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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈民法 配点76点/300点〉 親族

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562/701

[特別養子縁組]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 子供を産んだ人と、子供を育てた人。


 法律は、どちらを親と認めるのでしょうか。


 血のつながり。


 一緒に過ごした年月。


 戸籍に書かれた名前。


 そして。


 子供自身の幸せ。


 そのすべてが衝突したとき。


 民法は、一体何を一番大切にするのでしょうか。


 昭和六十三年。


 夕方の片桐行政書士事務所。


 私は机に向かい、一冊のノートを開いていました。


 表紙には大きく、


 ――こはるノート・民法編。


 と書いてあります。


「……先輩」


「何だ」


「親子って、不思議ですね」


 新聞を読んでいた相馬先輩が顔を上げました。


「いきなり何だ」


「昨日の藤沢さんたちのことです」


「ああ」


「五年間、ずっと一緒に暮らしていたのに、法律上は親子じゃなかったんですよね」


「そうだな」


「それが家庭裁判所の審判で、正式に親子になった」


「ああ」


 私はノートに書きました。


 ――特別養子縁組。


 すると、相馬先輩が煙草を一本取り出しました。


「こはる」


「はい?」


「昨日の事件で、一番大事だったのは何だと思う?」


「え?」


「実母の千鶴が金を要求してきたことか?」


「それも大事です」


「藤沢夫妻が五年以上育ててきたことか?」


「それも大事です」


「じゃあ何だ」


 私は少し考えました。


 そして。


「……ゆきちゃんが、安心して暮らせることです」


 相馬先輩が頷きました。


「そうだ」


 そのとき、奥から片桐所長の声がしました。


「こはる」


「はい!」


「今日のノートは、そこから始めろ」


「分かりました!」


 私は鉛筆を握りました。


 今日のテーマ。


 特別養子縁組。


 普通養子縁組と何が違うのか。


 成立するためには、どんな要件が必要なのか。


 実の親が反対したら、本当に成立しないのか。


 そして。


 どうして昭和六十三年と現代では、子供の年齢要件がこんなに違うのか。


 よし。


 今日は、この制度を徹底的に整理します!


