしょう?」
相馬先輩が顔を上げました。
「何でだと思う」
「……紙だから?」
「雑だな」
「だって、紙の株券って大変じゃないですか!」
私は指を折りました。
印刷する。
保管する。
紛失しないように管理する。
譲渡するときに受け渡す。
盗難や偽造の危険もある。
株券を失ったときには、別の手続も問題になる。
「確かに手間は多いな」
「ですよね!」
私は続けました。
現代の会社法制では、株券を発行しなくても株式を管理できるよう、制度が整理されました。
株券を発行しない会社では、株主名簿が権利関係の公示・管理に重要な役割を果たします。
さらに、上場株式については、別途、振替制度による電子的な管理が発展していきました。
ただし。
株券不発行会社と、振替制度を利用する会社は、すべて同じ仕組みというわけではありません。
「なるほど……」
私は鉛筆を回しました。
「つまり、昔は紙そのものが重要だったけど、現代では紙に頼らない管理が広がったんですね」
「そういう方向の変化なら、理解できるな」
相馬先輩が言いました。
そして。
もう一つ。
私はノートの端に書きました。
――会社法の独立。
昭和六十三年には、株式会社のルールは商法第二編にありました。
有限会社については、有限会社法もありました。
でも。
現代では、会社法という独立した法律に会社の基本的な制度が整理されています。
会社法は平成十七年に成立し、平成十八年五月一日から施行されました。
これにより、会社制度は大きく再編されます。
「先輩」
「何だ」
「昭和の株式会社って、設立するだけでも大変ですよね」
「そりゃそうだ」
「発起人七人以上!」
「ああ」
「取締役三人以上!」
「そうだ」
「監査役も一人以上!」
「何を今さら」
私は頷きました。
昭和の株式会社。
必要な人数が多い。
形式を整えるのも大変。
そのため、実際には経営に関わらない人が、名前だけ発起人や役員として参加することもありました。
以前の事件でも。
「名前を貸しただけだ!」
と開き直る人がいました。
「でも、現代では違うんです」
私は言いました。
「株式会社を、発起人一人で設立できます」
「……また未来か」
「取締役一人でも可能です!」
「おい」
「資本金一円でも、会社法上は設立できます!」
「……お前な」
相馬先輩が、とうとう新聞を置きました。
「何でも簡単にすればいいってもんじゃねえぞ」
「もちろんです」
私は頷きました。
設立要件が簡略化されたからといって、会社の責任まで軽くなったわけではありません。
株主を守る。
債権者を守る。
会社財産を適切に管理する。
取締役が職務上の義務を果たす。
こうした基本的な考え方は、今でも重要です。
そして。
現代では、会社の規模や性質に応じて、機関設計の選択肢が広がっています。
「つまり」
私は言いました。
「会社を作る入口は広くなった。でも、会社を運営する責任は残っている」
片桐所長が頷きました。
「それは大事なことだ」
私は、少し嬉しくなりました。
会社法が独立したのは、単に古い商法の条文を別の法律に移しただけではありません。
社会や経済の変化に合わせて、会社制度を整理し、利用しやすくするという意味もあったのです。
「法律って、便利になる方向にも変わるんですね」
私が言うと、相馬先輩が笑いました。
「便利になっても、悪いことする奴はいなくならねえだろうけどな」
……。
確かに。
大久保社長みたいな人。
昭和にだけいるわけではありません。
令和にも、きっといます。
だからこそ。
制度が変わっても、権利を守る仕組みは必要なのです。
窓の外は、もう薄暗くなっていました。
私は、ノートを見直しました。
株券。
株券発行会社。
株券不発行会社。
株主名簿。
名義書換。
対抗要件。
閲覧・謄写。
拒絶事由。
そして。
昭和四十一年の最高裁判例。
「……結構ありますね」
私が呟くと、相馬先輩が言いました。
「全部覚えたか?」
「確認問題をお願いします!」
「またか」
「はい!」
相馬先輩は、少し考えました。
「じゃあ、一問目」
「はい!」
「現代の株式会社は、原則として株券を発行するか?」
「しません!」
「例外は?」
「定款に株券を発行する旨の定めがある場合です!」
「よし」
「株券発行会社が株券を発行する時期は?」
「原則として、株式を発行した日以後、遅滞なくです!」
「非公開会社なら?」
「株主から請求がある時まで、株券を発行しないことができます!」
よし。
ここまでは完璧。
「次」
「はい!」
「株券発行会社で、名義書換が必要なのは、誰に対抗するためだ?」
「原則として会社です!」
「株券不発行会社なら?」
「会社と第三者です!」
「よし」
私は拳を握りました。
やった。
「じゃあ、昨日の真理子さん」
「はい!」
「名義書換されてなかったのに、どうして会社に株主としての地位を主張できた?」
「会社が正当な理由なく名義書換を拒絶していたからです!」
「根拠になる判例は?」
「最高裁昭和四十一年七月二十八日判決です!」
「よし」
……。
完璧。
私は少し得意になりました。
「じゃあ、最後に所長から」
相馬先輩が言いました。
「はい!」
片桐所長は、机の資料を見ました。
そして。
「株主名簿は、どこに備え置く?」
「現代会社法では、原則として本店です! 株主名簿管理人を置く場合は、その営業所です!」
「誰が閲覧・謄写を請求できる?」
「株主と会社債権者です!」
「いつ?」
「営業時間内です!」
「何を明らかにする?」
「請求の理由です!」
所長が頷きました。
「拒絶できる場合は?」
「権利の確保や行使に関係しない目的、業務妨害や株主共同の利益を害する目的、情報を利益目的で第三者に通報する目的、過去二年以内にそうした情報通報をした場合です!」
……。
よし!
