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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政法総論

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32/264

[行政法の一般原則]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ物事を整理しやすくなります。


 電話が鳴らない。


 来客もない。


 西日が窓から差し込み、書棚の背表紙を斜めに照らしている。


 そして机の上には、高瀬さんが置いていった焼きそばの残り。


「……豚肉がありません」


「食った」


 相馬先輩が言いました。


「私が楽しみに残しておいたやつです」


「名前書いてなかっただろ」


「人としての信義則は?」


「そんなものを豚肉に適用するな」


 ありますよね。


 こういうときだけ法理論の射程を狭くしてくる人。


 私は皿を自分の側へ引き寄せて、ノートを開きました。


 今日の題名は、もう決めています。


 行政法の一般原則。


 ……広い。


 名前がものすごく広い。


 行政法の「一般原則」。


 なんでも入っていそうです。


 法律界の押し入れでしょうか。


 今日、市役所が高瀬美代子さんに出したのは、


 仮設店舗撤去のお願い。


 でも中身は、


 本日中に営業を中止し、店舗を撤去してください。


 という、お願いの皮をかぶったかなり重たい話でした。


 しかも。


 高瀬さんは、市の若手商業者向け事業に参加し、市側から長期継続を見込んだ説明を受け、それを信じて百八十万円を借り、屋台や設備を整えた。


 なのに、市の再開発について意見を言った直後、


 市有地だから。


 協力姿勢に問題があるから。


 という曖昧な理由で、他の三店舗は残したまま、高瀬さんだけ即日撤去。


 事情を聞く機会もなし。


 改善の機会もなし。


 私はノートの中央に丸を書きました。


 高瀬さん。


 その周りに、今日出てきた言葉を並べる。


 信義誠実の原則。


 権利濫用の禁止。


 比例原則。


 平等原則。


 適正手続の原則。


「多いな」


 相馬先輩が覗き込みました。


「多いんですよ」


「一件の相談に五個も使うのか?」


「そこなんですよね」


 私はペンを止めました。


「今日、現場で全部それっぽく見えたんです。でも、全部同じことを言ってるわけじゃない」


「当然だろ」


「そこを今から分けるんです」


「最初から分けとけ」


「現場でそんな余裕あります?」


「ない」


「でしょう?」


 珍しく勝ちました。


 奥で帳簿を見ていた片桐所長が言いました。


「まず、五つを一つにするな」


「はい」


「一般原則は、便利な万能札じゃない」


 ですよね。


 そこが一番大事そうです。


 私はノートの上に大きく書きました。


 ――似ているようで、守っているものが違う。


 まず。


 信義誠実の原則。


 略して信義則。


 私はその横に、


 信頼を裏切るな。


 と書きました。


「雑だな」


「入口です」


 民法ではおなじみの、


 信義に従い誠実に行動せよ。


 という考え方。


 でもこれは私人同士だけの話ではなく、行政法の世界でも問題になります。


 行政が何かを言った。


 住民がそれを信頼した。


 その信頼に基づいて生活や事業を組み立てた。


 あとになって行政側が、前提をひっくり返す。


 そんな場面です。


「今日の高瀬さんですね」


 私は言いました。


「市が『三年くらいは続けてもらう予定です』と説明して、業者まで紹介して、設備投資させた」


「だが」


 所長が言いました。


「だから三年間、何があっても市は方針を変えられない、という意味ではない」


「そこですね」


 私は線を引きました。


 行政施策は、社会情勢や財政事情、政策変更によって変わることがあります。


 一度決めた政策に、行政が未来永劫縛られるわけではない。


 有名なのが、宜野座工場誘致事件。


 地方公共団体が工場誘致の施策を進め、相手方がそれを信頼して準備を進めた。


 ところが政策が変更された。