「まず、普通養子縁組との違いです!」


 私はノートの中央に、二つの言葉を書きました。


 ――普通養子縁組。


 ――特別養子縁組。


「先輩、この二つって名前が似ていますよね」


「そりゃ、どっちも養子縁組だからな」


「でも、法律上の効果は全然違います!」


 私は鉛筆を走らせました。


 普通養子縁組。


 養親と養子の間に、新しい法律上の親子関係が成立する。


 ただし。


 実の父母や、その血族との法律上の親族関係も原則として残る。


「つまり」


 私は言いました。


「普通養子縁組では、養親との親子関係が新しくできますが、実親との親子関係もなくならないんです」


「そうだな」


「だから、相続も重要ですね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


 普通養子縁組では、養子は養親の相続人になります。


 それと同時に。


 実親との法律上の親子関係も残っているので、実親の相続人でもあります。


「つまり、原則として養親と実親の両方について相続権があるんです」


「そういうことだ」


 私はノートに大きく書きました。


 普通養子縁組。


 実親との関係は残る。


 養親との関係が加わる。


「じゃあ特別養子縁組は?」


 相馬先輩が聞きました。


「そこが決定的に違います!」


 私は二重線を引きました。


 特別養子縁組。


 養親と養子の間に法律上の親子関係が成立する。


 そして。


 原則として、実父母及び実方の血族との法律上の親族関係が終了する。


「……終了か」


 相馬先輩が呟きました。


「はい」


 民法第八百十七条の九。


 特別養子縁組が成立すると、実方との法律上の親族関係は原則として終了します。


 だから。


 養親の相続人にはなりますが、実親については原則として相続権を失います。


「つまり、普通養子縁組とは違って、実の親と養親の両方から相続するという関係ではなくなるんです」


「そうだな」


「ただし、先輩」


「何だ」


「実の親と血がつながっていないことになるわけじゃありませんよ」


「当たり前だろ」


「法律上の親族関係が終了する、という意味です」


 血のつながり。


 それ自体が消えるわけではありません。


 たとえば、近親者間の婚姻禁止など、別途考えなければならない問題もあります。


 でも。


 相続や扶養などの法律上の親族関係は、大きく変わる。


「ゆきちゃんの場合は?」


 相馬先輩が聞きました。


「藤沢修一さんと美和子さんが、法律上のお父さんとお母さんになります」


「うん」


「ゆきちゃんは、養親の嫡出子の身分を取得します」


 民法第八百九条。


 養子は、縁組の日から養親の嫡出子の身分を取得する。


「つまり、法律上、養親の子として扱われるんですね」


「そうだ」


「そして、未成年のゆきちゃんの親権を持つのは、養親です」


 民法第八百十八条。


 私はノートに丸をつけました。


 親権。


 相続。


 扶養。


 氏。


 法律上の家族関係。


 特別養子縁組は、これらを大きく変える制度です。


「でも先輩」


「何だ」


「だからこそ、簡単に成立させてはいけないんですね」


 相馬先輩が頷きました。


「そのとおりだ」


 実の親との法律上の関係まで終了させる。


 それほど大きな効果があるから。


 普通養子縁組よりも、ずっと厳しい成立要件が置かれているのです。


「では、成立要件に進みます!」


 私はノートを一枚めくりました。


 ――民法第八百十七条の二。


「特別養子縁組は、家庭裁判所の審判によって成立します!」


「うん」


「ここが普通養子縁組との大きな違いですね」


 普通養子縁組は、原則として当事者の縁組意思と届出によって成立します。


 もちろん、未成年者の養子縁組については家庭裁判所の許可が必要になる場合もあります。


 でも。


 特別養子縁組は違います。


 養親になろうとする人が請求し、家庭裁判所が成立を認める審判をする。


 それが必要です。


「藤沢さんたちも、最初は戸籍の手続だけで何とかできないかと考えていたんですよね」


「ああ」


「でも、特別養子縁組は、役所に届出を出すだけでは成立しません」


「そうだな」


 私は頷きました。


「つまり、戸籍が親子を作るんじゃなくて、家庭裁判所の審判によって法律上の親子関係が生まれるんです」


 そこで、片桐所長が声をかけました。


「こはる」


「はい!」


「審判が出た瞬間に、何でも終わりというわけではないぞ」


「あ、はい」


 家庭裁判所の成立審判は、確定することによって効力を生じます。


 藤沢夫妻も、審判が確定したという連絡を受けて、ようやく胸を撫で下ろしたのでした。


「そのあと、戸籍に反映するための届出をするんですね」


「そうだ」


 私はノートに書き足しました。


 ――特別養子縁組は、届出だけでは成立しない。家庭裁判所の審判の確定が必要。


「ここ、試験でも間違えたくないところです!」


「お前は何でも試験だな」


「受験生ですから!」


「今は見習いだろ」


「心は永遠の受験生です!」


「嫌な人生だな」


 ……否定できません。


「次は、養親になる人の要件です」


 私は書きました。


 ――民法第八百十七条の三。


 夫婦共同縁組。


「特別養子縁組では、原則として夫婦で養親になります」


「そうだな」


「独身者が一人だけで特別養親になることはできません」


「うん」


 私は少し考えました。


「所長。どうして夫婦でなければならないんでしょうか」


 所長は帳簿を閉じました。


「制度が作られた趣旨を考えてみろ」


「趣旨……」


「特別養子縁組は、子供に安定した家庭を与えるための制度だ」


「はい」


「だから、制度上、夫婦共同で養育することを原則とした」


 なるほど。


 ただし。


 これは独身者なら子供を大切に育てられないという意味ではありません。


 あくまで、特別養子縁組という制度の成立要件です。


「それから、例外がありますよね!」


 私は手を挙げました。


「何だ」


 相馬先輩が聞きました。


「夫婦の一方が、もう一方の連れ子を特別養子にする場合です!」


「ほう」


 私は説明しました。


 たとえば。


 母親が子供を連れて再婚した。


 再婚相手の夫が、その子を特別養子にしたい。


 この場合。


 実の母親まで、自分の子供を養子にする必要はありません。


「実の母親は、もともと親ですからね」


「そうだな」


「だから一定の場合には、夫婦の一方だけが特別養親になることが認められています」


 相馬先輩が頷きました。


「で、その場合は実の母親との親族関係はどうなる」


「終了しません!」


 私は即答しました。


 民法第八百十七条の九ただし書。


 配偶者の嫡出子を特別養子にする例外的な場合には、その配偶者及びその血族との法律上の親族関係は終了しません。


「全部の実親との関係が、必ず切れるわけではないんですね」


「そうだ」


 私はノートに赤線を引きました。


 ――特別養子縁組は原則夫婦共同。ただし、配偶者の嫡出子を養子にする場合には例外あり。


「次!」


 私は勢いよく書きました。


 ――民法第八百十七条の四。


 養親の年齢。


「養親となる人は、原則二十五歳以上です!」


「うん」


「ただし、夫婦の一方が二十五歳以上であれば、もう一方は二十歳以上でよい!」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ問題だ」