全部答えられました。
所長が、小さく頷きました。
「よく整理できたな」
私は思わず笑顔になりました。
「ありがとうございます!」
相馬先輩が、横から言いました。
「じゃあ、もう一問」
「はい!」
「株主名簿に名前がなければ、絶対に株主じゃない。正しいか?」
「間違いです!」
「理由は?」
「株式を適法に取得していても、名義書換がまだされていない場合があるからです!」
「うん」
「ただし、その人が会社や第三者に株式の取得を対抗できるかは、別に判断する必要があります!」
「よし」
私は続けました。
「そして、会社が不当に名義書換を拒んだ場合には、例外があります!」
相馬先輩が、にやりとしました。
「覚えたな」
「はい!」
私は、ようやく納得できました。
株券。
株主名簿。
二つは、矛盾する制度ではありません。
それぞれに役割がある。
株式の譲渡。
権利の帰属。
会社との関係。
第三者との関係。
それらを正しく整理するための制度なのです。
「さて」
私はノートの最後のページを開きました。
「今日の一行です!」
相馬先輩が、呆れた顔をしました。
「またやるのか」
「もちろんです!」
「好きだな、それ」
「覚えやすいんです!」
私は鉛筆を整えました。
そして。
ゆっくり書きました。
――株券発行会社は「会社に名義書換」、株券不発行会社は「会社と第三者に名義書換」。ただし、会社の不当拒絶には例外あり。
「……できました!」
私はノートを掲げました。
「どうですか!」
相馬先輩が覗き込みました。
「まあ、悪くねえな」
「褒めましたね!」
「気のせいだ」
「またそれですか!」
私は笑いました。
でも。
この一行は、きっと忘れません。
杉浦真理子さん。
父親から受け取った百枚の株券。
署名押印のある贈与契約書。
取締役会で承認された株式の譲渡。
三年前の名義書換請求書。
そして。
社長が、わざと書き換えなかった株主名簿。
あの事件を思い出せばいい。
名前がない。
だから権利もない。
そんな単純な話ではありませんでした。
誰が株式を取得したのか。
どんな手続を経たのか。
なぜ名義書換がされなかったのか。
その理由まで考える。
法律は、帳簿の一行だけで、人の権利を決めつけるわけではないのです。
「ところで、こはる」
相馬先輩が声をかけました。
「はい?」
「勉強会、終わったか?」
「はい!」
「じゃあ、帳簿を整理しろ」
「え?」
「棚の上にある会社関係の帳簿、全部な」
私は棚を見ました。
分厚い帳簿。
古い定款。
議事録。
株式関係の書類。
……。
結構な量です。
「先輩!」
「何だ」
「これ、全部手作業ですか?」
「当たり前だろ」
「パソコンで管理したら楽なのに……」
「ぱそこん?」
しまった。
また未来の感覚です。
「い、いえ! 何でもありません!」
相馬先輩は怪訝な顔をしました。
「お前、時々おかしなこと言うよな」
「そうでしょうか!」
「そうだよ」
私は慌てて帳簿を取りました。
でも。
一冊目を開いた瞬間。
思わず、手を止めました。
古い株主名簿。
整然と並ぶ名前。
住所。
株数。
取得年月日。
……。
「先輩」
「今度は何だ」
「これ、一行書き間違えたら大変ですよね」
「そりゃそうだ」
「株主の権利に関わりますもんね」
「だから、丁寧に扱え」
「はい」
私は、ゆっくり帳簿を閉じました。
あの杉浦精機の事件。
大久保社長は、株主名簿を自分の権力の道具にしようとしました。
でも。
株主名簿は、社長が好きな人だけを書く名簿ではありません。
本来の役割は。
株主の権利関係を明らかにすること。
その権利を、適切に行使できるようにすること。
だから。
誰かを排除するために、わざと名前を書かない。
そんな使い方を、法律は許していないのです。
「所長」
私は奥へ声をかけました。
「何だ」
「今日、株主名簿の意味が、やっと分かりました」