 最高裁は、地方公共団体は原則として施策決定に永久に拘束されるものではないとしつつ、


 その施策を信頼した相手方との関係では、


 信義衡平の原則に照らし、その信頼に法的保護を与える必要がある場合がある、


 としました。


「つまり」


 私は今日の件に戻します。


「市が駅前計画を変更すること自体が、直ちに駄目なんじゃない」


「そうだ」


「でも、市が自分で信頼を作って、高瀬さんがそれに基づいて百八十万円を借りた。その事情を完全無視して翌日撤去、では済まないことがある」


「そう考える」


 私は横に書きます。


 信義則は、


 「一度言ったことを絶対変えるな」


 ではない。


 「行政自身が作った相手方の正当な信頼を、変更時にどう扱うか」


 という問題。


「じゃあ」


 相馬先輩が言いました。


「市が『三年営業できます』って口で言ったら、必ず三年間営業させないといけないのか?」


「いや、それは……」


 危険な聞き方です。


 試験の匂いがします。


「発言があっただけで、自動的に絶対保護されるわけじゃない」


「じゃあ何を見る」


「どの程度具体的な表明だったか。誰が言ったか。相手がそれを信頼するのが合理的だったか。その信頼に基づいて何をしたか。公共の利益との関係はどうか……」


「そのくらいでいい」


 所長が言いました。


 そして、もう一つ。


 信義則は、特に租税の世界では慎重です。


 私はノートに、


 青色申告課税処分事件。


 と書きました。


 租税法律主義。


 課税の公平。


 この二つが強く働く世界で、


 税務署が以前こう言ったから、今回は法律どおり課税しないでください。


 と簡単に言えてしまうと、他の納税者との公平が崩れます。


 だから最高裁は、租税法規に適合する課税処分を信義則で排除するには、


 納税者間の平等・公平を犠牲にしてでも信頼を保護しなければ正義に反するほどの特別の事情が必要だ、


 という厳しい考え方を示しています。


「つまり信義則って、困ったら出せば勝てるカードじゃない」


「当たり前だ」


「ですよね」


 行政法一般原則。


 名前だけ聞くと何にでも効きそうなのに、実際はかなり繊細です。


 私は次へ進みました。


 権利濫用の禁止。


 横に、


 権限がある=好きに使える、ではない。


 と書きます。


「今日、私が一番引っかかったの、ここなんですよ」


「市有地だから、か」


「はい」


 市が土地を管理する権限を持っている。


 それ自体はおかしくありません。


 問題は、その権限を何のために、どう使ったかです。


 高瀬さんの屋台に、


 衛生上の問題がある。


 火災の危険がある。


 通行を妨げている。


 使用条件に違反している。


 そうした管理上の事情があって撤去を求めるなら、少なくとも権限の目的とはつながっています。


 でも今日、倉田係長から出てきた本当の事情は、


 再開発方針に意見した。


 新聞に載るかもしれない。


 計画に反対する店を市が支援しているように見えるのは困る。


 という話でした。


「それを市有地管理の話に乗せるのは変ですよね」


「管理権限を別目的に使っているなら問題になる」


 所長が言いました。


 権利濫用といえば、教材で有名なのは宇奈月温泉事件です。


 他人の土地をほんのわずかにかすめる引き湯管。


 それを見つけた土地所有者が、その土地を買い取って、不当に高い価格で買い取るよう要求。


 拒否されると、所有権を盾に引き湯管を撤去しろと求めた。


 形式だけ見れば、


 私の土地から出ていけ。


 という所有権の行使です。


 でも。


 侵害はわずか。


 撤去には莫大な費用。


 しかも真の目的は権利救済ではなく、高額で買い取らせること。


 そのため、権利行使として許される範囲を逸脱した権利濫用とされました。


「見た目だけなら正当でも、中身が限度を超えてる」


「そういうことだ」


 もう一つ。


 信玄公旗掛松事件。


 鉄道事業という公共性の高い事業であっても、


 その権利・権限を理由に他人の権利を無制限に侵害してよいわけではない。


 公共事業だから全部許される、ではありません。


「今日の『市有地だから』と似てますね」


 私は言いました。


「肩書きの強さで全部を飲み込ませようとするところが」