「はい!」


「夫が二十六歳、妻が二十二歳。どうだ?」


「年齢要件を満たします!」


「夫が二十四歳、妻が二十三歳」


「どちらも二十五歳未満なので、満たしません!」


「夫が二十五歳、妻が十九歳」


「妻が二十歳未満なので、満たしません!」


 よし。


 ここは完璧です。


「じゃあ藤沢夫妻は?」


「修一さん三十五歳、美和子さん三十二歳なので、問題ありません!」


 私は胸を張りました。


「この年齢要件は、現代でも基本的に同じなんですよね」


「また未来の話か」


「大事なんですって!」


 先輩が呆れた顔をしました。


 でも。


 法律はすべてが改正で変わったわけではありません。


 今も昔も変わらない要件と。


 大きく変わった要件。


 この二つを区別することが重要なのです。


「さて」


 相馬先輩が新聞を畳みました。


「昨日、お前が一番派手に間違えたところだな」


「……うっ」


「何歳だった?」


「……十五歳です」


「何が?」


「現代の年齢要件です……」


「じゃあ昭和六十三年は?」


「原則六歳未満です!」


 私は大きな声で答えました。


 民法第八百十七条の五。


 昭和六十三年の特別養子縁組。


 養子になれる子供は、原則として六歳未満。


 ただし。


 八歳未満であり、六歳になる前から引き続き養親となる人に監護されている場合には、例外が認められます。


「つまり、先輩」


「何だ」


「昭和六十三年では、七歳の子供でも特別養子になれる場合があるんですよね」


「そうだ」


「でも、七歳になって初めて養親候補の家に迎えられた場合は?」


「その例外には当たらねえな」


「ですよね!」


 ここです。


 単純に、


 六歳未満。


 八歳未満。


 という数字だけを覚えてはいけません。


 八歳未満という例外には。


 六歳になる前から引き続き監護されていたこと。


 という条件が付いているのです。


「ゆきちゃんの場合は?」


 相馬先輩が聞きました。


「生後四か月から藤沢夫妻に監護されています」


「うん」


「だから六歳になっても、八歳未満なら例外の年齢要件を満たすことができます」


「そうだ」


 私は、あの相談の日を思い出しました。


 六歳の誕生日まで、あと十二日。


 修一さんと美和子さんは、本当に焦っていました。


 でも。


 法律を正確に読めば、六歳の誕生日がすべての終わりではなかったのです。


「ただし、八歳になったら、この例外でも駄目なんですよね」


「ああ」


「だから、早めに手続を進めることが大切だったんです」


 私は頷きました。


 ところが。


 ここからが、転生者にとって最大の落とし穴です。


「先輩」


「何だ」


「実は、未来では大きく変わるんです」


「またかよ」


「聞いてください!」


 私は別の欄を作りました。


 ――令和二年四月一日施行の改正。


 特別養子縁組の対象年齢が、大きく引き上げられます。


 現代の民法第八百十七条の五。


 原則として、特別養子縁組の請求時に十五歳未満。


 そして、成立時に十八歳未満。


「ええっ」


 相馬先輩が思わず声を上げました。


「十五歳?」


「そうなんです!」


「そりゃ、ずいぶん変わるな」


「はい!」


 さらに。


 十五歳になる前から引き続き養親候補者に監護されていて、十五歳までに請求できなかったことについてやむを得ない事由がある場合。


 そのときは、十五歳以上でも例外的に請求できる余地があります。


 ただし、成立するまでに十八歳に達してしまった場合は認められません。


「しかも!」


 私は鉛筆を立てました。


「十五歳以上の場合には、本人の同意が必要なんです!」


 相馬先輩が頷きました。


「そりゃそうだろうな」


「はい」


 十五歳になれば、自分の将来について考える力も相当程度育っています。


 だから、養親になりたい大人たちだけで話を進めるわけにはいきません。


 本人自身の意思も、重要になります。


「でも、どうしてそこまで年齢を引き上げたんですか?」


 相馬先輩が聞きました。


 私は少し考えました。


 昭和の制度では、対象となる子供が非常に幼い年齢に限られていました。


 けれど。


 家庭で暮らすことが難しい子供は、六歳未満だけではありません。


 小学生にも。


 中学生にも。


 安定した家庭を必要とする子供がいます。


「だから現代では、もっと広い年齢の子供に特別養子縁組の機会を与えられるようにしたんです」


「なるほどな」


「さらに、令和二年の改正では手続も二段階に整理されました」


 私はノートに小さく書きました。


 第一段階。


 実父母の同意など、子供が特別養子縁組の対象となるための事情を確認する。


 第二段階。


 養親となる人との特別養子縁組を成立させることがふさわしいか判断する。


「こうすることで、養親になろうとする人の負担を軽減することも目指したんですね」


「そうか」


 相馬先輩が言いました。


「でも、今は昭和六十三年だ」


「はい……」


「十五歳って書類に書くなよ」


「書きません!」


「十八歳もだぞ」


「分かってます!」


「昨日みたいな間違いはするなよ」


「もうしません!」


 私はノートに、大きく書きました。


 ――昭和六十三年は原則六歳未満、例外八歳未満。現代は請求時十五歳未満、成立時十八歳未満が原則。


 よし。


 これなら間違えません。


「さて」


 片桐所長が奥から声をかけました。


「次は、実父母の同意だ」


「はい!」


 私はページをめくりました。


 ――民法第八百十七条の六。


 父母の同意。


「昨日の事件で、一番揉めたところですね」


「ああ」


 相馬先輩が頷きました。


 実母の千鶴さん。


 彼女は、こう言いました。


 ――私は実の母親なの。


 ――私が同意しなければ、絶対に養子縁組できない。


 そして。


 その同意と引き換えに、百五十万円を要求した。


「でも、先輩」


「何だ」


「これは間違いだったんですよね」


「そうだな」


 私はノートに書きました。


 原則。


 特別養子縁組には、実父母の同意が必要。


 ただし、例外がある。


 まず。


 父母が意思表示できない場合。


 そして。


 父母による虐待。


 悪意の遺棄。


 その他、子供の利益を著しく害する事情がある場合。


 こうした場合には、同意がなくても特別養子縁組が成立する余地があります。


「つまり」


 私は言いました。


「実父母が反対すれば、何があっても特別養子縁組は成立しない、というわけではありません」


「そうだ」


 私は思い出しました。


 千鶴さんが、藤沢パン店で言い放った言葉。


 ――私が嫌だと言えば終わりなんだから!


