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こはる行政書士見習帖 〜 昭和に転生して許認可に振り回されると試験知識が骨身にしみます 〜  作者: 条文小説
〈行政法 配点112点/300点〉 行政法総論

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[行政計画]法理編 こはるノート

挿絵(By みてみん)

 夕方の片桐行政書士事務所は、昼間より少しだけ反省会に向いています。


 電話が減る。


 来客が途切れる。


 相馬先輩の機嫌も、ほんの少しだけ改善する。


 そして私の机の上には、一冊のノートと。


「……たい焼きがありません」


「食った」


「昨日の残り、私のだったんですけど」


「残り物に所有権を主張するな」


「民法まで敵に回しますよ?」


 相馬先輩は知らん顔で新聞を開きました。


 昨日。


 久世製作所の工場誘致をめぐって、市役所へ乗り込みました。


 市は二年前から、川南地区を新しい工業拠点にすると宣伝していた。


 久世さんにも個別に進出を勧めた。


 道路を整備する。


 地域を十年かけて育てる。


 進出を歓迎する。


 そんな説明を重ねた結果、久世さんは土地を買い、借金をし、工場を建て始めた。


 ところが市は途中で方針転換。


 駅前観光再整備を優先し、工場誘致施策も道路整備も終了。


 そして最初は、


『行政計画は変更されるものです』


『土地を買うと決めたのは久世さんです』


 という説明でした。


 法律の言葉に直すと、たぶんこうです。


 ――計画変更の自由と、信頼を裏切った責任は同じ問題なのか。


 私はノートの一番上に大きく書きました。


 行政計画。


 そして、その下でペンを止めます。


「……行政計画って、結局何ですか」


 相馬先輩が新聞越しに言いました。


「そこからかよ」


「そこからです」


「昨日、散々しゃべってただろ」


「現場で勢いよくしゃべれたことと、試験で説明できることは別なんです」


「妙に正直だな」


 奥で帳簿を見ていた片桐所長が顔を上げました。


「行政機関が、将来の行政活動について目標や方針を定めるものだ」


「将来の行政活動」


「ああ」


 私は書きます。


 行政計画。


 行政機関が、一定の行政目的を実現するため、将来に向けた目標や方針、手順などを定めるもの。


「昨日の『川南新産業振興構想』も?」


「そうだ」


 市が、


 この地域を工業拠点にする。


 道路を整備する。


 企業を誘致する。


 雇用を増やす。


 そういう将来の行政活動を組み合わせて描いたもの。


 まさに行政計画です。


「でも、行政計画って全部同じ扱いじゃないんですよね」


「何で分ける」


 所長が聞く。


 口頭試問が始まりました。


 昭和の事務所に模試会場機能を追加しないでほしい。


「ええと……国民を拘束するかどうか」


「そうだ」


 私はノートを二つに分けました。


 拘束的計画。


 非拘束的計画。


「まず拘束的計画」


 私は書きながら言います。


「計画によって国民の権利や自由が法的に制限されるもの」


「例えば?」


「土地区画整理事業計画」


 昨日の教材の記憶を引っ張り出します。


「区画整理事業が始まると、区域内の土地所有者は、自分の土地でも自由な利用に一定の制約を受けることがある」


「そういう計画なら?」


「国民の権利を制限するから、行政が勝手に作ることはできない」


「つまり?」


「法律の根拠が必要」


 所長が頷きました。


 ここは大事です。


 行政が、


『来年からこの地域をこうしたいと思います』


 と目標を掲げるだけならまだしも。


『この計画に入った土地では、あなたは自由に使えません』


 となれば話が違う。


 本人の権利を法的に制限する。


 ならば。


『役所で決めました』


 だけでは足りない。


 きちんと法律上の根拠が要る。


「じゃあ非拘束的計画」


 相馬先輩が言いました。


「はい」


「例」


「昨日の川南新産業振興構想」


「それだけか」


「国民所得倍増計画」


 言った瞬間、私は少しだけ得意になりました。