「言い方は悪いが、発想は同じだ」


 相馬先輩が答えました。


 私はノートに書きました。


 権限の存在。


 権限行使の適法性。


 この二つは別。


「じゃあ権利濫用と比例原則は何が違うんです?」


 自分で書いていて、急に分からなくなりました。


 どちらも、


 やりすぎるな。


 に見える。


「そこを混ぜるな」


 所長が言いました。


 来ました。


 今日の本題です。


 比例原則。


 私はその横に、


 目的に対して手段が重すぎないか。


 と書きました。


 行政が何かの目的を達成するとき、


 必要以上に重い手段を選ぶべきではない。


 もっと軽い手段で目的を達成できるなら、そちらを選ぶべきだ。


 今日の高瀬さんなら。


 仮に店舗運営に何か問題があったとしても、


 まず是正を求める。


 営業時間を調整する。


 配置を変える。


 条件を付ける。


 そうした方法で目的を達成できるのに、


 いきなり営業停止・当日撤去。


 それは重すぎないか。


 そこを見る。


「権利濫用は、権限行使そのものの目的や態様が社会的限界を超えていないか」


「うん」


「比例原則は、行政目的と、それを実現するための手段の重さが釣り合っているか」


「そう整理しておけばいい」


 私は少し安心しました。


 ただし。


 ここで試験用の罠。


 比例原則の判例としてよく出る公務員懲戒処分の事件では、


 裁判所が自分ならこの処分にする、と懲戒権者の代わりに処分を選ぶわけではありません。


 裁判所の役割は、


 自分なら減給一か月。


 役所は停職三か月。


 だから重い。


 という単純比較ではない。


 裁量権の行使が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の濫用と認められるか。


 そこを見る。


「ここ、教材だけ読むと危ないですよね」


「何がだ」


「比例原則だから『結果と処分の重さを比べて、裁判所がちょうどいい処分を決める』って思いそう」


「それは違う」


「はい」


 私は赤線を引きました。


 裁量処分の司法審査では、


 裁判所が行政庁と同じ立場で一から処分を選び直すわけではない。


 行政庁に裁量が認められる領域なら、


 その裁量権の逸脱・濫用があるかが問題になる。


 今日も同じです。


 私たちは、


 市は絶対に撤去を求めてはいけない、


 とは言いませんでした。


 事情によっては、将来的に撤去という判断が適法になることもある。


 ただ。


 なぜこの人だけ。


 なぜ今すぐ。


 なぜもっと軽い方法では駄目なのか。


 そこを整理せず一番重い方法に飛ぶのはおかしい。


 次。


 平等原則。


 私はその横に、


 合理的理由なく扱いを変えるな。


 と書きます。


 憲法十四条一項。


 行政も、合理的な理由なしに国民を差別的に扱ってはいけない。


 今日の駅前広場には、同じような仮設店舗が四軒ありました。


 そのうち高瀬さんだけ撤去。


「違いがあるなら、違う扱い自体は許されるんですよね」


「当然だ」


 所長が答えます。


 ここ重要。


 平等原則は、


 全員まったく同じ扱いにしろ、


 という原則ではありません。


 事情が違えば、扱いが違うことには合理的理由があり得る。


 例えば。


 一軒だけ衛生基準違反。


 一軒だけ道路にはみ出している。


 一軒だけ火気設備が危険。


 なら、その店だけ是正を求めるのは不平等とは限りません。


 でも今日のように、


 営業上の問題は特にない。


 他の店と同じ条件。


 違うのは、市の再開発方針について意見を言ったこと。


 これだけを理由に不利益な取扱いをするなら、


 その区別に合理的根拠があるのかが問われます。


「同じものは同じように。違うものは、その違いに応じて」


「そう覚えろ」


 所長が言いました。


 教材に出てくるスコッチライト事件も、平等原則と租税法の緊張関係が見える事件です。


 同じ輸入品なのに、


 ある税関では二〇パーセント。


 別の税関では三〇パーセント。


 法定税率との関係だけではなく、


 全国的な課税実務との均衡が問題になった。


 ただし。


 ここは、