 でも。


 法律は、そんな単純な仕組みにはしていなかった。


「所長」


「何だ」


「どうして同意がなくても認められる場合があるんでしょうか」


 所長は少し考えてから答えました。


「実父母の権利だけを絶対に優先すれば、子供を守れない場合があるからだ」


「……はい」


「虐待している親が、子供を手放したくないと言い続けたらどうなる」


 私は黙りました。


「その親の同意がない限り、子供に新しい家庭を与えられないとしたら」


「……子供が困ります」


「そうだ」


 たとえば。


 幼い子供を虐待している親がいる。


 その子供を安全な家庭で育てたい人がいる。


 でも実親は、


「絶対に同意しない」


 と言っている。


 その一言だけで、子供の将来が閉ざされてしまう。


 それでは、子供の利益が守れません。


「だから例外があるんですね」


「そうだ」


 私は頷きました。


 でも。


 ここで、昨日の失敗を思い出しました。


「先輩。私、最初は千鶴さんの行為を、すぐに悪意の遺棄だと決めつけました」


「ああ」


「でも、所長に怒られました」


「当然だ」


 相馬先輩が言いました。


「親が子供を他人に預けたからって、それだけで悪意の遺棄とは限らねえ」


「はい」


 経済的な事情。


 病気。


 家庭環境。


 どうしても自分では育てられない場合があります。


 そのとき、子供を他人に預けることが、常に不当な遺棄になるわけではありません。


「大事なのは、具体的な事情なんですね」


「そうだ」


「実父母がどんな理由で監護できなかったのか」


「うん」


「その後、子供とどう関わってきたのか」


「うん」


「そして、子供の利益を著しく害する事情があるか」


 相馬先輩が頷きました。


「そこで、あの金銭要求も問題になった」


「はい」


 百五十万円。


 養子縁組への同意と引き換えに要求されたお金。


 それ自体が、直ちに特別養子縁組の成立要件を決めるわけではありません。


 でも。


 子供の生活を金銭要求の材料にした事情は、無視できません。


「結局、千鶴さんは金銭要求を撤回しましたね」


「ああ」


「そして、弁護士から説明を受けて、自分の意思を整理した」


「そうだな」


 私はノートに書きました。


 ――実父母の同意は原則必要。ただし、虐待・悪意の遺棄などの場合には例外がある。例外該当性は、具体的事情によって慎重に判断する。


 ここは。


 丸暗記だけでは分からないところです。


 でも、ゆきちゃんの事件を思い出せば。


 きっと忘れません。


「次は、特別の必要性です」


 私は新しいページを開きました。


 ――民法第八百十七条の七。


 子の利益のための特別の必要性。


「ここも重要ですね!」


 私は条文を読みました。


 父母による子供の監護が著しく困難、または不適当であること。


 その他、特別の事情があること。


 そして。


 子供の利益のため、特に必要があること。


「つまり」


 私は言いました。


「養親になりたい人がいるだけでは駄目なんです」


「そうだ」


「実の親が同意していても、それだけでは足りません」


「うん」


「子供にとって、特別養子縁組が特に必要だと認められなければならないんです」


 相馬先輩が頷きました。


「じゃあ、こんな場合はどうだ」


「はい!」


「裕福な夫婦がいる。子供のいない夫婦だ」


「はい」


「隣の家に、両親と仲良く暮らしている五歳の子供がいる」


「はい」


「裕福な夫婦は、その子を気に入った」


「……はい」


「親も、金持ちの家ならいい生活ができるだろうと同意した」


「はい」


「特別養子縁組できるか?」


 私は即答しました。


「それだけではできません!」


「なぜだ」


「実の両親が普通に子供を育てていて、子供の利益のため特別養子縁組が特に必要だという事情がありません!」


 相馬先輩が頷きました。


「正解だ」


 私は少し嬉しくなりました。


 そうです。


 特別養子縁組は。


 お金持ちの家へ子供を移せば幸せになる。


 そんな制度ではありません。


 実の親との法律上の関係まで終了させる必要があるのか。


 そこまで、慎重に考えなければならない。


「じゃあ、ゆきちゃんの場合は?」


 先輩が聞きました。


 私は少し考えました。


「実母は長期間、自分で監護できていませんでした」


「うん」


「ゆきちゃんは、生後四か月から藤沢家で暮らしていました」


「うん」


「藤沢夫妻との安定した親子関係ができていました」


「そうだ」


「それらの事情を家庭裁判所が調べて、特別養子縁組がゆきちゃんの利益のため特に必要だと判断したんです」


 相馬先輩が頷きました。


「そこだ」


 私はノートに大きく書きました。


 ――親が望むからではなく、子供の利益のため特に必要だから認められる。


 なるほど。


 法律の中心にいるのは、いつでも子供なのです。


「次は、六か月です!」


 私は勢いよく書きました。


 ――民法第八百十七条の八。


 監護の状況。


「特別養子縁組を成立させるには、養親になる人が子供を六か月以上監護した状況を考慮する必要があります!」


「うん」


「昨日の事件では、藤沢夫妻は五年以上ゆきちゃんを育てていましたね」


「そうだ」


 私は、あの分厚い資料を思い出しました。


 母子手帳。


 予防接種の記録。


 保育園の連絡帳。


 育児日記。


 幼稚園の写真。


 病院の領収書。


 そして。


 ゆきちゃんが初めて「お母さん」と言った日の記録。


「先輩、あれって全部、監護の状況を確認するための資料になったんですね」


「ああ」


「でも、どうして六か月なんでしょうか」