 池田内閣。


 国民所得倍増計画。


 行政書士試験の基礎知識でも狙われる有名どころです。


「何を倍増すんだ」


「国民所得」


「期間は」


「十年以内を目標に」


「目標額」


「え」


「知らんのか」


「急に細かい!」


 所長が淡々と言います。


「教材では、国民総生産を十年以内に二十六兆円程度へ倍増させる目標だったな」


「所長、そこまで覚えてるんですか」


「お前が覚えろ」


「はい……」


 私は余白に書き込みました。


 池田内閣――国民所得倍増計画。


 経済成長を通じ、完全雇用や生活水準向上、所得格差是正などを目指した。


「これが非拘束的なのは」


 私は続けます。


「国民一人ひとりに対して、『あなたは所得を二倍にしなさい』と義務づける計画じゃないからですね」


「そんな計画だったら怖いな」


 相馬先輩が言いました。


「給与明細に行政処分ついてきそうです」


「会社員全員不服申立てだ」


「地獄ですね」


 でも大事なのはそこです。


 国民所得倍増計画は、国の政策目標。


 公共事業を進めたり、産業政策を展開したり、経済成長を促したりする。


 でも。


 その計画そのものによって、私たち国民の権利が直接制限されるわけではない。


 だから非拘束的計画。


 そして。


「国民の権利を制限しないから、原則として法律の根拠までは必要ない」


「そういう整理だ」


 所長が言いました。


 私は一度ノートを見直しました。


 拘束的計画。


 国民の権利を制限する。


 だから法律の根拠が必要。


 非拘束的計画。


 国民の権利を直接制限しない。


 だから原則として法律の根拠は不要。


「じゃあ」


 私は昨日のパンフレットを取り出しました。


『川南新産業振興構想』


「これはどっちですか」


 相馬先輩が答えます。


「昨日所長が言っただろ。非拘束的だ」


「ですよね」


 この計画は、


 久世さんに工場を建てろ。


 土地を買え。


 そこで営業しろ。


 と法的に命令するものではありません。


 従うかどうかは、企業側の判断です。


 だから計画そのものは非拘束的。


 ここまでは分かる。


 でも。


 私はペン先を止めました。


「じゃあ、法律の根拠が要らない非拘束的計画なら、市はいつでも自由に変更していいんですか」


「そこだな」


 所長が言いました。


 来ました。


 今回の本丸です。


 計画が国民を法的に拘束しない。


 だから法律の根拠がなくても作れる。


 それと。


 計画を好き勝手に変えて、一切責任を負わない。


 これは。


 同じではありません。


「昨日、所長が言ってましたね」


 私は思い出します。


『計画そのものと、計画を信じさせた行為を分けろ』


「久世さんは、市のパンフレットを勝手に読んで、勝手に工場を建てたわけじゃない」


「ああ」


「市から個別に誘われてる」


「そうだ」


「そこが判例のポイント?」


 所長が頷きました。


「宜野座工場誘致事件だ」


 ようやく出ました。


 昨日、私の頭の隅で名前だけ点滅していた事件。


 最高裁昭和五十六年一月二十七日。


 宜野座工場誘致事件。


「先輩」


「何だ」


「宜野座って読めます?」


「ぎのざ」


「知ってたんですか」


「お前は俺を何だと思ってる」


「現場に強い人」


「褒めてねえだろ」


「八割褒めてます」


 私は判例の骨組みをノートに書きました。


 地方公共団体が、継続的な施策を定める。


 その施策に適合する活動をするよう。


 特定の者へ。


 個別的・具体的に勧告・勧誘する。


 その活動は。


 施策が相当長期に続くことを前提にしなければ。


 投入した資金や労力に見合う効果を得られない。


 そして。


 その勧誘を信じて準備や活動を始めた者が。


 施策変更によって。


 社会観念上看過できない程度の積極的損害を受ける。


 それなのに。


 補償等の措置も講じないまま施策を変更した場合。


 やむを得ない客観的事情がない限り。


 地方公共団体は不法行為責任を免れない。


「長い」


 書き終えて私は顔を上げました。


「判例、息継ぎさせる気ないですね」