「そうか」
「株主名簿って、社長のためだけにある帳簿じゃないんですね」
「そうだ」
「株主のためでもあり、会社の事務を適切に進めるためでもある」
所長が頷きました。
「その理解でいい」
私は、少し胸が熱くなりました。
法律の世界。
紙が多い。
言葉が難しい。
数字や条文番号も覚えなければならない。
でも。
一行の意味が分かるだけで。
そこに込められた制度の理由が見えてくる。
誰が株主なのか。
誰が議決権を行使できるのか。
誰が会社の未来について意思を示せるのか。
それを明らかにする。
株主名簿とは。
会社の中で、人の権利を見失わないための帳簿なのです。
「こはる!」
相馬先輩が声を上げました。
「はい!」
「感心してねえで、さっさと整理しろ!」
「今、株主名簿の本質について考えていたんです!」
「本質はいいから、手を動かせ!」
「はい!」
私は帳簿を抱えました。
すると。
一冊の古い株主名簿から、小さな紙片が落ちました。
「……あれ?」
拾い上げます。
そこには。
――株式譲渡承認請求。
と書かれていました。
私は、少し目を細めました。
株式の譲渡。
取締役会の承認。
名義書換。
……。
「先輩!」
「今度は何だ!」
「株式って、誰にでも自由に譲渡できるんですか?」
相馬先輩が、にやりとしました。
「ほう」
「はい?」
「いいところに気づいたな」
私は驚きました。
「褒めました?」
「まだだ」
「またですか!」
先輩は、机の上の定款を指差しました。
「株式譲渡の自由と、譲渡制限だ」
「……!」
なるほど。
また、新しい論点です。
株式会社。
株式。
株券。
株主名簿。
そして。
株式の譲渡制限。
会社を作る人。
会社に出資する人。
会社を受け継ぐ人。
その間には、まだまだ法律上の問題がある。
「こはる」
片桐所長が言いました。
「今日の仕事を終わらせてからにしろ」
「……はい」
相馬先輩が笑いました。
「所長、正論ですね」
「先輩まで!」
私は、仕方なく帳簿を棚へ戻しました。
窓の外。
夕暮れの町に、工場の明かりが灯っています。
杉浦精機の工場でも、今ごろ誰かが働いているのでしょう。
機械を動かし。
部品を削り。
製品を作る。
その会社の未来を、誰が決めるのか。
誰が株主として声を上げられるのか。
その答えを、社長一人の気分で決めさせない。
株券と株主名簿。
言葉は地味です。
試験でも、引っかけ問題が多いところです。
でも。
あの百枚の株券を思い出すと。
もう、ただの暗記事項には見えません。
私はノートを閉じました。
最後の一行を、もう一度読みます。
――株券発行会社は「会社に名義書換」、株券不発行会社は「会社と第三者に名義書換」。ただし、会社の不当拒絶には例外あり。
よし。
完璧。
「こはる!」
相馬先輩の声が飛びました。
「はい!」
「ノート見てねえで、早く棚を片付けろ!」
「今、重要論点を確認してたんです!」
「確認は後だ!」
「先輩!」
「何だ!」
「私の名前も、どこかの名簿に書いてありませんかね!」
「は?」
「そうしたら、事務所の正式な戦力として認めてもらえるかなって!」
相馬先輩は、一瞬黙りました。
そして。
「お前の名前なら、掃除当番表に書いてあるぞ」
「……!」
「しかも、今日の担当だ」
「そんな名簿、認めません!」
「お前が昨日、自分で書いたんだろ!」
「撤回します!」
「勝手に撤回すんな!」
私は、思わず頭を抱えました。
……なるほど。
名簿に名前があることと、その内容に納得できることは、また別問題のようです。
残念ながら。
株主名簿の名義書換に関する最高裁判例を持ち出しても。
自分で書いた掃除当番表から、私の名前が消えるわけではないのでした。
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