 相馬先輩が少し考えました。


「一日や二日一緒に暮らしただけじゃ、ちゃんと育てられるか分からねえだろ」


「そうですね」


「半年くらい一緒に暮らせば、家庭の様子もある程度見えてくる」


「なるほど」


 親になる。


 それは、一緒に写真を撮るだけではありません。


 食事を作る。


 着替えをさせる。


 病気になれば看病する。


 泣いたら抱きしめる。


 学校や幼稚園に通わせる。


 そんな日常の積み重ねです。


「だから、実際に監護してきた状況を考えるんですね」


「そうだ」


 ただし。


 ここで注意。


 六か月というのは、ただ時間が経過すれば必ず成立するという意味ではありません。


 監護の状況を見て。


 養親としてふさわしいか。


 子供にとって安定した家庭となっているか。


 そうした事情を判断するための期間です。


「それから、先輩」


「何だ」


「六か月は、必ず申立ての後から数えなければならないわけではありませんよね」


「そうだ」


 昭和六十三年の民法第八百十七条の八。


 原則として、請求時から期間を起算します。


 ただし。


 請求前から監護していた状況が明らかな場合には、それも考慮できます。


「藤沢夫妻は、申立てのずっと前からゆきちゃんを育てていました」


「ああ」


「だから、それまでの監護状況を示す資料が重要だったんです」


 相馬先輩が頷きました。


「よく分かったな」


「はい!」


 私は思わず笑いました。


 六か月。


 試験では、ただの数字。


 でも。


 その数字の後ろには、たくさんの日常がある。


 朝ご飯。


 熱を出した夜。


 初めての誕生日。


 幼稚園の入園式。


 あの資料の束は。


 まさに、藤沢家の親子の歴史だったのです。


「さて」


 片桐所長が声をかけました。


「成立したあとの効果も整理しろ」


「はい!」


 私はノートをめくりました。


 ――特別養子縁組の効果。


 まず。


 嫡出子の身分の取得。


 民法第八百九条。


 養子は、縁組の日から養親の嫡出子の身分を取得します。


 次に。


 親権。


 民法第八百十八条。


 未成年の養子については、養親が親権を持ちます。


 そして。


 氏。


 民法第八百十条。


 原則として、養子は養親の氏を称します。


「つまり、ゆきちゃんは?」


 相馬先輩が聞きました。


「藤沢家の子として、法律上の身分を取得します!」


「うん」


「氏も、原則として藤沢になります!」


「そうだ」


 私は頷きました。


 小野寺ゆき。


 それが。


 藤沢ゆき。


 になる。


 でも。


 これは単なる名前の変更ではありません。


 養親との親子関係。


 親権。


 相続。


 法律上の家族関係。


 そうしたものが、大きく変わるのです。


「ところで先輩」


「何だ」


「特別養子縁組をしたら、戸籍にはどう書かれるんですか?」


「普通養子縁組とは扱いが違うな」


「そうですよね」


 特別養子縁組では、戸籍上も養親の子として記載されます。


 現在の戸籍の記載では、続柄欄に原則として「長男」「長女」などと表示され、普通養子縁組のように続柄欄へ「養子」「養女」と記載する扱いとは異なります。


 ただし。


 出生の経緯や縁組の事実が、法律上完全に消滅するわけではありません。


 必要な戸籍記録などから、特別養子縁組の事実を確認できる場合もあります。


「つまり、戸籍から過去が全部消えるわけじゃないんですね」


「そうだ」


 片桐所長が言いました。


「法律上の親子関係を整理することと、出生の事実を消すことは違う」


「はい」


 私は赤線を引きました。


 ――特別養子縁組は、実方との法律上の親族関係を原則終了させる。出生の事実そのものが消えるわけではない。


 ここも重要です。


 法律は、事実をなかったことにするために存在するわけではありません。


 子供が安心して暮らせる法律関係を作るために存在するのです。


「では、最後の大きな論点です」


 私はノートを開き直しました。


 ――特別養子縁組の離縁。


 民法第八百十七条の十。


「先輩。普通養子縁組では、当事者の合意による離縁が認められていますよね」


「ああ」


「でも、特別養子縁組は違います!」


「そうだな」


 特別養子縁組では。


 単に養親が、


「やっぱり育てるのをやめたい」


 と言っただけでは離縁できません。


 実親が、


「やっぱり返してほしい」


 と言っただけでも駄目です。


「特別養子縁組の離縁には、厳しい要件があります!」


 私は書きました。


 第一。


 養親による虐待、悪意の遺棄、その他養子の利益を著しく害する事情があること。


 第二。


 実父母が相当の監護をすることができること。


 そして。


 子供の利益のため、特に離縁する必要があると認められること。


「この条件を満たした場合に、家庭裁判所が離縁を認めることがあるんですね」


「そうだ」


「しかも、請求できる人も限られています」


 養子。


 実父母。


 検察官。


「……あれ?」


 私は鉛筆を止めました。


「先輩!」


「何だ」


「養親が入っていません!」


「そうだな」


「養親が『離縁したい』と言って、自分からこの離縁を請求することはできないんですか?」


「できねえ」


 私は思わず声を上げました。


「厳しい!」


「当たり前だろ」


 相馬先輩が言いました。


「子供を迎えておいて、都合が悪くなったら簡単に手放せるようじゃ困るだろ」


「……確かに」


 私は頷きました。


 特別養子縁組。


 法律上の親子関係を、強く安定させる制度。


 だから。