「最高裁に文句言え」


「怖くて無理です」


「じゃあ分解しろ」


 相馬先輩が言いました。


 珍しく勉強に協力的です。


 いや、昨日の件があるからでしょうか。


「分解……」


「昨日の久世さんに当てはめろ」


「なるほど」


 判例の文章だけ読むから眠くなる。


 人を置けばいい。


 まず。


 継続的な施策。


 昨日なら、市の工場誘致政策。


『十年を見据えた工業拠点形成』


 次。


 個別的・具体的な勧告や勧誘。


 久世さんに市の担当者が直接、


『川南へ出ませんか』


『進出を具体的に検討してください』


 と働きかけた。


 次。


 長期継続を前提にしないと、投入資金に見合う効果が生じない活動。


「工場なんて、建てて一年だけ営業するものじゃないですもんね」


「普通はな」


 土地購入。


 建物建設。


 機械導入。


 従業員移転。


 億近い投資。


 道路も工業団地政策も数年で消えたら、採算が取れない。


 次。


 勧誘に動機づけられて活動または準備活動へ入った。


 久世さんは市の誘致を受けて土地を買い、工事を始めた。


 そして。


 施策変更で社会観念上看過できない積極的損害。


「積極的損害って」


 私は聞きました。


「単に『儲かる予定だったのに儲からなくなった』だけとは違うんですよね」


「そこは区別しろ」


 所長が言いました。


 私は頷きます。


 たとえば。


 工場誘致が続いていれば、十年後に一億円儲かったはずだ。


 その利益を全部よこせ。


 そういう話とは違う。


 むしろ。


 計画を信頼したために、現実に支出した費用。


 計画変更によって無駄になる建設費。


 設計変更費。


 土地取得費の一部。


 移転準備費。


 そうした。


 すでに現実化した不利益が中心になる。


「昨日の工場も」


 私は写真を思い出しました。


「道路拡幅を前提に、トラックが入れる配置で設計してる」


「そうだ」


「道路が広がらないなら、設計変更や出入口の工事が必要になるかもしれない」


「それが損害になる可能性はある」


「市の誘致を信じなければ出さなかった金、っていう方向ですね」


「大まかにはな」


 私は次の行に丸をつけました。


 そして最後。


 補償等の措置を講じない。


 やむを得ない客観的事情もない。


「ここ、重要ですよね」


「ああ」


「計画を変更したら必ず損害賠償、じゃない」


「当たり前だ」


 相馬先輩が言います。


 そう。


 ここを雑に覚えると危ない。


 行政計画は将来の方針です。


 経済情勢。


 災害。


 財政危機。


 法改正。


 社会構造の変化。


 予想できなかった事情で、変更が必要になることはある。


 だから。


『住民や企業が信頼したから、一度作った計画は永久に変えるな』


 とはならない。


「判例も、やむを得ない客観的事情がある場合を除いてる」


「そうだ」


「じゃあ今回、市が言ってた国の補助採択がなくなったとか、駅前事業費が膨らんだとかも、その事情になり得る?」


「なり得る」


 所長は言いました。


「ただし、それだけで自動的に免責されるわけではない」


「程度や経緯を見る」


「そうだ」


 いつ事情が判明したのか。


 変更以外の選択肢はなかったのか。


 市は久世さんの進出状況を知っていたのか。


 損害を減らす措置を取れなかったのか。


 補償や代替措置を検討したのか。


 昨日。


 六月に市が見直しを検討し始めた。


 その時点で。


 久世さんの工事が進んでいることを、月報で把握していた。


 それでも。


 説明せず。


 工事を止める機会も与えず。


 秋になって。


『施策を終了します』


 と通知した。


「このあたりが、市にとって痛い」


 私が言うと、相馬先輩が頷きました。


「知らなかったならまだ言い訳もある」


「知ってた」


「ああ」


「しかも、進出させたのも市」


「そういうことだ」


 私はノートに書きます。


 ポイントは。


 単なる政策変更ではない。


 行政側が作った信頼関係。


 その信頼に基づく重大な投資。


 それを把握しながらの変更。