 他が間違って安くしてるなら、自分も安くしろと言えば必ず通る。


 なんて単純な話にすると危ない。


 租税には租税法律主義があります。


 原則は法令どおり。


 平等原則も、法令を好き勝手に曲げる免許ではありません。


 特定の期間、全国の大多数で一定の取扱いが続き、その差額を後から徴収することもないような特別な事情のもとで、


 課税平等との関係が問題になった事例です。


「一般原則って」


 私は呟きました。


「全部、例外なしの必殺技じゃないんですね」


「法律で必殺技を探すな」


 相馬先輩が言いました。


 ごもっとも。


 最後。


 適正手続の原則。


 私は少し考えて、その横に、


 正しい結論でも、雑な決め方でいいわけではない。


 と書きました。


 今日、高瀬さんが一番ほっとしたのは、


 営業を続けられると確定したことではありません。


 まだ何も確定していない。


 市が施策を変更する可能性もある。


 条件を見直す可能性もある。


 でも。


 話を聞いてもらえる。


 そこでした。


「これが適正手続ですか」


「広く言えば、そういう方向の話だ」


 所長が答えます。


 憲法三十一条。


 何人も、法律の定める手続によらなければ、生命・自由を奪われ、刑罰を科されない。


 いわゆるデュープロセス。


 ただし、注意。


 憲法三十一条は刑事手続を念頭に置いた規定です。


 これが行政手続すべてに、そのまま同じ形で全面適用される、


 と乱暴に覚えてはいけない。


 行政手続と刑事手続では性質が違う。


 行政手続についても憲法上の適正手続の保障が問題になる場面はあるけれど、


 いつでも刑事手続と同じ告知・聴聞が必要、


 という意味ではありません。


「で」


 相馬先輩が言いました。


「お前が昨日まで勉強してた時代なら、行政手続法があるんだろ」


「あります」


「今は?」


 私は壁のカレンダーを見ました。


 昭和六十三年。


「……まだありません」


「未来人、役に立たんな」


「そこまで言います?」


 現代の行政書士試験では、不利益処分なら行政手続法上、


 聴聞や弁明の機会の付与など、


 手続保障を具体的に勉強します。


 でも。


 この昭和六十三年の時点では、現在の行政手続法はまだ制定されていません。


 未来の知識をそのまま、


 「行政手続法違反です!」


 と市役所で振り回したら、


 たぶん私が別の意味で問題になります。


「だから今日、法律名を振り回さなかったのか」


「半分はそうです」


「残り半分は?」


「私もその場では自信がありませんでした」


「正直でよろしい」


「腹立つなあ」


 でも。


 法律がまだ具体的な形で整備されていない時代だからといって、


 行政がどんな手続をしてもいい、


 とはなりません。


 特に重大な不利益を与える判断をするとき、


 本人に何も知らせず、


 理由も示さず、


 言い分を聞かず、


 いきなり決める。


 そうした手続の適否は、


 憲法上の適正手続や、個別法、一般原則との関係で問題になります。


 今日の高瀬さんの件では、


 市は、


 営業上の問題点を事前に告げていない。


 改善を求めていない。


 高瀬さんの言い分も聞いていない。


 他店との違いも説明していない。


 それなのに即日撤去。


 結論以前に、


 決め方が雑だった。


「じゃあ」


 私は五つの言葉を改めて見ました。


「今日の事件を、それぞれ一問ずつにすると……」


 相馬先輩が椅子を引き寄せました。


「やってみろ」


 嫌な予感しかしません。


「信義則」


「市が長期継続を期待させて投資させたのに、その信頼をどう扱ったか」


「権利濫用」


「市有地管理という権限を、本来の管理目的と関係ない理由で使っていないか」


「比例原則」


「目的を達成するのに、即日撤去まで必要だったのか。もっと軽い手段はなかったか」


「平等原則」


「同条件の四店舗のうち、高瀬さんだけ違う扱いをする合理的理由があるのか」


「適正手続」


「重大な不利益を与える前に、理由を告げたり、本人の言い分を聞いたりする機会をどう扱ったか」


「よし」


 相馬先輩が言いました。


「珍しく全部答えたな」


「珍しくを付けるな」