 成立するのも厳しい。


 終わらせるのは、もっと厳しい。


「所長」


「何だ」


「もし、養親が子供を虐待していても、実父母がその子を育てられない場合は?」


 所長は静かに答えました。


「特別養子離縁の要件は満たさない」


「……そうなんですね」


「ただし、虐待されている子供を放置してよいという意味ではない」


「あっ」


 私は顔を上げました。


 そうです。


 特別養子縁組の離縁が認められないことと、虐待から子供を保護することは別問題。


 必要であれば、児童福祉の制度や親権に関する手続などによって、子供の安全を確保することになります。


「つまり、離縁の要件を満たさなければ、虐待されていても何もできない、というわけじゃないんですね」


「そうだ」


 私は大きく頷きました。


 なるほど。


 法律は、一つの制度だけで人を守っているわけではありません。


 複数の制度が、それぞれ違う役割を持っています。


「じゃあ、離縁が認められた場合は?」


 相馬先輩が聞きました。


「実父母との法律上の親族関係が回復します!」


 民法第八百十七条の十一。


 特別養子縁組の離縁によって、実父母及びその血族との間に、離縁の日から、終了していたのと同じ親族関係が生じます。


「つまり、離縁によって、実方との法律上の親族関係が回復するんです」


「そうだな」


「でも、過去にさかのぼって全部が元どおりになるわけではありません」


 離縁の日から。


 ここが大切です。


 私は赤線を引きました。


 ――特別養子離縁は極めて例外的。離縁が成立すると、実方との親族関係は離縁の日から回復する。


 よし。


 これも覚えました。


「ところで」


 相馬先輩が煙草を消しました。


「こはる。お前、昨日の事件で、一番危なかったことを覚えてるか?」


「え?」


「百五十万円の話だ」


「あ……」


 私は思い出しました。


 千鶴さんは、特別養子縁組への同意と引き換えに、百五十万円を要求していました。


 私は最初、勢いでこう考えました。


 そんなもの、法律で叩き潰せばいい。


 実母の同意など不要だ。


 特別養子縁組を成立させればいい。


 でも。


 所長に原案を見せたら。


 赤鉛筆だらけになりました。


「……思い出しました」


「何だ」


「成立していない特別養子縁組を、成立しているかのように書いてしまいました」


「そうだ」


「実母の同意が絶対に不要だと断定しました」


「それもだ」


「悪意の遺棄も、十分に確認せずに決めつけました……」


 相馬先輩が頷きました。


「法律の書面はな」


「はい」


「相手を罵倒すりゃ勝てるってもんじゃねえんだよ」


 私は黙りました。


「相手の主張のどこに問題があるのか」


「はい」


「何が事実として確認できているのか」


「はい」


「何が裁判所の判断に委ねられるのか」


「はい」


「それを分けるんだ」


 私は頷きました。


 あの内容証明郵便。


 実母の千鶴さんを脅したわけではありません。


 百五十万円の支払義務に根拠があるのか。


 特別養子縁組への同意が絶対的な拒否権なのか。


 法律上、どのような手続があるのか。


 それを正確に示した。


 そして。


 金銭要求の話と。


 ゆきちゃんの親子関係の話を。


 はっきり切り分けた。


「所長」


「何だ」


「私たち行政書士ができることって、やっぱり限られていますね」


「そうだな」


「家庭裁判所の審判を代理することはできません」


「うん」


「相手との法律紛争を、代理人として示談交渉することもできません」


「そうだ」


「でも」


 私は、あの分厚い資料の束を思い出しました。


 五年間の監護記録。


 育児日記。


 病院の領収書。


 保育園の連絡帳。


 千鶴さんとの手紙。


「事実を整理することはできます」


「うん」


「本人の意思に基づく通知書を、権限の範囲で作成することもできます」


「そうだ」


「そして、弁護士さんが必要な手続を進められるよう、資料を整えて引き継ぐことができます」


 所長が頷きました。


「それでいい」


 私は少し嬉しくなりました。


 裁判所で戦わなくても。


 相手を怒鳴りつけなくても。


 法律と事実を正確に整理することで、役に立てる。


 それが。


 昭和の行政書士の仕事なのです。


「さて、こはる」


 片桐所長が帳簿を閉じました。


「確認問題だ」


「はい!」


 私は姿勢を正しました。


「普通養子縁組では、実親との法律上の親族関係はどうなる」


「原則として残ります!」


「特別養子縁組では?」


「原則として終了します!」


「成立させるのは?」


「家庭裁判所の審判です!」


「養親になる人は?」


「原則として夫婦共同です!」


「年齢は?」


「少なくとも一方が二十五歳以上、もう一方が二十歳以上です!」


「昭和六十三年の養子の年齢は?」


「原則六歳未満です!」


「例外は?」


「六歳になる前から引き続き監護されている場合、八歳未満まで認められます!」


「実父母の同意は?」


「原則必要です! ただし虐待や悪意の遺棄など、法律で定める例外があります!」


「特別養子縁組の必要性は?」


「子の利益のため、特に必要でなければなりません!」


「監護期間は?」


「六か月以上の監護状況を考慮します!」


「離縁は?」


「養親による虐待等があり、実父母が相当の監護をでき、子の利益のため特に必要な場合に、家庭裁判所が認めることがあります!」


 所長が頷きました。


「よし」


 私は思わず拳を握りました。


 やった。


 特別養子縁組。


 成立要件。


 効果。


 離縁。


 全部、頭に入りました!