 この組み合わせ。


「所長」


「何だ」


「これって信義則の話なんですか?」


「考え方としては信頼保護が基礎にある」


 なるほど。


 行政も。


 国民に一定の行動をするよう具体的に働きかけ。


 それを信頼して相手が大きな負担を負ったなら。


『でも計画ですから』


 の一言だけでは済まないことがある。


 制度って。


 こういうとき、妙に人間臭い。


「でも不法行為責任なんですよね」


「そうだ」


「計画変更が無効になる、とは限らない」


「そこを混同するな」


 来ました。


 試験で絶対に狙われそうなところ。


 私はノートに大きく書きました。


 計画変更の効力。


 と。


 変更に伴う損害賠償責任。


 は別。


「つまり」


 私は声に出します。


「市の工場誘致政策の変更そのものを止められない場合でも」


「うん」


「変更によって生じた損害について、市が賠償責任を負うことはあり得る」


「そういうことだ」


「逆に、不法行為責任が認められるからといって、昔の計画を復活させろ、とは直結しない」


「正解」


 相馬先輩が缶コーヒーを持ち上げました。


「珍しく」


「余計です」


 でも。


 昨日の久世さんの事件も、まさにこれでした。


 私たちは。


『道路整備計画を必ず復活させろ』


 と迫ったわけではありません。


 まず。


 計画を変更する事情。


 久世さんを誘った経緯。


 投資内容。


 市がその進捗を知っていたか。


 どんな損害が出るのか。


 補償や代替措置を検討したのか。


 そこを話し合え。


 と求めた。


 だから所長は、


『今ここで計画変更そのものを撤回しろとは言いません』


 と言ったのです。


 現場では。


 ちゃんと法理どおり動いてたんだ。


「所長、説明してくださいよ」


「何を」


「昨日の時点で」


「自分で分かった方が忘れん」


「昭和の教育方針が雑!」


 相馬先輩が笑いました。


「あと受験的には?」


 私が聞くと、所長が言います。


「計画によって違う」


「え?」


「行政計画という名前だけで、一律に法的性質を決めるな」


 そこ。


 たぶん重要です。


 行政計画には。


 法的拘束力を持つものもある。


 持たないものもある。


 処分性の問題も、計画の種類や法律上の効果によって変わってくる。


 行政計画だから全部同じ。


 ではない。


「今回の教材でまず押さえるのは」


 私は確認します。


「拘束的か、非拘束的か」


「ああ」


「権利を制限する拘束的計画なら法律上の根拠が必要」


「そうだ」


「権利を直接制限しない非拘束的計画は、原則として法律上の根拠を必要としない」


「そうだ」


「でも非拘束的計画だからといって、変更に伴う責任が絶対に生じないわけではない」


「そのとおり」


 私は三重丸をつけました。


 受験生が死ぬのは、だいたい「絶対」のところです。


『非拘束的計画だから自由に変更でき、国民は一切何も請求できない』


 そんな選択肢が出たら。


 宜野座工場誘致事件が後ろから肩を叩いてきます。


「こんにちは」


 怖い。


「あと池田内閣」


 相馬先輩が言います。


「急に来ましたね」


「国民所得倍増計画」


「覚えてます」


「基礎知識でも出るぞ」


「先輩、試験講師になってません?」


「黙れ」


 私はノートの端に書きました。


 池田勇人内閣。


 国民所得倍増計画。


 これも非拘束的行政計画の例。


 具体的な権利制限を国民に加えるものではなく。


 経済政策上の目標を掲げるもの。


「行政法と基礎知識が接続するの、ちょっと得した気分ですね」


「一粒で二度出る」


「嫌な言い方」


「試験なんかそんなもんだ」


 私はもう一度、宜野座の要件を自分の言葉でまとめました。


 第一。


 地方公共団体が、一定内容の継続的施策を行う。


 第二。


 その施策に合う活動をするよう、特定の者に個別具体的に勧告・勧誘する。


 第三。


 その活動は、施策が相当長期に続いて初めて投資に見合う効果を生む性質である。


 第四。


 勧誘を信じた相手が、活動または準備活動に入る。


 第五。