 私は五つの丸を線で囲みました。


 なるほど。


 現場では一つの出来事でも、


 法律では別々の角度から見る。


 高瀬さんの屋台を撤去させる。


 この一つの行政活動について、


 信頼。


 権限の目的。


 手段の重さ。


 取扱いの公平。


 手続の適正。


 それぞれ別の問いが立つ。


 そして、この五つは似ています。


 全部、


 行政が権限を持っていても、好き勝手にしていいわけではない、


 という方向を向いている。


 でも試験では、


 似ているからこそ混ぜると危ない。


「一般原則って、結局何なんでしょう」


 私は所長に聞きました。


 所長は少し考えました。


「条文だけでは埋まらない隙間に線を引くものだ」


 私はペンを止めました。


「隙間?」


「法律に権限があると書いてある。だが、使い方の全部までは書いていないことがある」


「はい」


「そのとき、権限さえあれば何でもできることにはならん」


 なるほど。


 法律が、


 この人にはこの権限があります。


 と書いても、


 その権限を嫌がらせのために使っていい。


 必要以上に重く使っていい。


 合理的理由なく人によって変えていい。


 昨日までの説明を何も考えず裏切っていい。


 本人に何も言わず不意打ちしていい。


 そこまで全部許しているわけではない。


 一般原則は、


 行政活動全体の下に敷かれている床みたいなものなのかもしれません。


 普段は見えない。


 でも床が抜けたとき、


 初めてそこにあったと分かる。


「先輩」


「何だ」


「試験で引っかかりやすいところ、まとめていいです?」


「勝手にしろ」


 まず。


 信義則。


 行政の発言を信じたら、必ずその信頼が保護される。


 ――ではない。


 行政施策は変更され得る。


 ただし、行政が作った信頼が強く保護されるべき特別な事情があれば、信義衡平との関係で問題になる。


 租税分野では特に慎重。


 次。


 権利濫用。


 権利や権限が存在するなら、その行使は常に適法。


 ――ではない。


 目的や態様が社会的に許される限度を逸脱すれば、濫用となり得る。


 次。


 比例原則。


 裁判所が行政庁の代わりに、最適な処分を自由に選び直す。


 ――ではない。


 裁量領域では、裁量権の逸脱・濫用などの枠組みで違法性が審査される。


 次。


 平等原則。


 すべての人を完全に同じに扱わなければならない。


 ――ではない。


 合理的理由のある区別は許される。


 理由のない差別的取扱いが問題。


 最後。


 適正手続。


 憲法三十一条が、あらゆる行政手続に刑事手続と全く同じ形で当然に適用される。


 ――とは限らない。


 行政手続には行政手続なりの性質があり、個別に手続保障のあり方を考える。


「行政法って」


 私はペンを回しました。


「『絶対』『常に』『必ず』って言った瞬間に負ける問題、多くないですか」


「試験問題作る側が好きなんだろ」


「性格悪いですね」


「お前もそのうち慣れる」


「慣れたくない」


 でも今日の事件も、そうでした。


 市有地だから、必ず市の言うとおり。


 そんな単純な話ではなかった。


 行政が政策を一度言ったから、必ず未来永劫守れ。


 でもなかった。


 高瀬さんだけ扱いが違うから、必ず違法。


 でもない。


 撤去が重いから、必ず違法。


 でもない。


 一つずつ事情を見る。


 そこに合理的理由があるか。


 目的と手段はつながっているか。


 行政自身が作った信頼はどれだけ強いか。


 本人にどんな不利益が及ぶか。


 どんな手続を踏んだか。


 法律の世界は、派手な一発逆転より、


 こういう地味な確認の積み重ねで人を救うことの方が多いのかもしれません。


「ところで」


 相馬先輩が言いました。


「今日の市役所の通知は、適正手続違反だから無効なのか?」


「え」


 来ました。


 最終問題。


「そこまでは今日の事情だけで言えません」


「理由は」


「まず、あの『撤去のお願い』自体が法的にどんな性質なのかを確定しないといけないです。行政処分なのか、単なる要請なのか。市有地の使用関係がどうなっているのか。根拠となる条例や許可条件も確認しないと」