「じゃあ俺からも一問」


 相馬先輩が口を挟みました。


「はい!」


「昭和六十三年、特別養子縁組の対象は原則十五歳未満か?」


「違います! 原則六歳未満です!」


「令和では?」


「請求時十五歳未満、成立時十八歳未満が原則です!」


「よし」


「しかも十五歳以上の場合には本人の同意が必要です!」


「分かった分かった」


「さらに令和二年の改正では、手続が二段階になりました!」


「もういい!」


「まだあります!」


「まだあるのかよ!」


 私は笑いました。


 でも。


 今回の昭和と令和の違いは、特に印象的です。


 同じ特別養子縁組なのに。


 昭和六十三年では、原則六歳未満。


 令和では、原則十五歳未満。


 こんなに変わる。


 なぜでしょうか。


 それは。


 家庭を必要とする子供が、乳幼児だけではないからです。


 法律も、社会の現実に合わせて変わってきた。


 そして。


 その改正の根底には、同じ考え方が流れています。


 子供の利益を守る。


 そのために、必要な制度を整える。


 そういうことなのです。


 窓の外は、もう夕暮れでした。


 私はノートを見直しました。


 普通養子縁組。


 特別養子縁組。


 夫婦共同。


 二十五歳と二十歳。


 六歳と八歳。


 十五歳と十八歳。


 実父母の同意。


 特別の必要性。


 六か月の監護。


 家庭裁判所の審判。


 実方との親族関係の終了。


 そして。


 厳格な離縁。


 数字も多い。


 要件も多い。


 似たような言葉も並んでいます。


 受験生だった頃の私なら。


 きっと、頭を抱えていたでしょう。


 でも。


 今は違います。


 ゆきちゃんの顔が浮かびます。


 五歳の女の子。


 クリームパンが大好き。


 お母さんのスカートを握っていた、小さな手。


 その子が。


 大好きなお父さんとお母さんと、これからも一緒に暮らせるように。


 法律が用意した仕組み。


 それが、特別養子縁組だったのです。


「所長」


「何だ」


「今日の一行、決まりました」


「そうか」


 私は、ノートの最後に鉛筆を走らせました。


 ゆっくり。


 一文字ずつ。


 ――普通養子は「親子を増やす」、特別養子は「子の利益のため、法律上の親子関係を原則として入れ替える」。


「……できました!」


 私はノートを掲げました。


「どうですか!」


 相馬先輩が覗き込みました。


「まあ、分かりやすいな」


「褒めましたね!」


「少しな」


「やった!」


 私は笑いました。


 この一行。


 きっと忘れません。


 普通養子縁組は、実親との親族関係を残したまま、養親との新しい親子関係を作る。


 特別養子縁組は、子供の利益のため、実方との法律上の親族関係を原則として終了させ、養親との安定した親子関係を作る。


 そのため。


 特別養子縁組には、厳格な要件がある。


 そして、簡単には離縁できない。


 その理由も。


 今なら、よく分かります。


「ところで、こはる」


 相馬先輩が言いました。


「はい?」


「今日の勉強会は終わりか?」


「はい!」


「じゃあ、その資料を片付けろ」


「え?」


「六法も戻せ」


「はい」


「机も拭け」


「……また掃除ですか?」


「見習いだろ」


 私は腕を組みました。


「先輩」


「何だ」


「私には、今日の学習成果を守る権利があります!」


「何の話だ」


「せっかく特別養子縁組を理解したんです! もう少し余韻に浸りたいです!」


「勝手に浸ってろ」


「じゃあ掃除は……」


「やれ」


「……!」


 私は不満そうに雑巾を取りました。


 そのとき。


 片桐所長が、机の上に置かれていた小さな紙袋を指しました。


「こはる」


「はい?」


「それは、どうした」


「あっ!」


 藤沢パン店から届いた紙袋。


 中には。


 最後のクリームパンが一つ残っていました。


「あ、これは私の分です!」


 相馬先輩が顔を上げました。


「おい」