 施策変更により、社会通念上看過できない積極的損害を受ける。


 第六。


 補償等の措置を講じずに変更する。


 第七。


 しかも、やむを得ない客観的事情がない。


「これ全部そろうと?」


「地方公共団体は不法行為責任を免れない、というのが判例だ」


 所長が答えます。


「『必ず賠償』じゃなく、こういう事情の下では責任を免れない」


「ああ」


 私は少し考えました。


「行政計画って、冷たい話かと思ってました」


「何が」


「権利を拘束するかしないかとか。法律の根拠が要るとか要らないとか」


「十分冷たいだろ」


「でも宜野座の判例って、かなり人の信頼を見てますよね」


 行政は。


 未来を計画する。


 それ自体は必要です。


 でも。


 その未来を信じてください。


 ここへ来てください。


 投資してください。


 と言って。


 実際に人を動かしたなら。


 政策を変えるとき。


 その人を単なる「自己責任」で切り離せない場合がある。


「条文だけじゃなくて、人がどう動いたかを見るんですね」


「行政法はそこを外すと分からん」


 所長が言いました。


 私は昨日の久世さんの顔を思い出します。


『俺が馬鹿だったのかなって思ってたんです』


 あの言葉。


 もし市が。


 ただ計画を公表していただけなら。


 話は違ったかもしれない。


 もし久世さんが。


 市から何も勧められず。


 自分だけの判断で。


『この辺は伸びそうだから工場を建てよう』


 と投資したなら。


 政策変更のリスクまで行政へ負わせるのは難しい。


 でも今回は。


 市自身が来た。


 市自身が勧めた。


 市自身が長期構想を示した。


 そのうえ。


 久世さんの工場が建っていくことまで知っていた。


 だから。


『最終判断したのはあなたです』


 だけでは、片づかない。


「なるほど」


 私は呟きます。


「誰が期待を作ったのかを見るんですね」


「そう考えると分かりやすい」


 所長が言いました。


 行政計画は。


 未来予想図ではありません。


 行政自身が描く。


 政策上の地図です。


 ただし。


 地図には二種類ある。


 見るだけの地図と。


 載せられた人の権利まで動かす地図。


 後者なら。


 法律上の根拠が必要になる。


 そして前者でも。


『この道を進めば大丈夫です』


 と特定の人へ何度も案内し。


 その人が家財一式を持って歩き始めたあとで。


『やっぱり道、消しました』


 では。


 場合によっては責任が生じる。


「……行政計画、意外とドラマありますね」


「何でもドラマにするな」


 相馬先輩が言いました。


「小説の中なんだから仕方ないです」


「何の話だ」


「忘れてください」


 危ない危ない。


 私はノートの最後に、試験向けの注意をまとめました。


 ただし文章で。


 自分に言い聞かせるように。


 行政計画だからといって、全部が国民を拘束するわけではない。


 国民の権利を制限する拘束的計画には、法律上の根拠が必要。


 国民を直接拘束しない非拘束的計画なら、原則として法律上の根拠は不要。


 けれど。


 非拘束的計画は自由に変更できるから、何をしても責任なし。


 ではない。


 行政が特定の者へ個別具体的に働きかけ。


 相手がその施策の継続を信頼して。


 長期的な投資や準備へ入り。


 その後の施策変更で、看過できない積極的損害を受ける。


 そんな場合には。


 やむを得ない客観的事情がないのに補償もせず変更すれば。


 地方公共団体に不法行為責任が認められることがある。


「よし」


 私はペンを置きました。


「分かりました」


「本当に?」


 相馬先輩が言います。


「たぶん」


「試験問題」


「はい」


「市が十年間の地域振興計画を立てた。住民が勝手にそれを信じて店を開いた。三年後に計画変更。必ず損害賠償」


「誤り」


「理由」


「計画を信じて損した、だけじゃ足りません。行政から特定の者への個別具体的な勧誘があったかとか、長期継続を前提とした投資かとか、看過できない積極的損害かとか、補償措置ややむを得ない客観的事情があるかとか、そういう事情を見る」