「そうだ」


 所長が頷きました。


 危ない。


 また現場で分かった気になっていました。


 一般原則は重要。


 でも。


 一般原則だけで事件の結論を全部出してはいけない。


 まず個別法。


 根拠。


 行為の法的性質。


 要件。


 効果。


 そのうえで一般原則が問題になる。


「一般原則を覚えた受験生って、何でも信義則とか比例原則で殴りたくなりますね」


「殴るな」


「比喩です」


「お前は時々本気っぽい」


 私はノートの下の方に、大きく囲みを書きました。


 一般原則は、


 個別法を無視して何でも解決する魔法ではない。


 行政活動を法律全体の考え方からチェックするための物差し。


 うん。


 これなら少し分かります。


 高瀬さんは、百八十万円を借りて屋台を作りました。


 市の言葉を信じた。


 同じ条件の三店舗は残っている。


 高瀬さんだけが、意見を言ったあとに外されかけた。


 その方法はいきなり即日撤去。


 事前の説明も、弁解の機会もほとんどなかった。


 一つ一つだけなら、


 役所には事情があります。


 市有地です。


 政策変更です。


 管理上の判断です。


 裁量です。


 でも。


 その言葉を全部並べても、


 権限の使い方まで自動的に正しくなるわけではない。


 行政法の一般原則は、


 行政に権限があるかどうか、


 その次の問いを投げてくる。


 その権限を、


 信頼を壊さないように使ったか。


 本来の目的で使ったか。


 必要以上に重く使っていないか。


 人によって理由なく変えていないか。


 相手の言い分を踏まえて使ったか。


 私はノートの最後に、


 一行の覚え書き。


 を書きました。


 ――「権限がある」で終わらない。その権限を、誰に、何のために、どこまで、どんな手続で使ったかを見る。


「長い」


 相馬先輩が言いました。


「またですか」


「一行の覚え書きだろ」


「一行に収まってます」


「お前の字が小さいだけだ」


「内容が大事です」


「試験答案なら読める字で書けよ」


「それは本当にそうですね」


 所長がノートを一度だけ見ました。


「悪くない」


 珍しい。


「褒めました?」


「事実を言っただけだ」


「もう一回言ってください」


「嫌だ」


 貴重な一回を消費しました。


 窓の外は、もう暗くなっています。


 駅前広場の方角に、小さな灯りが見えました。


 あれが高瀬さんの屋台かどうかは分かりません。


 明日、市がどんな結論を出すのかも分からない。


 営業を続けられるかもしれない。


 条件付きになるかもしれない。


 再整備の都合で、最終的には場所を明け渡すことになるかもしれない。


 でも。


 行政法の一般原則は、


 「絶対に高瀬さんを残せ」


 と言うためのものではありません。


 結論がどちらであっても、


 雑に決めるな。


 そう言うためのものです。


 市にも事情がある。


 住民にも生活がある。


 どちらか一方を善人、もう一方を悪人にすれば、話は簡単です。


 でも現実は、そんなにきれいではありません。


 だからこそ。


 信義。


 権利濫用。


 比例。


 平等。


 適正手続。


 人情とは縁遠そうな、冷たい言葉が必要になる。


 情で決めないため。


 気分で決めないため。


 昨日と今日で都合よく人を扱わないため。


 声の大きい人にも。


 役所にも。


 同じ物差しを当てるため。


 法律は冷たい。


 でも。


 冷たい物差しだからこそ、


 権限を持つ人のその日の機嫌では曲がらない。


 私はノートを閉じました。


「先輩」


「何だ」


「ところで、さっき私の豚肉を食べた件ですが」


「まだ言ってんのか」


「信義則、権利濫用、比例原則、平等原則、適正手続の五方面から争えそうです」


「豚肉一枚に国家賠償級の理論武装するな」


「まず事前に私の意見を聞くべきでした」


「聞いたら食っていいって言ったのか?」


「言いません」


「じゃあ結論は同じだ」


「その発想が一番危ないんです!」


 奥で片桐所長が新聞を畳みました。


「こはる」


「はい」


「冷蔵庫を見ろ」


 開ける。


 小皿。


 その上に。


 豚肉が一枚。


「……所長」


「取っておいた」


 相馬先輩が固まりました。


「俺が食ったの、別のやつか」


「そうだ」


 私は小皿を両手で持ちました。


「所長……」


「早く食え」


「はい」


 制度の冷たさは、人を救うことがあります。


 そしてたまに。


 所長の無言の配慮も、人を救います。


 私は最後の豚肉を食べました。


 一般原則より分かりやすく。


 とても、おいしかった。

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