「何ですか?」


「まだ残ってたのか」


「はい!」


「よこせ」


「嫌です!」


「何でだよ」


「私の分です!」


「一口くらいいいだろ」


「駄目です!」


 相馬先輩がにやりと笑いました。


「こはる」


「はい?」


「親子ってのは、分け合うものだろ」


「私たち親子じゃありません!」


「じゃあ養子縁組するか?」


「しません!」


「普通養子縁組なら、実親との関係も残るぞ」


「そういう問題じゃありません!」


 私は紙袋を抱えました。


「それに先輩!」


「何だ」


「特別養子縁組は原則夫婦共同です!」


「知ってるよ!」


「年齢要件もあります!」


「分かってる!」


「何より、私の利益のため特に必要とは認められません!」


「誰がお前を特別養子にするって言った!」


 私は笑ってしまいました。


 所長も、珍しく肩を揺らしていました。


 そして。


「相馬」


「はい」


「こはるのパンは、こはるのものだ」


「……はい」


 よし。


 所長の一言で決着。


 私は嬉しくなって、クリームパンを一口かじりました。


 甘い。


 昨日と同じ味です。


 藤沢家のパン。


 ゆきちゃんの大好きなクリームパン。


 その味を楽しみながら。


 私は、ふと考えました。


 法律は、血のつながりを変えることはできません。


 誰から生まれたのか。


 その事実まで消すことはできません。


 でも。


 子供が安心して帰れる家を、法律上の家族として守ることはできる。


 そして。


 子供にとって必要な親子関係を、家庭裁判所の慎重な判断によって作ることができる。


 それが、特別養子縁組です。


 昭和六十三年。


 始まったばかりの新しい制度。


 まだ対象年齢も狭く、利用できる子供は限られていました。


 でも。


 その後、法律は改正されました。


 より年長の子供にも。


 安定した家庭を得る機会を広げるために。


 だから。


 法律は、ただ古い条文を守り続けるだけのものではない。


 社会の中で見えてきた問題に向き合い、変わっていくものなのです。


 私は最後に、もう一度ノートを読みました。


 ――普通養子は「親子を増やす」、特別養子は「子の利益のため、法律上の親子関係を原則として入れ替える」。


 よし。


 完璧。


「こはる!」


 相馬先輩の声が飛びました。


「はい!」


「パン食ってねえで掃除しろ!」


「今、学習内容を整理してたんです!」


「整理するのは机だ!」


「先輩!」


「何だ!」


「法律上、私は先輩の養子じゃありません!」


「当たり前だ!」


「だから、親権を理由に掃除を命じることはできません!」


「誰が親権で命じた!」


 ……なるほど。


 親子関係がないことと。


 職場で仕事を頼まれることは。


 まったく別の問題なのでした。


 残念ながら。


 今日覚えた特別養子縁組の知識では。


 掃除を免れることはできそうにありません。


 でも。


 私は雑巾を手に取りながら、少しだけ笑いました。


 だって。


 あの藤沢家では。


 今日もきっと。


 ゆきちゃんが、お父さんとお母さんに向かって。


「ただいま!」


 と元気に言っているはずです。


 その当たり前の日常を守るために。


 法律には、こんなにも多くの要件が用意されている。


 そう考えると。


 難しい親族法も。


 少しだけ、温かく見えてきます。


「相馬先輩!」


「今度は何だ!」


「やっぱり民法って面白いですね!」


「面白がってる暇があったら机を拭け!」


「はいっ!」


 昭和六十三年。


 片桐行政書士事務所。


 今日の勉強も、無事終了。


 ただし。


 親子の絆については。


 まだまだ、学ぶことがありそうです。


 なにしろ。


 民法は。


 誰が親かを決めるだけでなく。


 その親子が、安心して明日を迎えられるようにするための法律なのですから。

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