「じゃあ次」


「まだあるんですか」


「拘束的行政計画には必ず法律の根拠が必要」


「基本的に正しい」


「非拘束的行政計画には法律上の根拠が必要ない」


「原則としてそう」


「非拘束的なら一切法的問題は起こらない」


「誤り。宜野座工場誘致事件」


「国民所得倍増計画を打ち出したのは」


「池田内閣」


「よし」


 相馬先輩が新聞へ戻りました。


「合格」


「何の?」


「今日の分」


「範囲狭っ」


 でも。


 悪くない。


 昨日まで行政計画と聞くと。


 紙の上の政策目標しか思い浮かびませんでした。


 今は。


 川南の鉄骨が浮かびます。


 建設途中の工場。


 狭い道路。


 市のパンフレット。


 久世さんの作業服。


 九千万円の借金。


 そして。


『自分で決めたことでしょう』


 という役所の言葉。


 制度の冷たさは。


 時々、人を突き放します。


 行政計画は変更される。


 政策は社会情勢に応じて変わる。


 行政に未来永劫の約束をさせることはできない。


 そこは冷たい。


 でも。


 同じ制度が。


 行政が自分で作った信頼まで、都合よく忘れてはいけない。


 とも言う。


 そこも。


 同じ冷たい線です。


 私はノートの最後に。


 今日の一行の覚え書きを書きました。


 ――「計画だから変えられる」と「変えた責任まで消える」は、別問題。


 相馬先輩が覗き込みます。


「まあ、いいんじゃないか」


「珍しく素直ですね」


「昨日よりは」


「昨日何だったんですか」


「たい焼き守るのに必死だった」


「それは先輩でしょう」


 奥から所長が言いました。


「もう一行書け」


「はい?」


「拘束的計画」


「ああ」


 私はその下に書き足します。


 ――人の権利を縛る計画なら、「役所の予定」では足りない。法律の根拠を見ろ。


 所長が頷きました。


「それでいい」


 窓の外では。


 昭和六十三年の町に、夕方の灯りがつき始めています。


 駅前には再整備計画の大きな看板。


 川南には建設途中の工場。


 どちらも。


 行政が描いた未来と関係している。


 未来は。


 変わります。


 計画も。


 変わる。


 でも。


 行政が描いた未来を信じて。


 現実に土地を買い。


 建物を建て。


 金を使い。


 人生を動かした人がいるなら。


 計画変更の紙一枚で。


 その現実まで消えるわけではありません。


 行政法は。


 約束を全部守らせる法律ではない。


 でも。


 約束みたいな顔をして人を動かした行政に。


 何もなかった顔をするな。


 と言うことはある。


 私はノートを閉じました。


 拘束的計画。


 非拘束的計画。


 宜野座工場誘致事件。


 池田内閣の国民所得倍増計画。


 昨日までなら、暗記カード四枚で終わっていた言葉です。


 今日は。


 それぞれに顔があります。


「先輩」


「何だ」


「明後日の市との協議、私も行っていいですか」


「来る気だったろ」


「はい」


「なら資料まとめろ」


「やっぱりそうなるんですね」


「言い出しっぺだ」


「昭和の事務所、本当に言い出しっぺに厳しい……」


 所長が帳簿から目を上げます。


「こはる」


「はい」


「計画は未来の話だ」


「はい」


「責任は現在の話だ」


 私は少しだけ考えて。


 頷きました。


 たぶん。


 今日一番、覚えやすい説明でした。


 相馬先輩が言います。


「じゃあ、たい焼きの追加購入計画は?」


「採択してください」


「財政事情により中止」


「損害賠償を請求します」


「何の損害だ」


「私の期待利益です」


「それは弱いな」


「くっ……今日勉強した内容で返された」


 所長が小さく笑いました。


 行政計画。


 昨日よりは、もう眠くありません。


 たぶん。


 たい焼きさえあれば、もう少し勉強できます。

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